原作翻訳復元版
H. C. アンデルセン 1834年作
卽興詩人
森 鷗外 1902年譯
イムプロヰザトオレン
復元編集
入口紀男
第 壹 卷
第1章
首(かうべ)を囘(めぐら)してわが穉(をさな)かりける程の事をおもへば、目もくるめくばかりいろいろなる記念(かたみ)の多きことよ。我はいづこより語り始めむかと、心迷ひて爲(せ)むすべを知らず。又、我世の傳奇(ドラマ)の全局を見わたせば、われは、いよいよこれを寫す手段に苦めり。いかなる事をか緊要ならずとして棄て置くべき。いかなる事をか全畫圖(画図)をおもひ浮べしめむために、殊更に數へ擧ぐべき。わがためには面白きことも、外人(よそびと)のためには何の興もなきものあらむ。われは、我世のおほいなる穉物語(をさなものがたり)を、ありのまゝに僞り飾ることなくして語らむとす。されど、われは人の意を迎へて自ら喜ぶ性(さが)のこゝにもまぎれ入らむことを恐る。この性は、早くもわが穉き時に畠の中なる雜草の如く萌え出でゝ、やうやく『聖經』(バイブル)に見えたる芥子の如く高く空に向ひて長じ、つひには一株の大木となりて、そが枝の閒にわが七情は巢食ひたり。わが最初の記念の一つは、旣にその芽生を見せたり。
おもふに、われは最早六つになりし時の事ならむ。われは、おのれより穉き子供二三人と向ひなる尖帽僧(カツプチノオ)の寺の前にて遊びき。寺の扉には、小(ちさ)き眞鍮の十字架を打ち付けたりき。その處は、おほよそ扉の中程にて、われは僅(わづか)に手をさし伸べてこれに達することを得き。母上は、我を伴ひてかの扉の前を過ぐるごとに、必ずわれを掻き抱きてかの十字架に接吻せしめ給ひき。あるとき、われ、又、子供と遊びたりしに、甚だ穉き一人がいふやう、 「いかなれば、耶蘇(イエス)の穉子(をさなご)は、一たびもこの羣(むれ)に來て、われ等と共に遊ばざる」 といひき。 われ、さかしく答ふるやう、 「むべなり、耶蘇の穉子は、十字架にかゝりたれば」 といひき。 さて、われ等は十字架の下にゆきぬ。かしこには何物も見えざりしかど、われ等は、猶、母に敎へられし如く、耶蘇に接吻せむとおもひき。さるを、我等が口はかしこに屆くべきならねば、我等は、かはるがはる抱き上げて接吻せしめき。一人の子のさし上げられて僅に唇を尖らせたるを、抱いたる子、力足らねば落しつ。この時、母上通りかゝり給へり。この遊のさまを見て立ち住(と)まり、指組みあはせて宣ふやう、 「汝等はまことの天使なり。さて汝は」 といひさして、母上は、われに接吻し給ひ、 「汝はわが天使なり」 といひ給ひき。 母上は、隣家の女子(をみなご)の前にて、わがいかに罪なき子なるかを繰り返して語り給ひぬ。われは、これを聞きしが、この物語は、いたくわが心に協(かな)ひたり。わが罪なきことは固(もと)より、これがために前には及ばずなりぬ。人の意を迎へて自ら喜ぶ性(さが)の種は、この時始めて日光を吸ひ込みたりしなり。造化(天地創造)は、我におとなしく軟なる心を授けたりき。さるを、母上はつねに我がこゝろのおとなしきを我に告げ、わがまことに持てる長處と、母上のわが持てりと思ひ給へる長處とを我にさし示して、小兒の罪なさは、かの醜き「バジリスコの獸」におなじきをおもひ給はざりき。かれもこれも、おのが姿を見るときは、死なでかなはぬ者なるを。 彼(かの)尖帽宗(カツプチヨオ)の寺の僧に「フラア・マルチノ」といへるあり。こは、母上の懺悔を聞く人なりき。かの僧に、母上は、わがおとなしさを告げ給ひき。祈のこゝろをばわれ知らざりしかど、祈の詞をばわれ善く諳(そらん)じて洩らすことなかりき。僧は我をかはゆきものにおもひて、あるとき我に一枚の圖をおくりしことあり。圖の中なる聖母(マドンナ)のこぼし給ふおほいなる淚の露は、地獄の燄(ほのほ)の上におちかかれり。亡者は爭ひてかの露の滴りおつるを承けむとせり。僧は、又、一たびわれを伴ひてその僧舍にかへりぬ。當時わが目にとまりしは、方(けた)なる形に作りたる圓柱(まろばしら)の廊(わたどの)なりき。廊に圍まれたるは、小き馬鈴藷圃(ばれいしよばたけ)にて、そこにはいとすぎ(チプレツソオ)の木二株、檸檬(リモネ)の木一株立てりき。開け放ちたる廊には、世を逝(みまか)りし僧どもの像をならべ懸けたり。部屋といふ部屋の戶には、獻身者(殉教者)の傳記より撰び出したる畫圖を貼り付けたり。當時わがこの圖を觀し心は、後になりてラフアエロ、アンドレア・デル・サルトオが作を觀る心におなじかりき。 僧は、 「そちは心猛き童なり。いで、死人を見せむ」 といひて、小き戶を開きつ。 こゝは廊より二三級(きだ)低きところなりき。われは延(ひ)かれて級を降(くだ)りて見しに、こゝも小き廊にて、四圍悉く髑髏(されかうべ)なりき。髑髏は髑髏と接して壁を成し、壁は、その竝びざまにて許多の小龕(せうぐわん)に分れたり。おほいなる龕(ほくら)には、頭(かしら)のみならで胴をも手足をも具へたる骨あり。こは、高位の僧のみまかりたるなり。かゝる骨には、褐色の尖帽を被(き)せて、腹に繩を結び、手には一卷の經文若くは枯れたる花束を持たせたり。贄卓(にへづくゑ)、花形の燭臺、そのほかの飾をば肩胛(かひがらぼね)、脊椎(せのつちぼね)などにて細工したり。人骨の浮彫あり。これのみならず忌まはしくも又趣なきは、こゝの拵(こしら)へざまの全體なるべし。 僧は祈の詞を唱へつゝ行くに、われは、ひたと寄り添ひて從へり。僧は唱へ畢(をは)りていふやう、 「われも、早晚(いつか)こゝに眠らむ。その時、汝は、われを見舞ふべきか」 といふ。 われは一語をも出すこと能はずして、僧と僧のめぐりなる氣味わるきものとを驚き眙(み)たり。まことに我が如き穉子をかゝるところに伴ひ入りしは、いとおろかなる業(わざ)なりき。われは、かしこにて見しものに心を動かさるゝこと甚しかりければ、歸りて僧の小房に入りしとき、纔(わづか)に生き返りたるやうなりき。この小房の窗(まど)には、黃金色なる柑子(オレンジ)のいと美しきありて、殆ど一閒の中に垂れむとす。又聖母の畫あり。その姿は天使に擔ひ上げられて日光明なるところに浮び出でたり。下には聖母の息(いこ)ひたまひし墓穴ありて、もゝいろちいろの花これを掩(おほ)ひたり。われは、かの柑子を見、この畫を見るに及びて、わづかに我にかへりしなり。 この始めて僧房をたづねし時の事は、久しき閒、わが空想に好き材料を與へき。今もかの時の事をおもへば、めづらしくあざやかに目の前に浮び出でむとす。わが當時の心にては、僧といふ者は、全く我等の知りたる常の人とは殊なるやうなりき。かの僧が、褐色の衣を着たる死人の殆どおのれとおなじさまなると共に棲めること、かの僧が、あまたの尊き人の上を語り、あまたの不思議の蹟を話すこと、かの僧の尊さをば我母のいたく敬ひ給ふことなどを思ひ合する程に、われも、人と生れたる甲斐に、かゝる人にならばやと折々おもふことありき。 母上は未亡人なりき。活計(くらし)を立つるには、鍼仕事(はりしごと)して得給ふ錢と、むかし我等が住みたりしおほいなる部屋を人に借して得給ふ價とあるのみなりき。われ等は屋根裏の小部屋に住めり。かのおほいなる部屋に引き移りたるは「フエデリゴ」といふ年少(わか)き畫工なりき。フエデリゴは、心敏く、世をおもしろく暮らす少年なりき。かれは、いともいとも遠きところより來ぬといふ。母上の物語り給ふを聞けば、かれが故鄕にては聖母をも耶蘇の穉子をも知らずとぞ。その國の名をば「璉馬」(デンマルク)といへり。當時われは世の中にいろいろの國語ありといふことを解(げ)せねば、畫工が、我が言ふことを曉(さと)らぬを、耳とほきがためならむとおもひ、おなじ詞を繰り返して聲の限り高くいふに、かれは、われを可笑しきものにおもひて、をりをり果(このみ)をわれに取らせ、又わがために兵卒、馬、家などの形をゑがきあたへしことあり。われと畫工とは幾時も立たぬに中善くなりぬ。われは畫工を愛しき。母上も、をりをり 「かれは善き人なり」 と宣ひき。 さるほどに、われは、とある夕(ゆふべ)、母上とフラア・マルチノとの話を聞きしが、これを聞きてより、わがかの技藝家の少年の上をおもふ心、あやしく動かされぬ。 「かの異國人(とつくにびと)は、地獄に墜ちて永く浮ぶ瀨あらざるべきか」 と母上問ひ給ひぬ。 「そは、ひとりかの男の上のみにはあらじ。異國人のうちには、かの男の如く、惡しき事をば一たびもせざるもの多し。かの輩は、貧き人に逢ふときは、物取らせて吝(をし)むことなし。かの輩は、債(をひめ)あるときは、期を愆(あやま)たず額をたがへずして拂ふなり。然のみならず、かの輩は、吾邦人(わがくにびと)のうちなる多人數の作る如き罪をば作らざるやうにおもはる」 母上の問は、おほよそ此の如くなりき。 フラア・マルチノの答へけるやう、 「さなり。まことにいはるゝ如き事あり。かの輩のうちには善き人少からず。されど、おん身は、何故に然るかを知り給ふか。見給へ。世中をめぐりありく惡魔は、邪宗の人の所詮おのが手に落つべきを知りたるゆゑ、强ひてこれを誘はむとすることなし。このゆゑに、彼輩は、何の苦もなく善行をなし、罪惡をのがる。善き加特力(カトリコオ)敎徒は、これと殊(こと)にて神の愛子(まなご)なり。これを陷れむには、惡魔は、さまざまの手立を用ゐざること能はず。惡魔は、われ等を誘ふなり。われ等は弱きものなれば、その手の中に落つること多し。されど、邪宗の人は肉體にも惡魔にも誘はるゝことなし」 と答へき。 母上は、これを聞きて、復た言ふべきこともあらねば、便(びん)なき少年の上をおもひて大(と)息つき給ひぬ。かたへ聞(ぎき)せしわれは泣き出しつ。こは、かの人の永く地獄にありて燄に苦められむつらさをおもひければなり。かの人は善き人なるに。わがために美しき畫をかく人なるに。 わが穉きころ、わがためにおほいなる意味ありと覺えし第三の人は、「ペツポのをぢ」なりき。「惡人ペツポ」といふも、「西班牙磴(スパニアいしだん)の王」といふも、皆その人の綽號(あだな)なりき。此王は、日ごとに西班牙磴の上に出御ましましき。 (西班牙廣こうぢより「モンテ・ピンチヨオ」の上なる街に登るには、高く廣き石級(いしだん)あり。この石級は羅馬の乞兒(かたゐ)の集まるところなり。西班牙廣こうぢより登るところなれば、かく名づけられしなり。) ペツポのをぢは、生れつき兩の足痿(な)えたる人なり。當時そを十字に組みて、折り敷き居たり。されど、穉きときよりの熟錬にて、をぢは兩手もて步くこと、いと巧なり。其手には革紐を結びて、これに板を掛けたるが、をぢがこの道具にて步む速さは、健かなる脚もて行く人に劣らず。をぢは、日ごとに上にもいへるが如く、西班牙磴の上に坐したり。さりとて、外(ほか)の乞兒(かたゐ)の如く憐を乞ふにもあらず。唯だ、おのが前を過ぐる人あるごとに、詐(いつはり)ありげに面(をもて)をしかめて「ボン・ジヨオルノオ」(我俗の「今日は」といふ如し。)と呼べり。日は旣に入りたる後も、その呼ぶ詞は、かはらざりき。 母上は、このをぢを敬ひ給ふこと、さまでならざりき。あらず、親族(みうち)にかゝる人あるをば心のうちに恥ぢ給へり。されど、母上は、しばしば我に向ひて、 「そなたのためならば、彼につきあひおく」 とのたまひき。 餘所(よそ)の人の此世にありて求むるものをば、かの人、筐(かたみ)の底に藏(をさ)めて持ちたり。若し臨終に寺に納めだにせずば、そを讓り受くべき人、わが外にはあらぬを、母上は恃(たの)みたまひき。をぢも我に親むやうなるところありしが、我は其側にあるごとに、まことに喜ばしくおもふこと絕てなかりき。或る時、我は、をぢの振舞を見て、心に怖を懷きはじめき。こは、をぢの本性をも見るに足りぬべき事なりき。例の石級の下に老いたる盲(めしい)の乞兒ありて、往きかふ人のバヨツコ(我二錢許(ばかり)に當る銅貨。)一つ投げ入れむを願ひて、薄葉鐵(ブリキ)の小筒をさらさらと鳴らし居たり。我がをぢは、面にやさしげなる色を見せて、帽を揮(ふ)り動しなどすれど、人々その前をばいたづらに過ぎゆきて、かの盲人の何の會釋もせざるに錢を與へき。三人かく過ぐるまでは、をぢ傍より見居たりしが、四人めの客、かの盲人に小貨幣二つ三つ與へしとき、をぢは毒蛇の身をひねりて行く如く、石級を下りて、盲の乞兒の面を打ちしに、盲の乞兒は錢をも杖をも取りおとしつ。 ペツポの叫びけるやう、 「うぬは盜人なり。我錢を竊(ぬす)む奴なり。立派に廢人(かたは)といはるべき身にもあらで、たゞ目の見えぬを手柄顏に、わが口に入らむとするパンを奪ふこそ心得られね」 といひき。 われはこゝまでは聞きつれど、こゝまでは見てありつれど、この時買ひに出でたる一フオリエツタ(一勺)の酒をひさげて、急ぎて家にかへりぬ。 大祭日には、母につきて、をぢがり祝(よろこび)にゆきぬ。その折には苞苴(みやげ)もてゆくことなるが、そは、をぢが嗜めるおほ房の葡萄二つ三つか、さらずば砂糖につけたる林檎なんどなりき。われは「をぢ御」と呼びかけて、その手に接吻しき。をぢはあやしげに笑ひて、われに半バヨツコを與へ、 「果子をな買ひそ。果子は食ひ畢りたるとき迹かたもなくなるものなれど、この錢はいつまでも貯へらるゝものぞ」 と敎へき。 をぢが住めるところは暗くして見苦しかりき。一閒には窗といふものなく、また一閒には壁の上の端に破硝子(やれガラス)を紙もて補ひたる小窗ありき。臥牀(ふしど)の用をもなしたる大箱と、衣を藏(をさ)むる小桶二つとの外には、家具といふものなし。 「をぢがり往け」といはるゝときは、われ、必ず泣きぬ。これも無理ならず。母上は「をぢにやさしくせよ」と我にをしへながら、我を嚇さむとおもふときは必ずをぢを案山子に使ひ給ひき。 母上の宣たまひけるやう、 「かく惡劇(いたづら)せば、好きをぢ御の許にやるべし。さらば、汝も磴の上に坐して、をぢと共に袖乞するならむ歌をうたひてバヨツコをめぐまるゝを待つならむ」 とのたまふ。 われはこの詞を聞きても、あながち恐るゝことなかりき。母上は我をいつくしみ給ふこと目の球にも優れるを知りたれば。 向ひの家の壁には小龕(せうぐわん)をしつらひて、それに聖母の像を据ゑ、その前にはいつも燈を燃やしたり。「アヱ・マリア」の鐘鳴るころ、われは近隣の子供と像の前に跪きて歌ひき。燈の光ゆらめくときは、聖母も、いろいろの紐、珠、銀色したる心(しん)の臟などにて飾りたる耶蘇のをさな子も共に動きて、我等が面を見て笑み給ふ如くなりき。われは高く朗なる聲して歌ひしに、人々聞きて「善き聲なり」といひき。或る時、英吉利(イギリス)人の一家族、我歌を聞きて立ちとまり、歌ひ畢るを待ちて、長(をさ)らしき人、われに銀貨一つ與へき。母に語りしに、 「そなたが聲のめでたさ故」 とのたまひき。 されど、この詞は、その後我祈を妨ぐること、いかばかりなりしを知らず。それよりは、聖母の前にて歌ふごとに、聖母の上をのみ思ふこと能はずして、必ず我聲の美しきを聞く人やあると思ひ、かく思ひつゝも、聖母のわがあだし心を懷けるを嫉(にく)み給はむか、とあやぶみ、聖母に向ひて罪を謝し、 「あはれなる子に慈悲の眸(ひとみ)を垂れ給へ」 と願ひき。 わが餘所の子供に出で逢ふは、この夕の祈の時のみなりき。わが世は靜けかりき。わが自ら作りたる夢の世に心を潛め、仰ぎ臥して開きたる窗に向ひ、伊太利(イタリア)の美しき靑空を眺め、日の西に傾くとき、紫の光ある雲の黃金色したる、地の上に垂れかゝりたるをめで、時の遷るを知らざること、しばしばなりき。ある時は、 「遠くクヰリナアル(丘の名にて、其上に法皇の宮居(みやゐ)あり。)と家々の棟とを越えて、紅に染まりたる地平線のわたりに、眞黑に浮き出でゝ見ゆるピニヨロ(まつ)の木々の方へ飛び行かばや」 と願ひき。 我部屋には、この眺ある窗の外、中庭に向へる窗ありき。我家の中庭は、隣の家の中庭に竝びて、いづれもいと狹く、上の方は、木のアルタナ(物見のやうにしたる屋根、バルコニー。)にて鎖(とざ)されたり。庭ごとに石にて甃(たゝ)みたる井(ゐど)ありしが、家々の壁と井との閒をば人ひとり僅に通らるゝほどなれば、我は上より覗きて、二つの井の内を見るのみなりき。緑なるほうらいしだ(アヂアンツム)生ひ茂りて、深きところは唯だ黑くのみぞ見えたる。俯してこれを見るたびに、われは地の底を見おろすやうに覺えて、ここにも怪しき境ありとおもひき。かゝるとき母上は杖の尖(さき)にて窗硝子を淨め、 「なんぢ、井に墜ちて溺れだにせずば、この窗に當りたる木々の枝には、汝が食ふべき果おほく熟すべし」 とのたまひき。
第2章 われは、旣に一たび畫工に隨ひて、クリア・ホスチリアにゆき、昔、游戲の日まで猛獸を押し込めおきて、つねに無辜(むこ)の俘囚(とりこ)を獅子、イヱナ獸(ハイエナ)なんどの餌としたりと聞く、かの暗き洞の深き處まで入りしことあり。洞の裡なる暗き道に我等を導きてくゞり入り、燃ゆる松火を絕えず石壁に振り當てたる僧、深き池の水の鏡の如く明にて、目の前には何もなきやうなれば、その足もとまで湛へ寄せたるを知らむには、松火もて觸れ探らでは、かなはざるほどなる。いづれも、わが空想を激したりき。われは怖をば懷かざりき。そは、危しといふことを知らねばなりけり。 街のはつる處に、コリゼエオ(大觀棚、コロセウム)の頂見えたるとき、 「われ等は、かの洞の方へゆくにや」 と畫工に問ひしに、 「否、あれよりは逈(はるか)に大(おほい)なる洞にゆきて、面白きものを見せ、そなたをも景色と倶(とも)に寫すべし」 と答へき。 葡萄圃の閒を過ぎ、古の混堂(ゆや)の址(あと、カラカラ浴場)を圍みたる白き石垣に沿ひて、ひたすら進みゆく程に羅馬の府の外に出でぬ。日は、いと烈しかりき。緑の枝を手折りて、車の上に揷し、農夫はその下に眠りたるに、馬は車の片側に弔(つ)り下げたる一束の秣(まぐさ)を食ひつゝひとり徐(しづか)に步みゆけり。やうやう女神エジエリアの洞にたどり着きて、われ等は朝餐(あさげ)を食べ、岩閒より湧き出づる泉の水に、葡萄酒混ぜて飮みき。洞の裏には、天井にも四方の壁にも、すべて絹、天鵝絨(びらうど)なんどにて張りたらむやうに、緑こまやかなる苔生ひたり。露けく茂りたる蔦の、おほいなる洞門にかゝりたるさまは、カラブリア州の谿閒(たにま)なる葡萄架(ぶだうだな)を見る心地す。 洞の前、數步には、その頃いと寂しき一軒の家ありて、カタコンバのうちの一つに造りかけたりき。この家、今は潰(つひ)えて、斷礎をのみぞ留めたる。カタコンバは、人も知りたる如く羅馬城とこれに接したる村々とを通ずる隧道(すゐだう)なりしが、半はおのづから壞れ、半は盜人、ぬけうりする人なんどの隱家となるを厭ひて、石もて塞がれたるなり。當時、猶存じたるは、聖セバスチヤノ寺の内なる穹窿(きうりう、まるてんじょう)の墓穴よりの入口と、わが言へる一軒家よりの入口とのみなりき。さて、われ等は、かの一軒家のうちなる入口より進み入りしが、おもふに、最後に此道を通りたるは、われ等二人なりしなるべし。いかにといふに、此入口は、われ等が危き目に逢ひたる後、いまだ幾(ゐくばく)もあらぬに塞がれて後には寺の内なる入口のみ殘りぬ。かしこには今も僧一人居りて、旅人を導きて穴に入らしむ。 深きところには、軟なる土に掘りこみたる道の行き違ひたるあり。その枝の多き、その樣の相似たる、おもなる筋を知りたる人も、踏み迷ふべきほどなり。われは穉心(をさなごゝろ)に何ともおもはず。畫工は、また、豫め其心して我を伴ひ入りぬ。先づ、蝋燭一つ點(とも)し、一をば猶衣のかくしの中に貯へおき、一卷の絲の端を入口に結びつけ、さて、我手を引きて進み入りぬ。忽ち天井低くなりて、われのみ立ちて步まるゝところあり。忽ち、又、岐路の出づるところ廣がりて方形をなし、見上ぐるばかりなる穹窿をなしたるあり。われ等は、中央に小き石卓を据ゑたる圓堂を過(よぎ)りぬ。こゝは、始て基督敎に歸依したる人々の異敎の民に逐はるゝごとに、ひそかに集りて神に仕へまつりしところなりとぞ。フエデリゴは、こゝにて、この壁中に葬られたる法皇十四人、その外、數千の獻身者(殉教者)の事を物語りぬ。われ等は、石龕のわれ目に燭火さしつけて、中なる白骨を見き。 (こゝの墓には何の飾もなし。拿破里(ナポリ)に近き聖(サン)ヤヌアリウスのカタコンバには聖像をも文字をも彫りつけたるあれど、これも技術上の價あるにあらず。基督敎徒の墓には、魚を彫りたり。希臘(ギリシア)文の魚といふ字は「イヒトユス」なれば、暗に「イエソウス・クリストス・テオウ・ウイオス・ソオテエル」の文の首字を集めて語をなしたるなり。此希臘文は「こゝに耶蘇基督神子(かみのこ)救世者」と云ふ。) われ等は、これより入ること二三步にして立ち留りぬ。ほぐし來たる絲は、こゝにて盡きたればなり。畫工は絲の端を控鈕(ボタン)の孔に結びて、蝋燭を拾ひ集めたる小石の閒に立て、さて、そこに蹲(うづくま)りて隧道の摸樣を寫し始めき。われは傍なる石に踞(こしか)けて合掌し、上の方を仰ぎ視ゐたり。燭は半ば流れたり。されど、さきに貯へおきたる新なる蝋燭をば、今取り出してその側におきたる上、火打道具さへ帶びたれば、消えなむ折に火を點すべき用意ありしなり。 われは、おそろしき暗黑、天地に通ずる幾條の道を望みて、心の中に、さまざまの奇怪なる事をおもひ居たり。この時われ等が周圍には寂として何の聲も聞えず、唯だ忽ち斷え、忽ち續く、物寂しき岩閒の雫の音を聞くのみなりき。われは、かく由なき妄想を懷きて、しばしあたりを忘れ居たるに、ふと心づきて畫工の方を見やれば、あな訝かし、畫工は大(と)息つきて一つところを馳せめぐりたり。その閒、かれは頻に俯して、地上のものを搜し索むる如し。かれは、又、火を新なる蝋燭に點じて再びあたりをたづねたり。その氣色(けしき)ただならず覺えければ、われも立ちあがりて泣き出しつ。 この時、畫工は聲を勵まして、 「こは、何事ぞ。善き子なれば、そこに坐りゐよ」 と云ひしが、又、眉を顰(ひそ)めて地を見たり。 われは畫工の手に取りすがりて、 「最早登りゆくべし。こゝには居りたくなし」 とむつかりたり。 畫工は、 「そちは善き子なり。畫かきてや遣らむ。果子をや與へむ。こゝに錢もあり」 といひつゝ、衣のかくしを探して財布を取り出し、中なる錢をばことごとく我に與へき。 我は、これを受くるとき畫工の手の氷の如く冷になりて、いたく震ひたるに心づきぬ。我はいよいよ騷ぎ出し、母を呼びて、ますます泣きぬ。畫工はこの時、我肩を掴みて劇しくゆすり搖(うご)かし、 「靜にせずば、打擲(てうちやく)せむ」 といひしが、急に手巾(ハンカチーフ)を引き出して、我腕を縳りて、しかと其端を取り、さて、俯してあまたゝび我に接吻し、 「かはゆき子なり。そちも聖母に願へ」 といひき。 「絲をや失ひ給ひし」 と我は叫びぬ。 「今こそ見出さめ」 といひいひ、畫工は、又、地上をかいさぐりぬ。 さる程に、地上なりし蝋燭は流れ畢りぬ。手に持ちたる蝋燭も、かなたこなたを搜し索むる忙(せは)しさに流るゝこといよいよ早く、今は手の際まで燃え來りぬ。畫工の周章(うろたゑ)は大方(おほかた)ならざりき。そも無理ならず。若し絲なくして步を運ばば、われ等は次第に深きところに入りて遂に活路なきに至らむも計られざればなり。 畫工は再び氣を勵まして探りしが、こたびも絲を得ざりしかば、力拔けて地上に坐し、我頸(うなぢ)を抱きて大(と)息つき、 「あはれなる子よ」 とつぶやきぬ。 われは、この詞を聞きて最早家に還られざることぞ、とおもひければ、いたく泣きぬ。畫工にあまりに緊(きび)しく抱き寄せられて、我が縳られたる手は、いざり落ちて地に達したり。我は覺えず埃の閒に指さし入れしに、例の絲を撮(つま)み得たり。 「こゝにこそ」 と我呼びしに、畫工は我手を摻(と)りて物狂ほしきまでよろこびぬ。 あはれ、われ等二人の命は、この絲にぞ繋ぎ留められける。 われ等の再び外に步み出でたるときは、日の暖(あたたか)に照りたる、天の蒼く晴れたる、木々の梢のうるはしく緑なる、皆、常にも增してよろこばしかりき。フエデリゴは、又、我に接吻して、衣のかくしより美しき銀の錶(とけい)を取り出し、 「これをば汝に取らせむ」 といひて與へき。 われはあまりの嬉しさに、けふの恐ろしかりし事共、はや悉く忘れ果てたり。されど、此事を得忘れ給はざるは、始終の事を聞き給ひし母上なりき。フエデリゴは、これより後、我を伴ひて出づることを許されざりき。フラア・マルチノもいふやう、 「かの時、二人の命の助かりしは、全く聖母のおほん惠にて、邪宗のフエデリゴが手には授け給はざる絲を、善く神に仕ふる、やさしき子の手には與へ給ひしなり。されば、聖母の恩をば、身を終ふるまで、ゆめ忘るゝこと勿れ」 といひき。 フラア・マルチノがこの詞と、或る知人の戲(たはぶれ)に、 「アントニオは、あやしき子なるかな、うみの母をば愛するやうなれど、外の女をばことごとく嫌ふと見ゆれば、あれをば、人となりて後、僧にこそすべきなれ」 といひしことあるとによりて、母上は、われに出家せしめむとおもひ給ひき。
ちご
或る日、われまた脅(をびやか)されて泣き出しゝに、 「さては猶、穉兒なりけり、乳房啣(ふく)ませずては啼き止むまじ」 とて我を掻き抱かむとす。 われ、慌てゝ迯(に)ぐるを、少女は、すかさず追ひすがりて、兩膝にて我身をしかと挾み、いやがりて振り向かむとする頭を、やうやう胸の方へ引き寄せたり。われは少女が揷したる銀の矢を拔きたるに、豐なる髮は波打ちて、我身をも、露れたる少女が肩をも、掩はむとす。母上は、室の隅に立ちて笑みつゝマリウチアがなすわざを勸め勵まし給へり。この時、フエデリゴは、戶の片蔭(かたかげ)にかくれて、竊(ひそか)に此羣(このむれ)をゑがきぬ。われは母上にいふやう、 「われは、生涯妻といふものをば持たざるべし。われは、フラア・マルチノの君のやうなる僧とこそならめ」 といひき。 夕ごとに、わが怪しく何の詞もなく坐したるを、母上は出家せしむるに、たよりよき性(さが)なりとおもひ給ひき。われは、かゝる時、いつも人となりたる後、金あまた得たらむには、いかなる寺、いかなる城をか建つべき。寺の主、城の主となりなん日には、カルヂナアレの僧の如く、赤き衷甸(ばしや)に乘りて、金色に裝ひたる僕(しもべ)あまた隨へ、そこより出入せんとおもひき。或るときは、又フラア・マルチノに聞きたる、種々なる獻身者(殉教者)の話によそへて、おのれ獻身者とならむをりの事をおもひ、世の人いかにおのれを責むとも、おのれは聖母のめぐみにて、つゆばかりも苦痛を覺えざるべしとおもひき。殊に願はしく覺えしは、フエデリゴが故鄕にたづねゆきて、かしこなる邪宗の人々をまことの道に歸依せしむる事なりき。 母上の、いかにフラア・マルチノと謀り給ひて、その日とはなりけむ。そは、われ知らでありしに、或る朝、母上は、我に小き衣を着せ、其上に白衣(びやくゑ)を打掛け給ひぬ。此白衣は、膝のあたりまで屆きて、寺に仕ふる兒(ちご)の着るものに同じかりき。母上は、かく爲立てゝ、我を鏡に向はせ給ひき。我は此日より尖帽宗(カツプチヨオ)の寺にゆきてちごとなり、火伴(なかま)の童達と共におほいなる弔香爐(つりかうろ)を提げて儀にあづかり、また贄卓(にへづくゑ)の前に出でゝ讚美歌をうたひき。總ての指圖をば、フラア・マルチノなしつ。われは、幾程もあらぬに小き寺のうちに住み馴れて、贄卓に畫きたる、神の使の童の顏を悉く記(おぼ)え、柱の上なるうねりたる摸樣を識り、瞑目したるときも、醜き龍と戰ひたる美しき聖ミケルを面前(まのあたり)に見ることを得るやうになり、鋪牀(ゆか)に刻みたる髑髏の、緑なる蔦かづらにて編みたる環を戴けるを見ては、さまざまの怪しき思をなしき。 (聖ミケルが大なる翼ある美少年の姿にて惡鬼の頭を踏みつけ、鎗をその上に加へたるは、名高き畫なり。)
美小鬟(びせうくわん)
人あまた集ひて鬱陶しくなりたるに、我空想の燃え上りたるや、この眩暈(めまひ)のもとなりけむ。醒めたるときは寺の園なる檸檬(リモネ)の木の下にて、フラア・マルチノが膝に抱かれ居たり。 わが夢の裡に見きといふ首尾整はざる事を、フラア・マルチノを始として、僧ども皆、 「神の業(わざ)なり」 といひき。 「聖のみたまは、面前(まのあたり)を飛び過ぎ給ひしかど、はるかなき童の、そのひかり耀(かゞや)けるさまにえ堪へで、卒倒したるならむ」 といひき。 これより後、われは怪しき夢をみること頻なりき。そを母上に語れば、母上は、又、友なる女どもに傳へ給ひき。そが中には、われ、まことにさる夢を見しにはあらねど、見きと詐(いつは)りて語りしもありき。これによりて、我を神のおん子なりとする、人々の惑は、日にけに深くなりまさりぬ。 さる程に、嬉しき聖誕祭は近づきぬ。つねは山住ひする牧者の笛ふき(ピツフエラリ)となりたるが短き外套着て、紐あまた下げ、尖りたる帽を戴き、聖母の像ある家ごとに音信(おとづ)れ來て「救世主の誕れ給ひしは今ぞ」と笛の音に知らせありきぬ。 この單調にして悲しげなる聲を聞きて、我は朝な朝な覺むるが常となりぬ。覺むれば、說敎の稽古す。おほよそ聖誕日と新年との閒にはサンタ・マリア・アラチエリの寺なる基督の像のみまへにて童男童女の說敎あること、年ごとの例(ためし)なるが、我は、ことし其一人に當りたるなり。 吾齡は甫(はじ)めて九つなるに、かしこにて說敎せむこと、いとめでたき事なりとて歡びあふは、母上、マリウチア、我の三人のみかは。わが、ありあふ卓の上に登りて、一たびさらへ聞かせたるを聞きし、畫工フエデリゴも、こよなうめでたがりぬ。さて其日になりければ、寺のうちなる卓の上に押しあげられぬ。我家のとは違ひて、この卓には毯(かも)を被ひたり。われは、よその子供の如く、諳(そらん)じたるまゝの說敎をなしき。聖母の心(むね)より血汐出でたる穉き基督のめでたさなど、說敎のたねなりき。 我順番になりて衆人に仰ぎ見られしとき、我胸跳りしは、恐ろしさゆゑにはあらで、喜ばしさのためなりき。これ迄の小兒の中にて、尤も人々の氣に入りしもの卽ち我なること疑なかりき。さるを、わが後に卓の上に立たせられたるは小き女の子なるが、その言ふべからず優しき姿、驚くべきまでしほらしき顏つき、調淸き樂に似たる聲音に、人々、 「これぞ神のみつかひなるべき」 とさゝやきぬ。 母上は、我子に優る子はあらじ、といはまほしう思ひ給ひけむが、これさへ聲高く、 「あの女(をみな)の子の、贄卓に畫ける神のみつかひに似たることよ」 とのたまひき。 母上は我に向ひて、かの女子の、怪しく濃き目の色、鴉靑(からすば)いろの髮、をさなくて、又、怜悧(さかし)げなる顏、美しき紅葉(もみぢ)のやうなる手などを、繰りかへして譽め給ふに、わが心には、妬(ねた)ましきやうなる情起りぬ。母上は我上をも神のみつかひに譬へ給ひしかども。 鶯の歌あり。まだ巢ごもり居て、薔薇(さうび)の枝の緑の葉を啄(ついば)めども、今生ぜむとする蕾をば見ざりき。二月三月の後、薔薇の花は開きぬ。今は鶯これにのみ鳴きて聞かせ、つひには刺の閒に飛び入りて血を流して死にき。われ人となりて後しばしば此歌の事をおもひき。されど、アラチエリの寺にては我耳も未だこれを聞かず、我心も未だこれを會(ゑ)せざりき。 母上、マリウチア、その外、女どもあまたの前にて、寺にてせし說敎をくりかへすこと、しばしばありき。わが自ら喜ぶ心はこれにて慰められき。されど、我が未だ語り厭(あ)かぬ閒に、かれ等は早く聽き倦(う)みき。われは、聽衆を失はじの心より自ら新しき說敎一段を作りき。その詞は、まことの聖誕日の說敎といはむよりは、寺の祭を敍したるものといふべき詞なりき。そを最初に聞きしはフエデリゴなるが、かれは打ち笑ひ乍らも、 「そちが說敎は、兎も角も、フラア・マルチノが敎へしよりは善し。そちが身には、詩人や舍(やど)れる」 といひき。 フラア・マルチノより善しといへる詞は、わがためにいと喜ばしく、さて詩人とはいかなるものならむとおもひ煩ひ、おそらくは我身の内に舍れる善き神のみつかひならむと判じ、又、夢のうちに我に面白きものを見するものにやと疑ひぬ。
卽興詩人
「トラステヱエル(テヱエル河の右岸なる羅馬の市區。)なる友だちを訪はむ」 とのたまひしは、我がためには、祭に往くごとくなりき。 日曜に着る衣をきよそひぬ。中單(チヨキ)の代に、その頃着る習なりし絹の胸當をば針にて上衣の下に縫ひ留めき。領巾(ゑりぎぬ)をば幅廣き襞(ひだ)に摺(たゝ)みたり。頭には縫とりしたる帽を戴きつ。我姿はいとやさしかりき。 とぶらひ畢りて、家路に向ふころは、はや頗る遲くなりたれど、月影さやけく、空の色靑く、風いと心地好かりき。路に近き丘の上にはチプレツソオ、ピニヨロなんどの常磐樹立てるが、怪しげなる輪廓を銳く空に畫(ゑが)きたり。人の世にあるや、とある夕、何事もあらざりしを、久しくえ忘れぬやうに美しう思ふことあるものなるが、かの歸路の景色また然る類なりき。國を去りての後もテヱエルの流のさまを思ふごとに、かの夕の景色のみぞ心には浮ぶなる。黃なる河水のいと濃(こ)げに見ゆるに、月の光はさしたり。碾榖車(こひきぐるま、粉ひき水車)の鳴り響く水の上に朽ち果てたる橋柱(はしばしら)、黑き影を印して立てり。この景色心に浮べば、あの折の心輕げなる少女子(をとめご)さへ扁鼓(タムブリノ)手に把りてサルタレルロ舞ひつゝ過ぐらむ心地す。 (サルタレルロの事をば聊(いさゝか)注すべし。こは、單調なる曲につれて踊り舞ふ羅馬の民の技藝なり。一人にて踊ることあり。又、二人にても舞へど、その身の相觸るゝことはなし。大抵男子二人、若くは女子二人なるが、跳(は)ねる如き早足にて半圈に動き、その閒手をも休むることなく、羅馬人に產れ付きたる、しなやかなる振をなせり。女子は裳裾(スカート)を蹇(かゝ)ぐ。鼓をば自ら打ち、又、人にも打たす。其調の變化といふは、唯遲速のみなり。) 「サンタ・マリア・デルラ・ロツンダ」の街に來て見れば、こゝはまだいと賑はし。魚蝋(ぎよらふ)の烟(けぶり)を風のまにまに吹き靡(なび)かせて、前に木机を据ゑ、そが上に月桂(ラウレオ)の靑枝もて編みたる籠に貨物(しろもの)を載せたるを飾りたるは、肉鬻(ひさ)ぐ男、果賣る女などなり。剥栗(むきぐり)竝べたる釜の下よりは火燄立昇りたり。賈人(あきうど)の物いひかはす聲の高きは、伊太利ことば知らぬ旅人聞かば、命をも顧みざる爭とやおもふらむ。魚賣る女の店の前にて母上識る人に逢ひ給ひぬ。女子の閒とて物語長きに、店の蝋燭流れ盡むとしたり。さて、連れ立ちて、其人の家の戶口までおくり行くに、街の上は、いふもさらなり、コルソオの大道さへ、物寂しう見えぬ。されど、美しき水盤を築きたるピアツツア・ヂ・トレヰイに曲り出でしときは、又、賑はしきさま前の如し。 こゝに古き殿づくりあり。意(こゝろ)なく投げ疊(かさ)ねたらむやうに見ゆる礎の閒より水流れ落ちて、月は恰も好し棟の上にぞ照りわたれる。河伯(ネプテューン)の像は、重き石衣を風に吹かせて、大なる瀧を見おろしたり。瀧のほとりには、喇叭吹くトリイトンの神二人、海馬を馭したり。その下には、豐に水を湛へたる大水盤あり。盤を繞(めぐ)れる石級を見れば、農夫ども、あまた心地好げに月明の裡に臥したり。截(き)り碎きたる西瓜より紅の露滴りたるが其傍(かたへ)にあり。骨組太き童一人、身に着けたるものとては、薄き汗衫(じゆばん)一枚、鞣(なめし)革の袴(ズボン)一つなるが、その袴さへ控鈕(ボタン)脫(はづ)れて膝のあたりに垂れかゝりたるを心ともせずや、キタルラ(ギター)の絃(いと)おもしろげに掻き鳴して坐したり。忽ちにして歌ふこと一句、忽にして、又、奏づること一節。農夫どもは掌(たなそこ)打ち鳴しつ。母上は立ちとまり給ひぬ。この時、童の歌ひたる歌こそは、いたく我心を動かしつれ。あはれ此歌よ。こは、尋常(よのつね)の歌にあらず。この童の歌ふは、目の前に見え、耳のほとりに聞ゆるが儘なりき。母上も、我も、亦曲中の人となりぬ。さるに、其歌には韻脚あり。其調は、いと妙(たゑ)なり。童の歌ひけるやう、 「靑き空を衾(ふすま)として、白き石を枕としたる寢ごゝろの好さよ。かくて笛手(ふえふき)二人の曲をこそ聞け」 童は斯(か)く歌ひてトリイトンの石像を指(ゆびさ)したり。童の又歌ひけるやう、 「こゝに西瓜の血汐を酌める百姓の一羣(ひとむれ)は、皆、戀人の上、安かれと祈るなり。その戀人は今は寢て聖ピエトロの寺の塔、その法皇の都にゆきし、人の上をも夢みるらむ。人々の、戀人の上、安かれと祈りて飮まむ。又、世の中にあらむ限の箭(や)の手開かぬ少女(をとめ)が上をも皆安かれと祈りて飮まむ」 (箭の手開かぬ少女とは、髮に揷す箭をいへるにて、處女の箭には握りたる手あり。嫁ぎたる女の箭には開きたる手あり。) かくて童は母上の脇を掐(ひね)りて、 「さて、母御の上をも、又その童の鬚(ひげ)生ふるやうになりて、迎へむ少女の上をも」 と歌ひぬ。 母上、 「善くぞ歌ひし」 と讚め給へば、農夫どもゝ、 「ジヤコモが旨さよ」 と手打ち鳴してさゞめきぬ。 この時、ふと小き寺の石級の上を見しに、こゝには識る人ひとりあり。そは鉛筆取りて、この月明(つきあかり)の中なる羣を寫さむとしたる畫工フエデリゴなりき。歸途には、畫工と母上と、かの歌うたひし童の上につきて語り戲れき。その時、畫工は、かの童を「卽興詩人」とぞいひける。 フエデリゴの我にいふやう、 「アントニオ、聞け。そなたも卽興の詩を作れ。そなたは、固(もと)より詩人なり。たゞ例の說敎を韻語にして歌へ」 これを聞きて、我、初めて詩人といふこと、あきらかにさとれり。まことに詩人とは、見るもの、聞くものにつけて、おもしろく歌ふ人にぞありける。げに、こは、面白き業なり。想ふに、あながち難からむとは思はれず、キタルラ一つだにあらましかば。 わが初の作の料(たね)になりしは、向ひなる枯肉鋪(ひものみせ)なりしこそ可笑しけれ。此家(や)の貨物(しろもの)の排(なら)べ方は、旅人の目にさへ留まるやうなりければ、早くも、我空想を襲ひしなり。月桂(ラウレオ)の枝、美しく編みたる閒には、おほいなる駝鳥(だてう)の卵の如く、乾酪(チーズ)の塊懸りたり。オルガノの笛(パイプ)の如く、金紙卷きたる燭は竝び立てり。柱のやうに立てたる腸づめの肉の上には、琥珀(こはく)の如く光を放ちて、パルミジヤノの乾酪(パルメザンチーズ)据わりたり。夕になれば、燭に火を點ずるほどに、其光は腸づめの肉とプレシチウツトオ(ハム)との閒に燃ゆる、聖母像前の紅玻璃燈(べにはりとう)と共にこの幻の境を照せり。我詩には、店の卓の上なる猫兒(ねこ)、店の女房と價を爭ひたる、若きカツプチノ僧さへ殘ることなく入りぬ。此詩をば幾度か心の内にて吟じ試みて、さてフエデリゴに歌ひて聞かせしに、フエデリゴめでたがりければ、つひに家の中に廣まり、又、街を踰(こ)えて、向ひなるひものやの女房の耳にも入りぬ。女房聞きて、 「げに珍らしき詩なるかな。『ダンテの神曲』(ヂヰナ・コメヂア)とはかゝるものか」 とぞ稱へける。 これを手始に、物として我詩に入らぬはなきやうになりぬ。我世は、夢の世、空想の世となりぬ。寺にありて僧の歌ふとき、提香爐(ひさげかうろ)を打ち振りても、街にありて叫ぶ賈人(あきうど)、轟く車の閒に立ちても、聖母の像と靈水盛りたる瓶の下なる小き臥牀(ふしど)の中にありても、たゞ詩をおもふより外あらざりき。冬の夕暮、鍛冶の火高く燃えて、道ゆく百姓の立ち倚(よ)りて手を溫むるとき、我は家の窗に坐して、これを見つゝ時の過ぐるを知らず。かの鍛冶の火の中には我空想の世の如き殊(こと)なる世ありとぞ覺えし。北山おろし劇しうして、白雪、街を籠(こ)め、廣こうぢの石のトリイトンに氷の鬚(つらゝ)おふるときは、我喜限なかりき。憾むらくは、かゝる時の長からぬことよ。かゝる日には、年ゆたかなる兆とて、羊の裘(かはころも)きたる農夫ども、手を拍(う)ちてトリイトンのめぐりを踊りまはりき。噴き出づる水に、雨は晴れなんとする空にかゝれる虹の影映りて。
第3章 (ジエンツアノは、アルバノ山閒の小都會なり。羅馬と沼澤(ポンティネ沼澤)との閒なる街道(アッピア街道)に近し。) 母上ともマリウチアとも仲好き女房ありて、かしこなる料理屋の妻となりたり。 (伊太利の小料理屋にて、「オステリア・エエ・クチイナ」と招牌(かんばん)懸けたる類なるべし。) 母上とマリウチアとが此祭にゆかむと約したるは、數年前よりの事なれども、いつも思ひ掛けぬ事に妨げられて、えも果さゞりき。今年は、必ず約を履まむとなり。道遠ければ、祭の前日にいで立たむとす。かしまだちの前の夕には、喜ばしさの餘に我眠の穩ならざりしも理(ことわり)なるべし。 「ヱツツリノ」といふ車の門前に來しときは、日、未だ昇らざりき。我等は直に車に上りぬ。是れより先には、われ未だ山に入りしこと、あらざりき。祭の事を思ひての喜に、胸さわぎのみぞせられたる。身の邊(ほとり)なる自然と生活とを、人となりての後、當時の情もて觀ましかば、我が作る詩こそ類なき妙品ならめ。街道の靜けさ、鐵物(かなもの)いかめしき閭門(りよもん)、見わたす限遙なるカムパニアの野邊に物寂しき墳墓のところどころに立てる、遠山の裾を罩(こ)めたる濃き朝霧など、我がためには、こたび觀るべき、めでたき祕事の前兆の如くおもはれぬ。道の傍に十字架あり。そが上には枯髏(されかうべ)殘れり。こは、辜(つみ)なき人を脅したる報に、こゝに刑せられし强人(ぬすびと)の骨なるべし。これさへ我心を動すことたゞならざりき。山中の水を羅馬の市に導くなる、許多の筧(かけひ)の數をば、はじめこそ讀み見むとしつれ、幾程もあらぬに倦みて思ひとゞまりつ。さて、我は母上とマリウチアとに問ひはじめき。 「壞れ傾きたる墓標のめぐりにて牧者が焚く火は何のためぞ。羊の羣のめぐりに引きめぐらしたる網は何のためぞ」 問はるゝ人はいかにうるさかりけむ。 アルバノに着きて車を下りぬ。こゝよりアリチアを越す美しき道の程をば徒(かち)にてぞゆく。木犀草(もくせいさう、レセダ)、又は、にほひあらせいとう(ヘイランツス)の花など、道の傍に野生したり。緑なる葉の茂れる橄欖(オリワ)樹の蔭は涼しくして憩ふ人待貌(ひとまちがほ)なり。遠き海をば、我も望み見ることを得き。十字架立ちたる山腹を過ぐるとき、少女子(をとめご)の一羣、笑ひ戲れて過ぐるに逢ひぬ。笑ひ戲れながらも十字架に接吻することをば忘れざりき。アリチアの寺の屋根、黑き橄欖の林の閒に見えたるをば、神の使が戲に据ゑかへたる聖ピエトロ寺の屋根ならむとおもひき。索(つな)にて牽(ひ)かれたる熊の、人の如くに立ちて舞へるあり。人、あまた其周(めぐり)につどひたり。熊を牽ける男の吹く笛を聞けば、こは、羅馬に來て聖母の前に立ちて吹くピツフエラリが曲におなじかりき。男に「軍曹」と呼ばるゝ猿あり。美しき軍服着て、熊の頭の上、脊の上などにて飜筋斗(とんぼがへり)す。われは面白さに「こゝに止らむ」とおもふほどなりき。ジエンツアノの祭も明日のことなれば、止まればとて遲るゝにもあらず。されど、母上は、 「早く往きて、友なる女房の環飾(わかざり)編むを助けむ」 とのたまへば、甲斐なかりき。 幾程もなく到り着きてアンジエリカが家をたづね得つ。ジエンツアノの市にて「ネミ」といふ湖に向へる方にありき。家は、いとめでたし。壁よりは泉湧き出でゝ石盤に流れ落つ。驢馬(うさぎうま)、あまたそを飮まむとて、めぐりに集ひたり。 料理屋に立ち入りて見るに、賑しき物音、我等を迎へたり。竈(かまど)には火燃えて、鍋の裡なる食は煮え上りたり。長き卓あり。市人(まちびと)も田舍人(いなかびと)もそれに倚りて、酒飮み、醃藏(しほづけ)にせる豚を食へり。聖母の御影の前には靑磁の花瓶に美しき薔薇花を活けたるが、其傍なる燈は、棚引く烟に壓(お)されて、善くも燃えず。帳場のほとりなる卓に置きたる乾酪の上をば、猫、跳(をど)り越えたり。鷄の羣は、我等が脚にまつはれて踏まるゝをも厭はじと覺ゆ。アンジエリカは、快く我等を迎へき。險しき梯を登りて烟突の傍なる小部屋に入り、こゝにて食を饗せられき。我心にては國王の宴に召されたるかとおぼえつ。物として美しからぬはなく、一フオリエツタの葡萄酒さへ其瓶(へい)に飾ありて、いとめでたかりき。瓶の口に栓がはりに揷したるは、纔(わづか)に開きたる薔薇花なり。主客三人の女房、互に接吻したり。我も否(ゐな)とも諾(う)とも云ふ暇(ゐとま)なくして接吻せられき。母上、片手にて我頬を撫(さす)り、片手にて我衣をなほし給ふ。手尖(てさき)の隱るゝまで袖を引き、又頸(うなぢ)を越すまで襟を揚げなどして、やうやう心を安(やすん)じ給ひき。アンジエリカは我を佳き兒なりと讚めき。 食後には面白き事はじまりぬ。紅なる花、緑なる梢を摘みて、環飾を編まむとて、人々皆出でぬ。低き戶口をくゞれば庭あり。そのめぐりは幾尺かあらむ。すべてのさま唯だ一つの四阿屋(あづまや)めきたり。細き欄(をばしま)をば、こゝに野生したる蘆薈(アロエ)の太く堅き葉にて援けたり。これ自然の籬(まがき)なり。 看卸(みをろ)せば、深き湖の面いと靜なり。昔こゝは火坑にて、一たびは燄の柱、天に朝したることもありきといふ。庭を出でゝ山腹を步み、大なる葡萄架(ぶだうだな)、茂れるプラタノ(鈴懸)の林のほとりを過ぐ。葡萄の蔓(つる)は高く這ひのぼりて林の木々にさへ纏ひたり。彼方の山腹の尖りたるところにネミの市あり。其影は湖の底に印(うつ)りたり。我等は花を採り、梢を折りて、且行き且編みたり。あらせいとうの閒には、露けき橄欖の葉を織り込めつ。高き靑空と深き碧水とは乍ち草木に遮られ、乍ち、又、一樣なる限なき色に現れ出づ。我がためには物としてめでたく、珍らかならざるなし。平和なる歡喜の情は我魂を震はしめき。今に到るまで、この折の事は埋沒したる古城の彩石壁畫(ムザイコゑ)の如く我心目(しんもく)に浮び出づることあり。 日は烈しかりき。湖の畔(ほとり)に降りゆきて、葡萄蔓(ゑびかづら)纏へるプラタノの古樹の長き枝を水の面にさしおろしたる蔭にやすらひたる時、我等は纔(わづか)に涼しさを迎へて、編みものに心籠(こ)むることを得つ。水草の美しき頭(かしら)の、蔭にありて徐に頷(うなづ)くさま、夢みる人の如し。これをも祈りて編み込めつ。暫しありて、日の光は最早水面に及ばずなりて、ネミとジエンツアノとの家々の屋根をさまよへり。我等が坐したるところは、次第にほの暗うなりぬ。我は遊ばむとて羣を離れたれど、岸低く湖の深きを母上氣づかひ給へば、數步の外には出でざりき。こゝには、古きヂアナの祠(ダイアナのほこら)の址あり。その破壞して形ばかりになりたる裡に、大(おほい)なる無花果樹(いちじゆく)あり。蔦蘿(つたかづら)は隙なきまでに、これにまつはれたり。われは此樹に攀(よ)ぢ上りて、環飾編みつゝ流行(はやり)の小歌うたひたり。 "―Ah rossi, rossi flori, Un mazzo di violi! Un gelsomin d'amore―" (あはれ、赤き、赤き花よ 菫(すみれ)の束よ 戀のしるしの素馨(そけい、ジエルソミノ、ジャスミン)の花よ この時あやしく咳枯(しはが)れたる聲にて、歌ひつぐ人あり。 "―Per dar al mio bene!" (摘みて取らせむ、その人に) 忽ちフラスカアチの農家の婦人の裝したる媼ありて我前に立ち現れぬ。その脊は、あやしき迄眞直なり。その顏の色の目立ちて黑く見ゆるは、頭より肩に垂れたる長き白紗(しろぎぬ)のためにや。膚の皺は繁くして縮めたる網の如し。黑き瞳は眶(まぶち)を填(う)めん程なり。この媼は、初め微笑みつゝ我を見しが、俄に色を正して我面を打ちまもりたるさま、傍なる木に寄せ掛けたる木乃伊(みゐら)にはあらずやと疑はる。暫しありていふやう、 「花は、そちが手にありて美しくぞなるべき。彼の目には福(さいはひ)の星あり」 といふ。 我は編みかけたる環飾を我唇におし當てたるまゝ驚きて彼の方を見居たり。媼、またいはく、 「その月桂(ラウレオ)の葉は美しけれど毒あり。飾に編むは好し。唇にな當てそ」 といふ。 此時アンジエリカ、籬(まがき)の後より出でゝいふやう、 「賢き老女、フラスカアチ。そなたも明日の祭の料(しろ)にとて環飾編まむとするか。さらずは、日のカムパニアのあなたに入りてより、常ならぬ花束を作らむとするか」 といふ。 媼はかく問はれても、顧みもせで我面のみ打ち目守り、詞を續(つ)ぎていふやう、 「賢き目なり。日の金牛宮(きんぎうきう)を過ぐるとき誕れぬ。名も財(たから)も牛の角にかゝりたり」 といふ。 此時、母上も、步み寄りてのたまふやう、 「吾子が受領すべきは緇(くろ)き衣と大なる帽となり。かくて後は、護摩焚きて神に仕ふべきか、棘(いばら)の道を走るべきか。そは、かれが運命に任せてむ」 とのたまふ。 媼は聞きて、我を僧とすべしといふ意(こゝろ)ぞ、とは心得たりと覺えられき。されど、當時は、我等悉く媼が詞の顛末(もとすゑ)を解すること能はざりき。 媼のいふやう、 「あらず。此兒が衆人の前にて說くところは、げに格子の裏(うち)なる尼少女の歌より優しく、アルバノの山の雷(いかづち)より烈しかるべし。されど、その時戴くものは、大なる帽にあらず。福の座は、かの羊の羣の閒に白雲立てるカヲの山より高きものぞ」 といふ。 この詞のめでたげなるに、母上は喜び給ひながら、猶訝しげにもてなして、太き息つきつゝ宣給ふやう、 「あはれなる兒なり。行末をば聖母こそ知り給はめ。アルバノの農夫の車より福の車は高きものを、かゝるをさな子の、いかでか上り得む」 とのたまふ。 媼のいはく、 「農車の輪のめぐるを見ずや。下なる輻(や)は上なる輻となれば、足を低き輻に踏みかけて、旋(めぐ)るに任せて登るときは、忽ち車の上にあるべし。 (アルバノの農車はいと高ければ、農夫等かくして登るといふ。) 唯だ道なる石に心せよ。市に舞ふ人もこれに躓(つまづ)く習ぞ」 といふ。 母上は、半ば戲のやうに、 「さらばその福の車に、われも倶に登るべきか」 と問ひ給ひしが、俄に打ち驚きて「あなや」と叫び給ひき。 この時大なる鷙鳥(してう)ありて、さと落し來たりしに、その翼の前なる湖を擊ちたるとき、飛沫(しぶき)は我等が面を濕(うるほ)しき。雲の上にて銳くも水面に浮びたる大魚を見付け、矢を射る如く來りて攫(つか)みたるなり。刄の如き爪は魚の脊を穿ちたり。さて再び空に揚らむとするに、騷ぐ波にて測るにも、その大さは、よの常ならぬ魚にしあれば、力を極めて引かれじと爭ひたり。鳥も打ち込みたる爪拔けざれば、今更にその獲ものを放つこと能はず。魚と鳥との鬪は、いよいよ激しく、湖水の面ゆらぐまにまに、幾重ともなき、大なる環を畫き出せり。鳥の翼は、忽ち斂(をさ)まり、忽ち放たれ、魚の背は、浮ぶかと見れば、又、沈みつ。數分時の後、雙翼、靜に水を蔽ひて、鳥は憩ふが如く見えしが、俄にはたゝく勢に偏翼摧(くだ)け折るゝ聲、岸のほとりに聞えぬ。鳥は、殘れる翼にて、二たび三たび水を敲(たた)き、つひに沈みて見えずなりぬ。魚は最後の力を出して、敵を負ひて水底に下りしならむ。鳥も魚も、しばしが程に底のみくづとなるならむ。 我等は、詞もあらで、此光景を眺め居たり。事果てゝ後顧みれば、かの媼は在らざりき。我等は詞少く歸路をいそぎぬ。森の木葉のしげみは闇を吐き出だす如くなれど、夕照(ゆふばゑ)は湖水に映じて、纔(わづか)にゆくてに迷はざらしむ。この時聞ゆる單調なる物音は、粉碾車(こひきぐるま)の轢(きし)るなり。すべてのさま物凄く恐ろしげなり。アンジエリカは、ゆくゆく怪しき老女が上を物語りぬ。かの媼は、藥草を識りて、能く人を殺し、能く人を惑はしむ。「オレワアノ」といふ所に「テレザ」といふ少女ありき。「ジユウゼツペ」(ヨゼフ)といふ若者が、山を越えて北の方へゆきたるを戀ひて、日にけに痩せ衰へけり。媼、さらば其男を喚び返して得させむとて、テレザが髮とジユウゼツペが髮とを結び合せて、銅(あかがね)の器に入れ、藥草を雜(まじ)へて煮き。ジユウゼツペは其日より、晝も夜もテレザが上のみ案ぜられければ、何事をも打ち棄てゝ歸り來ぬとぞ。我は此物語を聞きつゝ「アヱ・マリア」の祈をなしつ。アンジエリカが家に歸り着きて、我心は纔(わづか)におちゐたり。 新に編みたる環飾一つを懸けたる眞鍮の燈には、四條(よすぢ)の心(しん)に殘なく火を點し、「モンツアノ・アル・ポミドロ」といふ旨きものに善き酒一瓶を添へて供せられき。農夫等は、下なる一閒にて飮み歌へり。二人、代るがはる唱へ、末の句に至りて、坐客、齊(ひと)しく和したり。我が、子供と共に燃ゆる竈(かまど)の傍なる聖母の像のみまへにゆきて讚美歌唱へはじめしとき、農夫等は聲を止めて、我曲を聽き、好き聲なりと稱へき。その嬉しさに、我は暗き林をも怪しき老女をも忘れ果てつ。我は、農夫等と共に、卽興の詩を歌はむとおもひしに、母上、とゞめて宣給ふやう、 「そちは、香爐を提(ひさ)ぐる子ならずや。行末は人の前に出でゝ神のみことばをも傳ふべきに、今、いかでか、さる戲せらるべき。謝肉(カルネワレ)の祭はまだ來ぬものを」 とのたまひき。 されど、我が、アンジエリカが家の廣き臥牀(ふしど)に上りしときは、母上、我枕の低きを厭ひて肱さし伸べて枕せさせ、 「賴(たのみ)ある子ぞ」 と胸に抱き寄せて眠り給ひき。 我は、旭の光、窗を照して、美しき花祭の我を喚び醒すまで、穩なる夢を結びぬ。 その旦(あした)、先づ目に觸れし街の有樣、その彩色したる活畫圖を、當時の心になりて寫し出さむには、いかに筆を下すべきか。少しく爪尖あがりになりたる長き街をば、すべて花もて掩ひたり。地は靑く見えたり。かく色を揃へて花を飾るには、園生の草をも、野に茂る枝をも、摘み盡し、折り盡したるかと疑はる。兩側には、大なる緑の葉を帶の如く引きたり。その上には薔薇の花を隙閒なきまで竝べたり。この帶の隣には、又、似寄りたる帶を引きて、その閒をば暗紅なる花もて填めたり。これを街の氈(かも)の小緣(さゝへり)とす。中央には黃なる花、多く簇(あつ)めて、その角立ちたる紋を成したる羣を星とし、その輪の如き紋を成したる束を日とす。これよりも骨折りて造り出でけんと思はるゝは、人の名頭(ながしら)の字を、花もて現したるにぞありける。こゝにては、花と花と聯(つら)ね、葉と葉と合せて形を作りたり。總ての摸樣は、まことに活きたる五色の氈と見るべく、又、彩石(ムザイコ)を組み合せたる牀(とこ)と見るべし。されど、ポムペイにありといふ牀にもかく美しき色あるはあらじ。このあした、風といふもの、絕てなかりき。花の落着きたるさまは、重き寶石を据ゑたらむが如くなり。窗といふ窗よりは、大なる氈を垂れて石の壁を掩ひたり。この氈も、花と葉とにて織りて、おほくは『聖書』に出でたる事蹟の圖を成したり。こゝには聖母と穉き基督とを騎せたる驢(うさぎうま)あり、ジユウゼツペ(ヨセフ)その口を取りたり。顏、手、足なんどをば薔薇の花もて作りたり。こあらせいとう(マチオラ)の花、靑きアネモオネの花などにて、風に飜りたる衣を織り成せり。その冠を見れば、ネミの湖にて摘みたる白き睡蓮(ひつじぐさ、ニユムフエア)の花なりき。かしこには、尊きミケルの毒龍と鬪へるあり。尊きロザリアは、深碧なる地球の上に薔薇の花を散らしたり。いづかたに向ひて見ても、花は我に『聖書』の事蹟を語れり。いづかたに向ひて見ても、人の面は我と同じく樂しげなり。美しき衣着裝(きよそ)ひて、出張りたる窗に立てるは、山のあなたより來し異國人(ことくにびと)なるべし。街の側には、おのがじし飾り繕ひたる人の波打つ如く行くあり。街の曲り角にて大なる噴井あるところに母上は腰掛け給へり。我は水よりさしのぞきたるサチロ(羊脚の神)の神の頭(かうべ)の前に立てり。 日は烈しく照りたり。市中の鐘ことごとく鳴りはじめぬ。この時、美しき花の氈を踏みて祭の行列過ぐ。めでたき音樂、謳歌の聲は、その近づくを知らせたり。贄櫃(モンストランチア)の前には、兒(ちご)、あまた提香爐(ひさげかうろ)を振り動かして步めり。これに續きたるは、こゝらあたりの美しき少女を撰(え)り出でて、花の環を取らせたるなり。もろ肌ぬぎて翼を負ひたる、あはれなる小兒等は、高卓(たかづくゑ)の前に立ちて、神の使の歌をうたひて行列の來るを待てり。若人等は尖りたる帽の上に聖母の像を印したる紐のひらひらとしたるを付けたり。鎖に金銀の環を繋(つな)ぎて頸に懸けたり。斜に肩に掛けたる、彩りたる紐は、黑天鵝絨(びらうど)の上衣に映じて美し。アルバノ、フラスカアチの少女の羣は、髮を編みて、銀の箭(や)にて留め、薄き面紗(ウエエル)の端を、やさしく髻(もとゞり)の上にて結びたり。ヱルレトリの少女の羣は、頭に環かざりを戴き、美しき肩、圓き乳房の露るゝやうに着たる衣に、襟の邊(あたり)より、彩りたる巾(きれ)を下げたり。アプルツチイよりも、大澤(たいたく)よりも、おほよそ近きほとりの民悉くつどひ來て、おのおの古風を存じたる打扮(いでたち)したれば、その入り亂れたるを見るときは、餘所(よそ)の國にはあるまじき奇觀なるべし。花を飾りたる天蓋の下に、華美(はでやか)なる式の衣を着けて步み來たるはカルヂナアレなり。さまざまの宗派に屬する僧は、燃ゆる蝋燭を取りてこれに隨へり。行列のことごとく寺を離るゝとき、羣衆はその後に跟(つ)いて動きはじめき。我等もこの閒にありしが、母上は、しかと我肩を按(をさ)へて、人に押し隔てられじとし給へり。我等は、人に揉まれつゝ步(あゆみ)を移せり。我目に見ゆるは、唯だ頭上の靑空のみ。忽ち、我等がめぐりに人々の諸聲(もろごゑ)に叫ぶを聞きつ。我等は、彼方へおし遣られ、又、此方へおし戻されき。こは、一二頭の仗馬(ぜうめ)の物に怯(を)ぢて駈け出したるなり。われは、纔(わづか)にこの事を聞きたる時、騷ぎ立ちたる人々に推し倒されぬ。目の前は黑くなりて、頭の上には瀑布(たき)の水漲(みなぎり)り落つる如くなりき。 あはれ、神の母よ、哀なる事なりき。われは今に至るまで、その時の事を憶ふごとに、身うち震ひて止まず。我にかへりしとき、マリウチアは泣き叫びつゝ我頭を膝の上に載せ居たり。側には母上、地に橫(よこたは)り居給ふ。これを圍みたるは、見もしらぬ人々なり。馬は車を引きたる儘(まゝ)にて、仆(たふ)れたる母上の上を過ぎ、轍(わだち)は胸を碎きしなり。母上の口よりは、血、流れたり。母上は、早や事きれ給へり。 人々は、母上の目を瞑(ねむ)らせ、その掌(たなそこ)を合せたり。この掌の溫きをば、今まで、我、肩に覺えしものを。遺體をば、僧たち寺に舁(か)き入れぬ。マリウチアは、手に淺痍(あさで)負ひたる我を伴ひて、さきの酒店に歸りぬ。きのふは此酒店にて樂しき事のみおもひつゝ花を編み、母上の腕(かひな)を枕にして眠りしものを。當時わがいよいよまことの孤(みなしご)になりしをば、まだ熟(よ)くも思ひ得ざりしかど、わが穉き心にも唯だ何となく物悲しかりき。人々は、我に果子、くだもの、玩具(もてあそびもの)など與へて、なだめ賺(すか)し、おん身が母は、今、聖母の許にいませば、日ごとに花祭ありて、めでたき事のみなりといふ。又、あすは今一度母上に逢はせんと慰めつ。人々は、我にはかく言ふのみなれど、互にさゝやぎあひて、きのふの鷙鳥(してう)の事、怪しき媼の事、母上の夢の事など語り、誰も誰も、母上の死をば豫め知りたりと誇れり。 暴馬(あれうま)は、街はづれにて立木に突きあたりて止まりぬ。車中よりは、人々、齡四十の上を一つ二つ踰(こ)えたる貴人(あてびと)の、驚怖のあまりに氣を喪はんとしたるを助け出だしき。人の噂を聞くに、この貴人はボルゲエゼの族(うから)にて、アルバノとフラスカアチとの閒に、大なる別墅(べつしよ)を搆へ、そこの苑には、めづらしき草花を植ゑて樂(たのしみ)とせりとなり。世には、この翁も、あやしき藥草を知ること、かのフルヰアといふ媼に劣らず、など云ふものありとぞ。此貴人の使なりとて、リフレア着たる僕(しもべ)、盾銀(たてぎん、スクヂイ)二十枚入りたる嚢(ふくろ)を我に貽(おく)りぬ。 翌日の夕、まだ「アヱ・マリア」の鐘鳴らぬほどに、人々、我を伴ひて寺にゆき、母上に暇乞(ゐとまごひ)せしめき。きのふ祭見にゆきし晴衣のまゝにて、狹き木棺の裡に臥し給へり。我は合せたる掌に接吻するに、人々共音(ともね)に泣きぬ。 寺門には柩を擔ふ人立てり。送りゆく僧は白衣着て、帽を垂れ、面を覆へり。柩は人の肩に上りぬ。カツプチノ僧は蝋燭に火をうつして、挽歌をうたひ始めたり。マリウチアは我を牽(ひ)きて、柩の旁(かたへ)に隨へり。斜日(ゆふひ)は蓋はざる棺を射て、母上のおん顏は生けるが如く見えぬ。知らぬ子供、あまたおもしろげに我めぐりを馳せ𢌞りて、燭淚の地に墜ちて凝りたるを拾ひ、反古(ほご)を捩(ひね)りて作りたる筒に入れたり。 我等が行くは、きのふ祭の行列の過(よぎ)りし街なり。木葉も、草花も、猶地上にあり。されど、當時織り成したる華紋(けもん)は、吾少時の福と倶に、きのふの祭の樂と倶に今や蹟なくなりぬ。幽堂(つかあな)の穹窿を塞ぎたる大石を推し退け、柩を下ししに、底なる他の柩と相觸れて、かすかなる響をなせり。僧等の去りしあとにて、マリウチアは我を石上に跪かせ、「オオラ・プロオ・ノオビス」(祷爲我等、われらがためにいのれ)を唱へしめき。 ジエンツアノを立ちしは月あかき夜なりき。フエデリゴと知らぬ人ふたりと我を伴ひゆく。濃き雲はアルバノの巓を繞れり。我がカムパニアの野を飛びゆく輕き霧を眺むる閒、人々はもの言ふこと少かりき。幾(いくばく)もあらぬに、我は車の中に眠り、聖母を夢み、花を夢み、母上を夢みき。母上は猶生きて、我にものいひ、我顏を見てほゝ笑み給へり。
第4章 「カムパニアの野に羊飼へる、マリウチアが父母にあづけん」 といふ。 「盾銀二十は、牧者が上にては得易からぬ寶なれば、この兒を家におきて養ふは、いふもさらなり、又、心のうちに喜びて迎ふるならん。さはあれ、この兒は旣に半ば出家したるものなり。カムパニアの野にゆきては、香爐を提げて寺中の職をなさんやうなし」 かくマルチノの心たゆたふと共に、フエデリゴも云ふやう、 「われは、此兒をカムパニアにやりて百姓にせんこと惜しければ、この羅馬市中にて然るべき人を見立て、これにあづくるに若(し)かず」 といふ。 マルチノ、思ひ定めかねて「僧たちと謀らん」とて去(ゐぬ)る折柄、ペツポのをぢは、例の木履(きぐつ)を手に穿(は)きて、いざり來ぬ。 をぢは、母上のみまかり給ひしを聞き、又、人の我に盾銀二十を貽(おく)りしを聞き、母上の追悼(くやみ)よりは、かの金の發落(なりゆき)のこゝろづかひのために、こゝには訪れ來ぬるなり。をぢは、聲振り立てゝいふやう、 「この孤の族(うから)にて世にあるものは、今、われひとりなり。孤をば、われ、引き取りて世話すべし。その代りには、此家に殘りたる物、悉くわが方へ受け收むべし。かの盾銀二十は勿論なり」 といふ。 マリウチアは、臆面せぬ女なれば、進み出でゝ、 「おのれ、フラア・マルチノ其餘の人々と、こゝの始末をば油斷なく取り行ふべければ、おのが一身をだに、もてあましたる乞丐(かたゐ)の益(やく)なきこと言はんより、疾く歸れ」 といふ。 フエデリゴは席を立ちぬ。マリウチアとペツポのをぢとは蹟に殘りて、はしたなく言ひ罵り、いづれも多少の利慾を離れざる、きたなき爭をなしたり。マリウチアのいふやう、 「この兒をさほど慾しと思はゞ直に連れて歸りても好し。若し肋(あばら)二三本打ち折りて、おなじやうなる畸形(かたは)となし、往來(ゆきゝ)の人の袖に縋(すが)らせんとならば、それも好し。盾銀二十枚をば、われ、こゝに持ち居れば、フラア・マルチノの來給ふまで決して他人に渡さじ」 といふ。 ペツポ怒りて、 「頑(かたくな)なる女かな。この木履もて、そちが頭にピアツツア・デル・ポヽロの通衢(おほぢ)のやうなる穴を穿(あ)けん」 と叫びぬ。 われは二人が閒に立ちて泣き居たるに、マリウチアは我を推しやり、をぢは我を引き寄せたり。をぢのいふやう、 「唯だ我に隨ひ來よ。我を賴めよ。この負擔だに我方にあらば、その報酬も受けらるべし。羅馬の裁判所に公平なる沙汰なからんや」 かく云ひつゝ强ひて我を扯(ひ)きて戶を出でたるに、こゝには襤褸(ぼろ)着たる童ありて、一頭の驢(うさぎうま)を牽けり。をぢは遠きところに往くとき、又、急ぐことあるときは、枯れたる足を驢の兩脇にひたと押し付け、おのが身と驢と一つ體になりたるやうにし、例の木履のかはりに走らするが常なれば、けふもかく騎りて來しなるべし。をぢは我をも驢背(ろはい)に抱き上げたるに、かの童は後より一鞭(ひとむち)加へて驅け出させつ。途すがら、をぢは、いつもの厭はしきさまに賺(すか)し、慰めき。 「見よ、吾兒。よき驢にあらずや。走るさまはコルソオの競馬(くらべうま)にも似ずや。我家にゆき着かば樂しき世を送らせん。神の使もえ享けぬやうなる饗應(もてなし)すべし」 この話の末はマリウチアを罵る千言萬句、いつ果つべしとも覺えざりき。をぢは家を遠ざかるにつれて驢を策(むちう)たしむること少ければ、道行く人々、皆このあやしき凹騎(ふたりのり)に目を注(つ)けて、 「美しき兒なり。何處(いづく)よりか盜み來し」 と問ひぬ。 をぢは、その度ごとに我身上話を繰り返しつ。この話をば、ほとほと道の曲りめごとに浚(さら)へ行くほどに、賣漿婆(みづうりばゞ)は、をぢが長物語の酬(むくひ)に檸檬(リモネ)水一杯(ひとつき)を白(たゞ)にて與へ、をぢと我とに分ち飮ましめ、又、別に臨みて我に核(さね)の落ち去りたる松子(パイナップル)一つ得させつ。 まだ、をぢが栖(すみくわ)にゆき着かぬに日は暮れぬ。我は、一言をも出さず、顏を掩うて泣き居たり。をぢは、我を抱き卸(をろ)して、例の大部屋の側なる狹き一閒につれゆき、一隅に玉蜀黍(たうもろこし)の莢(さや)敷きたるを指し示し、 「あれこそ、汝が臥牀(ふしど)なれ。さきには善き檸檬水呑ませたれば、まだ喉も乾かざるべく、腹も減らざるべし」 と我頬を撫でゝ微笑みたる、その面恐しきこと譬(たと)へんに物なし。 「マリウチアが持ちたる嚢(ふくろ)には、猶銀幾ばくかある。馭者(エツツリノ)に與ふる錢をも、あの中よりや出しゝ。貴人の僕は金もて來しとき何といひしか」 かく問ひ掛けられて、我はたゞ「知らず」とのみ答へ、はては泣聲になりて、 「いつまでも、こゝに居ることにや。あすは家に歸らるゝことにや」 と問ひぬ。 「勿論なり。いかでか歸られぬ事あらん。おとなしくそこに寐(ゐね)よ。『アヱ・マリア』を唱ふることを忘るな。人の眠る時は鬼の醒めたる時なり。十字を截(き)りて寐よ。この鐵壁をば吼る獅子も越えず」 といふ。 「神を祈らば、あのマリウチアの腐女(くさりをみな)が、そちにも我にも難儀を掛けたるを訴へて、毒に中(あた)り、惡瘡を發するやうに呪へかし。おとなしく寐よ。小窗をば開けておくべし。涼風は夕餉(ゆふげ)の半といふ諺あり。蝙蝠(かはほり)をなおそれそ。かなたこなたへ飛びめぐれど、入るものにはあらず。神の子と共に熟寐(うまひ)せよ」 斯く云ひ畢りて、をぢは戶を鎖ぢて去りぬ。 をぢの部屋には、久しく立ち働く音、聞えしが、今は、人あまた集へりと覺しく、さまざまの聲して、戶の隙よりは光もさしたり。部屋のさまは見まほしけれど、枯れたる玉蜀黍の莢のさわさわと鳴らば、おそろしきをぢの、又、入來ることもやと、いと徐に起き上りて、戶の隙に目をさし寄せつ。燈心は二すぢともに燃えたり。卓には麺包(パン)あり、莱菔(だいこん)あり。一瓶の酒を置いて、丐兒(かたゐ)、あまた杯のとりやりす。一人として畸形(かたは)ならぬはなし。いつもの顏色には似もやらねど、知らぬものにはあらず。晝はモンテ・ピンチヨオの草を褥(しとね)とし、繃帶(はうたい)したる頭を木の幹によせかけ、僅に唇を搖(うごか)すのみにて、傍に侍らせたる妻といふ女に「熱にて死に垂(なんなん)としたる我夫を憐み給へ」といはせたるロレンツオは、高趺(たかあぐら)かきて面白げに饒舌(しやべ)り立てたり。(モンテ・ピンチヨオには公園あり。西班牙(スパニヤ)磴、法蘭西(フランス)大學院よりポルタ・デル・ポヽロに至る。羅馬の市の過半とヰルラ・ボルゲエゼの内苑とはこゝより見ゆ。)十指墮ちたるフランチアは、盲婦カテリナが肩を叩きて、「カワリエエレ・トルキノ」の曲を歌へり。戶に近き二人三人は蔭になりて見えわかず。話は我上なり。我胸は騷ぎ立ちぬ。 「あの小童(こわつぱ)、物の用に立つべきか、身内に何の畸形(かたは)なるところかある」 と一人云へば、をぢ答へて、 「聖母は、無慈悲にも創一つなく育たせしに、丈(たけ)伸びて美しければ、貴族の子かとおもはるゝ程なり」 といふ。 「幸なきことよ」 と皆口々に笑ひぬ。 瞽(めしひ)たるカテリナのいふやう、 「さりとて、聖母の天上の飯を賜ふまでは、此世の飯をもらふすべなくては叶はず。手にもあれ、足にもあれ、人の目に立つべき創つけて、我等が羣に入れよ」 といふ。 をぢ、 「否々、母親だに迂闊ならずば、今日を待たず善き金の蔓となすべかりしものを。神の使のやうなる善き聲なり。法皇の伶人には恰好なる童なり」 人々は我齡を算へ、我がために作さでかなはぬ事を商量(さうだん)したり。その何事なるかは知らねど、善きことにはあらず。奈何(いかに)してこゝをば逭(のが)れむ。われは、穉心に、あらん限りの智慧を絞り出しつ。固より、いづこをさして往かんと迄は一たびも思ひ計らざりき。鋪板(ゆくわ)を這ひて窗の下にいたり、木片(きのきれ)ありしを踏臺にして窗に上りぬ。家は、皆戶を閉ぢたり。街には人行絕えたり。逭るゝには飛びおるゝより外に道なし。されど、それも恐ろし。とつおいつする折しも、この挾き閒の戶ざしに手を掛くる如き音したれば、覺えず窗緣(まどぶち)をすべりおちて、石垣づたひに地に墜ちぬ。身は少し痛みしが、幸にこゝは草の上なりき。 跳ね起きて、いづくを宛ともなく狹く曲りたる巷を走りぬ。途にて逢ひたるは、杖もて敷石を敲(たゝ)き、高聲にて歌ふ男一人のみなりき。しばらくして廣きところに出でぬ。こゝは見覺あるフオヽルム・ロマアヌムなりき。常は「牛市」と呼ぶところなり。
露宿
月あきらかなれば、物として見えぬはなし。遠き方より人の來り近づくあり。若し我を索むるものならば奈何せん。われは巨巖の如くに我前に在るコリゼエオ(コロセウム)に匿(かく)れたり。われは、猶きのふ落(らく)したる如き、重廊の上に立てり。こゝは暗くして且冷なり。われは二あし三あし進み入りぬ。されど、谺響(こだま)にひゞく足音(あのと)おそろしければ、徐に步を運びたり。先の方には焚火する人あり。三人の形、明に見ゆ。寂しきカムパニアの野邊を夜更けては過ぎじとて、こゝに宿りし農夫にやあらん。さらずば、こゝを戍(まも)る兵土にや。はた、盜(ぬすびと)にや。さおもへば、打物(兵器)の石に觸るゝ音も聞ゆる如し。われは卻步(あとじさり)して、高き圓柱(まろばしら)の上に、木梢(こずゑ)と蔦蘿(つたかづら)とのおほひをなしたるところに出でぬ。石がきの面をば、あやしき影往來す。處々に抽け出でたる截石(きりいし)の將に墜んとして僅に懸りたるさま、唯だ蔓草(つるくさ)にのみ支へられたるかと疑はる。 上の方なる中の廊(わたどの)を行く人あり。旅人の、此古蹟の月を見んとて來ぬるなるべし。その一羣(ひとむれ)のうちには白き衣着たる婦人あり。案内者に續松(ついまつ)とらせて行きつゝ、柱しげき閒に、忽ち顯(あらは)れ、忽ち隱るゝ光景、今も見ゆらん心地す。 暗碧なる夜は大地を覆ひ來たり。高低さまざまなる木は天鵝絨(びらうど)の如き色に見ゆ。一葉ごとに夜氣を吐けり。旅人のかへり行くあとを見送りて、ついまつの赤き光さへ見えずなりぬる時、あたりは闃(げき)として物音絕えたり。 この遺址(ゐし)のうちには、耶蘇敎徒が立てたる木卓あまたあり。その一つの片かげに、柱頭ありて草に埋(うづ)もれたれば、われはこれに腰掛けつ。石は氷の如く冷なるに、我頭の熱さは熱を病むが如くなりき。寐(ゐね)られぬまゝに思ひ出づるは、このコリゼエオの昔語なり。猶太(ユダヤ)敎奉ずる囚人(とらはれびと)が、羅馬の帝の嚴しき仰によりて、大石を引き上げさせられしこと。この平地にて獸を鬪はせ、又、人と獸と相搏(う)たせて、前低く後高き廊の上より、あまたの市民これを觀きといふ事。皆、我當時の心頭に上りぬ。
頭の上にあたりて物音こそすれ。見あぐれば、物の動くやうにこそおもはるれ。影の如き人ありて、椎(つち)を揮(ふる)ひ、石をたゝむが如し。その人を見れば、色蒼ざめて黑き髯長く生ひたり。これ、話に聞きし猶太敎徒なるべし。積み疊ぬる石は、見る見る高くなりぬ。コリゼエオは、再び昔のさまに立ちて、幾千萬とも知られぬ人、これに滿ちたり。長き白き衣着たるヱスタの神の巫女あり。帝王の座も設けられたり。赤條々(あかはだか)なる力士(グラディアトーレ)の、血を流せるあり。低き廊の方より叫ぶ聲、吼(ほ)ゆる聲、聞ゆ。忽ち虎豹の羣ありて、我前を奔(はし)り過ぐ。我は、その血ばしる眼を見、その熱き息に觸れたり。あまりのおそろしさに、かの柱頭にひたと抱きつきて聖母の御名をとなふれども、物騷がしさは未だ止まず。この怪しき物共の羣(むらが)りたる閒にも、幸なるかな、大なる十字架の屹(きつ)として立てるあり。こは、わがこゝを過ぐるごとに接吻したるものなり。これを目當に走り寄りて、緊(しか)と抱きつくほどに、石落ち、柱倒れ、人も獸もあらずなりて、我は復た人事をしらず。 人心地つきたる時は、熱すでに退きたれど、身は尚いたく疲れて、われは、かの木づくりの十字架の下に臥したり。 あたりを見るに怪しき事もなし。夜は靜にして、高き石垣の上には鶯(ナイチンゲール)鳴けり。われは耶蘇をおもひ、その母をおもひぬ。わが母上は、今あらねば、これよりは耶蘇の母ぞ我母なるべき。われは十字架を抱きて、その柱に頭を寄せて眠りぬ。
わかれ
われは、いかに答へしか知らず。されど、ペツポのをぢの恐ろしさを聞きたるのみにて、僧は我上を推し得たり。我は衣の袖に縋りて「我を見棄て給ふな」 と願ひぬ。 連なる僧も、われをあはれと思へる如し。かれ等は皆我を知れり。われは、その部屋をおとづれ、彼等と共に寺にて歌ひしことあり。 僧は我を伴ひて寺に歸りぬ。壁に木板の畫を貼(てう)したる房に入り、檸檬(リモネ)樹の枝さし入れたる窗を見て、われは、きのふの苦を忘れぬ。フラア・マルチノは我を「ペツポが許へは還さじ」 と誓ひ給へり。 同寮の僧にも、 「このちごをば、蹇(あしな)へたる丐兒(かたゐ)にわたされず」 とのたまふを聞きつ。 午のころ、僧は莱菔(あほね)、麪包(パン)、葡萄酒を取り來りて我に飮啖(いんたん)せしめ、さて、容(かたち)を正していふやう、 「便なき童よ。母だに世にあらば、この別はあるまじきを。母だに世にあらば、この寺の内にありて尊き御蔭を被り、安らかに人となるべかりしを。今は是非なき事となりぬ。そちは波風荒き海に浮ばんとす。寄るところは一ひらの板のみ。血を流し給へる耶蘇、淚を墮し給ふ聖母をな忘れそ。汝が族(うから)といふものは、その外にあらじかし。」 此詞を聞きて、われは身を震はせ、 「さらば、我をばいづかたにか遣らんとし給ふ」 と問ひぬ。 これより僧は、われをカムパニアの野なる牧者夫婦にあづくること、二人をば父母の如く敬ふべき事、かねて敎へおきし祈祷の詞を忘るべからざる事など語り出でぬ。 夕暮に、マリウチアと其父とは寺門迄迎へに來ぬ。僧は、われを伴ひ出でゝ引き渡しつ。この牧者のさまを見るに、衣はペツポのをぢのより舊(ふ)りたるべし。塵を蒙り、裂けやぶれたる皮靴を穿(は)き、膝を露し、野の花を揷したる尖帽を戴けり。かれは跪きて僧の手に接吻し、我を顧みて、 「かゝる美しき童なれば、我のみかは妻も喜びてもり育てん」 と誓ひぬ。 マリウチアは、財嚢(かねいれ)を父にわたしつ。われ等四人はこれより寺に入りて、人々皆默祷す。われも共に跪きしが、祈祷の詞は出でざりき。我眼は久しき馴染の諸像を見たり。戶の上高きところを舟に乘りてゆき給ふ耶蘇、贄卓(にへづくゑ)の神の使、美しきミケルはいふもさらなり、蔦かづらの環を戴きたる髑髏にも暇乞しつ。別に臨みて、フラア・マルチノは手を我頭上に加へ、『晚餐式施行法』(モオドオ・ヂ・セルヰレ・ラ・サンクタ・メツサア)と題したる、繪入の小册子を贈りぬ。 旣に別れて、ピアツツア・バルベリイニの街を過ぐとて、仰いで母上の住み給ひし家をみれば、窗といふ窗、悉く開け放たれたり。新しきあるじを待つにやあらん。
第5章 足の下なるは丈低く黃なる草、身のめぐりなるは莖長く枯れたる薊のみ。十字架の側を過ぐ。こは人の殺されたるあとに立てしなり。架(か)に近きところには、盜人の屍の切り碎きて棄てたるなり。隻腕(かたうで)、隻脚、猶その形を存じたり。それさへ心を寒からしむるに、我栖(すみくわ)は、こゝより遠からずとぞいふなる。 此家は古の墳墓の址なり。この類の穴こゝら(多く)あれば、牧者となるもの、大抵これに住みて、身を戍(まも)るにも、又、身を安んずるにも、事足れりとおもへるなり。用なき窪をば填(う)め、いらぬ罅(すきま)をば塞ぎ、上に草を葺けば、家すでに成れり。我牧者の家は、丘の上にありて兩層あり。隘(せば)き戶口なるコリントスがたの柱は、當初墳墓を築きしときの面影なるべし。石垣の閒なる、幅廣き三條の柱は、後の修繕ならん。おもふに、中古は砦にやしたりけん。戶口の上に穴あり。これ窗なるべし。屋根の半は、葦簾(よしすだれ)に枯枝をまじへて葺き、半は、又、枝さしかはしたる古木をその儘に用ゐたるが、その梢よりは忍冬(にんだう、カプリフオリウム)の蔓、長く垂れて石垣にかゝりたり。 「こゝが家ぞ」 と、途すがら一言も物いはざりしベネデツトオ告げぬ。 われは怪しげなる家を望み、またかの盜人の屍をかへり見て、 「こゝに住むことか」 と問ひかへしつ。 翁に、 「ドメニカ、ドメニカ」 と呼ばれて、荒栲(あらたへ)の汗衫(はだぎ)ひとつ着たる媼、出でぬ。 手足をばことごとく露して、髮をばふり亂したり。媼は我を抱き寄せて、あまたゝび接吻す。夫の詞少きとはうらうへにて、この媼はめづらしき饒舌なり。 「そなたは薊生ふる沙原(すなはら)より、われ等に授けられたるイスマエル(亞伯拉罕(アブラハム)の子。)なるぞ。されど、わが饗應(もてなし)には足らぬことあらせじ。天上なる聖母に代りて、われ汝を育つべし。臥牀(ふしど)は、すでにこしらへ置きぬ。豆も烹えたるべし。ベネデツトオも、そなたも、食卓に就け。マリウチアは、ともに來ざりしか。尊き爺(てゝ、法皇)を拜まざりしか。醃豚(ラカン)をば忘れざりしならん。眞鍮の鉤(かぎ)をも。新しき聖母の像をも。舊きをば最早形見えわかぬ迄接吻したり。ベネデツトオよ、おん身ほど物覺好(よ)き人はあらじ。わがかはゆきベネデツトオよ」 かく語りつゞけて、狹き一閒に伴ひ入りぬ。後にはこの一閒わがためにはワチカアノ(法皇の宮)の廣閒の如く思はれぬ。おもふに我詩才を產み出ししは此ひとつ家ならんか。若き棕櫚(しゆろ)は、重を負ふこといよいよ大にして長ずることいよいよ早しといふ。我空想も亦この狹き處にとぢ込められて卻(かへ)りて大に發達せしならん。古の墳墓の常とて此家には中央なる廣閒あり。そのめぐりには、許多の小龕(せうぐわん)竝びたり。又、二重の幅闊(ひろ)き棚あり。處々色かはりたる石を甃(たゝ)みて紋を成せり。一つの龕(ほくら)をば食堂とし、一つには壺鉢(つぼはち)などを藏し、一つをば廚となして豆を煮たり。 老夫婦は祈祷して卓に就けり。食畢りて、媼は我を牽きて梯を登り、二階なる二龕(ぐわん)にいたりぬ。是れわれ等三人の臥房(ねべや)なり。わが龕(ほくら)は戶口の向ひにて、戶口よりは最も遠きところにあり。臥牀の側には二條の木を交叉(くひちが)はせて、其閒に布を張り、これにをさな子一人寐せたり。マリウチアが子なるべし。媼が我に「アヱ・マリア」唱へしむるとき、美しき色澤(いろつや)ある蜥蝪(とかげ)、我が側を走り過ぎぬ。 「おそろしき物にはあらず。人をおそれこそすれ、絕てものそこなふものにはあらず」 と云ひつゝかの穉兒をおのが龕(ほくら)のかたへ遷(うつ)しつ。 壁に石一つ抽け落ちたるところあり。こゝより靑空見ゆ。黑き蔦の葉の、鳥なんどの如く、風に搖らるゝも見ゆ。我は、十字を切りて眠に就きぬ。亡き母上、聖母、刑せられたる盜人の手足、皆わが怪しき夢に入りぬ。 翌朝より雨ふりつゞきて、戶は開けたれど、いと闇き小部屋に籠り居たり。わが帆木綿(ほもめん)の上なる穉子をゆすぶる傍にて、媼は、苧(からむし)うみつゝ、我に新しき祈祷を敎へ、まだ聞かぬ聖の上を語り、また、この野邊に出づる劫盜(おひはぎ)の事を話せり。劫盜は旅人を覗(うかご)ふのみにて、牧者の家抔(など)へは來ることなしとぞ。食は葱、麺包(パン)などなり。皆旨し。されど、一閒にのみ籠り居らんこと物憂きに堪へねば、媼は我を慰めんとて、戶の前に小溝を掘りたり。この小テヱエル河は、をやみなき雨に黃なる流となりて、いと緩やかにながるめり。さて、木を刻み、葦を截(き)りて作りたるは、羅馬よりオスチア(テヱエル河口の港。)にかよふなる帆かけ舟なり。雨あまり劇しきときは、戶をさして闇黑裡に坐し、媼は苧をうみ、われは羅馬なる寺のさまを思へり。舟に乘りたる耶蘇は、今面前に見ゆる心地す。聖母の雲に駕(の)りて、神の使の童供に舁(か)かせ給ふも見ゆ。環かざりしたる髑髏(されかうべ)も見ゆ。 雨の時過ぐれば、月を踰(こ)ゆれども曇ることなし。われは走り出でゝ遊びありくに、媼は、戒めて遠く行かしめず、又テヱエルの河近く寄らしめず。 「この岸は、土、鬆(ゆる)ければ、踏むに從ひて頽(くづ)るることあり」 といへり。 そが上、岸近きところには水牛あまたあり。こは、猛き獸にて、怒るときは人を殺すと聞く。されど、我はこの獸を見ることを好めり。蠎蛇(をろち)の、鳥を呑むときは、鳥、自ら飛びて、其咽(のんど)に入るといふ類にやあらん。この獸の赤き目には怪しき光ありて、我を引き寄せんとする如し。又、此獸の馬の如く走るさま、力を極めて相鬪ふさま、皆、わがために興ある事なりき。我は見たるところを沙(すな)に畫き、又、歌につゞりて歌ひぬ。媼は我聲のめでたきを稱へて止まず。 時は暑に向ひぬ。カムパニアの野は火の海とならんとす。瀦水(たまりみづ)は惡臭を放てり。朝夕のほかは戶外に出づべからず。かゝる苦熱はモンテ・ピンチヨオにありし身の知らざる所なり。かしこの夏をば、我、猶記(おぼ)えたり。乞兒(かたゐ)は、人に小銅貨をねだり、麪包(パン)をば買はで、氷水を飮めり。二つに割りたる大西瓜の肉赤く核(さね)黑きは、いづれの店にもありき。これをおもへば、唾(つ)湧きて堪へがたし。この野邊にては、日光ますぐに射下(さしをろ)せり。我が立てる影さへ我脚下に沒せんばかりなり。水牛は、或は死せるが如く枯草の上に臥し、或は狂せるが如く驅けめぐりたり。われは物語に聞ける亞弗利加(アフリカ)沙漠の旅人になりたらんやうにおもひき。 大海の孤舟にあるが如き念をなすこと二月閒、何の用事をも朝夕の涼しき閒に濟ませ、終日我も出でず、人も來ざりき。烘(や)く如き熱、腐りたる蒸氣の中にありて、我血は湧きかへらんとす。沼は涸れたり。テヱエルの黃なる水は生溫くなりて、眠たげに流れたり。西瓜の汁も溫し。土石の底に藏したる葡萄酒も酸(す)くして、半ば烹(に)たる如し。我喉は一滴の冷露を嘗(な)むること能はざりき。天には一纖(いつせん)雲なく、いつもおなじ碧色にて、吹く風は唯だ熱きシロツコ(東南風)のみなり。われ等は日ごとに雨を祈り、媼は、朝夕山ある方を眺めて、雲や起ると待てども甲斐なし。蔭あるは夜のみ。 涼風の少しく動くは、日出る時と日入る時とのみ。われは暑に苦み、この變化なき生活に倦(う)みて、殆ど死せる如くなりき。風、少しく動くと覺ゆるときは、蠅蚋(ぶよ)なんど羣がり來りて、人の肌を刺せり。水牛の背にも、昆蟲聚(あつま)りて寸膚を止めねば、時々怒りて、自らテヱエルの黃なる流に躍り入り、身を水底に滾(まろが)して、これを攘(はら)ひたり。羅馬の市にて、闃然(げきぜん)たる午時(ひるどき)の街を行く人は、綫(すぢ)の如き陰影を求めて夏日の烈しきをかこつと雖(いへども)、これをこの火の海にたゞよひ、硫黃氣ある毒燄を呼吸し、幾萬とも知られぬ惡蟲に膚を噛まるゝものに比ぶれば、猶是れ樂土の客ならんかし。 九月になりて、氣候やゝ溫和になりぬ。フエデリゴはこの燒原を畫かんとて來ぬ。我が住める怪しき家、劫盜(おひはぎ)の屍(かばね)をさらしたる處、おそろしき水牛、皆其筆に上りぬ。我には紙筆を與へて畫の稽古せよと勸め、又、折もあらば迎へに來て、フラア・マルチノ、マリウチア其外の人々に逢はせばやと契りおきぬ。惜むらくはこの人、久しく約を履まざりき。 水牛 * 十一月になりぬ。こゝに來しより最(いと)快き時節なり。爽なる風は山々よりおろし來ぬ。夕暮になれば南の國ならでは無しといふ、たゞならぬ雲の色、目を驚かすやうなり。こは畫工のえうつさぬところなるべく、また敢て寫さぬものなるべし。あめ色の地に、橄欖(オリーブ)の如く緑なる色の雲あるをば、樂土の苑囿(ゑんいう)に湧き出でたる山かと疑ひぬ。又、夕映(ゆふばゑ)の赤きところに暗碧(あんぺき)なる雲の浮べるをば、天人の居る山の松林ならんと思ひて、そこの谷かげには美しき神の童あまた休みゐ、白き翼を扇の如くつかひて、みづから涼を取るらんとおもひやりぬ。或日の夕ぐれ、いつもの如く夢ごゝろになりてゐたるが、ふと思ひ付きて、鍼(はり)もて穿(うが)ちたる紙片を目にあて太陽を覗きはじめつ。ドメニカこれを見つけて、 「そは、目を傷(そこな)ふわざぞ」 とて、日の見えぬやうに戶をさしつ。 われ無事に苦みて、外に出でゝ遊ばんことを請ひ、許をえたる嬉しさに、門のかたへ走りゆき、戶を推し開きつ。その時、一人の男、遽(あはた)だしく驅け入りて、門口(かどぐち)に立ちたる我を撞(つ)きまろばし、扉をはたと閉ぢたり。われは此人の蒼ざめたる面を見、その震ふ唇より洩れたる、 「マドンナ(聖母)!」 といふ一聲を聞きも果てぬに、おそろしき勢にて外より戶を衝(つ)くものあり。 裂け飛んだる板は、我頭(わがかうべ)に觸れんとせり。その時、戶口を塞(ふさ)ぎたるは血ばしる眼(まなこ)を我等に注ぎたる水牛の頭なりき。 ドメニカは、「あ!」と叫びて我手を握り、上の閒にゆく梯を二足三足のぼりぬ。 逃げ込みたる男は、あたりを見𢌞はし、ベネデツトオが銃の壁に掛かりたるを見出しつ。こは、賊なんどの入らん折の備にとて丸(たま)をこめおきたるなり。男は手早く銃を取りぬ。耳を貫く響と共に、烟は狹き家に滿ちわたれり。われは、彼男の烟の中にて銃把を擧げて水牛の額を擊つを見たり。獸は隘(せば)き戶口にはさまりて、前にも後にもえ動かざりしなり。 「こは何事をかし給ふ。君は物の命を取り給ひぬ」 この詞は、ドメニカが纔(わづか)にわれにかへりたる口より出でぬ。 かの男、 「否、聖母の惠なりき。我等が命を拾ひぬ、とこそおもへ」 さて、我を抱き上げて、 「されど、わがために戶を開きしは、この恩人なり」 といひき。 男の面は、猶蒼く、額の汗は玉をなしたり。 その語を聞くに、外國人(とつくにびと)にあらず。その衣を見るに、羅馬の貴人(あてびと)とおぼし。この人、草木の花を愛づる癖あり。けふも採集に出でゝポンテ・モルレにて車を下り、テヱエル河に沿ひてこなたへ來しに、圖らずも水牛の羣にあひぬ。その一つ、いかなる故にか羣を離れて衝(つ)き來たりしが、幸に、この家の戶開きて危き難を免れきとなり。ドメニカ聞きて、 「さらば、おん身を救ひしは疑もなく聖母のおんしわざなり。この童は聖母の愛でさせ給ふものなれば、それに戶をば開かせ給ひしなり。おん身は、まだ此童を識り給はず。物讀むことには長けたれば、書きたるをも、印したるをも、え讀まずといふことなし。畫かくことを善くして、いかなる形のものをも、明にそれと見ゆるやうに寫せり。ピエトロ寺の塔をも、水牛をも、肥えふとりたるパアテル・アムブロジオ(僧の名)をもゑがきぬ。聲は、類なくめでたし。おん身にかれが歌ふを聞かせまほし。法皇の伶人もこれには優らざるべし。そが上に、性(さが)すなほなる兒なり。善き兒なり。子供には譽めて聞かすること宜しからねば、その外をば申さず。されど、この子は譽められても好き子なり」 といふ。 客、 「この子の穉きを見れば、おん身の腹にはあらざるべし」 ドメニカ、 「否、老いたる無花果(いちじゆく)の木には、かかる芽は出でぬものなり。されど、此世には、この子の親といふもの、われとベネデツトオとの外あらず。いかに貧くなりても、これをば育てむと思ひ侍り。そは、兎(と)まれ角(かく)まれ、この獸をばいかにせん。(頭より血流るゝ水牛の角を握りて)戶口に挾まりたれば、たやすく動くべくもあらず。ベネデツトオの歸るまでは外に出でんやうなし。こを殺しつとて咎めらるゝことあらば、いかにすべき」 客、 「そは心安かれ。あるじの老女(をうな)も聞きしことあるべきが、われはボルゲエゼの族(うから)なり」 媼、 「いかでか」 と答へて衣に接吻せんとせしに、客はその手をさし出して吸はせ、さて我手を兩の掌の閒に挾みて媼にいふやう、 「あすは、此子を伴ひて羅馬に來よ。われはボルゲエゼの館に住めり」 ドメニカは、「忝(かたじけな)し」とて淚を流しつ。 ドメニカは、わが日ごろ書き棄てたる反古(ほご)あまた取り出でゝ客に示しゝに、客は我頬を撫で、 「小きサルワトル・ロオザ(名高き畫工)よ」 と讚め稱へぬ。 媼、 「まことに宣ふ如し。穉きものゝ業としては珍しくは候はずや。それそれの形、明に備はりたり。この水牛を見給へ。この舟を見給へ。こは、また我等の住める小家なり。こは、我姿を寫したるなり。鉛筆なれば色こそ異なれ、わが姿のその儘ならずや」 又、我に向ひて、 「何にもあれ、この御方に歌ひて聞せよ。自ら作りて歌ふが好し。この童は、長き物語、こまやかなる法話をさへ、歌に作りて歌ひ侍り。年長けたる僧にも劣らじと覺ゆ」 客は、我等二人のさまを見ておもしろがり、我には、「疾く歌ひて聞せよ」と勸めつ。 われは、常の如く、遠慮なく歌ひぬ。媼は、常の如くほめそやしつ。されど、其歌をば記憶せず。唯だ聖母、貴き客人(まらうど)、水牛の三つをくりかへしたるをば未だ忘れず。客は默坐して聽きゐたり。媼はそのさまを見て、童の才に驚きて詞なきならんと推し量(はか)りつ。 歌ひ畢りしとき、客は口を開きていふやう、 「さらば、明日疾くその子を伴ひ來よ。否、夕暮のかたよろしからん。「アヱ・マリア」の鐘鳴る時より一時ばかり早く來よ。さて、我は最早退(まか)るべきが、いづくよりか出づべき。水牛の塞ぎたる口の外、この家には口はなきか。又こゝを出でゝ車まで行かんに、水牛に追はるゝやうなる虞(おそれ)なからしめんには、いかにして好(よ)かるべきか」 媼、 「かしこの壁に穴ありて、それより這ひ出づるときは石垣も高からねば、すべりおりんこと難からず。わが如き老いたるものも、かしこより出入すべく覺え侍り。されど、貴きおん方を案内しまゐらすべき口にはあらず」 客は、聞きも果てず、梯を上りて、穴より頭(かしら)を出し、外の方を覗きていふやう、 「否、善き降口なり。カピトリウムに降りゆく階段にも讓らず。水牛の羣は河のかたに遠ざかりぬ。道には眠たげなる百姓、あまた籘(たう)の束積みたる車を馬に引かせて行けり。あの車に沿ひゆかば、また水牛に襲はるとも身を匿(かく)すに便よからん」 かく見定めて、客は媼に手を吸はせ、わが頬を撫で、再びあすの事を契りおきて、茂れる蔦かづらの閒をすべりおりぬ。われは窗より見送りしが、客は閒もなく籘の車に追ひすがりて、百姓の羣と倶に見えずなりぬ。
第6章 カムパニアの野道の遠かりしことよ。その照る日の烈しかりしことよ。ポヽロの廣こうぢに出でゝ、記念塔のめぐりなる、石獅(せきし)の口より吐ける水を掬(むす)びて、我、涸れたる咽を潤しゝが、その味は人となりて後「フアレルナ」、「チプリイ」の酒なんどを飮みたるにも增して旨かりき。 (北より羅馬に入るものはポルタア・デル・ポヽロの關を入りて、ピアツツア・デル・ポヽロといふ美しく大なる廣こうぢに出づ。この廣こうぢはテヱエル河とピンチヨオ山との閒にあり。兩側にはいとすぎ、亞刺比亞護謨(アラビアゴム)の木(アカチア)茂りあひて、その下かげに今樣なる石像、噴水などあり。中央には四つの石獅に圍まれたるセソストリス時代の記念塔あり。前には三條の直道あり。卽ちヰア・バブヰノ、イル・コルソオ、ヰア・リペツタなり。イル・コルソオの兩角をなしたるは、同じ式に建てたる兩伽藍なり。歐羅巴(ヨオロツパ)に都會多しと雖、古羅馬のピアツツア・デル・ポヽロほど晴やかなるはあらじ。) 我は、熱き頬を獅子の口に押し當て、水を頭に被りぬ。衣や潤はん、髮や亂れん、とドメニカは氣遣ひぬ。ヰア・リペツタを下りゆきて、ボルゲエゼの館に近づきぬ。我もドメニカも此館の前をば幾度となく過(よぎ)りしかど、けふ迄は心とめて見しことなし。今步を停めて仰ぎ見れば、その大さ、その豐さ、その美しさ、譬(たと)へんに物なしと覺えき。殊に目を駭(をどろ)かせるは、窗の裡なる長き絹の帷(とばり)なり。あの内にいます君は、いま我等が識る人となりぬ。きのふその君の我家に來給ひし如く、いま我等はそのみたちに入らんとす。斯く思へば嬉しさいかばかりならん。 中庭、部屋々々を見しとき、身の震ひたるをば、われ決して忘れざるべし。あるじの君は我に親し。彼も人なり。我も人なり。然はあれど、この家居(いゑゐ)のさまこそ譬へても言はれね。聖と世の常の人との別もかくやあらん。方形をなして、いろいろなる全身像、半身像を据ゑつけたる、白塗の𢌞廊のいと高きが、小き園を繞(めぐ)れるあり。(後にはこゝに瓦を敷きて中庭とせり。)高き蘆薈(ろくわい、アロエ)、霸王樹(はわうじゆ、サボテン)なんど、廊の柱に攀ぢんとす。檸檬樹(リモネ)は、まだ日の光に黃金色に染められざる、緑の實を垂れたり。希臘(ギリシヤ)の舞女の形したる像二つあり。力を併(あは)せて、金盤一つさし上げたるがその緣少しく欹(そば)だちて、水は肩に迸(ほとばし)り落ちたり。丈高く育ちたる水草ありて、露けき緑葉もてこの像を掩はんとす。烈しき日に燒かれたるカムパニアの瘠土(やせつち)に比ぶるときは、この園の涼しさ、香(かぐは)しさ奈何ぞや。 闊(ひろ)き大理石の梯を登りぬ。龕(ほくら)あまたありて、貴き石像立てり。其一つをば、ドメニカ聖母ならんと思ひ惑ひて、立ち停りてぬかづきぬ。後に聞けば、こはヱスタの像なりき。これも人閒の奇しき處女にぞありける。 (譯者のいはく、希臘の竈(かまど)の神なり。男神二人に挑まれて嫁せずして終りぬと云ひ傳ふ。) 飾美しきリフレア着たる僮(しもべ)出で迎へつ。その面持の優しさには、こゝの閒ごとの大さ、美しさかくまでならずば、我胸の躍ることさへ治(をさま)りしならん。牀は鏡の如き大理石なり。壁といふ壁には、めでたき畫を貼(てふ)したり。その閒々には、玻瓈(はり)鏡を嵌め、その上に花束、はなの環など持たる神童の飛行せるを畫きたり。又、色美しき鳥の、翼を放ちて、赤き、黃なる、さまざまの木の實を啄(ついば)めるを畫きたるあり。かく華やかなるものをば、今まで見しことあらざりき。 暫し待つほどに、あるじの君、出でましぬ。白衣(びやくえ)着たる、美しき貴婦人の、大なる敏き目(まみ)を我等に注ぎたるを、伴ひ給へり。婦人は我額(ひたい)髮を撫で上げ、銳けれども優しき目にて、我面を打ち守り、 「さなり、君を助けしは、神のみつかひなり、この見ぐるしき衣の下に、翼はかくれたるべし」 と宣ひぬ。 主人、 「否、この兒の紅なる頬を見給へ。翼の生ゆるまでにはテヱエルの河波あまた海に入るならん。母も、この兒の飛び去らんをば願はざるべし。さにあらずや。この兒を失はんことは、つらかるべし」 媼 「げにこの兒あらずなりなば、我小家の戶も窗も塞がりたるやうなる心地やせん。我小家は暗く、寂しくなるべし。否、このかはゆき兒には、われえ別れざるべし」 婦人 「されど、今宵しばらくは、別るとも好からん。二三時閒立ちて迎へに來よ。歸路は月あかゝるべし。そち達は盜(ぬすびと)を恐るゝことはあらじ」 主人、 「さなり。兒をばしばしこゝにおきて、買ふものあらば買ひもて來よ」 斯く云ひつゝ、主人は、小き財嚢(かねいれ)をドメニカが手に渡し、猶何事をか語り給ふに、我は、貴婦人に引かれて奧に入りぬ。 奧の座敷の美しさ、賓客(まらうど)の貴さに、我魂は奪はれぬ。我は、あるは壁に畫ける神童の面の、緑なる草木の閒にほゝゑめるを見、あるは日ごろ半ば神のやうにおもひし、紫の韈(くつした)穿(は)ける議官(セナトオレ)、紅の袴着たる僧官(カルヂナアレ)達を見て、おのれがかゝる閒に入り、かゝる人に交ることを訝りぬ。殊に我眼をひきしは、一閒の中央なる大水盤なり。醜き龍に騎りたる、美しきアモオルの神を据ゑたり。龍の口よりは、水高く迸(ほとばし)り出でゝ、又、盤中に落ちたり。 貴婦人の、「こは、をぢの命を救ひし兒ぞ」と引き合せ給ひしとき、賓客達は皆ほゝゑみて、我に詞を掛け、議官僧官さへ頷き給ひぬ。 法皇の禁軍(まもりのつはもの)の號衣(しるし)を着たる、少(わか)く美しき士官は、我手を握りぬ。人々さまざまの事を問ふに、我は臆することなく答へつ。その詞に、人々或は譽めそやし、或は高く笑ひぬ。主人、入り來りて、我に「歌うたへ」といふに、我は喜んで命に從ひぬ。 士官は、我に報(むくひ)せんとて、泡立てる酒を酌みてわたしゝかば、我何の心もつかで飮み乾さんとせしに、貴婦人快(はや)く傍より取り給ひぬ。我口に入りしは少許(すこしばかり)なるに、その酒は火の如く、燄(ほのほ)の如く、脈々をめぐりぬ。貴婦人はなほ我傍を離れず、笑(えみ)を含みて立ち給へり。士官我にこの御方の上を歌へと勸めしに、我、又、喜んで歌ひぬ。何事をか聯(つら)ねけん、いまは覺えず。人々はわが詞の多かりしを、才豐(ざゑゆたか)なりと稱へ、わが臆せざるを、心敏しと譽めたり。カムパニアなる貧きものゝ子なりとおもへば、世の常なる作をも、天才の爲せるわざの如く、愛でくつがへるなるべし。人々は、掌を鳴せり。士官は座の隅なる石像に戴かせたりし、美しき月桂冠を取り來りて、笑みつゝ我頭の上に安んじたり。こは、固より戲謔(ぎぎやく)に過ぎざりき。されど、わが幼き心には、其閒に眞面目なる榮譽もありと覺えられて、又なく嬉しかりき。我は尚席上にて、マリウチア、ドメニカ等に敎へられし歌をうたひ、又、曠野の中なる古墳(ふるづか)の栖家(すみか)、眼の光おそろしき水牛の事など人々に語り聞せつ。時は、惜めども、早く過ぎて、我は、媼に引かれて歸りぬ。くだもの、果子など多く賜り、白銀幾つか兜兒(かくし)にさへ入れられたるわが喜はいふもさらなり。媼は衣服、器什(きぢう)くさぐさの外、二瓶の葡萄酒をさへ購(あがなひ)ひ得て、幸ある日ぞとおもふなるべし。夜は草木の上に眠れり。されど、仰いでおほ空を見れば、皎々(かうかう)たる望月(もちづき)、黃金の船の如く、藍碧なる靑雲の海に泛(うか)びて、焦れたるカムパニアの野邊に涼をおくり降(くだ)せり。 家に還りてより、優しき貴女の姿、賑はしき拍手の聲、寤寐(ごび)の閒、斷えず耳目を往來せり。 喜ばしきは、折々我夢の現になりて、又ボルゲエゼの館に迎へらるゝ事なりき。 かの貴婦人は、わが人に殊なる性(さが)を知りておもしろがり給へば、我も亦ドメニカに對する如く、これに對して物語するやうになりぬ。貴婦人は、これを興あることに思ひて、主人の君に我上を譽め給ふ。主人の君も、我を愛し給ふ。この愛は、曩(さき)に料(はか)らずも我母上を、おのが車の轍(わだち)にかけしことありと知りてより、愈々深くなりまさりぬ。逸したる馬の母上を踏仆(ふみたふ)しゝとき、車の中に居たるは、こゝの主人の君にぞありける。 貴婦人の名をフランチエスカといふ。我を率(ゐ)て宮のうちなる畫堂に入り給ひぬ。美しき畫幀(ぐわたう)に對して、我が穉き問、癡(をろか)なる評などするを面白がりて、笑ひ給ひぬ。後人々に我詞を語りつぎ給ふごとに、人々皆聲高く笑はずといふことなし。午前は旅人この堂に滿ちたり。又、畫工の來ていろいろなる畫を寫し取れるもあり。午後になれば、堂中に人影なし。此時フランチエスカの君、我を伴ひゆきて、畫ときなどし給ふなり。 特に我心に愜(かな)ひしは、フランチエスコ・アルバニが『四季』の圖なり。「アモレツトオ」といふ者ぞ、と敎へられたる、美しき神の使の童どもは、我夢の中より生れ出でしものかと疑はる。その『春』と題したる畫の中に羣れ遊べるさまこそ愛でたけれ。童一人大なる砥(と)を運(めぐら)すあれば、一人はそれにて鏃(やぢり)を硏ぎ、外の二人は上にありて飛行しつゝも、水を砥の上に灌(そゝ)げり。『夏』の圖を見れば、童ども樹々のめぐりを飛びかひて、枝もたわゝに實りたる果を摘みとり、又、淸き流を泳ぎて、水を弄びたり。『秋』は、獵(かり)の興を寫せり。手に繼松(ついまつ)取りたる童一人小車(をぐるま)の裡に坐したるを、友なる童子二人牽き行くさまなり。愛は、この優しき獵夫(さつを)に、共に憩ふべき處を指し示せり。『冬』は、童達皆眠れり。美しき女怪水中より出でゝ、眠れる童たちの弓矢を奪ひ、火に投げ入れて焚き棄つ。 神の使の童をば、何故「アモレツトオ」(愛の神童)といふにか。そのアモレツトオは、何故箭(や)を放てる。こは、我が今少し詳(つまびらか)に知らんと願ふところなれど、フランチエスカの君は敎へ給はざりき。君の宣ふやう、 「そは文にあれば、讀みて知れかし。おほよそ文にて知らるゝことは、その外にもいと多し。されど、讀みおぼゆる初は、あまり樂しきものにはあらず。汝(そち)は、終日(ひねもす)榻(こしかけ)に坐して、文を手より藉(お)かじと心掛くべし。カムパニアの野にありて、山羊と戲れ、友達を訪はんとて走りめぐることは、叶はざるべし。そちは、何事をか望める。かのフアビアニの君のやうなる、美しき軍服に身をかためて、羽つきたる鍪(かぶと)を戴き、長き劍を佩(は)きて、法皇のみ車の傍を騎りゆかんとやおもふ。さらずば美しき畫といふ畫を、殘なく知り、はてなき世の事を悟り、我が物語りしよりも、逈(はるか)に面白き物語のあらん限を記(おぼ)えんとや思ふ」 我、 「されど、左樣なる人になりては、ドメニカが許には居られぬにや。また御館へは來られぬにや」 フランチエスカ、 「汝は、猶母の上をば忘れぬなるべし。初の栖家をも忘れぬなるべし。亡き母御にはぐゝまれ、かの栖家にありしときは、ドメニカが事をも、我上をも思はざりしならん。然るに今はドメニカと我と、そちに親きものになりぬ。この交(まじはり)もいつか更(かは)ることあらん。かく更りゆくが人の身の上ぞ」 我、 「されど、おん身は、我母上の如く果敢(はか)なくなり給ふことはあらじ」 斯く云ひて、我は淚にくれたり。 フランチエスカ、 「死にて別れずば生きながら分れんこと、すべての人の上なり。そちが我等とかく交らぬやうにならん折、そちが上の樂しく心安かれ、とおもひてこそ、我は今よりそちが發落(なりゆき)を心にかくるなれ」 我淚は、愈々繁くなりぬ。我は、いかなる故と明には知らざりしが、斯く諭されたる時、限なき幸なさを覺えき。フランチエスカは、我頬を撫でゝ我が餘りに心弱きを諫め、かくては世に立たんをり、いと便(びん)なかるべしと氣づかひ給ひぬ。この時、主人の君は曾て我頭の上に月桂冠を戴せたるフアビアニといふ士官と倶に一閒に步み入り給ひぬ。 「ボルゲエゼの別墅(べつしよ)に婚禮あり。世に罕(まれ)なるべき儀式を見よ」 この風說は或る夕カムパニアなるドメニカがあばら屋にさへ洩れ聞えぬ。フランチエスカの君は、かの士官の妻になるべき約を定めて遠からずフイレンチエなるフアビアニ家の莊園に遷(うつ)らんとす。儀式あるべき處は羅馬附近の別墅なり。檞(かしは)、いとすぎ、桂など生ひ茂りて、四時緑なる天を戴けり。昔も今も羅馬人と外國人と恆(つね)に來り遊ぶ處なり。麗しく飾りたる馬車は緑しげき檞の竝木の道を走り、白き鵝鳥(がてう)は柳の影うつれる靜けき湖を泳ぎ、機泉(しかけのいづみ)は積み累(かさ)ねたる巖の上に迸(ほとばし)り落つ。道傍(みちばた)には農家の少女ありて、鼓(タムブリノ)を打ちて舞へり。胸(乳房)ゆたかなる羅馬の女子は、燿(かゞや)く眼にこの樣を見下して車を驅(か)れり。我も、ドメニカに引かれて恩人のけふの祝に蔭ながら與らばやと、カムパニアを立出で、別墅の苑の外に來ぬ。燈の光は窗々より洩れたり。フランチエスカとフアビアニとは、彼處にて禮を卒(を)へつるなり。家の内より樂の聲、響き來ぬ。苑の芝生に設けたる棧敷(さじき)の邊より烟火空に閃き、魚の形したる火は靑天を翔りゆく。偶々とある高窗の背後に男女の影うつれり。 「あれこそ夫婦の君なれ」 とドメニカ耳語きぬ。 二人の影は、相依りて接吻する如くなりき。ドメニカは合掌して祈祷の詞を唱へつ。我も暗きいとすぎの木の下についゐて、恩人の上を神に祈りぬ。我傍なるドメニカ、 「二人の御上安かれ」 とつぶやきぬ。
かしまだち
** 「我目の明きたるうちに、おん身と此野道行かんこと、今日を限なるべし。ドメニカなどの知らぬ、滑なる牀、華やかなる氈(かも)をや、おん身が足は踏むならん。されど、おん身は優しき兒なりき。人となりても、その優しさあらば、あはれなる我等夫婦を忘れ給ふな。あはれ、今は猶果敢(はか)なき燒栗もて、おん身が心を樂ましむることを得るなり。おん身が籘を焚く火を煽(あふ)ぎ、栗のやくるを待つときは、我はおん身が目の中に神の使の面影を見ることを得るなり。かく果敢なき物にて、かく大なる樂をなすことは、おん身忘れ給ふならん。カムパニアの野には薊生ふといへど、その薊には尚紅の花咲くことあり。富貴の家なる滑なる牀には、一本(もと)の草だに生ひず。その滑なる上を行くものは蹉(つまづ)き易しと聞く。アントニオよ、一たび貧き兒となりたることを忘るな。見まくほしき物も見られず、聞かまくほしき事も聞かれざりしことを忘るな。さらば、御身は世に成りいづべし。我等夫婦の亡からん後、おん身は馬に騎り、又は車に乘りて、昔の破屋(あばらや)をおとづれ給ふこともあらん。その時は、おん身に搖(ゆ)られし籃の中なる兒は、知らぬ牧者の妻となりて、おん身が前にぬかづくならん。おん身は人に驕るやうにはなり給はじ。その時になりても、おん身は我側に坐して栗を燒き、又、籃を搖りたることを思ひ給ふならん」 言ひ畢りて、媼は我に接吻し、面を掩ひて泣きぬ。我心は鍼(はり)もて刺さるゝ如くなりき。 この時の苦しさは後の別(わかれ)の時に增したり。後の別の時には、媼は泣きつれど、何事をもいはざりき。旣に閾(しきゐ)を出でしとき、媼走り入りて、薰(くゆり)に半ば黑みたる聖母の像を扉より剥ぎ取りて贈りぬ。こは、我が屡々接吻せしものなり。まことにこの媼が我におくるべきものは、この外にはあらぬなるべし。
第7章
えせ詩人
詩といふ神のめづらしき賜につきては、われ人となりて後、屡々考へたづねしことあり。詩は深山の裏なる黃金の如くぞおもはるゝ。家庭と學校との敎育は、さかしき鑛掘(かねほり)、鑛鋳(かねふき)などのやうに、これを索め出だし、これを吹き分くるなり。折々は、初より淨き黃金にいで逢ふことあり。自然(生まれながらの)詩人が卽興の抒情詩これなり。されど、鑛山(かなやま)の出すものは黃金のみにあらず。白銀いだす脈もあり。錫その外卑き金屬を出す脈もあり。その卑きも世に益あるものにしあれば、只管(ひたすら)に言ひ腐(くた)すべきにもあらず。これを磨き、これに鏤(ちりば)むるときは、金とも銀とも見ゆることあらん。されば、世の中の詩人には、金の詩人、銀の詩人、銅の詩人、鐵の詩人などありとも謂ふことを得べし。こゝに、此列に加はるべきならぬ、埴(はに、粘土)もて物作る人ありて、强ひて自ら詩人と稱す。ハツバス・ダアダアは實にその一人なりき。 ハツバス・ダアダアは、當時一流(独特)の埴瓮(はにべ)つくりはじめて、これを氣象(感情)情致の逈(はるか)に優れたる詩人に擲(な)げ付け、自ら恥づることを知らざりき。字法句法の輕捷(けいせう)なる、體制音調の流麗なる、詩にあらねども詩とおもはれ、人々の喝采を受けたり。 平生ペトラルカを崇むも、そのソネツトオの音調のみ會し得たるにやあらん。さらずば、矮人(わゐじん)觀場なりしか。又、狂人にありといふなる固執の妄想(まうざう)か。兎まれ角まれ、ペトラルカとハツバス・ダアダアとは似もよらぬ人なるは爭ひ難かるべし。ハツバス・ダアダアは、我等にかの『亞弗利加』(アフリカ)と題したる、長き敍事詩の四分の一を諳誦せしめんとせしかば、幾行(いくかう)の淚、幾下(いくか)の鞭か、我等が世々のスチピオ(スキピオ)を怨む媒(なかだち)をなしたりけん。
我等は日ごとにペトラルカの深邃(しんすゐ)なる趣味といふことを敎へられき。ハツバス・ダアダアの云ふやう、 「膚淺(ふせん)なる詩人は水彩畫師なり。空想の子なり。凡そ世道人心に害あること、これより甚しきものあらじ。その羣にて最大なりとせらるゝダンテすら我眼より見るときは小なり。極めて小なり。ペトラルカは抒情詩の寸錦(すんきん)のみにても尚朽ちざることを得べきものなり。ダンテは不朽ならんがために、天堂、人閒、地獄をさへ擔ひ出しゝものなり。さなり。ダンテも韻語をば聯(つら)ねたり。そのバビロン(バベル)塔の如きもの、後の世に傳はりたるは、これが爲なり。されど、若しその詞だにも拉甸(ラテン)ならましかば、後の世の人せめては彼が學殖をおもひて、些の敬をば起すなるべし。さるを、彼は俚言もて歌ひぬ。ボツカチヨオの心醉せる、これを評して『獅(しゝ)の能く泳ぎ、羊の能く踏むべき波』と云ひき。我は、その深さをも、その易さをも見ること能はず。通篇、脚を立つべき底あることなし。唯だ昔と今との閒をゆきつ戾りつするを見るのみ。我が眞理の聖使たるペトラルカを見ずや。旣往の天子法皇を捉へて地獄に墮すを手柄めかすやうなる事をばなさず。その生れあひたる世に立ちて、男性のカツサンドラ(希臘の昔物語に見えたる巫女。)となり、法皇王侯の嗔(いかり)を懼(おそ)れずして預言したるは、希臘悲壯劇の中なるホロス(コーラス)の羣の如くなりき。嘗(かつ)て面(まのあた)り査列斯(チヤアルス)四世を刺(そし)りて『德の遺、傳せざるをば、汝に於いてこれを見る』と云ひき。羅馬と巴里とより月桂冠を贈らんとせしとき、ペトラルカは、敢て輙(すなは)ち受けずして、三日の考試に應じき。その謙遜なりしこと、今の兒曹(こら)も及ばざるべし。考試畢りて後、彼はカピトリウムの壇に上りぬ。拿破里(ナポリ)の王は手づから濃紫(こむらさき)の袍(はう、マント)を取りて彼が背に被(き)せき。これに月桂(ラウレオ)の環をわたしたるは羅馬の議官(セナトオレ)なりき。此の如き光榮はダンテの身を終ふるまで受くること能はざりしところなり」
ハツバス・ダアダアが講說は、いつも此の如くペトラルカを揚げ、ダンテを抑ふるより外あらざりき。この兩詩人をば、匂ふ菫花(すみれ)、燃ゆる薔薇の如く竝び立たせてもあるべきものを。ペトラルカが小抒情詩をば盡く諳んぜしめられき。ダンテが作をば生徒の目に觸れしめざりき。我は、僅に師の詞によりて、そのおもなる作は、地獄、淨火、天堂の三大段に分れたるを知れりしのみ。この分けかたは、旣に我空想を喚び起して、これを讀まんの願は我心に溢れたり。されど、ダンテは禁斷の果なり。その味は竊(ぬす)むにあらでは知るに由なし。
露肆(ほしみせ) * 或る日ピアツツア・ナヲネ(大なる廣こうぢにて、夏の頃水を湛(たた)ふることあり。)を漫步(そぞろありき)して、積み疊(かさ)ねたる柑子(かうじ)、地に委ねたる鐵の器、破衣(やれごろも)、その外いろいろの骨董を列ねたる露肆の側に古書古畫を賣るものあるを見き。こゝに卑き戲畫あれば、かしこに刄を胸に貫きたる聖母の圖あり。似も通はぬものゝ伍をなしたる中に、ふとメタスタジオが詩集一卷我目にとまりぬ。我懷には猶一パオロありき。こは半年前ボルゲエゼの君が小遣錢にせよと賜りしスクヂイの殘にて、わがためには輕んじ難き金額(かねだか)なりき。(一スクウドは約我一圓五十錢に當る。十パオリに換ふべし。一パオロは十五錢許なり。十バヨツチに換ふべし。スクウド、パオロは銀貨、バヨツチは銅貨なり。) 幾個の銅錢もて買ふべくば、この卷見逭(みのが)すべきものならねど、パオロ一つを手離さんはいと惜しとおもひぬ。價を論ずれども成らざりしかば、思ひあきらめて立ち去らんとしたる時、一書の題簽(だいせん、タイトル)に『ヂヰナ・コメヂア・ヂ・ダンテ』(『ダンテが神曲』)と云へるあるを見出しつ。嗚呼、これこそは我がために、善惡二途の知識の木になりたる禁斷の果なれ。われはメタスタジオの集を擲(なげう)ちてダンテの書を握りつ。さるに哀きかな、この果は我手の屆かぬ枝になりたり。その價は二パオリなりき。露肆の主人は一錢も引かずといふに、わが銀錢は掌中に熱すれども二つにはならず。 主人、 「こは、伊太利第一の書なり。世界第一の詩なり」 と稱へて、おのれが知りたる限のダンテの名譽を說き出しつ。ハツバス・ダアダアには無下(むげ)にいひけたれたるダンテの名譽を。 露肆の主人のいふやう、 「この卷は一葉ごとに一場の說敎なり。これを書きしは、かうがうしき預言者にて、その指すかたに向ひて往くものは、地獄の火燄を踏み破りて天堂に抵(いた)らんとす。若き華主(だんな)よ、君は、まだ此書を讀み給ひし事なきなるべし。然らずば、君一スクウドをも惜み給はぬならん。二パオリは言ふに足らざる錢なり。それにて生涯讀み厭くことなき伊太利第一の書を藏することを得給はゞ、實にこよなき幸ならずや」 嗚呼、われは三パオリをも惜まざるべし。されど、我手中にはその錢なきを奈何せん。かの伊蘇普(エソオポス)が物語に、おのがえ取らぬ架上の葡萄をば酸(す)しといひきといふ狐の事あり。われはその狐の如く、ハツバス・ダアダアに聞きたるダンテの難を囀(さへづ)り出し、その代にはいたくペトラルカを讚め稱へき。露肆の主人は、聞畢りて、 「さなり、さなり。おのれの無學なる、固より此の如き大家を囘護せん力は侍らず。されど、君もまだ歲若ければ、此の如き大家を非難すべきにあらざるべし。おのれは、え讀まぬものなり。君は未だ讀まざるものなり。されば、褒むるも貶(をと)すも遂に甲斐なき業ならずや。唯だ訝(いぶ)かしきは、君はまだ讀まぬ書をいひおとし給ふことの苛酷なることぞ」 といふ。 われは、心に慙(は)ぢて、我詞の全く師の口眞似なるを白狀したり。主人も我が樸直(すなほ)なるをや喜びけん。書を取りて我にわたしていふやう、 「好し。一パオロにて君に賣らん。その代には、早く讀み試みて本國の大詩人をあしざまに言ふことを止め給へ」
『神曲』
われは生れかはりたる如くなりき。ダンテは實にわがために新に發見したる亞米利加なりき。我空想は未だ一たびも斯く廣大に斯く豐饒(はうにやう)なる天地を望みしことなかりしなり。その岩石、何ぞ峨々(がぐわ)たる。その色彩、何ぞ奕々(えきえき、非常に美しい)たる。我は作者と共に憂へ、作者と共に樂み、作者と共に當時の生活を閲(けみ)し盡したり。地獄の關に刻めりといふ銘は全篇を讀む閒、我耳に響くこと、世の末の裁判(さばき)の時、鳴りわたるらん鐘の音の如くなりき。その銘に云(いは)く、 こゝすぎて うれへの市に こゝすぎて 歎の淵に こゝすぎて 浮ぶ時なき 羣に社(こそ) 人は入るらめ あたゝかき 情はあれど おぎろなき(広大な) 心にたづね きはみなき ちからによりて いつく(嚴)しき 法(のり)をうき世に しめさんと この關の戶を 神や据ゑけん われは、飈風(へうふう)に捲き起さるゝ沙漠の砂の如き、常に重く、又、暗き空氣を見き。われは、亡魂(なきたま)の風に向ひて叫喚するとき、秋深き木葉の如く墜ちゆく亞當(アダム)が族(やから)を見き。而れども、言語の未だ血肉とならざりし世(キリスト以前)にありし靈魂の王たる人々のこゝにあるを見るに迨(およ)びて、我眼は千行(ちすぢ)の淚を流しつ。ホメロス、ソクラテエス、ブルツス(ブルータス)、ヰルギリウス、これ皆、永く樂土の門に入ること能はずして、こゝに留りたるものなりき。ダンテが筆は此等の人に地獄といふに負(そむ)かざらん限の安さ樂しさを與へたれど、そのこゝにあるは、呵責(かしやく)ならぬ苦、希望なき恨にして、長く浮ぶ瀨なき罪人の陷いるなる毒泡(どくはう)迸(ほとばし)り、瘴烟(せうゑん)立てる深き池沼に圍まれたる、大牢獄の裡(うち)なること、よその罪人に殊ならず。われはこれを讀みて、平(たひらか)なること能はざりき。基督の、一たび地獄に降(くだ)りて、又、主の傍に昇りしとき、彼は何故にこゝの谿閒(たにま)の人々を隨へゆかざりしか。彼は當時同じ不幸にあへるものに同じ憐を垂れざることを得たりしか。われは讀むところの詩なるを忘れつ。沸きかへる膠(にべ)の海より聞ゆる苦痛の聲は我胸を衝(つ)きたり。われはシモニスト(裏切り僧)の羣を見き。その浮き出でゝは鬼の持てる銳き鐵搭(くまで)にかけられて、又、沈めらるゝを見き。ダンテが敍事の生けるが如きために、其狀(さま)深くも我心に彫(ゑ)りつけられたるにや。晝(ひる)は我念頭に上り、夜は我夢中に入りぬ。我囈語(うはごと)の閒には、屡々「パペ・サタン・アレツプ・サタン・パペ」といふ詞聞えぬ。こは、わが讀みたる神曲の文なるを、同房の書生は、さりとも知らねば、我魂(たま)まことに惡魔に責められたるかと疑ひ惑ひぬ。 敎場に出でゝも我心は課程に在らざりき。師の聲にて、 「アントニオよ、又、何事をか夢みたる」 と問はるゝ每に、われは、且恐れ、且恥ぢたり。 されど、この儘(まゝ)に神曲を擲(なげう)たんことは、わがなすこと能はざるところなりき。 我が暮らす日の長く、又、重きことは、ダンテが地獄にて負心(ふしん)の人(偽善者)の被るといふ鍍金(めつき)したる鉛の上衣の如くなりき。夜に入れば、又、我禁斷の果に匍(は)ひ寄りて、その惡鬼に我妄想の罪を數(せ)めらる。かの人を螫(さ)しては燄(ほのほ)に入り、一たびは烟(けぶり)となれど、又フヨニツクス(自ら焚やけて後、再び灰より生るゝ怪鳥。)の如く生れ出でゝ毒を吐き、人を傷(やぶ)るといふ蛇の刺(はり)をばわれ自ら我膚(はだゑ)の上に受くと覺えき。 わが夢中に「地獄」と呼び、「罪人」と叫ぶを聞きて、同房の書生は驚き醒むることしばしばなりき。或る朝、老僧の舍監を勤むるが、我臥牀(ふしど)の前に來しに、われ眠れるまゝに眼を睜(みひら)き、「おのれ魔王」と叫びもあへず、半ば身を起してこれに抱きつき、暫し角力(すま)ひ(争ひ)て、又、枕に就きしことあり。 わがよなよな惡魔に責めらるといふ噂は、やうやう高くなりぬ。我牀には呪水(聖水)を灑(そゝ)ぎぬ。わが眠に就くときは、僧來りて祈祷を勸めたり。此處置は益々我心を妥(をだやか)ならざらしめき。囈語(うはごと)の由りて出づるところは、われ自ら知れり。これを隱して人を欺くことの快からぬために我血はいよいよ騷ぎ立ちぬ。數日の後、反動の期至り、我心は風の吹き荒れたる迹の如くなりぬ。
吾友なる貴公子
「あはれ、福(さいはひ)の神は直(すぐ)なるピニヨロの木を顧みで、珠(たま)を朽木に抛(な)げ與へしよ」 抔(など)いひぬ。 ベルナルドオは、羅馬の議官(セナトオレ)の甥にて、その家、富みさかえたればなるべし。 ベルナルドオは、何事につけても人に殊なる見(けん)を立て、これを同學のものに說き聞かせて、その聽かざるものをば拳もて制しつれば、いつも級中にて出色の人物ともてはやされき。彼と我とは性質(さが)太(いた)く異なるに、彼は能く我に親みき。唯だわがあまりに爭ふ心に乏きをば、ベルナルドオ、嘲り笑ひぬ。 或時、ベルナルドオの我にいふやう、 「われ、若し我拳の一たび爾(なんぢ)を怒らしむるを知らば、われは必ず爾を打つべし。汝は人に本性を見するときなきか。わが汝を嘲るとき、汝は何故に拳を揮(ふる)ひて我面を撲たんとせざる。その時こそ、我は汝がまことの友となるならめ。されど、今は、われ、この望を絕ちたり」 といひき。 わがダンテの熱の少しく平らぎたる頃なりき。ひと日ベルナルドオは我前なる卓に腰掛けて、しばし故ありげなる笑(ゑみ)をもらしつゝ我顏を見つめ居たるが、忽ち我にいふやう、 「汝は我にもまして橫着なる男なり。善くも狂言して人を欺くことよ。牀は呪水に濡らされ、身は護摩(ごま)の煙に薰(いぶ)さるゝは、これがために非ずや。我、知らじとやおもふ、汝はダンテを讀みたるを」 血は我頬に上りぬ。われは、 「爭(いか)でか、さる禁を犯すべき」 と答へき。 ベルナルドオのいはく、 「汝が昨夜物語りし惡魔の事は、全く『神曲』の中なる惡魔ならずや。汝が空想はゆたかなれば、わが說くを厭(あ)かず聽くならん。地獄に火燄(かゑん)の海、瘴霧(せうむ)の沼あるは、汝が早くより知るところならん。されど、地獄には、又、深き底まで凍りたる海あり。その中に閉ぢられたる亡者も、亦、少からず。その底にゆきて見れば、恩に負(そむ)きし惡人ども集りたり。ルチフエエル(魔王、サタン)も、神に背きし報にて胸を氷にとぢられたるが、その大いなる口をば開きたり。その口に墮ちたるは、ブルツス、カツシウス、ユダス・イスカリオツトなり。中にも、ユダス・イスカリオツトは、魔王が蝙蝠(かはほり)の如き翼を振ふ隙(ひま)に、早く半身を喉の裡に沒したり。このルチフエエルが姿をば一たび見つるもの、忘るゝことなし。われもダンテが詩にて彼奴(かやつ)と相識(ちかづき)になりたるが、汝はよべの囈語(うはごと)に、その魔王の狀を詳(つばら)に我に語りぬ。その時、われは今の如く『汝は、ダンテを讀みたるか』と問ひぬ。夢中の汝は、今より直(すなほ)にて我に眞を打ち明け、ハツバス・ダアダアが事をさへ語り出でぬ。何故に覺めたる後には我を隔てんとする。我は汝が祕事を人に告ぐるものにあらず。汝が禁を犯したるは汝が身に取りて譽となすべき事なり。我は久しく汝が上にかゝることあらんを望みき。されど、彼書(かのふみ)をば汝何處(いづく)にてか獲つる。我も、一部を藏したれば、汝若し蚤(はや)く我に求めば、我は汝に借しゝならん。我はハツバス・ダアダアがダンテを罵りしを聞きしより、その良き書なるを推し得て、汝に先だちて買ひ來りぬ。われは長く机に倚ることを好まず。『神曲』の大いなる二卷には我とほとほ厭(あぐ)みしが、これぞハツバス・ダアダアが禁ずるところとおもひおもひ、勇を鼓して讀みとほしつ。後には、かのふみ我にさへ面白くなりて、今は早や三たび閲(けみ)しつ。その地獄のめでたさよ。汝はハツバス・ダアダアの墮つべきを何處とか思へる。火のかたなるべきか、冰(こほり)のかたなるべきか」 わが祕事は、訐(あば)かれたり。されど、ベルナルドオはこれを人に語るべくもあらず。ベルナルドオとわれとの交はこの時より一際(ひときは)密になりぬ。旁(かたへ)に人なき時は、われ等の物語は必ず『神曲』の事にうつりぬ。わがこれを讀みて感じたるところをば必ずベルナルドオに語り聞かせたり。この閒にわが文字を知りてよりの初の詩は成りぬ。その題は『ダンテと其神曲』となりき。 わが買ひ得たる『神曲』の首(はじめ)にはダンテが傳を刻したりき。そは、いたく省畧したるものなりしかど、尚わが詩材とするに堪へたれば、われは、これに據りて此詩人の生涯を歌ひき。ベアトリチエとの淨(きよ)き戀、戰爭の閒の苦、逐客(ちくかく)となりてアルピイ山を踰(こ)えし旅の憂(う)さ、異鄕の鬼となりし哀さ、皆、我詩中のものとなりぬ。わが最も力を用ゐしは、ダンテが靈魂、天翔りて、人閒地獄を見おろす一段なりき。その敍事は省筆を以て『神曲』の梗概(かうぐわい)を摸寫したるものなりき。淨火は、又、燃え上れり。果實累々たる樂園の木のこずゑは、漲(みなぎ)り落つる瀑布の水に浸されたり。ダンテが乘りたる、そら行く舟は、神童の白く大なる翼を帆としたり。その舟、次第に騰(のぼ)りゆく程に、山々は搖り動されたり。太陽とそのめぐりなる神童の羣とは明鏡の如く神の光明を映じ出せり。この時に遇ふものは、賢きも愚なるも、こゝろごころに無上の樂を覺えたり。 誦(ず)してベルナルドオに聞せしに、彼はこれを激稱せり。彼のいはく、 「アントニオよ、次の祭の日には汝其詩を讀み上げよ。ハツバス・ダアダアいかなる面をかすらん。面白し、面白し。汝が讀むべき詩は、その外にはあらじ」 斯く勸めらるゝに、われは手を揮(ふ)りて諾(うべな)はざりき。ベルナルドオ、語を繼ぎていふやう、 「さらば、汝は、え讀まぬなるべし。我にその詩を得させよ。われダンテの不朽をもてハツバス・ダアダアを苦めんとす。汝は、おのが美しき羽を拔きて、このおほおそ鳥を飾らんを惜むか。讓るは汝が常の德にあらずや。いかにいかに」 と勸めて止まざりき。 我もその日のありさま、いかに面白からんとおもへば、詩稿をば直にベルナルドオにわたしつ。 今も西班牙(スパニア)廣こうぢの「プロパガンダ」といふ學校にては、每年一月十三日に、祭の式、行はるゝ事なるが、當時はジエスヰタ學校に、おなじ式ありき。諸生徒は、おのおのその故鄕の語、若くはその最も熟したる語にて一篇の詩を作り、これを式場に持ち出でゝ讀むことなり。題をば自ら撰びて、師の認可を請ひ、さて章を成すを法とす。 題の認可の日に、ハツバス・ダアダアはベルナルドオにいふやう、 「君は、又、何の題をも撰び給はざりしならん。君は歌ふ鳥の羣にあらねば」 ベルナルドオのいはく、 「否、ことしは例に違(たが)ひて作らんとおもへり。伊太利詩人の中にて題とすべきものを求めたるが、その第一の大家を歌はんは、わが力の及ばざるところなり。されば、われは、稍々(やゝ)小なるものをとて、ダンテを撰びぬ」 ハツバス・ダアダア、冷笑(あざわら)ひていふ、 「ダンテを詠ずとならば、定めて傑作をなすなるべし。そは聞きものなり。さはあれ、式の日には僧官たちも皆臨席せらるゝが上に、外國(とつくに)の貴賓も來べければ、さる戲はふさはしからず。謝肉(カルネワレ)の祭をこそ待ち給ふべけれ」 この詞(ことば)にて、他人(ほかびと)ならば思ひとゞまるべきなれど、ベルナルドオは、なかなか屈すべくもあらず。別の師の許を得て、かの詩を讀むことゝ定めき。 われは本國を題として、新に一篇を草しはじめつ。 學校の規則には、「詩賦は他人の助を藉(か)ることを允(ゆる)さず」と記したり。されど、いつも雨雲に蔽はれたるハツバス・ダアダアが面に、些の日光を見んと願ふものは、先づ草稿を出して閲を請ひ、自在に塗抹せしめずてはかなはず。大抵原(もと)の語は、纔(わづか)にその半を存するのみなり。さて詩の拙さは、すこしも始に殊ならず。その始に殊なるは、唯だその癖、その手段のみなるべし。斯く改めたる作、他日よそ人に譽めらるゝ時は、ハツバス・ダアダアは、必ずおのれが刪潤(さんじゆん)せしを告ぐ。こたび讀むべき詩も多く一たびハツバス・ダアダアが手を經たるが、ひとりベルナルドオが詩のみは遂にその目に觸れざりき。 兎角する程にその日となりぬ。馬車は次第に學校の門に簇(むらが)りぬ。老僧官たちは赤き法衣の裾を牽きて式場に入り、美しき椅子に倚り給ひぬ。詩の題、その國語、その作者など列記したる刷ものは、來賓に頒(わか)たれぬ。ハツバス・ダアダア、先づ開場の演說をなし、諸生徒は次を逐ひて詩を讀みたり。シリア、カルデア、新埃及(エヂプト)、其外梵文、英語の作さへありて、その耳ざはり、愈々あやしうして、喝采の聲は愈々盛なりき。但だ喝采の聲には、拍手なんどのみならで高笑もまじるを常とす。 われは胸を跳らせて進み出で、伊太利を頌したる短篇を讀みき。喝采の聲は幾度となく起りぬ。老いたる僧官達も手を拍ち給ひぬ。ハツバス・ダアダア、出來る限のやさしき顏をなし、手中の桂冠を動かしつ。伊太利語の詩もて我後に技を奏すべきは獨りベルナルドオあるのみにて、其次なる英語は、固より賞を得べくもあらねば、あはれ、此冠は我頭の上に落ちんとぞおもはれける。 その時、ベルナルドオは壇に登りぬ。我は、あやぶみながら、友の言動に耳を傾け、目を注ぎつ。友は些の怯(おく)れたる氣色もなく、かのダンテを詠ずる詩を誦(ず)したり。式場は忽ち水を打ちたるやうに鎭まりぬ。讀誦の力あるに、聽くもの皆感動したるなり。われは初より隻句(一語)を遺さず諳(そらん)じたり。されど、今改めてこれを聽けば、ほとほとダンテ其人の作を聞くが如くおもはれぬ。誦し畢りし時、場に臨みたる人々は悉く喝采せり。僧官達は、席を離れ給ひぬ。式は、こゝに終れるが如く、桂冠はベルナルドオがものと定りぬ。次なる英語の詩をば、人々止むことを得ずして聽き、又、止むことを得ずして拍手せしのみ。その畢るや、滿場の話柄はベルナルドオがダンテの詩の上にかへりぬ。 我頬は火の如くなりき。我胸は擴まりたり。我心は人々のベルナルドオがために焚ける香の烟を吸ひて、ほとほと醉へるが如くなりき。この時、われは友の方を打ち見たるに、彼が容貌(をもざし)は、いたく常にかはりて見えき。その面色、土の如く、目を牀に注ぎて立てるさまは重き罪を犯したる人の如くなりき。ハツバス・ダアダアも亦いたく不興げなるおも持して心こゝにあらねばか、その手にしたる桂冠を摘み碎かんとする如くなりき。僧官のうちなる一人、迺(すなは)ちこれを取りてベルナルドオが前に進み給ひぬ。我友は此時跪きたるが、もろ手に面を掩ひて、この冠を頭に受けたり。 式畢りて後、われは友の側に步み寄りしに、彼は「明日こそ」と云ひもあへず、走り去りぬ。翌日になりても、彼は我を避けて共に語らざりき。我は唯だ一人なる友を失へるやうに覺えて、憂きに堪へざりき。二日過ぎて、ベルナルドオは我頸(くび)を擁(いだ)き、我手を把りていふやう、 「アントニオよ、今こそは我心を語らめ。桂冠の我頭に觸れたる時は、われは百千(もゝち)の棘(いばら)もて刺さるゝ如くなりき。人々の我を譽むる聲は我を嘲るが如くなりき。この譽を受くべきは、我に非ずして汝なればなり。我は汝が目のうちなる喜の色を見き。汝、知らずや。この時われは汝を憎みたり。おもふに、我はこゝにありて今迄の如く汝に交ることを得ざるべし。この故に、我は、こゝを去らんとす。試におもへ。明年の式あらんとき、われ、又、汝が羽毛を借らずば人々の前に出づることを得ざるべし。我心、爭(いか)でかこれに堪へん。我に勢あるをぢあり。我は、これに我上を賴みき。我は身を屈して願ひき。こは、わが未だ嘗て爲さざることなり。わが敢てせざるところなり。我は、その時、又、汝が事をおもひ出しつ。斯くわが心に負(そむ)きて人に賴るも、その原(もと)は汝に在るらんやうにおもはれぬ。この故に、我は汝に對して忍びがたき苦を覺ゆるなり。我は一たびこゝを去りて、別に身を立つるよすがを求め、その上にて、又、汝が友とならん。アントニオよ、願はくはその時を待て。吾は去らん」 この夕、ベルナルドオは、晚(おそ)く歸りて牀に入りしが、翌朝は彼が退校の噂、諸生の閒に高かりき。ベルナルドオは、思ふよしありて、目的を變じたりとぞ聞えし。 ハツバス・ダアダアは、冷笑の調子にていはく、 「彼男は、流星の如く去りぬ。その光を放てると、その影を隱しゝとは、一瞬の閒なりき。その學校生涯は爆竹の遽(にはか)に耳を駭(をどろ)かす如くなりき。その詩も、亦、然なり。彼草稿は猶我手に留まれり。何等の怪しき作ぞ。熟々(つらつら)これを讀むときは畢竟是れ何物ぞ。斯くても尚詩といはるべき歟(か)。全篇支離にして絕て格調の見るべきなし。看て瓶(へい)となせば、これ瓶。盞(さん)となせば、是れ盞。劍となせば、これ劍。その定まりたる形なきこと、これより甚しきはあらず。字を剩(あま)すこと凡そ三たび。聞くに堪へざる平字(へうじ)の連用(ヒアツス)あり。神(ヂアナ、Divina)といふ字を下すこと、おほよそ二十五處、それにて詩をかうがうしくせんとにや。性靈よ、性靈よ、誰かこれのみにて詩人とならん。このとりとめなき空想能く何事をか做し出さん。こゝに在りと見れば、忽焉(こつゑん、たちまち)としてかしこに在り。汝は才といふか。才果して何をかなさん。眞の詩人の貴むところは、心の上の鍛錬なり。詩人は、その題のために動さるゝこと莫(なか)れ。その心は冷なること氷の如くならんを要す。その心の生ずるところをば先づ刀もて截(き)り碎き、一片々々に査(しら)べ視よ。かく細心して組み立てたるを、まことの名作とはいふなり。厭ふべきは熱なり。激興なり。誰かその熱に感じて桂冠を乳臭兒(にうしうじ)の頭(かうべ)に加へし。その詩に史上の事實を矯(た)め、聞くに堪へざる平字の連用をなしたるなど、皆笞(むちう)ち懲すべき科なるを。我は、まことに甚しき不快を覺えき。かゝる事に逢ふごとに、我は健康をさへ害せられんとす。ベルナルドオのこわつぱ奴(め)」 ハツバス・ダアダアが批評は大抵此の如くなりき。
第8章 ハツバス・ダアダアが室は、我室を去ること近からぬに、我聲は覺えず高くなりて、そこまで聞えぬ。ハツバス・ダアダア、人して言はしむるやう、 「こゝは劇場にもあらず。又、唱歌學校にもあらず。讚美歌に非ざる歌の聞ゆるこそ心得られね」 となり。 われは默して答へず。頭を窗の緣に寄せかけて、目を街のかたに注ぎたれど、心はこゝに在らざりき。 忽ち街上より、 「フエリチツシイマ・ノツテエ・アントニオ」 (「幸あらん夜をこそ祈れ、アントニオよ」といふ事なり。北歐羅巴にては善き夜をとのみいふめれど、伊太利の夜の樂きより、かゝる詞さへ出來ぬるなるべし。) と呼ぶ人あり。 窗の前にて、美しく猛き若駒に首を昂(あ)げさせ、手を軍帽に加へて我に禮を施し、振り返りつゝ馳せ去りしは、法皇の禁軍(このゑ)なる士官なりき。嗚呼、我はその顏を見識りたり。これ、わがベルナルドオなり。わが幸あるベルナルドオなり。 我生活は今彼に殊なること幾何ぞ。われは深くこれを思ふことを好まず。われは傍なる帽を取りて目深にかぶり、惡魔に逐はるゝ如く學校の門を出でぬ。おほよそジエスヰタ學校、プロパガンダ學校その外この敎國の學校生徒は、外に出づるとき、おのれより年長けたる、若くはおのれと同じ齡なる、同學のものに伴はるゝを法とす。稀に獨り行くには、必ず許可を請ふことなり。こは、誰も知りたる掟なるを、われは、この時少しも思ひ出でざりき。老いたる番僧は、わが出づるを見つれど、許可を得たるものとや思ひけん、我を誰何(とが)めざりき。 大路に出づれば、馬車ひきもきらず。羅馬の人を載せたるあり、外國の客を載せたるあり。往くあり、還るあり。こは、都の習なる、夕暮の逍遙(あそび)乘といふものにいでたる人々なるべし。銅版畫を挂(か)けつらねたる技藝品鋪の前には、人あまた立てり。その衣にまつはれて錢を得んとするは乞兒(かたゐ)の羣なり。されば、車の閒を馳せぬくることを厭ひては、こゝを行くべくもあらず。我が車の隙を覗ひて走りぬけんとしたる時、「ボン・ジヨオルノオ、アントニオ」(吉日をこそ、アントニオ)と呼ぶは、むかし聞き慣れたる忌はしき聲なり。見卸せば、ペツポのをぢ、例の木履を手に穿きて地上にすわり居たり。この人にかく近づきたることは、この年頃絕てなかりき。西班牙(スパニア)の磴を避けてとほり、道にて逢ふときは面を掩ひて知らしめず、式の日などに諸生の羣にありてこれに近づくときは、友の身を盾に取りて見付けられぬ心がまへしたりき。ペツポは、我裳裾を握りて離たずしていふやう、 「血を分けたるアントニオよ、そちがをぢなるペツポを知らぬ人のやうになあしらひそ。尊きジユウゼツペ(ペツポはこの名を約(つゞ)めたるなり。)の上を思はゞ我名を忘るゝことなからん。暫く見ぬ隙に、おとなびたることよ」 かく親しく物言はるゝ程に、道行く人は怪みて我面を見たり。我は「放ち給へ」と叫びて裾を引けども、ペツポは容易く手をゆるめず。 「アントニオよ、共に驢(うさぎうま)に乘りし日の事を忘れしか。善き兒なるかな。今は丈高き馬に乘れば最早我を顧みざるならん。母の同胞の西班牙の磴にあるを訪はざるならん。そちも我手に接吻せしことあり。そちも我宿の一束の藁を敷寢(しきね)せしことあり。昔をわすれなせそ」 かくかきくどかるゝうるさゝに、我は力を極めて裾ひきはなち、車の閒をくゞりぬけて橫街に馳せ入りぬ。 我胸は跳れり。こは、驚のためのみにはあらず、辱のためなりき。我はをぢがもろ人の前に我を辱めたりとおもひき。されど、此心は久しからずして止み、これに代りて起りしは、これよりも苦しき情なりき。をぢが詞は一つとして僞ならず。われはまことにペツポが一人の甥なり。わがこれに對して恩すくなかりしは、そもそも何故ぞ。若し餘所に見る人なくば、我は昔の如くをぢの手に接吻せしならん。さるを、今かく殘忍なる振舞せしは、わが罪深き名譽心にあらずや。われは自ら愧(は)ぢ、又、神に恥ぢて我胸は燃ゆる如くなりき。 この時、聖アゴスチノ寺の「アヱ・マリア」の鐘の聲響きしかば、われは懺悔せんとて寺の内に入りぬ。高き穹窿の下は暗くして人影絕えたり。卓の上なる蝋燭は僅に燃ゆれども光なかりき。われは聖母の前に伏し沈みて、心の重荷をおろさんとしつ。忽ち我側にありて、我名を呼ぶ人あり 「アントニオの君よ、館も御奧もフイレンツエより歸り來ませり。かしこにて設け給ひし穉き姫君をも伴ひ給ひぬ。今より共に往きて喜をのべ給はずや」 といふ。 寺の内の暗さに見えざりしが、かく言はれてその人を見れば、我恩人の館なる門者(かどもり)の妻にて「フエネルラ」といふものなりき。年久しく相見ざりし人々に逢はせんといふが嬉しさに、われは共に足を早めてボルゲエゼの館にゆきぬ。
尼君
「穉き尼君を世の中の少女の樣になせそ。法皇の手づから授けられし壻君をば、今より胸にをさめたるを」 とのたまふ。 げにこの姫君は白かねもて造りたる十字架に基督の像つきたるを鎖もて胸に懸け給へり。 (伊太利の俗、尼寺に入れんと定めたる女兒をば、夙(はや)くより小尼公(アベヂツサ)など呼ぶことあり。) 夫婦の君は、婚禮の初、喜のあまりに始て生るべき子をば、み寺に參らせんと誓ひ給ひしなり。勢ある家の事とて羅馬に名高き尼寺の首座をば今よりこの姫君の爲めに設けおけりとぞ。さればこの君には苟且(かりそめ)の戲にも法の掟に背かぬやうなることのみをぞ勸め參らせける。小尼公は偶人(にんぎやう)いれたる箱取り出でゝ中なる穉き耶蘇の像、またあまたの白衣きたる尼の像を示し給ふ。さて尼の人形を二列に立てて、 「日ごとにかく步ませて、供養のにはに連れゆく」 とのたまひぬ。 又、 「尼どもは、皆聲めでたく歌ひて、穉き耶蘇を拜めり」 とのたまひぬ。 こは、皆保姆(うば)が敎へつるなり。我は畫かきて小尼公を慰めき。長き毼衣(けおりごろも)を着て、噴水のトリイトンの神のめぐりに舞ふ農夫、一人の匍匐(はらば)ひたるが上に一人の跨(またが)りたる侏儒(プルチネルラ)抔(など)、いたく姫君の心にかなひて、始はこれに接吻し給ひしが、後には引き破りて棄て給ひぬ。兎角する程に、はや常に眠り給ふ時過ぎぬとて、うば抱きて入りぬ。 夫婦の君は、我上を細に問ひて、今より後も助にならんと契り、 「こゝに留らん閒は、日ごとに訪へかし」 とのたまひぬ。 カムパニアの野邊に住める媼が事を語り出で給ひしかば、我は春秋の天氣好き折かしこに尋ねゆきて我臥牀(ふしど)の蹟を見、媼が經卷珠數と共に藏したる我畫反古(ほご)を見、また爐の側にて燒栗を噛みつゝ昔語せばやとおもふ心を聞え上げぬ。暇乞して出でんとせしとき、夫人は館を顧みてのたまふやう、 「學校は、智育に心を用ゐると覺ゆれど、作法の末まではゆきとゞかぬなるべし。この子の禮(ゐや)するさまこそ可笑しけれ。世の中に出でん後は、これをも忽(ゆるがせ)にすべからず。されど、アントニオよ、心をだに附けなば、そは、おのづから直るべきものぞ」 學校に還らんとて館を出でしは、まだ宵の程なりしが、街はいと暗かりき。羅馬の市に竿燈(かんたう)を點くるは、近き世の事にて、其の頃はまださるものなかりしなり。狹き枝みちに步み入れば、平ならざる道を照すもの、唯だ聖母の像の御前に供へたる油燈のみなり。われは心のうちに晝の程の事どもを思ひめぐらしつゝ徐にあゆみを運びぬ。固より咫尺(しせき)の閒もさやかには見えねば、忽ち我手に觸るゝものあるに驚きて、われは、まだ何とも思ひ定めぬ時、耳慣れたる聲音にて、 「奇怪なる人かな。目をさへ撞(つ)きつぶされなば、道はいよいよ見えずやならん」 といふ。 われは、喜のあまりに聲高く叫びて、 「さては、ベルナルドオなるよ。嬉くも逢ひけるものかな」 といひぬ。 「アントニオか、可笑き再會もあるものよ」 と友は我を抱きたり。 「さるにても、何處よりか來し。忍びて訪ふところやある。そは、汝に似合はしからず。されど、我に見現(みあらは)されぬれば是非なし。例の獄丁はいづくに居る。學校よりつけたる道づれは」 我、 「否、けふはひとりなり」 ベルナルドオ、 「ひとりとは面白し。汝も天晴なる少年なり。我と共に法皇の護衞に入らずや」 我は恩人夫婦のこゝに來ませし喜を告げしに、吾友も亦喜びぬ。これよりは、足の行くに任せて暗路を辿りつゝ別れての後の事どもを語りあひぬ。
猶太(ユダヤ)の翁
「我は、今こそ浮世の樣をも見ることを得つれ。そなた等が世にあるは、唯だ世にありといふ名のみにて、まだ襁褓(むつき)の中を出でざるにひとし。冷なる學校の榻(こしかけ)に坐して、黴(かび)の生えたるハツバス・ダアダアが講釋に耳傾けんは、あまりに甲斐なき事ならずや。見よ、我が馬に騎りて市を行くを。美しき少女達は燃ゆる如き眼なざしして我を仰ぎ瞻(み)るなり。わが貌(かほばせ)は、醜からず。われには、號衣(ウニフオルメ)よく似合ひたり。此街の暗きことよ。汝は我號衣を見ること能はざるべし。我が新に獲たる友は善く我を導けり。彼等は汝が如き窮措大(きうそだい、貧乏書生)めきたる男にあらず。我等は御國を祝ひて盞(さかづき)を傾け、又、折に觸れてはおもしろき戲をもなせり。されど、其戲をもの語らんは汝が耳の聽くに堪へざるところならん。そなたの世を渡るさまをおもへば男に生れたる甲斐なくぞおもはるゝ。我はこの二三月が程に十年の經驗をなしたり。我はわが少年の血氣を覺えたり。そは、我血を湧し、我胸を張らしむ。我は人生の快樂を味へり。我唇はまだ燃え、我咽はまだ痒きに、我身はこれを受用すること、醉ひたる人の水を飮むらんやうなり」 斯く說き聞せられて、我はいつもながら氣沮(はゞ)みて、聲も微に、 「さらば、君が友だちといふは、あまり善き際(きは)にはあらぬなるべし」 と答へき。 ベルナルドオはこらへず、 「善き際にあらず、とは何をか謂ふ。我に向ひて道德をや說かんとする。吾友だちは汝にあしさまに言はるべきものにはあらず。吾友だちは羅馬にあらん限の貴き血統にこそあなれ。われ等は法皇の禁軍(このゑ)なり。縱(たと)ひわづかの罪ありとも、そは法皇の免除するところなり。われも、學校を出でし初には、汝が言ふ如き感なきにあらざりしが、われは敢て直ちにこれを言はず、敢て友等に知らしめざりき。われは彼輩のなすところに傚(なら)ひき。そは、我意志の最も强き方に從ひたるのみ。我意、馬を奔らしめて、その往くところに任するときは、我はかの友だちに立ち後(おく)るゝ憂なかりしなり。されど、此閒我胸中には猶少しの寺院敎育の滓(かす)殘り居たれば、我も何となく自ら安ぜざる如き思をなすことありき。我は、をりをり此滓のために戒められき。我は生れながらの淸白なる身を涜(けぐわ)すが如くおもひき。かゝる懸念は今や名殘なく失せたり。今こそ我は一人前の男にはなりたるなれ。かの敎育の滓を身に帶びたる限はその人小兒のみ、卑怯者のみ。おのれが意志を抑へ、おのれが慾するところを制して、獨り鬱々として日を送らんは、その卑怯ものゝ舉動ならずや。餘(あまり)に饒舌りて、途のついでをも顧みざりしこそ可笑しけれ。こゝは「キヤヰカ」の前なり。類なき酒家(オステリア)にて、羅馬の藝人どもの集ふところなり。我と共に來よ。切角の邂逅(めぐりあひ)なれば一瓶の葡萄酒を飮まん。この家のさまの興あるをも見せまほし」 といふ。 われ、 「そは、思ひもよらぬ事なり。若し學校の人々わが禁軍の士官と倶に酒店にありしを聞かば奈何(いかに)」 ベルナルドオ、 「現に酒一杯飮まんは限なき不幸なるべし。されど、試に入りて見よ。外國の藝人等が故鄕の歌をうたふさま、いと可笑し。獨逸語あり。法朗西(フランス)語あり。英吉利語あり。またいづくの語とも知られぬあり。これ等を聞かんも興あるべし」 われ、 「否、君には酒一杯飮まんこと常の事なるべけれど、我は然らず。强ひて伴はんことは君が本意にもあらざるべし」 斯く辭(いろ)ふほどに傍なる細道の方に許多の人の笑ふ聲、喝采する聲いと賑はしく聞えたり。われは、これに便を得て友の臂(ひぢ)を把りていはく、 「見よ、かしこに人あまた集りたるは何事にかあらん。想ふに聖母の御龕の下にて手品使ふものあるならん。我等も往きてこそ觀め」 我等が往方(ゐくて)を塞ぎたるは、極めて卑き際(きは)の老若男女なりき。この人々は聖母のみほごらの前にて長き圈(わ)をなし、老いたる猶太(ユダヤ)敎徒一人を取り卷きたり。身うち肥えふとりて肩幅いと廣き男あり。手に一條の杖を持ちたるが、これを翁が前に橫(よこた)へ、翁に跳り超えよと促すにぞありける。 凡そ羅馬の市には猶太敎徒みだりに住むことを許されず。その住むべき廓(くるわ)をば嚴しく圍みて、これを「猶太街」(ゲツトオ)といふ。(我國の「穢多まち」の類なるべし。)夕暮には廓の門を閉ぢ、兵士を置きて人の出入することを許さず。こゝに住める猶太敎徒は歲(とし)に一たび仲閒の年寄をカピトリウムに遣り、來ん年もまた羅馬にあらんことを許し給はゞ、謝肉祭(カルネワレ)の時の競馬(くらべうま)の費用(ものいり)をも例の如く辨(わきま)へ(調達し)、又、定の日には加特力(カトリコオ)敎徒の寺に往きて宗旨がへの說法をも聽くべし、と願ふことなり。 今杖の前に立てる翁は、こよひ此街のをぐらき方を靜に走り過ぎんとしたるなり。「モルラ」といふ戲せんと集ひたりし男ども、道に遊び居たりし童等は、早くこれを見付けて、 「見よ人々、猶太の爺(ぢゞ)こそ來ぬれ」 と叫びぬ。 翁はさりげなく過ぎんとせしに、羣衆はゆくてに立ちふさがりて通さず。かの肥えたる男は杖を翁が前に橫へて、 「これを跳り超えて行け。さらずは、廓の門の閉ぢらるゝ迄えこそは通すまじけれ。我等は汝が足の健さを見ん」 と呼びたり。 童等はもろ聲に、 「超えよ、超えよ。亞伯罕(アブラハム)の神は汝を助くるならん」 と、いと喧しく囃したり。 翁は、聖母の像を指ざしていふやう、 「人々あれを見給へ。おん身等もかしこに跪きては慈悲を願ひ給ふならずや。我はおん身等に對して何の辜(つみ)をもおかしゝことなし。我髮の白きを憫み給はゞ恙(つゝぐわ)なく家に歸らしめ給へ」 といふ。 杖持ちたる男、冷笑(あざわら)ひて、 「聖母、爭(いか)でか猶太の狗(いぬ)を顧み給はん。疾く跳り超えよ」 といひつゝいよいよ翁に迫る程に、羣衆は次第に狹き圈(わ)を畫して翁の爲んやうを見んものをと息を屏(つ)めて覗ひ居たり。 ベルナルドオは、この有樣を見るより、前なる羣衆を押し退けて圈の中に躍り入り、肥えたる男の側につと寄せて、その杖を奪ひ取り、左の手にこれを指し伸べ、右の手には劍を拔きて振り翳し、かの男を叱して云ふやう、 「この杖をば、汝先づ跳り超えよ。猶與(たゆた)ふことかは。超えずは汝が頭を裂くべし」 といふ。 羣衆は唯だ呆れてベルナルドオが面を打ち眺めたり。彼男は、しばし夢見る如くなりしが、怒氣を帶びたる詞、鞘を拂ひし劍、禁軍の號衣(ウニフオルメ)、これ皆膽を寒からしむるに足るものなりければ、何のいらへもせず、一跳して杖を超えたり。ベルナルドオは男の跳り超ゆるを待ちて杖を擲(なげう)ち、その肩口をしかと壓(をさ)へ、劍の背もて片頬を打ちていふやう、 「善くこそしつれ。狗にはふさはしき舉動(ふるまひ)かな。今一たびせよ。さらば免さん」 といふ。 男は是非なく、又、跳り超えぬ。初め呆れ居たる羣衆は、今その可笑しさにえ堪へず、一度に「どつ」と笑ひぬ。ベルナルドオのいはく、 「猶太の翁よ、邪魔をば早や拂ひたれば、いざ送りて得させん」 といふ。されど、翁はいつの閒にか逃げゆきけん、近きところには見えざりき。 我は、ベルナルドオを引きて羣衆の中を走り出でぬ。 「來よ、我友。今こそは汝と共に酒飮まんとおもふなれ。今より後は、たとひいかなる事ありても、われ汝が友たるべし。ベルナルドオ、そなたは昔にかはらぬ物ずきなるよ。されど、我が知らぬ猶太の翁のかた持ちてかの癡人(しれもの)と爭ひしも、おなじ物ずきにやあらん」 我等は、酒家(オステリア)に入りぬ。客は一閒に滿ちたれども、別に我等に目を注(つ)くるものあらざりき。隅の方なる小卓に倚りて共に一瓶の葡萄酒を酌み、友誼の永く渝(かは)らざらんことを誓ひて別れぬ。 學校の門をば心やすき番僧の年老いたるが仔細なく開きて入れぬ。あはれ、珍しき事の多かりし日かな。身の疲に酒の醉さへ加はりたれば、程なく熟睡(うまゐ)して前後を知らず。
第9章 その頃、我はヰルギリウスを讀みき。その六の卷なる、エネエアスがキユメエの巫に導かれて地獄に往く條(くだり)に至りて、我はその面白さに感ずること常に超えたり。こは、ダンテの詩に似たるがためなり。ダンテによりて我作をおもひ、我作によりて我友をおもへば、ベルナルドオが面を見ざること久しうなりぬ。恰(あたか)も好しワチカアノの畫廊開かるべき日なり。且は美しき畫、めでたき石像を觀、且はなつかしき友の消息を聞かばやとおもひて、われは、又、學校の門を出でぬ。 美しきラフアエロが半身像を据ゑたる長き廊の中に入りぬ。仰塵(てんぜう)にはかの大匠の下畫(したゑ)によりて門人等が爲上(しあ)げたりといふ聖經の圖あり。壁を掩へるめづらしき飾畫(かざりゑ)、穹窿を填(うづ)めたる飛行の童の圖、これ等は皆我が見慣れたるものなれど、我は心ともなくこれに目を注ぎて、わが待つ人や來るとたゆたひ居たり。欄(をばしま)に凭(よ)りて遠く望めば、カムパニアの野のかなたなる山々の雄々しき姿をなしたる、固より厭(あ)かぬ眺なれど、鋪石(しきいし)に觸るゝ劍の音あるごとに、我は其人にはあらずやとワチカアノの庭を見おろしたり。されど、ベルナルドオは久しく來ざりき。 閒といふ閒を空くめぐり來ぬ。ラオコオンの羣の前をも徒に過ぎぬ。我はほとほと興を失ひて、「トルソオ」をも「アンチノウス」をも打ち棄てゝ、家路に向はんとせしとき、忽ち羽つきたる鍪(かぶと)を戴き、長靴の拍車を鳴して、輕(かろ)らかに廊を步みゆく人あり。追ひ近づきて見ればベルナルドオなり。友の喜は我喜に讓らざりき。語るべき事多ければ、「共に來よ」と云ひつゝ、友は我を延(ひ)きて奧の方へ行きぬ。 「汝はわが別後いかなる苦を嘗(な)めしかを知らざるべし。又その苦の今も猶止(や)むときなきを知らぬなるべし。譬(たと)へば、我は病める人の如し。そを救ふべき醫(くすし)は汝のみ。汝が採らん藥草の力こそは、我が唯一の賴なれ」 斯くさゝやきつゝ、友は我を延いて大なる廳(いゑ)を過ぎ、そこを護れる禁軍(このゑ)の瑞西(スイス)兵の前を步みて、當直士官の室に入りぬ。 「君は病めりと云へど、面は紅に目は輝けるこそ訝しけれ」 「さなり。我身は頭の頂より足の尖まで燃ゆるやうなり。我はそれにつきて汝が智惠を借らんとす。先づそこに坐せよ。別れてより後の事を語り聞すべし。 汝はかの猶太の翁の事を記えたりや。聖母の龕の前にて、惡少年に窘(くるし)められし翁の事なり。我はかの惡少年を懲して後、翁猶在らば、家まで送りて得させんとおもひしに、早やいづち往きけん、見えずなりぬ。その後、翁の事をば少しも心に留めざりしに、或日ふと猶太廓(ゲツトオ)の前を過ぎぬ。廓の門を守れる兵士に敬禮せられて、我は始めてこゝは猶太街の入口ぞと覺りぬ。その時、門の内を見入りたるに、黑目がちなる猶太の少女あまた羣をなして佇みたり。例のすきごゝろ止みがたくて、我はそが儘、馬を乘り入れたり。こゝに住める猶太敎徒は全(まつた)き宗門の組合をなして、その家々軒を連ねて高く聳え、窗といふ窗よりは、『ベレスヒツト・バラ・エロヒム』といふ祈の聲聞ゆ。街には宗徒簇(むらが)りて、肩と肩と相摩(ま)するさま、むかし紅海を渡りけん時も忍ばる。簷端(のきば)には古衣(ふるぎぬ)、雨傘その外骨董どもを懸けも陳(なら)べもしたり。我駒の行くところは、古かなもの、古畫を鬻(ひさ)ぐ露肆(ほしみせ)の閒にて、目も當てられず穢れたる泥淖(ぬかるみ)の裡にぞありける。家々の戶口より笑みつゝ仰ぎ瞻(み)る少女二人三人を見るほどに、 『何にても買ひ給はずや、賣り給ふ物あらば價尊く申し受けん』 と、聲々に叫ぶさま堪ふべくもあらず。想へ汝、かゝる地獄めぐりをこそダンテは書くべかりしなれ。 忽ち傍なる家より一人の翁馳せ出でゝ、我馬の前に立ち迎へ、我を拜むこと法皇を拜むに異ならず。 『貴き君よ、我命の親なる君よ。再び君と相見る今日は、そもそもいかなる吉日ぞ。このハノホ老いたれども、恩義を忘れぬほどの記憶はありとおぼされよ』 かく語りつゞけて、末にはいかなる事をか言ひけん、悉くは解せず、又、解したるをも今は忘れたれば甲斐なし。これ去ぬる夜、惡少年の杖を跳り越ゆべかりし翁なり。翁は我手の尖に接吻し、我衣の裾に接吻していふやう、 『かしこなるは我破屋(あばらや)なり。されど、鴨居のいと低くて君が如き貴人(あてびと)を入らしむべきならぬを奈何せん』 かく言ひては拜み、拜みては言ふ隙に、近きわたりの物共は、我等二人のまはりに集ひ、あからめ(脇見)もせず打ち守りたる、そのうるさゝにえ堪へず、我は早や馬を進めんとしたり。この時ふと仰ぎ見れば、翁が家の樓上よりさし覗きたる少女あり。色好なる我すらかゝる女子を見しことなし。大理石もて刻めるアフロヂテの神か。されど、亞剌伯(アラビア)種の少女なればにや、目と頬とには血の溫さぞ籠(こも)りたる。想へ汝、我が翁に引かれて、辭(いろ、辞)はずその家に入りしことの無理ならぬを。 廊の闇さはスチピオ等の墓に降りゆく道に讓らず。木の欄ある梯は、行くに足の尖まで油斷せざる稽古を怠りがちなる男にせさするに宜しかるべし。部屋に入りて見れば、さまで見苦しからず。されど、例の少女はあらず。少女あらずば、われこゝに來て何をかせん。技癢(ぎやう)に堪へざる我心をも覺らず、かの翁は永々しき謝恩の演說をぞ始めける。その辭(ことば)に綴り込めたる亞細亞(アジア)風の譬喩の多かりしことよ。汝が如き詩人ならましかば、そを樂みて聞きもせん。我は恰も消化し難き饌(せん、ご馳走)に向へる心地して、肚(はら)のうちには彼女子今か出づるとのみおもひ居たり。此時翁は感ずべき好き智慧を出しぬ。あはれ此智慧、好き折に出でなば、いかにか我を喜ばしめしならん。翁のいはく、 『貴きわたりに交(まぢ)らひ給ふ殿達は、定めて金多く費し給ふならん。君も卒(には)かに金なくてかなはぬ時、餘所にてそを借り給はば、二割三割などいひて、夥(おびたゞ)しき利息を取られ給ふべし。さる時あらば、必ず我許に來給へ。利息は申し受けずして、いくばくにても御用だて侍らん。そはイスラエルの一枝を護りたる君が情の報なり』 といひぬ。 我は今さる望なきよし答へぬ。翁さらに語を繼ぎて、 『さらば先づ平かに(くつろぎ)居給へ。好き葡萄酒一瓶あれば、そを獻(たてまつ)らん』 といふ。 我は今いかなる事を答へしか知らず。されど、その詞と共に一閒に入り來りしは彼少女なり。いかなる形ぞ。いかなる色ぞ。髮は漆の黑さにて、しかも澤あり。こは翁の娘なりき。少女はチプリイの酒を汲みて我に與へぬ。我がこれを飮みて、少女が壽(ことほぎ)をなしゝとき、その頬にはサロモ王の餘波(なごり)の血こそ上りたれ。汝はいかにかの天女が、言ふにも足らぬ我腕立(うでたて、腕力)を謝せしを知るか。その聲は、世にたぐひなき音樂の如く我耳を打ちたり。あはれ、かれは斯世(このよ)のものにはあらざりけり。されば、其姿の忽ち見えずなりて、唯だ翁と我とのみ座に殘りしも宜(むべ)なり」 この物語を聞きて、我は覺えず呼びぬ。 「そは自然の詩なり。韻語にせばいかに面白からん」 媒(なかだち) * 士官のいふやう、「この時よりして、我がいかばかり戀といふものゝ苦を嘗めたるを知るか。我が幾たび空中に樓閣を築きて、又、これを毀(こぼ)ちたるを知るか。我が彼猶太をとめに逢はんとて、いかなる手段を盡しゝを知るか。我は用なきに翁を訪ひて金を借りぬ。我は八日の期限にて、二十スクヂイを借らんといひしに、翁は快く諾(うべな)ひて粲然たる黃金を卓上に竝べたり。されど、少女は影だに見せざりき。我は三日過ぎて金返しに往きぬ。初、翁は我を信ぜること厚しとは云ひしが、それには世辭も雜(まじ)りたりしことなれば、今わが斯く速に金を返すを見て、翁が喜は眉のあたりに呈(あらは)れき。我は前の日の酒の旨かりしを稱へしかど、翁自ら瓶取り出して、顫(ふる)ふ痩手にて注ぎたれば、これさへあだなる望となりぬ。この日も少女は影だに見せざりき。たゞ我が梯を走りおりしとき、半ば開きたる窗の帷(とばり)すこしゆらめきたるやうなりき。是れ我少女なりしならん。『さらば君よ』とわれ呼びしが、窗の中はしづまりかへりて何の應(いらへ)もなし。おほよそ其頃よりして、今日まで盡しゝ我手段は悉くあだなりき。されど、我心は決して撓(たゆ)むことなし。我は少女が上を忘るゝこと能はず。友よ、我に力を借せ。昔エネエアスを戀人に逢せしサツルニアとヱヌスとをば、汝が上とこそ思へ。いざ我をあやしき巖室(いはむろ)に誘はずや」 われ、 「そは我身にはふさはしからぬ業なりと覺ゆ。さはれ、おん身は猶いかなる手段ありて、我をさへ用ゐんとするか。かゝる筋の事に、この身用立つべしとは、つやつや思ひもかけず」 士官、 「否々、汝が一諾をだに得ば、我事は半ば成りたるものぞ。ヘブライオスの語は美しき詞なり。その詩、趣に富みたること多く、類を見ずと聞く。汝そを學びて、師には老いたるハノホを撰べ。彼翁は廓内にて學者の羣に數へられたり。彼翁、汝がおとなしきを見て、娘にも逢はせんをり、汝、我がために娘に說かば、我戀、何ぞ協(かな)はざることを憂へん。されど、此手段を行はんには、決して時機を失ふべからず。駈足(かけあし)にせよ、步度を伸べたる驅足にせよ、燃ゆる毒は我脈を循(めぐ)れり。そは世におそろしき戀の毒なり。異議なくば、あすをも待たで猶太の翁を訪へ」 われ、 「そは餘りに無理なる囑(たのみ)なり。我が爲すべきことの面正しからぬはいふも更なり、汝が志すところも卑しき限ならずや。その少女、縱令(よしや)美しといふとも、猶太の翁が子なり」 といへば、士官、 「それ等は汝が解し得ざる事なり。貨(しろもの)だに善くば、その產地を問ふことを須(もち)ゐず。友よ、善き子よ、我がためにヘブライオスの語を學べ。我も諸共に學ばんとす。たゞその學びさまを殊にせんのみ。想へ、我がいかに幸ある人となるべきかを」 我、 「わが心を傾けて汝に交るをば、汝知りたるべし。汝が意志、汝が勢力のおほいなる、常に我心を左右するをも、汝知りたるべし。汝若し惡人とならば、我おそらくは善人たることを得じ。そは怪しき力、我を引きて汝が圈(わ)の中に入るればなり。我は素より我心を以て汝が行を匡(たゞ)さんとせず。人皆天賦の性(さが)あり。そが上に我は必ずしも汝が將に行はんとする所を以て罪なりとせず。汝が性(さが)然らしむればなり。されど、此事は、縱令(よしや)成りたらんも、汝が上にまことの福を降すべきものにあらずとおもへり」 士官、 「善し善し。我はたゞ汝に戲れたるのみ。我がために汝を驅りて懺悔の榻(こしかけ)に就かしめんは、初より我願にあらず。たゞ汝がヘブライオスの語を學ばんに、いかなる障あるべきか、そは我に解せられず。況(いは)んやそを猶太の翁に學ぶことをや。されど、この事に就きては、我等また詞を費さゞるべし。今日は善くこそ我を訪ねつれ。物慾しからずや。酒飮まずや」 友なる士官がかく話頭を轉じたるとき、我はその特(こと)なる目なざしを見き。こはベルナルドオが學校にありしとき屡々ハツバス・ダアダアに對してなしたる目なざしなりき。友の擧動、その言語、一つとして不興のしるしならぬはなし。我も快からねば程なく暇乞して還りぬ。別るゝときは友の恭しさ常に倍して、その冷なる手は我が溫なる手を握りぬ。我はわが辭退の理に愜(かな)へる、友の腹立ちしことの我儘に過ぎざるを信じたりき。されど、或時は無聊(ぶりやう)に堪へずしてベルナルドオなつかしく、我詞の猶穩ならざるところありしを悔みぬ。 一日散步のついで、吾友の上をおもひつゝかの猶太廓(ゲツトオ)に入りぬ。若し期せずして其人に逢はゞ我友の怒を霽(はら)す便(たより)にもならんとおもひき。されど、我は彼翁をだに見ざりき。門よりも窗よりも、知らぬ人面を出せり。街の兩側なる敷石の上には、例の古衣、古かねなど陳(なら)べたる、その閒には見苦き子供遊べり。「物買はずや。物賣らずや」と呼ぶ聲は、我を聾(みゝしひ)にせんとする如し。少女あり。向ひの家なる友と、窗より窗へ毬投げつゝ戲れ居たり。そが一人は頗(すこぶる)美しと覺えき。吾友の戀人はもしこれにはあらずや。我は圖らず帽を脫したり。嗚呼、おろかなる振舞せしことよ。我は人の思はん程も影護(うしろめた)くて、手もて額を拭ひつ。こは帽を脫したるは、少女のためならで、暑に堪へねばぞと、見る人におもはしめんとてなりき。
第10章 ボルゲエゼの館をば頻におとづれて、主人の君、フアビアニ、フランチエスカの人々のやさしさに、故鄕にある如き思をなしつ。されど、それさへ時としては胸を痛むる媒(なかだち)となることありき。我胸には慈愛に感ずる情みちみちたれば、彼人々の一たび顰(ひそ)めることあるときは、徑(たゞち)に我世の光を蔽はるゝ如く思ひなりぬ。フランチエスカの我性(さが)を譽めつゝも、强ひて備はらんことを我に求めて、わが立居振舞、わが詞遣(ことばづかひ)の疵(きず)を指すことの苛酷なる、主人の君の、わが獨り物思ふことの人に踰(こ)えたるを戒めて、わが草木などの細かなる區別に心入れぬを咎め、我を自ら卷きて終には萎るゝ葉に比べたる、皆、我心を苦むるものなりき。我齡は早く十六になりぬ。さるを斯ばかりの事に逢ひて、必ず淚を墮すは何故ぞや。主人の君は、我が憂はしげなるさまを見るときは、又、我頬を撫でゝ、 「聖母の善き人を得給はんためには、美しき花の壓(お)さるゝ如く、人も壓されではかなはぬが浮世の習ぞ」 と慰め給ひぬ。 獨りフアビアニの君のみは、何事をもをかしき方に取りなして、 「嶽翁(しうと)と夫人との敎の嚴なることよ」 と打笑ひ、さて我に向ひてのたまふやう、 「君は父上の如き學者とはならざるべし。はた妻のやうに怜悧(れいり)なる人ともならざるならん。されど、君が如き性(さが)もまた世の中になくて協はぬものぞ」 と宣ふ。 斯く裁判(さばき)し畢りて、小尼公(アベヂツサ)を召し給へば、我はその遊び戲れ給ふさまのめでたきを見て、身の憂きことを忘れ果てつ。 人々は來ん年を北伊太利にて暮さんとその心構し給へり。夏はジエノワにとゞまり、冬はミラノに往き給ふなるべし。我は來ん年の試驗にて、「アバテ」の位を受けんとす。 人々は首途(かどで)に先だちて、大いなる舞踏會を催し、我をも招き給ひぬ。門前には大篝(おほかゞり)を焚かせたり。賓客の車には皆松明とりたる先供(せんく)あるが、おのおの其火を石垣に設けたる鐵の柄に揷したれば、火の子、迸り落ちて赤き瀑布(カスカタ)を見る心地す。法皇の兵(つはもの)は騎馬にて門の傍に控へたり。門の内なる小き園には五色の紙燈を弔り、正面なる大理石階には萬點の燭を點せり。階(きざはし)を升(のぼ)るときは、奇香、衣を襲ふ。こは級(きだ)ごとに瓶花(いけばな)、盆栽の檸檬(リモネ)樹を据ゑたればなり。階の際なる兵は肩銃(かたづつ)の禮を施しつ。リフレア着飾りたる僕(しもべ)は堂に滿ちたり。 フランチエスカの君は眩きまで美かりき。珍らしき樂土鳥(極楽鳥)の羽、組緖(くみを、レース)多くつけたる白きアトラス(繻子、しゆす)の衣はこれに一層の美しさを添へたり。そのやさしき指に觸れたるときの我喜はいかなりし。廣閒二つに樂の羣(オーケストラ)を居らせて、客の舞踏の場(には)としたり。 舞ふ人の中にベルナルドオありき。金絲もて飾りたる緋羅紗(ひらしや)の上衣、白き細袴(ズボン)、皆發育好き身形(みなり)に適ひたり。その舞の敵手(あひて)はこよひ集ひし少女の中にて、すぐれて美しき一人なるべし。纖(かぼそ)き手をベルナルドオが肩に打ち掛けて秋波(ウィンク)を送れり。我が舞を知らざることの可悔(くやし)かりしことよ。客に相識る人少ければ、我を顧みるものなし。ベルナルドオが舞果てゝ我傍に來りしとき、我憂は忽ち散じたり。 紅なる帷(とばり)の長く垂れたる背後にて、我等二人はシヤムパニエ酒の杯を傾け、別後の情を語りぬ。面白き樂の調は耳より入りて胸に達し、昔日の不興をば少しも殘さず打ち消しつ。われ遠慮せで猶太少女の事を語り出でしに、友は唯だ高く笑ひぬ。その胸の内なる痍(きず)は早くも愈えて蹟なきに至りしものなるべし。友のいはく、 「われは、その後聲めでたき小鳥を捕へたり。この鳥我戀の病を歌ひ治しき。これある閒は、よその鳥はその飛ぶに任せんのみ。その猶太廓より飛び去りしは事實なり。人の傳ふるが信(まこと)ならば、今は羅馬にさへ居らぬやうなり」 友と我とは、又、杯を擧げたり。泡立てる酒、賑はしき樂は我等が血を湧しつ。ベルナルドオは、又、舞踏の羣に投ぜり。我は獨り殘りたれど、心の中には前に似ぬ樂しさを覺えき。街のかたを見おろせば、貧人の兒ども簇(むらが)りて、松明より散る火の子を眺め、手を打ちて歡び呼べり。われも昔はかゝる兒どもの夥伴(つれ)なりしに、今堂上(御殿)にありて羅馬の貴族に交るやうになりたるは、いかなる神のみ惠ぞ。われは帷の蔭に跪きて神に謝したり。
謝肉祭(カルネワレ)
黑き衣、短き絹の外套。是れ久しく夢みし「アバテ」の服ならずや。目に觸るゝもの一つとして我を祝せざるなし。街を走る吹聽人(ふいちやうにん、触れ役)はいふも更なり、今咲き出づるアネモオネの花、高く聳ゆる松の末(うれ)より空飛ぶ雲にいたるまで、皆我を祝する如し。 恰も好し、フランチエスカの君は、臨時の費(つひゑ)もあるべく、又、日ごろの勞(つかれ)をも忘れしめんとて、百スクヂイの爲換(かはせ)を送り給ひぬ。我はあまりの嬉さに、西班牙(スパニア)磴を驅け上りて、ペツポのをぢに光あるスクウド一つ抛げ與へ、その「アントニオの主公(だんな)」と呼ぶ聲を後(しりへ)に聞きて馳せ去りぬ。 頃は二月の初なりき。杏花(けうくわ)は盛に開きたり。柑子の木、日を逐ひて黃ばめり。謝肉祭(カルネワレ)は旣に戶外に來りぬ。馬に跨り、天鵞絨(びらうど)の幟(のぼり)を建て、喇叭を吹きて、祭の前觸(まへぶれ)する男も、ことしは我がためにかく晴々しくいでたちしかと疑はる。ことしまでは我この祭のまことの樂しさを知らざりき。 穉かりし程は、母上我に怪我せさせじとて、とある街の角に佇みて祭の盛を見せ給ひしのみ。學校に入りてよりは、パラツツオオ・デル・ドリアの廡(ひさし)作りの平屋根(バルコニー)より笑ひ戲るゝ羣を見ることを許されしのみ。すべて街のこなたよりかなたへ行くことだに自由ならず。矧(まして)やカピトリウムに登り、トラステヱエル(河東の地なり、テヱエル河の東岸に當れる羅馬の一部を謂ふ。)に渡らんこと思ひも掛けざりき。かゝれば、我がことしの祭に身を委ねて、兒どもの樣なる物狂ほしき振舞せしも、無理ならぬ事ならん。唯だ怪しきは此祭、我生涯の境遇を一變するに至りしことなり。されど、これも我がむかし蒔きて、久しく忘れ居たりし種の、今緑なる蔓草(つるくさ)となりて、わが命の木に纏へるなるべし。 祭は全く我心を奪ひき。朝にはポヽロの廣こうぢに出でゝ、競馬(くらべうま)の準備(こゝろがまへ)を觀、夕にはコルソオの大道をゆきかへりて、店々の窗に曝せる假粧の衣類を閲(けみ)しつ。我は可笑しき振舞せんに宜しからんとおもへば、狀師(だいげんにん、弁護士)の服を借りて歸りぬ。これを衣(き)て云ふべきこと爲すべきことの心にかゝりて、其夜は殆(ほとほ)と眠らざりき。 明日の祭は特(こと)に尊きものゝ如く思はれぬ。我喜は兒童の喜に遜(ゆづ)らざりき。橫街といふ橫街にはコンフエツチイの丸(たま)賣る浮鋪(とこみせ、屋台店)簷(のき)を列べて、その卓の上には美しき貨物(しろもの)を盛り上げたり。 (コンフエツチイの丸は石灰を踠豆(ゑんだう)の大さに煉りたるなり。白きと赤きと雜(まじ)りたり。中には榖物の粒を石膏泥中に轉(まろが)して作れるあり。謝肉祭の閒は人々互に此丸を擲(なげう)ちて戲るゝを習とす。) コルソオの街を灑掃(さいさう)する役夫は夙(つと)に業を始めつ。家々の窗よりは彩氈(さいせん)を垂れたり。佛蘭西時刻の三點に我はカピトリウムに出でゝ祭の始を待ち居たり。 (伊太利時刻は日沒を起點とす。かの「アヱ・マリア」の鐘鳴るは一時なり。これより進みて二十四時を數ふ。每週一度、日景(ひかげ)を瞻(み)て、錶(とけい)を進退すること四分一時。所謂(いはゆる)佛蘭西時刻は羅馬の人常の歐羅巴時刻を指してしかいふなり。) 出窗(バルコオネ)には貴き外國人(とつくにびと)多く竝みゐたり。議官(セナトオレ)は紫衣(しえ)を纏ひて天鵞絨(びらうど)の椅子に坐せり。法皇の禁軍(このゑ)なる瑞西(スイス)兵整列したる左翼の方には、天鵞絨の帽(ベルレツタ、ベレー)を戴ける可愛らしき舍人(とねり)ども羣居たり。少焉(しばし)ありて猶太宗徒の宿老(をとな)の一行進み來て、頭を露して議官(セナトオレ)の前に跪きぬ。その眞中なるを見れば、美しき娘持てりといふ彼ハノホにぞありける。 式の辭(ことば)をばハノホ陳べたり、 「我宗徒のこの神聖なる羅馬の市の一廓に栖(す)まんことをば、今一とせ許させ給へ。歲に一たびは加特力(カトリコオ)の御寺に詣でゝ、尊き說法を承り候はん。又昔の例(ためし)に沿ひて、羅馬人の見る前にて、コルソオを奔らんことをば、今年も免ぜられんことを願ふなり。若しこの願かなはゞ、競馬の費(つひゑ)、これに勝ちたるものに與ふる賞、天鵞絨の幟の代(しろ)、皆、法(かた)の如く辨(わきま)へ候はん」 といふ。 議官(セナトオレ)は頷きぬ。 (古例に依れば、この時、議官足もておも立ちたる猶太の宿老の肩を踏むことありき。今は廢れたり。) 事果つれば、議官の一列樂聲と倶に階を下り、舍人(とねり)等を隨へて、美しき車に乘り遷れり。是を祭の始とす。カピトリウムの巨鐘は響き渡りて、全都の民を呼び出せり。 我は急ぎ歸りて、かの狀師(だいげんにん)の服に着換へ、再び街に出でしに、假裝の羣は早く我を邀(むか)へて目禮す。この羣は祭の閒のみ王侯に同じき權利を得たる工人と見えたり。その假裝には價極めて卑きものを揀(えら)びたれど、その特色は奪ふべからず。常の衣の上に粗栲(あらたへ)の汗衫(じゆばん)を被りたるが、その衫(さん)の上に縫附けたる檸檬(リモネ)の殼は大いなる鈕(ぼたん)に擬(まが)へたるなり。肩と鞾(くつ)とには靑菜を結びつけたり。頭に戴けるは「フイノツキイ」(俗曲中にて無遠慮なる公民を代表したる役なり。)の假髮(かづら)にて、目に懸けたるは柚子(みかん)の皮を刳(く)りぬきて作りし眼鏡なり。 我は彼等に對ひて立ち、手に持ちたる刑法の卷を開きてさし示し、 「見よ、分を踰(こ)えたる衣服の奢(をごり)は國法の許さゞるところなるぞ。我が告發せん折に臍(ほぞ)を噬(か)む悔あらん」 と喝(かつ)したり。 工人は拍手せり。我は進みてコルソオに出でたるに、こゝは早や變じて假裝舞(フエスチノ)の廣閒となりたり。四方の窗より垂れたる彩氈(さいせん)は、唯だおほいなる欄(てすり)の如く見ゆ。家々の簷端(のきば)には、無數の椅子を竝べて、「善き場所はこゝぞ」と叫ぶ際物師(きはものし)あり。街を行く車は皆正しき往還(ゆきかへり)の二列をなしたるが、これに乘れる人多くは假裝したり。中にも月桂(ラウレオ)の枝もて車輪を賁(かざ)りたるあり。そのさま四阿屋(あづまや)の行くが如し。家と車との隙閒をば樂しげなる人、填(うづ)めたり。窗には見物の人々充ちたり。そが閒には軍服に假髭(つけひげ)したる羅馬美人ありて、街上なる知人(しるひと)にコンフエツチイの丸(たま)を擲(なげう)てり。我これに向ひて、 「コンフエツチイもて人の面を擊つは、國法の問ふところにあらねど、美しき目より火箭(ひや)を放ちて人の胸を射るは、容易ならぬ事なれば許し難し」 と論告せしに、喝采の聲と倶に、花の雨は我頭上に降り灑(そゝ)ぎぬ。 公民の妻と覺しき婦人の際立ちて飾り衒(てら)へるあり。權夫(けんふ)(夫に代りて婦人に仕ふる者、チチスベオ。)と覺しき男これに扈從(こじう)したり。この時我はぬけ道の前に立ちたるが、道化役(プルチネルラ)に打扮(いでた)ちたる一羣、戲に相鬪へるがために、しばし往還(ゆきかへり)の便(たより)を失ひて、かの婦人と向きあひゐたり。我は廼(すなは)ちこれに對して論じていはく、 「君よ、かくても誓に負(そむ)かざることを得るか。かくても羅馬の俗、加特力(カトリコオ)の敎に背かざることを得るか。嗚呼、タルクヰニウス・コルラチニウスが妻なるルクレチア(辱を受けて自殺す。事は羅馬王代の末、紀元前五百九年に在り。)は今、安(いづく)にか在る。君は今の女子の爲すところに倣ひて、謝肉祭の閒、夫を河東に遣りて、僧と倶に精進(せじみ)せしめ給ふならん。君が良人は寺院の垣の内に籠りて日夜苦行し、復た滿城の士女狂せるが如きを顧みず、其心には、あはれ我最愛の妻も家に籠りて齋戒(ものいみ)するよとおもふならん。さるを君は何の心ぞ。この時に乘じて自在に翼を振ひ、權夫に引かれてコルソオをそゞろありきし給ふ。君よ、我は刑法第十六章第二十七條に依りて、君が罪を糺(たゞ)さんとす」 語未だ畢らざるに、婦人は手中の扇をあげてしたゝかに我面を擊ちたり。その擊ちかたの强さより推すに、我は偶々女の身上を占ひて善く中(あ)てたるものならん。友なる男は、 「アントニオ、物にや狂へる」 と私語(さゝや)ぎて、急に婦人を拉(ひ)きつゝ、巡査(スビルロ)、希臘人、牧婦などにいでたちたる人の閒を潛りて逋(のが)れ去りぬ。その聲を聞くに、ベルナルドオなりき。さるにても彼婦人は誰にかあらん。 椅子を借さんとて、「觀棚(さじき)、々々(ルオジ・ルオジ・パトロニ)」と呼ぶ聲いと喧(かまびす)し。われは思慮する遑(いとま)あらざりき。されど、謝肉祭の閒に思慮せんといふも、固より世に儔(たぐひ)なき好事(かうず)にやあらん。忽ち肩尖(かたさき)と靴の上とに鈴つけたる戲奴(おどけやつこ)(アレツキノ)の羣ありて、我一人を中に取卷きて跳ね𢌞(めぐ)りたり。忽ち、又いと高き踊(つぎあし)したる狀師(だいげんにん)あり。我傍を過ぐとて、我を顧みて冷笑(あざわら)ひていはく、 「あはれなる同業者なるかな。君が立脚點の低きことよ。おほよそ地上にへばり着きたるものは、正を邪に勝たしむること能はず。我は高く擧(あが)りたり。我に代言せしむるものは、天の祐(たすけ)を得たらん如し」 かく誇りかに告げて大蹈步(おほまた)に去りぬ。 ピアツツア・コロンナに伶人の羣あり。非常を戒めんと、徐にねりゆく兵隊の閒をさへ、學士(ドツトレ)、牧婦などにいでたちたるもの踊りくるひて通れり。我は再び演說を始めしに、書記の服着たる男一僕(しもべ)を隨へたるが我前に來て、僕(しもべ)に鐸(おほすゞ)を鳴さする其響耳を裂(つんざ)くばかりなれば、われ我詞を解し得ずして止みぬ。この時號砲鳴りぬ。こは車の大道を去るべき知らせなり。 我は道の傍に築きたる壇に上りぬ。脚下には人の頭波立てり。今やコルソオの競馬始らんとするなれば、兵士は人を攘(はら)はんことに力を竭(つく)せり。 街の一端に近きポヽロの廣こうぢに索(つな)を引きて、馬をば其後に竝べたり。馬は早や焦躁(いらだ)てり。脊には燃ゆる海綿を貼り、耳後には小き烟火具(はなび)を裝ひ、腋には拍車ある鐵板を懸けたり。口際(くちぎは)に引き傍(そ)ひたる壯丁(わかもの)はやうやくにして馬の逸(はや)るを制したり。號砲は再び鳴りぬ。こは埒(らち、垣)にしたる索を落す合圖なり。馬は旋風(つむぢかぜ)の如く奔りて、我前を過ぎぬ。幣(ぬさ、お供え)の如く束ねたる薄金はさらさらと鳴り、彩りたる紐は鬣(たてがみ)と共に飄(ひるがへ)り、蹄の觸るゝ處は火花を散せり。かゝる時、彼鐵板は腋を打ちて、拍車に釁(ちぬ、血塗)ると聞く。羣衆は高く叫びて馬の後に從ひ走れり。そのさま艫(とも、船尾)打つ波に似たり。
歌女(うため)
「いかなれば茲(こゝ)には來たる。さきの婦人をばいづくにか、おきし」 友は指を堅(た)てゝ我を威(をど)すまねしていはく、 「措(を)け。我等は決鬪することを好まず。さきに邂逅(いであ)ひたるときの狂態は何事ぞ。言ふこともあるべきに、かゝることをばなど言ひたる。然れども、このたびは釋(ゆる)すべし。今宵は我と倶に、芝居、見に往け。『ヂド』(カルタゴ女王の名にて、又、樂劇(オペラ)の名となれり。)を興行すといふ。音樂よの常ならず。女優の中には世に稀なる美人多し。加旃(しかのみなら)ず、主人公に扮するは、嘗てナポリに在りしとき、闔府(かふふ)の民をして物に狂へる如くならしめきといふ餘所(よそ)の歌女なり。その發音、その表情、その整調、みな我等の夢にだに見ざるところと聞く。容貌も、亦、美し、絕(はなは)だ美しと傳へらる。汝は筆を載せて(携帯して)從ひ來よ。若し世人の言、半ば信(まこと)ならんには、汝がソネツトオの工(たくみ)を盡すも、これに贈るに堪へざらんとす。我はけふの謝肉祭に賣り盡して、今は珍しきものになりたる菫(すみれ)の花束を貯へおきつ。かの歌女、もし我心に協(かな)はゞ、我はこれを贄(にへ、ギフト)にせん」 といふ。 我は共に往かんことを諾(うべな)ひぬ。すべて謝肉祭に連りたる樂(たのしみ)をば、つゆ遺さずして嘗(こゝろ)みんと誓ひたればなり。今は我がために永く 諼(わす)るべからざる夕となりぬ。我『羅馬日記』(ヂアリオ・ロマノ)を披(ひら)けば、けふの二月三日の四字に重圈を施したるを見る。想ふにベルナルドオ、如(も)し日記を作らば、また我筆に倣(なら)はざることを得ざるならん。 そもそも「アルベルトオ座」といへるは、羅馬の都に數多き樂劇部の中にて最大なるものなり。飛行の詩神(ミューズ)を畫ける仰塵(プラフオン、天井)、オリユムポスの圖を寫したる幕、黃金を鏤(ちりば)めたる觀棚(さじき、桝席)など、當時は猶新なりき。棚(さじき)ごとに壁に鉤(かぎ)して燭を立てたれば、場内には光の波を湧かしたり。女客の來て座を占むるあれば、ベルナルドオ必ずその月旦(げったん、人物評)を怠ることなし。 開場の樂(ウヱルチユウル、序曲)は始りぬ。こは音を以て言(ことば)に代へたる全曲の敍(じよ)と看做さるべきものなり。狂飈(けうへう、激しい風)波を鞭(むちう)ちて、エネエアスはリユビアの瀲(なぎさ)に漂へり。風波に駭(をどろ)きし叫號の聲は、神に謝する祈祷の歌となり、この歌又變じて歡呼となる。忽ち柔なる笛の音起れり。是れヂドが戀の始なるべし。戀といふものは、我が未だ知らざるところなれど、この笛の音は、我に髣髴(はうふつ)としてその面影を認めしめたり。忽ち角聲(かくせい、角笛の音)獵(かり)を報ず。暴風、又、起れり。樂聲は我を引いて怪しき巖室の中に入りぬ。是れ溫柔鄕(おんじうけう)なり。一呼一吸戀にあらざることなし。忽ち裂帛(れつぱく)の聲あり。幕は開きたり。 エネエアスは去らんとす。去りてアスカニウス(エネエアスの子)がために、ヘスペリヤ(晚國の義、伊太利)を畧せんとす。去りてヂドを棄てんとす。憐むべし。ヂドはおのれが榮譽と平和とを捧げて、これを無情の人におくり、その夢猶未だ醒めざるなり。エネエアスが歌にいはく、 「その夢は、早晚醒むべし。トロアスの兵(つはもの)黑き蟻の羣の如く獲(えもの)を載せて岸に達せば、その夢いかでか醒めざることを得ん」 ヂドは舞臺に上りぬ。その始めて現はるゝや、萬客、屏息(へいそく)してこれを仰ぎ瞻(み)たり。その態度、その嚴(をごそか)なること王者の如くにして、しかも輕(かろ)らかに優しき態度には、人も我も、徑(たゞち)に心を奪はれぬ。初め、われこのヂドといふ役を我心に畫(ゑが)きしときは、その姿いたく今見るところに殊(こと)なりしかど、この歌女の意外なる態度はすこしも我興を損ふことなかりき。その優しく、愛らしく、些(いささか)の塵滓(じんし)を留めざる美しさは、名匠ラフアエロが空想中の女子の如し。烏木(こくたん)の光ある髮は、美しく凸(なかだか)なる額(ぬくわ)を圍めり。深黑なる瞳には、名狀すべからざる表情の力あり。忽ち喝采の聲は柱を撼(ゆるぐわ)さんとせり。こは、未だその藝を讚むるならずして、先づ其色を稱ふるなり。所以者何(ゆゑいかに)といふに、彼は、今、纔(わづか)に場(ぜう)に上りて、未だ隻音(せきをん)をも發せざればなり。彼は、面に紅を潮(さ)して輕く會釋し、その天然の美音もて、百錬千磨したる抑揚をその宣敍調(レチタチイヲオ)の上にあらはしつ。 友は、遽(にはか)に我臂(ひぢ)を把りて、人にも聞ゆべき程なる聲していはく、 「アントニオよ、あれこそ例の少女なれ、飛び去りたる例の鳥なれ、その姿をば忘るべくもあらず。その聲さへ昔のまゝなり、われ心狂ひたるにあらずば、わがこの目利(めきゝ)は違ふことなし」 われ、 「例のとは誰が事ぞ」 友、 「猶太廓(ゲツトオ)の少女なり。されど、彼の少女いかにしてこの歌女とはなりし。不思議なり。有りとしも思はれぬ事なり」 友は、再び眼を舞臺に注ぎて詞なし。ヂドは戀の歡を歌へり。淸き情は、聲となりて肺腑より迸(ほとばし)り出づ。是時に當りて、我心は怪しく動きぬ。久しく心の奧に埋もれたりし記念は、此聲に喚び醒されんとする如し。この記念は、我が全く忘れたるものなりき。この記念は、近頃夢にだに入らざるものなりき。さるを、忽ちにして我はその目前に現るゝを覺えき。今は我も亦ベルナルドオと倶に呼ばんとす。あれこそ例の少女なれ。われ穉かりし時、サンタ・マリア・アラチエリの寺にて聖誕日の說敎をなしき。その時聲めでたき女兒ありて、その人に讚めらるゝこと我右に出でき。今聞くところは其聲なり。今見るところ、或は其人にはあらずや。 エネエアスは無情なる語を出せり、 「我は去りなん。我は嘗ておん身を娶(めと)りしことなし。誰かおん身が婚儀の松明を見しものぞ」 この詞を聞きたるときの心をば、ヂドいかに巧にその眉目の閒に畫き出しゝ。事の意外に出でたる驚(をどろき)、ことばに現すべからざる痛、負心(ふしん)の人に對する忿(いかり)、皆明かに觀る人の心に印せられき。ヂドは今、主なる單吟(アリア)に入りぬ。譬へば、千尋(ちひろ)の海底に波起りて、倒(さかしま)に雲霄(うんせう、靑空)を干(をか)さんとする如し。我筆いかでか此聲を畫くに足らん。あはれ、此聲、人の胸より出づとは思はれず。姑(しばら)く形あるものに喩(たと)へて言はんか。大いなる鵠(くゞひ)の、皎潔(けうけつ)雪の如くなるが、上りては雲を裂いて灝氣(かうき、霊気)たゞよふわたりに入り、下りては波を破りて蛟龍(かうれう)の居るところに沒し、その性命は聲に化して身を出で去らんとす。 喝采の聲は、屋(いへ)を撼(うごか)せり。幕下りて後も、「アヌンチヤタ」「アヌンチヤタ」と呼ぶ聲止まねば、歌女は面を幕の外にあらはして謝することあまたゝびなりき。 第二齣(せつ)の妙は、初齣を踰(こ)ゆること一等なりき。これ、ヂドとエネエアスとの對歌(ヅエツトオ)なり。ヂドは無情なる夫の、せめては啟行(いでたち)の日を緩(おそ)うせんことを願へり。 「君が爲めには、われリユビアの種族を辱めき。君がためには、われ亞弗利加(アフリカ)の侯伯に負(そむ)きぬ。君がために恥を忘れ、君がために操を破りたるわれは、トロアスに向けて一隻の舟をだに出さゞりき。我はアンヒイゼス(エネエアスの父)が靈の地下に安からんことを勉めき」 これを聞きて我淚は千行(ちすぢ)に下りぬ。この時、萬客聲を呑みて、その感の我に同じきを證したり。 エネエアスは行きぬ。ヂドは色を喪ひて凝立すること少(しば)らくなりき。その狀、ニオベ(子を射殺されて石に化した女神)の如し。俄(にはか)にして渾身の血は湧き立てり。これ最早ヂドならず、戀人なるヂド、棄婦(きふ)なるヂドならず。彼は生ながら怨靈となれり。その美しき面は毒を吐けり。その表情の力の大いなる、今まで共に嘆きし萬客をして忽、又、共に怒らしむ。 フイレンツエの博物館に、レオナルドオ・ダ・ヰンチが畫きたるメヅウザ(おそろしき女神)の頭あり。これを觀るもの怖るれども去ること能はず。大海の底に毒泡あり。能くアフロヂテを作りぬ。その目の狀は言ふことを須(ま)たず、その口の形さへ、能く人を殺さんとす。 エネエアスが舟は、波を蹴(け)て遠ざかりゆけり。ヂドは夫の遺(わす)れたる武器(もののぐ)を取りて立てり。その歌は沈みて、その聲は重く、忽ちにして、又、激越悲壯なり。同胞なるアンナアが彼を焚かんとて積み累ねたる薪は、今燃え上れり。 幕は下りぬ。喝采の聲は暴風の如くなりき。歌女は、その色と聲とを以て滿場の客を狂せしめたるなり。觀棚(さじき)よりも土閒よりも、「アヌンチヤタ」「アヌンチヤタ」と呼ぶ聲、頻なり。幕上りて歌女出でたり。その羞(はぢらひ)を含める姿は故(もと)の如くなりき。男は其名を呼び、女は紛帨(てふき、ハンカチーフ)を振りたり。花束の雨はその頭(かうべ)の上に降れり。幕再び下りしに、呼ぶ聲いよいよ劇しかりき。こたびはエネエアスに扮せし男優と竝びて出でたり。幕三たび下りしに、呼ぶ聲いよいよ劇しかりき。こたびはすべての俳優(わざをぎ)を伴ひ出でぬ。幕四たび下りしに、呼ぶ聲、猶劇しかりき。こたびはアヌンチヤタ、又ひとり出でて、短き謝辭を陳べたり。此時、我詩は花束と共に歌女が足の下に飛べり。 呼ぶ聲は未だ遏(や)まねど、幕は復た開かず。この時アヌンチヤタは、幕の一邊より出でゝ舞臺の前のはづれなる燭に沿ひて步みつゝ觀客に謝したり。その面には喜の色溢るゝごとくなりき。想ふに、けふは歌女が生涯にて最も嬉しき日なりしならん。されど、こは特(ひと)り歌女が上にはあらず。我も、亦、わが生涯の最も嬉しき日を求めば、そは、或はけふならんと覺えき。わが目の中にも、わが心の底にも、たゞアヌンチヤタあるのみなりき。 觀客は劇場を出でたり。されど、皆、未だ肯(あへ)て散ぜず。こは、樂屋の口に𢌞りゆきて、歌女が車に上るを見んとするなるべし。我も、衆人の閒に介(はさ)まりて、おなじ方に步みぬれど、後には傍へなる石垣に押し付けられて動くこと能はず。歌女は樂屋口に出でぬ。客は皆帽を脫ぎてその名を唱へたり。われもこれに聲を合せつゝ、言ふべからざる感の我胸に滿つるを覺えき。ベルナルドオはもろ人を押し分けて進み、早くも車に近寄りて、歌女がためにその扉を開きぬ。少年の羣は轅(ながえ)にすがりて馬を脫(はづ)したり。こは、自ら車を輓(ひ)かんとてなりき。アヌンチヤタは聲を顫(ふるは)せてこれを制せんとしつれど、その聲は萬人のその名を呼べるに打ち消されぬ。ベルナルドオは歌女を車に載せ、おのれは踏板(うみいた)に上りて說き慰めたり。我も轅(ながゑ)を握りてかの少年の羣と共に喜びぬ。惜むらくは時早く過ぎて、たゞ美しかりし夢の痕(あと)を我心の中に留めしのみ。 歸路に珈琲店(カツフエエ)に立寄りしに、幸にベルナルドオに逢ひぬ。羨むべき友なるかな。彼はアヌンチヤタに近づき、アヌンチヤタともの語せり。友のいはく、 「アントニオよ、奈何(いか)なりしぞ。汝が心は動かずや。若し骨焦がれ髓燃えずば、汝は男子にあらじ。さきの年我が彼に近づかんとせしとき、汝は實に我を妨げたり。汝は何故にヘブライオス語を學ぶことを辭(ゐな)みしか。若し辭まずば、かゝる女と竝び坐することを得しならん。汝は猶アヌンチヤタの我猶太(ユダヤ)少女なることを疑ふにや。我にはかく迄似たる女の世にあらんとは信ぜられず。アヌンチヤタはたしかに猶太をとめなり。我にチプリイの酒を飮せし少女なり。少女は巢を立ちしフヨニツクス鳥の如く、かの穢(けがら)はしき猶太廓を出でつるなり」 われ、 「そは信じ難き事なり。我も昔一たびかの女を見きと覺ゆ。若し其人ならば、猶太敎徒にあらずして加特力敎徒なること疑なし。汝も熟々(つくづく)彼姿を見しならん。不幸なる猶太敎徒の皆負へるカイン(亞當(アダム)の子。)が印記(しるし)は、一つとしてその面に呈(あらは)れたるを見ざりき。又その詞さへその聲さへ、猶太の民にあるまじきものなり。ベルナルドオよ、我心はアヌンチヤタが妙音世界に遊びて、ほとほと歸ることを忘れたり。汝は彼少女に近づきたり。汝は彼少女ともの語せり。彼少女は何をか云ひし。彼少女も我等と同じくこよひの幸を覺えたりしか」 友、 「アントニオよ、汝が感動せるさまこそ珍らしけれ。ジエスヰタの學校にて結びし氷今融くるなるべし。アヌンチヤタが何を云ひしと問ふか。彼少女は粗暴なる少年に車を挽かれて、且は懼(おそ)れ、且は喜びたりき。彼少女は面紗(めんさ、ベール)を緊(きび)しく引締めて、身をば車の片隅に寄せ居たり。我は途すがらかゝる美しき少女に言ふべきことの限を言ひしかど、彼は車を下るとき我がさし伸べたる手にだに觸れざりき」 われ、 「汝が大膽なることよ。汝は歌女と相識れるにあらずして、よくもさまで馴々しくはもてなしゝよ。こは、我が決して敢てせざる所ぞ」 友、 「我もさこそ思へ。汝は世の中を知らず、又、女の上を知らねばなり。今日はかの女いまだ我に答へざりしかど、我には猶、多少の利益あり。そは少女が我面を認めたることなり」 我友は、これより我にさきの詩を誦(ず)せしめて聞き、 「頗妙なり、『羅馬日記』(ヂアリオ・ロオマ)に刻するに足る」 と稱へき。 我等二人は杯を擧げてアヌンチヤタが壽(ことほぎ)をなしたり。我等のめぐりなる客も皆歌女の上を語りて口々に之を讚め居たり。 我がベルナルドオに別れて家に歸りしは、夜ふけて後なりき。牀に上りしかど、いも寐られず。われはこよひ見し阿百拉(オペラ)の全曲を繰り返して心頭に畫(ゑが)き出せり。ヂドが初めて場(ぜう)に上りし時、單吟(アリア)に入りし時、對歌(ヅエツトオ)せし時より、曲終りし時まで、一々肝に銘じて、其閒の一節だに忘れざりき。我は手を被中(ひてう、寝具)より伸べて拍ち鳴らし、聲を放ちて『アヌンチヤタ』と呼びぬ。次に思ひ出したるは我が心血を濺(そゝ)ぎたる詩なり。起きなほりてこれを寫し、寫し畢りてこれを讀み、讀みては自ら其妙を稱へき。當時はわれ此詩のやゝ情熱に過ぐるを覺えしのみにて、その名作たることをば疑はざりき。アヌンチヤタは必ず我詩を拾ひしならん。今は彼少女家に歸りて半ば衣を脫ぎ、絹の長椅(ソフア)の上に坐し、手もて頤(おとがひ)を支へて、ひとり我詩を讀むならん。 きみが姿を仰ぎみて 君がみ聲を聞くときは おほそら高くあま翔り わたつみふかくかづきいり かぎりある身のかぎりなき うき世にあそぶこゝちして うた人なりしいにしへの ダヌテがふみをさながらに おとにうつしてこよひこそ 聞くとは思へ うため(歌女)の君に 我は嘗てダンテの詩をもて天下に比(たぐひ)なきものとなしき。さるを、今アヌンチヤタが藝を見るに及びて、その我心に入ること神曲よりも深く、その我胸に迫ること神曲よりも切なるを覺えたり。その愛を歌ひ、苦を歌ひ、狂を歌ふを聞けば、神曲の變化も亦こゝに備はれり。アヌンチヤタ我詩を讀まば、必ず我意を解して、我を知らんことを願ふならん。斯く思ひつゞけて、やうやうにして眠に就きぬ。後に思へば、我は此夕我詩を評せしにはあらで、始終詩中の人をのみ思ひたりしなり。
第11章 かゝる羣の華かなる粧(よそほひ)、その物騷がしき聲々はますます我心地を損じたり。車幾輛(いくれう)か我前を過ぐ。その御者はことごとく女裝せり。忌はしき行裝(げうさう)かな。女帽子の下より露れたる黑髯、あらあらしき身振、皆、程を過ぎて醜し。我はきのふの如く此閒に立ちて快を取ること能はず。今しも最後の眸を彼君の居給ふ家に注ぎて、はや踵(くびす)を囘(めぐら)さんとしたるとき、その家の門口(かどぐち)より馳せ出る人こそあれ。こはベルナルドオなり。滿面に打笑みて、 「そこに立ち盡すは何事ぞ。疾く來よ。アヌンチヤタに引きあはせ得さすべし。彼君は汝を待ち受けたり。こは我友誼なれば」 「なに。彼君が」 と我は言ひさして、血は耳廓(みゝのは)に昇りぬ。 「戲すな。我をいづくにか伴ひゆかんとする」 友、 「汝が詩を贈りし人の許へ。汝も我も世の人も皆魂を奪れたる彼人の許へ。アヌンチヤタの許へ」 かく云ひつゝ、友は我手を取りて門の内へ引き入れたり。 我、 「先づわれに語れ。いかにして彼君の家に往くことゝはなしたる。いかにして我を紹介するやうにはなりし」 友、 「そは後にゆるやかにこそ物語らめ。先づその沈みたる顏色をなほさずや」 我、 「されど、このなよびたる衣をいかにせん。かの君にあまりに無作法なりとや思はれん」 かく言ひつゝ我は衣など引き繕ひてためらひ居たり。 友、 「否々、その衣のままにて結構なり」 兎角いひ爭ふほどに、我等は、はや戶の前に來ぬ。戶は開けり。我はアヌンチヤタが前に立てり。 衣は黑の絹なり。半紅半碧の紗(うちぎぬ)は肩より胸に垂れたり。黑髮を束ねたる紐の飾は珍らしき古代の寶石なるべし。傍に、窗の方に寄りて坐りたるは、暗褐色の粗服したる媼なり。彼君の目の色、顏の形は猶太少女といはんも理(ことわり)なきにあらずと思はる。我友がむかし猶太廓(ゲツトオ)にて見きといふ少女の事は、忽ち胸に浮びぬ。されど、我心に問へば、この人その少女ならんとは思はれず。室の内には、尚一人の男居あはせたるが、わが入り來るを見て立ちあがれり。アヌンチヤタも亦起ちて笑みつゝ我を迎へたり。友はわざとらしき聲音にて、 「これこそ我友なる大詩人に候へ。名をばアントニオといひ、ボルゲエゼの族(うから)の寵兒なり」 主人の姫は我に向ひて、 「許し給へ。おん目にかゝらんことは、寔(まこと)に喜ばしき限なれど、かく强ひて迎へまつらんこと本意(ほい)なく、二たび三たび止めしに、ベルナルドオの君聽かれねば是非なし。さきにはめでたき歌を賜はりぬ。その作者は君なること、おん友達より承りて、いかでおん目にかゝらんと願ひ居りしに、窗より君を見付けて、わが詞を聞かで呼び入れ給ひぬ。禮なしとや思ひ給ひけん。されど、おん友達の上は、我より君こそよく知りておはすらめ」 ベルナルドオは戲もて姫がこの詞に答へ、我は僅にはじめて相見る喜を述べたり。我頬は燃ゆる如くなりき。姫のさし伸べたる手を握りて、我は熱き唇に當てたり。姫は室にありし男を我に引き合せつ。すなはちこの羣の樂長なりき。又、媼は姫のやしなひ親なりといふ。その友と我とを見る目なざしは廉(かど)ある如く覺えらるれど、姫が待遇(もてなし)のよきに、我等が興は損はるゝに至らざりき。 樂長は我詩を讚めて、われと握手し、 「かゝる技倆ある人のいかなれば樂劇(オペラ)を作らざる、早くおもひ立ちて、その初の一曲をば、おのれに節附(ふしつけ、作曲)せさせよ」 と勸めたり。 姫その詞を遮りて、 「彼が言を聞き給ふな。君にいかなる憂き目をか見せんとする。樂人は作者の苦心をおもはず、聽衆はまた樂人よりも冷淡なるものなり。こよひの出物なる『樂劇の本讀』(ラ・プルオバ・ヅン・オペラ・セリア)といふ曲は、かゝる作者の迷惑を書きたるものなるが、まことは猶一層の苦界なるべし」 樂長の答へんとするに口を開かせず、姫は我前に立ちて語を繼ぎたり、 「君、こゝろみに一曲を作りて、全幅の精神をめでたき詞に注ぎ、局面の體裁、人物の性質、いづれも心を籠めてその趣を盡し、扨(さて)これを樂人の手に授け給へ。樂人はこゝにかゝる聲を揷(はさ)まんとす。君が字句はそのために削らるべし。かしこには笛と鼓とを交へむとす。君はこれにつれて舞はしめられん。さておもなる女優(プリマドンナ)は來りて、引込の前に歌ふべき單吟(アリア)の華かなるを一つ作り添へ給はでは、この曲を歌はじといふべし。全篇の布置は善きか惡きか。そは俳優(わざをき)の責にあらず。テノオレうたひの男も、これに讓らぬ我儘をいはむ。君は男女の役者々々を訪ひて項(うなぢ)を曲げ色を令(よ)くし、そのおもひ付く限の注文を聞きてこれに應ぜざるべからず。次に來るは座がしらなり。その批評、その指擿(してき)、その刪除(さんじよ)に逢ふときは、その人いかに愚ならんも、枉(ま)げてこれに從はでは協(かな)はず。道具かたはそれの道具を調へんは、我座の力の及ぶところにあらずといふ。かゝる場合に原作を改むることを、芝居にては『曲を曲(ま)ぐ』といふ。畫工は某(それ)の畑、某の井、其の積み上げたる芻秣(まぐさ)をば、え寫さじといふ。これがためにさへ曲ぐべき詞も出來たるべし。最後におもなる女優、又、來りて、それの詞の韻脚は囀(さへづ)りにくし、あの韻をば是非とも「阿」(あ、A)のこゑにして賜はれといふ。これがためにいかなる重みある詞を削り給はんも、又いづくより「阿」のこゑの韻脚を取り給はんも、そは唯だ君が責に歸せん。かくあまたゝび改めて、ほとほと元の姿を失ひたる曲を革に掛けたるとき、看客のうけあしきを見て、樂長はかならず怒りて云はむ、『拙劣なる詩のために、いたづらなる骨折せしことよ。わが譜の翼を借したれども、癡重(ちちやう、鈍重)なるかの曲はつひに地に墜ちたり』と云はむ」 外よりは樂の聲おもしろげに聞えたり。假面着けたる人は、こゝの街にもかしこの辻にもみちみちたり。たちまち拍手の音と共に聞ゆる喝采の響いとかしましきに、一座の人々みな窗よりさし覗きぬ。いまわれ意中の人の傍にありて見れば、さきに厭はしと見つるとは樣かはりて、けふの祭のにぎはひ、又、面白く、我はふたゝびきのふ衆人に立ち廁(まじ)りて遊びたはぶれし折に劣らぬ興を覺えき。 道化役者にいでたちたるもの五十人あまり。われ等のさし覗ける窗の下につどひ來て、おのれ等が中より一人の王を選擧せんとす。これに中(あた)りたるものは、彩りたる旗、桂の枝の環飾、檸檬(リモネ)の實の皮などを懸けたる小車に乘り遷(うつ)りぬ。その旗の、をかしく風に飜るさま、衣の紐などの如く見えき。王の着座するや、其頭(かしら)には、金色に塗りて更にまた彩りたる鷄卵を竝べて作れる笠を冠として戴かせ、其手にはマケロニ(マカロニ)つけたる大いなる玩具(もてあそびもの)の柄つきの鈴を笏(こつ、しゃく)として持たせたり。さて、人々その車のめぐりを踊りめぐれば、王はいづかたへも向ひて頷(うなづ)きたり。やゝありて、人々は自ら車の綱取りて挽(ひ)き出せり。この時王は窗にアヌンチヤタあるを見つけ、親しげに目禮し、車の動きはじむると共に聲を揚げ、 「きのふは汝、けふは我。羅馬の牧のまことの若駒を轅(ながゑ)に繋ぐ快さよ」 とぞ叫びける。 姫は面をさと赤(あから)めて一足退きしが、忽ち心を取直したる如く、又、手を欄(をばしま)にかけて、聲高く、 「我にも汝にも過分なる事ぞ。かりそめにな思ひそ」 といふ。 羣集も、亦、きのふの歌女を見つけたりけるが、今その王との問答を聞きて、喝采の聲しばしは鳴りも止まず、雨の如き花束は樓の上なる窗に向ひて飛びぬ。その花束の一つ、姫が肩に觸れて我前に落ちたれば、我はそを拾ひて胸におしつけ、何物にも換へがたき寶ぞと藏(をさ)めおきぬ。 ベルナルドオは祭の王のよしなき戲を無禮(なめ)しといきどほり、そのまゝ樓を走り降りて、 「筈(むちう)ち懲らさばや」 といひしを、樂長は餘(よ)のひとびとと共になだめ止むるほどに、テノオレうたひの頭なる男おとづれ來ぬ。 その男は、歌女に初對面なりといふアバテ一人と外國うまれの樂人一人とを伴へり。續いて外國の藝人あまた打連れ來りて對面を請ひぬ。これにて一閒に集ひし客の數俄に殖えたれば、物語さへいと調子づきて、さきの夕、アルジエンチナ座にて興行したる可笑き假粧舞(フエスチノ)の事、詩女(ムウザ)の導者たるアポルロン、古代の力士、圓鐵板(ヂスコス)投ぐる男の像等に肖(に)せたる假面の事など、次を逐(お)ひて談柄(だんぺい)となりぬ。獨りかの猶太種と覺しき老女のみは、この賑しき物語に與らで、をりをり姫がことさらに物言掛けたる時、僅に輕く頷くのみなりき。 この時姫の態度に心をつくるに、きのふ芝居にて思ひしとは、甚しき相違あり。その家にありてのさまは、世を面白く渡りて、物に拘(こだは)ることなき尋常の少女なり。されど、わが姫を悅ぶ心はこれがために毫(すこ)しも減ぜず。この穉き振舞は卻(かへ)りてあやしく我心に協(かな)ひき。 姫は譯もなき戲言(ざれごと)をも面白くいひ出でゝ我をも人をも興ぜさせ居たりしが、俄にこゝろ付きたるやうに錶(とけい)を見て、 「はや化粧すべき時こそ來ぬれ。今宵は『樂劇の本讀』(ラ・プルオバ・ヅン・オペラ・セリア)のうちなる役に中(あた)り居れば」 とて座を起ち、側なる小房のうちに入りぬ。 門を出でたるとき。われ、 「汝が惠によりて、ゆくりなき幸に逢ひしことよ。舞臺なるを見し面白さに讓らぬ面白さなりき。さはれ、汝はいかにして彼君とかく迄親くはなりし。又いかにして我をさへ紹介しつる。我は猶さきよりの事を夢かと疑はんとす」 友、 「わが少女の許を訪れしは、別にめづらしき機會を得しにあらず。羅馬貴族の一人、法皇禁軍(このゑ)の一將校、すべての美しきものを敬する人のひとりとして、姫をば見舞つるなり。若し、又、戀といふものゝ上より云はゞ、この理由の半ばをだに須(もち)ゐざるならん。されば、我が姫を訪ひて、汝も前(さき)に見つる如き紹介なき客に劣らぬ、善き待遇を得しこと、復た怪むに足らざるべし。且(また)戀はいつも我交際の技倆を進む。彼と相對するときは、倦怠せしめざる程の事、我掌中に在り。相見てよりまだ半時閒を經ざるに、我等は頗る相識ることを得き。さてかくは汝をさへ引合せつるなり」 我、 「さては汝彼君を愛すといふか。眞心もて愛すといふか」 友、 「然り、今は昔にもまして愛するやうになりぬ。さきに猶太廓にて我に酒を勸めし少女の、今のアヌンチヤタなることは、最早疑ふべからず。わが始て居向ひしとき、姫は分明(ぶんめう)に我を認むるさまなりき。かの老いたる猶太婦人の詞すくなく、韈(くつした)編めるも、わがためには一人の證人なり。されど、アヌンチヤタは生れながらの猶太婦人にあらず。初め我がしかおもひしは、其髮の黑く、其瞳の暗きと其境界とのために惑はされしのみ。今思へば姫は矢張(やはり)基督敎の民なり。終(つひ)には樂土(パラダイス)に生るべき人なり」
をかしき樂劇
世に知れわたりたる如く、『樂劇の本讀』といふは、極めて放肆(はうし)なる空想の產物なり。全篇を貫ける脈絡あるにあらず。詩人も樂人も、只管(ひたすら)觀客をして絕倒せしめ、兼ねて許多の俳優(わざをぎ)に喝采を博する機會を與へんことを勉めたるなり。主人公は我儘にして動き易き性(さが)なる男女二人にして、これを主なる歌女、及、譜を作る樂人とす。絕閒なき可笑しさは、盡る期なき滑稽の葛藤を惹起(ひきをこ)せり。主人公の外なる人物には、人のおのれを取扱ふこと一種の毒藥の如くならんことを望める俳優をのみ多く作り設けたり。かくいふをいかなる意(こころ)ぞといふに、そは能く人を殺し、又、能く人を活す者ぞとなり。此羣に雜(まじ)れる憐むべき詩人は、始終人に制せられ役せられて、譬へば、猶犧牲となるべき價なき小羊のごとくなり。 喝采の聲と花束の閃(ひらめき)は場(ぜう)に上りたるアヌンチヤタを迎へき。その我儘にて興ある振舞、何事にも頓着せずして面白げなる擧動を見て、人々は高等なる技といへど、我はそを天賦の性(さが)とおもひぬ。いかにといふに、姫が家にありてのさまはこれと殊なるを見ざればなり。その歌は數千の銀の鈴齊(ひとし)く鳴りて、柔なる調子の變化極(きはまり)なきが如く、これを聞くもの皆頭を擧げて、姫が目より漲(みなぎ)り出づる喜をおのが胸に吸ひたり。 姫と作譜者と對して歌ふとき、相代りて姫、男の聲になり、男、姫の聲になる條(くだり)あり。この常に異なる技は、聽衆の大喝采を受けたるが、就中姫が最低のアルトオの聲を發し畢りて、最高のソプラノの聲に移りしときは、人皆物に狂へる如くなりき。姫が輕く艷なる舞は、エトルリアの瓶の面なる舞者(まひこ)に似て、その一擧一動一として畫工彫工の好(よき)粉本(手本)ならぬはなかりき。われはこのすべての技藝を見て、姫の天性の發露せるに外ならじとおもひき。アヌンチヤタがヂドは妙藝なり、その歌女は美質なり。曲中には閒(まゝ)何の緣故もなき曲より取りたる、可笑しき節々を揷(はさ)みたるが、姫が滑稽なる歌ひざまは、その自然ならぬをも自然ならしめき。姫はこれを以て自ら遣り、又、人に戲るゝ如くなりき。大團圓近づきたるとき、作譜者、これにて好し、場びらきの樂を始めんとて、舞臺の前なるまことの樂人の羣に譜を頒(わか)てば、姫もこれに手傳ひたり。樂長の「いざ」とて杖を擧ぐると共に、耳を裂くやうなる怪しき雜音(ざうをん)起りぬ。作譜者と姫と、「旨し旨し」と叫びて掌を拍(う)てば、觀客も亦これに和したり。笑聲は殆ど樂聲を覆へり。我は半ば病めるが如き苦悶を覺えき。姫の姿は驕兒(けうじ)の恣(ほしい)まゝに戲れ狂ふ如く、その聲は古の希臘の祭に出できといふ狂女の歌ふに似たり。されど、その放縱(ほうせう)の閒にも猶やさしく愛らしきところを存せり。我はこれを見聞きて、ギドオ・レニイ(伊太利畫工)が仰塵畫(天井画)の『朝陽』(オーロラ)と題せるを想出しぬ。その日輪の車を繞(めぐ)りて踊れる女のうちベアトリチエ・チエンチイ(羅馬に刑死せし女の名)の少(わか)かりしときの像に似たるありしが、その面影は今のアヌンチヤタなりき。我もし彫工にして、この姿を刻みなば、世の人これに題して『淸淨なる歡喜』となしたるなるべし。あらあらしき雜音は愈々高く、作譜者と姫とは之に連れて歌ひたるが、忽ち旨し旨し、場びらきの樂は畢りぬ。いざ幕を開けよといふとき幕閉づ。これを此曲の結局とす。姫はこよひもあまたゝび呼び出されぬ。花束、緑の環飾、詩を寫したるむすび文、彩りたる紐は姫が前に飜りぬ。
卽興詩の作りぞめ
姫が歸りてより一時閒の後なりき。一羣(ひとむれ)はピアツツア・コロンナに至りぬ。出窗の内よりは猶燈の光さしたり。樂器執りたる人々は窗の前に列びぬ。我心は激動せり。我聲は臆することなく人々の聲にまじりたり。歌の一節をば、われ一人にて唱へき。この時我は唯だアヌンチヤタが上をのみ思ひて、すべての世の中を忘れ果てたり。さて深く息して聲を出すに、その力、その柔さ、能くかく迄に至らんとは、みづからも初より思ひかけざる程なりき。火伴(つれ)のものは、覺えず微(かすか)なる聲にて喝采す。その聲は微なりと雖、猶我耳に入りて、我はおのが聲の能く調へるに心付きたり。喜は我胸に滿ちたり。神は我身に舍(やど)り給へり。アヌンチヤタが出窗よりさし覗きて、身を屈し禮をなしたるときは、その禮を受くるもの殆ど我一人なる如くおもはれき。我は我聲の一羣を左右する力ありて、譬へば靈魂の肢體を役するが如くなるを覺えき。事果てて後、家に歸りしが、身は唯だ夢中に起ちてさまよひありく、怪しき病ある人の如くにして、その夜枕に就きての夢には始終アヌンチヤタが我歌を喜べるさまをのみ見き。 翌日姫をおとづれぬ。ベルナルドオ、昨夜の火伴(つれ)の二人三人は我に先だちて座にありき。 姫のいはく、 「きのふ絃歌の中にてテノオレの聲のいと善きを聞きつ」 といふ。 我面はこの詞と共に火の如くなりぬ。 「それこそアントニオなれ」 と告ぐるものあり。 姫は直ちに我を引きてピアノの前に往き、「倶に歌へ」と勸む。我は法廷に立てるが如き心地して、再三辭(いな)みたるに、人々側より促して止まず。又ベルナルドオは聲を勵まして、 「さては、汝、切角の姫の聲をさへ我等に聞せざらんとするか」 と責めたり。 姫に手を拉かれたる我は、捕られし小鳥に殊ならず。縱(たと)ひ羽ばたきすとも、歌はでは叶はず。姫の歌はんといふは、わが知れる雙吟(ヅエツトオ)なり。姫はピアノに指を下して、先づ聲を擧げ、我は震ひつゝもこれに和したり。この時姫の目なざしは、我に膽々(たんたん)とさゝやきて、我をその妙音界に迎ふる如くなりき。わが怯(をそれ)は已みて、我聲は朗になりぬ。一座は喝采を吝(をし)まず、かの猶太おうなさへやさしげに頷きぬ。 このときベルナルドオは、 「汝はいつも人の意表に出づる(思いがけない)男ぞ」 とつぶやきて、さて衆人に向ひ、 「吾友には猶かくし藝こそあれ、そは卽興の詩を作ることなり、作らせて聞き給はずや」 といひき。 喝采に醉ひたる我は、アヌンチヤタが一言の囑(たのみ)を待ちて、大膽にも卽興の詩を歌はんとせり。この技は、人と成りての後未だ試みざるものなるを。 我は姫のキタルラを把りぬ。姫は直に『不死不滅』といふ題を命ぜり。材には豐なる題なりき。しばしうち案じて、絃(いと)を撥(はぢ)くこと二たび三たび。やがて歌は我肺腑より流れ出でたり。 詩神は蒼茫たる地中海を渡り、希臘(ギリシア)の緑なる山谷(さんこく)の閒にいたりぬ。雅典(アテエン、アテネ)は荒草斷碑(かうさうだんぴ)の中にあり。こゝに野生の無花果樹(いちじゆく)の、摧(くだ)け殘りたる石柱を掩へるあり。この閒には、鬼(詩の精霊)の欷歔(ききよ、すすり泣き)するを聞く。むかしペリクレエスの世には、この石柱の負へる穹窿の下に、笑ひさゞめく希臘の民往來したりき。そは、美の祭を執り行へるなり。ライス(名娼の名)の如く美しき婦人は、環飾を取りて市に舞ひ、詩人は善と美との不死不滅なるを歌ひぬ。忽ちにして美人は黃土(かうど)となりぬ。當時の民の目を悅ばしたる形(容貌)は世の忘るゝ所となりぬ。詩神は瓦礫の中に立ちて泣くほどに、人ありて美しき石像を土中より掘り出せり。こは古の巨匠の作れるところにして、大理石の衣を着けて眠りたる女神なり。詩神はこれを見て、さきの希臘の美人の俤(おもかげ)を認めき。あはれ、古人が美をかうがうしき迄に進めて雪の如き石に印し、これを後昆(かうこん、後世)に遺したるこそ嬉しけれ。 「見よや、死滅するものは浮世の權勢なり。美、いかでか死滅すべき」 詩神は又、波を踏みて伊太利に渡り、古の帝王の住みつる城址に踞(きよ)して、羅馬の市を見おろしたり。テヱエル河の黃なる水は昔ながらに流れたり。されど、ホラチウス・コクレスが戰ひし處には、今筏に薪と油とを積みてオスチアに輸(をく)るを見る。されど、クルチウスが炎火の喉に身を投ぜし處には、今牧牛の高草の裡に眠れるを見る。アウグスツスよ、チツスよ、汝が雄大なる名字も、今は破(や)れたる寺、壞れたる門(凱旋門)の稱に過ぎず。羅馬の鷲、ユピテルの猛き鳥は死して巢の中にあり。あはれ、羅馬よ、汝が不死不滅はいづれの處にか在る。鷲の眼は忽ち耀きて、その光は全歐羅巴を射たり。旣に倒れたる帝座は、又、起ちてペトルス(敎皇)の椅子(法皇座)となり、天下の王者は徒跣(とせん、巡礼)してこゝに來り、その下に羅拜(らはい)せり。おほよそ手の觸るべきもの、目の視るべきもの、いづれか死滅せざらん。されど、ペトルスの刀いかでか鏽(さび)を生ずべき。寺院の勢いかでか墮つる期あるべき。縱ひ有るまじきことある世とならんも、羅馬は猶その古き諸神の像と共に、その無窮なる美術と共に、世界の民に崇められん。東よりも西よりも、又、天寒き北よりも、美を敬ふ人はこゝに來て、 「羅馬よ、汝が威力は不死不滅なり」といはん。 この段の畢るや、喝采の聲は座に滿ちたり。獨りアヌンチヤタは靜座して我面を見たるが、其姿はアフロヂテの像の如く、其眸(ひとみ)には優しさこもれり。我情は猶輕き詩句となりて、唇より流れ出でたり。詩境は廣き世界より狹き舞臺に遷(うつ)れり。 「こゝに技倆すぐれたる俳優(わざをぎ)あり。その所作、その唱歌は萬客の心を奪へり」 歌ひてこゝに至りたるとき、姫は頭(かうべ)を低(た)れたり。そは我上とおもへばなるべし。座中の人々も、亦、我敍述する所によりて我意の在るところを認めしならん。 「かゝる俳優も歌歇(や)み幕落ちて、喝采の聲絕ゆるときは、其藝術は死なん。死して美き屍(むくろ)となりて、聽衆の胸に瘞(うづ)められたるのみならん。されど、詩人の胸は衆人の胸に殊なり。譬へば聖母の墓の如し。こゝに瘞めらるゝものは、悉く化して花となり香となり、死者は再びこれより起たん。しかしてその詩は一たび死したる藝術をして、不死不滅の花となりて開かしめん」 我目はアヌンチヤタが顏を見やりたり。我心は吐き盡したり。われは起ちて禮をなしたるに、人々は我を圍みて謝したり。姫は我を視て、 「君は深く我心を悅ばしめ給ひぬ」といひぬ。 我は僅に唇をやさしき手に押し當てたり。 そもそも劇は虹の如きものなり。彼も此も天地の閒に架したる橋梁なり。彼も此も人皆仰いで其光彩を喜ぶ。然はあれど、その倐忽(しゆくこつ)にして滅するや、彼も此も迹の尋ぬべきなし。アヌンチヤタとアヌンチヤタが技とは、其運命實にかくの如し。姫はわがこれを不朽にせんとする心を、この時能く曉(さと)り得たり。姫が我を解することの斯く深かりしことは、當時我未だ知ること能はざりしが、後に至りて明かになりぬ。 我は日ごとに姫をおとづれき。わづかに殘れる謝肉祭(カルネワレ)の日は、いつしか夢の如くに過ぎ去りぬ。されど、この閒われは遺憾なくこのまつりの興を受用し盡せり。そはアヌンチヤタが我に賦したる樂天主義の賜なりき。 或時ベルナルドオのいふやう、 「汝は、やうやくまことの男とならんとす。われ等に變らぬ眞の男とならんとす。されど、汝はまだ唇を杯の緣にあてしに過ぎず。我は明かに知る、汝が唇の未だ曾て女子の口に觸れず、汝が頭(かうべ)の女子の肩に倚らざるを。今若しアヌンチヤタまことに汝を愛せばいかに」 我、 「思ひも掛けぬ事かな。アヌンチヤタは我が僅に能く仰ぎ見るものゝ名にして、我手の屆くべきものゝ名にあらず」 彼、 「あらず。高くもあれ低くもあれ、アヌンチヤタとは女子の名なり。汝は詩人にあらずや。詩人は測るべからざる性(さが)あるものなり。その女子の胸の片隅を占むるや、その奧に進むべき鍵は、詩人の手にあるものぞ」 我、 「姫がやさしさ、賢(さか)しさ、姫が藝術のすぐれたるをこそ慕へ。これに戀せんなどとは、われ實に夢にだにおもひしことなし」 彼、 「汝が眞面目なる、をも持こそをかしけれ。好し好し、我は汝が言を信ぜん。汝は素より蛙(かはづ)なんどに等しき水陸兩住の動物なり。現の世のものか、夢の世のものか、そを誰か能く辨ぜん。汝はまことに彼君を愛せざるべし。わが愛する如く、世の人の戀するときに愛する如く、愛せざるべし。されど、汝が姫に對する情、果して戀に非ずば、今より後彼に對して面をあかめ、火の如き目なざしゝて彼に向ふことを休(や)めよ。そは彼君のためにあしかりなん。傍より見ん人の心のおもはれて。されど、姫はあさて此地を立つといへば、最早その憂もあらざるべし。基督再生祭の後には歸るといへど、そも恃(たの)むべきにはあらず」 これを聞きたるとき、我胸は躍りぬ。アヌンチヤタを見るべからざること五週に亙るべし。彼君はフイレンツエの芝居に傭はれ、斷食日の初にこゝを立つなりとぞ。 ベルナルドオは語を繼ぎていはく、 「かしこに至らば、崇拜者の新なる羣は姫がめぐりに集ふべし。さらば舊きは忘れられん。譬へば、汝が卽興の詩の如きも、その時こそ姫のやさしき目なざしに、汝に謝する色現れつれ、かしこにては思出さるゝ暇なからん。さはあれ、一個の婦人にのみ心を傾くるは癡漢の事なり。羅馬には女子多し。野に遍き花のいろいろは人の摘み人の采(と)るに任するにあらずや」 この夕、我はベルナルドオと共に芝居に往きぬ。アヌンチヤタは再びヂドとなりて出でぬ。その歌、その振、始に讓らざりき。完備せるものゝ上には完備を添ふるに由なし。姫が技藝は、まことに其域に達したるなり。こよひは、姫また我理想の女子となりぬ。その『本讀』の曲にての役、その平生の擧動は、例へば天上の仙の暫くこの世に降りて、人閒の態をなせるが如くぞおもはるる。その態(さま)も好し。されどヂドの役にては、姫が全幅の精神を見るべし。姫がまことの我を見るべし。萬客は、又、狂せり。想ふに、この羅馬の民のむかし該撤(ケエザル)とチツスとを迎へけん歡も、おそらくは今宵の上に出でざるならん。 曲、畢りて、姫は衆人に向ひて謝辭を陳べ、再びこゝに來んことを約せり。姫はこよひもあまたゝび呼出されぬ。歸途に人々の車を挽(ひ)けるも亦同じ。我もベルナルドオと共に車に附き添ひて、姫がやさしき笑顏を見送りぬ。
謝肉祭の終る日
姫のいはく、 「我は、再び畫廊(ウィフィツイ美術館)に往かむ。我に彫刻を喜ぶこゝろを生ぜしめしは彼處(かしこ)なり。プロメテウスが死者に生を與ふるに同じく、人閒の心の偉大なるを、わが悟りしはかしこなり。彼廊に一室あり。そは最も小なる室にして、わが最も好める室なり。今、若し君をかしこに在らしむることを得ば、君は能くわがむかしの喜を解し、又、能くわが今日そを想起す喜を解し給はん。この八角に築きたる室には、實に全廊の尤物(いうぶつ)を擢(ぬきん)でゝ陳列せり。されどその尤物の皆、けおさるるは、メヂチのヱヌス(ビーナス)の石像あればなり。かくまでに生けるが如き石像をば、われこの外に見しことなし。その目は人を視る如し。あらず、人の心の底を觀る如し。石像の背後には、チチアノの畫(ゑが)けるヱヌスの油畫二幅を懸けたり。その色彩目を奪ふと雖(いへども)、こゝに寫し得たるは人閒の美しさにして、彼石の現せるは天上の美しさなり。ラフアエロがフオルナリイナ(作者意中の人)は心を動すに足らざるにあらず。されどヱヌスの生けるをば、われあまたゝび顧みざること能はず。否々、おほよそ世に彫像多しと雖、いづれか彼ヱヌスの右に出づべき。ラオコオンにては、まことに石の痛楚(つうそ、痛み)のために泣くを見る。しかも猶及ばざるところあり。獨り我ヱヌスと美を媲(くら)ぶるは、君も知り給へるワチカアノのアポルロンならん。その詩神を摸したる力量は、彼ヱヌスに於きてやさしき美の神を造れるなり」 我答へて、 「君の愛で給ふ像を石膏に寫したるをば、我も見き」 姫、 「否、われは石膏の型ばかり整はざるものはなしと思へり。石膏の顏は死顏なり。大理石には命あり靈あり。石はやがて肌肉(きにく)となり、血は其下を行くに似たり。フイレンチエまで共に行き給はずや。さらばわれ君が案内すべし」 我は姫が志の厚きを謝して、さて、いひけるは、 「さらば、再生祭の後ならでは、又、相見んこと難かるべし」 といふ。 姫こたへて、 「さなり。聖ピエトロ寺の燈を點し、烟火戲(ジランドラ、花火)を上ぐる折は、我等が相逢ふべき時ならん。それまでは、君われを忘れ給ふな。我はまたフイレンチエの畫廊に往きて、君とけふ物語れることを想ふべし。われは常に面白きことに逢ふごとに、我友のその樂を分たざるを恨めり。これも旅人の故鄕を偲ぶたぐひなるべし」 我は姫の手に接吻して、戲に、 「この接吻をばメヂチのヱヌスに傳へ給へ」 姫、 「さては、我にとてにはあらざりしか。我は決して私することなかるべし」 といひぬ。 我は、分れて一閒を出でしとき、夢みる人の如くなりき。戶の外にて家の媼に出で逢ひ、心の常ならぬけにやありけむ、われその手を取りて接吻せしに、「これは善き性(さが)の人なるよ」とつぶやくを聞きつ。 最後の謝肉祭の日をば、飽く迄樂まむと思ひぬ。唯だアヌンチヤタと別れむことは、猶現とも覺えず。又、逢はむ日は遙なる後にはあらで、明日の朝にはあらずやとおもはる。假面をば被りたらねど、コンフエツチイの粒擲(な)ぐることは、人々に劣らざりき。道の傍なる椅子には人滿ちたり。家ごとの窗よりも人の頭あらはれたり。車のゆきかふこと隙閒なく見ゆるに、その餘せる地には、うれしげなる面持したる人、肩摩(す)るほどに集へり。步まむとする人は、車と車との隙を行くより外すべなし。音樂の聲は四面より聞ゆ。車の内よりも「イル・カピタノ」(大尉)の歌洩(も)りたり。「陸に、海に、立てたる勳(いさをし)」とぞ歌ふなる。腰に木馬を結びたる童あり。首(かうべ)と尾とのみ見えて、四足のところは膝かけの色ある巾(きれ)にて掩はれたり。童の足二つにて、馬の足の用をなせるなり。かゝるものさへ車と車との閒に入れば、混雜はまた一入(ひとしほ)になりぬ。われは楔の如く車の閒に介(はさ)まりて、後へも先へも行くこと叶はず。後(しりへ)なる車挽(ひ)ける馬の沫(あわ)、我耳に漑(そゝ)げり。わがこれにえ堪へで、前なる車の踏板に飛び乘りたるを、これに乘れる寢衣着たる翁とやさしき花賣娘とは、早くも惡劇(いたづら)のためよりは、避難のためと見て取りぬと覺しく、娘は輕く我手背(しゆはい)を敲(たゝ)き、例の玉のつぶて二つ投げかけしのみなれど、翁の打つ飛礫(つぶて)は雨の如くなりき。娘も、この攻擊を興あることにや思ひけん、遂には翁の所爲(なすところ)に傚(なら)ひて、持てる籠の空しくならんとするをも厭はで唯だ打ちに打つ程に、我衣は斑々(はんぱん)として雪を被れる如くぞなりぬる。われはこの地點を守りかねて、飛びおるれば、戲奴(おどけやつこ)にいでたちたる男走り來て、手に持てる采配もて、我衣を拂ひ吳れたり。 暫し避けて佇む程に、さきの車、又かへり路に我を見て、再びコンフエツチイを投げかけたり。わが未だ迎へ戰ふに遑(いとま)あらざる時、砲聲地に震ひて、くらべ馬始まるをしらせしかば、車は皆狹き橫道に入りて、翁と娘とも見えずなりぬ。 二人は我を識りたりと覺し。奈何(いか)なる人にかあらん。ベルナルドオは今日街に見えざりき。かの翁は其人にて、娘はアヌンチヤタにはあらずや。我は街の角に近き椅子に倚りぬ。砲は再び響きて、競馬(くらべうま)は街のたゞ中をヱネチアの廣こうぢさして馳せゆき、荒浪の寄するが如き羣衆はその後に隨ひぬ。わが踵(くびす)を旋(めぐら)して還らむとするとき、「馬よ馬よ!」と呼ぶ聲俄(にはか)に喧しく、競馬の内なる一頭の馬、さきなる埒にて留まらず、そが儘街を引きかへし來れるに、最早馬過ぎたりと心許しゝ羣衆は、あわて騷ぐこと一かたならず。吾心頭には、稻妻の如く昔のおそろしかりしさま浮びたり。瞬くひまに街の兩側に避けたる人の黑山の如くなる閒を、兩脇より血を流し、鬣(たてがみ)戰(そよ)ぎ、口より沫(あわ)出でたる馬は馳せ來たり。されど我前を過ぐるとき、いかにかしけむ、銃もて擊(うた)れたる如く打ち倒れぬ。怪我せし人やあると、人々しばしは安き心あらざりしが、こたびは聖母やさしき手を信者の頭の上に擴げ給ひて、一人をだに傷け給はざりき。 危さの容易く過ぎ去りしは、祭の興を損ぜずして、卻(かへ)りて人の心を亂し(熱狂させ)、人の歡を助けたり。これよりは謝肉祭の大詰なる燭火の遊(モツコロ)始まらんとす。今まで列を成したりし馬車は漸く亂れて、街上の雜遝(ざつたふ)は人聲の噪(さはが)しさと共に加はり、空の暗うなりゆくを待ち得て、人々持たる燭に火を點せり。中には一束を握りて、ことごとく燃せるもあり。徒なるも、車なるも、燭を把りたるに、窗のうちに坐したる人さへ火持たぬはあらねば、この美しき夜は地にも星ある如くなり。家々より街の上へさし出せる火には、いろいろなる提燈、燈籠ありて、おのおの功を爭へり。さて人々皆おのが火を護りて、人のを消さむとす。「火持たぬ人は死ね!」(リア・アムマツアトオ・キイ・ノン・ポルタア・モツコオリ)と叫ぶ聲は、次第に喧しくなりまされり。 我が持てる燭も、人に觸れさせじとする骨折は其甲斐なくて、打ち滅(け)さるゝこと頻なりければ、われ餘りのもどかしさに、智慧ある人は、「我に倣へよ!」と叫びつゝ、柄ながらに投げ棄てつ。道の傍なる婦人數人は、その燭を家々の窖(あなぐら)の窗にさし込みて、これをば誰もえ消さじと心安んじ、我を指ざして燭なき人の笑止さよと嘲るほどに、家の童どもいつか窖に降り行きて、その燭を吹き滅(け)したり。又、高き窗なる人々は竿に着けたる堤燈さし出して誇貌(ほこりがほ)なるを、屋根に這ひ出でたる男ども竿の尖に紛帨(てふき)結びたるを揮(ふる)ひて、これをさへ拂ひ消すめり。 異國人(ことくにびと)にて此祭見しことなきものは、かゝる折の雜遝(ざつたふ)を想ひ遣ること能はざるべし。立錐(りつすゐ、キリを立てるほど狹い)の地なき人ごみに、燃やす燭の數限なければ、空氣は濃く熱くのみなり勝りぬ。 忽ち街の角を曲らんとする馬車二三輌あるを認めて頭(かうべ)を囘(めぐら)しゝに、かの覆面したる翁と娘とを載せたる車は我側に來りぬ。寢衣纏ひたる老紳士の燭は早や消えたり。花賣に扮したる娘は、猶四五尺許なる籘(たう)の竿に蝋燭幾本か束ねたるを着けて高く翳(かざ)せり。彼の紛帨(てふき)結びたる竿の長足らで、我火をえ消さざるを見て、娘は嬉し氣に笑ひぬ。老紳士は、又、娘の火に近づくものありと見るごとに、容赦なくコンフエツチイの霰(あられ)を迸らせたり。われは、これをこそと思ひければ、車の背後に飛び乘り、籘の竿をしかと握るに、娘は「あなや!」と叫び、男は石膏の丸(たま)を放つこと雨より繁かりしかど、屈せずしてかの竿を撓(たわ)ませんとせしに、竿は半ばより「ほき」と折れて、燭の束は、はたと落つ。羣衆は喝采せり。娘は、 「アントニオ、餘りならずや!」 と怨(えん)じたり。 その聲は我骨を刺すが如く覺えぬ。そはアヌンチヤタが聲なればなり。娘は、籠の内なる丸の有らん限を我頭に擲(な)げ付け、續いて籠を擲げ付けしに、われ驚きて跳(をど)り下るれば、車は、はや彼方へ進み、和睦のしるしなるべし、娘のうしろざまに投じたる花束一つ我掌に留りぬ。われは車を追はんとせしが、雜沓甚しきため其甲斐なく、遂にとある橫街に身を避けつ。 身の周圍の混雜收りて心落つくと共に、心に懸かるはアヌンチヤタが同乘(あひのり)したる男の上なり。察するにベルナルドオが故意(わざ)と翁に扮したるなるべし。いで二人の家に歸るを待ち受けて確めばやと人通り少かるべき橫街を駈け拔けて、姫が住めるコロンナの廣こうぢに出で、戶口に立ちて待つほどに、車は果して歸り着きぬ。われは家の僮僕などの如き樣して走り寄りつゝ、車より下る二人を援けんとするに、姫は我手に縋らで先づおり立ちぬ。さて彼老神士に心を着くるに、その立ちあがり、いざりおるゝ樣にて、わが推せし人ならぬは早く明かになりたりしが、寢衣の裾より出でたる褐色の裳を見るに及びて、姫が家の媼なることは漸く知られぬ。媼は、わがさし伸ばす手に縋りて下りぬ。われは姫の供したる人の男ならざりし嬉しさに、 「幸あらん夜をこそ祈れ!」 と聲高く呼びて去らんとせしに、姫進み寄りて、 「惡しき人かな、早くフイレンチエに遁れ行かばや」 といひつゝも、手さし出せるを握るに、かなたも親く握り返しつ。 嬉しさに嬉しさの重なりたる我は、火持たぬ手うち振りて、 「火持たぬ人は死ね!」 と叫び行きぬ。 我心の中には、姫が德を頌する念滿ちたり。その車の傍なる座をば、樂長にも許さず、吾友にも許さで、彼媼を伴ひしこそ、姫が心の淸き證なれ。彼媼は、又かゝる遊を喜ぶべき人とも見えぬに、男寢衣を身に着けて供せしを思へば、壹(もは)ら姫を悅ばせんがために心を竭(つく)せるものなるべし。唯だ姫が側なる人をベルナルドオならんと疑ひしとき、我心の噪(さわ)がしかりしは、妬(ねたみ)なるか否(あら)ざるか、そは、わが考へ定めざるところなりき。 われは、殘れる謝肉祭の時閒を面白く過さんとて、假粧舞(フエスチノ)の場(には)に入りぬ。堂の内には處狹(ところせま)きまで燈燭を懸け列ねたり。假粧(けはひ)せる土地(ところ)の人、素顏のまゝなる外國人と打ち雜(まじ)りて、高き低き棧敷を占めたり。平土閒より舞臺へ幅廣き梯をわたしたるが、樂人の羣の座はその梯の底となりたり。舞臺には、畫紙を貼り、環飾紐飾を掛けて、客の來り舞ふに任せたり。樂人は二組ありて、代る代る演奏す。今は酒の神なるバツコスとその妻なる女神アリアドネとの姿したる人を圍みて、貸車の御者(ヱツツリノ)に扮したる男あまた踊り狂ふ最中なりき。われは梯を踏みてその羣に近づき、引かるゝまゝに共に舞ひしが、心樂しく身輕きに、曲二つまで附き合ひて、夜更けたる後塒(ねぐら)に歸りぬ。 眠りしは短き閒にて、翌朝は天氣好かりき。姫は今羅馬を立つにやあらむ。華かにして賑はしく、熱して騷がしかりし謝肉祭は、今我を殘して去りぬ。外に出でゝ風に吹かれなば、心寂しき、けふを慰むるに足ることもやと思ひて、獨り街に立ち出でぬ。家々の戶は閉されたり。物賣る店もまだ起き出でざりき。昨日は人の波打ちしコルソオの大道には、往き交ふ人疎(まばら)にして、白衣に藍色の緣取りしを衣(き)たる懲役人(囚人)の一羣、霰(あられ)の如く散りぼひたる石膏の丸(たま)を掃き居たり。塵を積むべき車の轅(ながえ)には、骨立(ほねたゝ)したる老馬の繋がれつゝ、側なる一團(ひとかたまり)の芻秣(まぐさ)を噛めるあり。とある家の戶口には、貸車の御者立ちて、あき箱、あき籠、あまた車の上に載せ、その上をば毛布もて覆ひ、背後に結び附けたる革行李(かはかうり)の凹(なかひく)くなるまで鐵の鎖を引き締め居たり。この車は、橫街より出でたる、同じ樣に梱(こり)載せる車と共に去りぬ。ナポリにや行くらん。フイレンチエにや行くらん。耶蘇更生祭の來ん日まで、羅馬は五週閒の長眠をなさんとするなり。
第12章 アヌンチヤタを懷(おも)ふは、アヌンチヤタの我に與へたる歡喜を懷ふなり。されど、その歡喜をなしゝは昔日の事にして、今これが記念を喚び起せば、一として悲痛に非ざるものなし。譬へば亡人(なきひと)の肖像の笑へるが如し。その笑(ゑみ)は、たまたま以て我を泣かしむるに足る。學校にありしころ、人の世途(せいと)の難を說くを聞きては、或課題のむづかしき、或師匠の意地わるきなどに思ひ比べて、我も亦早く其味を知れりといひしことあり。今やその非なるを悟りぬ。われ若し能く此戀に克(か)つにあらずば、此力以て世途の難を排するに足るとはいふべからず。試に此戀の前途を思へ。アヌンチヤタは尋常の歌妓に非ずして、その妙藝は現に天下の仰ぎ望むところなりと雖(いへども)、われ往いてこれに從はゞ、その形迹(ぎやうせき、行爲)、世の蕩子(たうし、放蕩者)と擇(えら)ぶことなからん。我友はこれを何とか言はむ。加之(しかのみなら)ず、若し心術(心だて)の上より論ぜば、我守護神たる聖母も、これよりは復(また)我を憐み給はざるべし。況(いはん)や、此戀は、果して能く成就せんや否や。我は口惜しきことながら、實に未だアヌンチヤタの心を知らざりき。我は寺に往きて聖母の前に叩頭(ぬかづ)き、いかで我に己に克つ力を授け給はれと祈りて、さて頭(かうべ)を擧げしに、何ぞ料(はか)らむ、聖母の面は、姫の面となりて我を悅ばせ、又、我を苦めむとは。我は縱ひ姫再び來んも、誓ひて復た逢はじとおもひ定めつ。 我は、嘗て古の信徒の自ら笞(むちう)ち自ら傷けしを聞きて、其情を解せざりしに、今や自らその爲す所に倣はんと慾するに至りぬ。燃ゆるが如き我血を冷さんとて、我は聖母の像の下に伏して、我唇をその冷(ひやゝか)なる石の足に觸れたり。憶ひ起せば、わがまだ穉き時の心安かりしことよ。母の膝下にて過す精進日(せじみび)は、常にも增して樂き時節なりき。 四邊の光景は、今猶昨(きのふ)のごとくなり。街の角、四辻などには、金紙銀紙の星もて飾りたる常磐木の草寮(こや)あり。處々に懸けし招牌(かんばん)には、押韻(あふゐん)したる文もて精進食(せじみしよく)の名を列べ擧げたり。夕になれば、緑葉の下に彩りたる提燈を弔れり。雜食品賣る此頃の店は、我穉き目に空想界を現ぜる如く見えにき。銀紙卷きたる腸詰肉を柱とし、ロヂイ產の乾酪を穹窿としたる小寺院中にて酪(ブチルロ、バター)もて塑(こ)ねたる羽ある童の舞ふさまは、我最初の詩料なりき。食品店の妻は我詩を聞きて『ダンテの神曲』なりと稱へき。當時われは不幸にして未だこの譽ある歌人のいかに世を動かしゝかを知らず、又、幸にして未だアヌンチヤタが如き才貌ある歌妓のいかに人を動かすかを知らざりしなり。嗚呼、われは奈何してアヌンチヤタを忘るゝことを得べきぞ。 われは羅馬の七寺を巡りて、行者(ぎやうじや)と偕(とも)に歌ひぬ。吾情は眞(まこと)にして且深かりき。然るを、これに出で逢ひたるベルナルドオは、刻薄なる語氣もて我に耳語(じご)していふやう、 「コルソオの大道にて、戲謔(ぎぎやく)能く人の頤(おとがひ、あご)を解き(笑わせ)しは誰ぞ。アヌンチヤタが家にて卽興の詩を誦(そら)んじ、座客を驚しゝは誰ぞ。今は目に懺悔の色を帶び、頬に死灰(しくわい)の痕を印して、殊勝なる行者と伍をなせり。汝は、いかなる役をも辭せざる名優なるよ。此の如きは我が遂にアントニオに及ばざるところぞ」 といひぬ。 吾友の言ふところは實錄なりき。されど當時我を傷(やぶ)ること此實錄より甚しきはあらざりしなり。
寺樂(じぐわく)
われ裏面より埒(らち)に近き處に席を占めしに、こゝは歌者(聖歌隊)の席なる斗出(はりだ)せる棚に遠からざりき。背後には許多の英吉利人あり。この人々は謝肉祭(カルネワレ)の頃、假粧(けはひ)して街頭を彷徨ひたりしが、こゝにさへ假粧して集ひしこそ可笑しけれ。推するに、その打扮(いでたち)は軍隊の號衣(ウニフオルメ)に擬したるものならん。されど十歲許(ばかり)の童までこれを着けたるはいかにぞや。その華美ならんことを慾することの甚しきを證せんがために、こゝに一例を擧げんに、其人の上衣は淡碧(うすみどり)にして銀絲の縫ひあり、長靴には黃金を鏤(ちりば)め、扁圓なる帽には羽毛連珠を着けたり。英吉利人のかゝる習をなしゝは、美しき號衣(ウニフオルメ)の好(よ)き座席を得しむる利益を知りたるためなるべし。我傍よりは笑を抑ふる聲洩れたり。されどわがそを可笑しと見しは、唯だ一瞬閒なりき。 老いたる僧官(カルヂナアレ)達は、紫天鵝絨(びらうど)の袍(はう)の領(ゑり)に、貂(エルメリノ)の白き毛革を附けたるを穿(き)て、埒の内に半圈狀をなして列び坐せり。僧官達の裾を捧げ來し僧等は共(その)足元に蹲(うづくま)りぬ。贄卓(にへづくゑ)の傍なる小き扉は開きぬ。そこより出でたるは、白帽を戴き濃赤色の袍を纏へる法皇なりき。法皇は交椅(かうい、折りたたみ椅子)に坐したり。侍者等は香爐を搖り動したり。紅衣の若僧の松明取りたるもの數人法皇と贄卓との前に跪けり。 讀誦は始まりぬ。絃歌に先だちて十五章の讀誦あり。壇上に巨燭十五枝を燃やしおきて、一章終るごとに一燭を滅す。われは心を死せる文字の閒に濳むること能はず、魂を彼のミケランジエロが世に罕(まれ)なる丹靑(絵の具)の力もて此堂の天井と四壁とに現ぜしめたる幻界に馳せたり。その活けるが如き預言者等の形は一個々(ひとつびとつ)皆大册の藝術論の資をなすに餘あるべし。その力量ある容貌風采とこれを圍める美しき羽ある兒(ちご)の羣とは、我眼を引くこと磁石の鐵を引く如くなりき。こは畫にあらず。活ける神人なり。エワ(イブ)が果を夫に贈りし智慧の木は鬱蒼として彼處に立てり。父なる神は、古の畫工の作れる如く羽ある童に擔はれたるにはあらで、その肢體の上、その風に飜る衣裳の上に、許多の羽ある童を載せつゝ、水の上を天翔り給ふ。われはけふ始めて此畫を觀たるにあらず。されど此畫の我心を動かすこと、今日の如きは未だ有らず。われはけふの羣集のためにや、わが熱したる情のためにや知らねど、此畫中に限なき詩趣あるを認めたり。或は、想ふにこは我が抒情の興多き心を畫中に投じ入れたるにはあらずや。そは兎(と)まれ角(かく)まれ、此畫に對して此情をなすは、恐らくは獨り我のみならず、こは我に先だてる幾多の詩人の亦免れざるところなりしなるべし。 險しきを行くこと夷(たひらか)なる如き筆力、望み瞻(み)る方嚮(はうかう)に從ひて無遠慮なるまで肢體の尺を縮めたる遠近法は、個々の人物をして躍りて壁面を出でしめんとす。昔基督の山上に在りて言語もて說き給ひし法(『馬太』(マタイ)五至七)は、今此大匠(たいせう)によりて色彩と形象ともて現されたるなり。吾人はラフアエロと共に膝を此大匠の技倆の前に屈せんとす。此數多き預言者は、一つとして同じ人の石もて刻める摩西(モセス)に劣ることなし。何等の魁偉(くわいゐ)なる人物ぞ。堂に入るものゝ心目は先づこれがために奪はるゝなり。 吾人はこゝに心目を淨め畢りて、さて頭を擧げて堂の後壁に向ふなり。下は大牀(おほゆくわ)より上は天井に至るまで、立錐(りつすゐ)の地を剩(あま)さゞるこの大密畫(みつぐわ)は、卽ち是れ一顆(くわ)の寶玉にして、堂内の諸畫は、悉くこれを填(うづ)めんがために設けし、文飾ある枠たるに過ぎず。これを世の季(すゑ)の審判の圖となす。 判官たる基督は雲中に立てり。使徒と聖母とは不便なる人類のために憐を乞はんとて手をさし伸べたり。死人は墓碣(ぼけつ)を搖り上げて起(た)たんとす。惠に逢へる精靈は拜みつゝ高く翔り、地獄はその腭(あぎと、あご)を開いて犧牲を呑めり。宣告を受けたる同胞の早く毒蛇に卷かれたるを、雲に駕(が)せる靈の援け出さんとするあり。悔い恨める罪人の拳もて我額を擊ちつゝ、地獄の底深く沈み行くあり。天堂と地獄との閒には、或は登り或は降る神將力士あまたありて、例の大膽なる遠近法もて寫し出されたり。優しく人を恤(めぐ)みがほなる天使、再會して相悅べる靈ども、金笛(パイプオルガン)の響に母の懷に俯したる穉子など、いづれ自然ならざるなく、看るものは覺えず身を圖中に寘(お)きて、審判のことばに耳を傾く。ミケランジエロは蓋し能くダンテの歌ひしところを畫けるなり。 恰も好し將に沒せんとする夕日は、そのなごりの光を最高列の窗より射込みたり。圖の下の端なる死人の起つあたり、艤(ふなよそひ)せる羅刹(らせつ)の罪あるものを拉き去るあたりは、早や暗黑裡に沒せるに、基督とその周匝(めぐり)なる天翔(あまがけ)る靈とは猶金色に照されたり。日の入ると共に最後の燭は吹き滅(け)されて、讀誦は全く果てたり。暗黑は審判(さばき)の圖の全面を覆へり。絲聲(しせい、音楽)肉聲は、又、湧きて、世の季(すゑ)の審判の喜怒哀樂皆洋々たる音となりつゝ、われ等の頭上を漲(みなぎ)り過ぐ。 法皇は、式の衣を脫ぎて、贄卓(にへづくゑ)の前に立ち、十字架を拜せり。金笛の響凄じく、「ポプルス・メウス・クヰツト・フエチイ・チビイ」の歌は起りぬ。低階の調に雜(まじ)る軟なる天使の聲は、男の胸よりも出でず、女の胸よりも出でず、こは天上より來れるなり。こは、天使の淚の解けて旋律に入りたるなり。 われはこれを聽きて、力づき甦り、この頃になき歡喜は胸に滿ちたり。われはアヌンチヤタを愛し、ベルナルドオを愛せり。この瞬時の愛はかの天上の靈の相愛するに殊(こと)ならざるべし。祈禱の我に與へざりし安慰は、今音樂にて我に授けられたるなり。
友誼と愛情と
「さてさて面倒なる男かな。カムパニアの羊かひの頃よりボルゲエゼの館に招かるゝまで、女子の手して育てられしさへあるに、ジエスヰタ派の學校に在りしなれば、斯くむづかしき性質にはなりしならん。切角の伊太利の熱血には、山羊の乳を雜(ま)ぜられたり。ラ・トラツプ派の僧侶めきたる制慾は身を病ましめたり。馴れたる小鳥一羽ありて、美しき聲もて汝を喚び、夢幻境を出で現實界に入らしめざるこそ憾なれ。汝が心身の全く癒えんは人なみになりたる上の事ぞ」 といひぬ。 われ、 「我等二人の性(さが)は懸隔すること餘りに甚し。然るを、我は怪しきまで汝を愛せり。折々は共に棲まばやとさへ思ふことあり」 友、 「そは、啻(たゞ)に我等を溫めざるのみならず、卻りて何時ともなくこの交を絕つべし。友誼と戀情とは別離によりて長ず。我は、時に夫婦の生活(なりわひ)のいかに我を倦ましむべきかを思へり。斷えず相見て互に心の底まで知りあはむ程、興なき事はあらざるべし。されば、おほかたの夫婦は幾(いくばく)もあらぬに厭(あ)き果つれども、名聞を憚ると人よきとにて、其緣(ゑにし)の絲は、猶繋がれたるなり。我は思ふに、我情いかに一女子のために燃えんも、その女子の情いかに我に過ぎたらんも、その燄(ほのほ)の相合ふ時は卽ち相滅する時ならん。愛とは得んと慾する心なり。得んと慾する心は旣に得て止むべし」 われ、 「若し汝が妻、アヌンチヤタの如く美しく又賢からむには奈何」 友、 「其薔薇(さうび)花の美しき閒は、わが愛づべきこと慥(たしか)なり。されど色香一たび失せたらむ日には、われは我心のいかになり行くべきを知らず。汝はわが今何事を思ひしかを知るや。この念は忽ち生じ忽ち滅すれど、今始て生ぜるにはあらず。われは汝の血のいかに赤きかを見んと願ふことあらむも計られず。されどわれには智あり。汝は我友なり。わが潔白なる友なり。縱令(よしや)われ等二人同じ女に懸想(けさう、恋い慕う)することあらんも、相鬪ふには至らざるべし」 斯く言ひつゝ友は聲高く笑ひ、我首(かうべ)を抱きて戲れながらにいふやう、 「我に馴れたる小鳥ありて、その情はいと濃(こまや)かなれど、この頃は些(すこ)し濃かなるに過ぎて厭はしくなりぬ。思ふに汝には氣に入るべし。こよひ我と共に來よ。親友の閒には隱すべきことなし。面白く一夜を遊び明さむ。さて日曜日にならば、法皇は我等が罪を洗ひ淨め給ふべきぞ」 われ、 「否、我は共に往かざるべし」 友、 「そは卑怯なり。汝は汝の血を傾け盡して、只だ山羊の乳のみを留めんとするか。汝が目は我目に等しく耀くことあり。われは嘗てこれを見き。汝が鬱悶、汝が苦惱、汝が懺悔、是れ畢竟何物ぞ。われあからさまに言ふべきか。是れ得んと慾して得ざるところあるなり。その得ざるところのものは、赤き唇なり、軟なる膚なり。汝が假面の被りざま拙ければ、われは明白に看破せり。いざ往いてその得んと慾する所のものを得よ。汝否といはゞ、そは卑怯なり、臆病なり」 われ、 「止めよ。そは餘りなる詞なり。そは我を辱むる詞なり」 友、 「されど、汝はその辱を甘んじ受けざること能はざるべし」 これを聞きしとき、我血は上りて頭を衝きしが、我淚も亦湧きて目に溢れたり。 「いかなれば汝はかくまでに無情なる。我は汝を愛し、汝は我を弄ぜんとす。アヌンチヤタと汝との閒にわれ立てりと思へるにはあらずや。アヌンチヤタの我を視ること汝より厚しとおもへるにはあらずや」 友、 「否、決して然らず。わが空想家ならずして思遣(おもひやり)少きは汝も知りたらん。されど女の事をば姑(しばらく)く置け。唯だ心得がたきは、汝がいつも『愛々』といふことなり。我等二人は手を握りて友となりたり。その外には何も無し。我は汝と共に夸張すること能はず。我をばたゞ此儘にてあらせよ」 對話はおほよそ此の如くなりき。ベルナルドオが毒箭(どくや)は痛く我胸を傷けしが、別に臨みて我に握らせたる手は、遂にわれ等が交情を滅するに至らずして止みぬ。
をさなき昔
歌は頭の上に起りぬ。伶人の羣をば棚の二箇處に居らせて、其聲相應ずるやうにせり。羣衆は洗足の禮の今始まるを見んとて押し合へり。 (此日法皇老若の僧徒十三人の足を洗ひ、僧徒は法皇の手に接吻して、おのおの「マチオラ」の花束を賜り退くことなり。) 偶々貴婦人席より我に目禮するものあり。誰ぞと視ればアヌンチヤタなりき。彼君は歸りぬ。彼君は此堂にあり。我胸はいたく騷げり。その席幸に遠からねば、我等は詞を交すことを得たり。 姫は咋日歸りしかど、樂は、はや果てし後にて、僅に「アヱ・マリア」の時此寺には來ぬとなり。 姫、 「此寺の光景は、きのふ暗くて見しかた、けふのめでたきにも增してめでたかりき。聖ピエトロの墓の前なる一燈の外には何の光もなく、その光さへ最(いと)近き柱を照すに及ばざる程なるに、人々跪きて禱(いの)れば、われも亦跪きぬ。緘默(かんもく)の裡に無量の深祕あるをば、その時にこそ悟り侍りしか」 といふ。 側にありし例の猶太(ユダヤ)婦人は、長き紗(うすぎぬ)もて面を覆ひたれば、今までそれと知らざりしに、優しく我に會釋しつ。式は早や終りぬれば、姫はおのれを車に導くべき從者や來ると顧みたれど、その影だに見えず。若き人々の姫を認めて耳語き合ふもあれば、姫は早くこの堂を出でんとおもへる如し。われは車に導かんことを請ひしに、猶太婦人は直ちに手を我肘に懸け、姫は我と竝びて行けり。我は姫に我肘に倚らんことを勸むる膽(たん)なかりき。されど表口の戶に近づきて、人の籠(こ)み合ふこと甚しかりしとき、姫は手を我肘に懸けたり。我脈には火の循(めぐ)り行くを覺えき。 車をば直ちに見出だしつ。わが暇を告げんとせしとき、姫、 「今は精進(せじみ)の時なれば何もあらねど、夕餉(ゆふげ)參らすべければ、來まさずや」 と案内(あない)したるに、媼は快手(てばや)くおのれが座の向ひなる榻(こしかけ)に外套、肩掛などあるを片付け、 「こゝに場所あり、いざ乘り給へ」 と、我手を把りぬ。 共に車に載せんといひしならぬを、媼の耳疎くしてかく聞き誤りたるなれば、姫は、はしたなくや思ひけん、顏、さと赧(あか)めたり。されど我は思慮する遑(いとま)もあらで乘り遷り、御者も亦早く車を驅りぬ。 膳は豐なるにはあらねど、一として王侯の口に上(のぼ)すとも好かるべき贅澤品ならぬはなし。姫はフイレンチエにての事細かに語りて、さて精進日の羅馬はいかなりしと問ひぬ。こは我がためにはあからさまに答ふべくもあらぬ問なりき。 われ、 「土曜日には猶太敎徒の洗禮あるべし。君も往きて觀給ふべきか」 此詞は料(はか)らず我口より出でしが、われは忽ち彼媼の側にあるを思ひ出だして、氣遣はしげに、かなたを見き。 姫、 「否、心に掛け給ふな。御身の詞は聞えざりき。されど聞ゆとも惡しく聞くべうもあらず。唯だ彼人の往かんは妥(おだやか)ならねば、我もえ往かざるべし。そが上、コンスタンチヌスの寺なる彼儀式は固より餘り愛でたからぬ事なり。 (この儀式は歲ごとに基督再生祭に先だつこと一日にして行へり。猶太敎徒若くは囘々(フイフイ)敎徒數人をして加特力(カトリコオ)敎に歸依せしめ、洗禮を行ふなり。羅馬年中行事に「シイ・アフ・イル・バツテシイモ・ヂイ・エブレイ・エ・ツルキイ」と記せり。) 僧侶は異敎の人の歸依せるをもて正法の功力の所爲となし、看る人に誇れども、その異敎の人のまことに心より宗旨を改むるは稀なり。われもをさなき時一たび往きて觀しことあり。その折の厭ふべき摸樣は今に至るまで忘られず。拉き來りしは六つ七つばかりの猶太人の童なりき。櫛の痕なき頭髮の蓬々(はうはう)たるに、寺の贈なる麗しき素絹(しろぎぬ)の上衣を纏へり。靴と韈(くつした)とは汚れ裂けたるまゝなり。後(しりへ)に跟(つ)きて來たるは同じさまに汚れたる衣着たる父母なりき。この父母はおのれ等の信ぜざる後世のために、その一人の童を賣りしなるべし」 われ、 「君は、をさなき時この羅馬にありてそを見きとのたまふか」 姫、 「然なり。されど、我は羅馬のものにはあらず」 われ、 「我は始て君が歌を聽きしとき、直ちに君のむかし識りたる人なることを想ひき。そを何故とも言ひ難けれど、この念(おもひ)は今も猶失することなし。若しわれ等輪𢌞應報の敎を信ぜば、われも君も前生は小鳥にて、おなじ梢に飛びかひぬともいひつべし。君にはさる記念なしや。何處にてか我を見しことありとはおぼさずや」 姫は我と目を見あはせて、 「絕てさる事なし」 と答へき。 われ詞を繼ぎて、 「初め、われ、君は穉きときより西班牙(スパニア)に居給ひぬと思ひしに、今のおん詞にては羅馬にも居ましゝなり。我惑はいよいよ深くなりぬ。君旣にをさなくして此都に居給ひきといへば、若しこゝの穉き子等と共に、アラチエリの寺にて說敎のまねし給ひしことあらずや」 姫、 「ありあり。まことに、さやうなる事、侍りき。さては、かの折、人々の目に留まりし童は、アントニオ、おん身なりしか」 われ、 「いかにも、初め目に留まりしは我なりき。されど勝をば君に讓りしなり」 姫は、げに思ひも掛けぬ事かなと、我兩手を把りて我面を見るに、媼さへその氣色の常ならぬを訝りて、椅子をいざらせ、我等が方をうちまもりぬ。姫は、珍らしき再會の顛末(もとすゑ)を媼に說き聞せつ。 われ、 「我母も、その外の人々も、暫くは君が上をのみ物語りぬ。その姿のやさしさ、その聲の軟さをば、穉き我心にさへ妬ましきやうに覺えき」 姫、 「その時、君は金(かね)の控鈕(ボタン)附きたる短き上衣を着たまひしこと今も忘れず。その衣をめづらしと見しゆゑ、久しく記憶に殘れるなるべし」 我、 「君は、又、胸の上に美しき赤き鈕(ボタン)を垂れ給ひぬ。されど、最も我目に留まりしはそれにはあらず。君が目、君が黑髮なりき。人となり給へる今も、その俤(おもかげ)は明に殘れり。始て君がヂドに扮し給へるを見しとき、われは直ちにこの事をベルナルドオに語りぬ。さるを、ベルナルドオは、そを我迷ぞといひ消して、卻りておのれが早く君を見きと覺ゆる由を語りぬ」 姫、 「そは又いかにして」 と問ひしが、その聲うち顫(ふる)ふ如くなりき。 われ、 「ベルナルドオが君を見きといふは、いたく變りたる境界なり。惡しく、な聞き給ひそ。ベルナルドオも後に誤れることを覺りぬ。 『君が髮の色濃きなど、人にしか思はるゝ端となりしなるべし。君は、君は、わが加特力敎の民にあらず。さればアラチエリの寺にて說敎のまねし給ふ筈なし』 との事なりき」 姫は媼の方を指ざして、 「さては、我友とおなじ敎の民ぞといひしなるべし」 といふ。 われは直にその手を取りて、 「わが詞のなめ(無礼)しきを咎め給ふな」 と謝したり。 姫微笑みて、 「君が友の我を猶太少女とおもひきとて、われ爭(いかで)でか心に掛くべき、君は可笑しき人かな」 といひぬ。 この話は、我等の交を一と際深くしたるやうなりき。わが日頃の憂さは悉く散じたり。さて、わが再び見じとの決心は、生憎(あやにく)に、また悉く消え失せたり。 姫は、ふと基督再生祭前のこの頃閉館中なる羅馬の畫廊の事を思ひ出でゝ、 「かゝる時、好き傳(つて)を得て往き看ば、いと面白かるべし」 といふに、姫の願としいへば何事をも協(かな)へんとおもふわれ、 「幸にボルゲエゼの館の管守、門番など皆識りたれば、そは容易き事なり」 とて、あくる朝姫と媼とを伴ひ往かんことを約しつ。 かの館は、羅馬の畫廊のうちにて最も備れる一つなり。フランチエスカの君の穉き我を伴ひ往き給ひしは、かしこなれば、アルバニが畫の羽ある童は皆わが年ごろの相識なり。 靜なる我室に歸りて、つらつら物を思ふに、ベルナルドオは、まことに彼君を戀ふるに非ず。卑しき色慾を知りて、高き愛情を解せざる男の心と、深けれども能く澹泊(たんぱく)に、大いなれども能く抑遜(よくそん)せる我心とは、日を同じくして語るべからず。さきの日の物語の憎かりしことよ。彼はたゞ驕慢なり。彼はたゞ放縱(はうせう)なり。かくて飽くまで我を傷けたり。そはアヌンチヤタの我に優しきを妬(ねた)みてなるべし。初め我を紹介せしは、いかにも彼男なりき。されど、今その心を推すれば、好意とはおもはれず。おのが風采態度のすぐれたるを彼君に見するとき、その側に世馴れぬ我を居らせて反映せしめんためにはあらずや。さるを我歌我詩は端(はし)なく彼君の心にかなひぬ。妬の心はこれより萌(きざ)せるならん。さて我を、又、姫に逢はせじとて、かくは我を脅しゝなるべし。幸にわれ好き機會を得て、今は姫との交いと深くなりぬ。姫は我を憐めり。加之(しかのみなら)ず姫は我戀を知りたり。 かく思ひつゞけつゝ、我は枕に接吻せり。さるにても、口惜しきは、わが意氣地なき性質なり。いかなれば、我は先の日直ちに彼の無禮を責めざりしぞ。かの詞には、かく答ふべかりしなり。かの辱をば、かく雪(そゝ)ぐべかりしなり。我血は湧き上りたり。無上の快樂に無比の慙恨(ざんこん)打ち雜りて、我は睡ること能はざりしが、曉近く、おもひの外に妥(おだやか)なる夢を結びぬ。 翌朝は夙(はや)く起き、管守を訪ひて預めことわりおき、さて、姫と媼とを急がせつゝ共にボルゲエゼの館に往きぬ。
第13章 姫はジエラルドオ・デル・ノツチイの名ある作なる『ロオト(ソドムに住みしハランの子)とその女兒(をみなご)と』の圖の前に立てり。われは、 「をゝしき父の面、これに酒を勸むる樂しげなる少女の姿、暗く繁りあひたる木立のあなたに見ゆる夕映の空などめでたし」 と稱へしに、姫我ことばを遮りて、 「げにげに奇なる才(ざゑ)、激せる情もて畫けるものと覺し。作者の筆の傅色(ふしよく)表情の一面は寔(まこと)に貴むべし。さるを、此の如き題(ロオトは其女子と通じたり)を選みしこそ心得られね。畫にも禮儀あり。品性あらんは我がつねに望む所なり。コルレジヨオが『ダナエ』なども、己れは人の愛づらんやうには愛でず。少女(ダナエを謂ふ、希臘諸神の祖なるチエウス黃金の雨となりて遘(ま)き給ひ、ペルセウスを生ませ給ふ。)の貌(かお)はいかにも美しく、臥牀(ふしど)の上にて黃金掻き集むる羽ある童の形もいと神々しけれど、その事餘りにみだりがはしくして、興さむる心地す。ラフアエロの大なるはこゝにあり。わが知れる限は、その採るところの題、每(つね)に高雅にして些の穢れだになし。かくてこそめでたき聖母の面影をば傳ふべかりしなれ」 といふ。 われ、 「仰せは理(ことわり)あるに似たれども、畫の妙は題の穢を忘れしむることあるべし」 姫、 「そは、きはめて有るべからざる事なり。藝術はその枝その葉の末までも、淸淨醇白(じゆんぱく)なるべきものにて、理想の高潔は人を動かすこと形式の美麗に倍す。古の作者の手に成りし聖母の像を視るに、すべて硬く銳くして、支那人の畫もかくやとおもはるれども、我はこれに打ち向ふごとに、必ず心の底に徹する如き念(おもひ)をなせり。この高潔といふものは、その作畫者のために缺くべからざること、度曲者(ときよくしや)に於けると同じ。名作中こゝかしこに稍々過ぎたりと見ゆる節あるをば、その作者の一時の出來心と看做して、恕(ゆる)すこともあるべけれど、その疵瑕(しか)は遂に疵瑕たることを免るべからず。わがまことに愛づるは無瑕の美玉にこそ」 われ、 「さらば、君は變化を命題の閒に求めんことをば是とし給はずや。いかなる大家鉅匠(きよせう)にても、幅ごとに題を同うせば人の厭倦を招くなるべし」 姫、 「否々、そは我が言はんと慾せしところにあらず。わが本意は畫工に聖母のみ畫かせんとにはあらず。めでたき山水も好し。賑はしき風俗畫、颶風(ぐふう)に抗ふ舟の圖も好し。サルワトオレ・ロオザが山賊の圖もいかでか好からざらん。われは唯だ藝術の境に背德を容れじとこそ云へ。わが趣味より視れば、かの「シヤリア」宮なるシドオニイの畫の如きすら、その巧緻その汚穢(をわい)を掩ふに足らず。君は猶彼圖を記し給ふや。驢(うさぎうま)に騎りたる農夫二人石垣の下を過ぐ。垣の上に髑髏(どくろ)ありて、一 鼷鼠(けいそ)、一蚯蚓(みゝず)、一木蝱(きあぶ)これに集り、石面には「エツト・エゴオ・イン・アルカヂア」と云ふ四つの拉甸(ラテン)語を書したり」 われ、 「その畫はラフアエロの『ヰオリノ(バイオリン)彈き』の隣に懸けられたるを、われも記憶す」 姫、 「さなり。そのラフアエロが落欵(らくくわん)の見苦しき彼圖の上邊にあるこそ憾なれ」 旣にしてわれ等はフランチエスコ・アルバニイが『四季』の圖の前に來ぬ。われは昔穉かりし日にこゝに遊び、この圖の中なる羽ある童を見て感ぜし時の事を語りぬ。姫は、 「君が穉くて樂しき日を送り給ひしこそ羨ましけれ」 といひて、憂をかくすやうなるさまなり。 昔の身の上にや思ひ比べけんと、あはれに覺ゆ。われ、 「君とても樂しき日少なからざりしならん。わが初めて相見しときは、君は幸ありげなるをさな子なりき。人々に感覆(めでくつがへ)られたるをさな子なりき。わが再び相逢ふ日は、羅馬全都の君がために狂するを見る。餘所目(よそめ)には君、まことに樂しく見え給へり。さるを、心には樂しとおもひ給はずや」 かく問ひつゝ、我は頭を傾けて姫の面を俯し視たるに、姫はそのそこひ知られぬ目なざしもて打ち仰ぎ、 「そのめでくつがへられたるをさな子は、父もなく母もなきあはれなる身となりぬ、譬へば木葉落ち盡したる梢にとまる小鳥の如し。そを籠(こ)の内に養ひしは世の人にいやしまれ疎まるゝ猶太敎徒なり。その翼を張りておそろしき荒海の上に飛び出でたるは、かの猶太敎徒の惠なり」 といひかけて、忽ち頭を掉(ふ)り動かし、 「あな無益(むやく)なる詞にもあるかな、由緣(ゆかり)なき人のをかしと聞き給ふべき筋の事にはあらぬを」 といふ。 「由緣なき人とはわれか」 と、姫の手首とりてさゝやくに、暫しあらぬ方打ち目守りてありしが、その面には憂の影消え去りて、微笑の波起りぬ。 「否々、われも樂しかりし日なきにあらず。その樂しかりし日をのみ憶ひてあるべきに、君が昔話を聞きて、端なくもわが心の裡に雕(ゑ)られたる圖を繰りひろげつゝ、身のめぐりなるめでたき畫どもを忘れたり」 とて、姫は我に先だちて步を移しき。
姫が生い立ち
** 姫が猶太敎徒の籠の内に養はれきといふ詞は、絕えず我耳の根にあり。依りておもふに、友がハノホの許にて見きといふ少女はアヌンチヤタなりしならん。されど又姫にそを問ふ機會あるべきか、心許なし。 あくる日往きしときは、姫は一閒にありて某(それ)の役を浚(さら)ひ居たり。われはおうなに物言ひこゝろみしに、この人はおもひしよりも耳疎かりき。されどそのさま我が詞を交ふるを喜べる如し。われは前(さき)の日卽興の詩を歌ひしとき、この人の嬉(たのし)み聽けるさまなりしをおもひ出でゝ、その故をたづねしに、 「あやしとおもひ給ひしも理(ことは)りなり。君の面を見、君の詞の端々を聞きて、おほよそに解したるなり、さてその解したるところはいとめでたかりき、平生アヌンチヤタが歌うたふを聽くときも亦同じ、耳の遠くなりゆくまゝに、目もて人の聲を聞くすべをば、やうやう養ひ成せり」 といふ。 媼はベルナルドオが上を問ひ、そのきのふ留守の閒におとづれて、共に畫廊に往くこと能はざりしを惜みき。われ媼がベルナルドオを喜べるゆゑを問ふに、 「かの人の心ざまには優れたるふしあり。われその證を見しことあればよく知りたり。猶太の徒も基督の徒も、神の目より視ば同じかるべければ、彼人の行末を護り給ふならん」 といふ。 やうやくにして媼はことば多くなりぬ。その姫を愛でいつくしむ情はいと深しと見えたり。物語のはしばしより推するに、姫が過ぎ來し方のおほかたは明かになりぬ。姫は西班牙(スパニア)に生れき。父も母も彼國の人なり。穉くて羅馬に來つるに、ふた親はやく身まかりて、賴るべき方もなし。猶太の翁ハノホは西班牙に旅せしころ、彼親達を識りつれば、孤兒を引き取りて養へりしに、故鄕なる某(それ)の貴婦人あはれがりて迎へ歸り、音樂の師に就きて學ばしめき。その頃某の貴公子この若草手に摘まばやとてさまざまのてだてを盡しゝに、姫の餘りにつれなかりしかば、公子その恨にえたへで、果はおそろしき計(はかりごと)をさへ運(めぐ)らしつ。その始末をば媼深く祕めかくす樣なれど、姫の命も危かるべき程の事なりきとぞ。姫は彼公子に索ね出されじとて、再び羅馬に逃れ來たり。かくて昔のやしなひ親にたよりて、人目少き猶太廓(ゲツトオ)に濳み居たるは、一年半ばかり前の事といへば、ベルナルドオが逢ひしは此時なり。幾(いくばく)もなくして彼公子身まかりぬ。姫はこれより一身をミネルワの神(藝術の神)に捧げまつりて、その始て桂冠を戴きしはナポリにての催しなりき。媼はその頃より姫のほとりを離れずといふ。語り畢りて媼は、姫の才あり智ありて、敬神の心いよいよ深きを稱ふること頻りなりき。 旅館を出でしは祝射(しゆくしや)の眞盛なりき。玄關よりも窗よりも、小銃拳銃などの空射をなせり。こは精進日の終を告ぐるなり。寺々の壁畫を覆へる黑布をば、此聲とゝもに截(き)りて落すなり。鬱陶しき時はけふ去りて、蘇生祭のうれしき月はあすよりぞ來るなる。その嬉しさはアヌンチヤタと媼とを祭見に誘ひ得たるにて、又一層を加へたり。
蘇生祭
供養の儀式聲樂を見聞き、磔柱(たくちう)の鐵釘(てつてい)、長鎗などありがたき寶物を拜み得しなるべし。廣き十字街は人の頭の波打ちて、車は相倚りて隙閒なき列をなせり。傖父(さうふ、卑しい者)、少童には石像の趺(だいいし)に攀ぢ上れるあり。全羅馬の生活(なりはひ)の脈は今此辻に搏動するかと思はる。 旣にして法皇の行列寺門を出づ。藍色の衣を纏へる僧六人に舁(か)かせたる、華美なる手輿(てごし)に乘りたるは法皇なり。若僧二人大なる孔雀の羽もて作りたる長柄の翳(えい、団扇)を取りて後に隨ひ、香爐搖り動かす童子は前に列びてぞゆく。輿に引き添ひて步めるは僧官(カルヂナアレ)達なり。 行列の門を出づるや、樂隊は一齊に聲を揚ぐ。輿を大理石階の上に舁き上げて、法皇の姿、廊の上に見ゆるを相圖として、廣き辻なる老若の羣集は跪けり。隊伍をなせる兵士もこれに倣へり。こゝかしこに立てる人の殘りしは、新敎を奉ずる外國人なるべし。アヌンチヤタは停めたる車の内に跪きて、その美しき目を法皇の面に注げり。われは見るべからざる法雨のこの羣の上に降り灑(そゝ)ぐを覺えき。 廊の上より紙二ひら翩(ひるがへ)り落つ。一は罪障消滅の符、一は怨敵調伏(をんてきてうぶく)の符なり。衆人はその片端を得んとてひしめきあへり。 鐘の音、再び響き、奏樂又起りぬ。われ等の乘れる車の此辻を離るゝとき、ベルナルドオが馬、側を過ぎたり。馬上の友はアヌンチヤタと媼とに禮(ゐや)して、我をば顧みざりき。姫は、 「君が友の色の蒼さよ、病めるにあらずや」 とさゝやきぬ。 われはたゞ、 「さることは、あらざるべし」 と答へしが、我心は明に友の面色土の如くなりし所以を知りたり。 而してわれは我決心の期到れるを覺えき。わが姫を慕ふ情は甚だ深し。姫にしてわれを棄てずば、我は一生を此戀に委ぬとも可なり。われは嘗て我才の戲場(ぎぜう、舞台)に宜くして、我吭(のんど)の喝采を博するに足るを驗(ため)し得たれば、一たび意を決して俳優(わざをぎ)の羣に投ぜば、多少の發展を見んこと難からざるべし。ベルナルドオ畢竟何爲者(なにするもの)ぞ。その年ごろ姫に近づかんとする心にして、公正なる情ならば、われ決してこれが妨碍(ばうげ)をなさじ。友と我との閒に擇(えら)ばんは、一にアヌンチヤタが寸心に存ず。姫我を取らば友去れかし。友を取らば我退(ひ)かん。 この日われは机に對ひて書を裁し、これをベルナルドオが許に寄せたり。筆を落すに臨みて舊情を喚び起せば、不覺の淚紙上に迸りぬ。發送せし後は心やゝ安きに似たれど、或は姫を失はんをりの苦痛を想ひ遣りて、プロメテウスの鷲の嘴(くちばし)に刺さるゝ如き念をなし、或は姫に許されて戲場を雙棲(さうせゐ、夫婦で暮らすこと)のところとなさん日の樂(たのしみ)奈何(いか)なるべきと思ひ浮べて、獨り微笑を催すなど、ほとほと心亂れたる人に殊ならざりき。 燈籠 * 夕の勤行の鐘響く頃、姫と媼とを伴ひて御寺の燈籠見に往きぬ。聖ピエトロの伽藍には中央なる大穹窿、左右の小穹窿、正面の簷端(のきば)、悉く透き徹りたる紙もて製したる燈籠を懸け連ねたるが、その排置いと巧なれば、此莊嚴なる大廈(たいくわ、建物)は、火燄の輪廓もて靑空に畫き出されたるものゝ如くなり。人の羣れ集へること、晝の祭の時にも增されるにや、車をば竝足(なみあし)にのみ曳かせて、僅に進む事を得たり。神使の橋の上より、御寺の全景を眺むるに、燈の光は黃なるテヱエル河の波を射て、遊び嬉(たのし)む人の限を載せたる無數の舟を照し、爰(こゝ)に又一段の壯觀をなせり。樂の聲、人の歡び呼ぶ聲の滿ちわたれるピエトロの廣こうぢに來りし時、火を換ふる相圖(あひづ)傳へられぬ。御寺の屋根々々に分ち上(のぼ)したる數百の人は、一齊に鐵盤中なる松脂環飾(やにのわかざり)に火を點ず。小き燈のかずかず忽ち大火燄と化したる如く、この時聖ピエトロの寺は羅馬の大都を照すこと、いにしへベトレヘムの搖籃の上に照りし星にもたとへつべきさまなり。 (原註。寺院もそのめぐりなる家屋も、皆石もて築き立てたるものなれば、この盤中の火は松脂の盡くるまで燃ゆれども、火虞(くわぐ)あるべきやうなし。) 羣衆の歡び呼ぶ聲はいよいよ盛になりぬ。アヌンチヤタこの活劇を眺めたるが、遽(にはか)に我に向ひていふやう、 「かの大穹窿の上なる十字架に火皿を結び付くる役こそおそろしけれ。おもひ遣るに身の毛いよ竪(た)つ心地す」 われ、 「げに埃及(エヂプト)の尖塔(ピラミッド)にも劣らぬ高さなり。かしこに攀ぢしむるには膽(きも)だましひ世の常ならぬ役夫を選むことにて、預め法皇の手より膏油の禮を受くと聞けり」 姫、 「さてはひと時の美觀のために、人の命をさへ賭するなりしか」 われ、 「これも神德をかゞやかさんとての業なり。世には卑しき限の事に性命を危くする人さへ少からず」 かく語るうち、車の列は動きはじめたり。人々はモンテ・ピンチヨオの頂にゆきて、遙かにかゞやく御寺と其光を浴(あ)むる市とを見んとす。われ重ねて、 「御寺に光を放たせて、都の上に照りわたらしむるは、いとめでたき意匠にて、コルレジヨオが不死の夜の傑作も、これよりや落想しつるとおもはる」 姫、 「さし出がましけれど、そのおん說は時代たがへり。彼圖は御寺に先だちて成りたり。作者は空(くう)に憑(よ)りて想ひ得しなるべく、又まことに空に憑りて想ひ得たりとせんかた、藍本(らんぽん、手本)ありとせんよりめでたからん。モンテ・ピンチヨオは餘りに雜遝(ざつたふ)すべければ、やゝ遠きモンテ・マリヨへ往かばや。こゝより市門まではいと近ければ」 といふ。 われは馭者に命じて、柱廊の背後を𢌞(めぐ)らしめ、幾ほどもなく市外に出でたり。丘の半腹なる酒店の前に車を停めて見るに、穹窿の火の美しさ、前に見つるとはまた趣を殊にして、正面の簷(のき)こそは隱れたれ、星を聯(つら)ねたる火輪の光の海に漂へるかとおもはる。この景色は四邊のいと暗くして、大空なるまことの星の白かねの色をなして、高く隔たりたる處に散布せるによりて、いよいよその美觀を添へ、人をして自然の大なるすら羅馬の蘇生祭には步を讓りたるを感ぜしむ。鐘の響、樂の聲はこゝまでも聞えたり。
わが生涯の一轉機
「アントニオ、われは卑しき兇行者たらんを嫌へり。然らずば、直ちに此劍もて汝が僞(いつはり)多き胸を刺すならん。汝は臆病ものなれば辭(いな)まむも知れねど、われは强ひて潔き決鬪を汝に求む。共に來れ」 といふ。 われは把られたる臂を引き放さんとすまひつゝ、 「ベルナルドオ、物にや狂へる」 と問ふに、友は焦燥(いらだ)つ聲を抑へて、 「叫ばんとならば叫べ。男らしく立ち向ふ心なくば、人をも呼べ。この兩腕の縳らるゝ迄には、汝が息の根とめでは置かじ。兵(えもの)はこゝにあり。我に恥ある殺人罪を犯させじとおもはゞ疾く來れ」 といひつゝ、拳銃一つ我手にわたし、われを廊の外に拉き行かんとす。 われは遞與(わた)されたる拳銃を持ちながら、猶身を脫せんとして爭へり。 友、 「彼君は淺はかにも汝に靡(なび)きしならん。汝は、誇らしくも、そを我に、そを羅馬の民に示さんとす。われを出し拔きしは猶忍ぶべし。いかなれば我に弔辭(くやみ)めきたる書を贈りて、重ねて我を辱めたる」 われ、 「ベルナルドオ、そは皆病める人の詞なり。先づその手を弛めずや」 われは、力を極めて友の體を撥(は)ね退けたり。 その時、われは銃聲の耳邊(ぢへん)に轟くを聞きたり。我右臂には、衝動を感じたり。烟(けぶり)は廊道(わたどのみち)に滿ちたり。われは又叫ぶに似て叫ぶにあらざる一種の氣息を聞きたり。この氣息の響は我耳を襲ふよりは、寧ろ我心を襲ひき。發したるは我手中の銃にして、黑く數石を染めたる血に塗(まみ)れて我前に橫れるは我友なり。 われは喪心者の如く凝立して、拘攣(かうれん)せる五指の閒に牢(かた)く拳銃を攫(つか)みたり。 わが此不慮此不幸の全範圍を感ぜしは、酒店の人の罵り噪(さわ)ぎつゝ走り寄り、アヌンチヤタと媼との我前に來るを見し時なりき。 「わがベルナルドオ!」 と叫びてその躯(からだ)に抱き付かんとするに先だちて、姫は早くもその傍に跪き、鮮血湧き出づる創口を押へたり。 姫はかく我友をいたはりつゝ、血の色全く失せたる面を擧げて、我を凝視せり。媼は我臂を搖り動かして、 「疾く、此場を!」 と呼べり。 われは胸裂くるが如き苦痛を覺えき。われは叫び出せり、 「思ひ掛けぬ怪我なり。殺さんと慾せしは他(かれ)なり。銃は他の我にわたしゝなり。われは身を脫せんとして撥條(はつでう、引き金)に觸れたり。アヌンチヤタ、聞き給へ。我等二人は命に懸けて君を慕ひしなり。君がために血を流さんことは、われも厭はざるべきこと、我友と同じ。われは、おん身が一言を聞きて去らん。おん身は我友を愛し給ひしか、我を愛し給ひしか」 友の介抱に餘念なき姫は、詞のあやもしどろに、 「疾く往き給へ」 といひて、手を揮(ふ)りたり。 姫は、「往き給へ」と繰反したり。 われは心もそらに再び、 「友なりしか、我なりしか」 と叫びたり。 その時、われは、アヌンチヤタが友の上に俯して唇をその顙(ひたひ)に觸るゝを見、その聲を呑みて微かに泣くを聞きたり。 次第に集りたる衆人の中より、忽ち「邏卒、々々」(らそつ、憲兵)と呼ぶ聲を聞けり。われは目に見えぬ幾條の腕もて拉(ひ)き去らるゝ心地して、此場を遁(のが)れたり。
第14章 灌木雜草を踏みしだき、棘に面を傷(きづつけ)られ、梢に袖を裂かれつゝも、幾畝の葡萄畠を限れる低き石垣を乘り越え乘り越え、指すかたをも分かでモンテ・マリヨの丘を走り下るに、聖ピエトロの御寺の火は、昔カインの奔りしとき、同胞の躯(からだ)を供へたる贄卓(にへづくゑ)の火のゆくてを照しゝ如くなり。 (譯者云。カインは亞當(アダム)が第一の子にして、弟を殺して神に供へき。) この閒。幾時をか經たる、知らず。わが足を駐(とゞ)めしは、黃なるテヱエルの流の前を遮るを見し時なりき。羅馬より下、地中海の荒波寄するあたりまで、この流には橋もなし、また索むとも舟もあらざるべし。この時我は我胸を噬(か)む卑怯の蛆(うじ)の兩斷せらるゝを覺えしが、そは一瞬の閒の事にて、蛆は忽、又、蘇りたり。われは復たいかなる決斷をもなすこと能はざりき。 われはふと首(かうべ)を囘(めぐ)らしてあたりを見しに、我を距ること數步の處に、故墳の址あり。むかしドメニカが許に養はれし時、往きて遊びし冢(つか)に比ぶれば、大さは倍して荒れたることも一入(ひとしほ)なり。頽(くづ)れ墮ちたるついぢの石に、三頭の馬を繋ぎたるが、皆おのおの顋下(さいか)に弔(つ)りたる一束の芻(まぐさ)を噛めり。 墓門より下ること二三級なる窪みに、燃え殘りたる焚火を圍める三個の人物あり。その火影の早く我目に映らざりしにても、我が慌てたるを知るに足るべし。火の左右に身を橫(よこた)へたる二人は、逞ましげに肥えたる農夫なるが、毛を表にしたる羊の裘(かはごろも)を纏ひ、太き長靴を穿き、聖母の圖を貼(つ)けたる尖帽を戴き、短き烟管(きせる)を銜(ふく)みて對ひあへり。第三個は鼠色の大外套にくるまり、帽をまぶかに被りてついぢに靠(よ)りかゝりたるが、その身材(みのたけ)はやゝ小く、瓶を口にあてゝ酒飮み居たり。わが渠等(かれら)を認めしとき、渠等も亦我を認めき。肥えたる二人は齊(ひと)しく銃を操(と)りて立(たて)り上りたり。 「客人は何の用ありてこゝに來しぞ」 われ、 「舟をたづねて河をこさんとす」 三人は目を合せたり。 甲、 「むづかしきたづねものかな。挈(さ)げ持ちて旅するものは知らず。こゝ等には舟も筏もなし」 乙、 「客人は路にや迷ひ給ひし。こゝは物騷なる土地なり。デ・チエザアリが夥伴(なかま)は遠き處まで根を張れば、法皇はいかに鋤(すき)を揮(ふ)り給ふとも、御腕の痛むのみなり」 甲、 「客人はなどて何の器械(えもの)をも持ち給はぬ。見られよ、この銃は三連發なり。爲損(しそん)じたるときの用心には腰なる拳銃あり」 丙、 「この小刀も馬鹿にはならぬ貨物(しろもの)なり」 (かの身材小さき男は冰(こほり)の如き短劍を拔き出だして手に持ちたり。) 乙、 「早く鞘に納めよ。年若き客人は刄物は嫌ひなるべし。客人、われ等に逢ひ給ひしは爲合(しあは)せなり。若し惡棍(わるもの)などに逢ひ給はゞ、素裸にせられ給はん。金あらば我等にあづけ給へ」 われは今三人の何者なるかを知りたり。我五官は鈍りて、我性命は價なきものとなりぬ。 「諸君よ、わが持てる限の物をば、悉く贈るべし、されどおん身等を饜(あ)かしむるに足らざるこそ氣の毒なれ」 と答へて、われは進寄りつゝ、手を我衣兜(かくし)にさし籠(こ)みたり。 われは兜兒(かくし)の中に猶盾銀二つありしを記したり。而るに我手に觸れたるは、重みある財布なりき。抽き出して見れば、手組(てあみ)の女ものなるが、その色は曾てアヌンチヤタが媼の手にありしものに似たり。落人の盤纏(ろよう)にとて、危急の折に心づけたる、彼媼の心根こそやさしけれ。三人ひとしくさし伸ぶる手を待たで、われは財布の底を掴みて振ひしに、焚火に近き匾石(ひらいし)の上に、こがねしろかね散り布けり。 「眞物(ほんもの)ぞ」 と呼びつゝ、人々拾ひ取りて 「勿體なき事かな。盜人などに取られ給はゞいかにし給ふ」 といふ。 われ、 「貨物(しろもの)はそれ丈なり。疾く我命を取り給へ。生甲斐なき身なれば毫(すこ)しも惜しとはおもはず」 甲、 「思ひも寄らぬ事なり。我等はロツカ・デル・パアパに住める正直なる百姓仲閒なり。同じ敎の人を敬ふ基督の徒なり。酒少し殘りたり。これを飮みて、かく怪しき旅し給ふ事のもとを明し給へ」 われ、 「そはわが祕事なり」 かく答へて、我は彼瓶を受け、燥(かわ)きたる咽を潤したり。 三人は何事をかさゝやきあひしが、小男は嘲(あざ)み笑ふ如き面持して我に向ひ、 「煖(あたゝか)き夕のかはりに寒き夜をも忍び給へ」 といひて立ちぬ。 渠(かれ)は驅步(かけあし)の蹄の音をカムパニアの廣野に響かせて去りぬ。 甲、 「いざ客人、船を待ち給はんは望なき事なり。我馬の尾に縋(すが)りて泅(およ)がんこともたやすからねば、鞍の半を分けて參らすべし」 渠は我を後ざまに馬の脊に掻き載せて、おのれは前の方に跨り、水に墜さぬ用心なりとて、太き綱を我胸と肘とのめぐりに卷きて、脊中合せにしかと負ひたり。我には手先を動かす餘地だになかりき。逞ましき馬は前脚もて搜(さぐ)りつゝ流に入りしが、水の脇腹に及ぶころほひより、巧に泳ぎて向ひの岸に着きぬ。渠(かれ)は、 「河ごしは濟みたり」 と笑ひて、綱を弛むる如くなりしが、こたびは我脊を緊(きび)しく縳りて、その端を鞍に結ひつけ、 「鞍をしかと掴みておはせ、墜ちなば頸の骨をや摧(くじ)き給はん」 といひて、靴の踵を馬の脇に加ふれば、連なる男も同じく足をはたらかせたり。 かくて二匹の馬三個の人は、弦(つる)を離れし矢の如くカムパニアの原野を橫ぎりたり。前なる男の長き髮は、風に亂れて我頬を拂へり。頽(くづ)れたる家の傍、斷えたる水道の柱弓(せりもち)の畔(ほとり)を、夢心に過ぎゆけば、血の如く紅なる大月(たいげつ)地平線より輾(まろが)り出で、輕く白き靄(もや)騎者(のりて)の首(かうべ)を繞(めぐ)りてひらめき飛べり。
山塞
山路にさしかゝると覺しき時、騎者(のりて)は背後なる我を顧みて詞をかけたり。 「程なく大母(おほば)の蔽膝(まへだれ)の下に息(やす)らふべければ、客人も心安くおぼせよ。良き馬にあらずや。この頃聖アントニオの禳(はらひ)を受けたり。小童(こわつぱ)の絹の紐もて飾りて牽き往きしに、經を聽かせ水を灌(あび)せられぬれば、今年中はいかなる惡魔の障碍をも免るゝならん」 岩閒の細徑に踏み入る頃、東の天は白みわたりぬ、連(つれ)なる騎者馬さし寄せて、夜は明けんとす。 「客人の目疾(めやみ)せられぬ用心に、涼傘(ひがさ)さゝせ申さん」 と、大なる布を頭より被せ、頸のまはりに結びたれば、それより方角だに辨(わきま)へられず。諸手をば縳(いまし)められたり。我身上は今や獵夫(さつを)に獲られたる獸にも劣れり。されど憂に心昧(くら)みたる上なれば、苦しとも思はでせくゞまり居たり。馬の前足は大方仰ぐのみなれど、ともすれば又暫し阪道を降る心地す。茂りあひたる梢は頻りに我頬を拊(う)てり。道なき處をや騎り行くらん覺束なし。 久しき後馬より卸(おろ)して、我を推して進ましむ。かれこれ復た隻語(せきご)を交へず。狹き門を過ぎて梯を降りぬ。心神定まらず、送迎忙(いそが)はしき際の事とて、方角道程(みちのり)よくも辨(わきま)へねど、山に入ること太(はなは)だ深きにはあらずと思はれぬ。わがその何れの地なるを知りしは、年あまた過ぎての事なり。後には外國人(とつくにびと)も尋ね入り、畫工の筆にも上りぬ。こゝは古のツスクルムの地なり。栗の林、丈高き月桂(ラウレオ)の村立(むらだち)ある丘陵にて、今フラスカアチと呼ばるゝ處の背後にぞ、この古蹟はあなる。クラテエグス、野薔薇などの枝生ひ茂りて、重圈をなせる榻列(たふれつ)の石級を覆へり。山のところどころには深き洞穴あり、石の穹窿あり。皆草叢(くさむら)に掩はれて、迫り視るにあらでは知れ難かるべし。谷のあなたに聳(そばだ)てるはアプルツチイの山にて、沼澤を限り、この邊の景に、物凄き色を添ふ。あはれ此山の容よ。この故址斷礎の閒より望むばかり、人を動すことは、またあらぬなるべし。 騎者等の我を拉き往くは、とある洞窟の一つにて、その入口は石楠(エピゲエア)の枝といろいろなる蔓艸(つるくさ)とに隱されたり。我等は足を駐めつ。徐(しづ)かに口笛吹く聲と共に、扉を開く響す。再び數級の石磴を下る。數人(すにん)の亂れ語る聲我耳に入りし時、頭に纏へる布は取り除けられぬ。わが身は大穹窿の裏に在り。中央なる大卓の上に眞鍮の燈二つ据ゑて、許多の燈心に火を點じ、逞しげなる大漢(おほをとこ)數人の羊の裘(かはごろも)着たるが、圍み坐して骨牌(かるた)を弄(もてあそ)べり。火光の照し出せる面ざしは、苦みばしりて落ち着きたるさまなり。人々は生面の客あるを見ても、絕て怪み訝ることなく、我に榻(こしかけ)を與へて坐せしめ、我に盞(さかづき)を與へて飮ましめ、肴せんとて鹽肉團(サラメ)をさへ截(き)りてくれたり。その相語るを聞くに、方言にて解すべからず、されど我上に關(かゝ)はらざる如くなりき。 我は飢を覺えずして、たゞ燃ゆる如き渴を覺えしかば、酒を飮みつゝ四邊を見たり。隅々には脫ぎ棄てたる衣服と解き卸したる兵器とあるのみ。一角に龕の如く窪みたる處あり。その天井には半ば皮剥ぎたる兎二つ弔(つ)り下げたり。初め心付かざりしが、その窪みたる處には一人の坐せるあり。年老いたる媼の身うち痩せ細りたるが、卻(かへ)りて脊直(せすぐ)にすくやかげなる坐りざまして、あたりに心留めざる如く、手はゆるやかに絲車を𢌞せり。銀の如き髮の解けたるが、片頬に墜ちかゝりて、褐色なる頸のめぐりに垂るゝを見る。その墨の如き瞳は、とこしへに苧環(をだまき)の上に凝注せり。焚きさしたる炭の半ば紅なるが、媼の座の畔(ほとり)にちりぼひたるは、妖魔の身邊に引くといふ奇(くす)しき圈(わ)とも看做さるべし。まことに是れ一幅クロトの活畫像なり。 (譯者云。古說に三女ありて人生運命の泰否を掌(つかさど)る。性命の絲を繰るをクロトと曰ひ、これを撮みたるをラヘシスと曰ひ、これを斷つをアトロポスと曰ふ。姉妹神なり。) 人々の我事にかゝづらはざりしは、久しからぬ程なりき。忽ち糺問(きうもん)は始まりぬ。軄業は何ぞ、資產ありや否や、親戚ありや否や抔(など)いふことなりき。我は徐かに答へき。 「わが帶び來たるところのものをば、最早君等に傾け贈りぬ。かくてこの身はやうなき貨(しろもの)となりぬ。縱ひ羅馬(ロオマ)わたりに持ち往きて沽(う)らんとし給ふとも、盾銀一つ出すものだにあらじ。廉(かど)ある生活(なりはひ)の業をも知らず。頃日(このごろ)は拿破里(ナポリ)に往きて、客に題をたまはりて、卽座に歌作りて謳(うた)はんと志したり」 斯く語るついでに、われはこたび身を以て逃れたる事のもとさへ、包み藏(かく)さずして告げぬ。唯だ、アヌンチヤタが上をば少しも言はざりき。さてわが物語の終は、 「この上殊なる望なければ、この身を官府に引き渡して、襃美にても受け給へ」 といふことなりき。 一人の男のいはく、 「さりとては珍らしき望なるかな。想ふに羅馬市には、黃金の耳環(みゝわ)を典して、客人を贖(あがな)ひ取ることを吝(をし)まざる人あるならん。拿破里(ナポリ)の旅稼(たびかせぎ)は、その後の事とし給はんも妨あらじ。さはあれ强ひて直ちに拿破里に往かんとならば、あぶなげなく彊(さかひ)を越させ申さんことも、亦我等の手中に在り。留りて此樂園に居らんとならば、それも好し。こゝに在るは善き人々なるをば、客人も夙(と)く悟り給ひしならん。されど此等の事思ひ定め給はんには、先づ快く一夜の勞を醫(いや)し給ふに若かず。こゝに佳き牀(とこ)あり。それのみならず、來歷ある好き衾をも借し參らせん。巽風(シロツコ)吹く頃の夕立をも、雪ふゞきをも凌ぎし衾ぞ」 とて、壁よりはづして投げ掛くるは、褐色なる大外套なり。 牀といふは卓の一端の地上に敷ける藁蓆(わらむしろ)なり。その男は何やらん一座のものに言置き、「ヂツセンチイ・オオ・ミア・ベツチイナ」(降り來よ、やよ、我戀人)と俚歌(ひなうた)口ずさみて出行きぬ。
血書
醒めたる時は心地爽かになりて、前に心身を苦めつる事ども、唯だ是れ一場の夢かと思はるゝ程なりき。然はれそは一瞬の閒にして、身の在るところを顧み、四邊なる男等の蹙(しか)みたる顏付を見るに及びては、我魘夢の儼然として動すべからざる事實なるを認めざることを得ざりき。 一客あり。灰色の外套を偏肩に引掛け、腰に拳銃を帶びたるが、馬に騎りたる如く長椅に跨(またが)りて、男等と語れり。穹窿の隅の方には、彼の雜種(あひのこ)いろしたる老女の初の如く坐して繰車(くりぐるま)まはせるあり。黑地に畫ける像の如し。座のめぐりには、新き炭を添へて、その煖氣は室に滿ちたり。われは客の、 「彈(たま)は脇を擦過(かす)りたり、些(いさゝか)の血を失ひつれど、一月の閒には治すべし」 といふを聞き得たり。 わが頭を擡(もた)げしを見て、われを鞍に縳(ばく)せし男のいふやう、 「客人、醒め給ひしよ。十二時閒の熟睡は好き保養なるべし。こゝなるグレゴリオは羅馬より好き信(たより)をもて來たり。そは、おん身の喜び給ふべき筋の事なり。手を下しゝはおん身に極(きわま)つたり。時も所も符を合す如し。驕りたる評議廳の官人は、おん身がために、容赦なくその長裾(ちやうきよ)を踏まれぬと見えたり。お身の大膽なる射擊に遭ひしは、評議官(セナトオレ)の從子(をひ)なりき」 これを聞きてわれは僅に、 「命にはさはらずや」 と問ふことを得き。 グレゴリオの云はく、 「先づ死なで濟むべし。醫者は然(しか)云ひきとぞ。鶯の如き吭(のど)ありといふ、美しき外國婦人の夜を徹(とほ)して護り居たるに、醫者は心を勞し給ふな、本復(ほんぷく)疑なしといひきとぞ」 といふ。 我を伴ひ來し男の云はく、 「われおもふに、君は男の身を錯り射給ひしのみにあらず、女の心をも亦錯り射給ひしなり。雌雄(めを)は今雙(なら)び飛ぶべし。君は唯だこゝに在(いま)せ。自由なる快活なる生計(たつき)なり。君は小なる王者たることを得べし。而してその危さは決して世閒の王位より甚しからず。酒は酌めども盡きざるべし。女は君を欺きし一人の代りに、幾人をも寵し給へ。同じく是れ生活なり、餘瀝(よれき)を嘗(な)むると、滿椀を引くと、唯だ君が選み給ふに任す」 と云ひき。 ベルナルドオは死せず。我は人を殺さず。この信は我がために起死の藥に侔(ひと)しかりき。獨りアヌンチヤタを失ひつる憂に至りては、終に排するに由なきなり。われは猶豫することなく答へき、 「我身は只君等の處置するに任すべし。されどわが嘗て受けし敎と、現に懷ける見とは、俘囚(とりこ)たるにあらずして、君等が閒に伍すべきやうなし」 これを聞きて、我を伴ひ來し男の顏は、忽ち嚴なる色を見せたり。 「盾銀六百枚は定まりたる身のしろなり。そを六日閒に拂ひ給はゞ、君は自由の身なるべく、さらずば君が身は、生きながらか、殺してか、我物とせではおかじ。こは此處の掟なれば、君が紅顏も我丹心も、寬假(くわんか)の緣とはならぬなるべし。六百枚なくば、我等の義兄弟となりて生きんとも、彼處なる枯井の底にて、相擁して永く眠れる人々の義兄弟となりて終らんとも、二つに一つと思はれよ。身のしろ求むる書をば、友達に寄せ給はんか、又彼歌女に寄せ給はんか。おん身の一擊媒(なかだち)となりて、二人はその心を明しあひつれば、さばかりの報恩をば、喜びてなすなるべし」 斯く語りつゝ、男は、又「からから」と笑ひて云ふ。 「廉(やす)き價なり。この宿の客人に、還錢(かんぢやう)のかく迄廉きことは、その例少からん。都よりの馬のしろ、六日の旅籠を思ひ給へ」 われ、 「我志をば旣に述べたり。我はさる書をも作らざるべく、又君等が夥伴(なかま)にも入らざるべし」 男、 「さてさて强情なる人かな。されどその强情は憎くはあらず。我彈丸(たま)の汝が胸を貫かんまでも、その心をば讚めて進ずべし。命惜まぬ客人よ。生くといふには種々あり。少年の心は物に感じ易しといふに、吾黨(たう)がかく累(わずらひ)なく障(さはり)なき世渡するを見て、羨ましとは思はずや。そが上おん身は詩人にて、卽興詩もて口を糊せんといふにあらずや。吾黨の自由不羇(ふき)の境界を見て心を動すことはなきか。客人試みに此境界を歌ひ給へ。題をば『巖穴の閒なる不撓(ふたう)の氣象』とも曰ふべきならん。客人若しこれを歌はゞ、彼生活といひ性命といふものゝ、樂む可く愛す可きを說かざることを得ぬなるべし。その杯を傾けて、歌ひて我等に聽せ給へ。出來好くば六日の期を一日位は延ばすべし」 といふ。 男は手をさし伸べて、壁上なるキタルラを取りて我に授けつ。賊の羣は立ちて我席を繞(めぐ)りたり。 われはそを把りて暫く首を傾けたり。課する所の題は『巖穴山野』にて、こは我が曾て經歷せざるところなり。前の夜こゝに來し時は、目を掩はれたれば甲斐なし。昔見しところを言はゞ、羅馬のボルゲエゼ、パムフイリの兩苑に些の松林ありしに過ぎず。まことの山とては、幼かりし程ドメニカが家の窗より望みしより外知らず。已むことなくば只だ一たび山を見き。ジエンツアノの花祭に往きし途すがらの事なり。ネミ湖畔の高原を步みしに、道は暗く靜けき森林の閒を通じたり。彼祭はわが爲には悲き祭なりければ、湖畔の道にて花束つくりしことをさへ、今猶忘れでありしなり、景は心目に上り來れり。今かく物語する時閒の半をだに費さずして、景は情を生じ、情は景を生ずるほどに、我は絃(いと)を撥(はじ)きたり。 情景は言の葉となり、言の葉は波起り波伏す詩句となりぬ。且我が歌ひしところを聽け。深き湖あり。暗き林はそを環(めぐ)れり。湖の畔なる巖は聳(そばだ)ちて天を摩せんとす。こゝに暴鷲(あらわし)の巢あり。母鳥は雛等に敎へて、穉き翼を振はしめ、またその目を銳くせんために、日輪を睨ましめき。扨(さて)母鳥の云ひけるやう、 「汝達は諸鳥の王なるぞ。目は利(と)く、拳は强し。いでや飛べ。飛びて母の側を去れ。我目は汝を送り、我情は彼の死に臨める大鵝(たいが)の簧舌(くわうぜつ)の如く汝が上を歌ふべし。その歌は『不撓の氣力』を題とせん」 といひき。 雛等は巢立せり。一隻は翅(はね)を近き巖の頂に斂(をさ)めて、晴れたる空の日を凝矚(ぎようしよく)すること、其光のあらん限を吸ひ取らんと慾する如くなりき。一隻は高く虛空に翔りて、大圈を畫し、林樾(りんゑつ)沼澤を下瞰(かかん)するが如くなりき。岸に近き水面には緑樹の影を倒せるありて、その中央には碧空の光を蘸(ひた)すを見る。時に大魚の浮べるあり。その脊は覆(くつがへ)りたる舟の如し。忽ち彼雛鷲は電(いなづま)の擊つ勢もて、さと卸(をろ)し來つ。刄の如き利爪(とづめ)は魚の背を攫(つか)みき。母鳥は喜、色に形(あらは)れたり。然るに鳥と魚とは力相若(あひし)くものなりければ、鳥は魚を擧ぐること能はず、魚は鳥を沈むること能はず、打ち込みたる爪の深かりしために、これを拔かんとするも、亦意の如くならず。こゝに生死の爭は始まりぬ。今まで靜なりける湖水の面は、これがために搖り動され、大圈をなせる波は相重りて岸に迫れり。旣にして波上の鳥と波底の魚と、一齊に鎭まり、鷲の翼の水面を掩ふこと蓮葉(はちすは)の如くなりき。忽ち隻翼は又聳(そばだ)ち起り、竹を割(さ)く如き聲と共に、一翼はひたと水に着き、一翼は劇しく水を鞭(う)ち沫(しぶき)を飛ばすと見る閒に、鳥も魚も沈みて痕なくなりぬ。母鳥は悲鳴して、巖角なる一隻の雛を顧みるに、こもいつか在らずなりて、首を仰いで遠く望めば、只だ一黑斑の日に向ひて飛ぶを見き。母鳥は悲を轉じて喜となしたり。その胸は高く躍りて、その聲は折るれども撓まぬ力を歌ひぬ。 我歌はこゝに終り、喝采の聲は座に滿ちぬ。獨り我は瞚(またゝき)きもせで、龕の前なる老女をまもり居たり。そは我が歌ひて半に至りし時、老女の絲繰る手やうやく緩く、はては全く歇(や)みて、暗き瞳の光は我面を穿つ如く、こなたに注がれたればなり。又我が能く少時の夢を喚び起して、この詩中に入るゝことの、かくまで細かなることを得しは、この老女の振舞與りて力ありければなり。 媼は忽ち身を起し、健かなる步みざまして我前に來て云ふやう、 「能くも歌ひて、身のしろを贏(か)ち得つるよ。吭(のど)の響はやがて黃金の響ぞ。鳥と魚との水底に沈みし時にこそ、この姥は汝が星の躔(やど)るところを見つれ。鷲よ。いで日に向ひて飛べ。老いたる母は巢にありて、喜の目もてそを見送らんとす。汝が翼をば、誰にも折らせじ」 といふ。 我に勸めて歌はせし男恭しく媼の前に磕頭(ぬかづ)きて、 「さてはフルヰアの君は、此わかうどを見給ひしことあるか、又その歌を聞き給ひしことあるか」 と問ひぬ。 媼、 「そは汝の知らぬ事なり。われは早く幸運の兒の身と光と眼の星とを見き。兒はむかし花の環を作りぬ。後又愈々美しき花の環を作るならん。その臂(ひぢ)を縳(いまし)むべきことかは。六日が程は巢にあれかし。脊に爪打ち込みしにはあらず。六日立たば、汝この雛を放ち遣りて、日の邊へ飛ばしめよ」 斯くつぶやきつゝ、媼は壁の前なる筐(はこ)を探りて、紙と筆とを取り出でつ。 「あな、やくなし。墨は巖の如くなりぬ。コスモよ。人の上のみにはあらず。汝が腕の血を吳れずや」 といふ。 コスモと喚ばれし彼男は、一語をも出さで、刀を拔きて淺くその膚を截(き)りたり。媼はその血に筆を染めて我にわたし、「往(ゆく)拿破里(ナポリ)」と書して名を署せしめて云ふ、 「好し好し、法皇の封傳(でぐわた、パスポート)に劣らぬものぞ」 とて、懷にをさめつ。 傍なる一人の男、 「その紙何の用にか立つべき」 とつぶやきしに、媼目を見張りて、 「蛆(うぢ)のもの言はんとするにや、大いなる足の蹂躙(ふみにじ)らんを避けよ」 といふ。 コスモは首(かうべ)を低(た)れて、 「不敢(いかでか)、不敢、汝の命は神璽靈寶にも代へじ」 といひき。 人々と媼との物語はこれにて止み、卓を圍める一座の興趣は漸くに加はりて、瓶(へい)は手より手にと忙はしく遣り取りせらるゝことゝなりぬ。さて食を供するに至りて、賊の中にはわが肩を敲きて、皿に肉塊を盛りて吳るゝもありき。唯だ彼媼は故(もと)の如く、室隅に坐して、飮食の事には與らざりき。賊の一人は火をその坐のめぐりに添へて、 「大母よ、汝は凍ゆるならん」 といひき。 我は媼の詞につきて熟々(つらつら)おもふに、むかし母とマリウチアとに伴はれて、ネミ湖畔に花束作りし時、わが上を占ひしことあるは此媼なりしなるべし。我運命の此媼の手中にありと見ゆること、今更にあやしくこそ覺えらるれ。媼はわれに「往拿破里」と書かしめき。こは固より我が願ふところなり。されど封傳なくして、いかにして拿破里には往かるべきぞ。又縱令(よしや)かしこに往き着かんも、識る人とては一人だに無き身の、誰に賴りてか活(なりはひ)をなさん。前にはわれ一たび卽興詩もて世を渡らんとおもひき。されど羅馬にて人を傷けたりと知られんことおそろしければ、舞臺に出づべきこゝろもなし。されど方言をばよく知りたり、聖母のわれを見放ち給ふことだにあらずば、ともかくもして身を立てんと、强ひて安堵の念を起しつ。あはれ、あやしきものは人のこゝろにもあるかな。この時アヌンチヤタが我を卻(しりぞ)けて人に從ひし悲痛は、卻りて我心を抑し鎭むる媒(なかだち)となりぬ。我がこの時の心を物に譬へて言はゞ、商人のおのが舟の沈みし後、身一つを三版(はぶね)に助け載せられて、知らぬ島根に漕ぎゆかるゝが如しといふべき歟(か)。 花ぬすびと * かくて一日二日と過ぎ行きぬ。新に來り加はる人もあり、又もとより居たる人の去りていづくにか往けるもあり。ある日彼媼さへ、ひねもす出でゝ歸らざりしかば、我は賊の一人とこの山寨の留守することゝなりぬ。この男は年二十の上を一つばかりも超えたるならん。顏は卑しげなるものから、美しき髮長く肩に掛かり、その目なざしには、常にいと憂はしげなる色見えて、をりをりは又手負ひたる獸などの如きおそろしき氣色現るゝことあり。我と此男とは暫し對ひ坐して語を交ふることなく、男は手を額に加へて物案ずるさまなりしが、忽ち頭を擧げて我面をまもりたり。若者はふと思ひ付きたる如く、 「おん身は物讀むことを能くし給ふならん。此卷の中なる祈誓の歌一つ讀みて聞せ給へ」 とて、懷より小き讚美歌集一卷取出でたり。 われいと易き程の事なりとて、讀み初めしに、若者の黑き瞳子(ひとみ)には、信心の色いと深く映りぬ。暫しありて若者我手を握りて云ふやう、 「いかなれば汝は復た此山を出でんとするか。人情の詐(いつはり)多きは、山里も都大路(みやこおほぢ)も殊なることなけれど、山里は爽かに涼しき風吹きて、住む人の少きこそめでたけれ。汝はアリチアの婚禮とサヱルリ侯との昔がたりを知るならん。壻は卑しき農夫なりき。婦(よめ)は貧しき家の子ながら、美しき少女なりき。侯爵の殿は婚禮の筵(むしろ)にて新婦が踊の相手となり、宵の閒にしばし花園に出でよと誘(いざな)ひ給へり。壻この約を婦に聞きて、婦の衣裳を纏ひ、婦の面紗(をもぎぬ)を被りて出でぬ。好くこそ來つれと引き寄せ給ふ殿の胸には、匕首(あひくち)の刄深く刺されぬ。これは昔がたりなり。われも此の如き貴人(あてびと)を知りたり。そは某といふ伯爵の殿なりき。又此の如き壻を知りたり。唯だ婦は此の如く打明けて物言ふ性(さが)ならねば、新枕(にひまくら)の樂しさを殿に讓りて、おのれは新佛(しんぼとけ)の通夜することゝなりぬ。刄の詐(いつはり)多き胸を貫きし時、膚(はだへ)は雪の如くかゞやきぬ」 とぞ語りし。 わが心中には畏怖と憐愍(れんびん)と交々(こもごも)起りぬ。われは詞はなくて、若者の面を打まもりしに、若者又云ふやう、 「彼も一時なり。此も一時なり。われを女の肌知らぬものと思ひ給ふな。英吉利(イギリス)の老婦人ありて、年若き男女と共に、拿破里(ナポリ)へ往かんと、此山の麓を過ぎぬ。我等は此一羣を馬車より拉(ひ)き卸(おろ)したり。我等は三人を擒(とりこ)にして、財物を掠め取りつ。少女は若き男の許嫁の婦(よめ)なりしならん。顏ばせつやゝかに、目なざし涼しかりき。男をば木に括りたり。女は猶處子なりき。われはサヱルリ侯に扮することを得たり。賠(つぐの)ひの金屆きて一羣の山を下りし時、少女の顏は色褪せて、目は光鈍りたりき。深山は蔭多きけにやあらん」 この物語にわれは覺えず面をそむけしかば、若者は分疏(いひわけ)らしく詞を添へて、 「されど新敎の女なりき、惡魔の子なりき」 とつぶやきぬ。 われ等二人はしばし語なくして相對へり。若者は今一つ讀み給へと乞ひぬ。われは喜びて又尊き書を開きつ。 封傳(てぐわた) * 夕ぐれにフルヰアの媼歸りて、われに一裹(ひとつゝみ)の文書を遞與(わた)して云ふやう、「山々は濕衾(ぬれぶすま)を被(かづ)きたるぞ。巢立するには、好き折なり。往方は遙なるに、禿げたる巖の面には麪包(パン)の木生ふることなし。腹よく拵(こしら)へよといふ。若者のかひがひしく立ち働きて、忙しげに供ふる饌(ぜん)に、われは言はるゝ儘に飢を凌ぎつ。媼は古き外套を肩に被き、手を把りて暗き廊道(わたどのみち)を引き出でつゝ云ふやう、 「我雛鷲(わがひなわし)よ、疆(さかひ)守(も)る兵(つはもの)も、汝が翼を遮ることあるまじきぞ。その一裹は尊き神符にて、また打出の小槌なり。おのが寶を掘り出さんまで、事闕(か)くことはあらじ。黃金も出づべし、白銀も出づべし」 といふ。 媼は痩せたる臂(ひぢ)さし伸べて、洞門を掩へる蔦蘿(つたかづら)の帳の如くなるを推し開くに、外面(とのも)は暗夜なりき。濕りたる濃き霧は四方の山嶽を繞(めぐ)れり。媼の道なき處を疾く奔るに、われはその外套の端を握りて、やうやう隨ひ行きぬ。木立草むらを左右に看過して、媼は魔神の如くわれを導き去りぬ。 數時の後挾き山の峽(かひ)に出でぬ。こゝに伊太利の澤池にめづらしからぬ藁小屋一つあり。籘(たう)に藁まぜて、棟より地まで葺(ふ)き下せり。壁といふものなし。燈の光は低き戶の隙閒洩りたり。媼は我を延(ひ)きて進み入りぬ。小屋の裡は譬へば大なる蜂窩(はちのす)の如くにして、一方口より出で兼ねたる烟は、あたりの物を殘なく眞黑に染めたり。梁柱(うつばり)はいふもさらなり。籘の一條だに漆の如く光らざるものなし。閒の中央に、長さ二三尺、幅これに半ばしたる甎爐(せんろ)あり。炊(かし)ぐも煖むるも、皆こゝに火焚きてなすなるべし。炭と灰とはあたりに散りぼひたり。奧に孔ありて小き閒につゞきたるが、そのさま芋塊に小芋の附きたる如し。その中には女子一人臥(こや)して、二三人の小兒はそのめぐりに橫れり。隅の方に立てる驢(うさぎうま)は、頭を延べて客を見たり。主人なるべし、腰に山羊の皮を卷き、上半身は殆ど赤條々(あかはだか)なる老夫は、起ちて媼の手に接吻し、一語を交へずして羊の皮をはふり、驢を門口に率(ひ)き出し、手まねして我に騎れと敎へぬ。媼は我に向ひて、 「カムパニアの馬に勝るべき足どりの駒なり。幸運の門出は今ぞ」 とさゝやきぬ。 われはその志の嬉しければ、媼の手に接吻せんとせしに、媼は肩に手を掛け、額髮おし上げて、冷なる唇を我額に當てたり。 老夫は鞭を驢(うさぎうま)に加へて、おのれもひたと引き添ひつゝ、暗き徑(こみち)を馳せ出せり。われは猶媼の一たび手もて揮(さしまね)くを見しが、その姿忽ち重る梢に隱れぬ。心細さに馬夫(まご)に物言ひ掛くれば、聞き分き難き聲立てゝ、指を唇に加へたり。さては瘖(おし)なるよと思ひぬ。いよいよ心もとなくて媼の授けし裹(つゝ)み引き出すに、種々の書(かき)ものありと覺ゆれど、夜暗うして一字だに見え分かず。兎角して曉がたになりぬ。路は山の脊に出でゝ、裸なる巖には些(すこし)許りなる蔓草(つるくさ)纏ひ、灰色を帶びて緑なる亞爾鮮(アルテミジア)の葉は朝風に香を途りぬ。空には星猶輝けり。脚下には白霧の遠く漂へるを見る。是れ大澤の地なり。此澤はアルバノ山下に始まりて、北ヱルレトリより南テルラチナに至る。馬夫のしばし步を留めし時、われは仰いで靑空の漸く紅に染まりゆきて、山々の色の靑天鵝絨(びらうど)の如くなるを視き。偶々山腹に火を焚くものあり。その黃なる焰は晴天の星の如くなりき。われは覺えず驢背(ろはい)に合掌して、神の惠の大なるを謝したり。 われは漸くにして媼の賜を見ることを得き。その一通の文書は羅馬(ロオマ)警察衙(が)の封傳(てぐわた)にして、拿破里(ナポリ)公使の奧がきあり。旅人の欄には分明に我氏名を注したり。一通は又拿破里フアルコネツトオ銀行に振り込みたる爲換(かはせ)金五百スクヂイの劵なり。これに添へたる紙片に二三行の女文字あり。 「手負ひたる人の上をば、みこゝろ安く思されよ。遠からぬ程に癒ゆべしと申すことに侍り。されどしばらくは羅馬に歸り給はぬこそよろしく侍らめ」 とあり。 フルヰアは我を欺かざりき。わがためには、これに增す神符あらじとおもひぬ。 道は少し夷(たひらか)になりぬ。とみれば一羣の牧者あり。草を藉(し)きて朝餉(あさげ)たうべて居たり。我馬夫は兼て相識れるものと覺しく、進み寄りて手まねするに、牧者は我等にその食を分たんといふ。水牛の乾酪と麪包(パン)とにて飮ものには驢の乳あり。われは快く些の食事をしたゝめしに、馬夫(まご)は手まねして別を告げたり。さて牧者のいふやう、 「この徑(こみち)を下りゆき給へ。只だ山を左に見て行き給はゞ、小河の流に逢ひ給はん。そは山より街道に出づる水なり。霧晴れなば、そこより街樾(なみき)の長く續けるを見給ふならん。流に沿ひて街樾の方へ往き給はゞ、程なく街道の側なる廢寺の背後に出で給はん。その寺今は「トルレ・ヂ・トレ・ポンテ」とて旅籠屋(はたごや)となりたり。目の暮れぬ内にテルラチナに着き給ふべし といひぬ。 我は此人々に報せんとおもふに、拿破里にて受取るべき爲換(かはせ)の外には、身に附けたるものなし。されど財布をこそ人にやりつれ、さきに兜兒(かくし)の裡に入れ置きし「スクヂイ」二つ猶在らば、人々に取らせんものをと、かい探ぐるにあらず。馬夫には領(えり)なる絹の紛帨(てふき)解きて與へ、牧者等と握手して、ひとり徑を下りゆきぬ。
(耶蘇紀元前三百十二年アピウス・クラウヂウスの築く所にして、今猶アピウス街道の名あり。) 車にて行かば坐席極めて妥(おだやか)なるべく、菩提樹の街樾(なみき)は鬱蒼として日を遮り、人に暑さを忘れしむ。路傍は高萱(たかがや)と水草と、かはるがはる濃淡の緑を染め出せり。水は井字(せゐじ)の溝洫(かうきよく、田の溝)に溢れて、處々の澱(よど)みには、丈高き蘆葦(あし)、葉闊(ひろ)き睡蓮(ひつじぐさ, ニユムフエア)を長ず。羅馬の方より行けば左に山嶽の空に聳ゆるあり。その半腹なる村落の白壁は、鼠いろなる岩石の閒に亂點(らんてん)して、城郭かとあやまたる。左は海に向へる靑野のあなたに、チルチエオの岬(プロモントリオ・チルチエオ)の隆(たか)く起れるあり。こは今こそ陸つゞきになりたれ、古のキルケ(サーシ)が島にして、オヂツセウスが舟の着きしはこゝなり。 (ホメロスの詩に徵するに、トロヤの戰果てゝ後、希臘(ギリシア)イタカ王オヂツセウスこの島に漂流せしに、妖婦キルケ舟中の一行を變じて豕(ゐのこ)となす。オヂツセウス神傳の藥草にて其妖術を破りぬといふ。) 霧は步むに從ひて散ぜり。晒(さら)せる布の如き溝渠(こうきよ)、緑なる氈の如き草原の上なる薄ぎぬは、次第に褰(かゝ)げ去られたり。時はまだ二月末なれど、日はやゝ暑しと覺ゆる程に照りかゞやきぬ。水牛は高草の閒に羣れり。若駒の馳せ狂ひて、後脚(とも)もて水を蹴るときは、飛沫(しぶき)高く迸(ほとばし)り上れり。その疾く捷(はや)き運動を、畫かく人に見せばやとぞ覺ゆる。左の方なる原中に一道の烟の大なる柱の如く騰(のぼ)れるあり。こは、この地の習にて、牧者どものおのが小屋のめぐりなる野を燒きて、瘴氣(せうき、山川の毒気)を拂ふなるべし。 途にて農夫に逢ひぬ。その痩せたる姿、黃ばみし面は、あたりの草木のすくやかに生ひ立てると表裏(うらうへ)にて、冢(つか)を出でたる枯骨にも譬へつべし。驪(くろうま)に騎りて、手に長き槍めきたるものを執れるが、こは水牛を率(ゐ)て返るとき、そは驅り集むる具なりとぞ。げにこゝらの水牛の多きことその幾何(いくばく)といふことを知らず。草むらを見もてゆけば、斗(はか)らず黑く醜き頭と光る眼とを認め得て、こゝにも臥したるよと驚くこと閒々あり。 道に沿ひて處々に郵亭を設けたり。その造りざま、小きながら三層四層ならぬはなし。こは瘴氣(せうき)を恐るればなり。亭は皆白壁なれど、礎より簷端(のきば)迄、緑いろなる黴(かび)隙閒なく生ひたり。人も家も、渾(す)べて腐朽の色をあらはして、日暖に草緑なる四邊の景と相容れざるものゝ如し。わが病める心はこれを見て、つくづく人生の賴みがたきを感じたり。
地中海
(譯者云、東ゴトネス族の王なり。西曆四百八十九年東羅馬帝の命を奉じて敵を破り、伊太利を領す。) 我心は景色に撲たれて夢みる如くなりぬ。忽ち海の我前に橫はるに逢ひぬ。われは始て海を見つるなり、始て地中海を見つるなり。水は天に連りて一色の琉璃(るり)をなせり。島嶼(たうしよ)の碁布(きふ)したるは、空に漂ふ雲に似たり。地平線に近きところに、一條(ひとすぢ)の烟立ちのぼれるは、ヱズヰオの山(モンテ・ヱズヰオ)なるべし。沖の方は平なること鏡の如きに、岸邊には靑く透きとほりたる波寄せたり。その岩に觸るゝや、鼓(つゞみ)の如き音立てゝぞ碎くる。われは覺えず步を駐(とゞ)めたり。 わが滿身の鮮血は蕩(とろ)け散りて氣となり、この天この水と同化し去らんと慾す。われは小兒の如く啼きて、淚は兩頬に垂れたり。市に大(おほひ)なる白堊(しろつち)の屋(いゑ)ありて、波はその礎(いしずゑ)を打てり。下の一層は街に面したる大弓道(吹き抜け)をなして、その中には數輛の車を竝べ立てたり。こはテルラチナの驛舍にして、羅馬(ロオマ)拿破里(ナポリ)の閒第一と稱へらる。 忙しき旅人 * 鞭聲(べんせい)の反響に、近き山の岩壁を動かして、駟馬(しば、四頭立て)の車を驛舍の前に駐(とゞ)むるものあり。車座の背後(うしろ)には、兵器(うちもの)を執りたる從卒數人(すにん)乘りたり。車中の客を見れば、痩せて色蒼き男の斑(まだら)に染めたる寢衣(ねまき)を纏ひて、懶(ものう)げに倚り坐せるなり。馭者は疾く下りて、又二たび三たび其鞭を鳴し、直ちに馬を續(つ)ぎ替へたり。さて護衞の、「士兵ありや」 と問へば、 「十五分閒には揃ふべし」 と答へぬ。 こはゆくての山路に、フラア・ヂヤヲロ、デ・チエザレの流を汲むものありとて、當時こゝを過ぐる旅客の雇ふものとぞ聞えし。 (前者は伊太利大盜(おほぬすびと)の名にして、同胞魔君の義なり。實の氏名をミケレ・ペツツアといふ。千七百九十九年夥伴(なかま)を率(ひき)ゐて拿破里王に屬し、佛兵と戰ひて功あり。官軄を授けらる。後佛兵のために擒(とりこ)にせられて、千八百六年拿破里に斬首せらる。後者も亦名ある盜なり。) 客は英吉利語に伊太利語まぜて、 「此國の人の心鈍く氣長き爲に、旅人の迷惑いかばかりぞ」 と罵りしが、やうやく思ひあきらめたりと覺しく、大なる紛帨(スカーフ)を結びて頭巾となし、兩の耳も隱るゝやうに被り、眼を閉ぢて默坐せり。 馭者の語るを聞けば、この英人は伊太利に來てより十日あまりなるべし。北伊太利、中伊太利をばことごとく見果てつ。羅馬をば一日に看盡したり。此より拿破里にゆきて、ヱズヰオに登り、汽船にて馬耳塞(マルセイユ)に渡り、南佛蘭西を遊歷すべしとなり。士兵八騎はいかめしく物具して至れり。馭者は鞭を揮(ふる)へり。馬も車も、忽ち黃なる岩壁にそひたる閭門(りよもん)を過ぎ去りぬ。
一故人(旧緣)
「護衞はいかに嚴めしくとも、兵器(うちもの)の數はいかに多くとも、我客人となりて往くことの安穩なるには若(し)かじ。英吉利人ほど心忙しきものはなし。馬はいつも驅步(かけあし)なり。氣まぐれなる人柄かな」 と嘲み笑へり。 われこれに聲かけて、 「おん身の車には旣に幾位(いくたり)の客人をか得給ひし」 と問へば、 「隅ごとに眞心一つなれば、四人は早く備りたり。されど、二輪車の中は未(まだ)一人のみなり。ナポリへと志し給はゞ、明後日は旭日のまだサンテルモ城(ナポリ府を橫斷する丘陵あり。其巓の城を「カステル・サンテルモ」といふ。)に刺さぬ閒に送り屆け參らすべし」 と答ふ。 爲換(かはせ)ありて現金なき我がためには、此勸めのいと嬉しく、談合は忽ちに纏まりぬ。(原註。伊太利の旅を知らぬ人のために註すべし。彼國の車主(エツツリノ)は例として前金を受けず、途中の旅籠(はたご)一切をまかなひくれたる上、小使錢さへ客に交付(わた)し、安着の後決算するなり。) 車主(エツツリノ)は、 「客人も、零錢(こぜに)の御用あるべければ」 とて、五パオリの銀貨一枚撮(つま)み出して我に渡しつ。 われ、 「さらば、食卓の好き座席と臥牀(ふしど)とを賴むなり。明日は滯(とゞこほり)なく車を出してよ」 車主、 「勿論にこそ候へ。聖アントニオと我馬との思召だにくるはずば、正三時には出で立つべし。されど、明日はむづかしき日にて候ふ。稅關の調べ二度、手形の改め三度あるべし。さらば、平かに憩はせ給へ」 とて、車主は手を帽庇(ばうひ)に加へ、輕く頷きて去りぬ。 誘(いざな)はれたる部屋は海に向へり。折しも風輕く起りて、窗の下には長き形したる波の寄ては又返すを見る。こゝの景色はカムパニアの景色とは全く殊なるに、いかなれば吾胸中には、少時の住家(すみか)の事、ドメニカの媼の事など浮び出でけん。世の中は廣けれど、眞ごゝろより我上を氣遣ひ吳るゝ人、彼媼の如きはあらじ。近きところに住みながら、屡々往きて訪ふことだになかりしは、我と我身の怪まるゝばかりなり。彼フランチエスカの君の如きは、我を愛し給はざるにあらねど、凡そ恩をきるものと恩をきするものとの閒には、未だ報恩の志を果さゞる限は、大なる溝渠(かうきよ)ありて、縱ひ優しき情の蔓草(つるくさ)の生ひまつはりて、これを掩ふことあらんも、能く全くこれを填(うづ)むることなし。漸くにして、ベルナルドオとアヌンチヤタとの上に想ひ及ぶとき、われは頬(ほ)の邊の沾(うるほ)ふを覺えき。淚にやありし、又窗の下なる石垣に中(あた)りし波の碎け散りて面に濺(そゝ)ぎたるにやありし。 翌日は夜のまだ明けぬに、車に乘りてテルラチナを立ちぬ。領分境に至りて、手形改めあるべしとて、人々車を下りぬ。此の時始めて同行の人を熟視したるに、齡三十あまりと覺しく、髮の色明(あか)く瞳子(ひとみ)靑き男我目にとまれり。何處にてか見たりけん、心におぼえある顏なり。その詞を聞けば外國音(とつくにおん)なり。 手形は多く外國文(とつくにぶみ)もて認(したゝ)めたるに、境守る兵士は故里(ふるさと)の語だによくは知らねば、檢閲は甚しく手閒取りたり。瞳子靑き男は帖(てふ)一つ取出でゝ、あたりの景色を寫せり。げに街道に据ゑたる關の、上に二三の尖れる塔を戴きたる、その側なる天然の洞穴、遠景たるべき山腹の村落、皆好畫料とぞ思はるゝ。 わが背後(うしろ)よりさし覗きし時、畫工はわれを顧みて、 「あの大なる洞の中なる山羊の羣のおもしろきを見給へ」 と指ざし示せり。 その詞未だ畢らざるに、洞の前に橫へたる束藁(たばねわら)は取り除(の)けられたり。山羊は二頭づゝの列をなして洞より出で、山の上に登りゆけり。殿(しんがり)には一人の童子あり。尖りたる帽を紐もて結び、褐色(かちいろ)の短き外套を纏ひ、足には汚れたる韈(くつした)はきて、鞋(わらぢ)を括(くゝ)り付けたり。童は洞の上なる巖頭に步を停めて、我等の羣を見下せり。 忽ち車主(エツツリノ)の一聲の、 「因業(マレデツトオ)!(畜生)」 を叫びて、我等に馳せ近づくを見き。 手形の中、不明なるもの一枚ありとの事なり。われはその一枚の必ず我劵なるべきを思ひて、滿面に紅を潮(さ)したり。畫工は劵の惡しきにはあらず、吏のえ讀まぬなるべしと笑ひぬ。 我等は車主の後につきて、彼塔の一つに上りゆき戶を排して一堂に入りて見るに、卓上に紙を伸べ、四五人の匍匐(はらば)ふ如くにその上に俯したるあり。この大官人中の大官人と覺しく、豪(えら)さうなる一人頭(かうべ)を擡(もた)げて、 「フレデリツクとは誰ぞ」 と糺問(きうもん)せり。 畫工進み出でゝ、 「御免なされよ。それは小生(わたくし)の名にて、伊太利にていふフエデリゴなり」 と答ふ。 吏、 「然らば、フレデリツク・シイズとはそこなるか」 畫工、 「御免なされよ。それは劵の上の端に記されたる我國王の御名なるべし」 吏、 「左樣か」 (と謦咳(せきばらひ)一つして讀み上ぐるやう、) 「フレデリツク・シイズ・パアル・ラ・グラアス・ド・ヂヨオ、ロア・ド・ダンマルク・デ・ワンダル・デ・ゴオト、さてはそこは『ワンダル』なるか。『ワンダル』とは近ごろ聞かぬ野蠻人の名ならずや」 畫工、 「いかにも野蠻人なれば、こたび開化せんために伊太利には來たるなり。その下なるが我名にて、矢張王の名と同じきフレデリツクなり、フエデリゴなり」 (「ワンダル」は二千年前の日耳曼(ゲルマン)種の名なり。文に天祐に依りて璉馬(デンマルク)の王・ワンダル、ゴオツ諸族の王などゝ記するは、彼國の舊例なり。) 書記の一人、語を揷(はさ)みて、 「英吉利人なりしよ」 と云へば、外の一人冷笑(あざわら)ひて、 「君はいづれの國をも同じやうに視給ふか。劵面(ふだづら)にも北方より來しことを記せり。無論、魯西亞(ロシア)領なり」 といふ。 「フエデリゴ」、「璉馬(デンマルク)」、この數語はわが懷しき記念を喚び起したり。璉馬の畫工フエデリゴとは、むかし我母の家に宿り居たる人なり、我を窟墓(カタコムバ)に伴ひし人なり。我がために畫かき、我に銀錶(ぎんどけい)を貽(おく)りし人なり。 關守る兵卒は、 「手形に疑はしき廉(かど)なし」 と言渡しつ。 この宣告の早かりしにはフエデリゴの私(ひそ)かに贈りし「パオロ」一枚の效驗もありしなるべし。塔を下るとき、われフエデリゴに名謁(なの)りしに、 「この人は想ふにたがはぬ舊相識にて、さては君は可哀(かはゆ)き小アントニオなりしか」 と云ひて我手を握りたり。 車に上るとき、人に請ひて席を換へ、われとフエデリゴとは膝を交へて坐し、再び手を握りて笑ひ興じたり。 われは相別れてより後の身の上をつゞまやかに物語りぬ。そはドメニカが家にありしこと、羅馬に返りて學校に入りしことなどにて、それより後をばすべて省きつるなり。我は詞を改めて、 「さて、これよりはナポリへ往かんとす」 と告げたり。 むかし畫工と最後に相見たるは、カムパニアの野にての事なりき。その時畫工は早晚一たび我を羅馬に迎へんと約したり。畫工は猶當時の言を記し居りて、我にその約を履まざりしを謝したり。 「君に別れて羅馬に歸りしに、故鄕の音信(おとづれ)ありて、直ちに北國へ旅立つことゝなりぬ。その後數年の閒は、故里にありしが、伊太利の戀しさは始終忘れがたく、このたびはいよいよ思ひ定めて再遊の途に上りぬ。こゝはわが心の故鄕なり。色彩あり、形相(ぎやうさう)あるは、伊太利の山河のみなり。わが曾遊の地に來たる樂しさをば、君もおもひ遣り給へ」 といふ。 彼問ひ我答ふる閒に、路程の幾何(いくばく)をか過ぎけん。フオンヂイの稅關の煩ひをも、我心には覺えざりき。途上一微物に遭ふごとに、友はその詩趣を發揮して我心を慰めたり。この憂き旅の道づれには、フエデリゴこそげに願ひても無かるべき人物なりしなれ。
劫掠(ひはぎ)の故鄕
** 「かしこなるが、我が懷かしき穢(きたな)きイトリの小都會なり。汝は故里の我が居る町をいかなる處とかおもへる。街衢(がいく)の地割の井然(せゐぜん)たるは、幾何學の圖を披(ひら)きたる如く、軒は同じく出で、梯は同じく高く、家々の竝びたるさまは、檢閲のために列をなしたる兵卒に殊ならず。淸潔なることはいかにも淸潔なり。されどかくては復た何の趣をかなさん。イトリに入りて灰色に汚れたる家々の壁を仰ぎ見よ。その窗には太(はなは)だ高きあり、太だ低きあり、大なるあり、小なるあり。家によりては異樣に高き梯の巓に門口を開けるあり。その内を望めば、繅車(いとぐるま)の前に坐せる老女あり。側なる石垣の上よりは黃に熟したる木の實の重げに生(な)りたる枝さし出でたるべし。この參差(しんし)錯落(さくらく)たる趣ありてこそ、好畫圖とはなるべきなれ」 といふ。 車のイトリに入らんとするとき、同じく乘れる一客は、 「これフラア・ヂヤヲロの故鄕なり」 と叫びぬ。 この小都會は削立(さくりつ)千尺の大岩石の上にあり。これを貫ける街道 は僅に一車を行(や)るべし。 こゝ等の家は、概ね皆平家(ひらや)に窗を穿つことなく、その代りには戶口を大いにしたり。戶の内なる泣く小兒、笑ふ女子は、皆襤褸(つゞれ)を身に纏ひて、旅人の過ぐるごとに、手を伸べ錢を索む。馬の足掻(あがき)の早きときは、窗より首を出すべからず。石垣に觸るゝ虞(おそれ)あればなり。時ありて出窗(でまど)の下を過ぐるときは、隧道(すゐだう)の中を行くが如し。唯(た)だ黑烟の戶窗(とまど)より溢れて、壁に沿ひて上るを見るのみ。 閭門(りよもん)を出づるに及びて、友は手を拍(う)ちつゝ、 「美なる都會かな」 と叫びぬ。 車主(エツツリノ)は顧みて、 「否、盜人(ぬすびと)の巢なり、警察の累(わずらひ)絕ゆる閒なければとて、一たび市民の半を山のあなたに徙(うつ)し、その蹟へは餘所より移住せしめしことあり、されどそれさへ雜草の叢(くさむら)に榖物の種を蒔きしに似て、何の利益もあらで止みぬ、兎角は貧の上の事にて、貧人の根絕やし出來ねば、無駄なるべし」 と、諭し顏に物語りぬ。 げにも羅馬とナポリとの閒ほど、劫掠(ひはぎ)に便よきところはあらざるべし。奧の知られぬ橄欖(オリワ)の蒼林、所々に開ける自然の洞窟より、昔がたりの一目の巨人が築きぬといふ長壁のなごりまで、いづれか身を隱し人を覗ふに宜しからざる。 友は蔦蘿(つたかづら)の底に埋れたる一堆(たい)の石を指ざして、 「キケロの墓を見よ」 といへり。 是れ無慙(むざん)なる刺客(せきかく)の劍の羅馬第一の辯士の舌を默(もだ)せしめし處なりき。(キケロの別墅(べつしよ)はこゝを距ること遠からざるフオルミエにあり。該撤(ケエザル)歿後、アントニウス一派の刺客キケロを刺さんと慾す。キケロ身を以て逃れ、將(まさ)にブルツスの陣に投ぜんとして、遂に刺客の及ぶところとなりぬ。時に西曆前四十三年十二月七日なり。)友は語をつぎて、 「車主はこたびもモラ・ヂ・ガエタ(卽ち昔のフオルミエ。)の別墅(べつしよ)に車を停むるならん。今は酒店となりて、眺望好きがために人に知らる」 といひぬ。
果樹園
** われ等の衆人と共に、門口に近き食堂に入る時、夫人は房奴に語りぬ。 「こたびの道づれは婢(はしため)一人のみ。例の男仲閒は一人だになし。かく膽太く羅馬拿破里の閒を往來(ゆきき)する女はあらぬならん、奈何」 などいへり。 夫人は食堂の長椅子(ジワノ)に、はたと身を倚せ掛け、いたく倦(うん)じたる體(てい)にて、圓く肥えたる手もて頬を支へ、目を食單(メニュー)に注げり。 「ブロデツトオ、チポレツタ、フアジヲロとか、わが汁(スープ)を嫌ふをば、こゝにても早く知れるならん。否々、わがアムボンポアン(肥満、仏語)のカステロ・デ・ロヲオの如くならんは堪へがたかるべし。アニメルレ・ドオラテにフイノツキイ些計(いささかばかり)あらば足りなん。まことの晚餐をばサンタガタにてしたゝむべし。こゝは早く拿破里(ナポリ)の風の吹くが快きなり。ベルラ・ナポリ」 と呼びつゝ、夫人は外套の紐を解き、苑(その)に向へる廊(わたどの)の扉を開き、もろ手を擴げて呼吸したり。 (此詞の中には食單の品目に見えたる料理の稱多し。ブロデツトオは卵黃(編集者注: 「黃」の漢字は、森鷗外訳では「穀」の「禾」に代えて「黄」)を入れたる稀(うす)き肉羹汁(スウプ)。チポレツタは葱。フアジヲロは豆。カステロ・デ・ロヲオは卵もて製したる菓子。アニメルレ・ドオラテは犢(こうし)の臟腑の料理。フイノツキイは香料なり。アムボンポアンは肥胖(ひはん)。ベルラ・ナポリは美しき拿破里といふ程の事なり。) われは友を顧みて、 「拿破里は最早こゝより見ゆるか」 と問ひしに、友は笑ひて、 「まだ見えず。されど、ヘスペリアは見ゆるなり、アルミダの奇しき園(その)は見ゆるなり」 と答へき。 (譯者云。ヘスペリアは希臘(ギリシア)語、晚國、西國の義なり。或は伊太利を斥(さ)して言ひ、或は西班牙(スパニア)を斥して言ふ。されどこゝには、希臘神話にヘスペリアといふ女神ありて、西方の林檎園を守れるを謂ふならん。アルミダはタツソオが詩中の妖艷なる王女なり。基督敎徒を惑はし、丈夫(ますらを)リナルドオをアンチオヒアの園に誘ひて、酒色に溺れしむ。フエデリゴが詞の意は、「山水を問ふこと勿れ。彼美人を見よ」となり。) 友と廊に出でゝ望むに、その景色の好きこと、想像の能く及ぶ所にあらず。脚の下には柑子、檸檬(リモネ)などの果樹の林あり。黃金いろしたる實の重きがために、枝は殆ど地に低(た)れんとす。丈高き針葉樹の園を限りたるさまは、北伊太利の柳と相似たり。この木立の極めて黑きは、これに接したる末遙なる海原の極めて明ければなり。園の一邊(かたほとり)の石垣の方を見れば、寄せ來る波は古の神祠溫泉(いでゆ)の址を打てり。白帆懸けたる大舟小舟は、徐かに高き家の軒を竝べたるガエタの灣(いりえ)に進み入る。 (原註。ガエタはカエタより出でたる名なりといふ。是れヰルギリウスが詩の主人公エネエアスが乳媼(めのと)の名にして、此港を以て其埋骨の地となせるなり。) 灣(いりえ)の背後(うしろ)に一山の聳ゆるありて、その嶺には古壘壁(るゐへき)を見る。友は左の方を指して、 「ヱズヰオの烟を見よ」 といふ。 眸を轉じて望めば、火山の輪廓は一抹の輕雲の如く、美しき靑海原の上に現れたり。われは小兒の情もて此景物を迎へ、心の裡(うち)に名狀すべからざる喜を覺えき。 われ等は相攜(たづさ)へて果園に下りぬ。われは枝上の果に接吻して、又地に墜ちたるを拾ひ、毬(まり)の如くに玩(もてあそ)びたり。友の云ふやう、 「げに伊太利はめでたき國なる哉。北方の故鄕に在りし閒、常に我懷(おもひ)に往來(ゆきき)せしものはこの景なり、この情なり。嘗て夢裡に呑みつる霞は、今うつゝに吸ふ霞なり。故鄕の牧を望みては、此橄欖(オリワ)の林を思ひ、故鄕の林檎を見ては、此柑子(かうじ)を思ひき。されど北海の緑なる波は、終に地中海の水の藍碧なるに似ず、北國の低き空は、終に伊太利の天(そら)の光彩あるに似ざりき。汝はわが伊太利を戀ひし情のいかに切なりしかを知るか。一たび淨土を去りたるものゝ不幸は、嘗て淨土を見ざりしものゝ不幸より甚し。我故鄕なる璉馬(デンマルク)は美ならざるに非ず。山毛欅(ぶな)の林の鬱として空を限るあり。東海の水の闊(ひろ)くして天に連るあり。されど是れ皆猶(なほ)人界の美のみ。伊太利は天國なり、淨土なり。かへすがへすも嬉しきは再び斯(この)土に來しことぞ」 と云ふ。 友はわれと同じく枝なる果に接吻し、又目に喜の淚を浮べて、我項(うなじ)を抱き我額に接吻せり。火は火を呼び、情は情を呼ぶ。われは最早此舊相識に對して、胸臆を開き緘嘿(かんもく)を破ることを禁じ得ざりき。われは我が羅馬に在りての遭遇を語りて、高くアヌンチヤタの名を唱へたり。人を傷けて亡命せしこと、身を賊寨(ぞくさい)に托せしことより、怪しき媼の我を救ひしことまで、一も忌み避くることなかりき。友の手は牢(かた)く我手を握りて、友の眼光は深く我眼底を照せり。
旅の貴婦人
夫人は淚の顏を擧げて我に謝して云ふやう、 「我が無禮(なめ)なるを恕(ゆる)し給へ。君等の步み寄り給ひしときは、われ早くこゝに坐して涼を貪(むさぼ)り居たり。御物語の祕事と覺しきには、後に心付きしが、せんすべなかりしなり。されど哀れ深き御物語を聞きつとこそ思ひまゐらすれ、人に告ぐべきにはあらねば、惡しく思ひ取り給ふな」 といふ。 われは閒の惡さを忍びて、夫人に禮を施し、友と共に踵(くびす)を旋(めぐら)したり。友は我を慰めて云ふやう、 「彼夫人の期せずして我等と物言ひしは、或は他日我等に利あらんも知るべからず。斯く言へば土耳格(トルコ)人めきたれど、われは運命論者なり。且汝の語りし所は國家の祕密などにはあらず。誰が心中の帳簿にも、此種の暗黑文字數葉なきことはあらざるべし。彼夫人の汝が言を聞きて泣きしは、或は他人の語中より自家の閲歷を聽き出し、他人の杯酒もて自家の磊塊(らいくわい)に澆(そゝ)ぎしにはあらずや。淚は己れのために出で易く、人のために出で難きこと、なべての情なれば」 といひき。 我等は再び車に乘り、途に上りぬ。四邊の草木はいよいよ茂れり。車に近き庭園、田圃の境には、多く蘆薈(ろくわい、アロエ)を栽(う)ゑたるが、その高さ人の頭を凌げり。處々の垂楊の枝は低(た)れて地に曳かんとせり。 日の夕(ゆふべ)にガリリヤノの河を渡りぬ。古のミンツルネエ(羅馬の殖民地)は此岸にありしなり。我好古の眼(まなこ)もて視るときは、是れ猶古(いにしへ)のリリス河にして、其水は蘆荻(ろてき)叢閒の黃濁流をなし、敗將マリウスが殘忍なるズルラに追躡(ついせふ)せられて身を此岸に濳めしも、昨(きのふ)の猶(ごと)くぞおもはるゝ。 (紀元前八十八年ズルラ政柄(せいへい)を得つる時、マリウスこれと兵馬の權を爭ふ。所謂第一内訌(ないこう)是なり。マリウス敗れて此河岸に濳み、萬死を出で一生を得て、難を亞弗利加(アフリカ)に避けしが、その翌年土を捲きて重ねて來るや、羅馬府を陷いれ、兵を縱(はな)ちて殺戮(さつりく)せしむること五日閒なりき。) 此よりサンタガタまでは、まだ若干の路程あるに、闇は漸く我等の車を罩(つゝ)まんとす。馭者は「畜生(マレデツトオ)」を連呼して、鞭策(べんさく)亂下せり。拿破里(ナポリ)の夫人は心もとながりて、頻りに車窗を覗き、賊の來りて、行李を括(くゝ)り付けたる索(さく)を截(き)らんを恐るゝさまなり。われ等は纔(わづか)に前面に火光あるを認めて、互に相慶したり。須臾(しゆゆ)にして車はサンタガタに抵(いた)りぬ。 晚餐の閒、夫人は何事をか思ふさまにて、いともの靜なりき。さるをその目の斷えずわが方に注げるをば、われ心に訝りぬ。翌朝車の出づべき期に迫りて、われは一盞(さかづき)の珈琲(カツフエ)を喫せんために、食堂に下りしに、堂には夫人只一人在りき。優しく我を迎へて詞を掛け、 「われを惡しく思ひ給ふな、總べて思ひ設けぬ事なりしなれば」 と云ふ。 われは夫人を慰めて、 「否、あしき人に聞かれたりとは思ひ候はず。言はであるべき事をば言ひ給ふべき方ならねば」 と答へき。 夫人、 「さなり。おん身はまだ我をよくも識り給はず。或は我を識り給ふ期あらんも知るべからず。おん身は知らぬ大都會に往き給ふといへば、かしこにて一度我家におとづれ、我夫と相識(さうしき)になり給はんかた宜しからん。交際は無くて協(かな)はぬものにて、又一たび誤りてあらぬ人と相結ぶときは、悔あるべきことなり」 といふ。 われは深くその好意を謝して、善人は隨處にありといふ諺の虛(むな)しからぬを喜びぬ。夫人は我側に寄りて、 「兼ねても聞き給ふならん、拿破里は少(わか)き人には危き地なり」 など云ひ、猶何事をか告げんとせしに、フエデリゴも房(へや)より出でしかば、物語はこゝに絕えぬ。
拿破里(ナポリ)
** 空氣は鼠色にて雨少し降れり。ヱズヰオの山もカプリの島も見えず。葡萄の纏ひ付きたる高き果樹と白楊(はこやなぎ)との閒には、麥の露けく緑なるあり。夫人我等を顧みて、 「見給へ、此野はさながらに饗應のむしろなり、麪包(パン)あり、葡萄酒あり、果あり、最早わが樂しき市(まち)と美しき海との見ゆるに程あらじ」 といひぬ。 夕に拿破里に着きぬ。トレドの街の壯觀は我前に橫はりぬ。 (原註。羅馬及ミラノにては大街(おほどほり)をコルソオと曰ひ、パレルモにてはカツサロと曰ひ、拿破里にてはトレドと曰ふ。) 硝子燈と彩りたる燈籠とを點じたる店相竝びて、卓には柑子(かうじ)無花果(いちじゆく)など堆(うづたか)く積み上げたり。道の傍には又魚蝋を焚き列ねて、見渡す限、火の海かとあやまたる。兩邊の高き家には、窗ごとに牀張り出したるが、男女の羣のその上に立ち現れたるさまは、こゝは今も謝肉祭(カルネワレ)の最中にやとおもはるゝ程なり。馬車あまた火山の坑(あな)より熔け出でし石を敷きたる街を馳せ交(か)ひて、閒々馬のその石面の滑なるがために躓(つまづ)くを見る。小なる雙輪車あり。五六人これに乘りて、背後には襤褸(ぼろ)着たる小兒をさへ載せ、又この重荷の小づけには、網牀めくものを結び付けたる中に半ば裸なる賤夫(ラツツアロオネ)のいと心安げにうまいしたるあり。挽(ひ)くものは唯だ一馬なるが、その足は驅步(かけあし)なり。一軒の角屋敷の前には、焚火して、泅袴(およぎばかま)に扣鈕(ボタン)一つ掛けし中單(チヨキ)着たる男二人、對ひ居て骨牌(かるた)を弄べり。風琴、オルガノの響喧しく、女子のこれに和して歌ふあり。兵士、希臘(ギリシア)人、土耳格(トルコ)人、あらゆる外國人(とつくにびと)の打ち雜(まじ)りて、且叫び且走る、その熱鬧(ねつたう)雜沓(ざつたふ)の狀、げに南國中の南國は是なるべし。 「この嬉笑怒罵の天地に比ぶれば、羅馬は猶幽谷のみ。墓田のみ」 夫人は、手を拍(う)ち鳴して、「拿破里々々々」と呼べり。 車はラルゴ・デル・カステルロに曲り入りぬ。(原註。拿破里(ナポリ)大街(おほどほり)の一にして其末は海岸に達す。)同じ闐溢(てんいつ)、同じ喧囂(けんがう)は我等を迎へたり。劇場あり。軒燈籠懸け列ねて、彩色せる繪看板を揭げたり。輕技(かるわざ)の家あり。その羣の一家族高き棚の上に立ちて客を招けり。婦(をみな)は叫び、夫は喇叭(らつぱ)吹き、子は背後より長き鞭を揮(ふる)ひて爺孃(やぜう)を亂打し、その脚下には小き馬の後脚にて立ちて、前に開ける簿册を讀む眞似したるあり。一人あり。水夫の環坐せる中央に立ちて、兩臂(りやうひぢ)を振りて歌へり。是れ卽興詩人なり。一翁あり。卷を開いて高く誦すれば、聽衆手を拍ちて賞讚す。是れ『オランドオ・フリオゾ』を讀めるなり。 (譯者云。わが『太平記』よみの類なるべし。讀む所はアリオストオの詩なり。) 夫人は忽ち、 「ヱズヰオ!」 と呼びぬ。 げにげに廣こうぢの盡くる處に、彼の世界に名高き火山の半空に聳ゆるを見る。熔けたる巖(いはほ)の山腹を流れ下るさま、血の創より出づる如し。嶺の上に片雲あり。その火光を受けたる半面は殷紅(あんこう)なり。されど此偉觀の我眼に入りしは一瞬閒なりき。車は廣こうぢを橫ぎりて、旅店「カアザ・テデスカ」の前に駐(と)まりぬ。店の隣には、小き傀儡場(くゞつば)あり。一人ありてその前に立ち、道化役(プルチネルラ)の偶人(にんぎやう)を踊らせ、且泣き且笑ひ、又可笑しき演說をなさしめたり。衆人は環(めぐ)り視て笑へり。向ひの家の石級には一僧あり。船頭らしき、肩幅闊(ひろ)く逞しげなる男に、基督の像を刻み附けたる十字架を捧げさせて說敎せり。此方には聽衆いと少し。僧は目を瞋(いか)らして傀儡師の方を見やりて云ふやう、 「斯くても精進日(せじみび)なるか。天主に仕ふる日なるか。反省して苦行する日なるか。汝達(なんたち)がためには、春の初より冬の終迄、日として謝肉祭(カルネワレ)ならぬはなし。斯く跳(をど)り狂ひ、笑み戲(たはむ)れて、一步一步地獄に進み近づくなり。疾く奈落の底に往きて狂ひ戲れよ」 といふ。 僧の聲は漸く大に、我耳はこの拿破里訛(なまり)を聞くこと、一篇の詩を聞く如くなりき。されど僧の叫ぶこと愈々大なれば、偶人(にんぎやう)の跳ること愈々忙しく、羣衆は舊に依りて傀儡師に面し、談義僧に背(そむ)けり。僧は最早え堪へずして、石級を飛び下りさまに連なる男の手より聖像を奪ひ取り、そを高くかざして衆人の閒に分け入りたり。 「見よ見よ、これがまことの傀儡なり。汝達に眼あるは、これを視んためなり。耳あるはこれの敎を聽かんためなり。キユリエ・エレイソン(主よ、慈を垂れよの義にして、歌頌の首句)」 とぞ唱へける。 聖像は流石人に敬を起さしめて、四圍の羣衆忽ち跪けば、傀儡師も亦壇を下りて跪きぬ。 われは車の側に立ちてこれを見つゝ、心に神恩の深きと人心のやさしきとを思へり。フエデリゴは夫人のために辻の馬車を雇へり。夫人は友の手を握りて謝すと見えしが、その軟(やはらか)き兩臂は俄に我頸(うなじ)を卷きて、我唇の上には燃ゆる如き接吻を覺えき。
第2章 ヱズヰオの山の姿は譬(たとへ)ば燄(ほのほ)もて畫きたる松柏の大木の如し。直立せる火柱はその幹、火光を反射せる殷紅(あんこう)なる雲の一羣(ひとむら)はその木の巓、谷々を流れ下る熔巖(ラワ)はその闊(ひろ)く張りたる根とやいふべき。わがこれに對する情をば、いかなる詞もて寫し出すべきか。われは神と面相向へり。神の聲は彼火坑より發して直ちに我耳に響けり。神の威力、智慧、矜恤(けうじゆつ)、愛憐は我胸に徹したり。その迅雷(じんらい)風烈を放ち出す手は、また一隻の雀をだに故なくして地に墮すことなきなり。わが久しき閒の經歷は我前に現じて一瞬時の事蹟に同じく、神の扶掖嚮導(ふえきけうだう)の絲は分明に辨識せられたり。われは敢て自家を以て否運の兒となさじ。神の禍を轉じて福となし給へる迹は掩ふ可からざるものあればなり。初めわれ不測の禍のために母上を喪ひまゐらせき。されど故(わざ)とならぬ其罪を贖(あがな)はんとてこそ、車上の貴人(あてびと)は我に字を識り書を讀むことを敎へしめ給ひしなれ。マリウチアとペツポとのわが身を爭ひて、わが全く寄邊(よるべ)なき身の上となりしは、寔(まこと)に限なき不幸なりき。されど斯くてわれカムパニアの曠野(あらの)に日を送ることなくば、かゝる貴人の爭(いか)でか我を認め得給はん。 此の如く因果の鐺(くさり)を手繰(たぐ)りもて行くに、われは神の最大の矜恤、最大の愛憐を消受せしこと疑ふべからず。唯だ凡慮に測り知られぬは我とアヌンチヤタとの上なり。ベルナルドオが姫を得んと慾せしは卑陋(ひろう)なる色慾にして、縱ひ渠(かれ)一たびその願の成らざるを憂ふとも、渠は月日を費すことなくして、その失望を慰め、その遺憾を忘れしならん。わが情はいと高くいと深くして、われ若し姫を獲たらんには、此世の中には最早何の慾望をも殘さゞりしならん。さるを姫は我を棄てゝ渠を取りたり。我黃金なす夢は一旦にして塵芥となり畢(をはん)ぬ。こは、そもいかなる故ぞや。此煩惱の閒、我は忽ちキタルラの音の街上に起るを聞く。見下せば肩に輕く一領の外套を纏ひて、手に樂器を把り、戀の歌の一曲を試みんとする男あり。未だ數彈ならざるに、對ひの家の扉は響なくして開き、男の姿は戶に隱れぬ。想ふに此人を待つものは、優しき接吻と囘抱となるべし。 われは星斗のきらめける空を仰ぎ、又熔巖の影處々に紅を印したる靑海原を見遣りたり。好し々々、我は我戀人を獲たり。我戀人は自然なり。自然よ。汝はわがためにその霽(はれ)やかなる天(そら)を打明けて何の隱すところもなし。汝はそよ吹く風の優しきを送りて、我額我唇に觸るゝことを嫌はず。我は汝が美しさを歌はん。汝が我心を動す所以を歌はん。言ふこと莫れ、汝が心の痍(きづ)は尚血を瀝(したゝ)らすと。針に貫かれたる蝶の猶その五彩の翼を揮(ふる)ふを見ずや。落ちたぎつ瀧の水の沫(しぶき)と散りて猶麗しきを見ずや。これは、これ詩人の使命なり。この世は束の閒の夢なり。あの世に到らんには、アヌンチヤタも我も淨き魂にて、淨き魂は必ず相愛し相憐み、手に手を取りて神のみまへに飛び行かむ。 氣力と希望とは再び我胸に入り來れり。わが此より卽興詩人として世に立たんは、なかなかに樂しかるべき事ぞと思ひ返されぬ。只だ猶心に懸るは、恩人なる貴人の思ひ給はん程奈何(いかゞ)なるべきといふ事なり。彼人はわれ舊に依りて羅馬にありて書を讀めりとおもひ給ふならん。彼人のわが都を逃れしさまと我新境界とを聞き知り給はんには、果して何とか言はるべき。われは今宵を過ごさで書を裁して、人々に我未來の事を認め許されんことを請ふことゝなしたり。我書には、子の母に言はんが如く、些の繕ふことなく有の儘に、我とアヌンチヤタとの中を語り、我が一たび絕望の境に陷りて後、今又慰藉を自然と藝術とに求むるに至れる顛末を敍して、さて人々の憐を垂れてわが卽興詩人となることを許されんを願ひぬ。われはその答を得ん日までは、敢て公衆のために歌はざるべしと誓へり。 これを書く時、淚は紙上に墜ちて斑(まだら)をなし、われは心の中に答書の至らんこと一月の閒にあらんことを祈るのみなりき。書き畢りて、われは久し振にて心安く眠に就きぬ。 翌日フエデリゴはとある橫町なる賃房(かしべや)に移り、己れは猶さきの獨逸(ドイツ)宿屋なる、珍らしき山と海との眺ある一閒に留まりぬ。われは聚珍館(しうちんくわん)(ムゼオ・ボルボニイコ)、劇場、公苑など尋ねめぐりて、未だ三日(みか)ならぬに、早く此都會の風俗のおほかたを知ることを得たり。
考古學士の家
「博士はいかなる人ぞ」 と問ふに、 「いと名高き學者にて、考古學とやらんに長け給ふと聞ゆ。その夫人近きころ羅馬より歸り給ひしなれば、客人は途上にて相識になり給ひしにはあらずや」 といふ。 嗚呼、われこれを獲たり。これこそ前の拿破里(ナポリ)の貴婦人なるらめ。 夕暮にフエデリゴを誘ひて往きぬ。いと廣き閒に客あまた集へり。滑なる大理石の牀は、蝋燭の光を反射し、鐵の格子を繞らしたる火鉢(スカルヂノ)は、程好き煖さを一閒の内に頒(わか)てり。 サンタと名告(なの)れる夫人は、嬉しげに我等二人を迎へて、一坐の客達に引合せ、又我等に、毫(すこ)しも心をおかで家に在る如く振舞はんことを勸めたり。夫人は今宵空色の衣を着たるが、いと善く似合ひたり。我等は若し此人をして少し痩せしめば、第一流の美人たるべきものをとさゝやきたり。 我等は夫人に促されて坐せり。此時一少女ありてピアノに對ひ、短歌(アリア)を唱ひ出せり。その曲は偶々アヌンチヤタがヂドに扮して唱ひしものと同じけれども、その力を用ゐる多少と人を動す深淺とは、固より日を同うして語るべきならず。われは只だ衆のなすところに傚(なら)ひて、共に拍手したるのみ。少女は又輕快なる舞の曲を彈じ出せり。男客の三人四人は、急に傍なる婦人を誘(いざな)ひて舞ひはじめたり。われは避けて、とある窗龕(さうぐわん)に躱(かく)れたり。 初めわれは席に入りしとき、痩せたる小男の眼鏡懸けたるが、忙(せは)しげに此閒に出入するを見たり。この男わが窗龕にかくれしを見て、我前に立ち留まり、慇懃(いんぎん)なる禮をなせり。われはその何人なるを知らねども、姑(しばら)く共に語らばやとおもひて、ヱズヰオの山の噴火の事を說き、その熔巖の流れ下る狀など、外より來るものゝ目を驚かす由を云ひたり。小男の答ふるやう、 「否、今の噴火の景などは言ふに足らず。プリニウスの書に見えたる九十六年の破裂は奈何(いかゞ)なりけん。灰はコンスタンチノポリスにさへ降りしなり。近き年の破裂の時も、我等拿破里人は傘さして行きしが、均(ひと)しく灰降るといふも、拿破里に降るとコンスタンチノポリスに降るとは殊なり。何事によらず、今の世は遠く古の希臘(ギリシア)、羅馬(ロオマ)の世に及ばずと知り給へ。澆季(げうき)の世は古に復(かへ)さんよしもなし」 と、かこち顏なり。 われ芝居話に轉ずれば、彼は遠くテスピスの車に遡りて、(世に傳ふ、テスピスは前五四〇年頃の雅典人(アテエンびと)にして、舞臺を車上にしつらひ、始て劇を演じたりと。)希臘俳優の被りぬといふ、悲壯劇の假面と滑稽劇との假面とを列擧せり。われ又近頃禁軍(このゑ)の檢閲ありしを聞きつと噂すれば、彼は希臘の兵制を論じて、マケドニア步兵の方陣(フアランクス)の操錬を細敍すること目擊の狀の如くなり。旣にして彼は我に、 「考古學又は美術史を硏究し給ふや」 と問ひぬ。 われ答へて、 「己れは專門の學をなさずと雖、凡そ宇宙の事は一として我硏究の資料ならぬはなし。己れは詩人たらんと心掛くるなり」 と云へば、彼手を拍ちて喜び、ホラチウスが句を朗誦し、我琴を以てヨヰスの神の龜甲琴(リラ)に比したり。 忽ちサンタ我前に來て云ふやう、 「さては終に生捕られ給ひしよ。おん身等の物語は、定めてセソストリス時代の事なるべし。 (希臘傳說に見えたる埃及(エヂプト)王の名なり。前十四五紀の閒の名ある王二人の上を混じて說けり。) 客人(まらうど)には現世の用事あり。かしこに少(わか)き貴婦人の敵手(あひて)なくて寂しげなるあり。願はくは誘ひ出して舞の羣に入り給へ」 となり。 われ逡巡(しりごみ)して、 「否、われは舞ふこと能はず、曾(かつ)て舞ひしことなし」 と答ふれば、サンタ重ねて、 「家のあるじたる我身おん身に請はゞ奈何」 といふ。 われ、 「まことに濟まぬ事ながら、われ若し强ひて踊り出でば、おのれ一人跌(つまづ)き轉ぶのみならず、敵手の貴婦人をさへ拉(ひ)き倒すならん」 夫人打ち笑ひて、 「そは好き見ものなるべし」 といひつゝ、フエデリゴの方に進み近づき、直ちに伴ひて舞の羣に入りぬ。小男は我を顧みて、 「氣輕なる女なり。されど貌(かほ)は醜からず。さは思ひ給はずや」 といふに、我は、 「まことに仰の如く、めでたき姿なり」 と讚め稱へき。
敎授
** 「此等の陶畫(すゑものゑ)は、皆濕に乘じて筆を用ゐるものなれば、一點一畫と雖、漫然これを下すべきにあらず」 など云へり。 彼は猶其詳(つまびらか)なるを敎へんために、不日我を聚珍館に連れ往かんと約せり。 夫人は再び我前に來て、 「さては論文はまだ結局とならぬにや。以下次號とし給へ」 と呼び、急に我手を把りて拉き去りつゝ、聲を低うして云ふやう、 「おん身は餘りに人好(よ)きにはあらずや。我夫はいつも此の如くなれば、うるさき時は忍びて聽き給ふには及ばず。おん身の兎角沈み勝になり給ふは惡しき事なり。人々と共に樂み給へ。いざ我身おん相手となるべければ、何にても語り聞せ給へ。こゝに來給ひてより、何をか見給ひし、何をか聞き給ひし、何をか最もめでたしと思ひ給ひし」 といふ。 われ、 「兼ておん身の告げ給ひしに違はず、拿破里はいとめでたき地なり。今日の午(ひる)過ぎなりき。獨り步みてポジリツポの巖窟に往きしに、葡萄の林の繁れる閒に古寺の址あり。そこに貧しき人住めり。可哀げなる子供あまた連れたる母はなほ美しき女なりき。我は女の注ぎくれたる葡萄酒を飮みて、暫くそこに憩ひしが、その情その景、さながらに詩の如くなりき」 と語りぬ。 夫人は示指(ひとさしゆび)を竪(た)てゝ、笑みつゝ我顏を打守り、 「油斷のならぬ事かな。さるいちはやき風流(みやび)をし給ふにこそ。否々、面をあかめ給ふことかは、君の齡にては、精進日(せじみび)の說法聞きて心を安じ給ふべきにはあらぬものを」 とさゝやきぬ。 夫婦の上にて、此夕わが知ることを得たるところは、いと少かりき。されどサンタが性(さが)の拿破里婦人の特色と覺しく、語を出すに輕快にして直截(ちよくせつ)なる、人に接するに自然らしく情ありげなるは、深く我心に銘せり。その夫は博學の人と見えたり。共に聚珍館に遊ばんには、これに增す人あるべからず。 われは次第に足近く彼家に出入するやうになりぬ。サンタの待遇は漸く厚く親くなりて、われは早くも心の底を打明けて此婦人に語りぬ。後に思へば、われは世馴れぬ節多く、男女(なんによ)の閒の事などに昧(くら)きは、赤子に異ならぬ程なれば、サンタの如き女に近づくことの多少の危險あるべきを知るに由なかりしなり。サンタが夫は卑しき饒舌家(ぜうぜつか)ならずして、まことに學殖ある人なりしこと、此往來(ゆきき)の閒に明になりぬ。 或日われはサンタに語るに、アヌンチヤタと別れし時の事を以てせり。サンタは我を慰めて、ベルナルドオの心ざまを難じ、又アヌンチヤタの性(さが)をさへ貶(おとし)め言へり。そのベルナルドオを難ずる詞は、多少我創痍(さうゐ)に灌(そゝ)ぐ藥油となりたれども、アヌンチヤタを貶(をとし)むる詞は、わが容易く首肯し難きところなりき。 サンタのいふやう、 「彼女優をばわれも屡々見き。舞臺に上る身としては、丈餘りに低く、肌餘りに痩せたりき。拿破里にありても、若き人々の崇拜尋常(よのつね)ならざりしが、そは聲の好かりしためなり。アヌンチヤタが聲は人を空想界に誘ひ行く力ありき。而してその小く痩せたる身も亦空想界に屬するものゝ如くなりしなり。おん身若し我言を非(たが)へりとし給はゞ、そは猶肉身なくて此世に在らんを好しとし給ふごとくならん。假令(よしや)われ男に生るとも、抱かば折るべき女には懸想(けさう)せざるべし」 といへり。 われは覺えず失笑せり。想ふにサンタは話の理に墜つるを嫌ふ性なれば、始より我を失笑せしめんとて此說をなしゝならんか。奈何といふにサンタもアヌンチヤタが品性の高尚なると才藝の人に優れたるとをば一々認むといひたればなり。 或時われは詩稿を懷にして往きぬ。こは拿破里(ナポリ)に來てよりの近業にて、獄中のタツソオ、托鉢僧など題せる短篇の外、無題一首ありき。われは愛情の犧牲なり。わが曾て敬し、曾て愛しつる影像は、皆碎けて塵となり、わが寄邊(よるべ)なき靈魂は其閒に漂へり。われはサンタに向ひ居て詩稿を讀み始めしに、未だ一篇を終らずして、情迫り心激し、われは鳴咽(をえつ)して聲を續ぐことを得ざりき。サンタは我手を握りて、我と共に泣きぬ。 わがサンタに親むことは、此より舊に倍したり。 サンタの家は我第二の故鄕となりぬ。われは日ごとにサンタと相見て、日ごとに又その相見ることの晚(おそ)きを恨みつ。この婦人の家にあるさまを見るに、其戲謔も愛すべく其氣儘も愛すべし。これをアヌンチヤタの一種近づくべからず、褻(な)るべからざる所ありしに比ぶれば、固より及ぶべくもあらねど、かの捉へ難き過去の幻影には、最早この身近き現在の形相(ぎやうさう)を斥くる力なかりしなり。 或時我は又サンタと對坐して語れり。夫人、 「近ごろポジリツポの眺好き家と顏好き女とを尋ね給ひしか」 われ、 「否、前後二たび往きしのみ」 夫人、 「女は最早餘程おん身になじみしならん。子供は案内者に雇はれ、主人は漁(すなどり)に出でゝ在らざりしにはあらずや。用心し給へ、拿破里(ナポリ)の海の底は、やがて地獄なり」 といへば。われ、 「否、我心を引くものは唯景色のみなり。かの賤女(しづのめ)いかに美しとて、決して我を誘ひ寄すること能はざるべし」 夫人、 「吾友よ、われは明におん身の心を知れり。曩(さき)にはその心に初戀の充牣(きざ)したるため、些の餘地だになかりき。われは君が初戀を陋(いや)しとせざるべし。されどその敵手(あひて)なる女の、君の直きが如く直からざりしは、爭ふべからざる事實なるべし。否、我話の腰を折り給ふな。さてその初戀の眞の價は兎(と)まれ、角(かく)まれ、その君が心に充牣(じうじん)したるもの、今や無慙(むざん)にも引き放ちて棄てられ、その蹟は空虛になりぬ。この空虛は何物もて填(うづ)むべきか。君は昔こそ書を讀み空想に耽りて自ら足れりとし給ひけめ、彼女優の一たび君を現實世界に引き出したる上は、君も亦我等と同じく血あり肉ある人となり給ひて、その血その肉はその本來の權利を求めでは止まざるべし。少壯幾時かある。男兒何の敢てすべからざる事かあらん。されば我に物隱さんとし給ふには及ばざるにあらずや」 われ、 「おん說の前半は、げにさもあるべく思はれて、空虛の事などは首肯しても好し。されどそを填めん策をば未だ講ぜしことあらず」 夫人、 「さらば君は猶我說を問はんとし給ふか。君の旣に一たび空想を出でながら、猶再びこれに還りて、一個の空想人物とならんとし給ふが怪しきなり。アヌンチヤタは君が理想の女ならずや。高尚なる人物ならずや。それすら空想人物のアントニオの君を棄てゝ、人柄下りたるベルナルドオを取りしなり。アヌンチヤタも男慾しかりしなり」 斯く言ひ掛けて、サンタは愛らしき聲して笑ひ、 「おん身の餘りに罪なき性(さが)なるため、我に女の口より言ひ難き事さへ言はしめ給ふこそ憎けれ」 とて、指もて我頬を彈(はじ)きたり。 旅店に還りて獨り思ふに、サンタの我を評する言は、昔ベルナルドオの我を評せし言と同じ。此頃又フエデリゴの話を聞きしに、その羅馬にありし日の經歷には、我の夢にだに知らざるやうなることもありて、賤しきマリウチアさへその事に與れりといふ。世の人はわが厭ひおそるゝところのものを悅び樂むにや。アヌンチヤタの我を棄てゝベルナルドオを取りしなどは、現にもこれを證して餘あるが如くなり。果して然らばアヌンチヤタは我感情を愛して我意志を嫌ひしにやあらん。あらず、わが意志の闕乏(けつばう)を嫌ひしにやあらん、いと覺束なく心許(なき事にこそ。
絕交書
われは血の胸に迫るを覺えて、兩手(もろて)は力なく膝の上に垂れたり。泣かば心鎭まるべけれども淚出でず、祈らば力着くべけれども語出でず。我は悶絕せる人の如く、頭を卓上に支へて坐すること良々(やゝ)久しかりしが、其閒何の思ふところもあらざりき。われは痛苦をだに明には覺えざりしなり。只だ心の底には言ふべからざる寂しさを感じて、今は聖母さへ世の人と同じく我を見放し給ふかと疑ひおもへり。 フエデリゴはこゝに來ぬ。進みて我手を握りて云ふやう、 「病めるか、アントニオ。獨り物思ふは惡しき事なり。汝はアヌンチヤタを失ひて不幸なりといへど、我は汝のアヌンチヤタを得て幸なるべかりしや否やを知らず。我經歷に徵するに、大抵わが遭逢(さうはう)せし所は、後に顧みるにわが最も宜しき所なりし也。然れども運命の人を引き𢌞すは、閒々頗(すこぶ)る手荒きものにて、人はこれを痛苦とし不幸とするなり」 といふ。 我は詞なくて、卓上の書狀を指し、友のこれを讀む閒、これに背(そむ)きて淚を拂ひつ。友は我肩を撫でゝ、 「泣くが好し。泣かば心落着くべし」 と云へり。 暫しありて友は我に、此書狀を見たる後、 「旣に思ひ定むる所ありや」 と問ひたり。 此時われは忽ち思ひ付くよしありて、友に向ひて語り出でぬ。 「聞け吾友、われは僧とならんとす。我は幼きより聖母に仕へたるが、今思へば淺からぬ緣(えにし)ありしならん。聖母の慈悲は廣大なれば、縱ひ一たび我を棄て給ふとも、いかでか我懺悔を聞き給はざることあらん。われは空想人物にて、汝等と同じからず。世閒に立ち交(まじ)るとも、何の益かあるべき。若(し)かじ、今の機到り緣熟せるを幸として、平和を寺院の中に求めんには」 友、 「おろかなり。アントニオ。否運(ひうん)に遭ひて志を屈せずしてこそ人たる甲斐はあれ。汝の氣力あり、技倆あるを、傲慢なる羅馬の貴人(あてびと)に見せよ。世閒に見せよ。詩人は賤しき業にあらず。汝は才あり學あればこそ、詩人とならんとは思ひ立ちしなれ。汝が前途は多望なり。されどわれおもふに、わが斯く辭(ことば)を費すはいたづら事にはあらずや。汝が僧とならんといふは、けふの黃昏の暗黑なる思案にて、あすは旭日の光に觸れて泡沫のごとく消え去るべきものにはあらずや。兎まれ角まれ、汝が病をばわが手ぬかりにて長じたりと覺し、汝は獨り籠り居て蟲をおこしたるならん。あすは車一輛倩(こ)ひて、エルコラノ、ポムペイに往き、それよりヱズヰオの山に登るべし。先づ今宵は大路(トレド)まで出でゝ、面白く時を過さん。世の中は驅足(かけあし)して行く如し。而して人々のおのが荷を負ひたり。鉛の重さなるもあり。翫具(おもちや)と一般なるもあり」 友は斯く語りつゝ我を促し立てゝ出で行かんとせり。嗚呼、我にも猶此の如く慰め吳るゝ友あるこそ嬉しけれ。我は默して帽を戴き、友の後に跟(つ)きて出でぬ。
好機會
「物思(ものもひ)も好き程にせよ。暫くこの邊を漫步(そゞろあるき)して、汝が目の赤きを風に吹き消させ、さて共にマレツチイ夫人の許に往かん。夫人は汝と共に笑ひ共に泣きて、汝が厭ふをも知らぬなるべし。こは我が能くせざるところにして夫人の能くするところなり。いざいざ」 と勸めつゝ、友は我を拉(ひ)きて街上を行き巡り、遂に博士の家に入りぬ。 夫人は出で迎へて、 「好くこそ來給ひたれ、君等の定の日を待たで來給はんは何時なるべきと、兼ねてより思ひ居たり」 といふ。 友、 「わがアントニオは又例の物の哀(あはれ)といふものに襲はれ居れば、そを少し爽かなる方に向はせんは、おん宅ならではと思ひて參りしなり。明日は共にエルコラノとポムペイとに往きて、ヱズヰオの山にも登らんとす。折好く噴火の壯觀あれかしと願ふのみ」 といふ。 博士聞きて友に對ひて云ふやう、 「そはいと好き消遣(せうけん)の法なり。われも暇あらば共にこそ往かまほしけれ。ヱズヰオに登らんは煩はしけれど、ポムペイの發掘の近狀を見んこと面白かるべし。われはかしこより彩色の硝子器(ガラスうつは)數種を得たれば、この頃そを時代別(じだいわけ)にして小論文一篇を作りぬ。今君に見せて、彩色に關する二三の疑を質(たゞ)さばやと思ふなり。アントニオ君は、しばし妻の許に居給へ。後には集りて一瓶のフアレルノ(フアレルナに產する葡萄酒。)を傾け、ホラチウスが詩を歌はん」 と云ふ。 かくて主人は友を延(ひ)いて入り、我をばサンタ夫人の許に留め置きぬ。 夫人、 「君は又新しき詩を作り給ひしならん。君が面を見るにその經營慘憺とやらんいふことの痕深く刻まれたる如きを覺ゆるなり。さきにはタツソオの詩を誦(ず)して聞せ給ひしが、その句は今も我懷(おもひ)に往來(ゆきき)して、時ありては獨り淚を墮すことあり。そはわが泣蟲なるためにはあらず。など少しく氣を霽(はれ)やかにして我面を見て面白き事を語り聞せ給はざる。尚默(もだ)して居給ふか。若し言ふべきことなくば、わがこの新しき衣をだに譽め給へ。好く似合ひたるにあらずや。體にひたと着(つ)きてめでたからずや。詩人はかゝる些細なる事をも心に留めでは叶はぬものなり。我姿のすらりと痩せてピニヨロの木の如くなるを見給はずや」 われ、 「そは直ちに心付き候ひぬ」 夫人、 「おん身はまことに世辭好(よ)き人なり。我姿はいつもの通りなり。衣は緩く包みし袱(ふく)の如し。否々、面を赤うし給ふことかは。おん身も年若き男達の癖をばえ逃れ給はずと思はる。今少し多く女子に交り給へ。われ等はおん身を敎育すべし。おん身の友と我夫とは、今その考古學の深みに嵌まり居て、身動きだにせざるならん。いざ共にフアレルノを飮まん。後には人々と同じく改めて杯を把り給ひても好し」 といふ。 夫人に斯く勸められて、われは急に酒飮むことを辭(いな)み、世の常の物語せばやと、一言二言いひ試みしが、胸の憂に詞淀みて、いかにも心苦しければ、 「夫人よ、恕(ゆる)し給へ。われは今快からず。さるを、强ひて物語せば、そは徒におん身を惱ますに近からん」 と云ひつゝ、起ちて帽を取らんとせしに、夫人は忽ち我手を把りて再び椅子に着かしめ、優しく我顏を目守(まも)りて云ふやう、 「今は歸し參らせじ。おん身は何事にか遭ひ給ひしならん。心を隔て給ふことかは。わが氣輕なる詞つきは、おん身の心を傷つけたらんも計られねど、そは稟賦(うまれつき)なれば、是非なし。われはまことにおん身の上を氣遣へり。何事にか遭ひ給ひしならば、包まずわれに語り給へ。故里の文をや得給ひし。ベルナルドオが創のためにみまかりしにはあらずや」 と云ふ。 初めわれは主公の書を得たることを此人に告げん心なかりしが、斯く問はれて心弱く、有の儘に物語りぬ。さて詞を續ぎて、 「われは全く世に棄てられたり、世には一人の猶我を愛するものなし」 と欷歔(ききよ)して叫びし時、 「否、アントニオ」 と云ふ聲耳に響きて、われは溫き掌の我額を撫で、忽又熱き唇の其上に觸るゝを覺えき。 「否、アントニオ猶おん身を愛する人あり。おん身は善き人なり、可哀き人なり」 夫人はかく言ひつゝ、もろ手もて我頭を抱き、その頬は我耳の邊に觸れたり。我血は湧き返りて、渾身震ひ氣息塞がりたり。此時人の足音して一閒の扉は外より開かれ、主人はフエデリゴと共に入り來りぬ。サンタ夫人は徐に友を顧みて、 「好き處に來給ひたり。アントニオ君は熱を患(うれ)へ給ふにやあらん。心地惡しとのたまひつゝ、忽ち靑くなり又赤くなり給ふ故、安き心はあらざりき」 など云ひ、又我に向ひて、 「いかに、今は前(さき)の如くにはあらざるならん」 と云ふ。 その面持すこしも常に殊ならず。われは心の底に、言ふべからざる羞(はぢ)と憤(いきどほり)とを覺えて、口に一語をも出すこと能はざりき。博士は例の古語を引きて、 「客人(まらうど)、心地はいかなるにか、クピド(愛の神、キューピッド)の磨く箭(や)にや中(あた)り給ひし」 などいひつゝ、われ等に酒を勸めたり。 夫人はわれと杯を打碰(うちあは)せて、意味ありげなる目を我面に注ぎ、 「これを乾(ほ)さばや、好機會(よきをり)のために」 と云ふに、我友點頭(うなづ)きて、 「げに好機會は必ず來べきものぞ。屈せずして待つが丈夫(ますらを)の事なり」 と云ふ。 この時博士も亦杯を擧げて、 「さらば我もその好機會のために飮まん」 と云ひぬ。 夫人は高く笑ひて手もて我頬を撫でたり。
第3章 「あの烟の渦卷き騰(あが)る狀を見よ。今宵は興ある遊となるべきぞ」 と云ひしに、博士首(かうべ)を掉(ふ)りて、 「かばかりの烟は物の數ならず。紀元七十九年の噴火の時を想ひ見給へ」 と云ひぬ。 拿破里の町はづれを過ぎて、程なくサンジヨワンニイ、ポルチチ、レジナの三市の相連れるを見る。そのさま一市をなせるが如し。レジナに至りて車を下れば、われ等の踐(ふ)める所の脚下は、早く是れ熔巖熱灰のために埋沒せられしエルコラノの古市なり。 博士に延(ひ)かれて一家に入れば、その中庭に大なる枯井あるを見る。井の裏には螺旋梯(らせんばしご)を架したり。博士われ等を顧みて云ふやう、 「見給へ人々。これこそ紀元千七百二十年エルボヨフ公の掘らせし井なれ。穿つこと僅に數尺にして石人現れければ、その工事は遽(にはか)に止められき。これより人の手を此井に觸れざること三十年。西班牙(スパニア)王カルロス此に來て猶深く掘らせしに、見給へ、かしこの奧に見ゆる石階に掘り當てたり」 と云ふ。 われ等はその井をさし覗(のぞ)くに、日光はエルコラノの市(まち)なる大劇場の石階の隅を照せり。案内者は燭を點して、われ等をして各々これを手にせしめつ。降りて石階の上に立てば、誰か能く懷舊の情の胸閒に叢(むらが)り起るを覺えざらん。是れ千七百載の昔、羅馬の民の集ひ來て、齊しく眸(ひとみ)を舞臺の光景に凝し、共に笑ひ、共に感動し、共に喝采歡呼せし處なるにあらずや。 側なる低く小き戶を過ぐれば、闊(ひろ)き廊あり。われ等は舞庭(オルヘストラ、オーケストラ)に下りぬ。(舞臺と觀棚(さじき)との閒に在り。)樂人房、衣房、舞臺などを見めぐるに、其結構の宏壯なるは、深く我心を感ぜしめき。燭光の照すところは數步の外に出でざれども、われはその大さサン・カルロ座に踰(こ)ゆべしと想ひぬ。われ等の四邊は空虛幽暗寂寥にして、われ等の頭上には別に一箇の熱鬧(ねつたう)世界あるなり。世には旣に死したる人のわれ等の閒に迷ひ來て相交ることありとおもへるものあり。われは今これに反して、獨り泉下に入りて身を古の羅馬人の精靈の閒に寘(お)きたりとおもひぬ。われは人々を促して梯を登りぬ。 右に轉じて一小巷に入れば、古市の一小部の發掘せられたるあり。數條の徑(こみち)、小房多き數軒の家あり。その壁には丹靑の色殘れり。エルコラノの市の天日に觸るゝ處は唯だこれのみなりといへば、工事の未だはかどらざることポムペイの比(たぐひ)にあらずと覺し。 レジナを背にして車を馳すれば、目の及ばん限、只だ大海の忽ち凝(こ)りて黑がねとなれるかと疑はるゝ平原を見るのみ。半ば埋れたる寺塔は寂しげに道の側に立てり。處々に新に造りたる人家と葡萄圃(ぶだうばたけ)とあり。博士われ等を顧みて云ふやう、 「この境の慘狀をばわれ目のあたり見ることを得たり。われは猶幼かりき。この車轍の過ぐるところは、其時火燄の海をなし、その怖ろしき流は山嶽の方より希臘塔市(トルレ・デル・グレコ)の方へ向ひたり。葡萄圃は多く熔巖に掩はれ、父とわれとの立てる側なる岩は其光を受けて殷紅(あんこう)なり。寺院の火海の中央に漂へるさまはノアの船に異ならず、その燈の未だ滅せざるが微かに靑く見えたり。われは生涯その時の事を忘れず。父の燒け殘りたる葡萄を摘みてわれに食はせしは、今も猶昨(きのふ)のごとし」 と云ひぬ。 凡そ拿破里(ナポリ)の入江の諸市は、譬へば葡萄の蔓の梢より梢にわたりて相連れるが如く、一市を行き盡せば一市又前に橫(よこたは)る。(希臘塔市の次は卽トルレ・デル・アヌンチヤタの市なり。)道は此熔巖の平野に至るまで、都會の大街(おほどほり)に異ならず。馬に乘る人、驢(うさぎうま)に騎る人、車を驅る人など絕えず往來して、その閒には男女打ち雜りたる旅人の羣の一しほの色彩を添ふるあり。 初めわれは、エルコラノも、ポムペイも深く地の底に在りと思ひき。されど其實は然らず。古のポムペイは高處に築き起したるものにして、その民は葡萄圃のあなたに地中海を眺めしなり。われ等は漸く登りて、今暗黑なる燼餘の灰壘を打ち拔きたる洞穴の前に立てり。洞穴の周圍には灌木、草綿など少しく生ひ出でゝ、この寂しき景に些の生色あらせんと勉むるものゝ如し。われ等は番兵の前を過ぎて、ポムペイの市の口に入りぬ。 博士マレツチイは我等を顧みて、 「君等は古のタチツスをもプリニウスをも讀み給ひしならん、凡そ此等の書の最も好き註脚は此市なり」 と云ひたり。 われ等の進み入りたる道を「墳墓」と名づく。許多の石碣(せきけつ)竝び立てり。二碑の前に彫鏤(てうる)したる榻(こしかけ)あり。是れポムペイの士女の郊外に往反(ゆきかへり)するときしばらく憩ひし處なるべし。想ふに當時この榻に坐するものは、碑碣のあなたなる林木郊野を見、往來織るが如き街道を見、又波靜なる入江を見つるならん。今は唯だ窗牖(さういう)ある石屋(せきおく)の處々に立てるを望むのみ。屋(いへ)は地震の初に受けたりと覺しき許多の創痕を留めて、その形枯髑髏(されかうべ)の如く、窗は空しき眼窼(がんさう)かと疑はる。閒々當時普請(ふしん)の半ばなりし家ありて、彫りさしたる大理石塊、素燒の模型などその傍に橫れり。 われ等は漸くにして市の外垣に到りぬ。これに登るに幅廣き石級あり。古劇場の觀棚(さじき)の如し。當面には細長き一條の町ありて通ず。熔巖の板を敷けること拿破里の街衢(がいく)と異なることなし。蓋しこの板は遠く彼基督紀元七十九年の前にありて噴火せし時の遺物なるべし。今その面を見るに、深く車轍を印したればなり。家壁には時に戶主の姓氏を刻めるを見る。又招牌(かんばん)の遺れるあり。偶々その一を讀めば、『石目細工の家』と題したり。 家裏(やぬち)を窺ふに、多くは小房なり。門扇上若くは仰塵(てんぜう)より光を採りたり。中庭の大さは大抵僅に一小花壇若くは噴水ある一水盤を容るゝに足り、柱廊ありてこれを繞(めぐ)れり。壁又步牀(ゆか)には石目もて方圓種々の飾文を作る。白靑赤などの顏料もて畫ける壁を見るに、舞妓、神物の類猶頗る鮮明なり。博士とフエデリゴとはこの美麗にして久しきに耐ふる顏料の性狀を論ずと見えしが、いつかバヤルヂイが大著述の批評に言ひ及びて、身の何の處に在るかを忘るゝものゝ如くなりき。(バヤルヂイの著『カタロオゴ・デリ・アンチイキイ・モヌメンチイ・デルコラノ』は大判紙十卷ありて千七百五十五年の刊行なり。)幸に我は平生多く書を讀まざりしかば、此物語に引き入れらるゝ虞(おそれ)なく、詩趣ゆたかなる四圍(あたり)の光景は、十分に我心胸に徹して、平生の苦辛はこれによりて全く排せられ畢(をはん)ぬ。 われ等はサルルストが故宅の前に立てり。 博士帽を脫して云ふやう、 「縱ひ靈魂は逸し去らんも、吾豈(あに)その遺骸を拜せざらんや」 と。 前壁には、ヂアナとアクテオンとの大圖を畫けり。 (アクテオンは、希臘の男神の名なり。女神ヂアナを垣閒見て、罰のために鹿に變ぜられ、畜(やしな)ふ所の羣犬に噬(か)まる。) 二個のスフインクス(女首獅身の石像。)を脚としたる大理石の巨卓(おほづくゑ)あり。傳へいふ、初めこの皓潔(こうけつ)玉の如き卓を發掘せしとき、工夫は驚喜の餘、覺えず聲を放ちて叫びぬと。されど我を動すことこれより深かりしは、色褪せたる人骨と灰に印せる美しき婦人の乳房となりき。 われ等は廣こうぢを過ぎて、ユピテルの祠の前に至りぬ。日は白き大理石の柱を照せり。其背後(うしろ)にはヱズヰオの山あり。巓よりは黑烟を吐き、半腹を流れ下る熔巖の上には濃き蒸氣簇(むらが)れり。 われ等は劇場に入りて、磴級(とうきふ)をなせる石榻(せきたふ)に坐したり。舞臺を見るに、その柱の石障石扉、昔のまゝに殘りて、羅馬の俳優のこゝに演技せしは咋(きのふ)の如くぞおもはるゝ。されど今は音樂の響も聞えず、公衆の喝采に慣れたるロスチウスが聲も聞えず。わが觀るところの演劇は、緑肥えたる葡萄圃(ぶだうばたけ)、行人絡繹(らくえき)たるサレルノ街道、其背後の暗碧なる山脈等を道具立書割として、自ら悲壯劇の舞羣(ホロス)となれるポムペイ市の死の天使の威を歌へるなり。われは覿面(てきめん)に死の天使を見たり。その翼は黑き灰と流るゝ巖とにして、一たびこれを開張するときは、幾多の市村はこれがために埋めらるゝなり。
噴火山
紅なる熔巖の流は、今や目睫(もくせふ)に迫り來りぬ。道絕ゆるところに、黑き熔巖もて掩はれたる廣き面あり。驢馬は蹄(ひづめ)を下すごとに、先づ探りて而る後に踏めり。旣にして一の隆起したる處に逢ふ。その狀新に此熔巖の海に涌出せる孤島の如し。されど其草木は只だ丈低き灌木の疎(まばら)に生ぜるを見るのみ。この處に山人の草寮(こや)あり。兵卒數人火を圍みて聖淚酒を呑めり。(「ラクリメエ・クリスチイ」とて葡萄酒の名なり。)こは遊覽の客を護りて賊を防ぐものなりとぞ。われ等を望み見て身を起し、松明を點じて導かんとす。劇しき風に焔は橫さまに吹き靡(なび)けられ、滅(き)えんと慾して僅に燃ゆ。博士は疲れたりとて草寮(こや)に留まりぬ。我等の往手は巖の閒なる細徑にて、熔巖の塊の蹄に觸るゝもの多し。處々道の險しき谿(たに)に臨めるを見る。 旣にして黑き灰もて盛り成したる山上の山ありて、我等の前に橫はりぬ。我等は皆徒立(かちだち)となりて、驢(うさぎうま)をば口とりの童にあづけおきぬ。兵卒は松明振り翳(かざ)して斜に道取りて進めり。灰は踝(くるぶし)を沒し又膝を沒す。石片又は熔巖の塊ありて、步ごとに滾(ころが)り落つるが故に、縱(たて)に列びて登るに由なし。我等は雙脚に鉛を懸けたる如く、一步を進みては又一步を退き、只だ一つところに在るやうに覺えたり。兵卒は、 「巓近し、今一息に候」 と叫びて、我等を勵したり。 されど仰ぎ視れば山の高きこと始に異ならず。一時許にして僅に巓に到りぬ。われは奇を好む心に驅られて、直に踵(くびす)を兵卒に接したれば、先づ足を此山の巓に着けたり。 巓は大なる平地にして、大小いろいろなる熔巖の塊錯落(さくらく)として途に橫る。平地の中央に圓錐形の灰の丘あり。是れ火坑の堤なり。火球の如き月は早く昇りて、此丘の上に懸れり。我等の來路に此月を見ざりしは、山のために遮られぬればなり。忽ちにして坑口黑烟を噴き、四邊闇夜の如く、山の核心と覺しき處に不斷の雷聲を聞く。地震ひ足危ければ、人々相倚りて支持す。忽ち又千百の巨礟(きよはう)を放てる如き聲あり。一道の火柱直上して天を衝き、迸り出でたる熱石は「ルビン」を嵌めたる如き觀をなせり。されど此等の石は或は再び坑中に沒し、或は灰の丘に沿ひて顛(ころが)り下り、復た我等の頭上に落つることなし。われは心裡に神を念じて、屏息(へいそく)してこれを見たり。 兵卒は、 「客人(まらうど)達は山の機嫌好き日に來あはせ給ひぬ」 とて、我等を揮(さしまね)きて進ましめたり。 われは初めその何處に導くべきかを知らざりき。火を噴ける坑口は今近づくべきにあらねばなり。導者は灰の丘を左にして進まんとす。忽ち見る。我等の往手に火の海の橫れるありて、身幹(みのたけ)數丈なる怪しき人影のその前にゆらめくを。これ我等に前だてる旅客の一羣なり。我等は手足を動して熔岩の塊を避けつゝ進めり。色褪せたる月の光と松明の光とは、岩の隈々(くまぐま)に濃き陰翳を形(かたちづく)りて、深谷の看(かん)をなせり。忽ち又例の雷聲を聞きて、火柱は再び立てり。手もて探りて漸く進むに、石土の熱きを覺ゆるに至りぬ。巖罅(がんか)よりは白き蒸氣騰上(たうぜう)せり。旣にして平滑なる地を見る。こは二日前に流れ出でたる熔岩なり。風に觸るゝ表層こそは黑く凝りたれ、底は猶紅火なり。この一帶の彼方には又常の石原ありて、一羣の旅客はその上に立てり。導者は我等一行を引きて此火殼(くわかく)を踐(ふ)ましめたるに、足蹟炙(あ)ぶるが如く、我等の靴の黑き地に赤き痕(あと)を印するさま、橋上の霜を踏むに似たり。處々に斷文ありて、底なる火を透し見るべし。我等は凝息(ぎやうそく)して行くほどに、一英人の導者と共に歸り來るに逢ひぬ。渠(かれ)、 「汝等の閒に英人ありや」 と問ふに、われ、 「無し」 と答ふれば、一聲、 「畜生(マレデツトオ)!」 と叫びて過ぎぬ。 我等は彼旅客の羣に近づきて、これと同じく一大石の上に登りぬ。此石の前には新しき熔岩流れ下れり。譬へば金の熔爐より出づる如し。其幅は極めて闊(ひろ)し。蒸氣の此流を被へるものは火に映じて殷紅(あんこう)なり。四圍は暗黑にして、空氣には硫黃の氣滿ちたり。われは地底の雷聲と天半の火柱と此流とを見聞して、心中の弱處病處の一時に滅盡するを覺えたり。われは胸前(むなさき)に合掌して、神よ、詩人も亦汝の預言者なり、その聲は寺裏に法を說く僧侶より大なるべし、我に力あらせ給へ、我心の淸きを護り給へと念じたり。 われ等は歸途に就きたり。此時身邊なる熔岩の流に、爆然聲ありて、陷穽(かんせい)を生じ炎焔を吐くを見き。されどわれは復た戰(をのゝ)き慄(ふる)ふことなかりき。一行は積灰の新に降れる雪の如きを蹴て、且滑り且降るほどに、一時閒の來路は十分閒の去路となりて、何の勞苦をも覺えざりき。われもフエデリゴも心に此遊の徒事ならざりしを喜びあへり。驢に乘りて草寮(こや)に至れば、博士は踞座して我等を待てり。促し立てゝ共に出づるに、風斂(をさま)り月明かなり。拿破里(ナポリ)灣に沿ひて行けば、熔岩の赤き影と明月の靑き影と、波面に二條の長蛇を跳らしむ。聞說(きくな)らく、昔はボツカチヨオ淚をヰルギリウスの墳(つか)に灑(そゝ)ぎて、譽を天下に馳せたりとぞ。われ韮才(ひさゐ)、固よりこれに比すべきにあらねど、けふヱズヰオの山の我詩思を養ひしは、未だ必ずしもむかし詩人の墳のボツカチヨオの天才を發せしに似ずばあらず。 博士はわれ等を誘ひて其家にかへりぬ。われは前度の別をおもひて、サンタ夫人との應對いかがあらんと氣遣ひしに、夫人の優しく打解けたるさまは、毫も疇昔(ちうせき)に異ならざりき。夫人はわが卽興の手際を見んとて、こよひの登山を歌はせ、辭(ことば)を窮(きは)めて我才を讚めたり。
第4章 我がナポリに來てより早や二月とはなりぬ。次の日曜日はわがサン・カルロの大劇場に出づべき期なり。其日の興行は『セヰルラの剃手(とこや)』にて、その末折(まつせつ)の終りてより、我卽興詩は始まるべしとぞ掟(おき)てられし。番付には流石にわが實(まこと)の苗字をしるさんことの恥かしくて、假に「チエンチイ」と名告(なの)りたり。 この運命の定まるべき日の、切(せち)に待たるゝと共に、あるときは其成功の覺束なき心地せられて、熱病む人の如くなることあり。けふも博士の家をおとづれたれど、われは人々の背後にかくれて物言ふことも稀なりき。フエデリゴは我が物思はしげなるを見ていふやう、 「いかに心地や惡しき。われとても同じさまなり。こは火山の所爲にて、この鄕(さと)の空氣の惡しくなれるならん。ヱズヰオの噴火は次第に熾(さかん)なり。熔巖の流は早く麓に到りて、トルレ、デル、アヌンチヤタの方へ向へりと聞く。今宵は激しき音の聞ゆるならん。空氣には灰多く雜(まじ)れり。山に近き處にては、木々の梢皆灰に掩はれたり。巓の上は黑雲覆ひ重りて、爆發の度ごとに靑き燄(ほのほ)その中に立ち昇れり」 といふ。 サンタは色蒼く、瞳常ならず耀(かゞや)けるが、友の詞を聞きていふやう、 「われも熱に罹れりと覺ゆ。されど日曜日には病を力(つと)めて往くべし。友のためには命をさへ輕んずべし。その翌日(あくるひ)熱に苦めらるゝこと前に倍すとも、そは顧みるべき事ならず。友は嬉しとおもふや、あらずや、そは知るべきならねど」 など、心ありげに云へり。 われは日ごとに公苑に往き戲園(しばゐ)に入り、又心安からぬまゝに寺院を尋ねて、聖母の足の下に俯(ふ)することあり。頬燃え胸跳るばかりなる怖ろしき誘惑に想ひ到れば、懺悔の念轉々(うたゝ)深く、志を遂げ功を成さんと慾する大いなる企圖を顧み思へば、祈祷の心愈々切なり。されど我靈は我肉と鬪へり。わが心機の一轉すべき期は、想ふに日曜日にあるならん。われは慰藉を得ずして、空しく聖母の膝下を走り出でぬ。 「一たび偕(とも)に嚢家(博奕場(ばくえきぜう))に往かずや。いかなる境界をも詩人は知らざるべからず」 とは、吾友フエデリゴの曾て云ひしところなり。 されど友は我を伴ひしことなく、我も亦獨り往かん心を生ずることなかりき。こは見んことの願はしからざるにあらず、心の怯(おく)れたるなり。むかしベルナルドオの我にいひしことあり。 「汝はドメニカに育てられ、ジエスヰタ派の學校に人となりて、その血中には山羊の乳汁(ちしる)雜れり。されば汝は臆病なり」 といひき。 當時われはその無禮を怒りしが、今思ふに此言は幾分の理(ことわり)なきにあらず。われまことに詩人となりて、善く社會の狀態を歌はんには、先づかゝる怯懦(けふだ)の心を棄てざるべからず。わが此念(おもひ)をなしゝは、夕ぐれに此市に聞えたる嚢家の門を過ぐる時なりき。これぞ我膽を試みるべき好き機會なるべき。自ら博奕(ばくえき)せでもあるべし。後に相識れる人々に語るとも、必ず咎むるものはあらじなど、自ら問ひ自ら答へて、騷ぐ胸を押し鎭めつゝ門に入りぬ。こゝには嚴かなる裝(よそほひ)したる門者(かどもり)立てり。兩邊に燈を點じたる石階を登れば、前房あり。僮僕(しもべ)あまた走り迎へて、我帽と杖とを受取り、我が爲めに正面なる扉を排開したり。 戶内(とぬち)には燈明き室あまたあり。室ごとに大卓幾箇か据ゑたるを、男女打雜りたる客圍み坐せり。われは勇を鼓して先づ最も戶に近き一室を大股に步み過ぎしに、諸人は顧みんとだにせざりき。卓の上には堆(うづたか)く金貨を積みたり。我目に留まりしは、十年前までは美しかりけんと思はるゝ、さたすぎたる婦人の服飾美しく面に紅粉を施せるが、痩せたる掌に骨牌(かるた)緊(きび)しく握り持ちて、鷙鳥(にへどり)の如き眼を卓上の黃金に注ぎたるなり。若く美しき女子も二人(ふたり)三人(みたり)見えたるが、その周匝(めぐり)には少年紳士羣(むらが)り立ちて、何事をか語るさまなりき。老若いづれはあれど、皆嘗て能く人の心を動しゝ人の、今は他の心文牌(キヨオル)に目を注ぐやうになりしなるべし。 稍々狹き室に紅緑に染め分けたる一卓あり。客は柱文銀(「コロンナアトオ」といふ、その文樣(もんやう)に依りて名づく、我二圓十五錢許(ばかり)に當る。)一塊若くは數塊を一色の上に置く。球ありて此卓上を走り、その留まる處の色は、賭者をして倍價の銀を贏(か)ち得しむ。傍より覗ふに、その速なることは我脈搏と同じく、黃白の堆(たい)は忽ち卓に上り又忽ち卓を下る。われは覺えず兜兒(かくし)を搜りて一塊の柱文銀を取り、漫然卓上に擲(なげう)ちたるに、銀は紅色の上に駐まれり。監者は我面を注視して、其色の意に適へりや否やを問ふものゝ如し。われは又覺えず頷きたり。球は走り、我銀は二塊となりぬ。われはこれを收むるを愧(は)ぢて、銀を其處に放置せり。球は走り又走りて、銀の數は漸く加りぬ。運命は我に與(くみ)するにやあらん。銀の嵩(かさ)は次第に大いになりて、金貨さへその閒に輝けり。われは喉嚨(のど)の燃ゆるが如きを覺えたれば、葡萄酒一杯を買ひてこれに灌(そゝ)ぎつ。黃白の山はみるみる我前に聳えたり。忽ち球は我色に背きて、監者は冷かに我銀の山を撈(さら)ひ取りぬ。われは夢の醒めたる如くなりき。我がまことに失ひしは柱文銀一つのみと、獨り自ら慰めて次の室に入りぬ。 こゝには數人の少女あり。中なる一人の姿貌(かほばせ)は宛然たるアヌンチヤタなるが、只だ身幹(みのたけ)高く稍々肥えたるを異なりとす。われは暫くこれに注目せしに、少女は我前に步み寄りて、傍なる小卓を指し、 「おん敵手(あひて)にはなるまじけれど」 と耳語きたり。 わが輕く辭(いな)みて數步を退き去るを、少女は訝かしげに見送り居たり。 奧の詰(つめ)なる室には、少年紳士等打寄りて撞球戲(たまつき)をなせり。婦人も幾人(いくたり)か立ち雜りたるに、紳士中には上衣を脫ぎたるあり。われは初め此社會の風儀のかくまで亂れたるをば想ひ測(はか)らざりしなり。入口の戶に近く、此方に背を向けて撞杖(キユウ)を揮へる丈高き一男子あり。今の撞きざまや巧なりけん、人々喝采せしに、前(さき)に我に骨牌を勸めし少女も彼男子の面を覗きて、笑みつゝ何事をかさゝやきたり。男は振り向きざまにその頬に接吻し、女は嬌嗔(けうしん)してその男を打てり。われは遙に彼男の橫顏を望み見て慄慴(りつせふ)せり。そはその餘りにベルナルドオに肖(に)たるが爲めなり。 われは進みてこれに近づくべき膽力なかりき。されどその眞のベルナルドオなりや否やを知らんことの願はしければ、傍にほの暗き室の戶の開きありたるを見て、我より窺ふべく彼より見るべからざらしめんために、壁に沿ひて徐に步み、そとこれに進み入れり。天井には紅白の硝子燈を弔りたれど、わざと明闇相半(あひなかば)して處々蔭多からしめたり。室は假の庭園なり。薄片鐵(ブリキ)を塗りて葉となしたる蔓艸(つるくさ)は、幾箇のさゝやかなる亭(あづまや)に纏ひ附きて、その閒には巧に盆栽の橘柚(オレンジ)等を排(なら)べたり。亭の前なる梢には剥製の鸚鵡(あうむ)の止まりたるあり。冷なる風は窗より入りて、自奏器の樂聲人の眠を催さんとす。 わが此裝置を一瞥し畢りし時、彼のベルナルドオに肖(に)たる男はこなたに向ひて足の運び輕げに步み來たり。われは思慮を費すに遑(いとま)あらずして、近き亭(あづまや)の内に濳みしに、男は面に笑(ゑみ)を湛へて閾上(よくぜう)に立ち留まりぬ。その面は恰も我方へ眞向(まむき)になりたるが、われはそのまがふ方なきベルナルドオなることを認め得たり。渠(かれ)は隣なる亭に步み入り、長椅(ヂノワ)に身を投げ掛けて、微かに口笛を鳴し居たり。我胸裏には萬感叢起(さうき)せり。ベルナルドオこゝに在り。我と他(かれ)と咫尺(しせき)す。われはかく思ふと共に、身うちの悉く震(ふる)ひわなゝくを覺えて、力なく亭内なる長椅の上に坐したり。花卉(くわき)の薰、幽かなる樂聲、暗き燈火(ともしび)、軟なる長椅は我を夢の世界に誘(いざな)ひ去らんとす。現に夢の世界ならでは、この人に邂逅すべくもあらぬ心地ぞする。少焉(しばし)ありて前(さき)のアヌンチヤタに似たる少女は此室に入り、將に進みて我が居る亭に入らんとす。われは心にいたく驚きて、身内の血の湧き立つを覺えき。その時ベルナルドオは忽ち聲朗かに歌ひはじめたり。少女は聲をしるべに隣の亭に入りぬ。衣の戰(そよ)ぎと共に接吻の聲我耳を襲へり。此聲は我心を焦し爛(たゞら)かせり。 嗚呼アヌンチヤタは我を去りて此輕薄男子に就きしなり。この男子アヌンチヤタを獲てより幾時をか經し。而るに其唇は早く旣にこの淤泥(おでい)もて捏(こ)ね成したる妖姫の身に觸るゝなり。われは此室を馳せ出で、此家を馳せ出でたり。我胸は怒と悲とのために裂けんとす。此夜は曉近うして纔(わづか)にまどろむことを得たり。 我がサン・カルロの劇場に登るべき日は明日となりぬ。これを待つ疑懼(ぎく)の情と、さきの夜戀の敵に出逢ひたる驚愕の念とは我をして暫くも安んずること能はざらしむ。わが聖母其他の諸聖を祈る心の切(せち)なりしこと此時に過ぐるはなかりき。われは寺院に往きて、彼の救世者流血の身に擬したる麪包(パン)を乞ひ受け、その奇しき力の我を淸淨にし我を康强にせんことを祷りぬ。尊き麪包は果して我に多少の安堵を與へぬ。されどこゝに最も心にかゝる一事あり。そはアヌンチヤタの此地にあるにはあらずや、ベルナルドオはこれに隨ひて來たるにはあらずや、といふ疑問なりき。旣にしてフエデリゴは、我が爲めに偵知して、アヌンチヤタのこゝにあらず、ベルナルドオの四日前に單身こゝに到りしを報ず。友は綿密に市(まち)の來賓簿を閲(けみ)しくれたるなり。サンタの熱は未だ痊(い)えず、されど明日の興行には必ず往かんと誓へり。ヱズヰオは火を噴き灰を雨(ふ)らすること故(もと)の如し。而して我名を載せたる番付は早く通衢(ちまた)に貼り出されたり。
初舞臺
サンチイニイの云ふやう、 「吾等は君に難題を與ふべし。譬へば殼硬き胡桃の拆(さ)き難きが如し。されど君は能く拆き能く解き給ふならん。われも猶初めて登場せし時の戰慄の狀を記せり。されど我智は我に祕訣を授けたり。そは閨情(けいぜう)、懷古、伊太利風土の美、藝術、詩賦等、何物にも附會し易きものあるを用ゐ、又人の喝采を博すべき段をば先づ作りて諳んじ置くことを得る事なり」 と云ふ。 われ、 「絕て此種の準備なし」 と答へしに、サンチイニイ頭を掉(ふ)りて、 「否、そは隱し給ふなり。要するに君の如き怜悧なる人には此業いと易し」 と耳語けり。 『剃手(とこや)』の曲は終りて、われは獨り廣闊なる舞臺の上に立てり。座長(レジツシヨオル)は笑を帶びて我顏を打目守(うちまも)り、 「斷頭臺は築かれたり」 と耳語きて、道具方(マシニスト)に相圖せり。 幕は開きたり。斯(かく)て此大劇場の觀棚(さじき)に對して立てる時、わが視る所は譬へば黑洞々(こくたうたう)たる大坑に臨める如く、僅に伶人席(オルケストラ)の最前列と高き觀棚(ロオジユ)の左右の端となる人の頭を辨ずることを得るのみ。濃く溫なる空氣は漲り來りて我面を撲てり。われは我精神の此の如く安く夷(たひらか)なるべきをば期せざりき。その狀態は固より興奮せり。而れどもその諸機に掁觸(たうしよく)し易き性は十分に備はりたり。われは自家の精神作用の緊張を覺ゆると共に、又其明徹を覺えたり。猶晴れたる冬の日の空氣の極めて冷に兼ねて極めて明なるがごとくなるべし。 看客は片紙に題を記して出し、警吏これを檢して、その法律に抵觸せざるを認めたる後、われに交付す。われは數題中に就いて其一を簡(えら)み取る自由あり。初なる一紙には「侍奉(じぶ)紳士」と題せり。こは人妻に事(つか)ふる男を謂ふ。中世士風の一變したるものなるべし。されどわれは未だ深く心をこれに留めしことなし。 (原註。「イル・カワリエル・セルヱンテ」又「チチスベオ」、今侍奉紳士と飜(ほん)す。此俗本(も)とジエノワ府商賈(せうこ)より出づ。その行販して鄕を離るゝもの婦を一友に托す。これを侍奉紳士といふ。初め僧に托するを常とせしが、後又俗士を擇(えら)む。侍奉紳士は婦の早起盥漱(かんそう)する時より、深更寢に就く時に至るまで、其身邊に在りて奉侍す。他婦を顧みることを容(ゆる)さず、聞く侍奉紳士中媱褻(いんせつ)に及ばざるもの往々にして有り。嘗て一男子の歿するや、其誄辭(るゐじ)中侍奉紳士となりて責を負ひ任を全うすといふ語ありきと。) われは此俗を歌ふ一曲の人口に膾炙するものあるを知れど、急にこれに依りて思を搆ふること能はず、 (曲とは「フエミナ・ヂ、コスツメ・ヂ・マニエレ」と題するものを謂ふ、「ソネツトオ」なり、ミユルレルの羅馬と其士女との卷中に收めたり。) 望を第二紙に屬してこれを開きたり。紙上には「カプリ」と書せり。是れ亦わが爲めの難題なり。われは拿破里(ナポリ)よりその山脈の美しきを賞しつれども、未だ一たびも此島に航せしことあらず。若し二者中一を取らば、猶侍奉紳士をこそ辭を措(お)き易しとせめ。 われは第三紙を開きたり。題して「拿破里の窟墓」といふ。これも亦我未知の境なり。されど窟墓の一語は忽ち少時の怖ろしき經歷を想ひ起す媒(なかだち)となりぬ。フエデリゴとの漫步(そゞろありき)より地下に路を失ひたる時の心の周章など、悉く目前に浮びぬ。われは直ちに絃を撥(はじ)きて歌ひ出でぬ。章句は自らにして成りぬ。われは唯だ自家少時の經歷を語りしのみ、唯だ羅馬の地下窟を以て拿破里の地下窟となしゝのみ。卽興詩の末解は、一たび失ひつる絲の端を再び探り得たる喜を敍したり。喝采はあまたゝび起りぬ。われは脈絡中に三鞭酒(シヤムパニエ)の循るが如き感をなしたり。 われは第二曲の題として「蜃氣樓」を得たり。こは拿破里又シチリアの水濱にて屡々見(あらは)るゝものといへど、われは未だ嘗て見しことあらず。唯だ此重樓複閣の奧には、我に親しき神女棲(す)み給ふ。これを「フアンタジア(空想)の君」とはいふなり。われは唯だ平生夢裏に遊べる境界を歌はんのみ。その中には同じ神女の宮殿あり、苑囿(ゑんいう)あり。 われは急に我資材を引纏めて、一の布局を定め、一の物語となしたり。歌ひ出づるに從ひて、新しき思想は多く來り加はりぬ。先づ敍したるは荒廢せる一寺院なりき。景をポジリツポに取りて、わざと其名をば擧げざりき。簷(のき)傾き廊朽ちて、今や漁父の栖家となりぬ。聖像を燒き附けたる窗の下に牀ありて、一童子臥したり。月あかくいと靜けき夜、美しき童女來りおとづれぬ。その美しさは譬へんに物なく、その身の輕きことそよ吹く風に殊ならず。兩の肩には五彩燦然たる翼生(お)ひたり。二人は共に嬉(たのし)み遊べり。少女は漁家の子を引きて、緑深き葡萄園に往き、又近きわたりの山に分け入るに、まだ見ぬ景色いと多く、殊に山腹の自ら闢(ひら)けて、その中にめでたき壁畫と數多き贄卓(にへづくゑ)とある寺院の見えたるなど、言へば世の常なり。或るときは共に舟に棹(さをさ)して靑海原を渡り、烟立つヱズヰオの山に漕ぎ寄せつるに、山は全(また)く水晶より成れりと覺しく、巖の底なる洪爐(こうろ)中に、烟渦卷き火燃え上るさま掌に指すが如くなり。或るときは共に地下の古市に遊ぶに、康衢(かうく)屋舍悉く存じて、往來織るが如く、その殷富(いんぷ)豐盛なること、書讀む人の遺蹟を見て說き聞かするところに增したり。少女は嘗て其羽を脫ぎ卸して、その童子の肩に結び、「いざ共に空に翔らん」といふ。おのれは風なす輕き身なれば、羽なきと羽あると殊ならずとなり。橘柚(オレンジ)檸檬(リモネ)の林を見下し、高くは山巓(さんてん)の雲を踏み、低くは水草茂れる沼澤の上を飛びしときは、終に茫漠たる平野の正中(たゞなか)なる羅馬の都城に至りぬ。鏡の如き蒼海を脚下に見、カプリの島の外遠く翔(かけ)りて、夕陽の雲の奧深く入りしときは、忽ち粉堞彫墻(ふんてふてうせう)の前に橫はるを見て、これは何ぞと問ひしに、少女答へて、「母君の築き給ひし城よ」と云ひぬ。少女は童子と樂しき日をこの城の内に送りしこと數々なりき。童子の齡漸く長ずるに及びて、少女の訪ひ來ること漸く稀になり、はてはをりをり葡萄棚の葉の閒又は柑子の樹の梢の隙より、美しき目もてそとさし覗くのみとなりぬ。童子はこれを見るごとに戀しく懷かしきこと限なく、人知らぬ愛に胸を苦めたりき。漁父は童子を伴ひて海に往き、艫(ろ)を搖(うごか)し帆を揚げ、暴風と爭ひ怒濤と鬪ふことを敎へつ。年長けて後、この少年の今は影だに見せぬ昔の友を懷ふ情は愈々深くのみなりゆきぬ。月淸く波靜なる夜半に、獨り舟中にあるときは、ともすれば艫を搖す手のおのづから休み、澄み渡りて底深く生ふる藻のゆらめくさへ見ゆる水にきと目を注(つ)けて、瞬(またゝき)もせず打目守(うちまも)ることあり。かゝる時は昔の少女、その嬌眸を睜(みひら)きて水底より覗き、或は頷(うなづ)き或は招けり。 とある朝漁村の男女あまた岸邊に集ひぬ。そは旭日の波閒より出でんとする時、一箇の奇しく珍らしき島國のカプリに近き處に湧き出でたればなり。飛簷(ひえん)傑閣隙閒なく立ち竝びて、その翳(くもり)なきこと珠玉の如く、その光あること金銀の如く、紫雲棚引き星月麗(かゝ)れり。現にこの一幅の畫圖の美しさは、譬へば長虹を截(た)ちてこれを彩りたる如し。蜃氣樓よと漁父等は叫びて、相指(ゆびさ)して嬉(たのし)み笑へり。彼の漁父の子のみは獨り笑はざりき。知らずや、かの樓閣はわが昔少女と共に遊び暮しゝ處なるを。懷舊の念しきりにして、戀慕の情止むことなく、雙眸(さうぼう)淚に曇る時、島國は忽ち滅(き)えたり。 月あかき宵の事なりき。島國は又湧き出でぬ。忽ち一隻の舟ありて、漁父等の立てる岬の下より、弦(つる)を離れし征箭(さつや)の如く、波平かなる海原を漕ぎ出で、かの怪しき島國の方に隱れぬ。黑雲空を蔽ひて、海面には暗緑なる大波を起し、潮水倒立して一條の巨柱を成せり。須臾(しゆゆ)にして雲斂(をさ)まり月淸く、海面復(また)た平かになりぬ。されど小舟は見えざりき。彼漁父の子も亦あらずなりぬ。 歌ひ畢るとき、喝采の聲前に倍し、我膽力は漸く大に、我興會(きようくわい)は漸く高し。第三曲の題は「タツソオ」なりき。われは一たびタツソオたりしことあり。レオノオレは卽ちアヌンチヤタなり。我等はフエルララ宮中に相見たり。われは囹圄(れいご)の苦を嘗め、懷裡に死を藏して又自由の身となり、波立てる海を隔てゝソルレントオより拿破里(ナポリ)を望み、また聖オノフリイ寺の檞樹(かしのき)の下に坐し、戴冠式の鐘聲カピトリウム街頭に起るを聞けり。されど冥使早く至りて其冠をわれに授けつ。是れ不死不滅の冠なりき。 思想の急流は我を漂し去りて、我心跳(しんてう)は常に倍せり。最後の一曲は「サツフオオの死」を題とす。嫉妬の苦も亦我が自ら味ひたるところなり。アヌンチヤタが痍負(てお)ひたるベルナルドオに吝(おし)まざりし接吻は、今憶ふも猶胸焦がる。サツフオオの美はアヌンチヤタに似て、その戀情の苦は我に似たり。波濤はこの可憐なる佳人を覆ひ了んぬ。 (十六世紀の伊太利詩人タツソオと前七世紀の希臘(ギリシア)女詩人サツフオオとの傳は今煩を憚りて悉く註せず。) 看客は皆泣けり。拍手の聲は狂瀾怒濤の如く、幕一たび墮ちて後、われは二たび幕の外に呼び出されぬ。喜は身に滿ち兼ねて胸を壓せり。舞臺を下りて、人々の來り賀するに逢ひし時、われは痙攣(けいれん)のさましたる啼泣を發したり。此夕サンチイニイ、フエデリゴ及二三の俳優は我が爲めに小筵(せうえん)を開けり。我心は嬉(たのし)みたれど我舌は緘(むす)ぼれたりき。フエデリゴ打興じて曰ふやう、 「此男は一の明珠なり。その一失は第二のヨゼツフたるにあり。(ヨゼツフは童貞女の夫にして耶蘇の義父なり。)盍(なん)ぞ薔薇を摘まざる、その凋落せざるひまに。 夜更けて後客舍に歸り、聖母と救世主との我を棄て給はざりしを謝して、いと穩なる夢を結びつ。
第5章 われは昨夜サンタの劇場にありしを知る。いでや往きて彼夫人をたづね、その讚詞をも受けてましと、足の運も常より輕く、マレツチイ博士の家に往きぬ。博士は繰り返しつゝよろこびを陳べて、さてその妻の劇場より歸りし後夜もすがら熱に惱みしを告げたり。又曰ふ、 「今は眠れり。眠醒めなば必ず快きに至るならん。夕暮に再び訪ひ給へ」 と。 午餐にはフエデリゴ新に獲たる友だちと、我を誘ひ出して酒店に至り、初め白き基督淚號(ラクリメエ・クリスチイ)を傾け、次いで赤きカラブリア號を倒し、わが、 「最早え飮まず」 と辭(いな)むに迨(およ)びて、 「さらば三鞭酒(シヤンパニエ)もて熱を下(さま)せ」 などいひ、歡を盡して別れぬ。 街に步み出づれば、大空は照りかゞやきぬ。そはヱズヰオの山の噴火一層の劇しさを加へて、熔巖の流、愈々闊(ひろ)く、漲り遠く下ればなり。岸邊には早くそを看んとて、舟を買ひて漕ぎ出づるものあり。 「アヱ・マリア」の鐘鳴り止む頃、再び博士の家に往きぬ。門に進みて婢(はしため)に問へば、 「家にいますは夫人のみにて、目覺めて後は快くなれりとのたまへり。閒雜(つね)の客をばことわれと仰せられつれど、檀那(だんな)は直ちに入り給ひても宜しからん」 となり。 美しくして晴れがましからず、心もおのづから靜まりぬべき室なり。窗の前には厚き質の幌(とばり)を垂れたるが、長く牀を拂へり。鏃(やじり)硏(と)ぐ愛の神の童の大理石像あり。アルガント燈は人を迷はさんと慾する如き光もてこれを照し出せり。こはわが轉瞬の閒に看出したる室内のさまなりき。夫人は輕げなる寢衣(ねまき)を着て、素絹の長椅(ソフア)の上に橫はりたりしが、我が入るを見て半ば身を起し、左手(ゆんで)もて被(ひ)を身に纏ひ、右手を我にさし伸べたり。 「アントニオの君よ、思の儘に捷(か)ち給ひぬ、おん身も嬉しと思ひ給ふならん。千萬人の心は渾(すべ)て君に奪はれたり。君は初め我がいかに君のために胸を跳らせ、後君の成功の期するところに倍するに及びて、いかに君のために安心の息(いき)を嘑(つ)きたるかを知り給ふまじ」 とは、夫人が我を迎ふる詞なりき。 われはその病を問ひしに、 「否、はや瘥(い)えんとす。君も生れ更り給へる如し。舞臺に立ち給ひしとき、君の姿は美しかりき。極めて美しかりき。興會に乘じて歌ひ給ふに及びては、この世の人とは覺えざりき。又その歌ひ給ふところは皆君が上なるやうに聞き做されたり。地下の窟(いはや)に迷ひ入りし少年と畫工とは、君とフエデリゴの君とに外ならず思はれたり」 といふ。 われ、 「いかにもそは宣ふところの如し。我が歌ひしは皆我閲歷なりしなり」 夫人、 「しかなるべし。君は戀の喜をも知り給へり。戀の悲をも知り給へり。君は樂を享くべき福(さいはひ)ある人なり。今よりその福を消受し給はんことをこそ祈れ」 といふ。 われ隨卽(やがて)きのふより心爽かになりて、四邊のものごとの我を樂ましむる由を語りしに、夫人は我手を引き寄せて我と目と目を見合せたり。その目なざしは人の心の奧深く穿ち透すものゝ如くなりき。夫人は現に美しき女なりき。又此時は常にも增して美しく見えたり。その頬は薄紅に匂へり。形好くつやゝかなる額際より、平に後ざまに櫛けづりたる黑髮は、ゆたかなる波打ちて背後に垂れたり。譬へば古のフイヂアス[ならではえ作るまじきユノの姿にも似たるなるべし。夫人、 「されば君は世のために生存(ながら)へ給ふべき人なり。世の寶なり。幾百萬の人をか喜ばせ樂ませ給ふらん。ゆめ一人の人になその尊き身を私せしめ給ひそ。世の中の人、誰かおん身を戀ひ慕はざらん。おん身の才、おん身の藝は、いかなる頑(かたくな)なる人の心をも挫きつべし」 斯く云ひつゝ、夫人は我を引きて、其長椅(ヂワノ)の緣に坐(こしか)けさせ、さて詞を繼ぎて云ふやう、 「猶改めておん身に語るべき事こそあれ。疇昔(さき)の日おん身が物思はしげに打沈みてのみ居給ひしとき、拙き身のそを慰め參らせばやとおもひしことあり。その時より今日までは、まだしみじみとおん物語せしことなし。いかに申し解き侍らんか。おん身は妾(わらは)が心を解き誤り給ひしにはあらずやと思はれ侍り」 といふ。 嗚呼、此詞は深く我を動したり、我もしばしば或は情厚き夫人の詞、夫人の振舞を誤り解したるにはあらずやと、自ら疑ひ自ら責めしことあり。われは、 「唯だ、御身が情は餘りに厚し、我身はそを受くるにふさはしからず」 と答へて、夫人の手背に接吻し、自ら勵まし自ら戒めて、淨き心、淨き目もて夫人の面を仰ぎ視たり。夫人の美しく截(き)れたる目の深黑なる瞳は、極めて靜かに極めて重く、我面を俯視(ふし)す。若し人ありて、此時我等二人を窺ひたらんには、われその何の辭もてこれを評すべきを知らず。されどわれは聖母に誓ふことを得べし。我心は淸淨無垢にして、譬へば姉と弟との心を談じ情を話するが如くなりしなり。 さるを夫人の目には常ならぬ光ありて、その乳房のあたりは高く波立てり。われはその自ら感動するを以爲(おも)へり。夫人は呼吸の安からざるを覺えけん、領(えり)のめぐりなる紐一つ解きたり。夫人は、 「おん身にふさはしからざる情といふものあるべしや。おん身の才あり、おん身の貌(かほばせ)ありて」 とさゝやきて、徐かに臂(ひぢ)を我肩に纏ひ、きと目と目を見合せて、無際限の意味ありげなる、名狀すべからざる微笑を面に湛へ、猶其詞を繼いで云ふやう、 「いかなれば妾(わらは)は初め君を知る明なくして、空想に耽り實世(じつせ)に疎き、偏僻(へんぺき)なる人とは看做したりけん。おん身は機微を知り給へり。機微を知るものは必ず能く勝を制す。妾が血を焚(や)いて熱をなすものは何ぞ。妾を病ましむるものは何ぞ。妾は寤(さ)めて何をか思へる。妾は寐(いね)て何をか夢みたる。おん身の愛憐のみ。おん身の接吻のみ。アントニオよ、妾が身を生けんも殺さんも、唯だおん身の命のまゝなり」 夫人はひしと我身を抱けり。一道の猛火は夫人の朱唇より出でゝ、我血に、我心に、我靈(たましひ)に燃えひろごりたり。 彼時速し、此時遲し。はたと我頂を擊つものあり。嗚呼、功德無量なる聖母よ。こはおん身の像を寫せる小匾額(せうへんがく)にして、偶々壁頭より墮ち來りしなり。否ず、偶々墮ち來りしに非ず。聖母は我が慾海の波に沈み果てんを愍(あはれ)みて、ことさらに我を喚び醒し給ひしなり。 「否々」 と叫びて、我は起ち上りぬ。 我渾身の血は涌き返る熔巖にも比べつべし。 「アントニオよ、妾(わらは)を殺せ。妾を殺せ、只だ妾を棄てゝな去りそ」 と、夫人は叫べり。 其臉(かほ)、其眸(まなじり)、其瞻視(せんし)、其形相(げうさう)、一として情慾に非ざるもの莫(な)く、而も猶美しかりき。火もて畫き成せる天人の像とや謂ふべき。我身の内なる千萬條の神經は一時に震動せり。我は一語を出すこと能はずして、室を出で階を下りぬ、怖ろしきものに逐はれたらん如く。 戶の外の皆火なること、身の内の皆火なると同じかりき。薰赫(くんかく)の氣は先づ面を撲てり。ヱズヰオの嶺は炎焔霄(そら)を摩し、爆發の光遠く四境を照せり。涼を願ふ煩心(わづらひごゝろ)は、我を驅りてモロの船橋を下り、汀灣(みぎは)に出でしめたり。我は身を波打際にはたと僵(たふ)しつ。我は自ら面の灼くが如く目の血走りたるを覺えて、巾(きれ)を鹹水(しほみづ)に漬(ひた)して額の上に加へ、又水を渡り來る汐風の些(すこ)しをも失はじと、衣の鈕(ボタン)を鬆開(しようかい)せり。されど到る處皆火なるを奈何せん。山腹を流れ下る熔巖の色は海波に映じて、海もまた燃えんとす。眸を凝らして海を望めば、髣髴(はうふつ)の閒、サンタが姿のこの火焔の波を踏みて立ち、その燃ゆる如き目なざしもて我を責め我を訴ふるを視、耳邊忽ち又、 「妾を殺せ。妾を殺せ」 と叫ぶを聞く。 われ眼を閉ぢ耳を掩ひ、心に聖母を念じて、又眶(まぶた)を開けば、怖るべき夫人の身は踉蹌(よろめ)きて後(しりへ)に踣(たふ)れんとす。そのさま火燄の羽衣を燒くかとぞ見えし。あはれ、其罪を想ふだに、畏怖の念の此の如きあり。その罪を遂げたらん後は、果して奈何なるべき。
もゆる河
と呼ぶ聲は、身のほとりより起りて、その「アヌンチヤタ」といふ語は、猶能く思に沈みし我を喚び起せり。頭を擡(もた)げて見れば、岸近く櫂を止(やす)めたる舟人あり。 「熔巖の流るゝこと一分時に三臂長(ひちやう)なり」 といへり(伊太利の尺の名)。 「往きて看給はんとならば、半時閒には渡しまゐらせん」 といふ。 舟は我熱を冷すに宜しからんとおもへば乘りぬ。舟人は棹取りて岸邊を離れ、帆を揚げて風に任せたるに、さゝやかなる端艇(はぶね)の快く、紅の波を凌ぎ行く。汐風兩の頬を吹きて、呼吸漸く鎭まり、彼方の岸に登りしときは、心も頗るおちゐたり。 我は心に誓ひけるやう。我は再び博士の閾(しきゐ)を踰(こ)えじ。禁ぜられたる果を指ざし示す美しき蛇に近づきて、何にかはすべき。幾千(いくち)の人か、これによりて我を嘲り我を侮るべけれど、猶良心に責められんには逈(はるか)に優れり。壁の上なる聖母は、我を墮さじとてこそ自ら墮ち給ひけめ。 斯く思ふにつけて、聖母の惠の袖に掩はれつゝ、水をも火をも避け得つべき喜は一身に溢れ、心の中に有りとあらゆる善なるもの正なるものは一齊に凱歌を奏し、我は復た心の上の小兒となりぬ。天に在す父よ、願はくは禍を轉じて福となし給へと唱へつゝ、身を終ふるまでの安樂の基(もとゐ)を立てもしたらん如く、足は心と共に輕く、こゝの小都會を步み過ぎて、田圃(たんぼ)閒(あひ)の街道に出でぬ。 人叫び、人笑ひ、人歌ひ、徒(かち)にて走るものあり、大小くさぐさの車を驅るものあり。その騷しさ言はん方なし。熔巖(ラワ)の流は今しも山麓なる二三の村落を襲へるなり。一羣の老若男女ありて奔り逃れんとす。左に嬰兒を抱き、右に裹(つゝ)みを挾(わきばさ)める村婦の、且泣き且走るあり。われは財嚢(ざいのう)を傾けてこれに贈りぬ。われは山に向ふ看者(みて)の閒に介(はさ)まりて、推されながらも、白き石垣もて仕切りたる葡萄圃(ぶだうばたけ)の中なる徑(こみち)を登り行きぬ。衆人は先を爭ひて、熔巖の將に到らんとする部落の方へと進めり。われは數畝の葡萄圃を隔てゝ、始て熔巖を望み見たり。數閒(すけん)の高さなる火の海は墻(まがき)を掩ひ屋を覆ひて漲り來れり。難に遭へるものは號泣し、壯觀に驚ける外國人(とつくにびと)は讙呼して、御者商人などは客を招き價を論ぜり。馬に跨れる人あり、車を驅れる人あり、燒酎鬻(ひさ)ぐ露肆(ほしみせ)を圍みて喧譟せる農夫の羣あり。凡そ此等のもの總て火光に照し出されたれば、そのさま筆舌もて描き盡すべからず。 熔巖は同じ嚮(むき)に流れ行くものなれば、好事(かうず)のものは步み近づきて迫り視ることを得べし。杖の尖又は貨幣などを揷込みて、熔巖の凝りて着きたるを拔き出し、こを看たる記念にとて持ち行くものあり。流れ下る熱質の一部、その高きが爲めに分れて迸り落つることありて、その奇觀は岸拍つ波に似たり。その落ちて地上に留まるや、猶暫くその火紅を存じて、銀河の側に輝く星を看る如し。旣にして空氣は漸くその隅角と周緣とを冷卻して黑變せしめ、そのさま黑き絲もて編める網に黃金を裹(つゝ)める如し。 熔巖の流れ行く先なる葡萄の幹に聖母の像を懸けたるものあり。こはその功德もて熔巖の炎を避けんとのこゝろしらひなるべし。されど熔巖はその方嚮(はうかう)を改めず。像を懸けたる一本(ひともと)の葡萄は、早く熱のために葉を焦し、その幹は傾きて、首を垂れ憐を乞ふ如くなり。衆人の中なる淳樸(じゆんぼく)なる民等が眼は、その發落(なりゆき)いかならんとこの尊き神像に注げり。幹は愈々曲り低(た)れて、今や聖母のおほん裳裾と火の流との閒數尺となりぬ。忽ち我が立てる側なるフランチスクス派の一僧ありて、もろ手高くさし上げて叫べり。 「聖母は火に燒かれ給はんとす。汝等を永劫不滅の火焔の中より救ひ給ふ聖母なるぞ。早や助け出さずや」 といふ。 衆人は皆震慄して一步退き、畏怖の眼を睜(みは)りて、次第に撓む梢頭の尊像を仰げり。一人の女房あり。口に聖母の御名を唱へつゝ、走りて火に赴きて死せんとす。爾時(そのとき)僅に數尺を剩(あま)したる烈火の壁面と女房との閒に、馬を躍らして騎り入りたる一士官あり。手に白刄を拔き持ちてかの女房を逐ひ郤(しりぞ)け、大音に呼びけるやう、 「物にや狂ふ。女子、聖母爭(いか)でか汝が援を求めん。聖母は彼拙く彩りたる、罪障深きものゝ手に穢されたる影像の、灰燼となりて滅せんことをこそ願ふなれ」 といふ。 その聲は、ベルナルドオが聲なり。その行は倐忽(しゆくこつ)の閒に一人の命を助けて、その言は俗僧の妄誕(ばうたん)をいましめ得たるなり。われはこの昔の友を敬する念を禁ずること能はずして、運命の我等二人を遠離(とほざ)けしを憾とせり。されど、我胸は高く跳りて、今渠(かれ)に對ひて名告(なの)り合ふことを慾せず、又能はざりき。
舊羈靮(きうきてき)
と呼ぶ聲あり。 我に迫りて手を摻(と)れり。初はわれベルナルドオの己れを認め得たるならんとおもひしが、その面を視るに及びて、そのフアビアニ公子なるを知りぬ。公子はわが昔の恩人の壻(むこ)にして、フランチエスカの君の夫なり。我を以て不義の人となし、我に訣絕(けつぜつ)の書を贈れる人の族(うから)なり。公子、 「こゝにて逢はんとは思ひ掛けざりき。夫人に語らば定めて喜ぶことならん。されどいかなれば夙(はや)く我們(われら)を訪ねんとはせざりし。カステラマレに來てより既に八日になりぬ」 われ、 「君達のこゝに在(いま)すべしとは、毫(すこ)しも思ひ掛けざりき。そが上わが伺候を許し給はんや否やだに知らねば」 公子、 「現にさることありき。おん身は昔にかはる男となりて、婦人のために人と決鬪し、脫走したりとの事なりき。そは我とても好しとは思はず。をぢ君のことば短なる物語にて、その概畧(あらまし)を知りし時は、我等もいたく驚きたり。おん身はをぢ君の書を獲たるならん。その書は優しき書にはあらざりしならん」 といふ。 我はこれを聞きつゝも、むかしの羈靮(きづな)の再び我身に纏るゝを覺えて、只だ恩人に見放されたる不幸なる身の上を侘(かこ)ちぬ。公子は我を慰めがほに、又詞を繼いで云ふやう、 「否々、おん身を見放さんはをぢ君の志にあらず。我車に上りて共に來よ。今宵は妻のために思掛なき客を伴ひ還らんとす。カステラマレは遠くもあらず。旅宿は狹けれど、猶おん身が憩はん程の房はあるべし。をぢ君の性急なるはおん身も兼ねて知れるならずや。この和睦をばわれ誓ひて成し遂ぐべし」 といふ。 我は首を垂れてこの成(たひら)ぎの覺束なかるべきを告げしに、公子は無造作に我詞を打消して、我を延(ひ)きて車の方に往きぬ。 車に乘りてより、公子は我に、 「別後の事を語れ」 と迫りぬ。 わが賊寨(ぞくさい)に入りしことを語るに及びて、公子は面に笑を帶びて、 「そは卽興詩にはあらずや。記憶より出でずして空想より出づるにはあらずや」 といひ、又恩人の絕交書の事を語るに及びて、 「苛酷なり。太(はなは)だ苛酷なり。されど、そはおん身の改悛すべきを期してなり、おん身を愛してなり、おん身はよもや非を遂げて劇場に出でなどはせざりしならん」 といふ。 われは直ちに、 「否、昨晚出でたり」 と答へき。 公子、 「そは實に大膽なる事なりき。結果はいかなりしか」 われ、 「望外なりき。喝采の聲止まずして、幕の外に出でゝ謝すること再びなりき」 公子、 「御身にかゝる成功ありしか。そは責めてもの事なりき。」 此詞は我材能に疑を挾めるものなれば、われはそを聞きて快からずおもひぬ。されど、恩惠の我口を塞げるを奈何せん。われは夫人に會はんことの心苦しさを訴へしに、公子は唯だ戲に、 「そは說法なくては濟まぬならん。されど、說法を聽聞せんもおん身に害あらじ」 と答へぬ。 兎角いふ程に、車は旅店の門に到りぬ。一少年の髮に燒墁(やきごて)當てゝ好き衣着たるが、門前に立てり。公子を迎へて云ふやう、 「フアビアニなるか。好くこそ歸り來たれ。細君は待ち兼ね給へり」 かく云ひつゝ我を視て、 「扨(さて)は新顏の卽興詩人を伴ひ歸りしか。チエンチイといふなるべし。違へりや」 と云ふ。 公子は、 「チエンチイとは」 と我面を顧みたり。 われ、 「そは我が番附に書かせし名なり」 公子、 「然なりしか。そは責めてもの思案なりき」 少年、 「フアビアニ、御身は此人のいかに戀愛を歌ひしを想ひ得るか。昨夜おん身がサン・カルロ座に往かざりしこそ遺憾なれ。めでたき才藝にこそ」 とて、我と握手し、我と相見る喜びを述べ、又フアビアニに向ひて云ふ、 「今宵はおん身に晚餐の馳走を所望すべし。この好謳者(かうおうしや)をおん身等夫婦にて私せんとはせじ」 公子、 「問はるゝまでもなく、おん身は何時にても我方に歡迎せらるゝならずや」 少年、 「さるにてもおん身は、何故に猶我等二人のために紹介の勞を取らずして、互にその名を知ることを得ざらしむるぞ」 公子、 「そはいらぬ禮儀なり。われは熟(よ)く渠(かれ)と相知れり。汝は我友なれば、渠は特(ことさ)らに紹介をば求めざるべし。渠は唯だおん身を知ることを得たるを喜ぶならん」 といふ。 此挨拶は固より我心に慊(あきたら)ねど、われは又恩惠のために口を塞がれたり。少年は我方に向ひぬ。 「さらば、われ自ら我身を紹介すべし。おん身の何人たるは我既に知れり。我名はジエンナロなり。國王陛下の護衞たる一將校なり。(微笑みつゝ)拿破里(ナポリ)の名族にて、世の人は第一に位すとぞいふ。そは僞にもあらざるべし。就中わがをば(伯母)は頗るこれに重きを置けり。おん身の如きを知るは、大いなる幸なり。おん身の才と云ひおん身の吭(のど)と云ひ」 と、猶詞を繼がんとするを、フアビアニは押しとゞめて、 「止めよ止めよ。さる挨拶を受くることは猶不慣なるべし。紹介とやらんも最早濟みたるべければ、夫人の許に往かん、かしこには又和議といふ難關あり。おん身仲裁の煩を避けずば、今の辯舌を殘し置きて其時の用に立てよ」 と云ひつゝ、彼士官と我とを延(ひ)きて、旅店の一閒に進み入りぬ。 われはこの生客(せいかく)の前にて、我身の上の大事を語らるゝを喜ばねど、二人は親しき友なるべければと自ら思ひのどめて、遲れ勝(がち)に跟(したが)ひ行きぬ。 「やうやくにして歸り給ひしよ」 と迎ふるは、久しく面を見ざりしフランチエスカの君なりき。 公子、 「現にやうやくにして歸りぬ。されど二人の賓客を伴へり」 夫人は一聲 「アントニオ」 と云ひしが、忽又調子を更へて、 「アントニオ君(ぎみ)」 と云ひつゝ、その嚴かに落つきたる目を擧げて、夫と我とを見くらべたり。 われは身を僂(かゞ)めてその手に接吻せんとせしに、夫人は我を顧みず、手をジエンナロにさし伸べて、晚餐の友を得たる喜を述べ、夫に向ひて、 「ヱズヰオの爆發はいかなりし、熔巖はいづ方へ流れんとする」 など問ひぬ。 公子は畧(ほ)ぼ見しところを語りて、我等の邂逅の事に及び、 「今は客として伴ひたれば昔の事を責め給ふな」 と云へり。 ジエンナロ、 「然なり。此人いかなる罪を犯しゝか知らず。されど天才には何事をも許さるべきならずや」 夫人は纔(わづか)に面を和(やはら)げて我に會釋しつゝジエンナロに對ひて云ふやう、 「君のいつも面白げに見え給ふことよ。犯しゝ科(とが)もあらねば、免(ゆる)すべき筋の事もなし。けふは何の新しき事を齎(もたら)し給ふ。佛蘭西(フランス)新聞には何の記事かありし。昨夜はいづくにてか時を過し給ひし」 と問ひぬ。 ジエンナロ、 「新聞には珍らしき事も候はず。昨夜は劇場にまゐりぬ。『セヰルラの剃手(とこや)』の僅に末齣(まつせつ)を餘したる頃なりき。ジヨゼフイインはまことに天使の如く歌ひしが、一たびアヌンチヤタを聞きし耳には、猶飽かぬ節のみぞ多かりし。さはいへ我が往きしは彼曲のためにはあらず。卽興詩を聞かんとてなりき」 夫人、 「その卽興詩人は君の心に協(かな)ひしか」 ジエンナロ、 「わが期する所の上に出でたり。否、衆人の期せし所の上に出でたり。我は諛(へつら)はんことを慾せず。又藝術は我等の批評もて輕重すべきものにあらず。されど我は夫人に告げんとす。夫人よ、渠(かれ)の卽興詩をいかなる者とか思ひ給ふ。謳者(うたひて)の人物はその詩中に活動して、滿場の客はこれが爲めに魅せらるゝ如くなりき。何等の情ぞ。何等の空想ぞ。題には『タツソオ』あり、『サツフオオ』あり、『地下窟』ありき。篇々皆書卷に印して、不朽に垂(た)るとも可なるやう思ひ候ひぬ」 夫人、 「そは珍らしき才ある人なるべし。きのふ往きて聽かざりしこそ口惜しけれ」 ジエンナロ、(我方を見て) 「夫人は其詩人の今宵の客なるをば、まだ知らでやおはせし」 夫人、 「さてはアントニオなりとか。舞臺にまで上りて、卽興詩を歌ひしとか」 ジエンナロ、 「然なり。その歌は舞臺の上にも珍らしき出來なりき。されど夫人は舊く相識り給ふことなれば、定めて屡々その技倆を試み給ひしならん」 夫人、(ほゝ笑みつゝ) 「まことに屡々聞きたり。まだ童なりし頃より、アントニオが技倆をば讚め居りしなり」 公子、 「その時われは早く桂の冠をさへ戴かせたり。夫人は處女なりしとき其卽興詩の題となりぬ。されど今は食卓に就くべき時なり」 ジエンナロ、 「おん身はフランチエスカを伴ひ往け。われは外に婦人なければ卽興詩人を伴はん。いざ、アントニオ君、手を攜(たづさ)へて往かん」 と、戲れつゝ我を導けり。 ジエンナロ、 「さるにても、フアビアニ、おん身は何故我に一たびもチエンチイの事を語らざりしぞ」 公子、 「我家にてはアントニオと呼びならへり。その卽興詩人となれるを夢にだに知らねばこそ、前(さき)の和睦の一段は生じたるなれ。アントニオは言はゞ我家の子なり。アントニオ、然にはあらずや」 (我は公子を仰ぎ視て會釋せり。) 「アントニオは好き人物なり。唯だ物學ぶことを嫌へり」 ジエンナロ、 「渠(かれ)は既に萬物を師とする詩人なり。いかなれば强ひて書を讀ませんとはし給ひし」 夫人、(戲の調子にて) 「餘りに讚めちぎり給ふな。我等が渠の机に對ひて數學理學に思を覃(ふか)むるを期せし時、渠は拿破里(ナポリ)の女優に懸想してうはの空なりしなり」 ジエンナロ、 「そは多情多恨なる證なるべし。女優とはいかなる美人なりしぞ。その名をば何とかいひし」 夫人、 「アヌンチヤタとて人柄も技倆も共に優れし女なりき」 ジエンナロ、(盃を擧げて) 「アヌンチヤタは我も迷ひし一人なり。そは好趣味ありと謂ふべし。さらば、卽興詩人の君、アヌンチヤタの健康を祝して一杯(ひとつき)を傾けてん」 (我は苦痛を忍びて盞(さかづき)を碰(うちあは)せたり。) 夫人、 「そも一わたりの迷にあらず。議官(セナトオレ)の甥と鞘當(さやあて)して、敵手(あひて)には痍(きず)を負はせたれど、不思議にその場を遁れ得たり。かくてこたびサン・カルロ座には出でしなり。アントニオをば舊く知りたれども、その大膽なることかくまでならんとは、我等も思ひ掛けざりき」 ジエンナロ、 「その議官の甥と宣ふは、近頃こゝに來て禁軍(このゑ)の指揮官となりし男ならん。我も前(さき)の夜出逢ひしが、才氣ある好男子と思はれたり。想ふに情夫先づ來りて、アヌンチヤタも繼(つ)いで至るにはあらずや。此推測にして差(たが)はずば、拿破里はアヌンチヤタが最後の興行とその合巹(がふきん)の禮とを見るならん」 夫人、 「禁軍の將校たるものゝ爭(いか)でか歌妓を娶(めと)るべき。そは家を汚すに當るべければ」 われ、(震ふ聲をえも隱さで) 「名士の妻を藝術界に求めて、幸福と名譽とを得たるは、その例(ためし)ありとこそ思ひ候へ。」 夫人、 「幸福は或は有らん。名譽は有るべきやうなし」 ジエンナロ、 「否、おん身に忤(さか)ふには似たれど、己れなどはアヌンチヤタを得ば、名譽此上なしとおもへり。されば人も然(しか)ならんとおもふなり。そは兎まれ角まれ、アントニオの君、今宵の卽興を聞せ給へ。夫人は君がために好き題を撰み給ふべければ」 夫人、 「そは撰むまでもなし。ジエンナロの好むところにしてアントニオの能くするところといはゞ、題は『戀愛』と定まり居るならずや」 ジエンナロ、 「善くこそ宣ひたれ。その『戀愛』と『アヌンチヤタ』とを題とせん」 われ、 「又の日にはいかなる題をも辭(いな)まざるべし。今宵のみは免し給へ。心地も常ならぬやうなり。外套着ずして汐風を受け、直ちに火山の熱さに逢ひ、歸るさの車にて又涼風に觸れし故にや」 公子、 「アントニオも早や技藝家の自重といふことを覺えたりと見えたり。今宵は免すべければ、明日(あす)は共にペスツムに往け。かしこには詩料あり。こも亦拿破里におん身が自重を示す手段なるべし」 (我はえ辭(いな)まで會釋せり。) ジエンナロ、 「好し。渠(かれ)を伴ひて行かん。渠一たび希臘廢祠の中に立たば、神來の興忽ち動きて、古のピンダロスを欺く詩を得るならん。公子明日より四日の旅路なり。歸るさにはアマルフイイとカプリとを見んとす」 夫人。、 「旅の事をば猶明朝かたらふべし」 夫人先づ起ちて我等は卓を離れ、我は始て夫人の手に接吻することを得たり。公子は今夜書を作りてをぢに寄せ、我がために地をなさんと云ひぬ。ジエンナロは打ち戲れて、 「我はアヌンチヤタを夢にだに見ん。夢なれば決鬪を求むる人はあらじ」 と云ひて別れぬ。 われ若しこの遊を辭(いな)みなば、我生涯の運命はこゝに一變したるならん。後に思へば、此遊の四日は我少壯時代の六星霜を奪ひ去りたるなりき。誰か人閒を自由なりと謂ふ。いかにも我は、目前に張りたる交錯せる綱を擇(えら)み引くことを得べし。されど我はその綱のいづれの處に結ばれたるを知るに由なし。我は恩人の勸に會ひて諾(う)と曰ひたり。こは我生涯の未來の幾齣のために、舞臺の幕を緊(きび)しく閉づべき綱なりしを奈何せん。已みぬるかな。 われは數行の書をフエデリゴに寄せて、この思掛(おもひがけ)なき邂逅と小旅行とを報ぜんとす。こを寫し畢りしとき、我胸には種々の情の羣り起るを覺えき。さても此夕の事多かりしことよ。 サンタが道ならぬ戀、ベルナルドオの再び逢ひて名告(なの)り合はざる、恩人にめぐりあひての後の境遇、彼といひ此といひ、此身は風のまにまに弄ばるる一片の木葉にも譬へつべき心地ぞする。きのふは緣なくゆかりなき公衆の喝采を得て、けふは世に稀なるべき美人のわが優しき一言を希(ねが)ひ求むるに逢ふも我なり。忽ち舊誼の絲に手繰(たぐ)り寄せられて、一餐(さん)の惠に頭を垂れ、再び素(もと)のカムパニアの孤となるも我なり。 恩人夫婦はわが昔の罪を宥(ゆる)して我を食卓に列(つらな)らしめ、我を遊山(ゆさん)に伴はんとす。豈(あに)慈愛に非ざらんや。唯だ富人の手に任せて輕く投卑(とうひ)するときは、その賚(たまもの)は貧人心上の重荷となるを奈何せん。
第6章 素(も)とわれは山水の語ることを得べきや否やを疑ふものなり。山水の全景は一齊に人目を襲ふ。而るにこれを筆舌に上(のぼ)すときは、語を累ねて句を作し、句を積みて章を作し、一の零碎の景に接するに他の零碎の景を以てす。譬(たと)へば寄木細工の如し。いかなる能辯能文の士なりとも、その描寫遺憾なきことを得ざらん。そが上に我が臚列(ろれつ)する所の許多の小景は、われ自らこれを前後左右に排置して寄木の如くならしむるに由なし。その排置の如きは、一に聽者讀者の空想に委ぬ。是に於いてや、我が說く所の唯一の全景は、人々の心鏡に映じて千樣萬態窮極することなし。且人をして面貌(をもばせ)を語らしめて聽け。目は此の如し、鼻は此の如しと云はんも、到底これに緣(よ)りて其眞相を想像するに由なからん。唯だ君の識る所の某に似たりと云ふに至りて、僅にこれを彷彿すべきのみ。山水を談ずるも亦復是(かく)の如し。 人ありて我にヘスペリアの好景を歌へと曰(い)はゞ、我は此遊の見る所を以てこれに應(こた)ふるならん。而して聽者のその空想の力を殫(つく)して自ら描出する所のものは、竟(つひ)にわが目擊せし所の美に及ばざるなるべし。蓋し自然の空想圖は逈(はるか)に人閒の空想圖の上にあるものなればなり。 カステラマレを發せしは天氣めでたき日の朝なりき。これを憶(おも)へば烟立つヱズヰオの巓、露けく緑深き葡萄の蔓の木々の梢より梢へと纏ひ懸れる美しき谿閒、或は苔を被れる岩壁の上に顯れ或は濃き橄欖(オリワ)の林に遮られたる白堊の城砦など、皆猶目前に在る心地ぞする、穹窿あり大理石柱ある竈女(ヘスチア)の祠の、今や聖母の堂となりたる(マドンナ・サンタ・マリア)は、古を好む人の心を留むべき遺蹟なり。一壁崩壞して、枯髏(ころ)殘骨の露呈せる處に、葡萄の覃(は)ひ來りて、半ばそを覆ひたるは、心ありてこの悲慘の景を見せじとするにやとさへ思はれたり。 我目前には猶突兀(とつこつ)たる山骨の立てるあり。物寂しく獨り聳えたる塔の尖に水鳥の羣立(むらた)ち來らんを候(うかゞ)ひて網を張りたるあり。脚底の波打際を見おろせばサレルノの市(まち)の人家碁子(きし)の如く列(つらな)れり。而して會々(たまたま)その街を過ぐる一行ありしがために、此一寰區(くわんく)は特に明かなる印象を我心裡に留むることを得たり。角極(きはめ)て長き二頭の白牛一車を輓(ひ)けり。車上には山賊四人を縳して載せたるが、その眼は猛獸の如く、炯々(けいけい)として人を射る。瞳黑く貌(かほ)美しきカラブリア人あり。銃を負ひて、車の兩邊を騎行せり。 旅の初一日の宿をばサレルノと定めたり。この中古學問の淵叢(えんそう)たる市に近づくとき、ジエンナロのいふやう、 「縑帛(けんぱく)は黃變(わうへん)すべし。サレルノ騷壇の光は今既に滅せり。されど自然といふ大著述は歲ごとに鏤梓(るし)せらる。豫はアントニオと同じく、師とするところ此に在りて彼に在らず」 といふ。 われ答へて、 「自然固(もと)より師とすべし、只だ書册も亦未だ棄つべからず、譬へば酒飯の竝びに廢すべからざるが如し」 といひしに、フランチエスカの君は我言を 「是なり」 とし給ひぬ。 此時フアビアニ公子傍(かたはら)より、 「アントニオよ、言ふは易く行ふは難きものぞ、羅馬に歸りての後は、その詞の僞ならぬを明にせよ」 といふ。 羅馬の一語は我が思ひ掛けざるところなりき。我は心の中に、復た羅馬には往かじと誓ひながら、詞に出して爭はんとはせざりき。 公子は更に語を繼ぎてさまざまの事をいひ出で、人々のこれに答へなどするひまに一行は早くサレルノに到りぬ。我等は先づ一寺院に入りたり。ジエンナロ進み出でゝいふやう、 「こゝにてはわれ案内者たることを得べし。これはサレルノにてみまかり給ひし法皇グレゴリヨ七世(獨帝と爭ひて位を逐はれ、千八十五年此に終りぬ。)の遺骨を收めし龕(ほくら)なり。その大理石像はかしこなる贄卓(したく)の上に立てり。さてこの石棺は歷山(アレキサンドル)大帝の遺骸を藏(をさ)む」 といふ。 公子、 「何とかいふ、歷山大帝の躯(むくろ)こゝにありとや」 ジエンナロ、 「我が聞きしは然なりき。さにはあらずや」 と寺僮(じだう)を顧みれば、 「まことに仰の如し」 と答ふ。 われ、つらつら棺を見て、 「否、そは誤りなるべし。歷山大帝の躯こゝに在りといはんは、歷史を蔑(ないがしろ)にするに近し。この浮彫の圖樣は大帝凱旋の行列なれば、かゝる誤を傳へしにや。見給へ。かしこなる寺門に近き處にもこれに似たる石棺ありて、その圖樣は酒神(バツコス)の行列なり、彼棺は素(も)とペスツムに在りしを、こゝに移してサレルノの一貴人の永眠の處となし、その石像をば傍に立てたり。此類(このたぐひ)の棺槨(くわんくわく)いと多し、大帝の事を圖したりとて其屍を藏(をさ)むとは定め難し」 といふ。 ジエンナロは唯だ冷かに、 「現にさることあらんも計られず」 とのみ答へしに、フランチエスカの君我耳に付きて、 「自ら怜悧(さかし)がりて人を屈するは惡しき習(ならひ)ぞ」 と宣(のたま)ふ。 我は頭を低(た)れて人々の後(しりへ)に退きぬ。 晚鐘の鳴る頃、公子とジエンナロとは散步にとて出で、我は夫人に侍して客舍の軒に坐し居たり。海づらは乳(ち)の如き白色に見え、熔巖石を敷きたる街路より薔薇紅にかゞやける地平線のあたりまで、いと廣やかに晴れ渡り、波打際は藍色にきらめけり。かゝる色彩の配合は羅馬の無きところなり。われ、 「めでたき彩繪(いろゑ)には候はずや」 と云へば、夫人、 「見よ。雲は今フエリチツシイマ・ノツテ(幸ある夜を祈る)を言ふ時ぞ」 と山嶽の方を指ざし給ふ。 橄欖(オリワ)の林に隱顯せる富人の別業(べつげふ)の邊よりは逈(はるか)に高く、二塔の巓を摩する古城よりは又逈に低く、一叢(ひとむら)の雲は山腹に棚引きたり。われ、 「彼雲の中に棲みて、大海の潮(しほ)の漲落(みちひ)を觀ばや」 夫人、 「さなり。かしこに住みて即興詩を吟ぜよ。唯だ聽くものなきが恨なるべし」 われ、 「のたまふ如く、其恨は思ひ棄て難し。詩人の喝采を受くるは草木の日光を受くると同じ。囹圄(ひとや)のタツソオが身を害(そこな)ひしは、獨り戀路の關を据ゑられしが爲めのみにあらず。その詩の爲めに知音(ちいん)を得ざるを恨みしが爲めなり」 夫人、 「われは今おん身が上を語れり。タツソオが事を言はず」 われ、 「タツソオは詩人なり。されば好き例(ためし)と思ひて引き出でしまでに候ふ」 夫人、 「アントニオよ、さてはおん身は自ら詩人なりと許す心あるにやあらん。我上を語らんときは、不朽の業ある人の名をば呼ばぬぞ好き。おん身は物に感動し易き情ありて、又能くさる情を解するより、直ちに己れの詩人たるを信ぜんとするならん。そは世閒幾多の人の具ふる所にして、又能くする所なり。これに惑ひて徒らに思ひ上がりなどせば、生涯の不幸となるべきものぞ」 といふ。 われは面の火の如くなれるを覺えて、 「仰せはさる事ながら、わが自ら深く信ずるところをば包まで申すを聞き給へ、サン・カルロ座なる數千の客は我に何の由緣(ゆかり)もなきに、口を齊(ひとし)うして喝采したり。われは惠深き君の我喜を分ち給はんことを忖(はか)りしに」 と答へたり。 夫人、 「おん身の友は多かるべし。されどまことにおん身の喜を分たんもの、我が如きは少からん。おん身の情に厚きこと、心ざまの卑からぬことは、我等よく知りたり。さればこそをぢ君の御腹立をも申解(まうしと)かばやとさへ思ふなれ。おん身には好き稟賦(ひんぷ)あり。學ばゞ一廉(ひとかど)の人物ともなるらん。されど今の儘にては、その才僅かに坐客の耳を悅ばしむるに足りて、未だ世に立ち名を成さんには遑(いとま)あらざるべし」 われ、 「才の拙く學の足らざるは、げにおん詞の如くなり。されどわが公衆に對せし時の成功をば、君の親しく視給はねば知らせ參らせんやうなし。只だ君の信ぜさせ給ふと覺しきジエンナロの君は彼夕劇場にありて、我技を賞し給ひきと申さば足りなん」 夫人、 「おん身はジエンナロを證人とせんとやいふ。ジエンナロは好き紳士なれど、われは其藝術上の批評には重きを置かず。劇場に集ひし一夜の公衆に至りては、いよいよ信ずべからず。おん身若し彼夕もろひとに辱められんには、われ深く憾とすべし。その事なくして畢りしは、まことに自他の幸なり。おん身が場に上りしは唯だ一夜にして、假名(けみやう)をさへ用ゐぬれば、かゝる夢の如きよしなしごとの久しく人の記憶に殘らん憂はあらじ。三日の後には我等又拿破里に在り。そのあくる日には羅馬へ旅立すべし。羅馬に往きて、おん身の耐忍と勉勵とを見せよ。おん身に眞(まこと)の事を告ぐるは我のみぞ」 とのたまひぬ。
古祠(ふるほこら)
道の左右には柑子(かうじ)の林ありて、その鬱茂せる狀は深山の森にも似たるべし。セラの流を渡るときは、垂柳月桂(ラウレオ)の澄める水の面に影を倒せるを見き。荒蕪せる丘陵の閒、時に榖(たなつもの)の長ぜる田圃あり。道に沿ひて蘆薈(ろくわい、アロエ)霸王樹(サボテン)など野生したるが、皆ところ得がほに延び育ちたり。 既にして一行は一古祠の前に立てり。即ち二千年前の建立にして、その樣式希臘(ギリシア)時代の粹と稱せらる。この祠、見苦しき酒店一軒、貧しげなる人家三棟、籘もて作れる小屋三つ四つ。是れ世界に名高きペスツムの村なり。いにしへは此村薔薇(さうび)に名あり。見渡す限り紅の霞に掩はれたりし由(よし)物に見えたれども、今は一株をだに留めず。身邊渾(すべ)て是れ緑にして、其色遙に山嶽に連(つらな)れり。平地には菫花(すみれ)多く、薊その外の雜草の閒に咲きひろごりたり。自然の力餘(あまり)ありて人閒の工(たくみ)を加へざる處なれば、草といふ草、木といふ木、おのがじし生ひ榮ゆるが中に、蘆薈、無花果(いちじゆく)、色紅なるピユレトルム、インヂクムなどの枝葉さしかはしたる、殊に目ざましくぞ覺えられし。 シチリアの自然、その豐饒(ほうねう)の一面と荒蕪の一面とはこゝにあり。シチリアの希臘古祠はこゝにあり。而してシチリアの貧窶(ひんく)もまたこゝにあり。一行のめぐりには一羣の乞丐(かたゐ)來り集ひたり。その狀南海諸島の蕃人にも似たるべし。男子は長き羊の皮を、毛を表にして身に纏へり。暗褐色なる雙脚には靴を穿かず、剪(き)らざる髮は黑き面の邊に飜り垂れたり。妬(ねた)ましき迄に直(すぐ)に美しく生ひ立ちたる娘たちのこれに隨へるを見るに、そのさま半ば赤はだかなりといふべし。膝の上まで截(き)り開きたる短衣は裂け綻(ほころ)び、鬆(ゆる)く肩に纏へる外套めきたる褐色(かちいろ)の布は垢つきよごれ、長き黑髮をば項(うなじ)に束ね、美しき目よりは恐ろしき光を放てり。
瞽女(ごぜ)
この少女は少し羣を離れて立てり。褐(かち)色なる方巾(はうきん)偏肩(へんけん)より垂れたるが、巾(きれ)を纏はざる方の胸と臂(ひぢ)とは悉く現はれたり。雙脚には何物をも着けざりき。かくはかなき身と生れても、流石に粧(よそほ)ひ飾る心をば持ちたるにや、髮平かに結ひ上げて、一束の菫花(すみれ)を揷せるが、額の上に垂れ掛れり。われその容を窺ふに、羞慙(しうざん)あり、慧巧(けいかう)あり。而して別に一種言ふべからざる憂愁の色を帶びたる如くなりき。唯だその雙眸は恆に地上に注ぎて、人の面を見んことを恐るゝものゝ如し。 口々に物乞ふ中に、この少女のみは一言をだに發せざりき。ジエンナロ先づ進み寄りてこれに錢を與へ、手を頤(おとがひ)の下に掛けて、 「此羣には惜しき佳き兒ぞ」 といふ。 公子夫婦も、 「まことに然なり」 といひぬ。 われは少女の面の紅を潮するをみたり。少女は目を開けり。而してわれ始てその瞽(めしひ)なるを知りぬ。 われは同じくこれに物を贈らんと慾して敢てせざりき。既にして人々は乞丐(かたゐ)の羣に窘(くるし)められて、酒店の軒に避けたれば、獨り立ち戾りて、盾銀(たてぎん)一つ握らせたり。盲人の敏き習として、少女はその常の錢ならぬを知りたるなるべし、顏は燃ゆる如くなりて、その健かに美しき唇は我手背に觸れたり。われはその接吻の渾身の血に浸(し)み渡る心地して、遽(あわたゞ)しく我手を引き退け、酒店の軒に馳せ入りぬ。 酒店は只だ一室ありて、大いなる竈(かまど)殆どその全幅を占めたり。惜しげもなく投げ入れたる薪は盛に燃えあがりて、烟は岫(くきみね)を出づる雲の如く、騰(のぼ)りて黑みたる仰塵(てんぜう)に至り、更に又出口を求めて室内をさまよへり。主人の蔭多き大柳樹の下にありて、誂(あつら)へし朝餉の支度する閒に、我等はこの烟煤(えんばい)の窟を逭(のが)れ、古祠(ふるほこら)を見に往くことゝしたり。委它(いだ)たる細徑は荊榛(けいしん)の閒に通ぜり。公子とジエンナロとは手を組み合せて、フランチエスカはこれに腰掛けつゝ舁(か)かれ行く。 「漫步(そゞろありき)には似つかはしからぬ恐ろしき道かな」 と夫人笑みつゝ云へば、案内者の一人、 「さのたまへど、三とせの前迄は此道全く棘(いばら)に塞がれたりき。又己れが幼き頃社(やしろ)の圓柱のめぐりに、砂土堆(うづたか)く積もり居しを記え居り候ふ」 と答ふ。 案内者は皆この詞の誤らざるを證せり。一行の後には、さきの乞丐(かたゐ)の羣猶隨ひ來り、皆目を睜(みは)りて我等を打目守れり。若しわれ等にしてふとその一人の面を見ることあるときは、その手は忽ち賜を受くるがために伸べられ、その口は忽ち「ミゼラビレ」(憐を乞ふ語。)を唱へ出すなり。瞽女(ごぜ)はいづち往きけん見えず。われはあはれなる少女の、獨りいかなる道の邊(べ)に蹲(うづくま)り居るかを思ひ遣りぬ。 我等は一の劇場と一の平和神祠との迹なる斷礎の上を登り行きぬ。ジエンナロ人々を顧みて、 「あはれ平和と演劇との二つのもの、いかなればかく迄相親むことを得たるぞ』 と云ふ。 (劇場の徒の多く相嫉視するを諷するにや。) 我等は海神(ポセイドン)祠の前に立てり。世にはこれを「バジリカ」とぞいふ。近き頃、彼ポムペイの古市と同じく、闇黑の裡より出でゝ人の遺忘を喚び醒したるものは、此祠と榖神祠(デメエテル)となり。 この祠の荊棘(けいきよく)に鎖され、土石に埋められたること幾百年ぞ。幸に外國の一畫師ありてこゝを過ぎ、柱尖の僅に露出せるを見、その美を喜びて寫し歸りしより、世の人こゝに注目し、終に棘を刈り土を掘りて、此の宏壯なる柱堂の、新に落(らく)せるものゝ如く、耽古者流の愛で翫(もてあそ)ぶところとなるには至りしなり。圓柱は黃なるトラヱルチイノ石もて作られたり。 (相待上新しき地層の石にして、石灰分ある溫泉の鹽類の凝りて生ずる所なり。) 無花果樹(いちじゆく)はその匝(めぐり)に枝さしかはし、野生の葡萄は柱頭迄攀ぢ上り、石質の罅隙(かげき)を生じたる處には、菫花の紫と「マチオラ」の紅とを見る。 我等は倒れたる一圓柱の趺(ふ)の上に踞したり。ジエンナロの力に賴りて、乞兒(かたゐ)の羣を逐ひ拂ふことを得たりしかば、我等の心靜に四邊の風景を玩(もてあそ)ぶには、復た何の妨もあらざりき。山の姿、海の色、この古神祠の頽敗の狀など、一として我情を動さゞるものなし。公子、 「今こそは我等がために一篇の即興詩を作すことを辭せざるならめ」 と問ひ掛け給へば、夫人も頷きて同じ心を表し給ふ。 われは柱を背にして立ち、少時記せしところの一歌謠の調を借りて、目前の景を歌ひ出せり。 「山水の美、古藝術のすぐれたる遺蹟を見るにつけ、哀なるはかの目しひたる少女の上にぞある。この自然の無盡藏は誰も受くべき賜なるに、少女はそをだに受くることを得ず」といふ。 是れ我一曲の主なる着想なりき。歌闋(をは)る比(ころほ)ひには、われ聲淚共に下るを禁ずること能はざりき。ジエンナロは手を拍(う)ちて激賞し、公子夫妻はわが多少の情あるを認諾せり。 人々は石級を下りぬ。われはこれに從はんと慾して、ふと頭(かうべ)を囘(めぐ)らしゝに、我が倚りたりし柱の背後に、身を薰高き「ミユルツス」の叢(そう)に埋めて、もろ手を項(うなじ)に組み合せたる人あるを見き。而してそはかの目しひたる少女なりき。われはこの哀むべき少女の我歌を聞きしを知りぬ、我がその限なき不幸を歌ふを聞きしを知りぬ。餘りの便(びん)なさに、身を僂(かゞ)めてさし覗けば、袖は梢に觸れてさやさやと鳴り、少女はさとくも頭を擡(もた)げつ。われは思做(おもひなし)にや、その面の色のさきより蒼きを覺えたるが、少女を驚さんことのいとほしくて、身を動すことを敢てせざりき。少女は暫し耳を欹(そばだ)てゝ、 「アンジエロにや」 と呼びぬ。 われは覺えず屏息(へいそく)せり。少女は又俯(うつむ)きて坐せり。前(さき)にアヌンチヤタの我に語りし希臘の神女も、石彫の像なれば瞻視(せんし)をば闕(か)きたるべし。今我が見るところは殆ど全くこれに契(あ)へりとやいふべき。少女は祠の礎に腰掛けて、身を無花果樹とミユルツスとの裡に埋め、手に一物を取りてこれを朱唇に宛て、面に微笑を湛へたり。何ぞ料(はか)らん、その物は我が與へしところの盾銀ならんとは。 我情はこれに動かされて耐へ忍ぶべからざるに至りぬ。我は再び身を僂(かゞ)めて少女の額に接吻せり。少女は、 「あなや」 と叫び、物に驚きたる牝鹿の如く、瞬く隙に馳せ去りぬ。 その叫びし聲は我骨髓に徹し、その遽(あわたゞ)しく奔り去りし狀は我心魂を奪ひ、われは身邊の柱楹(ちゆうえい)草木悉く旋轉(せんてん)するを覺えて、何故ともなく馳せ出し、荊莽(けいぼう)の上を踏みしだきつゝ徐かに步める人々を追ひ越し行きぬ。 「アントニオ、アントニオ」 と呼ぶ公子の聲逈(はるか)なる後に聞えて、我は始て我にかへりぬ。 「兎をや獵(かり)せんとする、否(さら)ずば、天馬空を行くとかいふ詩想の象徵をや示さんとする」 と公子語を繼いで云へば、ジエンナロ、 「否、われ等の踌步(きほ)に蹇(なや)める處を、渠(かれ)は能く飛行すと誇るなるべし、いざ我が濟勝(さいしよう)の具の渠に劣らぬを證せん」 とて、我傍に引き傍(そ)うて走り出しぬ。公子後(しりへ)より、 「汝等は我が夫人の手を拉きて同じ戲をなすことを要(もと)むるにや」 といふとき、ジエンナロは直に步を駐(とゞ)めたり。 酒店に歸り着きし後は、瞽女(ごぜ)は影だに見えざりき。その叫びし聲の猶絕閒なく耳に聞ゆるを、怪しとおもひてつくづく聽けば、そは我心跳(しんてう)のかく聞做(きゝな)さるゝにぞありける。嗚呼卑むべきは我心にもあるかな。少女が胸中の苦を永言(えいげん)して、これをして深く生涯の不幸を感ぜしめ、終にはその額に接吻して驚かしたるは何事ぞや。そが上にかの接吻は我が婦女に與へたる第一の接吻なり。少女の貧しきを侮り、その目しひたるを奇貨として、我は我が未だ嘗て敢てせざりしところのものを敢てしたり。我はベルナルドオを輕佻(けいてう)なりとせり。而るに我が爲すところも亦此の如し。現に塵の世に生れたる人、誰か罪業なきことを得ん。いかなれば我は自ら待つことの寬(ゆる)くして、人を責むることの酷なりしぞ。われ若し再び瞽女に逢はば唯だ地上に跪いてこれに謝せん。 一行は車に上りてサレルノに歸らんとす。我は心に今一度瞽女を見んことを願ひしが、人に問ふことを憚りたり。忽ちジエンナロの案内者を顧みて、 「さるにても彼の目しひたる娘はいかにしたる」 と問ふを聞く。 案内者の一人答へて、 「ララが事にて候ふや。海神(ポセイドン)祠のほとりにやあるらん。常に彼處にあることを好めば」 といふ。 ジエンナロはベルラ・ヂヰナ(神々しきまで美しき子よとなり)と呼びて、手もて接吻の眞似したり。車は動き出しぬ。 さては彼子の名をば「ララ」といふとこそ覺ゆれ。われは馭者と脊中合せに乘りたれば、古祠の柱列のやうやく遠ざかりゆくを見やりつゝ、耳には猶少女の叫びし聲を聞きて、限なき心の苦しさを忍び居たり。 路傍にチンガニイ族の一羣あり。火を溝渠(こうきよ)の中に焚きて食を調(とゝの)へたり。手に小鼓(タムブリノ)を把りて、我等を要して卜筮(ぼくぜい)せんとしつれど、馭者は馬に策(むちう)ちて進み行きぬ。黑き瞳子(ひとみ)の睒電(せんでん)の如き少女二人、暫し飛ぶが如くに車の迹を追ひ來りしが、ジエンナロはこれをも美しと愛で稱へき。されどララの氣高きには比ぶべうもあらざりき。 夕にサレルノに還りぬ。明日はアマルフイイに往きて、それよりカプリに𢌞りて還らんとなり。公子の宣給ふやう、 「拿破里に還らば、留まることは一日にして羅馬へ立たんとぞ思ふ。アントニオが準備も暇取ることはあらじ」 と宣給ふ。 われは羅馬に往くことを願はねど、例の恩誼に口を塞がれて、僅かに、 「老公のおほん憤(いきどほり)の氣遣はれて」 とのみ云ひしに、 「そはわれ等申し解くべし」 と答へて我に詞を繼がしめ給はず。兎角する程に、賓客のおとづれ來て、會話はこゝに絕え、我不幸なる運命もまた定まりぬ。
第7章 (マサニエルロは十七世紀の一揆の首領なり。オベエルが樂曲の主人公たるを以て人口に膾炙す。フラヰオ・ジヨオヤは羅針盤を創作せし人なり。) 伊太利に名どころ多しと雖(いへども)、このアマルフイイの右に出づるもの少かるべし。われは天下の人のことごとくこれを賞することを得ざるを憾とす。此地は廣袤(くわうばう)幾里の閒、四時(しいじ)春なる芳園にして、其中央なる石級上にアマルフイイの市(まち)あり。西北の風絕て至ることなければ、寒さといふものを知らず。風は必ず東南より起り、棕櫚(しゆろ)橘柚(オレンジ)の氣を帶びて、淸波を涉り來るなり。 市の層疊して高く聳ゆる狀は、戲園の觀棚(さじき)の如く、その白壁の人家は皆東國の制(おきて)に從ひて平屋根なり。家ある處を踰えて上り、山腹に逼(せま)るものは葡萄丘なり。山上には堞壁(てふへき)もて繞(めぐ)らされたる古城ありて雲を撐(さゝ)ふる柱をなし、その傍には一株の「ピニヨロ」樹の碧空を摩して立てるあり。 舟の着く處は遠淺なれば、舟人は我等を負ひて岸に上らしめたり。岸には岩窟多くして、水に浸されたると否(あら)ざるとあり。小舟三つ四つ水なき處に引上げたるを、好き遊びどころにして、子供あまた集へり。身に挂(か)けたるは、大抵襦袢一枚のみにて、唯だ稀に短き中單(チヨキ)を襲ねたるが雜(まじ)れり。「ラツツアロオネ」といふ賤民(立坊(たちんばう)抔(など)の類。)の裸裎(らてい)なるが煖き沙(すな)に身を埋めて午睡せるあり。その常に戴ける褐(かち)色の帽は耳を隱すまで深く引き下げられたり。寺院の鐘は鳴り渡れり。紫衣の若僧の一行あり。頌(じゆ)を唱へて過ぐ。捧ぐる所の磔像(たくざう)には、新に摘みたる花の環を懸けたり。 市の上なる山の左手に、深き洞穴に隣れる美しき大僧堂あり。今は外人(よそびと)の旅館となりて、凡そこゝに來らん程のもの一人としてこれに投ぜざるはなし。夫人をば輿(こし)に載せて舁(か)かせ、我等はこれに隨ひて深く巖に截(き)り込みたる徑(こみち)を進みぬ。下には淸き蒼海を瞰(み)る。一行は僧堂の前に留りぬ。内暗き洞穴は我等に向ひて其腭(あぎと)を開けり。穴の裏(うち)には十字架三基ありて、耶蘇と二賊との像これに懸り、巖上には彩衣を着て大いなる白き翼を負ひたる數人の天使跪けり。皆美術品などいふべき限のものにはあらず、木もて彫り斑(まだら)にいろどりたるまでなり。されど信仰の溫き情は影を此拙作の上に留めて、おのづから美を現ぜり。 小き中庭を步みて宿るべき部屋々々に登り着きぬ。我室の窗より見れば、烟波渺茫(べうばう)として、遠きシチリアのあたりまで只だ一目に見渡さる。地平線の際に、しろかね色したるものゝ點々數ふべきは舟なり。 ジエンナロは我を遊步に誘はんとて來ぬ。 「いかに詩人よ。共に麓のかたに降り行きて、かしこの風景の美のこゝに殊なりや否やを見んとおもはずや。少くも女性の美は麓のかたの優れたること疑ふべからず。こゝの隣房なる英吉利(イギリス)婦人の色蒼ざめて心冷なるは、我が堪ふること能はざる所なり。おん身も女子を見ることをば嫌ひ給はぬならん。恕(ゆる)し給へ、こは我ながらおろかなる問なりき。女子を見ることを嫌ひ給はねばこそ、君はこゝらわたりを彷徨ひて、我は又この邂逅の奇緣を結ぶことを得つるなれ」 斯く戲れつゝ、ジエンナロは我を促し立てゝ石徑を下り行けり。途すがら又いふやう、 「猶忘れ難きは彼の目しひたる娘の美しさなり。拿破里に歸りての後、カラブリア酒誂(あつら)へんをりは、かの娘をも共に取寄せんとぞおもふ。我血を沸き立たしむる功は此も彼に讓らざるべし」 我等は市街に步み入りぬ。アマルフイイの市は裹(つゝ)める貨物(しろもの)をみだりに堆積したる狀をなせり。羅馬なる猶太街(ゲツトオ)の狹きも、これに比べては尚通衢(つうく)大路と稱するに足るならん。こゝの街といふは、まことは家と家との閒に通じ、又は家を貫きて通じたるろぢの類のみ。或るときは狹く長き步廊を行くが如く、左右に小き窗ありて、許多の暗黑なる房に連れり。或るときは巖壁と石垣との閒に、二人竝び步むに堪へざるばかりの道を開けるが、暗くして曲り、濕りて穢(けが)れ、級を登り級を降りて、その窮極するところを知らず。我等はをりをり身の戶外に在るを忘れて、大いなる廢屋の内を彷徨(さまよ)ふ念(おもひ)をなせり。所々燈を懸けて闇を照すを見る。而して山上は日獨り高かるべき時刻なりしなり。 旣にして我等は稍々開豁(かいくわつ)なる處に出でたり。一の石橋あり。こなたの巖端(いははな)よりかなたの巖端に架したり。橋下の辻は市内第一の大逵(ひろこうぢ)なるべし。二少女ありてサタレルロの舞を演せり。貌(かほばせ)めでたく膚褐(かち)いろなる裸裎(らてい)の一童子の、傍に立ちてこれを看るさま、愛(アモオル)の神童に彷彿たり。人の說くを聞くに、この境、寒を知らず、數年前祁寒(きかん)と稱せられしとき、塞暑針は猶八度を指したりといふ。 (寒暑針はレオミユウル式ならん。) 巖頭に小さき塔ありて、美しき入江の景色の、遠く大小二島の邊まで見ゆる處より、蘆薈(ろくわい)、「ミユルツス」の閒を通ずる迂曲せる小みちあり。これを行けば、幾(いくばく)もあらぬに、穹窿の如く茂りあへる葡萄の下に出づ。我等は渴を覺えぬれば、葡萄圃のあなたに白き屋壁の緑樹の閒より見ゆるを心あてに步(あゆみ)をそなたへ向けたり。輕暖の空氣の中には草木の香みちみちて、美しき甲蟲(かぶとむし)あまた我等の身邊に飛びめぐれり。 到り着きて見れば、この小家のさまの畫趣多きこと言はんかたなし。壁には近き故墟(こきよ)より掘り出したる石柱頭と石臂(せきひ)石脚とを塗り籠めて飾とせり。屋上に土を盛りて園とし、柑子の樹又はくさぐさの蔓草類を栽ゑたるが、その枝その蔓四方に垂れ下りて、緑の天鵞絨(びらうど)もて掩へる如し、戶前には薔薇叢(さうびそう)ありて花盛に開けるが、殆ど野生の狀をなせり。六つ七つばかりの美しき小娘二人その傍に遊び戲れ、花を摘みて環となす。されどそれより一際美きは、此家の門口に立ち迎へたる女子なり。髮をば白き枲布(あさぬの)もて束ねたり。その瞻視(まなざし)の情ありげなる、睫毛の長く黑き、肢體(したい)の品、高くすなほなる、我等をして覺えず恭しく帽を脫し禮を施さゞること能はざらしめたり。 ジエンナロ進み近づきて、 「さては此家(いへ)あるじこそは、土地に匹儔(たぐひ)なき美人なりしなれ、疲れたる旅人二人に、一杯(ひとつき)の飮(のみもの)を惠み給はんや」 と云へば、 「いと易き程の御事なり、戶外に持ち出でてまゐらせん、されど酒は只だ一種(ひとくさ)ならでは貯へ侍らず」 と笑ひつゝ答ふ。 その眞白なる齒に、唇の紅はいよいよ美さを增すを覺えき。ジエンナロ、 「酒はいかなる酒にもあれ、君の酌みて給はらんに、旨からぬことやはある。美しき娘の酌める酒をば、われ平生嗜みて飮めり」 女主人、 「されどけふは美しき娘のあらねば、色香なき人妻の酌みてまゐらするを許し給へ」 ジエンナロ、 「さらば君ははや主ある花となり給ひしにや、そのうら若さにて」 女主人、 「否、われははや年多くとりたり」 この時傍聽(かたへぎき)したりしわれ、 「おん身の芳紀(とし)いくばくぞ」 と問ひぬ。 想ふにこの女子まだ十五ばかりなるべけれど、脊丈伸びて恰好なれば、行酒女神(ヘエベ)の像の粉本とせんも似つかはしかるべし。女主人はわが何の爲めに問ひしかを疑ふものゝ如く、我面を暫し守りて、 「二十八歲」 と答へつ。 ジエンナロ、 「そはまことに好き年紀(としごろ)にて、殊におん身には似あひたり。さるにても人の妻となりてより幾年をか經給(へたま)ひし」 女主人、 「最早(もはや)十とせあまりになりぬ。かしこなる娘たちに問ひ試み給へかし」 といふ。 この時先に門の口にて遊び居たりし二人の娘、我等が前に走り來りぬ。われは故意(わざ)と娘等に向ひて、 「これは汝たちの母なりや」 と問ひしに、娘等はゑましげに主人を見て、 「さなり。さなり」 と頷きつゝ右ひだりより主人に倚り添ひたり。 女主人は酒もち來りて薦(すゝ)めたり。その味はいとめでたかりき。我等は杯を擧げてあるじの健康を祝したり。ジエンナロわれを指さして、 「この男は詩人なり。舞臺に出でゝ卽興詩といふ者を歌ふを業とす。されば拿破里(ナポリ)の婦人をばことごとく迷はしたれど、生來頑(かたくな)なること石の如く、世に謂ふ女嫌ひなどいふものにや、まだ婦人に接吻したることなし」 といへり、 「珍らしき人にあらずや」 といへば、主人、 「さる人は世に有りがたからん」 とて笑へり。 ジエンナロ語を繼ぎて、 「われは、それとは表裏(うらうへ)なり、あらゆる美しき女を愛し、あらゆる美しき女に接吻し、あらゆる美しき女の身方(みかた)となりて、到るところ人の心をやはらぐ、されば美しき女に接吻を求むるは我權利なり、我が受け納るべき租稅なり、これをばおん身も拂ひ給はざるべからず」 といひて、つとあるじの手を摻(と)りたり。 女主人、 「われは人の心やはらげ給ふといふおん惠に與らんことをも願はず、さればさる租稅をもえ納め侍らず。我租稅をば、我夫自ら來りて收め取る習なり」 ジエンナロ、 「その夫はいづくにあるか」 女主人、 「さまで遠からぬところにあり」 ジエンナロ、 「われは拿破里に居れども、いまだかくまで美しき手を見つることあらず。此上に接吻一つせんといはゞ、價いくばくをか求め給ふ」 女主人、 「盾銀(たてぎん)一つにては貴かるべきか」 ジエンナロ、 「さらば盾銀二つ出さば、唇をも任せ給ふべきか」 女主人、 「否、そは千金にも換へ難し。そは吾夫の特權なり」 この對話の閒、女あるじは我等に酒を侑(すゝ)めて、ジエンナロの慣々(なれなれ)しきをも惡(にく)む色なく、尚暫く無邪氣なる應答をなし居たり。我等はあるじのまことは十四歲にて、去年同じ里の美少年某と結婚せしこと、その夫は今拿破里にありて明日歸り來るべきこと、二人の子どものあるじの妹にて夫の留守の閒來り舍(やど)れることなど、話の裏(うち)より聞き出せり。ジエンナロは二人の小娘に、 「査列斯(チヤアレス)銀一つ(伊太利名カルリイノ約十五錢五厘。)與ふべければ薔薇の花束得させよ」 といひて、そを遠ざけ、あるじに迫りて接吻せんとしたり。 初めは詞もてさまざまに誘ひたれどその驗(しるし)なかりき。次には戲のやうにもてなして、掻き抱きたれど、女はいち早く擦り脫けたり。終には路易(ルイ)金一つ(「ルイドオル」と云ふ、約九圓七十八錢。)取出し、指もて撮(つま)みて女の前にきらめかし、 「只だ一たびの接吻を許さば、これをおん身におくるべし、この金あらば、めでたき飾紐(リボン)あまた買はるべし、その黑き髮に映(うつり)好(よ)きものを擇(えら)み試みんは、いかに樂かるべきぞ」 など、繰返して說き勸めつ。 女は我を指して、 「あちらのおん方は、おん身に比ぶれば逈(はるか)に善き人なり」 と云へり。 われ女の手を取りて、 「努(ゆめ)彼詞に耳傾けんとなし給ひそ、彼黃金の色に目を注がんとなし給ひそ、彼男は惡しき人なり、願はくは彼男にの面當(つらあて)に、われに接吻一つ許し給へ」 といひぬ。 女はきと我面を見たり。われ重ねて、 「さきに彼男の我上を語りし中に、唯だ一つの實事あり、われ未だ一たびも女の唇に觸れずといひしは是なり、我唇は淸淨なり、われに接吻し給ふは小兒に接吻し給ふと同じ」 といひぬ。 ジエンナロ、 「さてさて狡猾なる事を言ふものかな。女をくどく方便(てだて)のみはわれ汝に優れりと覺えつるに、今は汝又我を凌がんとす」 女主人、 「否々、御身は金をこそ持ち給へれ、心ざま善ならぬ人なり。我が黃金をも何ともおもはず、接吻をも何とも思はぬをおん身に見せんため、我はこの詩人の方に接吻すべし」 斯く言ひ畢りて、女主人は雙手もて我頬を押へ、我唇に接吻して、家の内に走り入りぬ。 日の入り果てし頃、われは獨り山上なる寺院の一房に坐して、窗より海を眺め居たり。波頭の殘紅は薔薇色をなして、岸打つ潮に自然の節奏を聞く。舟人は漁舟(すなどりぶね)を陸に曳き上げたり。暮色漸く至れば、新に點したる燈火その光を增して、水面は碧色にかゞやけり。一時四隣は寂として聲なかりき。忽ち歌曲の聲の岸より起るあり。こは漁父の妻子と共に歌ひ出せるにて、子どもらしきソプラノの音は低きバツソオの音にまじりたり。一種の言ふべからざる情は我胸に溢れて、我心はこれがために震ひ動けり。一の流星あり。その疾きこと擊石火(げきせきくわ)の如く、葡萄の林のあなたに隕(お)ちぬとぞ見えし。けふ我に接吻せし氣輕なる新婦(にひよめ)の家も亦彼林のあなたにあり。われは彼女主人の美かりしをおもひ出で、又彼海神(ポセイドン)祠の畔(ほとり)なる瞽女(ごぜ)の美しかりしをおもひ出でしが、その背後には心と身と皆美しかりしアヌンチヤタありて、その一たび點したる火は今も猶我身を焦せり。我は餘りの堪へ難さに、口に聖母の御名を唱へて、瓶裡(へいり)の薔薇一輪摘み、そを唇に押し當てつゝ心には猶アヌンチヤタが上を思へり。 われは情に堪へずして、僧堂を出で、海の方へ降り行きぬ。卽ち星輝(せいき)を浴びたる波の岸に碎くる處、漁父の歌ふ處、涼風の面を撲(う)つ處なり。步みて晝閒過ぎし所の石橋の上に至りぬ。この時一人の身に大外套を被り、忙(せは)しげに我傍を馳せ去りたるあり。われはその姿勢態度を見て、直ちにそのジエンナロなるを知りぬ。ジエンナロは驀地(まつしくら)に走りて、曾て憩ひし白壁の家に向へり。我は心ともなく、その後に跟(したが)ひ行きぬ。家の窗よりは燈火の影洩りたるが、彼の外套着たる姿は其光に照されて、窗の直下に浮び出でぬ。われは葡萄架の暗き處に躱(かく)れ、石に踞して其狀を覗ひ居たり。帷(まどかけ)を引かざれば、室の内外の光景は明白に我眼に映ぜり。この家の裏の方、側廂(かたびさし)に通ずる大なる梯の室内より見ゆる處に、別に又一つの窗あるをも、われは此時始て認め得たり。 室内(へやぬち)には一小卓を安んじ、上に十字架を立てたるが、燈をばその前に點せるなり。二人の小娘は衣(きぬ)を脫(はづ)して、白き汗衫(はだぎ)を鬆(ゆる)やかに身に纏ひ、卓の下に跪きて讚美歌を歌へり。姉なる新婦(にひよめ)も亦二人の閒に坐せり。我目に映じたる此一幅の圖はラフアエロの筆に成りたる聖母と二天使との圖と擇(えら)むことなかりき。新婦の漆黑なる瞳子(ひとみ)は上に向ひて、その波紋をなせる髮は白き肩に亂れ落ち、もろ手は曲線美しき胸の上に組み合されたり。 われは屏息(へいそく)してこれを窺ひ居て、我脈搏の亢進するを覺えたり。旣にして三人は立ちあがりぬ。新婦は二兒を延(ひ)きて梯を上り、しばらくありて靜かに傍廂(かたびさし)の戶を閉ぢ、獨り梯を下り來りぬ。さて窗に近きところを往來して、物取り片付けなどし、ふと何事をか思ひ出でしものゝ如く、箪笥の前に坐して、その抽箱(ひきだし)より紅色の手帳一つ取り出だしつ。打ち返し見てほゝ笑み、開き見んとするさまなりしが、忽ち又首打ち掉(ふ)りて、手快(てばや)く抽箱の中に投じたり。そのさま密事(みそかごと)して父母などに見られしに驚く小兒に似たりき。 暫くして裏の方なる窗を敲(たゝ)く音す。新婦は驚きて頭を擡(もた)げ、耳欹(そばだ)てゝ聞けり。敲く音は又響きて、何事をか戶外にて言ふ如くなれど、基詞は我が居るところには聞えず。新婦は忽ち聲高く呼べり。 「檀那(だんな)は何とて斯く遲くこゝに來給ひしぞ。何の用のおはすにか。うしろめたき事には侍らずや」 といふ。 戶外の人は又何やらん言ひたり。新婦、 「さなり、さなり。おん詞はまことなり。おん身は手帳を忘れ置き給へり。さきに妹に持せて、麓なる宿屋まで遣りたれど、かしこにてはさる檀那は宿り給はずといひぬ。定めて山の上に宿り給ふならん。つとめて又持たせ遣らんとこそ思ひ侍りしなれ。手帳は現にこゝに在り」 斯く云ひて、新婦は抽箱よりさきの手帳を取出せり。戶外の人は何やらん言へり。新婦は首を掉(ふ)りて、 「否々、門(かど)の口をばえひらき侍らず、おん身のこゝに來給はんは宜しからず」 と云ひ、起ちてかなたの窗を開きつ。 手帳をわたさんとして差し伸べたる新婦の手をば、外より握りたりと覺しく、手帳ははたと音して窗の外に落ちたり。ジエンナロの頭は此響と共に窗の内に顯れたり。新婦は走りてこなたの窗のほとりに來つ。これより後我は明に二人の詞を辨ずることを得るに至りぬ。 ジエンナロ、 「さらば君はわが感謝のために君の手に接吻するをだに許し給はぬにや。物落しし人の拾ひ主に謝するは世の習ならずや。そが上に走りてこゝに來つれば、喉乾きて堪へ難し。我に一杯(ひとつき)の酒を飮ませ給ふとも、誰かはそを惡しき事といはん。何故に君は我がそこに入らんとするを拒み給ふぞ」 新婦、 「否、かく夜ふけておん身と物言ひ交すだに影護(うしろめた)き事なり。疾くおん身の手帳を取りて歸り給へ。我は窗を鎖すべきに」 ジエンナロ、 「我はおん身の手を握らでは歸らず。おん身のけふ我に惜みて、彼馬鹿者に與へ給ひし接吻を取り返さでは歸らず」 新婦は周章の閒に一聲の笑を洩せり。 「否々。君は人の與へざる所のものを奪はんとし給ふにや。君强ひて奪はんとし給はゞ、われまた誓ひて與へざるべし」 といふ。 ジエンナロは哀れげなる聲していふやう、 「我等の相見るはこれを限なるを思ひ給へ。われは再び此地に來るものにあらず。さるを君は我が手を握らんといふをだに聽き納(い)れたまはず。我胸には君に言ふべき事さはなれど、君が手を握らんの願の外は、われ敢て口に出さじ。聖母は我等に何とか敎へ給ふぞ。人は兄弟姉妹の如く相愛せよとこそ宣給へ。われはおん身の兄弟なり。我黃金をおん身と分ちて、おん身の艷(あで)やかなる姿を飾る料(かて)となさんとこそ願へ。貴き飾を身に着け給はば、おん身の美しさ幾倍なるべきぞ。おん身の友だちは皆おん身を羨むべし。されど我とおんみとの中をば世に一人として知るものなからん」 斯く云ひも果てず、ジエンナロは一躍して窗より入りぬ。新婦は高く聖母の名を叫べり。 われは表の窗に走り寄りて、力を極めて其扉を打ちたり。硝子はからからと鳴りたり。我は目に見えぬ威力に驅らるゝものゝ如く、走りて裏口に至り、得物(えもの)もがなと見𢌞す傍の、葡萄架の橫木引きちぎりつ。女は、 「ニコオロにや」 と叫べり。 「さなり。我なり」 と、われは假聲(つくりごゑ)して答へたり。 室内(へやぬち)の燈消ゆると共に、ジエンナロは窗より跳り出で、いち足出して逃げて行く。其外套は風に飜(ひるがへ)れり。 「ニコオロよ、いかにしておん身は歸りし、これも聖母の御惠にこそ」 といひつゝ、女は窗に走り寄りぬ。 その聲は猶慄(わなゝ)けり。われは吃(ども)りて、 「恕(ゆる)し給へ君」 と叫びぬ。 「あなや」 と呼ぶ女の聲と共に、扉ははたと鎖され、われは茫然として獨り窗外に立てり。 暫しありて、我は新婦の靜かに步ゆみ、戶を開き、戶を閉ぢ、鑰(ぢやう)を下す響を聞き、今は心安しとおもひて、そと歸途に就きぬ。われは心中に無量の喜を覺えたり。かくてこそわれは晝閒の接吻に報い得つるなれ。若し彼女主人にして豫め守護の功を測り知りたらんには、渠(かれ)は猶一たび接吻することをも辭せざりしなるべし。 僧堂に歸りしは恰も晚餐の時なり。人々は我が外に出でしを知らざるさまなり。食卓に就きて程經ぬるに、ジエンナロのみ來ざりければ、フランチエスカの君は心を勞し、公子はあまたたび人を馳せて、その歸るを候(うかゞ)はせぬ。ジエンナロはやうやくにして來りぬ。 「漫步(そゞろありき)して岐(みち)に迷ひ、農夫に敎へられて纔(わづか)に歸ることを得つ」 といふ。 夫人その姿を見て、 「げにおん身の衣は綻(ほころ)びたり」 といへば、ジエンナロ手もてその破れたる處を摘(つま)み、 「この端の斷(ちぎ)れたるは棘(いばら)にかゝりて蹟に殘りぬ、われは直ちに心附きぬれど、奈何(いかん)ともすること能はざりき、このあたりにて斯くまで道を失はんとは、流石に思掛けざりき、目暮の景色を弄ぶ中(うち)、俄に暗くなりしを見て、近道より歸らんとおもひしが事の原(もと)なり」 といふ。 一座は此遊の可笑しき話柄(わへい)を得たりとて打ち興じ、杯を擧げて、此迷失兒(まよひご)の健康を祝しつ。こゝの葡萄酒はいと旨きに、人々醉を帶び、歡を竭(つく)して分れぬ。 わが寢室に入りしとき、隣室なるジエンナロは上衣を脫ぎ襦袢(じゆばん)一つとなりて進み來り、いとさかしげに笑ひつゝ、掌を我肩上に置きて、 「晝見つる美人の爲めに思を勞すること莫(なか)れ」 といふ。 われ、 「然か宣給へど、接吻をばわれ博し得たり」 渠(かれ)、 「そは固よりなり。されどわれを始終繼子(まゝこ)たりしものとな思ひそ」 われ、 「繼子たりしや否やは知らず。唯だ繼子らしかりしは事實なり」 渠、 「われは未だ曾て繼子たりしことなし。おん身若し能く祕密を守らば、われは敢て告ぐるところあらんとす」 われ、 「何事まれ語り給へ。われは誓ひて餘所(よそ)に洩さゞるべし」 渠、 「さらば包まず語るべし。われは歸るさに故意(わざ)と手帳を遺(わす)れ置きぬ。そは日暮れて再び往かん爲めなり。原(も)と女といふものは、只二人居向ひては頑(かたくな)ならぬが多し。さて我は再び往きぬ。衣の綻びたるは、墻(かき)踰(こ)え籬(まがき)を穿ちし時の過なり」 われ、 「さらば女はいかなりし」 渠、 「晝見しよりも美しかりき。美しくして頑(かたくな)ならざりき。わが預(あらかじ)め度(はか)りし如く、さし向ひとなりては何のむづかしき事もなかりき。おん身が得しは只一つの接吻なりしが、わが得しは千萬にて總て殘る隈なき爲合(しあはせ)なりき。これよりはその時のさまを樂しき夢に見んとぞおもふ。便(びん)なきアントニオよ」 と語りもあへず、ジエンナロはおのが臥房(ふしど)に跳り入りぬ。
たつまき
「かしこにてはわれ薔薇を摘み得たり」 と云ふ。 われは頷きて、心の中にはこの男の强顏(けうがん)なることよ、まことは刺(はり)に觸れて自ら傷けしものをとおもひぬ。 舟のゆくては杳茫(えうばう)たる蒼海にして、その抵(いた)る所はシチリアの島なり、あらず、亞弗利加(アフリカ)の岸なり。ゆん手の方は巖石屹立したる伊太利の西岸にして、所々に大なる洞穴あり。洞前に小村落あるものは、其幾個の人家、わざと洞中より這ひ出でゝ、背を日に曝(さら)すものゝ如く、洞の直ちに水に臨めるものゝ前には漁人の火を焚き食を調へ又は小舟に爹兒(チヤン)を塗れるあり。 舷下の水は碧くして油の如し。試みに手をもて探れば、手も亦水と共に碧し。舟の影の水に落ちたるは極て濃き靑色にして、艪(ろ)の影は濃淡の紋理ある靑蛇を畫けり。われは聲を放ちて叫びぬ。 「げに美しきは海なる哉。若し彼蒼(ひさう)の大いなるを除かば、何物か能く之と美を媲(くら)ぶべき」 我は幼かりし時、地に仰臥して天を觀つるを思ひ出でぬ。今見る所の海は卽ち當時見し所の天にして、譬へば夢の一變して現となれるが如し。 舟はイ、ガルリといふ巖より成れる三小嶼(せうしよ)の傍を過ぎぬ。そのさま海底より石塔を築き上げて、その上に更に石塔を僵(たふ)し掛けたる如し。靑き波は緑なる石を洗へり。想ふに風雨一たび到らば、このわたりは羣狗(ぐんく)吠ゆてふ鳴門(スキルラ)の怪(くわい)の栖(すみか)なるべし。 不毛にして石多きミネルワの岬は、眠るが如き潮これを繞(めぐ)れり。いにしへ妙音の女怪の住めりきといふはこゝなり。而してカプリの風流天地はこれと相對せり。いにしへチベリウス帝が奢(おごり)をきはめ情を縱(ほしいまゝ)にし、灣頭より眸を放ちて拿破里(ナポリ)の岸を望みきといふはこゝなり。 舟人は帆を揚げたり。我等は風と波とに送られて、漸くカプリの島邊に近づきぬ。水のまことの淸さ、まことの明さを知らんと慾せば、この海を見ざるべからず。舷に倚りて水を望めば、一塊の石、一叢の藻、歷々として數ふべく、晴れたる日の空氣といへども、恐らくはこの玲瓏(れいろう)透徹なからんとぞおもはるゝ。 カプリの島は唯だ一面の近づくべきあるのみ。その他は皆削り成せる斷崖にして、その地勢拿破里に向ひて級を下るが如く、葡萄圃と橘柚(オレンジ)橄欖(オリワ)の林とは交るがはるこれを覆へり。岸に沿へる處には、數軒の蜑戶(たんこ)と一棟の哨舍(ばんごや)とを見る。稍々高き林木の閒に、屋瓦の叢を成せるはアンナア、カプリイの小都會なり。一橋一門ありてこれに通ず。一行は棕櫚(しゆろ)の木立てるパガアニイが酒店の前に步を留めつ。 我等はこゝに朝餐して、公子夫婦は午時(ひるどき)まで休憩し、それより驢(うさぎうま)を倩(やと)ひてチベリウス帝の別墅(べつしよ)の址を訪はんとす。われは憩はんこゝろなければ、ジエンナロと共に此島を一周し、南に突き出でたる大石門をも見ばやとて、漕手二人を呼び、岸なる舟に乘り遷りぬ。 風少し起りたれば、我等は行程の半ばばかり帆の力に賴ることを得べし。巖壁に近き處には、漁人の網を張りたるあれば、舟はこれを避けて沖の方に進みぬ。旣にして奇景の人目を驚すに足るものあるを見る。灰色なる巨石の直立すること千丈なるあり。その頂は天を摩し、所々僅に一石塊を容(い)るべき罅隙(かげき)を存じて、蘆薈(ろくわい)若くは紫羅欄(あらせいとう)これに生じたり。靑き焔の如き波に洗はれたる低き岩根には、紅殼(べにがら)の毛星族(まうせいぞく)(クリノイデア)いと繁く着きたるが、その紅の色は水を被りて愈々紅に、岩石の波に觸れて血を流せるかと疑はる。 旣にして我等は海を右にし島を左にする處に至りぬ。水を呑吐する大小の窟(いはや)許多ありて、中には波の返す每に僅かに其天井を露すあり。こは彼妙音の女怪のすみかにして、草木繁茂せるカプリの島は唯だこれを蓋(おほ)へる屋上(やね)たるに過ぎざるにやあらん。 漕手の一人なる白髮の翁のいふやう、 「這裏(このうち)には惡しきもの住めり。人若し過ちて此門に入るときは、多くは再びこれを出づることを得ず。その或は又出づるものは、癡なるが如く狂せるが如く、復た尋常人閒の事を解せず」 といふ。 往手のかたに稍々大なる一窟あり。されど若し舟に棹さしてこれに入らんとせば、帆を卸(おろ)し頭を屈するも、猶或は難からんか。柁(かぢ)取りの年少(わか)き男のいふやう、 「これ魔窟なり。黃金珠玉その内にみちみちたれど、これを探らんとするものは妖火のために身を焚(や)かる。げにいふだに恐ろしき事なり。尊きルチアよ、(サンタ・ルチア)我を護り給へ」 といふ。 ジエンナロ、 「彼妙音の女怪の一人此舟の中に來ぬこそ殘惜しけれ。その容色はいと好しとぞ聞く。さるものを待遇せんは、わが徒(ともがら)の難(かた)んぜざるところぞ」 われ、 「おほよそ女といふ女のおん身の言に從はぬはあらざるべければ、化しやうのものなりとも、其數には洩れぬなるべし」 ジエンナロ、 「接吻し囘抱するは波濤(はたう)の常態なれば、その上に泛(うか)べるものも之に倣ふべき筈ならずや。責(せめ)ては彼アマルフイイの女房をなりとも、共に載せて來べかりしものを。げに得易からぬ女なり。然おもひ給はずや。おん身も一たびは彼唇の味を試み給ひぬ。われはその人前にておとなしぶりたるを怪しとおもふなり。憾むらくはおん身はその夜のさまを見給はざりき。その迎ふる情の熱さは我が送る情の熱きに讓らざりき」 ジエンナロが此詞は、遂に我をして耐へ忍ぶこと能はざらしむるに至りぬ。我はいと冷かに、 「されどわが彼夕見しところは、いたくおん詞と違へり」 といひぬ。 ジエンナロは驚きたる面持して、暫し我顏を打ち守りつゝ、 「何とかいふ、おん身の詞は解し難し」 と問ひ返しつ。 われ重ねて、 「おん身の女子にもてはやされ給ふべきをば、われ露ばかりも疑はねど、彼夕はわれふと同じ處に落ち合ひてまことのさまを目擊したり。されば、われは始よりおん身の詞の戲言なるべきを知りぬ」 といふ。 ジエンナロは猶訝しげに我顏を見て一語をも出さゞりき。われ微笑みつゝジエンナロが前夜の口吻を眞似て、 「おん身のけふ我に惜みて彼馬鹿者に與へ給ひし接吻を取返さでは歸らず」 といひたり。 ジエンナロの面は血色全く失せて、 「さてはおん身は立聞せしか、おん身は我を辱めたり、我と決鬪せよ」 といふ。 其聲極て冷に、極てあらゝかなりき。わが實を述べたる一語の、此の如く渠(かれ)を激せんことは、わが預期せざる所なりき。われは徐かに、 「ジエンナロよ、そはよも眞面目なる詞にはあらじ」 といひて、其手を握りしに、ジエンナロは手を引き面を背け、舟人に 「陸に着けよ」 と命ぜり。 老いたる方の漕手答へて、 「舟を停むべきところは、さきに漕ぎ出でしところの外絕(たえ)て無ければ、是非とも島を一周せでは叶はず」 といひつゝ、艪を搖(うごか)す手を急にしたり。 舟は深碧の水もて繞(めぐら)されたる高き岩窟(いはや)に近づきぬ。ジエンナロは杖を揮(ふる)ひて舷側の水を打てり。われは且怒り且悲みて、傍より其面を打ち目守りぬ。爾時(そのとき)年少き漕手いと慌だしく、 「龍卷(ウナ・トロムバ)!」 と叫べり。 その瞠視(みつめ)たる方を見れば、ミネルワの岬より起りて、斜に空に向ひて竪立(じゆりつ)せる一道の黑雲あり。形は圓柱の如く、色は濃墨の如し。その四邊の水、恰も鍋中の湯の滾沸(こんふつ)せるが如くなり。ジエンナロは、 「いづかたに避くるか」 と問へり。 少年は、 後々(あとあと)」 といへり。 われ、 「されば又全島を巡らんとするか」 少年、 「風なき方の岩に沿うて漕がん。龍卷は島を離れて走る如し」 翁、 「此小舟の若し岩に觸れて碎けずば幸なり」 語未だ畢らず、龍卷の嚮(むき)は一轉せり。一轉して吾舟の方に進めり。その疾きこと飇風(へうふう)の如し。舟若し高く岩頭に吹き上げられずば、必ず岩根に傍(そ)ひて千尋(ちひろ)の底に壓(お)し沈めらるべし。われは翁と共に艪(ろ)を握りつ。ジエンナロも亦少年を扶けて働けり。されど風聲は早く我等の頭上に鳴りて、狂瀾は旣に我等の脚下に飜れり。二人の漕手は異口同音に、 「尊きルチア、助け給へ」 と叫びつゝ、艪を捨てゝ跪拜せり。 ジエンナロ聲を勵して、 「など艪を捨つる」 と叱すれども、二人は喪心せるものゝ如く、天を仰いで凝坐(ぎようざ)す。 われは忽ち乘る所の舟の、木葉の旋風に弄(もてあそ)ばるる如きを覺え、暗黑なる物の左舷に迫るを視、舟は高く高く登り行けり。飛瀑の如き水は我頭上に灌(そゝ)ぎ、身は非常なる氣壓の加はるところとなりて、眼中血を迸(ほとばし)らしめんと慾するものゝ如く、五官の能旣に廢して、わが絕えざること縷(いと)の如き意識は唯だ死々と念ずるのみ。われは終に昏絕(こんぜつ)せり。 夢幻境 * わが再び眼を開きし時の光景は、今猶目に在ること、彼壯大なる火山の活畫の如く、又彼沈痛なるアヌンチヤタの別離の記念の如し。我身を繞(めぐ)れるものは、八面皆碧色なる灝氣(かうき)にして、俯仰(ふげう)の閒物(もの)として此色を帶びざるはなかりき。試みに臂(ひぢ)を擧ぐれば、忽ち無數の流星の身邊に飛ぶを見る。われは身の旣に死して無際空閒の氣海に漂へるを覺えたり。我身は將(まさ)に昇りて天に在(ま)せる父の許に往かんとす。然るに一物の重く我頭上を壓するあり。是れ我罪障なるべし。此物はわが昇天を妨げ、我身を引いて地に向へり。而して冷なること海水の如き灝氣(かうき)は我顱頂(ろちやう)の上に注げり。われは心ともなく手を伸べて身邊を摸し、何物とも知られぬながら、竪き物の手に觸るゝを覺えて、しかとこれに取り付きたり。我疲勞は甚だしく、我身には復た血なく、我骨には復た髓なきに似たり。我魂は天上の法廷に招かれ、我骸(わがかばね)は海底に橫れるにやあらん。われは纔(わづか)に、 「アヌンチヤタ」 と呼びて、又我眼を閉ぢたり。 われはこの人事不省の境にあること久しかりしならん。旣にしてわれは己れの又呼吸するを覺え、我疲勞の稍々恢復すると共に、我意識は稍々鬯明(ちやうめい)なりき。我身は冷にして堅き物の上に在り。こは一の巨巖の頭なるべし。而して此巖は高く天半に聳えたるものゝ如く、彼の光ある碧色の灝氣(かうき)のこれを繞(めぐ)れる狀は、前(さき)に見しと殊なることなし。天は碧穹窿をなして我を覆ひ、怪しき圓錐形の雲ありてこれに浮べり。雲の色は天と同じく碧かりき。四邊寂として音響なく、天地皆墓穴の靜けさを現ず。われは寒氣の骨に徹するを覺えたり。われは徐かに頭を擡(もた)げたり。我衣は靑き火の如く、我手は磨ける銀(しろかね)の如し。されどこの怪しき身の虛(むなし)き影にあらずして、實なる形なるは明なりき。我は疲れたる腦髓に鞭うちて、强ひて思議せしめんとしたり。われは眞に旣に死したるか、又或は猶生けるか。われは手を展(の)べて身下の碧氣を探りしに、こは冷なる波なりき。されどその我手に觸れて火花を散らす狀は、酒精(アルコール)の火に殊ならず。我側には怪しき大圓柱あり。その形は小なれども、畧(ほ)ぼ前(さき)に見つる龍卷に似て、碧き光眼を射たり。こはわが未だ除(のぞ)かざる驚怖の幻出する所なるか、將た未だ滅(き)えざる記念の化現(けげん)する所なるか。暫しありて、われは手をもてこれを摸することを敢てしたるに、その堅くして冷なること石の如くなりき。摸して後邊に至れば、手は堅く滑なる大壁に觸る。その色は暗碧なること夜の天色の如し。 そもそもわれは何處にか在る。前に身下に積氣(せきき)ありとおもひしは、燃ゆれども熱からざる水なりき。我四圍を照すものは、彼燃ゆる水なるか、さらずば彼穹窿と巖壁と皆自ら光を放つものなるか。こは幽冥の境なるか、わが不死の靈魂の宅なるか。われは現世に此の如き境ありとおもふこと能はず。凡そ身邊の物、一として深淺種々の碧光を放たざることなく、我身も亦内より碧火を發して、その光明は十方を照すものの如し。 身に近き處に大石級あり。琅玕(らうくわん)もて削り成せるが如し。これに登らんと慾すれば、巖扉密(みつ)に鎖して進むべからず。推するに、こは天堂に到る階級(きざはし)にして、其門扉は我が爲めに開かざるならん。我は一人の怒を齎(もたら)して地下に入りぬ。ジエンナロはいかにしたるぞ、又二人の舟人はいかにしたるぞ。 われは獨り此境に在り。我母を懷(おも)ひ、ドメニカをおもひ、フランチエスカの君をおもひ、我記憶の常に異ならざるを知りぬ。さればわが見る所のものは、必ず幻影に非ざるならん。我は故(もと)の我なり。只だ在るところの境の幽明いづれに屬するかを辨ずること能はざるのみ。 彼邊の壁に罅隙(かげき)ありて、一の大なる物を安んず。手もて摸すれば銅の鉢なり。その内には金銀貨を盛りて溢れんと慾す。われは此異境の異の愈々益々甚しきを覺えたり。 地平線に接する處に、我身を距ること甚だ遠からず、靑光まばゆき一星ありて、その淸淨なる影は波面(なみのも)に長き尾を曳けり。われは俄に彼星の、譬へば日月の蝕(しよく)の如く、其光を失ふを見たり。旣にして黑き物の其前に現るゝあり。諦視(ていし)すれば、一葉の舟の、海底より湧き出でもしたらん如く、燃ゆる水の上を走り來るにぞありける。 その漸く近づくを候(うかゞ)へば、靜かに艪を搖すものは一人の老翁なり。艪の一たび水を打つごとに、波は薔薇花紅(ばらいろべに)を染め出せり。舟の舳(へさき)に一人の蹲(うづくま)れるあり。その形女子に似たり。舟は漸く近づけども、二人は口に一語を發せず、その動かざること石人の如く、動くものは唯だ翁が手中の艪のみ。忽ち聲ありて、一の長大息の如く、我耳に入り來りぬ。その聲は曾(かつ)て一たび聞けるものゝ如くなりき。 舟は岸に近づきて圈(わ)を劃(ゑが)き、我が起(た)ちて望める邊に漕ぎ寄せられたり。翁が手は艪を放てり。女子はこの時もろ手高くさし上げて、哀に悲しげなる聲を揚げ、 「神の母よ、我を見棄て給ふな。我は仰を畏みてこゝに來たり」 と云へり。 われは此聲を聞きて一聲、 「ララ!」と叫べり。 舟中の女子は彼ペスツム古祠の畔なる瞽女(ごぜ)なりしなり。 ララは我に對ひて起ち、聲振り絞りて、 「我に光明を授け給へ。我に神の造り給ひし世界の美しさを見ることを得させたまへ」 と祈願したり。 その聲音は尋常ならず、譬へば泉下の人の假に形を現して物言ふが如くなりき。我卽興詩は漫(みだ)りに混沌の竅(あな)を穿ちて、少女に宇宙の美を敎へき。今や少女は期せずして我前に來り、我に眼を開かんことを請へり。われは少女の聲の我心魂に徹するを覺えて、口一語を出すこと能はず、只だ手を少女の方にさし伸べたるのみ。少女は再び身を起して、 「我に光明を授け給へ」 と唱へかけしが、張り詰めし氣や弛みけん、小舟の中にはたと伏し、舷側(ふなばた)なる水ははらはらと火花を飛しつ。 翁は暫く身を屈して、少女のさまを覗ひ居たるが、やをら岸に登りて、きと眼を我姿に注ぎ、空中に十字を書し、彼大銅鉢(だいだうはつ)を抱いて舟中に移し、己も續いて乘りうつれり。われは思慮するに遑(いとま)あらずして、同じく舟に上りしに、翁は我を迎へんともせず、さればとて又我を拒まんともせず、只だ目を睜(みは)りて我を視るのみ。翁は又艪(ろ)を握りて、彼靑き星に向ひて漕ぎ行けり。冷なる風は舟に向ひて吹き來れり。舟は巖窟の中に進み入りて、我等の頭は巖に觸んとす。われは身をララの上に俯したり。忽にして舟は杳茫(えうばう)として涯(かぎり)なき大海の上に出でぬ。頭(かうべ)を囘(めぐら)せば、斷崖千尺、斧もて削り成せる如くにして、乘る所の舟は崖下の小洞穴より濳(くゞ)り出でしなり。 新月の光は怪しきまでに淸澄なりき。斷崖の一隅に龕(ほくら)の形をなしたる低き岸あり。灌木疎(まばら)に生じて、深紅の花を開ける草之に雜(まじ)れり。岸邊には一隻の帆船を繋げるを見る。 翁は小舟を其側に留めしに、少女は期する所ある如く、身を起して我に向へり。われはその手に觸るゝことをだに敢てせずして、心の裡に我が遇ふ所の夢に非ず幻に非ず、さればとて又現にも非ず、人も我も遊魂の陰界に相見るものなるべきを思ひぬ。少女は、 「いざ藥草を采りて給へ」 と云ひて、右手(めて)を我にさし着けたり。 われは鬼に役せらるるものゝ如く、岸に登りて彼香(かぐは)しき花を摘み、束ねて少女に遞與(わた)しつ。この時われは堪へ難き疲を覺えて、そのまゝ地上に僵(たふ)れ臥したり。われは猶首を擡(もた)げて、翁が手快(てばや)くララを彼帆船に抱き上げ、わが摘みし花束をも移し載せて、自らこれに乘りうつり、小舟を艫(とも)に結び付けて、帆を揚げて去るを見たり。されど我は身を起すこと能はず、又聲を出すこと能はずして、徒らに身を悶え手を振るのみ。我は死の我心(わがむね)に迫りて、心の裂けんと慾するを覺えたり。 蘇生 * 「かくては性命の虞(おそれ)はあらじ」とは、始て我耳に入りし詞なりき。 われは眼を開いてフアビアニ公子と夫人フランチエスカとを見たり。されど彼語を出しゝは、我手を握りて、眞面目なる思慮ありげなる目を我面に注ぎたる未知の男なりき。我は廣闊にして敞明(しやうめい)なる一室に臥せり。時は白晝(まひる)なりき。われは身の何(いづく)の處にあるを知らずして、只だ熱の脈絡の内に發(おこ)りたるを覺えき。わがいかにして救はれ、いかにしてこゝに來しを審(つまびらか)にすることを得しは、時を經ての後なりき。 きのふジエンナロとわれとの歸り來ざりしとき、人々はいたく心を苦め給ひぬ。我等を載せて出でし舟人を尋ぬるに、こも行方知れずとの事なりき。さて島の南岸に沿ひて、龍卷ありしを聞き給ひしより、人々は早や我等の生きて還らざるべきを思ひ給ひぬ。搜索の爲めに出し遣られし二艘の舟は、一はこなたより漕ぎ往き、一はかなたより漕ぎ戾りて、末遂に一つところに落ち合ふやうに掟(おき)てられしに、その舟皆歸り來て、 「舟も人もその踪蹟(そうせき)を見ず」 といふ。 フランチエスカの君は我がために淚を墮し給ひ、又ジエンナロと舟人との上をも惜み給ひぬと聞えぬ。 その時公子の宣給ふやう、 「かくて思ひ棄てんは、猶そのてだてを盡したりといふべからず。若し舟中の人にして、或は浪に打ち揚げられ、或は自ら泅(およ)ぎ着きて、巖のはざまなどにあらんには、人に知られで飢渴の苦艱(くげん)を受けもやせん。いでわれ親(みづか)ら往いて求めん」 とて、朝まだきに力强き漕手四人を倩(やと)ひ、湊を舟出して、こゝかしこの洞窟より巖のはざまゝで、名殘なく尋ね給ひぬ。 されど彼魔窟といふところには、舟人辭(いな)みて行かじといふを、公子强ひて說き勸め、草木生ひたりと見ゆる岸邊をさして漕ぎ近づかせしに、程近くなるに從ひて、人の僵(たふ)れ臥したりと覺しきを認め、さてこそ我を救ひ取り給ひしなれ。われは緑なる灌木の閒に橫はり、我衣は濱風に吹かれて半ば乾きたりしなり。公子は舟人して我を舟に扶け載せしめ、おのれの外套もて被ひ、手の尖胸のあたりなど擦り溫めつゝ、早く我呼吸の未だ絕え果てぬを見給ひぬといふ。われはかくてこゝに伴はれ、醫師(くすし)の治療を受けつるなりけり。さればジエンナロと二人の舟人とは魚腹に葬られて、われのみ一人再び天日を見ることゝなりしなり。 人々は我に當時の事を語らしめたり。われは光まばゆき洞窟の中に醒めしを姶とし、目しひたる少女を載せ來し翁に遭へるに至るまで、そのおほよそを語りしに、人々笑ひて、 「そは熱ある人の寒き夜風に觸れ、半醒半夢の閒にありて妄想せるならん」 といへり。 げにわれさへ事の餘りに怪しければ、夢かと疑ふ心なきにしもあらねど、また熟々(つくづく)思へばしかはあらじと思ひ返さざることを得ず。かへすがえすも奇しく怪しきは、彼洞天の光景と舟中の人物となり。 我物語を傍聽(かたへぎゝ)せし醫師は公子に向ひ頭を傾けて、 「さては君の此人を搜し得給ひしは彼魔窟の畔(ほとり)なりけるよ」 といひぬ。 公子、 「さなり。さりとて、君は世俗のいふ魔窟に、まことに魔ありとは、よも思ひ給はじ」 醫師、 「そは輒(たやす)く答へまつるべうもあらぬ御尋なり。自然は謎語(なぞ)の鉤鎖(くさり)にして吾人は今その幾節をか解き得たる」 我心は次第に爽かになりぬ。抑々(そもそも)わが見し洞窟はいかなる處なりしぞ。舟人の物語に、 「この石門の奧に光りかゞやくところあり」 といひしは、わが漂ひ着きし別天地を斥(さ)して言へるにはあらざるか。 かの怪しき翁の舟の、狹き穴より濳(くゞ)り出しをば、われ明かに記憶せり。夢まぼろしにてはよもあらじ。さらば彼洞窟は幽魂の往來(ゆきき)するところにして、我は一たび其境に陷り、聖母の惠によりて又現世に歸りしにや。われはかく思ひ惑ひつゝも、わが掌を組み合せて彼舟中の少女の上を懷ひぬ。まことに彼少女は我を救へる天使なりき。 年經て我夢の夢に非ざることは明かになりぬ。彼洞窟は今カプリ島の第一勝、否伊太利國の第一勝たる琅玕洞(らうくわんだう)(グロツタ・アツウラ)にして、舟中の少女も亦實にかのペスツムの瞽女(ごぜ)ララなりしなり。
第8章 そが上かの洞窟の内に遭遇せし怪異と、萬死を出でゝ一生を獲たる幸とは、いたくわが興奮したる腦髓を刺戟して、我をして無形の威力の人の運命を左右することの復た疑ふべからざるを思はしめぬれば、我は公子夫婦の羅馬へ往けと勸め給ふを聞きても、又直ちにその聲を以て運命の聲となさんとしたり。わが健康の漸く故(もと)に復(かへ)らんとする頃、公子夫婦は又我牀頭にありて、何くれとなく語り慰め給ひき。夫人、 「アントニオよ、おん身の往方まだ知れざりし程は、我等は屡々おん身の爲めに泣きぬ。おん身の不思議に性命を全うせしは、聖母の御惠なりしならん。今はおん身情强(こは)きも、よも再び拿破里に住みて、ベルナルドオと面をあはせんとは云はぬならん」 公子、 「そは勿論なるべし。われ等は只だ羅馬に伴ひ歸りて、曾て過ありしアントニオは地中海の底の藻屑となりぬ。今こゝに來たるはその昔幼く可哀ゆかりしアントニオなりと云はん」 夫人、 「さるにても便(びん)なきはジエンナロなり。才も人に優れ情も深かりしものを、いかなれば神は末猶遠き此人の命を助けんとはし給はざりけん。惜みても餘あることならずや」 など宣給へり。 醫師(くすし)は屡々病牀をおとづれて、數時閒を我室に送れり。この人は拿破里に住みて、いまは用事ありて此カプリに來居たるなりといふ。第三日に至りて、醫師我を診して健康の全く故(もと)に復(かへ)りたるを告げ、己れも我等の一行と共に歸途に就きぬ。醫師の我を健全なりといふは、形體上より言へるにて、若し精神上より言はゞ、われは自ら我心の健全ならざるを覺えき。わが少壯の心は、かの含羞草(ねむりぐさ)といふものゝ葉と同じく萎(しぼ)み卷きて、曩(さき)に一たび死の境界に臨みてよりこのかた、死の天使の接吻の痕は、猶明かに我額の上に存せり。 公子夫婦の我と醫師とを引き連れて舟に上り給ふとき、我は澄み渡れる海水を見下(みおろ)して、忽ち前日の事を憶ひ起し、激しく心を動したり。今日影のうらゝかに此積水の緑を照すを見るにつけても、我は永く此底に眠るべき身の、恙(つゝが)なくて又此天日の光に浴するを思ひ、淚の頬に流るゝを禁ずること能はざりき。人々は皆優しく我を慰めたり。フランチエスカの君は我才を稱へ、我を呼びて詩人となし、醫師に我が拿破里の劇場に上りて、卽興詩を歌ひしことを語り給ひしに、醫師驚きたる面持して、 「さてはかの謳者(うたひて)は此人なりしか、公衆の稱歎は尋常ならざりき、重ねて技を演じ給はゞ、世に名高き人ともなり給はんものを」 などいへり。 風の餘り好かりければ、初めソレントオより陸に上るべかりし航路を改め、直ちに拿破里の入江を指して進むことゝなりぬ。 われは拿破里の旅寓(はたご)に入りて、三通の書信に接したり。その一は友人フエデリゴが手書なり。フエデリゴはきのふイスキアの島に遊び、三日の後ならでは還らずとの事なりき。明日の午頃には人々こゝを立たんと宣給へば、われはこの唯だ一人なる友にだに、暇乞することを得ざらんとす。その二はわが宿を出でし次の日に來しものなる由、房奴(カメリエリ)われに語りぬ。これを讀むに唯だ二三行の文あり。
とのみ書きて、末に昔の友なる女と署し、會合の家を指し示せり。其三はこれと同じ手して書けるものなり。その文左の如くなりき。
末には又「昔の友なる女」と署したり。會合の家は知らぬ巷に在れど、サンタならではかゝる文書くべき婦人あるべうもあらず。われは今更彼婦人に逢ひて何とかすべきと思ひぬれば、御返事もやあると促しに來し男を呼び入れて、詞短かにいひぬ。 「われは遽(には)かに思ひ定むる事ありて、拿破里を去らんとす。今までの厚き御惠は誓ひて忘れ侍らじ。御目に掛かりて御暇乞すべきなれど、あわたゞしき折なれば、唯だこの由御使に申すなり」 といひぬ。 フエデリゴには數行の書を作りて遺し置きつ。その概畧(あらまし)は今物書くべき心地もせねば、精(くはし)しき事の顛末をば、羅馬に到り着きて後にこそ告ぐべけれ、手を握らで別れ去ることの心苦しさを察せよといふ程の意(こゝろ)なりき。 暇乞にとては、何處へも往かざりき。街上にてベルナルドオの面を見んことの影護(うしろめた)く、又此地に來てより交を結びし人には、相見んことの願はしくもあらねば、われは旅寓の一室にたれこめて此日を暮さんとおもひ居たり。さるを公子の車を誂へ置きたれば、共に醫師の家訪はずやと宣給ふがことわりなれば、隨ひて行きぬ。小く心安げなる家にて、年長けたる姉の家政を掌(つかさど)れるあり。質直なる性質眉目の閒に現はれて、むかしカムパニアの野邊にありける時、鞠育(きくいく)の恩を受けしドメニカに似たるところあり。されど此は敎育ある人なれば、起居振舞のみやびやかなる、いろいろなる藝能ある抔(など)、日を同じうして語るべくもあらざるなるべし。 翌朝われは先づヱズヰオの山を仰ぎ見て別を告げたり。嶺は深く烟霧の裏(うち)に隱れて、われに送別の意を表せんともせざる如し。是日海原はいと靜にして、又我をして洞窟と瞽女(ごぜ)との夢を想はしむ。嗚呼、此拿破里の市も、今よりは同じ夢中の物となり了るならん。 房奴(カメリエリ)はけふの『拿破里日報』(ヂアリオ・ヂ・ナポリ)を持ち來りぬ。披(ひら)きて見れば、我假名(けみやう)あり。さきの日の初舞臺の批評なりき。いかなる事を書けるにかと、心忙(せは)しく讀みもて行くに、先づ空想の贍(ゆたか)にして、章句の美しかりしを稱へ、恐らくは是れパンジエツチイの流を酌めるものにて、摸倣の稍々甚しきを嫌ふと斷ぜり。パンジエツチイといふ人はわれ夢にだに見しことあらず。われは唯だ我天賦の情に本(もと)づきて歌ひしなり。想ふに彼批評家といふものは、おのれ常に摸擬の筆を用ゐるより、人の藝術も亦然ならんと思へるにやあらん。末の方には例に依りて、奬勵の語を添へたり。いはく、 「此人終に名を成すべき望なきにあらず。今の見る所を以てするも、猶非凡なる材能たることを失はざるべし。空想感情靈應の諸性具備したりと見ゆればなり」 とあり。 此評は惡しき方にはあらねど、當日の公衆の喝采に比ぶるときは、その冷かなること著しとおもはる。われは此新聞紙を疊みて行李の中に藏(をさ)めたり。そは他年わが拿破里の遭遇の悉く夢ならぬを證せん料(しろ)にもとてなり。嗚呼、われ拿破里を見たり、拿破里の市を彷徨(はうくわう)せり。わが得しところそも幾何ぞ、わが失ひしところはたそも幾何ぞ。知らず、フルヰアの預言は旣に實現し盡せりや否や。 われ等は拿破里を出立(いでた)ちたり。葡萄栽ゑたる丘陵は見るみる烟雲の閒に沒せり。一行は羅馬に向ひて行くこと四日なりき。わが行くところの道は、二月の前にフエデリゴ、サンタの二人と與(とも)に行きし道なりき。モラの旅亭に來て見れば、柑子の林は今花の眞盛なり。われは再び我祕言(ひめごと)をサンタに偸(ぬす)み聽かれし木蔭に立寄りたり。人の離合聚散の測り難きこと、また今更に驚かれぬ。イトリの狹隘を過ぐる時、われはフエデリゴが上を憶ひ起しつ。旅劵を閲(けみ)する國境には、けふも洞穴の中に山羊の羣をなせるあり。されどフエデリゴが筆に上りし當時の牧童は見えざり 一行はテルラチナに宿りぬ。夜明くれば天氣晴朗なりき。あはれ、美しき海原よ。汝は我を懷抱し我をゆり動かして、我にめでたき夢を見させ、我をかうがうしきララに逢はせき。今はわれ汝に別れんとぞすなる。水の天に接する處には、猶エズヰオの山の雄々しき姿見えて、立昇る烟の色は淡き藍色を成し、そのさま淸明にして而も幽微に、譬へば霞を以て顏料となし、かゞやく空の面に畫ける如し。われは大(と)して呼べり。さらばさらば、いで我は羅馬に入らん。我墓穴は我を待つこと久し。 われは曾て怪しき媼フルヰアとさまよひありきし山を望みき。われはジエンツアノ市を過ぎて、我母の車に觸れてみまかり給ひし廣こうぢを見き。路の傍なる乞兒(かたゐ)は我衣服の卑しからぬを見て、われを殿樣(エツチエレンツア)と呼べり。むかし母に手を拉かれて祭を見し貧家の子幸ありといはんか、今ボルゲエゼ家の賓客となりて歸れる紳士幸ありといはんか、そは輒(たやす)く答へ難き問なるべし。 一行はアルバノの山を踰(こ)えたり。カムパニアの曠野は我前に橫れり。道の傍なる、蔦蘿(つたかづら)深く鎖せるアスカニウスの墳(つか)は先づ我眼に映ぜり。古墓あり、水道の殘礎あり、而して聖彼得(サン・ピエトロ)寺の穹窿天に聳えたる羅馬の市は、旣に目睫(もくせふ)の中に在り。 (アスカニウスは昔アルバ、ロンガの基を立てし人なり。是れ拉甸(ラテン)人の始めて市を成せる處にして、後の羅馬市はこれより生ぜりといふ。) 車の聖ジヨワンニイの門(ポルタ・サン・ジヨワンニイ)より入るとき、公子は我を顧みて、 「いかに樂しき景色にはあらずや」 と宣給へり。 ラテラノの寺、丈長き尖柱(オベリスコス)、コリゼエオの大廈(たいか)の址、トラヤヌスの廣こうぢ、いづれか我舊夢を喚び返す媒(なかだち)ならざる。 羅馬は拿破里の熱鬧(ねつたう)に似ず。コルソオの大路は長しと雖、繁華なるトレドの街と異なり。車の窗より道行く人を覗ふに、むかし見し人も少からず。老いたる敎師ハツバス・ダアダアのボルゲエゼ家の車の章(しるし)に心づきて、蹣跚(まんさん)たる步を住(とゞ)め我等を禮(ゐや)したるは、おもはずなる心地せらる。コンドツチイ街(ヰヤ・コンドツチイ)の角を過ぐれば、むかしながらのペツポが手に屐(あしだ)まがひの木片を裝ひて、道の傍に坐せるを見る。 フランチエスカの君の、 「やうやう我家に歸り着きぬ」 と宣給ふに答へて、 「まことにさなり」 と云ひつゝも、我は心の内に名狀し難き感情の迫り來るを覺えき。 我は今曾て訣絕の書を賜ひし舊恩人を拜せざるべからず。その待遇は果していかなるべきか。我はこゝに至りて、復たこれを避けんと慾することなく、卻りて二馬の足掻(あがき)の猶太(はなは)だ遲きを恨みき。譬へば死の宣告を受けたるものゝ、早く苦痛の境を過ぎて彼岸に達せんことを願ふが如くなるべし。 車はボルゲエゼの館の前に駐まりぬ。僮僕(しもべ)は我を誘(いざな)ひて館の最高層に登り、相接せる二小房を指して、我行李を卸(おろ)さしめき。 少選(しばし)ありて食卓に呼ばれぬ。われは舊恩人たる老公の前に出でゝ、身を僂(かゞ)めて拜せしに、 「アントニオが席をば我とフランチエスカとの閒に設けよ」 と宣給ふ。 是れ我が久し振にて耳にせし最初の一語なりき。 會話の調子は輕快なりき。われは物語の昔日の過に及ばんことを慮(おもんぱか)りしに、この御館を遠ざかりたりしことをだに言ひ出づる人なく、老公は優しさ舊に倍して我を欵待(もてな)し給ひぬ。 されどわれは此一家の復た我に厚きを喜ぶと共に、人の我を恕するは我を輕んずる所以なるを思ふことを禁じ得ざりき。
第9章 夏は人々暑さを避けんとて餘所(よそ)に遷り給へば、われ獨り留まりて大廈の中にあり。涼しき風吹き初むれば人々歸り給ふ。かく我は漸く又此境遇に安んずることゝなりぬ。 我は最早カムパニアの野の童にはあらず。最早當時の如く人の詞といふ詞を信ずること、宗敎に志篤き人の信條を奉ずると同じきこと能はず。我は最早ジエスヰタ派學校の生徒にはあらず。最早敎育の名をもてするあらゆる束縳を甘んじ受くること能はず。さるを憾むらくは人々、猶我を視ることカムパニアの野の童、ジエスヰタ派學校の生徒たる日と異ならざりき。此閒に處して、我は六とせを經たり。今よりしてその生活を顧みれば、波瀾層疊たる海面を望むが如し。好くも我はその波濤の底に埋沒し畢らざりしことよ。讀者よ、わが物語を聞くことを辭(いな)まざる讀者よ。願はくは一氣に此一段の文字を讀み去れ。われは唯だ省筆を用ゐて、その大概を敍して已みなんとす。 この六年(むとせ)の歷史はわが受けし精神上敎育の歷史なり。この敎育は人の師たるを好むものゝことさらに設けたる所にして、不便(ふびん)なる我はこれを身に受けざること能はざりしなり。人々は我を善人とし、我に棄て難き機根ありとして、競ひて自ら敎育の任を負へり。恩人はその恩を以て我に臨みて我師たり。恩人ならぬ人はわが人好(ひとよ)きに乘じて僭(せん)して我師となれり。我は忍びて無量の苦を受けたり。そは敎育といふを以ての故なり。 主公はわが學の膚淺(ふせん)なるを責め給へり。我はいかに自ら勵まんも、わが一書を讀みたる後、何物か我胸中に殘れると問はゞ、そはたゞ其卷册の裡より我心に適へるものを抽き出し得たりといふのみにて、譬へば蜂の百花の上に翼を休めて、唯だ一味の蜜を探らんが如くなるべし。こは老侯の喜び給ふところにあらざりしなり。家の常の賓客(まらうど)、その他われを愛すといふ人々には、おのおのその理想ありて、われを測るにその合理想(がふりさう)の尺度をもてす。人々いかでかわが成績に甘んずることを得ん。數學者は、 「アントニオ、あまりに空想に富みて、冷靜の資なし」 と云ひ、儒者は、 「アントニオの拉甸(ラテン)語に精(くは)しからざることよ」 と云ひ、政治家は稠人(ちうじん)の前にありて、ことさらに我に問ふにわが知らざるところの政治上の事をもてし、われを苦めて自ら得たりとし、遊戲をもて性命とせる貴公子は、また我と馬相を論じて、わが馬を愛することの己れの身を愛するごとくならざるを怪み、貴族にして毒舌ある一婦人の、まことは人に超えたる智あるにあらずして、漫(みだ)りに批評に長ぜりと稱せられたるは、また我詩稿を刪潤(さんじゆん)せんと慾し、我に一枚づゝ寫して呈せんことを求めたり。その外、ハツバス・ダアダアの如く、むかし有望の少年たりしわが、今才盡き想涸れたるを歎ずるものあり、舞踏を善くする某(なにがし)の如く、わが舞場に出でゝ姿勢の美を闕(か)くを憾むものあり、文法に精しき某の如く、わが往々讀(たう)に代ふるに句を以てするを難ずるものあり。就中フランチエスカの君は、もろ人の我を襃むるに過ぎて、わが慢心のこれがために長ずべきを惜むとて、每(つね)に峻嚴と威儀とをもて我に臨まんとし給へり。おほよそ此等の毒は滴々(てきてき)我心上に落ち來りて、われは我心のこれが爲めに硬結すべきか、さらずば又これが爲めにその血を瀝(したゝ)らし盡すべきをおもひたりき。 我心は一物に逢ふごとに、その高尚と美妙との方面よりして强く刺戟せられ深く悅懌(えつえき)す。われは獨り閑室に坐するとき、首(かうべ)を囘(めぐら)して彼の我師と稱するものを憶ふに、一種の奇異なる感の我を襲ひ來るに會ひぬ。世界は譬へば美しき少女の如し。その心その姿その粧(よそほひ)は、わが目を注ぎ心を傾くるところなり。さるを靴工は、 「彼の穿(は)ける靴を見よ、その身上第一の飾はこれぞ」 と云ひ、縫匠(ほうしやう)は、 「否、彼の着たる衣を見よ、その裁ちざまの好きことよ、その色あひを吟味し、その縫際(ぬひめ)に心留むるにあらでは、少女の姿を論ずべからず」 と云ひ、理髮師は、 「否々、彼の美しき髮のいかに綰(わが)ねられたるかを見ずや」 と云ひ、語學の師はその會話の妙をたゝへ、舞の師はその擧止のけだかさを讚む。 彼の我師と稱するものは、この工匠等に異ならず。されどわれ若し憚ることなくして、人々よ、我も一々の美を見ざるにあらねど、我を動かすものは彼に在らずしてその全體の美に在り、是れ我軄分なりと曰(い)はゞ、人々は必ず陽(あらは)に、げにげに我等の敎ふるところは汝詩人の目の視るところより低かるべしと曰ひつゝ、陰(ひそか)に我愚を笑ふなるべし。 天地の閒に生物多しと雖、その最も殘忍なるものは蓋し人なるべし。われ若し富人ならば、われ若し人の廡下(ぶか)に寄るものならずば、人々の旗色は忽ちにして變ずべきならん。人々の聰明ぶり博識ぶりて、自ら處世の才に長けたりげに振舞ふは、皆我が食客たるをもてにあらずや。我は泣かまほしきに笑ひ、唾せんと慾して卻(かへ)りて首を屈し、耳を傾けて俗士婦女の蝋を嚼(か)むが如き話說を聽かざるべからず。所謂(いはゆる)敎育は果して我に何物をか與へし。面從腹誹(ふくひ)、抑鬱不平、自暴自棄などの惡癖陋習(ろうしふ)の、我心の底に萌(きざ)しゝより外、又何の效果も無かりしなり。 十の指は我があらゆる暗黑面を指し、卻りて我をして我に一光明面なしや否やを思はしめ、我をして自ら己の長を覓(もと)め、自ら己の能を衒(てら)はしめたり。而して彼指は又この影を顧みて自ら喜ぶ情を指して、更に一の暗黑面を得たりとせり。 人々はわが我見(がけん)の强くして固きを難ぜり。政治家のわが我見を責むるは、われ心を政況に委ねざればなり、馬を愛づる貴公子のわが我見を責むるは、われ馬を品し馬に乘りて居諸(きよしよ)を送ること能はざればなり、曾て又一少年の審美學の書に耽るものありしが、其人は我にいかに思惟し、いかに吟詠し、いかに批評すべきを敎へ、一朝わがその授くる所の規矩に遵(したが)はざるを見るに及びては、忽又わが我執を責めたり。こはわが我執あるにはあらで、人々の我執あるにはあらざるか。そを飜りてわれ我執ありといふは、わが人の恩蔭を被りたる貧家の孤たるを以てにあらずや。 名よりして言はんか、我は貴族にあらず。されど心よりして觀んか、我豈(あに)賤人ならんや。されば我は人に侮蔑せらるゝごとに、必ず深き苦痛を忍べり。いかなれば我は赤心を棒げて人々に依賴せしに、人々は我をして鹽の柱と化すること彼ロオト(亞伯拉罕(アブラハム)の甥。)が妻の如くならしめしぞ。是に於いてや、悖戾(ぼつれい)の情は一時我心上に起り來りて、自信自重の意識は緊縳をわが恆(つね)の心に加へ、此緊縳の中よりして、增上慢の鬼は昂然として頭を擡(もた)げ、我をして平生我に師たる俗客を脚底に見下さしめ、我耳に附きて語りて曰はく。汝の名は千載の後に傳へらるべし。彼の汝に師たるものゝ名は、これに反して全く忘らるべし。縱令(たとひ)忘られざらんも、その偶々存ずるは汝が囹圄(れいご)の桎梏(しつこく)として存じ、汝が性命の杯中に落ちたる毒藥として存ずるならんといふ。 われはタツソオの上をおもへり。矜持(きようぢ)せるレオノオレよ。驕傲(けうがう)なるフエルララの朝廷よ。その名は今タツソオによりて僅に存ずるにあらずや。當時の王者の宮殿は今瓦石の一堆(たい)のみ、その詩人を拘禁せし牢舍(ひとや)は今巡拜者の靈場たりなどゝおもへり。此の如き心の卑むべきは、われ自ら知る。されど所謂敎育は我をして此の如き心を生ぜしめざること能はず。われ若し彼敎育を受けて、此心をだに生ぜざりせば、われは性命を保ちて今に到るに由なかりしなり。わが潔白なる心、敬愛の情は、一言の奬勵、一顧の恩惠を以て雨露となしゝに、人々は卻りて毒水を灌(そゝ)ぎてこれを槁枯(かうこ)せしめしなり。 今の我は最早昔の如き無邪氣の人ならず。さるを人々は猶「無邪氣なるアントニオ」と呼べり。今の我は斷えず書を讀み、自然と人閒とを觀察し、又自ら我心を顧みて己の長短利病を審(つまびらか)にせんとせり。さるを人々は始終「物學びせぬアントニオ」と呼べり。 この敎育は六年の閒續きたり、否、七年ともいふことを得べし。されど六とせ目の年の末には、早く多少の風波の我生涯の海の面に噪(さわ)ぎ立つを見たり。この敎育の六年の閒、猶書かまほしき事なきにあらねど、今より顧みれば、皆流れて毒水一滴となり了(をは)んぬ。こは門地なく金錢なき才子の常に仰ぎ常に服するところのものにして、此毒水は此類の才子の爲には、人の呼吸するに慣れたる空氣に異ならずともいふべきならん。 われはアバテとなりぬ。われは又卽興詩人として名を羅馬人の閒に知られぬ。そはチベリナ學士會院(アカデミア・チベリナ)の演壇の、我が上りて詩稾(しかう)を讀み、又卽興詩を吟ずることを許しゝがためなり。されどフランチエスカの君は、會院の吟誦には喝采を得ざるものなしといふをもて、わが自負の心を抑へ給へり。 ハツバス・ダアダアは會院中の最も名高き人なり。その名の最も高きは、その演說し著述することの最も多きがためなり。院内の人々は一人としてハツバス・ダアダア陿陋(けふろう)にして友を排し、褒貶(はうへん)竝に過てるを知らざるものなし。されど人々は猶この翁の籍を會院に揭ぐるを甘んじ允(ゆる)せり。ハツバス・ダアダアは愈々意を得て、只管(ひたすら)書きに書き說きに說けり。ある日我詩稾を閲(けみ)し、評して水彩畫となし、ボルゲエゼ家の人々に謂ふやう、 「アントニオに才藻の萌芽ありしをば、嘗て我生徒たりしとき認め得たりしに、惜いかな、其芽は枯れて、今の作り出すところは畸形の詩のみ。アントニオは古の名家の少時の作を世に公にせしものあるを見て、或はおのれのをも梓行(しかう)せんとすることあらんか。そは世の嘲(あざけり)を招くに過ぎず。願はくは人々彼を諫めて、さる無謀の企を思ひ留まらしめ給へ」 とぞいひける。 アヌンチヤタが上はつゆばかりも聞えざりき。アヌンチヤタは我が爲めには隔世の人たり。されどこの女子は死に臨みて、その冷なる手もて我胸を壓し、これをして事ごとに物ごとに苦痛を感ずることよの常ならざらしめしなり。ナポリの旅と當時の記憶とは、なつかしく美しきものながら、今はその美しさの彼メヅウザに逢ひて化石したるにはあらずやとおもはれたり。 (メヅウザは希臘神話中の恐るべき處女神にして、之を視るものは忽ち石に化したりといふ。) 煖き巽風(シロツコ)の吹くごとに、われはペスツムの溫和なる空氣をおもひ出して意中にララが姿を畫き、ララによりて又その邂逅の處たる怪しき洞窟に想ひ及びぬ。われは彼物敎へんとする賢き男女の人々の閒に立ちて、上校の兒童の如くなるとき、心にはむかし賊寨(ぞくさい)にて博せし喝采とサン・カルロ座にて聞きつる讙呼(くわんこ)の聲とを思ひ、又人々の我を遇すること極めて冷なるが爲めに、身を室隅に躱(さ)けたるとき、心にはむかしサンタがもろ手さし伸べて、我を棄てゝ去らんよりは寧ろ我を殺せと叫びしことをおもひぬ。六とせは此の如くに過ぎ去りて、我齡は二十六になりぬ。
小尼公
寺の掟に依るに、凡そ尼となるものは、授戒に先だてる數月閒親々の許に還り居て、浮世の歡を味ひ盡し、さて生涯の暇乞して俗緣を斷つことなり。この時となりて、再び寺に入るとそが儘我家に留まるとは、その女子の意志の自由に委ぬといへど、そは只だ掟の上の事のみにて、まことは幼きより尼の裝(よそほひ)したる土偶(にんぎやう)を翫(もてあそ)ばしめ、又寺に在る永き歲月の閒世の中の罪深きを說きては威(おど)しすかし、寺院の靜かにして戒行の尊きを說きては勸め誘(いざな)ひ、必ず寺に歸り入らしむる習なりとぞ。 是より先きわれは四井街の邊を過ぐるごとに、この尼寺の築泥(ついぢ)の蔭にこそ、わが嘗て抱き慰めし姫君は居給ふなれ、今はいかなる姿にかなり給ひしと、心の内におもひ續けざることなかりき。一日(あるひ)われは尼寺に往きて、格子の奧にて尼達の讚美歌を歌ふを聽きしことあり。あの歌ふ人々の閒に小尼公(アベヂツサ)はおはさずやとおもひしかど、流石心に咎められて、敎子(をしへご)として寺に宿れるものゝ、彼歌樂の羣に加はるや否やを問ひあきらむることを果さゞりき。旣にしてわれはこのもろ聲の中より、一人の聲の優れて高く又淸く、一種言ふべからざる凄切(せいせつ)の調をなせるものあるを聞き出しつ。その聲のアヌンチヤタが聲にいと好く似たりければ、把住(はぢう)し難き我空想は忽ちはかなき舊歡の影をおもひ浮べて、彼ボルゲエゼ家の少女の事を忘れぬ。 「次の月曜日にはフラミニアこそ歸り來べけれ」 と、老公宣給ひぬ。 この詞はあやしく我情を動して、その人と成りしさまの見まほしさはよの常ならざりき。想ふに小尼公も亦我と同じき籠中(こちゆう)の鳥なり。こたび家に歸り給ふは、譬へば先づ絲もてその足を結びおき、暫し籠より出だして翺翔(かうせう)せしむるが如くなるべし。傷ましきことの極ならずや。 わが姫の面を見しは午餐(ひるげ)の時なりき。げに人傳に聞きつる如くおとなびて見え給へど、世の人の美しとてもてはやす類の姿貌(かほばせ)にはあらざるべし。面の色は稍々蒼かりき。唯だ惠深く情厚きさまの、さながらに眉目の閒に現れたるがめでたく覺えられぬ。 食卓に就きたるは近親の人々のみなり。されど一人の姫に我の誰なるを告ぐるものなく、姫も又我面を認め得ざるが如くなりき。さてわれは姫に對ひてかたばかりの詞を掛けしに、その答いと優しく、他の親族の人々と我との閒に、何の軒輊(けんち)するところもなき如し。こは此御館に來てより、始ての欵待(もてなし)ともいひつべし。 人々は打解けてくさぐさの物語などし、姫は笑ひ給ふ。われは覺えず興に乘じて、その頃羅馬に行はれたりし一口話を語りぬ。姫はこれをも可笑しとて笑ひ給ふに、外の人々は遽(には)かに色を正して、中にも、 「かゝる味なき事を可笑しとするは何故ならん」 などいふ人さへあり。 われ、 「しか宣給へど、今語りしは近頃流行の一口話にて、都人士のをかしとするところなるを奈何せん」 夫人、 「否、おん身の話は掛詞(かけことば)の類のいと卑しきをさげとせり。人の腦髓のかくまで淺はかなる事を弄ぶことを嫌はざるは、げに怪しき限ならずや」 嗚呼、我とても爭(いか)でかことさらに此の如き事のために、我腦髓を役せんや。我は唯だ世の人の多く語るところにして、我が爲めにもをかしとおもはるゝものなるからに、人々の一粲(いつさん)を博する料(しろ)にもとおもひし迄なり。 日暮れて客あり。數人の外國人さへ雜りたり。われは晝閒の譴責(けんせき)に懲りて、室の片隅に隱れ避け、一語をだに出ださゞりき。人々は圈(わ)の形をなして、ペリイニイといふものゝめぐりに集へり。この人は齡畧(ほ)ぼ我と同じくして、その家は貴族なり。心爽かにして頓智あり、會話も甚(いと)巧なれば、人皆その言ふところを樂み聽けり。忽ち人々の一齊に笑ふ聲して、老公の聲の特(こと)さらに高く聞えければ、われは何事ならんとおもひつゝ、少しく步み近づきたり。然るに我は何事をか聞きし。晝閒我が語りて人々の咎に逢ひし、彼一口話は今ペリイニイの口より出でゝ人々に喝采せらるゝなりき。ペリイニイは一句を添へず又一句を削らず、その口吻態度些の我に殊なることなくして、人々は此の如く笑ひしなり。語り畢る時、老公は掌を撫して、側に立ちて笑ひ居たる姫に向ひ、 「いかにをかしき話ならずや」 と宣給へり。 姫、 「まことに仰せの如くに侍り、けふ午(ひる)の食卓にて、アントニオが語りし時より然かおもひ侍りき」 と答へ給ふ。 その語調はいと溫和にて、怨み憤る色もなく辨(わきま)へ難ずる色もなし。われは心の内にて、この優しき小尼公の前に跪かんとしたり。この時フランチエスカの君も、 「げにげにをかしき物語なりき」 と宣給ふ。 われは心(むね)の跳るを覺えて、そと人々に遠ざかり、身を長き幌(とばり)の蔭に隱して、窗の外なる涼しき空氣を呼吸したり。 この一口話の事をば、われ唯だ一の例として、かく詳(つぶさ)にはしるしゝなり。これより後も、日としてこれに似たる辱を被らざることなかりき。唯だ小尼公のすゞしき目の我面を見上げて、衆人の罪惡の爲めに代りて我に謝するに似たるありて、われはその辱の疇昔(さき)よりも忍び易きを覺えたり。竊(ひそか)におもふに我にはまことに弱點あり。そを何ぞといふに、影を顧みて自ら喜ぶ性(さが)ありて、難きを見て屈せざる質(うまれ)なきこと是なり。そもこの弱點はいづれの處よりか生ぜし。生を微賤の家に稟(う)けしにも因るべく、最初に受けし敎育にも因るべく、又恆に人の廡下(ぶか)に倚る境遇にも因るなるべし。我は胸に溢れ口に發せんと慾するところのものあるごとに、必ず先づ身邊の嘗て我に恩惠を施したる人々を顧みて、自ら我舌を結び、終に我不屈不撓の氣象を發展するに及ばずして止みぬ。若し自から辯護して評せばこも謙讓の一端なるべし。されどその弱點たることは到底掩ふべからざるを奈何せん。 今の勢をもてすれば、その恩義の絆を斷たんこといとむづかし。人々は我にいかなる苦痛を與へ給はんも、我が受けたるところの恩義は飽くまで恩義なり。そは人々なかりせば、我は或は饑渴(きくわつ)の爲めに苦められけんも計り難きが故なり。我が人々の爲めに身にふさはしき業して、恩義に酬(むく)いんとせしことは幾度ぞ。我は報恩の何の義なるかを知らざるにあらず、良心のいかなるものなるかを解せざるにあらず。いかなれば人々は此良心の發動、報恩の企圖を妨碍(ばうぐわい)して、天才は俗事に用なしといひ、又思想多きに過ぎて世務に適せずといふぞ。若しまことに天才を視ること此の如く、思想を視ること此の如くならば、そは天才をも思想をも知らざるなり。 その頃我は『大闢』(ダヰツト)を題として長篇を作りぬ。この詩は字々皆我心血なりき。昔の不幸なる戀と拿破里(ナポリ)客中の遭遇とは、常に胸裡に往來して、侯爵家の人々の所謂敎育は斷えず腦髓を刺戟し、我を驅りて詩國に入らしめ、我心頭には時として我生涯の一篇の完璧をなして浮び出づることあり。その中にはいかなる瑣細なる事も、いかなる厭ふべく苦むべき事も、一として滿分の詩趣を具へざるはなかりき。我中情は此の如く詠歎の聲を迫(せ)り出して、我をしてダヰツトの故事の最も當時の感興を寓するに宜しきを覺えしめしなり。 詩成りて、我は復たその名作たるを疑はざりき。而して我は神に謝する情の胸に溢るゝを見たり。そは我平生の習として、一詩句を得るごとに、未だ嘗て神の我靈魂を護りて、詩思を生ぜしめ給ふを謝せざることあらざればなり。此作は我心の瘡痍(さうい)を醫(いや)すべき藥液なりき。我は自ら以爲(おも)へらく。人々若し我此作を讀まば、その我に苦痛を與ふることの非なるを悟りて、善く我を遇するに至るならんと。 詩成りて、作者より外、未だ一人の肉眼のこれに觸れたるものあらず。この塵を蒙らざる美の影圖は、その氣高きこと彼ワチカアノなるアポルロンの神の像の如く、儼然(げんぜん)として我前に立てり。嗚呼、この影圖よ。今これを知りたるものは、唯だ神と我とのみ。我は學士會院に往きてこれを朗讀すべき日を樂み待てり。 さるを一日(あるひ)フアビアニ公子とフランチエスカ夫人との優しさ常に倍するを覺えければ、我は此二恩人に對して心中の祕密を守ること能はざりき。こは小尼公(アベヂツサ)の來給ひしより二三日の後なりきと覺ゆ。公子夫婦は聞きて、さらばその詩をば我等こそ最初に聽くべけれと宣給ふ。 我は直ちに諾(だく)しつれど、心にはこの本讀(ほんよみ)の發落(なりゆき)いかにと氣遣はざること能はざりき。さて我詩を讀むべき夕には、老侯も席に出で給ふ筈なりき。此日となりて又期せずしてハツバス・ダアダアの侯爵家を訪ふに會ひぬ。フランチエスカはこれを留めて、 「渠(かれ)にも我が讀むべき詩を聽かしめん」 といひぬ。 われは此翁の偏執の念强くして人の才を妬み、特に平生我を喜ばざるを知れり。公子夫婦の心冷なる、旣に好き聽衆とすべきならぬに、今又此毒舌の翁を獲つ。我が本讀の前兆は太(はなは)だ佳ならざるが如くなりき。 我胸の跳ることは、嘗てサン・カルロ座の舞臺に立ちし時より甚しかりき。若し我が期するところの效果にして十分ならば、人々はこれを聽きて、その常に我を遇する手段の正しからざるを悟り、未來に於いて自ら改むるに至るならん。是れ一種の精神上の治療法なり。われは明かに我が期するところの難きを知る。さるを、猶これを敢てするものは、深く自ら『ダヰツト』の一篇の傑作なることを信じたればなり、又小尼公の優しき目の暗に我を鼓舞するに似たるあるに感じたればなり。 我詩は一として自家の閲歷に本づかざる者なし。此篇も亦然なり。首段は牧童たるダヰツトの事を敍す。卽ち我が穉かりし頃、ドメニカにはぐゝまれてカムパニアの茅屋(ばうをく)に住めりし時の境界に外ならず。フランチエスカの君聞もあへず、 「そは汝が上にあらずや、汝がカムパニアの野にありし時の事に非ずや」 と叫び給へば、老侯笑ひて、 「そは預期すべき事なり。いかなる題に逢ひても、自家の感情をもてこれに附會することを得るはアントニオが長技ならずや」 と答へ給ふ。 ハツバス・ダアダアは嗄(か)れたる聲振り絞りていふやう、 「句々洗錬の足らざるが恨なり。ホラチウスの敎を知らずや。唯だ放置せよ。放置してその熟するを待て」 といへり、おん身の作も亦然なり。 人々は早く旣に一槌をわが美しき彫像に加へしなり。我は猶二三章を讀みしかど、只だ冷澹にして輕浮なる評語の我耳に詣(いた)り入るあるのみ。人々は又我肺腑中より流れ出でたる句を聞きて、古人(いにしへびと)某の集より剽竊(へうせつ)せるかと疑へり。嗚呼、初め我が人をして聳聽(さうてう)せしむべく、怡悅(いえつ)せしむべき句ぞとおもひしものは、今は人々の一顧にだに價せざらんとす。我は第二折の末に到りて、興全く盡きぬれば、人々に謝して讀むことを止めたり。此に至りて、自ら我手中の詩篇を顧みれば、復た前(さき)の綽約(しやくやく)たる姿なくして、彼三王日の前夜フイレンチエ市を擔ひ行くなる「ベフアアナ」といふ偶人(にんぎやう)の、面色極めて奇醜にして、目には硝子球を嵌めたるにも譬へつべきものとなりぬ。是れ聽衆の口々より嘑きたる毒氣のわが美の影圖をして此の如く變化せしめしにぞありける。 「おん身のダヰツトは市井の俗人をだに殺すことなからん」 とはハツバス・ダアダアが總評なりき。 人々は又評して宣給ふやう、 「篇中往々好き處なきにあらず。そは情深きと無邪氣なるとの二つに本づけり」 となり。 我は頭を低(た)れて口に一語を出さず、罪囚の刑の宣告を受くるやうなる心地にて、人々の前に凝立せり。ハツバス・ダアダアは再び、 「ホラチウスの敎を忘れ給ふな」 と繰返しつゝも、猶慇懃(いんぎん)に我手を握りて、 「詩人よ、懋(つと)めよや」 と云ひぬ。 我は室の一隅に退きたりしが、暫しありて同じハツバス・ダアダアが耳疎き人の癖とて、聲高くフアビアニ公子にさゝやくを聞きつ。そは、 「杜撰彼篇の如きは己れの未だ嘗て見ざるところぞ」 との事なりき。 人々は我詩を解せざらんとせり。又我を解せざらんとせり。こは我が忍ぶこと能はざるところなり。室の隣には、開爐(カムミノ)に炭火を焚きたる廣閒あり。われはこれに退き入り、手に詩稾(しかう)を把りて、爪甲(さうかふ)の掌を穿たんばかりに握りたり。嗚呼、我夢は一瞬の閒に醒め、我希望は一瞬の閒に破壞せられたり。我身は神の御姿の摸造ながら、自ら顧みれば苦窳(くゆ)の器に殊ならず。われは我鍾愛(しようあい)の物、我がしばしば接吻せし物、我が心血を漑(そゝ)ぎし物、我が性命ある活思想とも稱すべき物をもて、熾火(しくわ)の裡に擲(なげう)ちたり。我詩卷は炎々として燃え上れり。忽ち、 「アントニオ!」 と叫ぶ一聲我身邊より起りて、小尼公(アベヂツサ)の優しき腕(かひな)の爐中の詩卷を攫(つか)まんとせし時、事の慌忙(あわたゞ)しさに足踏みすべらしたるなるべし、この天使の如き少女は、 「あ!」 と叫びて、橫ざまに身を火燄の閒に僵(たふ)しつ。我は夢心地の閒に姫を抱き起しつ。人々は何事やらんと馳せ集へり。 フランチエスカ夫人は聖母の御名を唱へつ。我手に抱き上げられたる姫は、眞蒼(まさを)なる顏もて母上を仰ぎ見つゝ、 「足すべりて爐の中に倒れ、手少し傷け侍り。アントニオなかりせば大いなる怪我をもすべかりしを」 と宣給ひぬ。 われは激しき感情に襲はれて、口に一語を發すること能はず、只だ喪心せるものゝ如くなりき。 姫は右手(めて)を劇しく燒き給へり。一家の騷擾(さうぜう)は一方ならず。彼問ひ此答ふる繁(しげ)き詞の中にも、幸にして人の我詩卷を問ふ者なく、我も亦默(もだ)ありければ、『ダヰツト』の詩篇の事は終に復た一人の口に上ることなかりき。あらず、後に至りてこれに言ひ及びし人唯一人あり。そは我が爲めに翼を焦しゝ天使なりき。小尼公なりき。嗚呼、小尼公なかりせば、われは全く厭世の淵に沈み果てしならん。われをして人の心の猶賴むべきを覺えしめ、われをして少時の淨き心を喚び返さしめたるは、げにこのボルゲエゼ一家の守護神たる小尼公なりき。小尼公の手は痛むこと十四日の閒なりき。我胸の痛むことも亦十四日の閒なりき。 ある日われは獨り姫の病牀に侍することを得て、わが久しく言はんと慾するところを言ふことを得たり。われ、 「フラミニア[の君よ、願はくは我罪を許し給へ。君は我が爲めに其苦痛を受け給へり」 姫、 「否、その事をば再び口に出し給ふな。又ゆめ餘所に洩し給ふな。そが上に、さのたまふはおん身自ら歎き給ふにてこそあれ。我足のすべりしは事實なり。おん身若し扶け起し給はずば、わが怪我はいかなりけん。されば我はおん身の恩を荷(にな)へり。父母も然か思ひて、御身のいちはやく救ひ給ひしを感じ給ひぬ。獨り此事のみにはあらず。父母の御身を愛し給ふ心のまことの深さをば、おん身は未だ全く知り給はぬごとし」 われ、 「そは宣給ふまでもなし。わが今日あるは皆御家の賜なり。かくて一日ごとに我が受くるところの恩澤は加はりゆくなり」 姫、 「否、さる筋の事をいふにはあらず。わが二親のおん身を遇し給ふさまをば、此幾日の閒に我熟(よ)く知れり。二親はかくするが好しとおもひ給ふなれば、そは奈何ともし難けれど、總ておん身を惡しとおもひ給ひてにはあらず。殊に母上の我に對しておん身を譽め給ふ御詞をば、おん身に聞せまほしきやうなり。師の尼君の宣給ふに、おほよそ人と生れて過失なきものあらじとぞ。憚あることには侍れど、おん身にも總て過失なしとはいひ難くや侍らん。例之(たとへ)ばおん身は、いかなれば一時怒に任せて、彼美しき詩を焚き給ひし」 われ、 「そは世に殘すべき價なければなり。唯だ焚くことの遲かりしこそ恨なれ」 姫、 「否々、われは世の人の心の險しきを憶(おも)ひ得たり。靜かなる尼寺の垣の内にありて、優しき尼達に交らんことの願はしさよ」 われ、 「げに君が淨き御心にては、しかおもひ給ふなるべし。我心は汚れたり。惠の泉の甘きをば忘れ易くして、一滴の毒水をば繰返して味ふこと、まことに罪深き業にこそ侍らめ」 と答へぬ。 この館には一人として我を憎むものなし。されど尼寺の心安きには似ず。こは小尼公(アベヂツサ)の獨り我に對し給ふとき、屡々宣給ひし詞なり。われはこの姫をもて我感情の守護神、わが淸淨なる思想の守護神とし、漸くこれに心を傾けつ。想ふに姫の歸り來給ひしより、館の人々の我を遇し給ふさま、面色よりいはんも語氣よりいはんも、著(いちじろ)く溫和に著く優渥(いうあく)なるは、この優しき人の感化に因るなるべし。 姫は數々(しばしば)我をして平生の好むところを語らしめ給ひぬ、詩を談ぜしめ給ひぬ。興に乘じて古人の事を談ずるときは、われは自ら我辯舌の暢達(てうたつ)になれるに驚きぬ。姫はもろ手の指を組み合せて、我面を仰ぎ見給ふ。姫、 「おん身の如く詩をもて業とするは、まことに人生の幸福なるべし。されど神の預言者たるべき詩人の、神の德、天國の平和をば歌はで、人の業、現世の爭奪を歌ふは何故ぞ。おん身は世の人に福を授け給ふことも多かるべけれど、又禍を遺し給ふことも少からざるならん」 われ、 「否、詩人の人を歌ふは隨卽(やがて)神を歌ふなり。神は己れの德を表さんとて、人をば造り給ひしなり」 姫、 「おん身の宣給ふところには、わが諾(うべな)ひ難き節あれど、われは我心を明すべき詞を求め得ず。人の心にも世のたゝずまひにも、げに神の御心は顯れたるべし。さればそを指し示して、世の人をして神の懷に歸り入らしめんこそ、詩人の務とはいふべけれ。さるを卻りて世の人を驅りて、おそろしき呑噬(どんぜい)爭奪の境界に墮ちしめんとする如くなるは、好しとはおもはれず。そは兎まれ角まれ、おん身はいかにして卽興の詩を歌ひ給ふか」 われ、 「題を得るときは思想は招かずして至るものなり」 姫、 「さなり。其思想は神の賜ふ所なること人皆知る。されどそを句とし章とし、それに美しき姿しらべを賦し給ふは奈何」 われ、 「君は尼寺に居給ふとき、『プサルモス』の歌を聽き、又古の聖の上を綴りたる韻語を學び給ひしならん。さてある時端なく一の思想の浮び出づるに逢ひて、これと與(とも)に曾て聞ける歌、曾て聞ける韻語を憶(おも)ひ得給ひしことはあらずや。憾むらくは、おん身はかゝる機會を逸し給ひて、筆とりて其思想を寫さんことを試み給はざりしなり。おん身若しそを試み給ひしならば、思想の全き形の心頭に顯れたるものは凝りて散ぜず、句は句を生じ章は章を生じ、詩は無意識の閒になりしならん。こは唯だ我一人の經驗ながら、詩人の製作といふものはかくあらんとおもふなり。われは詩を作るごとに、我詩の前世の記憶の如く、前身の搖籃中にて聞きし歌の名殘の如きを感ず。われは創作すと感ぜず、われは復誦すと感ず」 姫、 「その思想といふものも、いかなるが詩となすに宜しかるべきか知るよしなけれど、わが尼寺にありし時、ふと物の懷かしき如き情、遠きに騁(は)する如き情の胸に溢るゝことあり。その懷かしきは何ぞ、その騁するは何をあてぞといはば、われ自ら答ふるところを知らず。されど夢に吾夫(わがつま)たるべき耶蘇を見、又聖母を見るときは、我心はこれに慰められたり。かゝる情も詩となるべしや否や、覺束なし。館に歸りての後は、耶蘇聖母の夢に見え給ふこと稀にして、華やかなる浮世の事、罪深き人閒の事のみ夢に入りぬ。されば唯だ尼寺に返らんことこそ願はしけれ。アントニオよ、おん身は親しき友なれば告ぐべし。われはこの頃漸く心の汚れんとするを覺ゆるなり。そは粧ひ飾らんとする願起りて、人の美しと褒むるが喜ばしくなれるにて知らる。尼寺の人々に知られなば、何とかいはれん」 われ、 「世に君の如く淨き心あるべしや。われは唯だ我心の君に似ざるを愧(は)づるのみ。今我目もて見るときは、君の心の淨さは、昔穉くて此御館に居給ひし日に殊ならず」 (われはかく言ひて姫の手に接吻せり。) 姫、 「その頃おん身の我を抱き給ひしこと、我が爲めに畫かきて賜はりしことをば、まだ忘れ侍らず」 われ、 「おん身の其畫を看畢りて、破(や)り棄て給ひしをも、われは忘れず」 姫、 「そを憎しとおもひ給ひしや」 われ、 「世の人は我胸中なる美しき繪の限を破り棄てぬれど、われはそれすら憎むことなし」 わが小尼公(アベヂツサ)に親む心は日にけに增さり行きぬ。われは世の人の皆我敵にして、唯だ小尼公のみ身方なるを覺えき。 落飾(出家) * 暑き二箇月の閒は、館の人々チヲリに遊び給ひぬ。わがその羣に入ることを得つるは、恐らくは小尼公の緩頬(くわんけふ)に由れるなるべし。橄欖(オリワ)の茂き林、石走(いははし)る瀧津瀨(たきつせ)など、自然の豐かに美しき景色の我心を動すことは、嘗てテルラチナに來て始て海を觀つる時と殊なることなかりき。この山のたゝずまひ、この風の淸く涼しきに、我は復たナポリの夢を喚び起すことを得たり。我は羅馬(ロオマ)の塵多き衢(ちまた)、焦げたるカムパニアの野、汗流るゝ午景を背にせしを喜びて、人々の我を伴ひ給ひしを謝したり。小尼公の侍女と共に驢(うさぎうま)に騎りてチヲリの谷閒に遊び給ふときは、我はこれに隨ひ行くことを許されたり。姫は頗る自然を愛する情に富みて、我に些の寫生を試みしめ給ひぬ。荒漠たるカムパニアの野の盡くるところに、聖彼得(サン・ピエトロ)寺の塔の湧出したる、橄欖の林、葡萄の圃(はたけ)の緑いろ濃く山腹を覆ひたる、瀑布幾條か漲(みなぎり)り墮(お)つる巖の上にチヲリの人家の簇(むらが)りたるなど、皆かつがつ我筆に上りしなり。 終の圖に筆を染むる時、姫の宣給ふやう、 「かく麓より眺むれば、この落ちたぎつ水の勢は、早晚巖石を穿ち碎き、押し流して、その上なる人家も底(そこひ)なき瀧壺に陷らずやと怖しく思はる」 と宣給ふ。 われ、 「まことに宜給ふ如し。されどそを憂へずして、彼家々に栖(す)める人の笑ひ樂みて日を送れるこそ神の惠ならめ。神は憫(あはれ)むべき人類のために、おそろしき地下のさまを掩ひ隱し給ふとおぼし。君は此水をすらおそろしと見給へども、ナポリの市(まち)の地下のさまはいかなるべきか。此は水なり、彼は火なり。かしこの民は、沸き返る熔巖(ラワ)の釜の上に生涯を送れるなり」 と答へぬ。 我又語を繼ぎて、ヱズヰオの火山の形、わが其巓に登りし時の事、エルコラノとポムペイとの來歷など、姫に聞えまつりしに、姫は耳を傾け給ひて、 「館に還りての後、猶大澤の彼方の珍らしき事どもを語り聞せよ」 と宣給ひぬ。 姫は、 「海のいかなるものなるを想ひ見ること能はず」 と宣給ふ。 そは親しく海と云ふ者を觀給ひしは唯一たびにて、それさへ山の巓より、地平線を限れる一帶の銀色したる物を認め給ひしに過ぎざればなり。われは姫に告げて、 「まことの海原は我脚底に又一の碧空を視る如し」 と云ひしに、姫は手を組み合せて、神の此世界を飾り給ひしことの極みなく奇しきをたゝへ給ひぬ。この時我は、その奇しく妙なる世界を背にして、狹き尼寺の垣の内に籠らんとし給ふ御心こそ知られねと云はんと慾せしが、姫の思ひ給はん程のおぼつかなくて默(もだ)しつ。 ある日姫と我等とは、荒れたる神巫寺(みこでら)の傍に立ちて雲霧の如く漲り下る二條の大瀑を下瞰(みおろ)したり。一道の白き水烟は、小暗(をぐら)き林木を穿ちて逆立し、その末は靑き空氣の中に散じ、日光はこれに觸れて彩虹を現じ出せり。側なる小瀑(カスカテルラ)の上なる岩窟には、一羣の鴿(はと)ありて巢を營みたり。その時ありて大いなる圈(わ)を畫きて、我等の脚下を飛ぶや、噴珠と共に亂れて、見る目まばゆき程なり。姫は歎賞すること久しうして、我に卽興を求め給へり。われは平生夢寐(むび)の閒に往來する所の情の、終に散じ終に銷(せう)すること此飛泉と同じきを想ひて、忽ち歌ひ起していはく、 「人生の急湍(きふたん)は須臾(しゆゆ)も留まることなし。太陽同じく照すといへど、一滴一沫よりして見れば、その光を仰ぎその溫を被らざるあり。惟だ美妙の大光明は全景を覆ひ盡すのみ」 と云ひぬ。 姫は我歌を遮り留めて、 「止めよ、われは悲傷の詞を聞かんことを願はず、汝が心まことに樂しからずば、姑(しばら)く我が爲めに歌ふことを休(や)めよ」 と宣給ひぬ。 姫の我を信じ給ふことの厚きは、我が姫を信ずることの厚きに殊ならず。ある時姫の詞に、 「いかなる故とも知る由なけれど、館に往來する他の男子には語り難き事をも、おん身には語り易し、御身の親しきは父母に劣らざる心地すと」 いはれしことあり。 されば我もまた心を置かで、何くれとなく物語するやうになりぬ。幼かりし日の事を語りて、地下の石窟(いはむろ)に入りて路を失ひし話よりジエンツアノの花祭に老侯の馬車の我母を轢殺(ひきころ)せし話に至りしときは、姫の驚一方(ひとかた)ならざりき。姫は我手を摻(と)りて、我面を打目守り、 「その事をば館の人々まだ一たびも我に告げざりき。さては、我族(うから)の御身に負ふ所はいと大いなり」 と宣給ひぬ。 カムパニアの媼ドメニカには、姫深き同情を寄せ給ひて、おん身は定めて今も怠らずおとづれ給ふなるべしと宣給ひぬ。われは少しく心に恥ぢながら、 「去年は唯だ二たび訪ひしのみなれど、彼方より尋ね來たるごとに、些の小づかひ錢をば分ち與ふるを例とす」 と答へぬ。 われは姫に促されて、我自傳を語りつゞけ、ベルナルドオの上に及び、又アヌンチヤタの上に及びぬ。されど我面に注ぎたる姫の涼しき目は、我をして縱(ほしいまゝ)に戀愛を說き嫉妬を說くこと能はざらしめき。われは話題を轉じてナポリの紀行に入り、ララの事を語り、こたびは又サンタの事にさへ及びぬ。 最も姫の心に愜(かな)ひしはララなり。姫の宜給ふやう、 「アヌンチヤタは美しくもありしなるべく、賢(さか)しくもありしなるべし。されど面を公衆の前に曝(さら)すことを憚らず、浮薄なる貴公子を戀ひ慕へるなど、われはいかなる詞もて評すべきを知らぬながら、その人のおん身の妻とならざりしをば喜ぶなり。ララはこれに異(こと)にて、まことにおん身の爲めの守護神なるべし。おん身の靈の天上に在らん時、先づ來りて相見んものはララならずして誰ぞや」 と宣給ひぬ。 サンタをば姫いたく怖れ給ひて、 「燃ゆる山、闊(ひろ)き海の景色はいかに美しからんも、かゝる怖ろしき人の住める地に往かんことは、わが願にあらず、おん身の恙(つゝが)なかりしは、聖母の御惠なり」 と宣給ふ。 われは此詞を聞きて、さきに包み藏(かく)して告げざりしサンタとの最後の會見の事を憶ひ起しつ。現に我頭を擊ちて我夢を醒ましゝは、尊き聖母の御影なりき。姫若しわが當時の惑を知らば、猶我に許すに善人をもてすべしや否や。我肉身の弱きことは、よその男子に殊ならざりしなり。姫は又我に迫りて、嘗て卽興詩人として劇場に上りし折の事を語らしめ給ひぬ。 「山深き賊寨(ぞくさい)にて歌はんは易く、大都の舞臺にて歌はんは難かるべし」 とは、姫の評なりき。 われは行李を探りて、かの拿破里(ナポリ)日報を出して姫に見せつ。姫は先づ當時の評語を讀みて、さて知らぬ都會の新聞紙のいかなる事を載せたるかを見ばやとて、あちこち飜し見給ひしが、忽ち我面を仰ぎ視て、 「おん身はアヌンチヤタの同じ時ナポリに在りしをば、まだ我に告げ給はざりき」 と宣給ふ。 われはこの思ひ掛けぬ詞に、 「アヌンチヤタの爭(いか)でか」 とつぶやきつゝ、彼新聞紙に目を注ぎつ。 われは此一枚(ひら)の紙を手にとりしこと幾度なるを知らねど、いつも評語をのみ讀みつれば、アヌンチヤタの事を書ける雜報あるには心付かざりしなり。 姫の指ざし給ふ雜報には、アヌンチヤタ明日登場すべしとあり。その明日といへるは卽ち我が拿破里を發せし日なり。われは姫と目を見合せて、暫くはものいふこと能はざりき。旣にして我は纔(わづか)に口を開き、 「さるにても我が再び面をあはせざりしは、せめてもの幸なりき」 といひぬ。 姫、 「さは宣給へど、今其人に逢ひ給はゞいかに。定めて喜ばしと思ひ給ふならん」 われ、 「否、われは悲しと思ふべし。そを何故といふに、わが昔崇拜せしアヌンチヤタは今亡(う)せたり、昔の理想の影は今消えぬ、わがこれを思ふは泉下の人を思ふ如し、さるを若しそのアヌンチヤタならぬアヌンチヤタ又出でゝ、冷なる眼もて我を見ば、瘥(い)えなんとする心の創は復た綻(ほころ)びて、卻りてわれに限なき苦痛を感ぜしむるなるべし」 いと暑き日の午後(ひるすぎ)、われは共同の廣閒に出でしに、緑なる蔓草の纏ひ付きたる窗櫺(さうれい)の下に、姫の假寢(うたゝね)し給へるに會ひぬ。纖手(せんしゆ)もて頬を支へて眠りたるさま、只だ戲に目を閉ぢたるやうに見えたり。胸の波打つは夢見るにやあらん。忽ち微笑の影浮びて、姫の眠は醒めぬ。 「アントニオ、そこにありや。われは料(はか)らずも眠りて、料らずも夢見たり。おん身はわが夢に見えしは何人の上なりとかおもふ」 われ、 「ララにはあらずや」 この答はわが姫の目を閉ぢたるを見し時、心に浮びし人を指して言へるのみなりしに、期せずして中(あた)りしなり。 姫、 「さなり。われはララと共に飛行して、大海の上を渡りゆきぬ。海の中には一の島山(しまやま)ありき。その山の巓はいと高きに、われ等は猶おん身の物思はしげなる面持して石に踞して坐し給ふを見ることを得つ。ララは翼を振ひて上らんとす。われはこれに從はんとして、羽搖(はたゝき)するごとに後(おく)れ、その距離千尋(ちひろ)なるべく覺ゆるとき、忽ち又ララとおん身との我側にあるを見き」 われ、 「そは死の境界なるべし。生きて千里を隔つるものも、死しては必ず相逢ふ。死は惠深きものにて、我に我が愛するところのものを與ふ」 姫、 「われは遠からず尼寺に歸らんとす。これより後の我生涯は、おん身の爲めには死せると同じ。おん身は能く我を忘れずして、死後相見んことを期し給はんや」 姫の此詞はいたく我心を動して、我をして輒(すなは)ち答ふること能はざらしめき。 ある日フランチエスカ夫人は姫を伴ひてヰルラ・デステの園の中をそゞろありきし給へり。我も亦許されてその後(しりへ)に從ひぬ。園は高き絲杉あるをもて世に聞えたるところなり。一行の人工の噴泉ある長き街樾(なみき)の閒を步むとき、路上に襤褸(ぼろ)を纏ひたる貧人の羣の草を拔くありき。われそが一人に「パオロ」銀一箇(我二十錢餘)を與へしに、姫もまた微笑みつゝ一箇を與へ給ひぬ。草拔く人は、 「美しき姫君と壻君(むこぎみ)とに聖母の御惠あれかし」 と呼びたり。 フランチエスカ夫人はこれを聞きて高く笑へり。われは熱血の身を焦すを覺えて、姫の面を覗ふことを敢てせざりき。われは今明に姫の我が爲めに離れ難き人となりしを覺りぬ。されど此情は嘗てアヌンチヤタの爲に發せしと逈(はるか)に殊にて、又ララに對して生ぜしとも同じからず。アヌンチヤタの才と色とは殆ど我をして狂せしめ、ララの理想めきたる美は魔力を吾頭上に加へ、竝に皆我をしてその人を我物にせん願を起さしめしなり。獨り小尼公(アベヂツサ)に至りては、我友情を催すこと極て深きに、われは卻(かへ)りて又我慾念のこれが爲めに抑へらるゝを覺えき。 幾(いくばく)もあらぬに我等は又羅馬に歸りぬ。姫は二三週の後には尼寺に返り給ふべく、返り給ひては直ちに覆面の式を行はせらるべしと傳ふ。姫の長き髮はこれを截(き)り、その身には生きながら凶衣を被らしめ、輓歌(ばんか)を歌ひ鯨音(かね)を鳴し、法(かた)の如く假に葬りて、さて天に許嫁せる人となりて蘇生せしむ。是れ式のあらましなり。姫は面に喜の色を湛へてこれを語りぬ。われは聞くに忍びずして、 「いかなれば君は自ら壙穴(つかあな)を穿ちて自ら下り入らんとはし給ふぞ」 といひぬ。 姫は色を正して、 「さる詞を人にな聞せそ。此塵の世に心牽(ひ)かるゝことおん身の如くならんも拙し、少しは後の世の事をも思へかし」 と宣給ふ。 その聲音さへ常ならぬに我はいたく驚きぬ。霎時(しばし)ありて、姫は詞の過ぎたるを悔み給ひしにや、面に紅を潮して我手を取り、 「アントニオとても我心の平和を破り、我に要(えう)なき物思せさせんとにはあらざるべし」 と宣給ふ。 我は詞なくて姫の金蓮の下に臥し轉(まろ)びつ。 別(わかれ)の舞踏會は御館にて催されぬ。われは姫の最後に色ある衣を着け給ふを見き。是れ人々の生贄の羔(こひつじ)を飾れるなり。姫は我傍に步み寄りて、 「おん身も人々の歡を分ち給はずや。われ若しおん身の憂はしき面を見て別れ去らば、尼寺に入りて後に屡々御身の上を氣づかふならん。かくてはおん身我に罪障を增させ給ふなり」 と宣給ふ。 其聲は我が爲めに、瀕死の人の氣息を聞くが如くなりき。 出立ち給ふ前の日の夕となりぬ。姫は神色常の如く、父君と老侯とに接吻して、あすの別の事を語り給ふ。其詞つきの、唯だ假初(かりそめ)の旅路抔(など)に出立ち給ふにかはらぬぞ、なかなかに哀なりける。 「アントニオに暇乞せずや」 といふは、フアビアニ公子の聲なり。 坐上にて、獨り此君のみは面に憂の色を帶び給へり。我は趨(はし)りて姫の前に出で、白く細き右手に接吻せり。姫はアントニオと我名を呼び掛け給ひしが、流石にしばし口籠(くごも)りて、 「世に幸ある人となり給へ、さらば」 とて、我額に接吻し給ふ。 われは夢心に其閒を走り出でゝ、我室に泣きに入りぬ。 終にその日とはなりぬ。空は晴れ渡りて、日は麗(うらゝ)かに照りぬ。我は父君母君の盛妝(せいさう)せる姫を贄卓(にへづくゑ)の前に導き行き給ふを見、歌頌の聲を聞き、けふの式を拜まんとて來り集へる衆人の我四邊を圍めるを覺えき。 されど僧徒の羣に引かれてつくゑの前に跪き給へる、天使の如き姫君の、色白く優しげなる面のみは、我心の上に殊に明かなる印象を與へて、年經ての後も消ゆることなかりき。 我は僧等の姫が頭上の紗(うすぎぬ)を剥ぎて、雲の如き髩髮(ひんぱつ)の亂れ墜ちて兩の肩を掩へるを見、これを斷つ剪刀(はさみ)の響を聞きつ。僧等は幾襲(かさね)の美しき衣を脫がせて、姫を柩の上に臥させまつり、下に白き希(きれ)を覆ひ、上に又髑髏(どくろ)の文樣ある黑き布を重ねたり。忽ち鐘の音聞えて、僧等の口は一齊に輓歌(ばんか)を唱へ出しつ。かくて姫は此世を隱れましゝなり。 爾來(そのとき)尼院に連れる廊道(わたどのみち)の前なる黑漆の格子擧(あが)りて、式の白衣を着たる一羣の尼達現れ、高く天使の歌を歌ふ。僧官(エピスコポス)は姫の手を取りて扶け起しつ。姫は早や天に許嫁し給ひて、御名さへ「エリザベツタ」と改まりぬ。 我は姫の羣集の上に投じ給ふ最後の一瞥を望み見たり。一人の故參の尼は姫の手を引きて入りぬ。黑漆の格子は下りて、姫の姿、姫の裳裾は見えずなりぬ。
第10章 フアビアニ公子は我を招きて一包の金を賜ひぬ。 「汝は好き方人(かたうど)を失ひぬれば、氣色すぐれず見ゆるも理(ことわり)なきにあらず。姫は我に此金を殘しおきて、カムパニアの媼に與へんことを賴み聞えぬ。想ふに姫はドメニカ上を汝に聞きて知りたりしならん。持ち往きて與へよ」 となり。 死は蛇の如く我心を纏へり。我は自殺の念の一種の旨味あるを覺えて、心に又此念の生じ來れるを怖れたり。御館の廣き閒ごと閒ごとに、我はうらさびしき空虛を感ぜり。我はこゝを出でゝカムパニアの野に往かんことの樂しかるべきをおもひぬ。そは我搖籃のありつる處、ドメニカが子もり歌の響きし處の、今更に懷しき心地したればなり。 カムパニアの廣き野は、この頃の暑さに焦げ爛(たゞ)れて、些の生氣をだに留めざりき。黃なるテヱエルの流の、層々の波を滾(まろが)し去るは、そをして海に沒せしめんが爲めなるべし。われは又蔦蘿(つたがづら)の壁にまとひ屋根にまとへる、小さなる石屋を見たり。是れ實にわが少時の天地なりしなり。門の戶は開けり。われは媼の我を見て喜ぶべきを思ひて、胸に樂しく又哀なる一種の感を起しつ。先に此家をおとづれてより、早や一とせを經ぬ。先に羅馬にて彼媼を見しより、早や八月を經ぬ。此閒われは媼を忘れたりしならず、起臥(おきふし)ごとに思ひ出でゝ、小尼公(アベヂツサ)にも語り聞せつ。されどチヲリの避暑、御館にかへりて後の心の憂などは、我を妨げてカムパニアに來させざりしなり。 家の見え初めてより、われは媼の歡び迎ふる詞を想像しつゝ、步を早めたりしが、家の門近くなりては、又跫音(きようおん)の疾く聞えんことを恐れて、ぬきあししつゝ進み寄りぬ。 門口より見るに、土閒の中央に籘(たう)を折り加(く)べて火を燃やし、大いなる鐵の銚(なべ)を弔(つ)りたり。その下に火を吹く童ありて、こなたへ振り向くを見ればピエトロなり。昔はわれ此童の搖籃を護りしことありしに、此頃はいと逞しきものにぞなりぬる。 「聖ジユウゼツペ、檀那の來ましつるよ。さきに來ましゝより早や久しくなり候ふ」 とて、立ち上りて迎へぬ。 わがさし伸ばす手に、童の接吻せんとするを遮りつゝ、われ、 「無面目(つれな)くも忘られしよとおもへるならん。忘れたるにはあらず」 とことわりつ。 童、 「否、母もさは思ひ候はざりき。生存(ながら)へたらばいかに嬉しとおもふらんものを」 われ、 「何とか言ふ。ドメニカは最早世にあらずとか」 童、 「地の下に埋めてより、旣に半年になりぬ。病みしは僅に二日ばかりなりしが、その閒アントニオ、アントニオとのみ呼び續け候ひぬ。わがかく檀那の御名(おんな)をいふを無禮(なめ)しとおもひ給ふな。母は唯一目アントニオを見て死なんといひき。今宵はとおもはれし日の午過(ひるす)ぎて、われは羅馬の御館(みたち)に參りしに、檀那はチヲリに往き給ひし後なりき。歸りて見れば、母は息絕えたり」 言ひ畢りて、ピエトロは手もて面を掩ひぬ。 ピエトロが物語は、句ごとに、言(ことば)ごとに、我胸を刺す如くなりき。恩情母に等しきドメニカが、死に垂(なんな)んとして我名を呼びしとき、我は避暑の遊をなして、心のどかに日を暮しつ。媼の餘命いくばくもあらぬをば、われ爭(いか)でか知らざらん。何故に我はチヲリに往くに先だちて、一たび媼の許には來ざりしぞ。我はかくても猶自ら辯護して、我は善き人ぞといはんとするか。 われは彼金包を取りいで、我身邊に帶び來りし錢をも添へて、悉く童に與へつ。童は土閒に跪きて、我を天使と呼べり。我が爲めには此詞の嘲謔(てうぎやく)の意あるが如く聞えて、我は此家(や)の内にあるに堪へず、一つの憂をもて來し身の、今は二つの憂を懷(いだ)きて、逃るが如く馳せ去りぬ。
未錬
我恢復は頗る遲かりき。館の人に見舞はるゝごとに、我は勉(つと)めて面を和(やはら)げ快(こゝろよ)げにもてなせども、胸の中の苦しさは譬へんに物無かりき。此閒人々は一たびも小尼公(アベヂツサ)の名を我前に唱ふることなかりき。 かくて小尼公の尼寺に入り給ひしより、六週の後となりし時、醫師(くすし)は始て我に戶外(とのも)を逍遙することを許しつ。 我は期する所あるに非ずして、ポルタ・ピアの傍に立ち、目を四井街(クワトロ・フオンタネ)の方に注ぎつ。されど我は猶心に憚りて、尼寺の門に到ることを果さゞりき。二三日の後、我は新月の光を趁(お)ひて、又同じところに來しに、こたびは自ら禁ずること能はずして、進みて灰色の寺壁の下に立ち、格子窗を仰ぎ視たり。我は自らことわりて、誰かわが此墳墓を展(み)るを難ずることを得んと云ひぬ。これよりして、我足は日として四井街に向はざることなく、偶々識る人に逢ふことあれば、散步のゆくてはヰルラ・アルバニなりと欺きつ。 我足の尼寺の築泥(ついぢ)の外に通ふこと愈々繁く、我情の迫ること愈々切に、われはこの通路(かよひぢ)の行末いかになるべきかを危まざること能はざるに至りぬ。 果せる哉、ある暗き夕、我が尼寺の一窗の微に燈光を洩せるを仰ぎ見て、心に小尼公をおもふ時、忽ち傍より、 「アントニオ!」 と呼ぶものあるを聞きつ。 「アントニオ、おん身はこゝに何をか爲せる」 我は頭(かうべ)を囘(めぐら)して公子の面を認め得たり。公子は直ちに我を促して共に歸りぬ。公子は途上復たわれと一語を交へざるに、われは心に公子の思はん程の恥かしくて、その面を見ることを敢てせざりき。我室に入りて相對せる時、公子容(かたち)を改めて宣給ふやう、 「アントニオよ、御身の病はまだ痊(い)えずと覺し。少しく世の人に立ち交りて、氣鬱を散ぜんかた、身の爲めに宜しからん。曩(さき)にはおん身一たび翼を張りて飛ばんとせしを、われ强ひて抑留し、おん身をして久しく樊籠(はんろう)の中にあらしめき。そは我過(あやまち)にはあらざりしか。人各々意志あり。行かんと慾するところに行き、住(とゞ)まらんと慾するところに住まりて、さて不幸に遭はば、そは自ら作せるなれば、悔ゆることもあらざるべし。おん身は最早童にあらねば、人の監督を受くることをば喜ばざるべし。この頃醫師(くすし)に謀(はか)りしに、これも轉地を勸めたり、拿破里(ナポリ)の方をば旣に見つれば、こたびは北伊太利を見に往けかし。一とせの閒の費(つひえ)をば、われいかにともすべし。此館にありし閒の我等の待遇には、おん身は或は慊(あきたら)ざりしならん。されど又世閒に出でゝは、誠の心もておん身を待つ人少きことを忘れ給ふな。われ等は未來一年の閒のおん身の振舞を見て、過去の我等の待遇のおん身に利ありしか利あらざりしかを驗(ため)すべし」 といはれぬ。 公子は我答を待たずして室を出で給ひぬ。こは我に謀るにあらずして我に命ずるものなればなり。我に命ずるは我を逐(お)ふものなればなり。世途は艱難ならん。されどその我を毒すること今の生涯に孰與(いづれ)ぞ。今や公子はわれに自由を與へ給ふ。こは仙方なり。靈藥なり。われは只だその仙方靈藥の劇毒の如く我創痍を刺し、我に苦痛を與ふるを感ずるのみ。去らんかな、羅馬を去らんかな。いでや、記念の花の匂へる南國を出でゝ、アペンニノの山を踰(こ)え、雪深き北地に入らん。アルピイおろしの寒威は、恰も好し、我が沸きかへる血を鎭むるならん。いでや浮島のヱネチアに往かん、わたつみの配(つま)てふヱネチアに往かん。神よ、我をして復た羅馬に歸らしむること勿れ、我記念の墳墓を訪(とぶら)はしむること勿れ。さらば羅馬、さらば故鄕。
梟首(さらしくび)
われは又前(さき)に過ぎたる門を出でたり。門外に大廢屋あり。その城壘(ぜうるゐ)たりしと寺觀たりしとを知らず。今の街道はその廣閒を貫きて通ぜり。側(かたへ)なる細徑を下れば、小房の蜂窠(ほうくわ)の如きありて、常春藤(きづた)と石長生(はこねさう)とは其壁を掩ひ盡せり。進みて一の廣閒に入るに、地に委ねたる石柱の頭と瓦石の堆(たい)とは高草の底に沒し、こゝかしこに色硝子(いろガラス)の斷片を留めたる尖弧(ゴチツコ)式の窗をば幅廣き葡萄の若葉物珍らしげにさし覗き、數丈の高さなる墻壁(せうへき)の上には荊棘(けいきよく)叢(むらが)り生ぜり。偶々月光の一の壁面を照すを見れば、半ば剥蝕(はくしよく)せられたる鮮畫(フレスコ)は、箭(や)に貫かれたる聖セバスチアノの像を物せり。此廣閒は絕えず遠雷の如き響ありて、四壁に反響す。われその響を追ひて狹き戶を濳り出でしに、道はミユルツスと葡萄との鬱茂せる閒に窮まりて、脚底千仞(せんじん)の斷崖を形づくれり。一の瀑布ありてこれに懸る。月光其泡沫を射て、銀丸を擲(なげう)つ如し。 凡そ此等の景は、なべて世の好奇心あるものを動かすに足るものなるべし。されど富時の我の憂愁に沈める、或は等閑に看過したらんも知るべからず。幸に我は此境に在りて、別に一事に遭ひたり。我は其事を我心上に血書して復た消滅すべからざらしめしが故に、亦併せて此景の詳(つばら)なることを記し得たり。 崖に沿ひて一條の細徑あり。迂𢌞して初の街道に通ず。われは高萱(たかがや)を分け小草(をぐさ)を踏みて行きしに、月は高き石垣の上を照して、三人(みたり)の色蒼ざめたる首(かうべ)の、鐵格の背後(うしろ)より、我を覗ふを見たり。こは山賊を梟(けう)せるなりき。ネピの人の此壁上に梟首(けうしゆ)するは、羅馬の人のアンジエロ門(ポルタ・デル・アンジエロ)の上に梟首するに殊ならず。首を鐵籠中に置くことはた同じ。常の我ならば、遠く望みて走り去るべきに、此頃の痛苦は我に哲學思想を與へ、我をして冷眼もてこれを視ることを敢てせしめき。嗚呼、王侯の前に屈せざりし首よ、人を殺し火を放つ計(はかりごと)を出しゝ首よ、深山(みやま)の荒鷲に似たる男等の首よ。今は靜に身を籠中に托すること、人に馴れたる小鳥の如し。近づくこと一步にして見れば、刎(は)ねられてよりまだ日を經ざるものと覺しく、鬚眉(しゆび)猶生けるがごとし。旣にして我は中央なる首級の少しく異なるものあるを認め得たり。こは分明(ぶんみやう)に老女の首なりしなり。我はこの褐(かち)いろの顏、半ば開ける眶(まぶた)、格子の外に洩れ出でゝ風に亂るゝ銀髮を凝視して、我脈搏の忽ち亢進するを覺えき。われは眼を壁に懸けたる石版に注げり。版には土地(ところ)の習にて、梟せられたるものゝ氏名と其罪科とを彫(ゑ)りたり。果せるかな、中央に「老女フルヰア、フラスカアチの產」と記せり。われはいたく感動して、覺えず步み退くこと二三步なりき。 嗚呼、嘗て一たび我性命を救ひ、我に拿破里に至る盤纏(ろよう)を給せしフルヰアは、今此梟木(かけぎ)の上より我と相見るなり。この藍色なる唇は、曾て我額に觸れしことあり。この物言はざる口は、曾て我に未來の運命を語りしことあり。汝は我福祉を預言したり。汝の猛き鷲は日邊に到らずして其翼を折(くじ)けり、世のまがつみと戰ひてネミの湖に沈みたり。 われは淚を灑(そゝ)いでフルヰアの名を呼び、盤散(はんさん)として閭門(りよもん)の外なる街道に步み旋(かへ)りぬ。
テルニイ
** 道は一苑を過ぎて、巖壁と激流との閒なる街樾(なみき)に入りぬ。その木は皆鬱蒼たる橄欖なり。これを行く閒、われは早く水沫(みなわ)の雲の如く半空に騰上(たうぜう)して、彩虹の其中に現ぜるを見き。蝦夷石南(レヅム)とミユルツスとの路を塞げるを、押し分けつゝ攀(よ)ぢ登りて見れば、大瀑は山の絕巓(ぜつてん)より起り、削れる如き巖壁に沿ひて倒下す。側に一支流ありて、迂曲して落つ。其狀銀色の帶を展(の)べたる如し。この細大二流は、わが立てる巖の前に至りて合し、幅闊(ひろ)き急流となり、乳色の渦卷を生じて底(そこひ)なき深谷に漲り落つ。雷の如き響は我胸を鼓盪(こたう)して、我失望我苦心と相應じ、我をして前(さき)に小尼公(アベヂツサ)の爲めにチヲリの瀧の前に立ちて、卽興の詩を吟ぜし時の情を憶ひ起さしむ。げにや、碎け、消え、死するは自然の運命なること、獨り此瀑布のみにはあらず。 導者はわれを顧みていふやう、 「昨年英吉利(イギリス)人ひとり山賊に擊ち殺されしは、此巖の上にての事なりき。賊はサビノの山のものなりといへど、羅馬のテルニイとの閒に出沒して、人その踪蹤(そうせう)を審(つばら)にすること能はず。警吏は直ちに來りて、そが夥伴(なかま)なる三人を捕へき。われはその車上に縳せられて市(まち)に入るを見たり。市の門にはフルヰアの老女立ち居たり。老女は天(あめ)の下の奇しき事どもを多く知れるものにて、世には法皇の府の僧官(カルヂナアレ)達も及ばざること遠しとぞいふ。その時老女の車上の賊に向ひて語りしは、何事にかありけん、例の怪しき詞なれば、傍聽(かたへぎき)せしものは辨(わきま)へ知らん由なかりき。さるを後には老女を彼賊の同類なりとし、ことし數人の賊と共に彼老女をさへ刎(は)ねて、ネピの石垣の上に梟(か)けたり」 と語りぬ。
妄想
我胸は愛を求むるが爲めに燃ゆ。是より先き此火は旣に二たび點ぜられしなり。昔のアヌンチヤタは我が仰ぎ瞻(み)しところ、我が新に醒めたる心の力もて攀ぢんと慾せしところなるに、憾むらくは我を棄てゝ人に往けり。今のフラミニアは我を眩(げん)せしめず、我を狂せしめずして、漸く我心と膠着(かうちやく)すること、寶石のまばゆからざる光の、久しきを經て貴きことを覺えしむるが如くなりき。フラミニアは我手を握ること、妹の兄の手を握る如く、我にこれに接吻することを許すこと、妹の兄に許す如く、又我を說き慰め、我が爲めに祈りて世の穢を受けざらしめんとして、その度ごとに知らず識らず鏃(やじり)を我心に沒せしめたり。我はこれを愛すること許嫁の婦(つま)を愛するが如くならず。されどその人の婦とならんをば、われまた冷に傍より看ること能はざりしならん。今やフラミニアは死せり、現世の爲めには亡人の數に入りたり。世にはこれを抱き、その唇に觸るゝことを得るものなし。是れ我が責(せめ)てもの慰藉也。 海に往かん、往いて海の驚くべき景を觀ん。是れ我が新なる境界なり。ヱネチアよ、水に泛(うか)べる都城よ、ハドリアの海の王女よ、願はくは我をして重れる山と黑き林とを過ぎることを須(もち)ゐず、空に翔(かけ)り波を凌ぎて汝と會することを得しめよとは、我が當時の夢なりき。 初め我は先づフイレンチエに往き、かしこよりボロニア、フエルララを經て、ヱネチアに達せんと慾せしに、今は忽ち前の計畫を擲(なげう)ち、スポレツトオより雇車(やとひぐるま)を下り、暗夜身を郵便車に托してアペンニノの嶺を踰(こ)え、ロレツトオの地をさへ、尊き御寺を拜まずして馳せ過ぎつ。 山道を登りて巓に至りし時、我は早く地平線上一帶の銀色を認め得たり。是れハドリア海なり。脚下に大波の層疊せるを見るは、羣巒(ぐんらん)の起伏せるなり。旣にして碧波の上に、檣竿(せうくわん)の林立せるを辨ず。種々(くさぐさ)なる旗章は其尖に飜れり。光景は畧(ほ)ぼ拿破里(ナポリ)に似たれど、ヱズヰオの山の黑烟を吐けるなく、又カプリの島の港口に橫れるなし。此夜の夢に、我はフルヰアのおうなとフラミニアの君とに逢ひしに、二人皆面に微笑を湛へて、君が福祉の棕櫚(しゆろ)は緑ならんとすと告げたり。 眠醒めしとき、日は旅店の窗よりさし入りたり。房奴(カメリエリ)來りていふやう、 「客人(まらうど)よ、ヱネチアに渡る舟は今帆を揚げんとす、猶留りてこのわたりの景色を觀んとやし給ふ」 といふ。 「否、舟あるこそ幸なれ、さらば直ちにヱネチアに往かん」 と答へつ。 我心は何故とも知る由なけれど、唯だ推され輓(ひ)かるゝ如くなりき。われは埠頭におり立ちて、行李を搬び來らしめ、目を放ちて海原を望み見たり。さらばさらば、我故鄕。われは足の此土を離れんとするに臨みて、いよいよ新なる世界の我が爲めに開くべきを感ぜり。北伊太利國の自然の全く相殊(こと)なるべきは始より疑ふべからず。就中ヱネチアは盛飾せる海の配偶にして、他の伊太利諸市と全く其趣を異にすべきこと明なり。我が乘るところの此舟は、卽ちヱネチアの舟にして、翼ある獅子の旗は早く我が頭上に飜(ひるがへ)れり。帆は風に饜(あ)きて、舟は忽ち外海に駚(はし)り出で、我は艙板(ふないた)の上に坐して、藍碧なる波の起伏を眺め居たるに、傍に一少年の蹲(うづくま)れるありて、ヱネチアの俚謠(ひなうた)を歌ふ。其歌は人生の短きと戀愛の幸あるとを言へり。こゝに大概(あらまし)を意譯せんか。其辭にいはく、 「朱(あけ)の唇に觸れよ。誰か汝の明日猶在るを知らん。戀せよ。汝の心の猶少(わか)く、汝の血の猶熱き閒に。白髮は死の花にして、その咲くや心の火は消え、血は氷とならんとす。來れ、彼輕舸(けいくわ)の中に。二人はその蓋(おほひ)の下に隱れて、窗を塞ぎ戶を閉ぢ、人の來り覗ふことを許さゞらん。少女よ、人は二人の戀の幸を覗はざるべし。二人は波の上に漂ひ、波は相推(あひお)し相就(あひつ)き、二人も亦相推し相就くこと其波の如くならん。戀せよ、汝の心の猶少く、汝の血の猶熱き閒に。汝の幸を知るものは、唯だ不言の夜あるのみ、唯だ起伏の波あるのみ。老は至らんとす、氷と雪ともて汝の心汝の血を殺さん爲めに」 少年は一節を唱ふごとに、其友の羣を顧みて、互に相頷けり。友の羣は劇場の舞羣(ホロス)の如くこれに和せり。まことに此歌は其辭卑猥にして其意(こゝろ)放縱なり。さるを我はこれを聞きて輓歌(ばんか)を聞く思ひをなせり。老は至らんとす。少壯の火は消えなんとす。我は尊き愛の膏油を地上に覆(くつがへ)して、これを焚いて光を放ち熱を發せしむるに及ばざりき。こは濫用して人に禍せしならねど、遂に徒費して天に背きしことを免れず。そもそも我は誓約の良心を縳(ばく)するあるにあらず、責任の云爲(うんゐ)を妨ぐるあるにあらずして、何故に我前に湧ける愛の泉を汲まざりしぞ。かく思ひ續くれば、一種の言ふべからざる情はわが胸に溢れたり。これに名づけて自ら慊(あきたら)ざる情ともいふべきか。こは我慾火の勢を得て、我智慧を燬(や)くにやあらん。 我がサンタを畏れて走り避けしは何故ぞ。聖母の像の壁上より落ちぬればなり。否々、鏽(さ)びたる釘はいづれの時か折れざらん。まことに我をして走り避けしめしものは、我脈絡中なる山羊の乳のみ、ジエスヰタ派學校の敎育のみ。われはサンタの艷色を憶ひ起して、心目にその燃ゆる如き目なざしを見、心耳にその渴せる如き聲音を聞き、我と我を嘲り我と我を卑(いやし)めり。何故に我は世上の男子の如く、ベルナルドオの如くなることを得ざる。愛を求むるは我心にあらずや。我心は神の授け給ひし光明にあらずや。さらば愛を求むるは神にあらずや。此時我は此の如くに思議せり。此の如くに思議して、ヱネチアの繁華をおもひ、その女ありて雲の如くなるをおもひ、我血の猶熱せるをおもひ、忽ち聲を放ちて我少年の歌に和したり。 嗚呼、是れ皆熱の爲めに發せし譫語(うはごと)のみ、苦痛の餘なる躁狂(さうけう)のみ。我に心の光明を授け給ひし神よ、我運命の柄を握り給ふ神よ。我は御身の我罪を問ひ給ふことの刻薄ならざるべきを知る。人の心中には舌頭に上(のぼ)すべからざる發作あり、爭鬪あり。是れ吾人の淸廉なる守護神の膝を惡魔の前に屈する時なり。世の能く慾して能く遂ぐる人々は、我がいたづらに慾せしところに就いて、自在に評論せよ。されど汝等は裁決せざれ。さらば汝等は裁決せられざるならん。汝等は呪誼(じゆそ)せざれ。さらば汝等は呪誼せられざるべし。我は實に此の如く思議せり。此の如く思議して、復た祷(いのり)の詞を出すこと能はずして寢たり。舟は穩に我夢を載せて、北のかたヱネチアに向へり。
水の都
爽涼なる朝風は我感情を冷卻せり。我は心裡(しんり)にヱネチアの歷史を繰り返して、その古の富、古の繁華、古の獨立、古の權勢乃至(ないし)大海に配(めあは)すといふ古の大統領(ドオジエ)の事を思ひぬ。(ヱネチア共和國にドオジエを置きしは、第八世紀より千七百九十七年に至る。)旣にして舟は漸く進み、鹹澤(かんたく)(ラグウナ)の上なる個々の人家を見るに、その壁は黃を帶びたる灰色を呈し、古代の樣式にもあらず、又近時の設計にもあらねば、要するに好觀にあらざりき。名に聞えたるマルクスの塔は思ひしよりも高からず。舟は陸と鹹澤との閒を進めり。後なるものは曲りたる堤の如く、海中に斗出(としゆつ)したり。土地は全體極めて卑(ひく)しとおぼしく、岸の水より高きこと僅に數寸なるが如し。偶々數戶の小屋の羣を成せるあれば、指ざして「市」(フジナ)と云ふ。こゝかしこには一叢(ひとむら)の木立あり。其他は渾(すべ)て是れ平地なりき。 われはヱネチアの旣に甚だ近きを覺えしに、今傍人(かたへびと)に問へば猶一里ありと答ふ。而して此一里の閒は、皆瀦留(ちよりう)せる沼澤の水のみ。處々には泥土の島嶼(たうしよ)の狀をなして頭を露せるあり。その上には一鳥の足を留むるなく、一莖の草の萌え出づるなし。沼澤の中に、深き渠(みぞ)を穿ちて、杭を立て泥を支ふるあり。是れ舟を行(や)る道なり。われは始て「ゴンドラ」といふ小舟を見き。皆黑塗にして、その形狹く長く、波を截(き)りて走ること弦(つる)を離れし箭(や)に似たり。逼(せま)りて視れば、中央なる船房にも黑き布を覆(おほ)へり。水の上なる柩(ひつぎ)とやいふべき。拿破里(ナポリ)の水は岸に近づきても猶藍いろなるに、こゝは漸く變じて汚れたる緑となれり。偶々一島の傍を過ぐるに、その家々は或は直ちに水面より起れる如く、或は廢れたる舟の上に立てる如し。最も高き石壁の頂に、幼き耶蘇(やそ)を抱ける聖母の御像(みざう)ありて、この荒涼なる天地を眺め居給ふ。水の淺きところは、別に一種の鴨緑(あふりよく)色をなして、一面深き淵に接し、一面は黑き泥土の島に接す。日は明くヱネチアの市(まち)を照して、寺々の鐘は皆鳴り響けり。されど街衢(がいく)は闃(げき)として人影なきに似たり。船渠(せんきよ)を覗へば、只だ一舟の橫れるありて、こゝにも人を見ざりき。 我は身を彼水上の柩(ひつぎ)に托して、水の衢(ちまた)に入りぬ。樓屋軒をならべて石階の裾(すそ)は直ちに水面に達し、復た犬ばしり程の土をだに着けず。家々の穹窿門(きゆうりゆうもん)は水に架して橋梁の如く、中庭は大なる井の如し。この中庭には舟に帆掛けて入るべけれど、舳艫(ぢくろ)を旋(めぐら)さんことは難(かた)かるべし。海水はその緑なる苔皮(たいひ)をして、高く石壁に攀(よ)ぢ登らしめ、巍々(ぎゝ)たる大理石の宮殿も、これが爲めに水中に沈まんと慾する狀をなし、人をして危殆(きたい)の念を生ぜしむ。況(いはん)や金薄(きんぱく)半ば剥げたる大窗の削らざる板もて圍まれたるありて、大廈の一部まことに朽敗(きうはい)になんなんとしたるをや。旣にして梵鐘は聲を斂(をさ)めて、檝(かぢ)の水を擊つ音より外、何の響をも聞かずなりぬ。われは猶未だ人影を見ずして、只だ美しきヱネチアの鵠(はくてう)の尸(かばね)の如く波の上に浮べるを見るのみ。 舟は轉じて他の水路に入りぬ。その幅頗る狹くして石橋あまたかゝれり。こゝには人ありて、或は橋を渡りて家の閒に隱れ、或は石壁の門を出入す。されど街と名づくべきものは、水路の外有ることなし。舟人の棹を留めたるとき、われは、 「何處に往くべきぞ」 と問ひぬ。 舟人は家と家との閒を通ずる、橋の側なる隘(せば)き巷(こうぢ)を指ざし敎へつ。兩邊の家に住める人は、おのおの六層樓上の窗を開いて、互に手を握ることを得べく、この日光を受けざる巷は、僅に三人の竝び行くことをゆるすなるべし。我舟は旣に去りて、身邊また寂(せき)として人を見ず。 あはれヱネチアとは是か、海の配偶と云ひ、世界第一の富强者と云ひしヱネチアとは是か。 われは名に聞えたるマルクスの廣こうぢに入りぬ。こはヱネチアの心胸と稱すべき處にして、國の性命は此に存ずといふなるに、その所謂(いはゆる)繁華は羅馬のコルソオに孰與(いづれ)ぞ、又拿破里(ナポリ)の市に孰與ぞ。石の迫持(せりもち)の下なる長き廊道(わたどのみち)には、書肆(しよし)あり珠玉店あり繪畫鋪あれども、足を其前に留むるもの多からず。唯だ骨喜店(カツフエエ)の前には、幾個の希臘人、土耳格(トルコ)人などの彩衣を纏ひて、口に長き烟管(きせる)を啣(ふく)み、默坐したるあるのみ。日はマルクス寺の星根の鍍金(めつき)せる尖と寺門の上なる大いなる銅馬(だうめ)とを照して、チユペルス、カンヂア、モレア等の舟の赤檣(せきしやう)の上なる徽章ある旗は垂れて動かず。數千の鴿(はと)は廣こうぢを飛びかひて、甃石(いしだたみ)の上に𩛰(あさ)れり。 われは進みてポンテ・リアルトオに到りて、いよいよ斯土の風俗を知りぬ。ヱネチアは大いなる悲哀の鄕なり、我主觀の好き對象なり。而して此鄕の水の上に泛(うか)べること、古のノアの舟と同じ。われは小き舟を下りて、この大いなる舟に上りしなり。 日の夕となりて、模糊として力なき月光の全都を被(おほ)ひ、隨處に際立ちたる陰翳(いんえい)を生ぜしとき、われはいよいよヱネチアの眞味を領畧することを得たり。死せる都府の陰森(いんしん)の氣は、光明に宜しからずして幽暗に宜しければなり。われは客亭の窗を開いて立ち、黑き小舟の矢を射る如く黑き波を截(き)り去るを望み、前(さき)の舟人の歌ひし戀の歌を憶ひ起せり。われは此時アヌンチヤタを恨みき。いかなれば彼佳人は我を棄てゝベルナルドオに奔りしぞ。こは誠實を去りて輕薄に就きしにあらずや。われは此時フラミニアをさへ恨みき。いかなれば彼少女(をとめ)は我を棄てゝ尼寺に入りしぞ。こは情愛を去りて平和に就きしにあらずや。我胸は一種の言ふべからざる空虛を感じたり。我胸はあらゆる我を喜ばせしものとあらゆる我を慰めし者とを一掃して去らんと慾せり。然るにかく思議する閒、終始我心目の前に往來するものは、可哀きララと罪深きサンタとの面影なりき。われは蹣跚(まんさん)として階)を下り、舟を喚びて水の衢(ちまた)を逍遙せり。二人の柁手(こぎて)は相和して歌ふ。其歌は古の恢復せられたる『エルザレム』(ジエルザレムメ・リベラアタ)の調にあらず、大統領(ドオジエ)の族(うから)絕えて、獅子の翼の外人(よそびと)に縳せられてより、ヱネチアの民はその歌謠の上の國粹をさへ失ひつるなり。われは獨語して、いでや人生の渦裏に投じて、人生の樂(たのしみ)を受用し、誓ひて餘瀝なからしめんと云ふとき、舟はもとの旅館の階下に留まりぬ。われは又蹣跚として階を上り、おぼつかなき孤客の夢を結びぬ。
第11章 われは大統領(ドオジエ)の館(たち)の輪奐(りんくわん)の美を討(たづ)ねて、その華麗を極めたる空しき殿堂を經𢌞(へめぐ)り、おそろしき活(いき)地獄の圖ある鞠問所(きくもんじよ)を觀き。われは彼四面皆塞りたる橋の、小舟通ふ溝渠の上に架せられたるを渡りぬ。是れ館より牢獄に往く道にして、名づけて「歎息橋」と曰ふとぞ。橋に接する處は卽ち牢井(らうせゐ)なり。 廊に點じたる燈火は僅かに狹き鐵格(てつがう)を穿ちて、最上層の獄(ひとや)を照し出せり。此層の如きは、これを下層に比するときは、猶晴やかなる房(へや)と稱すべきならん。濕(うるほ)ひて菌(きのこ)を生じたる牀は、逈(はるか)に溝渠の水面の下にあり。あはれ、此房の壁は幾何の人の歎息と叫喚とを聞きつる。われは慴然(せふぜん)として肌膚(きふ)の粟を生ずるを覺え、急に舟を呼んで薄赤いろなる古宮殿、獅子を刻める石柱の前を過ぎ、鹹澤(かんたく)の方に向ひぬ。舟の指すところは卽ち所謂「岸區」(リド)なりき。 われは岸區に近づくとき、何物をか見し。ここには一の大いなる墓田ありき。外國人(とつくにびと)と新敎徒とは、この水と水とに挾まれたる一帶の土の、殆ど時々刻々洗ひ去らるゝ狀をなせる處に埋めらるゝなり。白き人骨は沙(いさご)の表に露れて、これが爲めに哭するものは、只だ浪の音あるのみ。 漁父の危きを冒して沖に出でたるとき、その妻そのいひなづけの妻などの、坐して夫の舟の歸るを待つは、此岸區なりといふ。颶風(ぐふう)の勢少しく挫(くじ)けたるとき、こゝに坐したる女子の、彼恢復せられたる『エルザレム』中の歌を歌ひ、耳を傾けて夫の聲のこれに應ずるや否やを覗ひしこと幾度ぞ。さるをその懷(なつ)かしき夫の聲の終に應ずることなく、可憐の女子の獨り不言の海に對して口は復た歌ふこと能はず、目は空しく沙上の髑髏(されかうべ)を見、耳は徒らに岸打浪(きしうつなみ)の音を聞きて、暮色の漸く死せる古都を掩ふを覺えしこと又幾度ぞ。 この暗澹たる畫圖は我心目に上りて消えず、我情調はこれに一層の悲慘の色を添へんとせり。わが對するところの自然は、無常と歷劫(れきごふ)との觀を惹(ひ)き起すこと、一の寺院の如くなりき。フラミニアの姫の詞は、此時端(はし)なく憶ひ出されぬ。 「詩人は神の預言者にあらずや。何故に詩人は神の德を頌せんことを勉めざる」 嗚呼、我は忽ち此詞の眞理なることを感得せり。不滅なる詩人の心は不滅なる神をこそ詩料とすべきなれ。目前の榮華は泡沫の五彩の色を現ずるに異ならずして、その生ずる時はやがてその滅する時なり。われは忽ち興到り氣奮(ふる)ふを覺えしに、忽ち又興散じて氣衰ふるを覺え、悄然として舟に上り、大海に臨める岸區(リド)に着きぬ。 海はやゝ浪立てり。われは佇立(ちよりつ)してアマルフイイの灣(いりえ)を憶ひ起しつゝ、目を轉じて身邊を顧みれば、波のもて來し藻草と小石との閒に坐して、草畫を作れる男あり。われは其姿に些の見おぼえあるをもて、徐にこれに近づくほどに男は身を起して此方に向へり。こは我がヱネチアに來てよりの新相識の一人なる貴族の少年にて名を「ポツジヨ」といふものなりき。 ポツジヨのいふやう、 「こゝにて君と相見んとは思ひ掛けざりき。この怒り易く恃(たの)み難きハドリアの海の、能く君を招き致したるは、唯だその紅波白浪の美あるがためか、そもそも別に美なるものありて、この岸區に住めるにはあらざるか」 といひぬ。 我等は互に進み寄りて手を握りつ。 人の語るを聞くに、ポツジヨは畫才ありて資力なき人なり。その人に對する言語動作は活溌にして、閒々放縱なるかとさへ疑はるゝ節あれども、まことはいみじき厭世家なり。言ふところはドン・ホアンを欺く蕩子(たうし)なる如くにして、まことは聖アントニウスの誘惑を峻拒(しゆんきよ)する氣概あり。無邪氣なること赤子の如く、胸中一事を包藏するに堪へざるものに似て、智を恃(たの)める士流は遂にその底蘊(ていうん)を窮むること能はず。こは深き憂に中(あた)れるが爲めなるべけれど、その憂は貧か戀か、そもそも別に尋常(よのつね)ならざる祕密あるか。これを知るもの絕て無しとぞ。われは人の若語(しかかた)るを聞きて、かねてよりポツジヨに親まんことを願ひしかば、今ゆくりなくこれに逢ひて、心にこの邂逅を喜び、早く胸の狹霧(さぎり)のこれがために晴るゝを覺えき。 ポツジヨは海を指ざして、 「かゝる靑く波立てる大面積は羅馬の無き所なり。おほよそ地上の美なるもの海に若(し)くはなかるべし。宜なり海はアフロヂテの母にして」 と云ひさし、少し笑ひて、 「又ヱネチア歷代の大統領の未亡人なり」 といへり。 われ、 「海を愛する心は、ヱネチアの人殊に深かるべき理(ことわり)あり。海は己れが母なるヱネチアの母にして、己れを愛撫し己れを游嬉せしむる祖母なればなり」 ポツジヨ、 「その氣高かりし海の女の今は頭を低(た)れたるぞ哀なる」 われ、 「フランツ帝の下にありて幸ありとはいふべからざるか」 ポツジヨ、 「われは政治を解せず。ヱネチア人は今も不平を說くことを須(もち)ゐざるなるべし。されどわが解するところのものは美妙なり。陸上宮殿の柱像(カリアチデス)たらんは、海の女王たらんことの崇高なるには若かず。おもふに君の美妙を崇拜し給ふこと我に殊ならざるべければ、君はかしこより來る彼美(かのび)の呼び迎ふるをも辭(いな)み給はぬならん。こは識る所の酒亭(オステリア)の娘なり。共に往き給はずや」 といふ。 われはポツジヨと少女に誘はれて、海に枕(のぞ)める小家に入りぬ。酒は旨し。友は善く談ぜり。誰かポツジヨが輕快なる辯と怡悅(いえつ)の色とを見て、その厭世の客たるを知り得ん。我は共に坐すること二時閒ばかりなりしに、舟人は急に我を呼びて歸途に就かんことを促せり。 「こは颶風の候(しるし)ありて、岸區(リド)とヱネチアとの閒なる波は、最早小舟を危うするに足るが故なり」 と云へり。 ポツジヨは耳を欹(そばだ)てたり。 「何とか云ふ。颶風は我が久しく觀んことを願ひしところなり。アバテも暫く我と共に留まり給へ。日の暮るゝまでには凪(な)ぐべし。若(もし)凪がずば、枕をこの茅屋根の下に安くして、波の音を聞くこと、昔子もり歌を聞きしが如くせん」 といふ。 我は舟人を顧みて、 「舟を要せば別に雇ふべければ、汝達は去留自在にせよ」 といひて、暇を取らせつ。 須臾(しゆゆ)にして波濤洶々(けうけう)の音漸く高く、風力の衝突は頻りに全屋を撼(うごか)せり。我とポツジヨとは偕(とも)に戶外に出でゝ瞻望(せんばう)したり。時に夕陽は震怒したる海の暗緑なる水を射て、大波の起る處雪花亂れ飜れり。地平線に近き邊には、層雲堆(たい)を成して、稻妻の其閒より閃發(せんぱつ)せるさま、幾箇の火山の噴坑を開けるに似たり。我等は忽ち二三の舟の紙上の黑點の如く彼雲に映ずるを見しが、忽ち又之を失へり。岸を噬(か)む水は、石に觸れて倒立し、鹹沫(しぶき)は飛んで二人の面を撲(う)てり。ポツジヨの興は風浪の高きに從ひて高く、掌を抵(う)ちて哄笑し、海に對して快哉(くわいさい)を連呼せり。此興は我に感じ傳はりて、我は胸中の苦悶の天地の忿怒に壓倒せらるゝを覺え、亦ポツジヨの聲に應じて叫びぬ。 暮色は急に襲ひ至りぬ。我等は亭(あづまや)に入りて、當壚(たうろ)の女をして良酒を供せしめ、續けさまに數杯を傾けて、此自然の活劇を翫(もてあそ)べり。忽ちポツジヨの聲を放ちて歌ふを聞きつ。其曲は嘗て此地に來りしとき舟中にありて聞きしと同じき戀の歌なり。われ杯を擧げて、 「ヱネチアの美人の健康のために飮まん」 と云へば、ポツジヨ、 「さらば我は羅馬の美人のために飮まん」 と云ふ。 若し相識らぬ人の、我等の狂態を見たらんには、定めて尋常時(つねのとき)に及びて行樂する徒(ともがら)となすなるべし。ポツジヨのいふやう、 「女子の美は羅馬に若(し)くはなし。君はいかにおもひ給ふか。憚ることなく答へ給へ」 われ、 「そは我が首肯する所なり」 ポツジヨ、 「さもあるべし。されど伊太利第一の美人は此ヱネチアにこそあれ。憾むらくは君未だ市長(ボデスタ)の女を見給はず。淸楚なること此の如きは、世の絕て無くして僅に有るところにして、これをや精神上の美とは云ふべき。若しカノワにして此女を識りたらましかば、その三美(ハリテス)の像の最も少きをば、必ず此女の姿によりて摸し成ししならん。(カノワは彫匠(てうせう)なり。ポツサニヨに生れ、ヱネチアに歿す。三美の像は獨逸ミユンヘンに在り。)われは嘗て晚餐式ありしとき、寺院にて見、又聖摩西(サン・モセス)の劇場にて一たび見たり。その高根の花に似て、仰ぎ看るだに容易からぬを恨むものは、獨り我のみにはあらず。おほよそヱネチアの少年紳士にして同じ恨を抱かぬはあらざるならん。只だ人々と我と相異なるは、彼は懸想(けさう)し、我は懸想せざるのみ。我俗眼もて見れば、彼人は餘りに天人めきたり。されど天人は崇拜の對象とすべきならん。アバテはいかに思ひ給ふ」 といふ。 われは此語を聞いて、フラミニアの事を思ひ出し、喜の色は我面より消え失せたり。ポツジヨ、 「酒は好し。風波は我筵(えん)の爲めに歌舞す。いかなれば君愁(うれひ)の色を見せ給ふぞ」 われ、 「市長(ボデスタ)は客を招き筵を張ることありや」 ポツジヨ、 「稀にそのことなきにあらず。されど招請(せうせい)を愼むこといと嚴なり。矧(いはん)や彼人は物に怯(おそ)るゝこと鹿子(かのこ)の如く、同じ席に列(つらな)るものもたやすく近づくこと能はざるを奈何せん。われは必ずしもかの人心より此の如しと說かず。そは人にめづらしがられんとてかく振舞ふ女も少からねばなり。そが上に彼人の身上には明白ならざる處なきにしもあらず。わが聞くところに依れば、市長に二人の妹ありて、皆久しく遠國に住めりき。その最も少(わか)き方の妹は希臘人に嫁ぎたりしに、その夫婦の閒に彼の奇しき少女はまうけられぬといふ。今一人の妹は猶處子(しよし)なり、しかも老いたる處子なり。四とせ前の頃彼の少女を伴ひて歸り來りしは、此の老處子に他ならざりき」 夜の如き闇黑は急に酒亭(オステリア)を襲ひて、ポツジヨが話の腰を折りたり。あなやと驚く隙もあらせず、赫然(かくぜん)たる電光は身邊を繞(めぐ)り、次いで雷聲大に震ひ、我等二人をして覺えず首を低(た)れて、十字を空に畫かしめつ。 酒亭の女主人色を變じて馳せ來りて云ふやう、 「氣の毒なることこそ出來(いできた)り候ひぬれ。岸區(リド)の優れたる舟人六人未だ海より歸らずして、就中)憐むべきアニエエゼは子供五人と共に岸に坐して待てり。いかになり行くことならん。只だ聖母の御惠を祈らんより外術なし」 といひぬ。 忽ち歌頌の聲はわれ等の耳に入れり。戶を出でゝ覗へば、彼の激浪倒立すること十丈なる岸頭に、一羣の女子小兒の立てるあり。小兒等は十字架を棒げ持てり。羣のうちに一人の年少(わか)き女の、地に坐して海上を凝視せるあり。この女は赤子に乳房を銜(ふく)ませたるに、別に年稍々長ぜる一兒の膝に枕したるさへありき。 忽ち一道の雷火下り射ると共に、颶風は引き去らんと慾する狀をなせり。地平線には小き稻妻亂れ起りて、暗碧なる浪の尖なる雪花はほのぼのと白み來れり。彼女は俄に蹶起(けつき)して、 「舟はかしこに」 と呼べり。 われ等はその指す方に一の黑點あるを認め得たり。黑點は次第に鮮かになりぬ。時に一人の老漁ありて、褐(かち)いろなる無庇帽(つばなしばうし)を戴き指を組み合せて立ちたりしに、不意にあなやと叫べり。聲未だ畢らざるに、我等は黑點の泡立てる巨濤の蔭に隱るゝを見たり。果せるかな老漁の目は我を欺かざりき。一羣の人は周章の色を現せり。天の漸く明かに、海の漸く靜に、舟人遭難の事の漸く確實になりゆくと共に、周章の色は加はり來れり。小兒は捧げ持ちたりし十字架を地に委ねて、泣き號(さけ)びつゝ母に縋(すが)りぬ。その時老漁は十字架を地より拾ひて、救世主の足に接吻し、更に高くこれを擎(さゝ)げて口に聖母の御名を唱へき。 半夜に至りて天に纖雲なく、皎月(けうげつ)はヱネチアと岸區(リド)との閒なる風なき水を照せり。われはポツジヨと舟を倩(やと)ひて岸區を離れたり。そは留まりて彼の五子の母を慰藉し、又これを救恤(きうじゆつ)するに由なかりしが爲めなり。
感動
會話は昨夜(よべ)の暴風の事に及べり。ポツジヨは舟人の橫死と遺族の窮乏とを語りて、些少なる棄損(きえん)のいかに大いなる功德をなすべきかを諷し試みたれども、人々は只だその笑止なることなるかなとて、肩を聳(そびや)かして相視たるのみにて、眞面目にこれに應ふるものなく、會話は餘所の題目に移りぬ。 頃(しばら)くして席は遊藝を競ふところとなり、ポツジヨは得意の舟歌(バルカルオラ)を歌へり。我は友の笑(ゑみ)を帶びたる容貌の背後に、暗に富貴なる人々の卑吝(ひりん)を嘲る色を藏(かく)したるかを疑ひぬ。舟歌畢りしとき、主婦は我に對ひて、 「君は歌ひ給はずや」 と問ひぬ。 われ、 「さらば卽興の詩一つ試みばや」 と答へぬ。 四邊には、 「渠(かれ)は卽興詩人なり」 と耳語く聲す。 婦人の羣は優しき目もて我を促し、男子等は我を揖(いふ)して請へり。われはキタルラの琴を抱きて人々に題を求めつ。忽ち一少女の臆する色なく目を我面に注ぎて『ヱネチア』と呼ぶあり。男子幾人か之に應じて『ヱネチア』、『ヱネチア』と反復せり。そはかの少女の頗る美なるが爲めなり。われは絃を理(をさ)めて、先づヱネチア往古の豪華を說きたり。人々は歷史と空想とを編み交ぜたる我詞章に耳を傾けつゝ、彼過去の影をもて此現在の形となすにやあらん、その眼光は皆耀(かゞや)けり。われは心中にララをおもひサンタをおもひつゝ、月明かなる夜、渠水(きよすゐ)に枕(のぞ)める出窗の上に、美人の獨りたゝずめる狀を敍したり。婦人等はこれを聞きて、謳(うた)ふもの直ちに己れを讚むとなすにやあらん、纖手を拍(う)ちて我に酬(むく)いぬ。わが席上の成功はスグリツチ(原註、知名の卽興詩人。)にも讓らざる如くなりき。 ポツジヨは我耳に附きて、 「市長(ボデスタ)の姪あり、此席にあり」 とさゝやきしが、會々(たまたま)婦人數人と老いたる貴族某(それ)との坐客を代表して、我に再演を請ひたりしが爲めに、われは友と多く語を交ふること能はざりき。 此請は我が預め期したるところなりき。われは好機會を得て、昨夜(よべ)の暴風と難船との事を敍し、前に友の雄辯もて遂ぐること能はざりしところをも、詞章もて遂げんと期したりしなり。 我は『チチアノの贊』といふ題を得たり。卽興はおもふまゝなる喝采を博して、古名匠の贊はわが自贊となりぬ。されどチチアノは海を畫く人ならざりしが爲めに、われは此題を利用して我志を果すに由なかりき。 主婦は我に近づきていふやう、 「君の如く自家の技藝もてかくあまたの人を樂ましめ感ぜしめんは、いかに快き事なるべきか」 われ、 「詩人第一の快事は詩の成功なり」 主婦、 「さらば能くその快きを題として歌ひ給はんや。君の辭を措(お)き給ふことの容易(たやす)げなるよりわれ等は、頻りに請ふことの無禮(なめ)げなるをさへ忘れんとす」 われ、 「こゝに一の奇術あり。そは人々皆詩人となりて、能く詩人の快さを體驗することなり。われは此術を善くすれども、かゝる術の常として、報なくては演ずべきにあらず。わが此詞は果して座客をして耳を敧(そばだ)てしめ、人々は爭ひ進みて、願はくはその奇術を見ることを得ん」 と云へり。 我は側なる卓を指ざして、 「報せんと思ふ方々は、金錢にもせよ珠玉首飾の類にもせよ、此上に出し給へ」 と云ひぬ。 婦人の一人は戲に、 「さらば我はこの黃金の鎖を置かん」 と云ひて、言ふところの品を卓上に擲(なげう)てり。 一男子は笑ひつゝ、 「さらば我は骨牌(かるた)の爲めに帶び來れる此金殘らずを置かん」 と云ひて、その財嚢(ざいなう)を擲てり。 われ、 「人々よ、我詞は戲言(ざれごと)にあらず、人々は再び其品を得給ふまじ」 といふに、滿座の客は、 「さもあらばあれ、君が奇術こそ見まほしけれ」 と、金銀、指環、鎖の類を堆(うづたか)く卓上に積みたり。 軍服着たる一老人、若しその奇術奇ならざるときは、われは我が「ヅカアチイ」二個(約三圓三十八錢)を取り返すことを得んか」 といひしに、ポツジヨは我に代りて、 「若し疑はしとおもひ給はゞ、夥伴(なかま)に入り給はでもあるべきに」 と答へぬ。 人々はこれを聞きて打笑ひ、只管(ひたすら)我が演じいだす所のいかなるべきを俟(ま)ち居たり。 われは將に口を開かんとするに臨みて、神の我に光明を與へ給ふを覺えたり。先づヱネチアの配偶なる、威力ある海を敍し、それより海の兒孫なる航海者に及び、性命を一葦(ゐ)に托する漁者に及べり。次に前夕(さいつゆふべ)の目擊せしところに就きて颶風を敍し、岸に臨みて翹望(げうばう)せる婦幼に及び、十字架を落す兒童とこれを拾ひて高く擎(さゝ)ぐる漁翁とに及べり。我は殆ど歌ふところのものゝ卽ち神の御聲にして、我身の唯だ此聲を發する器具に過ぎざるを覺えき。時に廣座の閒寂(せき)として人なきが如く、處々に巾(きれ)もて淚を拭ふものあるを見る。われはこれより茅屋(ばうをく)のうちなる寡婦孤兒の憐むべき生活(なりはひ)を敍し、賑恤(しんじゆつ)の必要と其效果とに及べり。われは人閒の快さは取るに在らずして與ふるに在り、與ふる快さは卽ち神の御心にして、此心あるものは誰か眞の詩人たらざらん」 と云へり。 我聲の威力、その幅員は曲の末解に至りて强さと大さとを加へき。我曲は能く衆人を感動せしめき。我が卓上の物を取りてポツジヨに交付し、これに救助の事を托せしときは喝采の聲屋(いへ)を撼(ゆるが)したり。爾時(そのとき)一の年わかき婦人ありて、我前に來り跪き、我手を握り、その淚に潤へる黑き瞳もて我面を見上げ、 「神の母の報は君が上にあれ」 と呼びたり。
市長が姪
** 座客は皆我傍に集ひて、わが博愛の心を稱へ、わが卽興の作を讚む。ポツジヨは我を擁して、 「幸ある友よ、人の仰ぎ視ることをだに敢てせざる美人は、膝を君が前に屈せしにあらずや」 とささやけり。 われ、 「渠(かれ)は何人(なんぴと)なりしか」 ポツジヨ、 「ヱネチア第一の美人なり。市長(ボデスタ)の姪なり」 一の老婦人ありて我に步み近づきて、 「君は最早我を忘れ給ひしか。そは理(ことわり)なきにあらず、唯だ一たび相見てより後、年あまた經ぬれば」 と云ひつゝ、我に手をさし伸べたり。 われ、 「一たび相見しことある御方とは知れど、何時何處にての事ともおもひ定め難し」 といふに、老婦人、 「我同胞(はらから)は醫師(くすし)にて拿破里(ナポリ)に居たり、君はボルゲエゼ家の公子と共に弟を訪(おとな)ひ給ひぬ」 といふ。 われ、 「まことに宣給ふ如し。こゝにて逢ひまつらんとは思ひ掛けざりしなり」 老婦人、 「拿破里の弟は妻なかりし故、われに家政をとりまかなはせしに、四とせ前にみまかりぬ。今はこゝなる兄の許に住めり。我姪はその性(さが)人と殊なれば、一たび家に歸らんといひ出でゝは、思ひ留まるべくもあらず、又こそ御目にかゝらめ」 とて、老婦人は出で去りぬ。 ポツジヨは再び我にさゝやくやう、 「かへすがへすも幸ある友よ。市長の妹の君が相識にて、君と再會を約せしは願ひてもなき事ならずや。ヱネチアの少年紳士にして君を羨まぬものはあらじ。人々は遠距離にありてだに心(むね)に傷(て)を負へるを、君は敵の陣地に入ることなれば、注意して自ら護り給へ」 といふ。 市長の姪の去りしには、座客氣付きぬれど、皆その心の優しきこと姿の美しきにかはらずとて、讚め稱へて已まざりき。 善行は心に光明を與ふ。われは久しぶりに心の中の快活を感じて、ポツジヨと杯を碰(うちあは)せ、此より兄弟の如くならんことを誓ひぬ。家に歸りしは夜半なりき。直ちに眠に就くべき心地ならねば、窗に坐して淸風明月に對せり。渠水(きよすゐ)波なく、古宮空しく聳ゆる處、我が爲めには神話中の夢幻界を現じ來れり。我は兒童の如く合掌して祈祷したり。父よ、我諸惡を免せ。我に氣力を賦(ふ)して善良の人たることを得しめよ、我をして些の羞慚(しうざん)の心なく、彼尼院中なるフラミニアを懷ふことを得しめよ。 翌朝は身極めて爽快なりき。我は舟人を喚びて市長(ボデスタ)の家に往くことを命ぜしに、舟人そのオテルロ宮(パラツツオオ・ドテルロ)なるを告げたり。オテルロとは彼シエエクスピイアの戲曲『ヱネチア』の黑人の主人公にして、市長の家は其舊館なれば、英吉利人は此地に來る每に必ずこれを尋ぬること、マルクス寺又は武庫に殊ならずといふ。 市長の一家は歡びて我を迎へ、主人の妹なるロオザ夫人は、亡弟の記念と拿破里の繁華とを語りて、我に再遊の願の甚だ切なるを告げ、主人の姪なるマリアは我をして復たララの姿を見、フラミニアの才を見る心地せしめき。マリアとララとの相肖(に)たるは驚くべき程なり。さるにても身に襤褸(ぼろ)を纏ひて、髮に一束の董花(すみれ)を揷みし乞丐(かたゐ)の女の、能くヱネチア第一の美人と美を媲(なら)ぶるこそ不思議なれ。是より我は頻りに此家に往來して、ロオザ夫人の爲めに『ダンテの神曲』、アルフイエリ、ハコリイニイ(竝に詩人の名。)等の集を朗讀せり。ポツジヨもわが紹介によりて市長の常の客となることを得たり。 卽興詩人としての我名は漸くヱネチアの都に傳はり、美術會院(アカデミア・デル・アルテ)は一日我を招きて技を奏せしめき。われは『ダンドロのコンスタンチノポリス征服』と『マルクス寺の銅馬(だうめ)』とを題として卽興の詩を歌ひ、會員證を授與(さづ)けられたり。 (ダンドロはヱネチアの大統領(ドオジエ)なりき。千二百三年コンスタンチノポリスを征服す。卽ち所謂第四次十字軍なり。) されどその頃我は別に一物の此會員證より貴きものを得つ。そは極めて細かなる貝を絹紐もて貫きたる瓔珞(くびたま)なり。岸區(リド)の漁者の遺族は我がために作りてポツジヨに托し、ポツジヨはマリアにあづけ置きぬ。ある日マリアは我が往きて訪ふを待ちて、 「美しく愛らしきものならずや』 と云ひつゝ我手にわたし、ロオザ夫人は傍より、 「他日おん身の許嫁の妻に掛けさせ給ふべき品なり、作りし人もその心ありしなるべし」 と詞を添へつ。 われは料(はか)らずも眉を蹙(せば)めて、 「我に許嫁の妻なし、未來にも亦さる人なからん」 と叫びぬ。 マリアの面には失望の色をあらはせり。そはこの贈を取次ぎて我を悅ばしめんことを期せしが故なり。われは手に瓔珞(くびたま)を捧げて、心にこれをマリアに與へんことを願ひぬ。マリアの顏の紅を潮(さ)せしは、我心を忖(はか)り得たるにやあらん、覺束なし。
第12章 「近頃はおん身の來給ふこと稀になりぬ。そは市長(ボデスタ)の許に往き給ふことの頻なるが爲めなるべし。我家にはマリアの如き美しき人あるにあらねば、誰かおん身の足の彼方にのみ向くを理(ことわり)ならずとせん。マリアは今ヱネチア第一の美人にして、御身はヱネチア第一の才子におはすれば、彼此(かれこれ)似つかはしき中なるに、マリアが所有なりといふカラブリアの地面はいと廣しといへば、おん二人の生計(たつき)さへ豐かなることを得べきならん。御身若し早く心を決めて誓約をだになし給はゞ、ヱネチア全市の男子一人としておん身を羨まざるものなからん」 といふ。 われ、 「いかなれば我をさまで利己心多きものとはし給ふぞ。わがマリアを尊むは、あらゆる美しきものを尊む情に外ならず。これをしも愛と謂はゞ、何人かマリアを愛せざらん。縱ひわれマリアを愛せんも我心は又決してその財產に左右せらるゝことなかるべし」 主人の妻、 「否、さてはおん身はつまさだめするものゝ先づ心得べき事あるを知り給はぬなるべし、粮廚(かてくりや)に滿ち酒窖(あなぐら)に滿ちて、始て夫婦の閒の幸福は全きものぞ。古き諺にも、生活(なりはひ)を先にし戀愛を後にすといへるにあらずや」 と云ひぬ。 人の我上をかくおもへる、旣に我が忍ぶべきところならず。況(いはん)や面(まのあた)りこれを語るをや。我は喜んで市長一家の人々と交れども、此の如き嫌疑を受くることを甘んじて、猶その家に出入すべくもあらず。今宵も市長の家を訪ふべかりし我は、步を轉じてヱネチアの狹き巷(こうぢ)をさまよひめぐりぬ。相向へる二列の家は、簷(のき)と簷と殆ど相觸れんとし、市店の燈を張ること多きが爲めに、火光は到らぬ隈もなく、士女の往來織るが如くなり。渠水(きよすゐ)を望めば、燈影長く垂れて、橋を負へる石弓(せりもち)の下に、「ゴンドラ」の舟の箭(や)よりも疾(はや)く駛(はし)るを見る。忽ち歌聲の耳に入るあり。諦聽すれば、是れ戀愛と接吻との曲なり。迷路(ラビユリントス)の最も邃(ふか)き處に一軒の稍々大なる家ありて、火の光よそよりも明かに、人多く入りゆくさまなり。こはヱネチアの數多き小芝居の一にして、座の名をば「聖ルカス」と云へりとぞ。大抵樂劇(オペラ)の一組ありて、日ごとに二曲を興行すること、拿破里のフエニチエ座に同じ。初の一曲は午後四時に始まり六時頃には早く終り、次なる曲は夕の八時より始まる。素(もと)より精(くは)しき技藝、高き趣味をこゝに求むべきにはあらねど、些の音樂に耳を悅ばしめんとする下層の市民の願をばこれによりて遂げしむることを得べく、又旅人などの消遣(せうけん)の爲めに來り觀るも少からざるべし。觀棚(さじき)の料(しろ)は甚だ廉(やす)く晝夜とも空席を留めぬを例とす。 招牌(かんばん)を仰げば、「ドンナ・カリテア・レジナ・ヂ・スパニア」(西班牙(スパニア)女王カリテア夫人)と大書し、作譜者の名をばメルカダンテと注せり。われ心の中におもふやう。かゝる時にこそ、我脈絡にカムパニアの野なる山羊の乳汁(ちしる)循(めぐ)らずして、溫き血環(めぐ)れるを人に示すべきなれ、我が世馴れたることのベルナルドオにもフエデリゴにも劣らぬを示すべきなれ。兎も角も一たび此場内(にはぬち)に入りて、美しき女優の面を見ばや。若し興なくば、曲の終るを待たで出でんも妨あらじとおもひぬ。入場劵を買ふに、小き汚れたる牌(ふだ)を與へつ。我觀棚(さじき)は極めて舞臺に近き處なりき。 此劇場には高下二列の觀棚あり。平閒(ひらま)をばいと低く設けたり。されど舞臺の小なること、給仕盆の如しとも謂ふべし。あはれ、此舞臺にいくばくの人か登り得べきとおもふに、例の小芝居の習とて、中むかしの武辯(ぶべん)の上をしくめる大樂劇の、行列の幕あり戰鬪の幕あるものをさへ興行するなるべし。觀棚は内壁の布張汚れ裂けて、天井は鬱悒(いぶせ)きまで低し。少焉(しばし)ありて、上衣を脫ぎ襯衣(はだぎ)の袖を攘(から)げたる男現れて、舞臺の前なる燭を點しつ。客は皆無遠慮に聲高く語りあへり。又少時(しばし)ありて、樂人出でゝ奏樂席(オルケストラ)に就きぬ。これを視るに、只是れ四奏の一組なりき。彼と云ひ此と云ひ、今宵の受用の覺束なかるべき前兆ならぬものなけれど、われは猶せめて第一折を觀んとおもひて、獨り觀棚に坐し居たり。 場内の女客に美しきはあらずやと左を顧み右を盻(み)しかど、遂にさる者を認め得ざりき。忽ち隣席に就く人あり。こは嘗て某(なにがし)の筵(むしろ)にて相見しことある少年紳士なりき。紳士は笑みつゝ我手を握りて云ふやう、 「こゝにて君に逢はんとは思ひ掛けざりき。君はその邊の消息を知り給ふか知らねど、かゝる處にては、折々面白き女客と肩を竝ぶることあり。かくて薄暗き燈火は、これと親む媒(なかだち)となるものなり」 と云ひぬ。 紳士の詞は未だ畢らぬに、傍より叱々(しつしつ)と警(いまし)むる聲す。そは開場(ウヱルチユウル)の曲の始まれるが爲めなりき。 音樂は心細きまで微弱なりき。幕は開きたり、只だ見る、男子三人女子二人より成れる一(ひと)羣(ホロス)の唱和するを。その骨相を看れば、座主は俄に畎畝(けんぽ)の閒より登庸し來りて、これに武士(もののふ)の服を衣(き)せしにはあらずやと疑はれぬ。隣席の紳士は我を顧みて、 「餘りに力を落し給ふな。單吟(ソロ)には稍々觀る可きものなきにあらず。此組にも好き道化師(プルチネルラ)あり。大劇場に出だしても恥かしからぬ男なり」 など云ふ。 この時今宵の曲の女王は、侍姫(じき)に扮せる二女優と共に場に上りぬ。紳士眉を顰(ひそ)めて、 「さては女王は渠(かれ)なりしか。全曲は最早一錢の價だにあらざるべし。あはれジヤンネツテならましかば」 とつぶやきぬ。 女王は身の丈甚だ高からず、面の輪廓銳くして、黑き目は稍々陷りたり。衣裳つきはいと惡し。無遠慮に評せば、擬人せる貧窶(ひんく)の妃嬪(ひひん)の裝束したるとやいふべき。さるを怪むべきは此女優の擧止(たちゐ)のさま都雅(みやびやか)にして、いたく他の二人と異なる事なり。われは心の中に、若し少(わか)き美しき娘に此行儀あらば奈何(いか)ならんとおもひぬ。旣にして女王は進みて舞臺の緣に點し連ねたる燈火の處に到りぬ。此時我心は我目を疑ひ、我胸は劇しき動悸を感じたり。われは暫くの閒、傍なる紳士に其名を問ふことを敢てせざりき。われ、 「此女優の名をば何とかいふ」 紳士、 「アヌンチヤタ」 といへり。 歌ふことを善くせぬに、その顏ばせさへこれが償(つぐのひ)をなすに足らねば、顧みる人なきもことわりなり。此詞は句々腐蝕する藥の如く我心上に印せり。われは瞠目枯坐して心(しん)を喪ふものゝ如くなりき。 女王は歌ひはじめき。 「否、こはアヌンチヤタが聲ならず。微かにして恃(たのみ)なく、濁りて響かず」 紳士、 「この喉には些の修行の痕あるに似たれど、氣の毒なるは聲に力なきことなり」 われ、(騷ぐ胸を押し鎭めて) 「さきには羅馬(ロオマ)、拿破里(ナポリ)に譽を馳せたる西班牙(スパニア)生れの少女ありしが、この女優は偶々其名を同じうして、色も聲もこれに似ること能はざりしよ」 紳士、 「否、この女優こそはその名譽あるアヌンチヤタがなれる果(はて)なれ。盛名一時に騷ぎしは七、八年(なゝやとせ)前のことなるべし。當時は年もまだ若くて、聲はマリブランの如くなりきとぞ。されど今はしも薄落(はくお)ちたり。こはかゝる伎(わざ)もて名を馳せし人の常なり。暫くは日の天に中(ちゆう)するが如き位にありて、世の人の讚歎の聲に心惑ひ、おのが伎(わざ)の時々刻々降(くだ)りゆくを曉(さと)らず。若し此時に當り早く謀をなさゞるときは、公衆先づ其演奏の前に殊なるところあるを覺ゆべし。かゝるなりはひする女子の習として、財を獲ること多しといへども、隨ひて得れば隨ひて散じ、暮年の計をおもはねば、その落魄もいと速なり。君のこの女優を見給ひぬといふは、羅馬にての事にやありけん」 われ、 「然り。其頃面を見ること二三度なりき」 紳士、 「さらば變化の甚しきを覺え給ふならん。人の噂には、四、五年前に重き病に罹(かゝ)りてより、聲はたとつぶれぬ」 といふ。 「その人の爲めにはいと笑止なる事ながら、聽衆の過去の美音を喝采せざるをば、奈何ともすべからず。いざ、昔のよしみに拍手し給へ。われも應援すべし」 とて、先づ激しく掌を打ち鳴しつ。 平土閒(パルテエル)なる客二、三人、何とかおもひけん、これに和したるに、 「叱々」 と呼びて、この過當の襃美にあらがふもの少からず。 女王はこの毀譽(きよ)を心に介せざる如く、首を昂(あ)げて場を下りしに、紳士見送りて、 「我等はトロヤ人なりき」 とつぶやきぬ。 (原語「フイムス・トロエス」は猶已矣(やみなむ)と云はんが如し。) 代りて場に上りしは、此曲の女主人公にして、これに扮せるは二八ばかりの女なりき。色好む男の一瞥して心を動すべき肉(しゝ)おき豐かに、目なざし燃ゆる如くなれば、喝采の聲は屋(いへ)を撼(ゆるが)せり。此時むかしの記念は我胸を衝いて起りぬ。羅馬の市民のアヌンチヤタの爲めに狂せし狀はいかなりしぞ。いにしへの帝王の凱旋の儀をまねびつる、アヌンチヤタが車のよそほひはいかなりしぞ。わが崇拜の念はいかなりしぞ。さるを今はこの尋常なる容色にすらけおされ畢んぬ。あはれ、薄倖なるベルナルドオは身病み色衰ふるに及びて君を棄てしか。さらずば、君は始より眞成(まこと)にベルナルドオを愛せざりしか。君が唇のベルナルドオの額(ぬか)に觸れしをば、われ猶記す。君爭(いか)でかベルナルドオを愛せざらん。思ふにかの無情(つれな)男子(をのこ)は君が色を愛して、君が心を愛せざりしなり。 アヌンチヤタは再び場に上りぬ。老いたるかな。衰へたるかな。只だ是れ屍の脂粉を傅(つ)けて行くものゝみ。われは覺えず肌に粟生ぜり、われもアヌンチヤタが色に迷ひし一人なれども、その才の高く情の優しかりしをば、わが戀愛に蔽はれたりし心すら、猶能く認め得たりき。縱令(よしや)色は衰ふとも、才情はむかしのまゝなるべし。かへすがえすも惡(にく)むべきはベルナルドオが忍びて彼才彼情を棄てつるなる哉。我心緖は此不幸なる女子を憐み、彼無情なる友を憎むが爲めに、亂るゝこと麻の如くなりき。傍なる紳士は、我面色の土の如くなるを見て、 「いかにし給ひしぞ、不快なるにはあらずや」 と問ひぬ。 「此棧敷(さじき)の餘りに暑き故なるべし」 と答へつゝ、我は起ちて劇場の外に走り出でぬ。 胸中の苦悶は我を驅(か)りて、狹きヱネチアの巷(こうぢ)を、縱橫に走り過ぎしめしに、ふと立ち留りて頭を擡(もた)ぐれば、われは又前(さき)の劇場の前に在り。時に一人の老僕ありて、入口に貼りたるけふの名題を剥ぎ取り、代ふるにあすのをもてせんとす。われは進みて此僕(しもべ)の耳に附き、アヌンチヤタの宿はいづくぞと問ひしに、僕は首(かうべ)を𢌞して我顏を打目もり、 「アヌンチヤタと宣給ふか。そはアウレリアの誤なるべし。けふもアウレリアが部屋をばおとづれ給ひし檀那達いと多かりき。宿に案内しまゐらするは易けれど、歸るには些の隙あるべし」 と答ふ。 われ、 「否、アヌンチヤタなり、けふ女王の役を勤めし人なり」 といふに、僕は暫し目を睜(みは)りて、訝しげに我を見居たるが、 「さてはあの痩骨(やせぎす)を尋ね給ふか。檀那は別に御用ありての事なるべければ、案内(あない)しまゐらせん、されどこれも歸らんは一時閒の後なるべし。そが上に人に問はるゝことなき女なれば、出でゝ御目に掛かるべきか、覺束なし」 とつぶやきぬ。 「好し、さらば一時閒の後の事にすべければ、こゝにて我が來んを待て」 と契り置きて、我は岸邊に往き、舟を雇ひて、何處をあてともなく漕ぎ行かせつ。 我心緖はいよゝ亂れに亂れぬ。只だ心中に往來する切(せち)なる願は、今一たびアヌンチヤタと相見て、今一たびこれに詞をかはさんといふことのみ。嗚呼、アヌンチヤタはまことに不幸なりき。されど我はその不幸を救ひ得べき地位にあらざりしを奈何せん。指す方もなき水上の逍遙ながら、痛苦に逐はるゝ我心は、猶船脚の太(はなは)だ遲きを覺えぬ。 一時閒の後、舟を初の岸に繋(つな)げば、老僕は早く劇場の前に立ちて待てり。引かるゝまゝに、いぶせき巷(こうぢ)を縫ひ行きて、遂にとある敗屋(あばらや)の前に出でしとき、僕は星根裏の小き窗に燈の影の微かなるを指ざしたり。僕は先に立ちて暗き梯を登りゆくに、我は詞もあらでその後に隨ひぬ。僕は戶外の鈴索(れいさく)を牽いたり。内より、 「誰ぞや」 といふは女の聲なり。 「マルコオ・ルガノ」 と名告(なの)ると共に、戶はあきて、我等は暗黑なる一室の中に立てり。 聖母を畫けりと覺しき小幅の前に捧げし燈明は旣に滅(き)えて、燈心の猶燻(くゆ)るさま、一點の血痕の如し。忽ち頭の上に戶の軋(きし)る音して、覺束なき火の光洩れ來しとき、我は側に小き梯あるを認めつ。御尋の女はあれにといふ老僕の手に、些の銀貨を握らすれば、あまたゝびぬかづき謝して、直ちに戶外に出で去りぬ。わが最後の梯を登りゆくとき、一人の女の小き絹の片(きれ)にて髮を裹(つゝ)み、闊(ひろ)き暗色の上衣を着たるが入口に現れて、 「あすの名題や變りし。蹶(つまづ)き給ふな、マルコオ」 と云ひつゝ迎へぬ。 我はつと室内(へやぬち)に進みぬ。 我はアヌンチヤタと相對して立てり。 「あな、おん身は何人ぞ。何の爲に此には來ましゝ」 と、驚きたる女主人は問ひぬ。 我は一聲、 「アヌンチヤタ!」 と叫べり。 暫し我面を打まもりし主人は、再び「あなや」といひもあへず、もろ手もて顏を掩ひつ。 「何人にもあらず、昔の友の一人なり。むかしおん身の惠にて、あまたの樂しき時を過し、あまたの幸福ある日を送りしものなり、何の爲めにか來べき、唯だ今一たび相見んの願ありて來つるのみ」 といふ我聲は恥かしき迄震ひぬ。 アヌンチヤタは靜に手を垂れて頭を擧げたり。肉落ちて血色なく、死人の如き面なれど、これのみは年も病もえ奪はざりけん、暗黑にして、渡津海(わたつみ)のそこひなきにも譬へつべき瞳は、磁石の鐵を吸ふ如く、我面に注がれたり。 「アントニオ、かくて御身と相見んとは、つやつや思ひ掛けざりき。同じ憂き世の山路なれど、おん身はそを登る人、われはそを降る身なれば、相見て又何をかいふべき。疾く行き給へ」 と口には言へど、つれなき淚は眶(まぶた)に餘りて、頬の上に墮ち來りぬ。われ、 「そは餘りに情なし。われはおん身の今不幸なるを知りぬ。むかし一言の白(せりふ)、一目の介(おもいれ)もて、萬人に幸福を與へしおん身なるを」 アヌンチヤタ、 「幸福は妙齡と美貌とに伴ふものにて、才と情との如きは、その顧みるところにあらざるを奈何せん」 われ、 「おん身は病に臥し給ひきとは實(まこと)か」 アヌンチヤタ、 「病はいと重く、一とせの久しきにわたりしかど、死せしは我容色と我音聲とのみなりき。公衆は此二つの屍を併せ藏せる我身を棄てたり。醫師(くすし)はこの死を假死なりとなし、我身は果敢(はか)なくもこれを信じたりき。我身は舊に依りて衣食を要するに、平生の蓄(たくはへ)をば病の爲めに用ゐ盡しぬれば、彼死を祕して、詐りて猶ほ生きたるものゝ如くし、又脂粉を塗りて場に上ることゝなりぬ。されど流石に人を驚さんことの心苦しくて、わざと燈燭の數少き、薄暗き小劇場に出づるにこそ。おん身の記憶に存じたるアヌンチヤタは早や死して、その遺像は只だかしこの壁にあり」 といひぬ。 われは此詞を聞きて、向ひの壁を仰ぎ看しに、一面の大畫幅あり。枠を飾れる黃金の光の、燦然として四邊を射るさま、室内貧窶(ひんく)の摸樣と、全く相反せり。圖するところはヂドに扮したるアヌンチヤタが胸像なりき。氣高く麗しきその面輪(をもわ)、威ありて險しからざる其額際、皆我が平生の夢想するところに異ならず。我視線は覺えずすべりて、壁閒の畫より座上の主人に移りぬ。アヌンチヤタは面を掩ひて、 「世の人の我を忘れし如く、おん身も今は我を忘れて、疾く行き給へ」 といふ。 われ、 「否、われ爭(いか)でか行くことを得ん、爭でか此儘に行くことを得ん。おん身は聖母の惠を忘れ給ふか。聖母はおん身を救ひ給はん。我等を救ひ給はん」 アヌンチヤタ、 「おん身は衰運に乘じて人を辱めんとはし給はざるべし。むかし交らひ侍りし時より、おん身の心のさる殘忍なる心ならざるを知る。さらばおん身は何故に、世擧(よこぞ)りて我を譽め我に諛(へつら)ふ時我を棄てゝ去り、今ことさらに我が世に棄てられたる殘躯(ざんく)の色も香もなきを訪ひ給ふぞ」 われ、 「情なき事をな宣給ひそ。我爭(いか)でかおん身を棄つべき。我を棄て給ひしは、我を逐ひて風塵の巷に奔らしめ給ひしは、おん身にこそあれ。かく言はゞ、おん身は我を自ら揣(はか)らざるものとやし給はん。さらば只だ我を驅逐せしものは我運命なり、我因果なりとやいはん」 此詞纔(わづか)に出でゝ、アヌンチヤタはその猶美しき目を淨(みは)り、ことばはなくて我面を凝視し、その色を失へる唇はものいはんと慾する如くに動きて又止み、深き息徐(おもむ)ろに洩れて、目は地上に注がるゝことしばらくなりき。アヌンチヤタは忽ち右手(めて)を擧げて、緩にその額(ぬか)を撫でたり。一の祕密の神とおのれとのみ知れるありて、此時心頭に浮び來りしにやあらん。アヌンチヤタは再び口を開きぬ。 「我は君と再會せり。此世にて再會せり。再會していよいよ君が情ある人なることを知る。されど薔薇は旣に凋(しを)れ、白鵠(くゞひ)は復た歌はずなりぬ。おもふに君は聖母の恩澤に浴して、我に殊(こと)なる好き運命に逢ひ給ふなるべし。今はわれに唯だ一つの願あり。アントニオよ、能くそを愜(かな)へ給はんか」 といふ。 われ手に接吻して、 「いかなるおん望にもあれ、身にかなふ事ならば」 といふに、アヌンチヤタ、 「さらば、こよひの事をば夢とおぼし棄て給ひて、いまより後いついづくにて相見んとも、おん身と我とは識らぬ人となりなんこと、是れわが唯だ一つの願ぞ。さらば、アントニオ、これより善き世界に生れ出でなば、また相見ることもあらん」 とて、我手を握りぬ。 苦痛の重荷に押し据ゑられたる我は、アヌンチヤタが足の下に伏しまろびしに、アヌンチヤタ徐かに扶け起し、すかして戶外に伴ひ出でぬ。我は小兒の如くすかされて、小兒の如く泣きつゝ、 「又來んを許し給へ、許し給へ」 と繰返しつ。 戶は、 「さらば」 といふ最後の一こゑに鎖されて、われは空しく暗黑なる廊の中に立てり。 街に出づれば、その暗黑は屋内(やぬち)に殊ならざりき。 「神よ。おん身の造り給ふところのものゝ中に、かゝる不幸もありけるよ」 と、獨り泣きつゝ我は叫びぬ。 此夜は家に返りて些の眠をだに得ずして止みぬ。 翌日(あくるひ)はわれアヌンチヤタが爲めに百千(もゝち)の計畫を成就し、百千の計畫を破壞して、終には身の甲斐なさを歎くのみなりき。嗚呼、われは素(も)とカムパニアの野の棄兒なり。羅馬の貴人(あてびと)は我を霑(うるほ)す雨露に似て、實は我を縳(ばく)する繩索(じようさく)なりき。恃(たの)むところは單(た)だ一の技藝にして、若し意を決して、これによりて身を立てんとせば、成就の望なきにしもあらず。されども技藝の聲價、技藝の光榮は、縱令(よしや)其極處に詣(いた)らんも、昔のアヌンチヤタが境遇の上に出づべくもあらず。而るにそのアヌンチヤタが末路は奈何(いか)なりしぞ。假に彩虹の色をやどしつゝ飛泉の水の、末はポンチニの沼澤に沈み去るにも似たらずや。 思慮はたゞ一つところを馳せ𢌞るに似て、一日一夜は過ぎぬ。次の朝には、胸中僅かに今一たび相見んの願を存ずるのみなりき。われは再びさきの狹き巷(こうぢ)に入り、晝猶暗き梯を上りぬ。鎖(とざ)されたる戶をほとほとと打叩けば、腰曲りたる老女入口に現れて、 「貸家見に來たまひしや。檀那がたの御用には立ち難くや候はん」 といふ。 「今まで住みし人は」 と問へば、 「きのふ立ち退き候ひぬ、何かは知らず、火急なる事ありと覺しくて、いとあわたゞしく見え候ひぬ」 われ、 「行方をば知り給はぬか」 老女、 「旅にとは申しゝが、いづくにかあらん。パヅア、トリエステ、フエルララなどにや候はん」 と、答へもあへず戶を鎖したり。 直ちに劇場に往きて見れば、これも鎖されたり。近隣の人に聞けば、 「きのふ打留(うちとめ)なりき」 といふ。 アヌンチヤタはいづくにか之(ゆ)きし。ベルナルドオなかりせば、彼人は不幸に陷らで止みしならん。否、彼人のみかは、我も或は生涯の願を遂げ、卽興詩人の名を成して、偕老(かいらう)の契を全うせしならんか。嗚呼、絕ゆる期なき恨なるかな。
第13章 「何といふ顏色ぞ。恐しき巽風(シロツコ)もぞ吹く。若しその熱き風胸より吹かば、中なる鳥の埃及(エヂプト)人の火紅鳥(フヨニツクス)ならぬが、焦がれ死(じに)するなるべし。野にゆきては茨(いばら)のうちなる赤き實(み)を啄(ついば)み、窗に上りては盆栽の薔薇花(さうびくわ)に止まりてこそ、鳥は健かにてあるものなれ。わが胸の鳥の樂を血の中に歌ひ籠めて、我におもしろく世を渡らするを見ずや。殊に詩人たらんものは、庭の花をも茨の實をも知り、天上の灝氣(かうき)にも下界の毒霧にも搏(はう)つ鳥を畜(たくは)へでは協(かな)はず」 といふ。 我、 「是(かく)の如く詩人を觀んは、卑きに過ぐるには非ずや」 友、 「基督は地獄に下りて極惡の幽鬼をさへ見きと聞く。天の澄めると地の濁れると相觸れてこそ、大事業大制作は成就すべけれ。否、かくてはわれ汝が爲めに說法するにや似たらん。われはさる說法のためにこゝに來しにはあらず。われは市長(ボデスタ)一家の使節なり。おん身の伺候を懈(おこた)ること三日なりしは、ロオザに聞きつ。何といふ亡狀(ぶぜう)ぞや。疾く往きて荊(いばら)を負ひて罪を謝せよ。但し懈怠(けたい)の申譯もあらば聽くべし」 われ、 「此二日三日は不快の爲めに門を出ざりき」 友、 「そは拙(つたな)き申譯なり。他人は知らず、我はそを諾(うべな)はざるべし。さきの夜樂劇(オペラ)に往きしは何人なりけん。しかも劇場は、かの頻りに艷種(つやだね)の主人公たりしアウレリアが出づる劇場なりしならずや。されどおん身もかゝる路傍の花の爲めに頭(つむり)を痛めしにはあらじ。兎まれ角まれ、けふの午餉(ひるげ)にはおん身を市長の家に伴ひ行かでは、我責務の果し難きを奈何せん」 われ、 「今は包み隱さで告ぐべし。わが暫く市長を訪はざりしは、世のさかしらの厭はしければなり、市長の娘の美くて、カラブリアに廣き地所を持てるを、わが彼家に出入する目的物なるやうに言ひ做(な)すものあればなり」 友、 「其噂は珍らしからず。カラブリアの地所は知らず、マリアが美しきは人も我も認むるところにて、おん身がその崇拜者の一人なるをば、われとても疑はざるものを」 われ、 「崇拜とは過ぎたり。むかし我が愛せし盲(めしひ)の子に姿貌(すがたかたち)の似たればこそ、われはマリアに心を牽(ひ)かれしなれ」 友、 「マリアが目も拿破里(ナポリ)なるをぢの治療にて、始て開(あ)きしものと聞けば、盲ひたる子に似たりといはんも、その由なきにあらねど、我には別に解釋あり。戀は固(もと)より盲なるものなり。その戀の神なるアモオルをこそ、むかしおん身は見つるならめ。今おん身の心のマリアに惹かるゝは、戀の神の所爲なれば、人の噂は遠からず事實となりて現るゝならん」 われ、 「否、マリアはさて置き、何人をも我は終身娶(めと)らざるべし」 友、 「そは又輒(たやす)くは信じ難き豫言なり、おん身にふさはしからで我にふさはしかるべき豫言なり。好し、さらばわれ君と誓はん。おん身若し我に先(さきだ)ちて妻を持たば、婚禮の日に三鞭酒(シヤンパニエ)二瓶を飮ませ給へ」 われ、 「尤(もつと)も好し。その酒をば君こそ我に飮ましめ給はめ」 友は我を拉(ひ)いて市長(ボデスタ)の許に至りぬ。市長とロオザとは戲言(ざれごと)まじりに我無情を譴(せ)め、おとなしきマリアは局外に立ちて主客の爭をまもり居たり。ロオザが杯を擧げて、我健康を祝せんとする時、友は急に遮(さへぎ)りて、 「否々、凡そ婦人たるものは、決してアントニオが健康を祝すべからず、そは此男終身娶(めと)らずと誓ひぬればなり」 といふ。 市長、 「そはアバテの天才より產まれし思想中の最も惡しきものなり。されどそを吹聽(ふいちやう)せんも氣の毒なり」 友、 「吾意見は御主人とは異なり。かゝる惡しき思想をば梟木に懸けて、その腦裏に根を張らざるに乘じて、枯らし盡さゞるべからず」 といひぬ。 佳殽(かかう)美酒は我前に陳ぜられて、我をしてアヌンチヤタの或は飢渴に苦むべきを想はしめぬ。辭して出づるとき、ロオザは我に日ごとにおとづれて、シルヰオ・ペリコの集を朗讀すべきことを契らしめき。
アヌンチヤタ** 「アバテの君」 と呼び掛けたり。 その聲調は、始て我をしてさきよりの月旦評の毫(がう)もマリアが耳に入らざりしを悟らしめき。 「アバテの君、我はおん身に語るべきことあり、此會談は我が瀕死の人と結びし約束の履行なり、日ごろ疎からぬおん身に聞かせまつることながら、これを語る苦しさをば察し給へ」 といふ。 その面は色を失ひて、唇は打顫へり。我が、 「あな、何事のおはせしぞ」 と驚き問ふ時、マリアは兜兒(かくし)の中より、一封の書を取出(とうで)て、さて語を續(つゞ)けて云ふやう、 「不可思議なる神の御手は、我を延(ひ)きておん身の生涯の祕密の裡に立ち入らしめ給ひぬ。されど心安くおもひ給へ。われは沈默を死者に誓ひしが故に、ロオザにだに何事をも語らざりき。祕密の何物なるかは、此封を開かば明ならん。これを我手に受けてより、はや二日を過ぎぬ。今おん身にわたしまゐらせて、我は約を果し侍りぬ」 といふ。 われ、 「その死者とは何人ぞ。此書は何人の手より出でしぞ」 と問ふに、マリア、 「そは御身の祕密なるものを」 とて、起ちて一閒を出でぬ。 家に歸りて封を啟(ひら)けば、内より先づ二三枚の紙出でたり。先づ取上げたる一枚は我手して鉛筆もてしるせる詩句なりき。紙の下端には墨汁(インク)もて十字三つを劃したるさま、何とやらん碑銘にまぎらはしくおぼゆ。此詩句は、わが初めてアヌンチヤタを見つるとき、觀棚(さじき)より舞臺に投げしものなり。さては此一封をマリアに托しきといふはアヌンチヤタなりしか。死せしはアヌンチヤタなりしか。 紙の閒には別に重封(かさねふう)の書(ふみ)ありて、「アントニオ樣へ」とうは書(がき)せり。遽(あわたゞ)しく裂きて中なる書をとりいだすに、いと長き消息の、前半は墨濃く筆のはこびも慥なれど、後半は震ふ筆もて微(かす)かに覺束なくしるされたるを見る。其文に曰く、
淚は讀むに隨ひて流れ、わが心の限の淚と化して融け去るを覺えたり。此より下は、かすかなる薄墨の痕猶新にして、數日前に寫されしものと知らる。
悲歎の極には聲なく淚なし。我は茫然として淚に濡れたる遺書を瞠視(だうし)すること久しかりき。暫しありて、猶封中より落ち散りたりし一ひら二ひらの紙を取り上げ見れば、一はわが拿破里(ナポリ)に往くとしるして、フルヰアのおうなに渡しゝ筆の蹟なり。又一はベルナルドオがアヌンチヤタに與へし文にして、負傷の爲めに牀に臥したりし程の、懇(ねんごろ)なる看護の恩を謝し、今はよしなき望を絕ちて餘所の軍役に服せんとおもへば、最早羅馬にて相見ることはあらじと書せり。嗚呼、おもひの外の事どもなるかな。アヌンチヤタは初より我を戀ひたりしなり。我が拿破里に往くことを得しは、アヌンチヤタの惠なりしなり。拿破里の旅店より書を寄せて、相見んことを求めしはアヌンチヤタにしてサンタにはあらざりしなり。その恩情窮(きはまり)なきアヌンチヤタは今や亡き人となりしなり。さるにてもアヌンチヤタはマリアを病牀に招き寄せて、いかなる事を物語りし。 旣にマリアをわがいひなづけの妻といへば、巷說は早くアヌンチヤタの病牀に聞え居りて、マリアさへ其口より、さがなき人の言草(ことぐさ)を聞きつるなるべし。再びマリア]の面を見んは影護(うしろめた)き限なれども、アヌンチヤタの爲めにも我が爲めにも天使に等しきマリアに、一ことの謝辭を述べずして止まんやうなし。
マリア
**
「おん身は深き憂に沈み居給ふとおぼし。われ等の君がまことの友たるを知り給はゞ、打開けて物語し給へ」 と云ふ。 われ、 「さなり。君は何事をも知り給ふならん」 ロオザ、 「否、われは未だ何事をも知らず。マリアこそは聞きつることもあらめ」 (マリアは鼻じろみて、その詞を遮らんとしたり。) われ、 「おん身二人には、われ又何事をか隱し候ふべき。初よりの事のもとすゑを打開けんも我が心やりなれば、煩はしけれど聞き給へ」 とて、われは昔語(むかしがたり)をぞ始めける。 よるべなき孤(みなしご)なりし生立(おひたち)より、羅馬にてアヌンチヤタと相識り、友なりけるベルナルドオを傷けて、拿破里に逃れ去りし慘劇まで、淚と共に語り出でしに、可憐なるマリアの掌(たなそこ)を組合せて、我面を仰ぎ見るさま、我記憶の中に殘れるフラミニアが姿に髣髴(さもに)たり。われはマリアが面前にありて、ララが事、琅玕洞(らうくわんだう)の事のみは、語ることを憚りたれば、直ちにヱネチアにての再會の段に移りて、アヌンチヤタの末路を敍し畢りぬ。ロオザ、 「おん身の上に、さる深き關繋あるべきをば、初め少しも知らざりき。さきの日尼寺の病室より、識らぬ女の文とゞきて、今生死の際に在るものなるが、マリアに逢ひて申し殘したき事ありといへば、舟にてかしこに伴ひゆき、われは尼達の許に留まりて、マリアを病人の室に遣りぬ。マリア、 「かくてその人に逢ひ侍りぬ。記念(かたみ)の一封をばさきに渡しまゐらせつ」 我、 「アヌンチヤタはその時何とか申し候ひし」 マリア、 「人知れずこれをアントニオに渡し給へといひぬ。おん身の上をば、妹の兄の上を語るらんやうに語りぬ。爾時(そのとき)アヌンチヤタが唇は血に染まり居たり。死は遽(にはか)に襲ひ至りて、アヌンチヤタはわが面をまもりつゝこときれ侍(はべ)り」 と、語りもあへず、マリアは泣き伏したり。われは詞はあらで、マリアの手を握りつ。 われは寺院に往きてアヌンチヤタが爲めに祈祷し、又その墓に尋ね詣(まう)でつ。此地の瑩域(えいゐき)は、高き石垣もて水面(みのも)より築き起されたるさま、いにしへのノアが舟の洪水の上に泛(うか)べる如し。草むらの中に黑き十字架あまた立てるあたりに步み寄れば、わが尋ぬる墓こそあれ。只是一片の石に、アヌンチヤタと彫り付けたり。一基の十字架の上に、緑の色の猶鮮(あざやか)なる月桂(ラウレオ)の環を懸けたるは、ロオザとマリアとの手向(たむけ)なるべし。われは墓前に跪きて、亡人(なきひと)の悌(おもかげ)をしのび、更に頭(かうべ)を囘(めぐら)して情あるロオザとマリアとに謝したり。 流離(さすらひ) * その頃フアビアニ公子の書狀屆きしに、文中公子のわがヱネチアに留まること四月の久しきに至るを怪み、强ひてにはあらねど、我にミラノ若(もし)くはジエノワに遊ばんことを勸めたる一節あり。われつらつら念(おも)ふやう。わが猶此地に留まれるは、そもそも何の故ぞや。此地にはげに兄弟に等しきポツジヨあり、姉妹に等しきロオザ、マリアあれど、是等の交は永遠なるべきものにあらず。中にも女友二人の如きは、相見るごとに我が悲哀の記憶を喚び醒(さま)すことを免れず。われは悲哀を懷いてヱネチアに來ぬ。而してヱネチアは更に我に悲哀を與へしなり。われは遽(にはか)にヱネチアを去らんと慾する心を生じて、そを告げんために、市長(ボデスタ)の家をおとづれたり。 月光始めて渠水(きよすゐ)に落つるころほひ、我は二女と市長の家の廣閒なる、水に枕(のぞ)める出窗ある處に坐し居たり。マリアはすでに一たび燈火を呼びしかど、ロオザが、 「この月の明きに」 といふまゝに、主客三人は猶月光の中に相對せり。 マリアはロオザに促されて、穴居洞の歌を歌ひぬ。聲と情との調和好き此一曲は、淸く軟かなる少女(をとめ)の喉に上りて、聞くものをして積水千丈の底なる美の窟宅を想見せしむ。ロオザ、 「この曲には音節より外、別に一種の玲瓏たる精神ありとはおぼさずや」 われ、 「洵(まこと)に宣給ふごとし。若し精神といふもの形體を離れて現ぜば、應(まさ)に此詩の如くなるべし」 マリア、 「生れながらに目しひなる子の世界の美を想ふも亦是の如し」 ロオザ、 「さらば目開きての後に、實世界に對せば、初の空想の非なることを知るならん」 マリア、 「實世界は空想の如く美ならず。されど又空想より美なるものなきにあらず」 話頭は直ちにマリアが初め盲目なりし事に入りぬ。こはポツジヨが早く我に語りしところなれども、今はわれ二女の口より此物語を聞きつ。ロオザは弟の手術を讚め、マリアも亦その恩惠を稱へたり。マリアの云ふやう、 「目しひなりし時の心の取像(しゆざう)ばかり奇しきは莫(な)し。先づ身におぼゆるは日の暖さ、手に觸るゝは神社の圓柱(まろばしら)の大いなる、霸王樹(サボテン)の葉の闊(ひろ)き、耳に聞くはさまざまの人の馨音(こわね)などなり。一の官能の闕(か)くるものは、その有るところの官能もて無きところのものを補ふ。人の天靑し、海靑し、菫(すみれ)の花靑しといふを聽きて、われは董の花の香を聞き、そのめでたさを推し擴めて、天のめでたかるべきをも海のめでたかるべきをも思ひ遣りぬ。視根の光明闇きときは、意根の光明卻りて明なるものにや」 といふ。 これを聞く我は、ララが髮に揷みし菫の花束と、ペスツム祠の圓柱とを憶ひ起すことを禁ずること能はざりき。話頭は轉じて自然の美に入り、ロオザは拿被里(ナポリ)の山水の景の慕はしさを說き出せり。われはこの好機會を得て、ヱネチアを去る意を洩しつ。そは思ひも掛けぬ事かなとロオザ訝れば、 「さては最早再び此地には來給ふまじきか」 とマリア氣遣ふさまなり。 「否々、ミラノまで往かば、又此地を經て羅馬に還らんとこそ思ひ候へ」 と我は答へつれど、實はまだこゝを立ちていづ方に往かんとも思ひ定めざりしなり。 わがヱネチアに別るゝ淚を見せしは、アヌンチヤタが墓とマリアが居閒とのみなりき。墓に詣でゝは、石上に殘れる輪飾(わかざり)の一葉を摘みて、夾袋(けふたい)の中に藏(をさ)めつ。われは此石の下に、唯だ一團の塵を留むるのみなるを知る、アヌンチヤタが魂の聖母の御許(みもと)に在り、その影の我胸中に在りて、此石の下なる塵のわが執着すべき價あるものにあらざるを知る。されどわれは猶低徊して此方數尺の地を去ること能はざりき。市長(ボデスタ)の家に往きては一家の人々とポツジヨとの餞宴(せんえん)を受けたり。市長は三鞭酒(シヤンパニエ)の盃を擧げて別を告げ、ポツジヨはめぐる車の云々(しかじか)といふ旅の曲と、自由なる自然に遊ぶ云々といふ鳥の歌とを唱ひぬ。ロオザは、 「君若し妻を娶(めと)り給はゞ、偕(とも)に我家に來給へ。我は君が物語の中なる彼亡人(なきひと)を愛する如く、君の伴ひ來給はん其人をも愛せん」 といひ、マリアは、 「唯だ、健(すこや)かに樂しげにて、又我家をおとづれ給へ」 といひぬ。 ポツジヨは例のゴンドラの舟にて、フジナまで送らんとて、我と共に立出づれば、ロオザとマリアとは出窗に立ちて、紛帨(てふき)を打振りぬ。別に臨みてポツジヨは聲高く笑ひつゝ、 「許嫁(いひなづけ)の女極(き)まらば、彼約束を忘るな」 といひぬ。 われは、 「けふさる戲言(ざれごと)いふことかは」 と戒(いまし)めつゝも、心の中にその笑顏の淚を掩ふ假面(めん)なるをおもひて、竊(ひそか)に友の情誼に感じぬ。
第14章 白晝(まひる)となりてより、我無聊は愈々甚だしければ、又車を驅りてこゝを立ち、一の平原に入りぬ。 緑草の鬱茂せるさまはポンチニイの大澤に讓らず。瀑布の如くなる大柳樹は古塚を掩ひ、所々に聖母の像を安じたる贄卓(にへづくゑ)を見る。像の古(ふ)りたるは色褪(いろあ)せて、これを圍める彩畫ある板壁さへ、半ば朽ちて地に委ねたれど、中には聖母兒(せいぼじ)の丹粉(にのこ)猶鮮(あざやか)かなるもなきにあらず。御者はその古きに逢ひては顧みだにせねど、その新なるを見るごとに、必ず脫帽して過ぐ。われはその何の心なるを知らずして、唯々聖母の貴きすら、色褪せては人に崇めらるゝことなきを歎じたり。 ヰチエンツアを過ぎぬれど、パラヂオ(中興時代の名ある畫師。)が美術も光明を我胸の闇に投ずること能はざりき。ヱロナは始て稍々我心を動したり。石級のコリゼエオに似たるありて、幸に兵燹(へいせん)を免れ、人をして小羅馬に入る感あらしむ。柱列の閒(あひだ)なる廣き處は、今稅關となり、演戲場の中央には、板を列ね幕を張りて、假に舞臺を補理(しつら)ひ、旅役者の興行に供せり。夜に入りて我は試に往きて看つ。ヱロナの市人(いちびと)の石榻(せきたふ)に坐せるさまは、猶古のごとくにて、演ずる所の曲をば、『ラ・ジエネレントオラ』と題せり。役者の羣は、ヱネチアにて見しアヌンチヤタが組なりき。アウレリアはこよひも此樂曲の主人公に扮したり。一張(はり)のコントルバスに氣壓(けお)さるゝ若干の管絃なれど、聽衆は喝采の聲を惜まざりき。趨(はし)りて場を出づれば、月光遍く照して一塵動かず、古の劇場の石壁石柱は巋然(きぜん)として、今の破(や)れ小屋のあなたに存じ、廣大なる黑影を地上に印せり。 我はカプレツチイ第(だい)を訪ひぬ。昔カプレツチイ、モンテキイの二豪族相爭ひて、少年少女の熱情を遮り斷ちしに、死は能くその合ふべからざるものを合せ得たり。シエエクスピイアがものしつる『ロメオ・エンド・ジユリエツト』の曲卽ち是なり。此第はロメオが初てジユリエツトに來り見(まみ)えて共に舞ひし所にして、今は一の旅館となりぬ。われはロメオの夜な夜な通ひけん石の階(きざはし)を踐(ふ)みて、曾(かつ)て盛に聲樂を張りてヱロナの名流をつどへしことある大いなる舞臺に上りぬ。闊(ひろ)き窗の下鋪板(しもゆか)に達するまでに切り開かれたる、丹靑(たんせい)目を眩(くらま)したりけん壁畫の今猶微かに遺れるなど、昔の豪華の蹟は思はるれど、壁の下には石灰の桶いくつともなく竝べ据ゑられ、鋪板(ゆか)には芻秣(まぐさ)、藁などちりぼひ、片隅には見苦しき馬具と農具との積み累(かさ)ねられたるを見る。まことに榮枯盛衰のはかなきこと、夢まぼろしはものかは。さればこの假の世を、フラミニアの厭ひしも、アヌンチヤタの去りぬるも、なかなかに慰む方ありとやいふべき。
ミラノの大寺院
** 一夜ラ・スカラ座に入りて樂曲を聽きたり。帷(とばり)を垂れたる六層の觀棚(さじき)も、積(せき)あまりに大いにして客常に少ければ、卻りて我をして一種の寂寥と沈鬱とを覺えしめき。奏する所の曲は『タツソオ』にして、主(おも)なる女優は「ドニチエツチイ」といふものなりき。一折(せつ)畢るごとに、客の喝采してあまたゝび幕の外に呼び出すを、愛らしき笑がほして謝し居たり。わが厭世の眼は、この笑(ゑみ)の底におそろしき未來の苦惱の濳めるを見て、あはれ此美人(うまびと)目前に死せよ、さらば世閒もこれが爲めに泣くことなかなかに少かるべく、美人も世を恨むことおのづから淺からんとおもひぬ。バレツトオの舞には玉の如き穉き娘達打連れて踊りぬ。われはその美しさを見るにつけて、血を嘔(は)くおもひをなしつゝ、悄然として場を出でたり。 ミラノの客舍の無聊(ぶれう)は日にけにまさり行きて、市長の家族も、親友と稱せしポツジヨも我書に答ふることなかりき。われは或ときは蔭多き衢(ちまた)をそゞろありきし、或ときは一室に枯坐して新に戲曲の稿を起しつ。曲の主人公はレオナルドオ・ダ・ヰンチなりき。レオナルドオの住みしは此地なり。その不朽の名畫晚餐式はこゝに胚胎(はいたい)せしなり。その戀人の尼寺の垣内(かきぬち)に隱れて、生涯相見ざりしは、わがフラミニアに於ける情と古今同揆(だうき)なりとやいはまし。 われは日ごとにミラノの大寺院に往きぬ。此寺はカルララの大理石もて、人の力の削り成しし山ともいふべく、月あかき夜に仰ぎ見れば、皎潔(けうけつ)雪を欺く上半の屋蓋は、高く碧空に聳えて、幾多の簷角(えんかく)、幾多の塔尖より石人の形の現れたるさま、この世に有るべきものともおもはれず。晝その堂内に入れば、採光の程度ほゞ羅馬のサン・ピエトロ寺に似て、五色の窗硝子より微かに洩るゝ日光は、一種の深祕世界を幻出し、人をして唯一の神こゝに在(いま)すかと觀ぜしむ。 ミラノに來てより一月の後、我は始て此寺の屋上(やね)に登りぬ。日は石面を射て白光身を繞(めぐ)り、ここの塔かしこの龕(ほくら)を見めぐらせば、宛然(さながら)立ちて一の大逵(ひろば)に在るごとし。許多の聖者、獻身者の像にして、下より望み見るべからざるものは、新に我目前に露呈し來れり。われは絕頂なる救世主の巨像の下に到りぬ。ミラノ全都の人烟は螺紋(らもん)の如く我脚底に畫かれたり。北には暗黑なるアルピイの山聳え、南には稍々低き藍色のアペンニノ橫はりて、此閒を填(うづ)むるものは、唯だ緑なる郊原のみ。譬へばカムパニアの野を變じて一の花卉(くわき)多き園囿(ゑんいう)となしたらんが如し。われは眦(まなじり)を決して東のかたヱネチアを望みたるに、一羣の飛鳥ありて、列を成してかなたへ飛び行くさま、一片の帛(きぬ)の風に飜弄せらるゝに似たり。われはマリアを憶ひ、ロオザを憶ひ、ポツジヨを憶へり。昔幼かりし時、母とマリウチアとに伴はれて、ネミの湖に往きしかへるさ、アンジエリカが我に物語りし事こそあれ。その物語は今我空想に浮び來ぬ。オレワアノにテレザといふ少女ありき。戀人なるジユウゼツペが山を踰(こ)えて北の國に往きしより、戀慕の念止むことなく、日を經るに從ひて痩せ衰へぬ。フルヰアの老媼はテレザの髮とその藏め居たりしジユウゼツペの髮とを銅銚(だうてう)に投じて、奇しき藥艸と共に煮ること數日なりき。ジユウゼツペは他鄕に在りしが、我毛髮の彼銚中に入ると齊しく、今まで忘れ居つるテレザの慕はしくなりて、醒めては現(うつゝ)に其聲を聞き、寢(い)ねては夢に其姿を視、そぞろに旅のやどりを立出でゝ、おうなが銚(なべ)の下に歸りぬといふ。 ヱネチアには我髮を烹(に)る銚あるにあらねど、わがこれを憶ふ情は、恰も幻術の力の左右するところとなれるが如くなりき。われ若し山國(やまぐに)の產(うまれ)ならば、此情はやがて世に謂(い)ふ思鄕病(ノスタルジア)なるべし。(歐洲人は思鄕病は山國の民多くこれを患ふとなせり。)されど又ヱネチアのわが故鄕ならぬを奈何せむ。われは悵然(ちやうぜん)として此寺の屋上(やね)より降りぬ。 客舍に歸れば、卓上に一封の書あるを見る。こはポツジヨが許より來れるなり。これを讀むに、袂を分ちてより第二の書を作る云々と書せり。さらば友の初の一書は我手に入るに及ばずして失はれしなるべし。 「ヱネチアには何の變りたる事もあらねど、マリアは病に臥(こや)したり。その病のさま一時は性命をさへ危くすべくおもはれぬれど、今は早や恢復に近し。猶戶外(そと)には出でず」 となり。末文には、例の戲言(ざれごと)多く物して、 「まだミラノの少女に擒(とりこ)にせられずや、三鞭酒(シヤンパニエ)をな忘れそ」 など云へり。 われは讀み畢りて、ポツジヨが滑稽の天性にして、世の人のそを假面(めん)と看做すことの謬(あやま)れるを信ぜんとせり。さればこそ同じ無稽の巷說は、わがマリアを敬することロオザを敬すると殊ならざるを見ながら、謬りて我をもてマリアに戀するものとなすなれ。
凱旋搭** 時に一の旅人ありて我を距ること數步の處に立ち、手簿(しゆぼ)を把りて導者の言を記せり、年の頃は三十ばかりなるべし。胸には拿破里(ナポリ)の勳章二つを懸けたり。此旅人の迫持(せりもち)の石柱を仰ぎ見るに及びて、我はそのベルナルドオなるを識(し)りぬ。彼方も亦直ちに我を認め得つとおぼしく、何の猶豫(ためら)ふさまもなく、我側に步み寄りて我胸を抱き、 「めづらしきかな、アントニオ、われ等の相別れし夕は賑やかなりき、われ等は祝砲をさへ放ちたり、されど想ふに我等の友情は舊(もと)の如くなるべし」 といひぬ。 我は肌(はだへ)の粟を生ずる心地しつゝ、纔(わづか)に口を開きて、 「さてはベルナルドオなりしよ。圖(はか)らざりき。おん身と伊太利の北のはてなる、アルピイ山の麓にて相見んとは」 と答へつ。 我等は共に步みて新劇場の邊に往き、轉じて市(まち)の廓に入りぬ。ベルナルドオは道すがら語りていふやう、 「汝は此地を指してアルピイ山の麓といへり。われはまことのアルピイの巓に登りて世界の四極(よものはて)を見たり。曩(さき)に拿破里に在りし時、獨逸の士官等の、瑞西(スイス)の山水を說くを聞き、一たび往いて觀んことを願ふこと漸く切なるに、汽船もて達し易きジエノワを距ること遠くもあらぬを知れば、意を決して往くことゝしつ。シヤムニイの谿(たに)をも渡りぬ。モンブランの頂にも、ユングフラウの頂にも登りぬ。現にユングフラウはベルラ・ラガツツア(美少女)なれど、かくまで冷かなる女子は復た有るべからず。これよりはジエノワに往きて、約束せし妻とその父母とを訪はんとす。もはや眞面目なる一家のあるじとならんも遠からぬ程なるべし。汝若し我が昔日の生涯を語らず、彼の馴るゝ小鳥の事、愛らしき歌妓の事などを祕せんと誓はゞ、われは汝を伴ひてジエノワに往くべし、いかに。三日の後に我と共に發足せずや」 といひぬ。 われ、 「否々、我は明日此地を立たんとす」 ベルナルドオ、 「そは何處へ往くにか」 われ、 「ヱネチアに往くなり」 ベルナルドオ、 「汝が漫遊の日程は、よも變更を容(ゆる)さぬにはあらざるべし。枉(ま)げて我言に從はずや」 われはベルナルドオにかく說き勸められて、反復しておのれのヱネチアに往かざるべからざるを辯じ、果は自らこの漫然口を衝いて發せし語の、實にその故あるが如きを覺ゆるに至りぬ。 われは客舍に返りて、不可思議なる力に役せらるゝものゝ如く、倉皇(さうくわう)我行李を整へ、あるじに明朝の發軔(はつじん)を告げたり。此夜は臥牀(ふしど)に入れども、胸打ち騷ぎて熱を病むものゝ如く、眠をなさゞること久しかりき。翌朝ベルナルドオを訪ひて、我が爲めに善くその未來の妻に傳へんことを賴み聞え、忙はしく車を驅りてヱネチアに向ひぬ、二月前に去りしヱネチアに。
心疾身病
われは直ちに舊寓に入りて、衣服を改め、身の疲れたるをも顧みで、市長(ボデスタ)の家に往きぬ。舟の苔を被れる屋壁と高き窗とに近づくとき、怪しき映象は我胸に浮びぬ。そはわれ若しマリアが結婚の席に往きあはゞいかにといふことなりき。われは此念(おもひ)の頭を擡(もた)げ來るを見て、又急にこれを抑へ、否、われは求婚の爲めに往くならねば、そも亦妨なしと云ひぬ。されど我心は遂に全く平(たひらか)なること能はざりき。 門(かど)を叩けば僕(しもべ)出で迎へて、 「あるじはおん身來まさば、案内(あない)することを須(もち)ゐざれと宣給ひぬ」 といふ。 そのさま吾が至るを期したるに似たり。廣閒には幌(とばり)を卸(おろ)して、闃(げき)として物音を聞かず。われは、是れデスデモナが悲歎せし處なるべし、されどオテルロの苦痛はこれより甚しかりしならんとおもひぬ。わが此時恰も此念をなしゝも、亦頗るあやしき事なり。旣にして導かれてロオザが房に入るに、こゝも幌を垂れて日光を遮りたれば、外より入るものはその暗きに驚かんとす。わがミラノにて覺えし奇しき情、我を驅りてヱネチアへ來させし奇しき情は忽又起りて、その幻術に似たる力は一層の强さを加へ、我手足は震慄せり。われは手もて壁を支へて、僅に地に倒れざることを得たり。 主人は溫顏もて我を迎へ、我身を囘抱して、再見の喜を述べたり。われは二婦人の何處(いづく)に在るを問ひぬ。 「彼等は親族と共にパヅアに往きたり、二。三日の後ならでは歸り來ざるべし」 といふ。 その面色その態度を察するに、何とやらん言を構へて我を欺く如くなり。されどわれは又此人の平生を顧みて、わが疑の邪推なるべきをおもへり。主人は我を留めて晚餐を供せり。卓に就きたる閒、我は限なき寂寞を感じ、又主人の面の爽かならざるを覺えぬ。われはおそるおそるその不興の因由(もと)を問ひしに、主人頭を掉(ふ)りて、 「否、益なき訴訟の事ありて、些の不安を感ずるに過ぎず。ポツジヨは久しくおとづれず、おん身さへ健康すぐれ給はざる如し、兎も角も此一盃(ひとつき)を傾け給へ」 といひつゝ、我前なる杯に葡萄酒を注がんとせしに、忽ちその手を駐めて、 「おん身は心地惡しきにはあらずや」 と叫びぬ。 そは我面色の土の如く變じたればなるべし。われは室内(へやぬち)の物の旋風の如く動搖するを覺えて、そのまゝはたと地に僵(たふ)れぬ。 此より我は半醒半睡の閒に在ること幾日なるを知らず。市長は時として我臥牀(ふしど)の傍に坐して、われに心を安んじて全快を待たんことを勸め、ロオザの遠からず來りて病を瞻(み)るべきを告げたり。 或日家の内騷がしく、人の到着しつと覺しきさまなりしに、忽ちロオザは吾前に來ぬ。その面には憂の色を帶びたり。その日の暮つかた、われは家内(やぬち)の又さきにも增して物騷がしきを覺え、側なる奴婢(ぬひ)に問はんとするに、一人として我に答ふるものなし。階下の室には人多くゆききする足音(あのと)頻に、屋外の大渠(たいきよ)には小舟の梶音(かぢのと)賑はしかりき。われは暫し目蕩(まどろ)みしに、ふとマリアの死せることを知り得たり。 さきにはポツジヨ我にマリアの病を告げて、その病は瘥(い)えぬと云へり。されど病は再發して、マリアは旣に死し、家人は我に祕して、こよひそを葬るなり。われは明かにロオザの祈祷の聲を聞き、マリアの菫花もて飾れる棺は明かに心目の前にあらはれぬ。 忽ち我は病の旣に去りて力の旣に復せるを感じ、蹶然(けつぜん)として臥牀(ふしど)より起ち、人の我側に在らざるに乘じて、壁に懸けたる外套を纏ひ、岸邊なる小舟を招きて、デイ・フラアリイの寺に往かんことを命じつ。こは市長(ボデスタ)が累世の墓ある處にして、われは曾て一たび其窟墓を窺ひしことありき。 夜は暗くして、「アヱ・マリア」の鐘と共に閉されたる門の前には人影早や絕えたり。われは扉をほとほとと敲(たゝ)きしに、寺僮は我が爲めに門を開きつ。そは曾てわが市長に伴はれて來ぬる時、我にチチヤノとカノワとの墓を指し敎へしことあれば、猶我面を見知り居たりしなり。寺僮は我心を計(はか)り得て、 「君は遺骸を見に來給ひしならん、今は猶贄卓(にへづくゑ)の前に置かれたれど、あすは龕(ほくら)に藏(をさ)めらるべし」 とて、燭を點して我を導き、鑰匙(かぎ)取り出でゝ側なる小き戶を開きつ。 寺僮と我との足音は、穹窿の閒(あひだ)に寂しき反響を喚起せり。寺僮の柩(ひつぎ)はかしこにと指して、立ち留まるがまゝに、我はひとり長廊を進めり。聖母の御影の前に、一燈微かに燃え、カノワが棺のめぐりなる石人は朧氣なる輪廓を畫けり。贄卓に近づけば、卓前に三つの燈の點ぜられたるを見る。董花(すみれ)のかほり高き邊、覆はざる柩の裏に、堆(うづたか)き花瓣(はなびら)の紫に埋もれたる屍)こそあれ。長(たけ)なる黑髮を額(ぬか)に綰(わが)ねて、これにも一束の菫花を揷(はさ)めり。是れ瞑目せるマリアなりき。我が夢寐(むび)の閒に忘るゝことなかりしララなりき。われは一聲、 「ララ、など我を棄てゝ去れる」 と叫び、千行(ちすぢ)の淚を屍の上に灑(そゝ)ぎ、又聲ふりしぼりて、 「逝け、わが心の妻よ。われは誓ひて復た此世の女子を娶(めと)らじ」 と呼び、我指に嵌めたりし環を抽きて、そを屍の指に遷(うつ)し、頭を俯して屍の額に接吻しつ。 爾時(そのとき)我血は氷の如く冷えて、五體戰(ふる)ひをのゝき、夢とも現とも分かぬ閒に、屍の指はしかと我手を握り屍の唇は徐かに開きつ。われは毛髮倒(さかしま)に竪(た)ちて、卓と柩との皆獨樂(こま)の如く旋轉するを覺え、身邊忽ち常闇(とこやみ)となりて、頭の内には只だ奇しく妙なる音樂の響きを聞きつ。 忽ち溫なる掌の我額を摩するを覺えて、再び目を開きしに、燈は明かに小き卓の上を照し、われは我枕邊の椅子に坐し、手を我頭に加へたるものゝロオザなるを認め得たり。又一人の我臥牀(ふしど)の下に蹲(うづく)まりて、もろ手もて顏を掩へるあり。ロオザの我に一匙の藥水を薦めつゝ、 「熱は去れり」 と云ふ時、蹲れる人は徐かに起ちて室を出でんとす。 われ、 「ララよ、暫し待ち給へ。われは夢におん身の死せしを見き」 ロオザ、 「そは熱のなしゝ夢なるべし」 われ、 「否、我夢は夢にして夢に非ず。若しこれをしも夢といはゞ、人世はやがて夢なるべし。マリアよ。われはおん身のララなるを知る。昔はおん身とペスツムに相見(あひみ)、カプリに相見き。今この短き生涯にありて、幸にまた相見ながら、爭(いか)でか名告(なの)りあはで止むべき。我はおん身を愛す」 語り畢りて手をさし伸ばせば、マリアは跪きて我手を握り、我手背に接吻したり。 數日の後、我はマリアと柑子(かうじ)の花香(かぐは)しき出窗の前に對坐して、この可憐なる少女の淸淨なる口の、その淸淨なる情を語るを聞きつ。少女の語りけらく。 「わが幼かりし時は、唯だ日の暖きを知り、董花の香しきを知るのみなりき。或時チンガニイ族(ジプシー)のおうなありて、我目の必ず開(あ)く時あるべきを告げしが、その時期はいつなるべきか、絕て知るよしあらざりき。ペスツムの古祠の下にて、おん身の唇の暖きこと、日の暖きが如くなるを覺えし夕、彼おうな夢に見えて、汝のやしなひ親なるアンジエロとともに、カプリの島なる窟(いはむろ)に往け。アンジエロは富貴を獲べく、汝はトビアスの如く、(『舊約全書』を見よ。)光明を獲べしと云ひぬ、醒めて後アンジエロに語れば、これも同じ夜に同じ夢を見き。 アンジエロは我を伴ひて島に渡りしに、天使はおん身に似たる聲して我名を呼び、我に藥艸を與へき。歸りて之を煮んとする時、ロオザが兄なる人我等の住める草寮(こや)に憩ひて、我目の開(あ)くべきを見窮(みきは)め、我を拿破里に率(ゐ)て往きぬ。手術は功を奏せり。ロオザが兄なる醫師(くすし)は、我を養ひて子となし、希臘(ギリシア)にてみまかりし子の名を取りて、我をマリアと呼びぬ。 ある日アンジエロは、忽ち醫師のもとに來て、われは命の久しからざるべきを知りぬ、我が貯へし金を讓らん人ララならではあらざるべし、先づこれをあづけまゐらせんとて、金あまた取出(とうで)て、逗留すること數日にして眠るが如くみまかりぬ。われはさきの夜の席(むしろ)にて、おん身の舟人の不幸を歌ひ給ふを聞き、おん身の聲を聞き知りて、直ちにおん身の脚下に跪きぬ。 アヌンチヤタが末期の詞の我に希望の光明を與へしと、おん身のつれなき旅立の我を病に臥さしめしとは、おん身自ら推し給へ」 といひぬ。 われはマリアと贄卓(にへづくゑ)の前に手を握りぬ。おほよそ市長(ボデスタ)の家にゆきかふものは、皆歡喜の聲を發しつれど、其聲の最も大いなるはポツジヨなりき。越ゆること二日にして、我等はロオザと倶(とも)に田舍の別墅(べつしよ)に移りぬ。こはアンジエロが遺產もて買ひしものなりき。ポツジヨは一書を我別墅に寄せて、飄然としてヱネチアを去りぬ。その書には、唯だ左の數句あるのみなりき。曰く、 「我は汝と賭して贏(か)ちたり、されど實(まこと)に贏ちしは我に非ざりき」 と。 憐むべし、ポツジヨが意中の人は卽亦我意中の人なりしなり。 フアビアニ公子とフランチエスカ夫人とは、わが好き妻を得しを喜び、かの腹黑きハツバス・ダアダアさへ皺ある面に笑(ゑみ)を湛へて、我新婚を祝したり。わが昔の知人(しるひと)の僅に生き殘れるは、西班牙(スパニア)磴(とう)の下なるペツポのをぢのみにて、その「ボン・ジヨオルノ」(好日)の語は猶久しく行人の耳に響くなるべし。
琅玕洞(らうくわんだう)
室の一隅には、又一老婦のもろ手を幼女の肩に掛けたるあり。容貌魁偉なる一外人この幼女を愛する餘りに、覺束なげなる伊太利語もてその名を問ふに、幼女は遽(にはか)に答ふべくもあらねば、老婦代りてアヌンチヤタと答へつ。こはララが生みし子に附けし名にて、そを外人に告げたるはロオザなり。 われ進みて之と語を交へて、その璉馬(デンマルク)人なるを知りぬ。嗚呼、是れ畫工フエデリゴと彫匠トオルワルトゼンとの鄕人なり。フエデリゴは今故鄕に在り、トオルワルトゼンは猶羅馬に留れりと聞く。現に後者が技術上の命脈は斯土(このど)に在れば、その久しくこゝに居るもまた宜(むべ)なるかな。 我等は羣客と共に岸に下りて舟に上りぬ。舟はおのおの二客を舳(へさき)と艫(とも)とに載せて、漕手(こぎて)は中央に坐せり。舟の行くこと箭(や)の如く、ララと我との乘りたるは眞先に進みぬ。カプリ島の級狀をなせる葡萄圃(ぶだうばたけ)と橄欖(オリワ)樹とは忽ち蹟を沒して、我等は矗立(ちくりふ)せる岩壁の天に聳ゆるを見る。緑波は石に觸れて碎け、紅花を開ける水草を洗へり。 忽ち岩壁に一小罅隙(かげき)あるを見る。その大さは舟を行(や)るに堪へざるものゝ如し。我は覺えず聲を放ちて 「魔穴!」 と呼びしに、舟人打ち微笑みて、そは昔の名なり、三とせ前の事なりしが、獨逸の畫工二人ありて泅(およ)ぎて穴の内に入り、始てその景色の美を語りぬ。その畫工はフリイスとコオピツシユとの二人なりきと云ひぬ。 舟は石穴の口に到りぬ。舟人は艪(ろ)を棄てゝ、手もて水をかき、われ等は身を舟中に橫へしに、ララは屏息(へいそく)して緊(きび)しく我手を握りつ。暫しありて、舟は大穹窿の内に入りぬ。穴は海面(うなづら)を拔くこと一伊尺(ブラツチヨオ)に過ぎねど、下は百伊尺の深さにて海底に達し、その門閾(もんよく)の幅も亦畧(ほ)ぼ百伊尺ありとぞいふなる。 さればその日光は積水の底より入りて、洞窟の内を照し、窟内の萬象は皆一種の碧色を帶び、艪の水を打ちて飛沫(しぶき)を見るごとに、紅薔薇の花瓣を散らす如くなるなれ。ララは合掌して思を凝らせり。その思ふところは必ずや我と同じく、曾て二人のこゝに會せしことを憶ひ起すに外ならざるべし。彼アンジエロの獲つる金は、むかし人の魔穴を怖れて、敢て近づくことなかりし時、海賊の匿(かく)しおきつるものなるべし。 巖穴の一點の光明は忽ち失せて、第二の舟は窟内に入り來りぬ。そのさま水底より浮び出づるが如くなりき。第三、第四の舟は相繼いで至りぬ。凡そこゝに集へる人々は、その奉ずる所の敎の新舊を問はず、一人として此自然の奇觀に逢ひて、天にいます神父の功德を稱へざるものなし。 舟人は俄に潮滿ち來(く)と叫びて、忙はしく艪を搖(うご)かし始めつ。そは滿潮の巖穴を塞ぐを恐れてなりき。遊人の舟は相銜(ふく)みて洞窟より出で、我等は前に渺茫(べうばう)たる大海を望み、後(しりへ)に琅玕洞(らうかんだう)の石門の漸く細りゆくを見たり。 底本:『鷗外選集10 卽興詩人』東京堂 昭和二十四年(1948年)11月30日発行 |