映画『MINAMATA』は、日本では 2021年9月23日に全国公開された。このウェブページの筆者(入口紀男)は、その映画が現代社会にもたらす「公益」に期待して、近くの TOHOシネマで観た。この映画について最初に大きく「事実に基づく」と表示された。チッソが行った行為を映画化して世界に知らしめることは大切な仕事である。それは、本来は称賛されるべき仕事である。以下、筆者の「感想」とその後の「アクション」についてお伝えする。
水俣で生まれ育った筆者が映画『MINAMATA』を観た全体の印象は、およそ最初から最後まで、事実と異なっているときに感じる「違和感」の連続であった。映画に出て来る木々や植物の種類も、家の造りようも、すべて水俣のものとは違っていた。石造りで畳の部屋という家は水俣にはなかった。また、官憲が令状を明示しないで家宅捜索をしたり、そこで人を殴ったりするようなことは、水俣でなくても、法治国家では起こり得ないことであろう。 筆者は映画が制作される前(2018年)に制作・主演のジョニー・デップに手紙を送り、「水俣病」は地域に対する差別用語であるから慎重に使うようにと知らせて筆者の著書 『Minamata Bay, 1932』(日本評論社 2012年)を贈った。「水俣病」という言葉は、映画『MINAMATA』では「ライフ」誌の女性編集者が「今は Minamata Diseaseと呼ばれます」という箇所などの二、三か所に出て来るだけである。それらについて、筆者は当時あり得たことだろうと想像して評価した。
一方、日本では、虚偽の風説を流布したり偽計を用いて人の信用を毀損したりその業務を妨害したりした者は、最高三年の懲役が課せられると定められている(刑法第二百三十三条)。それは親告罪に近い法律として運用されている。世界の各国にも同様な法律がある。
この映画は、水俣市の固有名詞をタイトルに使い、チッソ株式会社の正式な法人名やロゴ(マーク)を随所に使っている。実名を使った以上、描かれる内容は公益性があり、かつ事実でなければならない。「ねつ造シーン」(事実無根のもの)や「やらせシーン」(何かの事実をヒントにしてはいるが事実ではないもの)がワンカットでもあると、それは違法作品である。 この映画では、患者の苦しみを伝えるにも、美しい自然に恵まれた水俣の光と風を描写するにも、公害企業の責任を世界に知らしめるにも、もっと「芸術的」かつ「合法的」な方法があったのではないかと思われる。仮にねつ造シーンとやらせシーンを一切使わないで制作されていたら、また、望ましくは仮に古い水俣の町並を再現していたら、良い映画となっていた可能性がある。素晴らしい作品になる可能性を秘めていただけに残念である。意図的にねつ造シーンとやらせシーンを繰り返すこの作品には、たとえ有名なジョニー・デップが演じようと、良識の一線を踏み外した違法作品の疑いがある。この映画は、歴史を改ざんしようとするものである。後世に残すことも許されないであろう。
I. この映画『MINAMATA』に出てくる「ねつ造シーン」・「やらせシーン」の例 この映画は、公法人である水俣市の固有名詞をそのタイトルとし、水俣市に唯一の大工場として実在するチッソ株式会社を正式な法人名とロゴ(マーク)で登場させている。その上で、「ねつ造シーン」・「やらせシーン」は少なくとも次の六か所に出て来る。それらが物語全体の核心部分をなしている。 (1)ユージンとアイリーン・スミスが初めて水俣に来た 1971年9月には、チッソが廃液をどこにも流さなくなって、3年以上経っていた。映画で廃液を太いパイプからどぼどぼと流すシーンは「やらせ」である。事実と大きく異なっている。
チッソ株式会社水俣工場がパイプを使って廃液を流したのはそれより 10年以上前の 1958~1959年の間であった。1958年に筆者(当時は水俣第一小学校六年)と友だちは、そのパイプ(排水管)を近くから何度か見た。それは、粗末な金属パイプであった。水俣川の河口の土手から鉄材の細い桁(けた)の上を通って流れの上までせり出しているもので、「水平」に開口していた。廃液はそこから時どき流れ出ていた。1959年に水俣工場は排水管を撤去し、アセトアルデヒドの製造を 1968年5月18日(土)に停止するまで、メチル水銀排水を工場の側溝を通して(パイプを使わないで)水俣湾に流した。
ユージンとアイリーン・スミスが初めて水俣に来た 1971年9月には、チッソ水俣工場がパイプを使わなくなってすでに 10年以上が経ち、メチル水銀排水をどこにも流さなくなってすでに 3年以上経っていた。したがって、水俣工場からメチル水銀廃水が海(不知火海)に流される様子を、ユージン・スミスが写真に撮ることは不可能であった。 ユージン・スミスの代表作の一つに『排水管からたれ流される死(Death-Flow from a Pipe)』という写真があるが、あの作品も、1970年代に「八幡プール」といって、水俣工場から北に約 1キロ離れた「白どべ」(メチル水銀を含まないカーバイド排泥)を貯めた人工の沼地で「水」を流している写真である。
(2) 劇中、チッソ水俣工場の構内でチッソの社長がチッソのロゴのついたヘルメットを被り、 5万ドル入りの封筒を、同じくチッソのロゴのついたヘルメットを被るユージン・スミスに手渡し、すべてのネガを渡して「帰れ」と言って帰国するよう持ちかける。ユージンが「くそくらえ」と断る。そのようなシーンが出て来る。それも観客に感情を移入させるようにするための根拠のない「ねつ造」である。多くの観客は騙(だま)されるであろう。
チッソ水俣工場は、みだりに部外者を構内に入れることはなかった。工場の来場者記録にも「ユージン・スミス」の名はないであろう。そもそも、当時の社長(嶋田賢一)も会長(江頭豊)も、水俣にはいなかった。水俣に東京から来るときは地方紙に「〇〇社長、来水!」と載った。
(3) 劇中、ユージンの仕事場が放火されるシーンが出て来る。これも観客に感情を移入させるための根拠のない「ねつ造」である。多くの観客は騙されるであろう。
当時水俣でどのような小さな火事があろうと、それは町中に知れ渡り、地方紙にも載った。ユージンの仕事場が放火されたシーンも根拠のない「ねつ造」である。水俣の消防署にも警察署にもそのような出動記録はない。 (4) 劇中、チッソの附属病院でセキュリティ・チェックが行われ、ユージンらが病室に患者らを訪ねる。また、警備員の目を盗んでコンクリートの階段を降りる。下の部屋で機密資料を発見するというシーンが出て来る。それらも観客に感情を移入させるようにするための「やらせ」である。ほとんどの観客は騙されたであろう。
附属病院は、木造平屋であった。セキュリティチェックは行われていなかった。コンクリートの階段などもなかった。ユージンとアイリーン・スミスが最初に水俣に来た 1971年9月には、附属病院はすでに廃院となっていて存在しなかった。
(5) 1972年1月7日(金)、ユージンが千葉県市原市五井にあるチッソ五井工場に行ったとき、川本輝夫率いる水俣からの患者を含む交渉団約 20名がチッソ五井工場の事務所から退去を拒んだ。ユージンも当時の妻アイリーン・スミスもその中にいた。チッソ本社は五井工場に指示して、これを「住居侵入罪」の現行犯の疑いで場外へ排除するように従業員数十名を動員させた。従業員は暴力行為を禁じられていた。発煙筒なども使われなかった。激しいもみあいの中でそれを撮影しようとしたユージンは倒れ込んで怪我を負った。 現場の音声記録や多くの写真が残されているが、それらは「住居侵入事件」の瞬間をとらえた直接証拠(5W1H)とはなり得ても「傷害事件」の瞬間をとらえた直接証拠(5W1H)とまではなりにくく、仮にユージンらが「傷害罪」でチッソを告訴しようとすると、チッソは「住居侵入罪」でユージンらを告訴できたであろう。千葉地検の判断としては、「住居侵入事件」も「傷害事件」も、嫌疑不十分の不起訴となった。双方(交渉団と従業員)から千円以上の科料に処された人さえ一人も出なかったのであるから、あったのは「自損的な怪我」だけとなった。 ユージンは沖縄戦で負った傷の後遺症のため、痛み止めとしてウィスキーが欠かせなかった(朝日 2021年10月7日)。「サントリーレッド」(39度 640ml)を毎日半分空けていて、絶えず酒気を帯びていたようである。もみ合いで倒れ込んだのは当然であろう。また、体内には、口の中などに、日本軍による砲弾の破片が幾つかあったようであるから、倒れ込んだら怪我をしたことも当然あり得たと見られる。
現在でも、新聞などで一方的に「暴行事件」などとする記述を見かけるが、チッソの従業員の中にも交渉団の中にも「罪人」はいないとして確定したことを、どちらかの一方に感情を移入して、「住居侵入事件」や「暴行事件」であったとして報道することは許されないであろう。
また、アイリーン・スミスは 2020年に熊本学園大学に提出した『 W. ユージン・スミスとの日々:回想』と題する一文(同大学が公開)の中で「チッソの暴力団から傷害を受けた」などと述べているが、当時のチッソの従業員は単に業務を遂行していただけであろう。その中に暴力団のような反社会的勢力はいなかった。 映画のシーンは、殴る蹴るといった、さながら暴力団による傷害事件であったかのように描かれていた。ほとんどの観客は騙されたであろう。 劇中、写真家としては重要な手のひらを靴でぎりぎりとつぶされて怪我をするシーンが出て来るが、ユージンは手のひらを怪我していない(ユージンの公開された診断書)。
(6) 劇中、ユージンの最高傑作の一つとなった「患者の少女と彼女を入浴させる母親の写真」を撮るとき、怪我で手には包帯が巻かれており、シャッターを直接切ることができないというシーンが出て来る。それも観客に感情を移入させるようにするための「やらせ」である。ほとんどの観客は騙されたであろう。
怪我は 1972年1月7日(金)であり、その写真は、本当は、怪我をしていなかった前年の 1971年12月24日(金)に撮影された。 II. この映画『MINAMATA』は社会をどのように分断させたか この映画『MINAMATA』は、次のように社会を深刻に分断させたのではないかと筆者は感じている。 1. 政府と熊本県 水俣でメチル水銀公害が発生した当時「無作為」によって被害を拡大させた「加害者」のほうである。現在も裁判で被害者と争う被告。自らの責任をなるべく小さく見せるために、問題を地理的な場所に結び付けて、「あれは水俣の水俣病」として封殺したい。映画の『MINAMATA』というタイトルは、そのために都合は必ずしも悪くない。熊本県は、水俣市で行われた先行上映会(2021年9月18日 観衆約 1,000人)を後援した。 2. 水俣市 メチル水銀公害発生当時なすすべがない中で、水俣湾で採取された魚介類や周辺のネコを熊本大学医学部に送るなど、市民のために努力をした。映画『MINAMATA』は制作の意図が不明である。そもそも「MINAMATA」は公法人・水俣市の「固有名詞」である。そのタイトルを聞いただけでも、問題を地理的な場所に結び付けようとしていることが明らかであり、水俣をねつ造された負のイメージで貶(おとし)めかねない。『MINAMATA』はあってはならない映画である。水俣市で行われた前記先行上映会の後援を拒否した。 3. 入浴した娘と母 当時、両親は娘の日々の成長の記念として撮ってもらっただけである。それでも、証明写真や風景写真とは異なって、人を被写体とする芸術写真においては、撮影者であったユージン(故人)とアイリーン・スミスだけでなく、被写体(娘と母)にもその思想・感情の「表現者」として「著作権」(「著作者人格権」と「著作財産権」)が生じている。 ユージンとアイリーン・スミスの英語版の写真集『MINAMATA』(1975年)がアメリカで刊行されたとき、両親は、写真集は水俣で起きたことを世界に伝える「公益」のためであると知らされ、その刊行を事後に許諾して感謝の意を表明した。ユージンとアイリーン・スミスはその出版の直後に離婚した(1975年)。 入浴シーンの娘は 1977年に逝去した。ユージンは 1978年にアメリカで逝去した。その後に三一書房から日本語版の写真集『MINAMATA』が二度刊行されたが(1980年、1991年)、親であれば、亡くなった娘をもう「さらし者」にしたくない。これは通常の日本人の「死者に対する畏敬の思い」である。映画『MINAMATA』にも登場させてもらいたくなかった(朝日2021年10月16日)。 娘がもつ書籍等の「頒布権」や映画等の「上映権」、DVDを制作するための著作隣接権などの「著作財産権」は死後七十年間 2047年12月31日まで私権として現在も存続している。著作財産権は私権であるが、私権の侵害は違法である。日本では侵害すると最高で懲役十年と一千万円の罰金が併科され、法人にあっては最高で三億円の罰金が科される。その権利は存命する父親などの近親者に相続されている(父親は 2022年10月5日に 88歳で亡くなった)。近親者とはこの国では六等親までのことである。存命する母親にはその「著作財産権」だけでなく、「著作者人格権」も存続している。一国における著作権は「ベルヌ条約」等によって世界のほとんどの国で有効である。アイリーン・スミスは「私は封印を解いた」などと言っているが(朝日ディジタル2021年10月16日)、前記したように私権を勝手に侵害すると法律に違反するので、アイリーン・スミスは封印を解いてなどいない。両親にとって、『MINAMATA』は法律上も倫理上もあってはならない映画である。 4. 嶋田賢一社長と江頭豊会長 嶋田賢一は1978年に逝去した。江頭豊は2006年に逝去した。我が国では死者を冒とくしても事実のみを指摘した場合は処罰されることはない。しかし、偽説などを用いて死者を冒とくすると、最高で三年の懲役が科される。たとえば、ユージン・スミスに大金を渡してネガを取り戻そうとするシーンなどはこれに該当すると推定され、その訴権が純真な近親者によって相続されている。近親者が皇族の場合は内閣が代行する。 5. チッソ株式会社 チッソとしては、患者に補償しながら事業を継続して来た。その子会社である JNC株式会社水俣事業所も世代はすっかり替わっていて、地域の学校などを卒業した若い人たちが社会に貢献するために希望をもって働く重要な職場となっている。映画『MINAMATA』は、社長がユージン・スミスに大金を渡してネガを取り戻そうとするシーンや放火のシーンなど、「ねつ造シーン」や「やらせシーン」が出て来るから許されない。『MINAMATA』は法律上も倫理上もあってはならない映画である。 6. 一般大衆・一部のマスコミ 映画の最初にこの「映画は事実に基づく」と表示される。水俣市の固有名詞がタイトルに使われている。劇の中で水俣市に唯一の大工場として実在するチッソ株式会社を法人としての実名や固有のロゴまで使って登場させている。よって、この映画は決して事実に基づいて単にそこからインスピレーションを得て制作されたフィクションなどではなく、やはり事実そのものを正確に伝えているのだろう。よって、表現の自由のもとに制作される通常のフィクションとは異なり、この映画には「ねつ造」や「やらせ」は少しも含まれていてはならない。そうでなければ、違法な作品となるだろうから。また、そうでなければ、我われ観客は騙されたことになるだろうから。 ユージンとアイリーン・スミスがいつ水俣に来たのを我われは良くは知らないが、映画に描かれる通り、そのころもなおチッソは猛毒のメチル水銀を海にどぼどぼと流していたのだろう。 また、チッソの社長は、映画に描かれる通り、ユージン・スミスに大金を渡してネガを取り戻そうとしたのだろう。 ユージンの仕事場は、映画に描かれる通り、放火されたのだろう。 ユージンはチッソの附属病院で患者を訪ね、また、警備員の目を盗んで機密資料を発見したのだろう。 ユージンは、映画で描かれる通り、チッソの工場で暴行を受けて怪我を負わされ、手のひらを踏みつぶされたのだろう。 ユージンは、最高傑作の一つとなった「患者の少女と彼女を入浴させる母親の写真」を撮るとき、映画に描かれる通り、工場のもみあいで受けた怪我でシャッターを直接切ることができなかったのだろう。 入浴した娘と母親にどのような私権があろうと、外野席の我々にとって、それは知ったことではない。坂本龍一の音楽も美しい。『MINAMATA』はあってよい映画である。 7. 原告(被害者)の代理人・弁護士 現在も国、熊本県、チッソを相手に幾つか訴訟が続いている。原告(被害者)が勝つこともあれば、負けることもある。 原告(被害者)は、これまで真摯に生きてきた。被害者の中に法廷でどんなに小さなことでも「偽証」をした人はいない。高齢化した水俣の語り部も若いころからこれまで少しでも「つくり話」をした人はいない。それは、過去六十年以上これまで一貫していた。被害者の弁護士としては、これまで被害者から「情緒的な逸話」をよく聞き取り、その中から「事実」を抽出して真摯に裁判に臨んできた。裁判所も(最高裁まで)そのような被害者を何とか救済しようとしてきた。 しかし、水俣で開催された映画『MINAMATA』の先行上映会(2021年9月18日)では、多くの原告(被害者)が、「大金入りの封筒」や「放火」や「手のひらの怪我」などの「ねつ造シーン」でジョニー・デップが被告(チッソ)に勝手に「私刑」を加える映画を観て、一般大衆と一緒に手放しで喜んでそれに「加担」した。それをメディアも報道した。 しかし、原告(被害者)は、今後法廷では「あの映画は、アレはホントはウソ混じり」で、あの時は、それはそれとして喜んだが、これからこの法廷で証言する「コレは、ウソ混じりでないホントだ」と主張するしかない。その行為全体が信義誠実を貫くための「禁反言の原則」(Estoppel)に反する。 原告(被害者)の代理人・弁護士としては、途方もない窮地に立たされてしまった。『MINAMATA』はあってはならない映画である。
利益相反: 筆者(入口紀男)は、この映画に関して何ら利益相反(当事者との利害関係等)はない。
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