その2 阿蘇は約9万年前に九州の中北部をつくった |
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唐の都には多くのペルシャ人がいました。例えば唐の安禄山は、長安の都で玄宗皇帝と楊貴妃に取り入り、後に離反して安史の乱(755 -763)を起こしましたが、元はサマルカンドの出身でソグド人と突厥(とっけつ)人の混血でした。ゾロアスター教徒(拝火教徒)のペルシャ人にとって、火を噴く阿蘇は憧れの聖地であったと思われます。 図 2.阿蘇山中央噴火口
それより古くは「豊後(ぶんご)火山活動」といって、現在の阿蘇の東側で 「流紋岩」(りゅうもんがん)という岩質のマグマを放出する噴火活動を行っていました。更に古くは「豊肥 (ほうひ)火山活動」といって国東半島から島原半島まで及ぶ広い地域で「安山岩」(あんざんがん)という岩質のマグマを 放出する噴火活動を行っていました。安山岩質のマグマはやや粘度が高く、溶岩流は「溶岩塊」(ドーム)を造りながら ゆっくりと流れたものと思われます。豊後火山活動や豊肥火山活動は総称して「先阿蘇(せんあそ)火山活動」と 呼ばれています。先阿蘇火山活動でできた安山岩の多くは、典型的にはおよそ84万年前のものと推定されています。
現在の外輪山と美しいカルデラを見下ろす大観峰など、現在その周辺に露出して見られる岩石は、そのようにして 先阿蘇火山活動でできた安山岩と、その後のカルデラ噴火によって堆積した「凝灰岩」(ぎょうかいがん)あるいは「溶結凝灰岩」(ようけつぎょうかいがん)でできています。 凝灰岩とは、火山灰が堆積して加圧と結晶の析出によってゆっくりとできた岩石のことです。溶結凝灰岩とは、 火山灰が地上に降下したときに高熱と加圧によってできた岩石のことです。約9万年前の巨大噴火のとき、火山灰は 北海道に達し、溶結凝灰岩は九州の半分近くを覆いました。溶結凝灰岩に厚く覆われた地域は「溶岩台地」となって現在の九州中央部に広く分布し、緩やかに波打つ平原を形作っています。 安山岩は、高温のマグマが地表で固まったもので、「班晶」(はんしょう)と「石基 」(せっき)からなっています。班晶とはマグマが冷える前に既に結晶となっていたもので、石基とは班晶の間を埋める ガラス質などの成分です。安山岩は、火山岩のうち「二酸化珪素」(SiO2 )の含有量が53~63パーセントのものをいい、多くは灰色です。火山岩には、これより二酸化珪素が 少なくてやや黒っぽい「玄武岩」(げんぶがん)やこれより二酸化珪素が多くてやや白っぽい「流紋岩」(りゅうもんがん)も あります。安山岩も その後の火山活動によって凝灰岩や溶結凝灰岩に広く覆われましたが、凝灰岩や溶結凝灰岩は、安山岩よりも早く風化侵食されて 礫、砂、泥などの粒子となり、九州中央部の広範囲にわたって現在のなだらかな美しい地表をなしています。
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