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感覚障害のみのメチル水銀中毒(水俣病)は存在する

Presence of methylmercury poisoning (Minamata disease) with paresthesia alone

石原 信夫 Nobuo Ishihara, M.D., Ph.D. (公財)神奈川県予防医学協会

Summary

 Presence of methylmercury poisoning (Minamata diesease) with paresthesis alone has been indicated clearly by several reports and epidemiological studies. But, it was indicated clearly prior to the decision of the present criteria for Minamata disease. Reports of methylmercury poisoning due to occupational exposure and of the food poisoning by methylmercury in Iraq indicated clearly the presence of methylmercury poisoning with paresthesis alone. These reports, however, were igonored in the present criteria for Minamata disease.  

1.はじめに

 水俣病(メチル水銀中毒)に関する訴訟において主要な争点の一つが「感覚障害のみの水俣病」の存在である。現行の水俣病判断条件(1977年環境庁局長通知、以下「1977年判断条件」という。)は、「感覚障害のみの水俣病」は存在しないという立場で策定されている。しかし、その(感覚障害のみの水俣病は存在しないという)立場は、日本精神神経学会の「研究と人権委員会」及び同「法委員会」の勧告 [1-3]、司法判断(最高裁: 2004年, 2013年, 福岡高裁: 1985年)および疫学的解析 [5-7] 等により正当でないものとして明確に否定された。それらの事実にもかかわらず、環境省は1977年判断条件に固執し続けている。
 1977年判断条件が策定された時までに、すでに感覚障害のみのメチル水銀中毒の存在が報告されていた [8, 9]。特に、Bakir 等の報告 [9] は、1971年にイラクで発生した、メチル水銀で処理した種子用小麦を誤食したことによる大規模な食中毒事件の解析であった。それは、水俣病の解明においては当然考慮されるべき知見であった。しかし、1977年判断条件を見る限り、それらの報告 [8, 9] は無視されている。したがって、1977年判断条件は、すでに策定の時点で妥当性を欠いていたと考えられる。その点を検証するのが本報告の目的である。

2.方法

 有機水銀中毒に関する Swensson の報告 [10] でメチル水銀中毒として明記されている報告や、その後のメチル水銀中毒に関する報告を時系列的に参照し、検討した。

3.結果

I: メチル水銀中毒の症状(特に初発症状)
 I-1: メチル水銀取扱者の中毒
 1865年と1866年の Edwards の報告 [11, 12](死亡例二名)が現時点では最古のメチル水銀中毒症の報告例とされている。その報告には感覚障害に始まり、死に到った経過が詳しく記されている。その Edwards の報告を掲載した書籍が日本に輸入された形跡はないといわれている。しかし、その報告書 [11, 12] の内容は、Hunter 等の1940年の報告 [14] の冒頭で詳細に引用されている。その Hunter 等の報告 [14] そのものは引用される機会が少なくないが、そこに記されている Edwards の報告の引用は現在にいたるまで殆ど言及されていない。その Hunter 等の報告 [14] では、四名の症状の経過が詳細に述べられているが、うち三名は感覚障害が最初に現れている。その四名中の一名の死亡例でも、感覚障害が先行したことが記されている [15]。一方、水俣工場と同じ方式の欧州のアセトアルデヒド製造工場で発生した有機水銀中毒の報告 [13] では、症状は四肢末端の感覚障害に始まり、その後運動失調等の症状が現れたと記されている。1945年には Herner が舌先と指先の感覚低下に始まった症例を報告している [16]。Ahlborg & Ahlmark [17], Ahlmark [8], Hill [18] および Lundgrem & Swensson [19] が同様の報告を行っている。特にAhlmark [8] は指先の感覚障害のみにとどまった症例を報告している。
 以上の報告はどれもメチル水銀取扱者の中毒である。

 I-2: メチル水銀の経口摂取による中毒
 1952年にメチル水銀で処理した種子用小麦を誤食した症例が報告されている [20]。しかし、そこには中枢神経障害と記されているだけで、感覚障害があったかどうかは不明である。その報告には小児の症例も含まれているが、知能発達の遅延があったとのみ記されている。
 メチル水銀で処理した種子用小麦を誤食して起きる食中毒は、たびたび繰り返されている。1961年と1972年にはイラク、1965年にグアテマラ [21]、1967年にガーナ、1969年にアメリカ [22] で発生している。アメリカでの事例は、メチル水銀処理小麦で飼育した豚肉を摂食した妊婦の事例である。母親は無症状であったが、出生した子供に出生前曝露によるメチル水銀中毒の症状が認められている。グアテマラの事例は、最初は何らかのウィルス感染による脳炎と考えられていたが、その後メチル水銀で処理した種子用小麦を誤食して起きた中毒であったことが判明している。主要症状として四肢の運動障害(loss of the use of extremities: 四肢を使えない)、視力障害、難聴及び意識消失が挙げられ、「感覚障害」という語句は見当たらない [21]。しかし、「四肢を使えない」という症状は、四肢末端の感覚障害による可能性も考えられるが、詳細は不明である。
 1972年のイラクにおける事例は、Bagdhad 大学(イラク)とRochester大学(アメリカ)の共同研究により詳細に解析されている [9]。日本では、1968年に「熊本水俣病と新潟水俣病の原因に関する政府見解」が発表されていたが、なぜかこの調査に日本の研究機関は参加していない。その調査では 6,530名の患者の症状を解析している。初発症状は感覚障害であり、次第に他の中枢神経障害の症状が出現していることが判明した。更に、曝露量が低い場合には、感覚障害のみにとどまった症例が確認されている。その報告では各症状の「水銀体負荷量閾値」を求めているが、結果として、感覚障害に対する閾値が最も低い。それによって、感覚障害のみのメチル水銀中毒の存在が裏付けられている。なお、そこで算出された閾値は、後年の報告とおおむね同じである [23, 24]。

 I-3: 感覚障害のみのメチル水銀中毒の存在
 1971年に環境庁事務次官通知で示された水俣病判断条件、すなわち「1971年判断条件」は、それまでに把握した症状を列挙し、そのいずれかの症状があれば汚染魚介類摂食歴と照合して水俣病と判断するものであった。つまり、最も軽微な症状である感覚障害のみの場合でも水俣病と判断される可能性があった。この1971年判断条件は、熊本と新潟に適用された。その時点で、環境庁といわゆる水俣病の専門家は、メチル水銀中毒は水俣と新潟(阿賀野川流域)のみの疾患であり、他の地域では起きるはずがないと主張していた。
 しかし、1959年と1973年の通産省の調査結果によると、水銀を使用してアセトアルデヒドと塩化ビニル(若しくはその何れか)を製造する設備を有する工場は、休止中をも含めると19か所あることが判明している [25]。したがって、環境汚染によるメチル水銀中毒(水俣病)が、水俣や阿賀野川流域以外の地域でも発生することが危惧された。
 この危惧は現実となった。1973年5月に関川(新潟県上越市)沿岸に立地したアセトアルデヒド製造工場周辺で感覚障害等を訴える住民の存在が明らかになり、斉藤恒医師により「1971判断条件で水俣病の疑い」と報告された [26]。それは、水銀汚染調査検討委員会分科会(会長:椿忠雄新潟大学教授)により、同年8月に否定された。同じ頃、それまでは「非汚染地区」と考えられていた有明町で、水俣病と「区別できない」住民5名と「疑わしい」住民5名が存在する事が、水俣と新潟に続く「第三水俣病」と報道され、一大水銀パニックとなった。環境庁は直ちに水銀汚染調査検討委員会分科会による診察の結果、「水俣病ではない」と判断した。この第三水俣病への対応では、患者の診察は殆ど行われず、もっぱら映像と病歴による判断であったと記されている [27]。1974年3月には福岡と佐賀で水俣病類似の症状の住民の存在が報じられたが、いずれも上記分科会により否定されている。
 これら水俣と阿賀野川流域以外の地域で認められた水俣病と判断できる患者は、いずれも水銀汚染調査検討委員会やいわゆる「水俣病専門家」により否定された。しかし、その診断方法は、たとえ1971判断条件を満たしていても、合併症によるものとし、水俣病であることを否定するというものであった。例えば、感覚障害は頸椎変形症、脳梗塞または動脈硬化症によると判定した。また、「ハンターラッセル症候群」を満たす場合でも、構音障害は義歯の不具合、感覚障害は頸椎変形症か脳梗塞、聴力障害は加齢の結果、視力障害は心因性などの結果であるとして水俣病を否定するというものであった [27]。
 すなわち、「感覚障害のみのメチル水銀中毒」は、その存在を示す報告が多数あったにもかかわらず、「水俣と阿賀野川流域以外では発生しない」という頑迷な認識の環境庁と水俣病専門家により、存在を否定されてしまった。
 環境庁は水俣と阿賀野川流域以外の地域で発生したメチル水銀中毒を全て否定する一方で、感覚障害のみの場合でもメチル水銀中毒(水俣病)と認めた1971年判断条件の改定を模索していたと考えられる。1977年に、環境庁は、複数の症状の組合せを要件とし、単独の症状の場合はメチル水銀中毒(水俣病)とは認めないとする「1977年判断条件」を環境庁局長通知として提示するに至った。その1977年判断条件は、それまで感覚障害のみのメチル水銀中毒があり得ることを示す国内外の多くの報告の存在を無視するものであった。換言すれば、1977年判断条件は「水俣病を水俣と阿賀野川流域に限定」することを目的とするものであったといえる。
 水俣では患者の実態調査は行われていない。「奇病発生公式確認」の当初、医療機関で診察の対象になったのはもっぱら重症者であった。なぜ初発症状が医療機関などで把握されなかったかについては次の可能性が考えられる。
 水俣では、他地域から水俣に移り住んで漁業を始めた人々は「ながれ」と呼ばれることがあった。汚染魚介類によるメチル水銀中毒がその「ながれ」の人びとを直撃した。1950年代の「ながれ」の経済状態や医療事情を考えると、多くの患者は経済的に困窮していた。患者は感覚障害等の初発症状の段階では様子をみることにし、運動失調、視野狭窄、構音障害、聴力障害等の症状が出て初めて受診を考えてみるという状態であった [28]。加えて、患者や家族に対する差別が存在していた。したがって、診療側で把握できたのは、もっぱら重症例に限られた。この重症例の症状をまとめて「ハンターラッセル症候群」という概念が形成され、これと一致することで「水俣病」と判断することになった。感覚障害のみの場合は、先ず「感覚者障害を呈する一群の疾患」との対比が行われ、少しでも一致する部分があれば「水俣病ではない」と判断された。また、複数の症状があっても、合併症があれば、水俣病であることは否定された。
 当初、感覚障害のみの水俣病の存在が疑問視された理由の一つに、感覚障害の検査法の問題が挙げられる。1950年代の感覚障害検査法はもっぱら針と筆を用いる方法で、記録の客観性、結果の再現性、定量性等にやや問題があった [29]。従って、国・環境庁は感覚障害のみの場合は、先ずメチル水銀中毒を考えるのではなく、感覚障害を呈する他の神経疾患を先ず考えるとの立場をとり、一連の疾患名を提示した [30]。しかし、対照として提示された一群の疾患は、頻度的に殆ど問題にならないくらい低い疾患が多数含まれていただけでなく、同じ感覚障害でも中枢性か末梢性かが区別されず、単に疾患名を列挙したものに過ぎなかった。後に感覚障害検査に二点識別法が導入され、結果の客観性と定量性や再現性を巡る問題は大幅に克服された。それによって、感覚障害も中枢性であり得ること、また、感覚障害のみの水俣病も存在することが証明された [31-33]。すなわち、1977年判断条件下において感覚障害のみの水俣病を否定したその取扱いは間違っていたといえる。
 したがって、日本精神神経学会の委員会の提言 [1-3] や疫学的解析 [4-6, 32, 33] を待つまでもなく、1977年の時点て感覚障害のみの水俣病(メチル水銀中毒)の存在は明らかになっていた。すなわち、感覚障害のみの水俣病の存在を否定した1977年判断条件は科学的に誤っていた。その判断条件を前提とする見解 [34]等も科学的には同意され得ない。

II: 判断条件の改訂:1971年判断条件から1977年判断条件へ
 II-1: 1971年判断条件の策定
 水俣病発生公式確認(1956年5月1日)の後しばらくすると、水俣から熊本大学に送られた重症患者の症状と、文献上のメチル水銀中毒例の報告 [14] が比較され、その結果、熊本大学の水俣病研究班が提唱した「ハンターラッセル症候群」の有無を判断条件とするようになって行った。1968年に水俣病が「公害」として認定されると、補償のための判断条件が必要になり、1971年に「事務次官通知」として新しい判断条件が提示された。それが「1971年判断条件」である。その内容はそれまでに把握された症状を列挙し、その「いずれか」があって有機水銀曝露を否定できない場合には水俣病と認定するものと定められていた。すなわち、基本的立場としては、単独の症状の場合でも「有機水銀の影響を否定できない場合は認定する」というものであった。

 II-2: 1977年判断条件の策定
 1971年判断条件は改定されて1977年判断条件となった。その1977年判断条件では複数の症状の組合せが提示され、それらに合致する場合のみが水俣病とされた。単独の症状の場合は排除された。それによって、1971年判断条件の「単独の症状でも有機水銀の影響を排除できない場合は(水俣病と)認定する」という立場は破棄され、有機水銀の影響を考慮する前に、まず他の中枢神経系疾患を考えるとの立場に変わった。他の中枢神経系疾患の例として提示された一連の中枢神経疾患には、頻度が極めて低い疾患が多く、科学的根拠が希薄であることが指摘されている [30]。のみならず、水俣病における感覚障害は中枢性であることが証明されていたにもかかわらず [32]、一連の疾患の列挙にあたっては感覚障害が中枢性か末梢性かの考慮も一切なされていなかった。その1977年判断条件は、科学的実証を全く欠いたものであることが多方面から指摘されて久しい [1-6]。すなわち、1977年判断条件が策定の時点で妥当であったとの報告 [34] 等は、科学的には誤っているといわざるを得ない。科学的実証を欠く1977年判断条件への真の改定理由は詳しくは明らかでない。しかし、つぎにあげる二つの理由が考えられる。
 水俣病(メチル水銀中毒)は、環境庁の「水俣や阿賀野川流域以外の地域では発生しないし、発生を認めるわけにはいかない」という頑迷な考えを先ず挙げることができる。しかし、すでに述べたように1973年頃には、それまでメチル水銀中毒が発生するはずがないと考えられていた地域(有明町、関川周囲)で、死亡例こそないが、感覚障害を主徴とする患者の存在が明らかになった。第三水俣病と関川水俣病の発生である。何れの場合も、1971年判断条件により、複数の患者が「水俣病もしくはその疑い」と判定された [25,27]。いずれの場合も、環境庁の水銀汚染対策検討委員会分科会(会長 椿新潟大学教授)により、「水俣病ではない」と判定された。しかし、その判定過程はかなり恣意的で、判定開始時には既に「水俣病ではない」という結論ができあがっていたと報じられている [27]。
 つまり、環境庁は、第三水俣病や関川水俣病を否定してしまった。その一方で、従来の立場、すなわち「水俣や阿賀野川流域以外の地域では発生しないし、発生を認めるわけにはいかない」との立場を裏付けるものとして、1971年判断条件の改定を模索していたと考えられる。第三水俣病や関川水俣病は感覚障害を主徴としており、また、感覚障害のみの場合が少なくなかったので、そのような症例を「水俣病ではない」とする判断条件への変更である。その結果、感覚障害と他のいずれかの症状の組合せを作成し、それらに該当するもののみを「水俣病である」といえる判断条件を、1977年に新たに策定した。これが1977年判断条件である。換言すれば、1977年判断条件は「感覚障害のみの水俣病(メチル水銀中毒)の存在」を否定する目的で策定された。
 しかし、既に述べた通り、1977年判断条件策定の時点で、職業性曝露と経口摂取のいずれの場合においても、「感覚障害のみのメチル水銀中毒の存在」が明らかになっていた。従って、1977判断条件は「感覚障害のみのメチル水銀中毒は存在する}という明白な事実を無視して策定されたものであり、科学的実証を欠いている意図的虚言以外の何物でもないといえる。
 つぎに、司法判断における1977年判断条件の評価をあげなければならない。
 1985年の福岡高裁判決では、「(1977判断条件は)厳格に失する。水俣病か否かの判定が目的ではなく、(補償のための予算に合わせて)補償対象を減らすのが目的」と判示されている [35]。つまり、1977年判断条件は患者数を減らすことを目的にして、恣意的に策定されたものであり、科学的実証を欠いていると判示された。1977年判断条件は、その後の最高裁判決(2004年、2013年)においても明快に否定され、科学的実証を欠いていると判示されている。しかし、環境庁は「これらの判決は裁判所の誤解である。感覚障害のみの水俣病の存在を証明する科学的実証はない。司法判断と行政判断は別である」と主張し、1977判断条件に固執し続けている。このようにして、この法治国家において、行政が司法判断を無視するという異常な事態が続いている。

III; 疫学的手法による症状の解析
 1960年から三年間、熊本県は汚染地区の住民と対照地区の住民の頭髪中総水銀濃度を測定した。それによると、汚染地区の住民の頭髪中総水銀濃度は対照地区のそれに比べて高かった。しかし、そのとき自覚症状の解析は行われていない [36]。賴藤等はその結果と、1974年に熊本大学医学部精神神経学教室主導の調査結果について疫学的解析を加え、水俣病(メチル水銀中毒)では感覚障害が初発症状であり、曝露量によっては感覚障害のみにとどまることを明らかにした [32, 33]。
 すなわち、感覚障害のみの水俣病(メチル水銀中毒)の存在が疫学的解析によっても明白に示された。それを環境省は未だに認めていない。環境省がそれほどまでに1977年判断条件に固執するからには、1977年判断条件に忠実に従った判断が行われているかというとそうでもない。宮井の調査 [37, 38] によれば、1977年判断条件を満たしている場合でも、水俣病であるとの判断は50%以下であることが判明している。すなわち、1977年判断条件による判断さえも定められた通りには行われていない。むしろ恣意的な判断が行われていることが明らかとなった。それは、これまで述べてきたように、1977年判断条件そのものが科学的実証を全く欠く、恣意的な判断条件であったのであるから当然の結果といえる。

4.結論

 水俣病に対する1977年判断条件は、策定の時点で既に明らかになっていた「感覚障害のみのメチル水銀中毒」の存在を無視して策定された。したがって、司法判断、日本精神神経学会の数々の勧告および後年の疫学的解析等を待つまでもなく、1977年判断条件は策定された時点ですでに科学的妥当性を欠いていた。したがって、1977年判断条件を前提にしている水俣病対策は抜本的に改められなければならない。

謝辞 この報告書を作成するにあたり、津田敏秀教授(岡山大学大学院環境生命科学研究科)から多くの貴重なご意見を頂いた。また、文献収集にあたっては、入口紀男名誉教授(熊本大学)、佐藤郁郎博士(宮城県立がんセンター病理診断科長)および Sven Langworth 博士(Swdish Division of Otsuka Pharmaceutical Corp.)から多大のご協力をいただいた。改めて深謝する。
利益相反 本研究に利益相反はない。


引用文献

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