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Hunter 等の報告の解題: 単なる症例報告ではない

Annonation of the Report of Hunter et al. (1940)

石原 信夫 Nobuo Ishihara, M.D., Ph.D. (公財)神奈川県予防医学協会

Abstract

 1940年の Hunter等の報告には、メチル水銀中毒症例について症状の経過を詳細に記録しているだけでなく、ラットとアカゲザルを用いた動物実験結果も記されている。ラットではほぼ全例に後肢の失調、運動の障害または変形等があり、重症の場合には後肢を引きずりながら前肢で移動したり、動けずにいたりするものがあったことが記されている。これらの症状は、現在ラットのメチル水銀中毒の初発症状として知られる「後肢の交差現象」の一部と考えられ、Hunter 等の報告が恐らく最初の詳細な報告と思われる。さらに、症例で認められた中枢神経症状は動物実験でも認められている。1971年には第三者によってこれらの動物実験結果が再現されている。メチル水銀の毒性解明の歴史において Hunter等の報告は嚆矢的存在である。

  The report of Hunter et al. (1940) has two main themes; 1. four cases of methylmercury poisoning of workers and 2. animal experiment of methylmercury poisoning with portmortem examinations. In all human subjects, symptomes due to atrophies of cerebral and cerebellar cortex (paresthesia in extremities, ataxia, and dysarthria) and costriction of visual fields are observed. In animal experiments (rat and rhesus monkey) several symptoms are similar to those in humans. The report might be the first one in which the clumsy in hind limbs (incoordinate movements of hind limbs; abnormal flailing movements and claspe one another) is confirmed in all rats. At present, the movement of hind limbs is confirmed to be the earlier sumptoms of methylmercury poisoing in rats. The results of the animal experiments, however, have been ignored in the most of citation of the report of Hunter et al.

Keywords: methylmercury poisoning, rats, humans, paddlelike movement in hind limbs

I.目的

 通称「Hunter・Russellの報告」と呼ばれている論文 [1] は、その全容が正しく理解された上で紹介されているとは言い難い面がある。したがって、この論文 [1] の内容をできる限り正確に紹介し、有機水銀の毒性解明における役割を明らかにして正しく評価することが本稿の目的である。

II.方法

 関連文献について全て原典を調べて検討した。

III.結果

1. Hunter 等の論文の概要と無視された重要部分
 この論文 [1] の内容は、1937年に発生した硝酸メチル水銀を主成分とする種子消毒用薬品製造に従事していた作業者四名に発生した中毒例の報告と、硝酸メチル水銀を用いた動物実験の結果である [1]。製造していた種子消毒薬の主成分はメチル水銀であり、少量のエチル水銀や醋酸水銀が含まれていたとも記されているが、硝酸メチル水銀による中毒として扱われている。
 日本では、この論文がメチル水銀中毒の最初の報告と扱われることが多く、現在でもそのように信じている向きが少なくない。しかし、Hunter等はその報告の冒頭で、現時点では最初のメチル水銀中毒の症例報告と考えられる Edwardsの論文 [2, 3] や、Heppによるこの Edwardsの報告の詳細な引用 [4] 等を紹介し、自らの症例を Edwardsの報告 [2, 3] の延長線上で捉えている。さらに、Hunter等は自らの報告がメチル水銀中毒の最初の症例報告とは一切述べていない。しかし、日本ではこの Edwardsの症例 [2, 3] 自体や Heppによる Edwardsの報告の詳細な引用 [4]、さらには Hunter等の報告の冒頭に記されているこれらの論文 [2, 4] の引用が完全に無視されて来ており、現在でも言及されることは皆無に等しい。その結果、Hunter等の報告 [1] があたかも最初のメチル水銀中毒の症例報告であるかのごとく扱われてきた。
 Edwardsの論文 [2] を詳細に引用した Heppの報告 [4] の掲載誌「Arch experim Pathol Pharmakol」の当該号は、1932年に当時の熊本医科大学が収蔵公開している。一方、Hunter等の報告 [1] が日本に伝来した時期は不明である。しかし、Heppの報告 [4] は、Shoemaker により 1957年に引用され [5] 、その掲載誌「Ann. Rev. N. Y. Acad. Sci.」の当該号が 1950年代前半には複数の医学図書館に収蔵されている。したがって、1958年に水俣病病因物質として有機水銀化合物が指摘されたとき際して、Hunter等の報告 [1] が根拠とされたのと同時に、Shoemaker の論文 [5] も参照できた可能性があり、最終的には Edwardsの報告 [2, 3] に到達することは可能であったはずである。すなわち、有機水銀説の提唱に於ける Hunter等の報告の参照は杜撰であったと判断せざるを得ない。単なる見落としか、それとも意図的無視の可能性が考えられる。当時の水俣病を巡る諸条件を考慮すると、Hunter等の報告や Heppの報告における Edwardsの報告の引用等が、意図的に無視された可能性は皆無であったとは言い難い。これらの重要な情報の無視は、水俣病病因解明に対して「負の影響」しか与えていない [6, 7] 。

2. Hunter等は、メチル水銀中毒の症状に対して「ハンターラッセル症候群」という言葉は定義していない
 水俣病の病因解明の過程で有機水銀説がこの Hunter等の報告 [1] を根拠として提唱される際に、そこに述べられている症状を要約して「ハンターラッセル症候群」と定義したものと広く理解されている。のみならず、国内の医学辞典類や内外の論文では、アルキル水銀中毒の症状をまとめて表現したものが「ハンターラッセル症候群」であるとして広く記されている。
 しかし、Hunter等の報告 [1] では、中毒症状を要約して症候群と定義していない。有機水銀中毒(メチル水銀中毒)の症状の要約に対して「ハンターラッセル症候群」という名称が定義されたという考えは、関連文献の誤読が原因であり、誤読の過程の説明と共に、速やかに適切な名称に改めるべきであると既に指摘されている [6, 7] 。詳細はこれらの報告に譲るが、その概要は以下の通りである。
 1958年に Pentschewは中枢神経系の病理解剖学の大著『Handbuch der speziellen pathlotgishen Anatomie und Histologie』の中毒「Intoxikationen」の部分を執筆した[8] 。そこでは、先ず複数のアルキル水銀中毒症例 [2,4, 9 - 11] を引用しながら症状の概略を説明し、引き続き別章「神経系の形態学的所見: 脳」で、メチル水銀やアルキル水銀中毒の剖検で認められる中枢神経の病変の特異所見として、大脳と小脳の皮質の萎縮を指摘している。この所見や、Hunter等の報告の死亡例の病理所見 [9] 等から、前章で要約したのアルキル水銀中毒の生前の症状は、この章で述べている大脳と小脳に認められた皮質の萎縮という病理組織所見から説明可能であるとの結論に達し、Pentschewは Hunterと協議の上、この大脳と小脳の皮質の萎縮における病理組織所見を「ハンターラッセル症候群」と命名している。すなわち、「ハンターラッセル症候群」という名称は、病理組織所見について定義されたのであり、生存中の症状について定義されたものでないことは明白である。さらに付け加えるならば、水俣病(メチル水銀中毒)の症状を要約して「ハンターラッセル症候群」を定義した際に、三大主徴として「小脳性失調」、「視野狭窄」、「構音障害」があげられたが、 Pentschewが「ハンターラッセル症候群」を定義した「神経系の形態学的所見」では「構音障害」という言葉は使われていない。構音障害という言葉は、前章の「アルキル水銀化合物による中毒」の中で症例の説明に用いられているだけである。即ち、Pentschewの著作 [8] を間違って解釈し、アルキル水銀化合物による中毒の症状を要約したものとして「ハンターラッセル症候群」という言葉が定義されてしまった。
 すなわち、アルキル水銀中毒の症状を表現する言葉として「ハンターラッセル症候群」が用いられ続けているのは科学史上の大きな間違いであり、即刻改める必要がある。この間違いの原因は Pentschewの著作 [8] の誤読・誤解にあるのは明白である。これらの点についてはすでに指摘されているが [6, 7]、その趣旨を含んだ学会機関誌への投稿は、学会によっては編集委員会が「たとえ間違っていても人口に膾炙しているから、今更改める必要はない」として受理しない学会があるようである。公共の読者に対して歴史の真実を伝え、現象の正確な観察と記載を伝えるとともに、明白な間違いは速やかに改めることこそが科学の基本であろう。

3. 四名の対象者の症状の経過
 密閉されていない設備により、硝酸メチル水銀を主成分とする種子消毒用薬品の製造に従事していた作業者四名が対象であった。曝露条件は「メチル水銀化合物の吸入」と記されているのみで、粉塵か蒸気かについては記されていない。ただし、種子殺菌剤の主成分である硝酸メチル水銀の合成から行っていたと記されているので、粉塵の吸入と蒸気の吸入の双方である可能性もある。この事業所では、この中毒が発生する以前には硝酸メチル水銀は取り扱っていない。したがって、症例は何れも硝酸メチル水銀による中毒と考えられている。四名の作業者の症状とその経過が詳細に記されているが、要約すると以下の様になる。なお、全ての対象者は症状の進展がなくなったと判断された後に退院している。四症例の何れについても、発症から入院までの経過、入院時所見と入院中の経過、及び退院後の状態等の概略は以下の通りである。
 ( i ) 症例 1(33歳、男性)
 歩行時のよろめき等のため入院している。時計の音を聞き分けたり、他人の話は聞き取れるが、話の意味は理解できない。上肢と下肢の協調運動ができない。ピンや羽毛などに対する手や足裏に於ける触覚の低下、つまり四肢末端に感覚障害が認められる。時間の経過と共に求心性視野狭窄が現れ、構音障害が顕著になった。自分で食事をしたり、衣服の脱着はできるが、遅く下手であり、四肢末端の感覚障害の進展がうかがえる。空間と時間の認識や記憶の障害はない。失調は閉眼時に著しくなる。3年を経過しても、これらの症状は軽快していない。
 ( ii ) 症例 2(16歳、男性)
 歩行時のよろめき、嚥下困難及びボタン掛け拙劣(手指先の感覚障害と運動失調が原因)で入院している。嗜眠傾向があるが、空間認識の異常、幻覚や妄想等はない。舌、鼻及び口唇に感覚障害がある。指鼻試験では速やかな動作は困難である。嗜眠傾向は時間の経過と共に増強し、明らかな求心性視野狭窄が認められる。構音障害が強いが、筆記による意思疎通は容易であった。会話による意思疎通を改善するための訓練が行われ、医療関係者との意思疎通は改善したと記されている。しかし、2年後の診察で失調状態や感覚障害は改善していなかった。
 ( iii ) 症例 3(33歳、男性)
 指先の感覚障害があり、言語不明瞭およびボタン掛け拙劣で入院した。手指に振顫があり、指鼻試験結果は不良で、二点識別試験で感覚障害を認める。ボタン掛けは拙劣で、手指の振顫と指先の感覚障害があるが、下肢については異常はない。求心性視野狭窄が認められる。2年半後の診察でもこれらの症状は改善していない。
 ( iv ) 症例 4(23歳、男性)
  直前のものは見えるが、端にあるものが見えない。衣服の脱着が巧くできない(手指先の感覚障害と振顫が原因)、および会話の障害等を訴えて入院した。求心性視野狭窄が認められ、時間の経過と共に進展している。指先、足裏及び口唇に感覚障害が認められる。時間の経過と共にこれらの症状は悪化した。特に求心性視野狭窄は 1か月後には、視野は中心部分に限られるようになった。しかし、全身状態に改善方向が現れ、意欲的になり、椅子にすわれるにまで改善した。12か月後に退院した。しかし、運動失調や求心性視野狭窄には変化がなく、支援なしに日常生活を送ることは不可能であった。3年後の診察でも症状は不変であった。発症 15年後に肺炎で死亡、剖検が行われた [9] 。
 すなわち、四肢末端(特に指先)の感覚障害、構音障害、求心性視野狭窄、失調等の、今日「アルキル水銀中毒の典型的症状」とされている症状が、全例に初期の症状として認められている。つまり、メチル水銀中毒では感覚障害(四肢末端や口唇)の先行が示唆されている。すなわち、メチル水銀中毒では四肢末端の感覚障害が初発症状であり、曝露濃度によってはそれ以上に症状は進展しない、つまり感覚障害のみのメチル水銀中毒の存在が、Hunter等の報告 [1] で初めて示唆されたといえる。
 現在の水俣病判断条件(1977条件)が「ハンターラッセル症候群」を満たさない場合は水俣病ではないと判断していること、すなわち、四肢末端の感覚障害のみの水俣病(メチル水銀中毒)の存在を否定していることは、(科学史上・医学史上の)大きな誤りである(とともに、本来は救済されるべき膨大な数の真正の患者が水俣病として認定されていない)ことを指摘しなければならない。
 既に指摘した通り [12]、四肢末端のみの感覚障害のメチル水銀中毒(水俣病)の存在は、イラクにおけるメチル水銀食中毒事件の解析 [17] を初めとする多くの報告や、水俣病訴訟に対する判決(大阪高裁 2004.4.27; 最高裁 2004.10.15)、日本精神神経学会専門委員会の勧告等から明白になっている。しかし、環境省及び「水俣病の専門家」を自称する一部の研究者達は、「感覚障害のみのメチル水銀中毒は存在しない」と主張し、1977判断条件に固執し続けている。すなわち、メチル水銀中毒は水俣病以前にはなかったという明白な間違いに環境省は固執し続け、「水俣病の専門家」を自称する少なくない研究者達がそれに追従している(ことによって、膨大な数の真正の患者が救済されていない)のが現状である。

4. Hunter等が行った動物実験の概要
 動物実験と病理組織検査は詳細に行われ、Bomfordと Russellが担当した。
 実験 1と 2: 沃化メチル水銀 10gを通した空気を飼育箱に供給する装置で別々に飼育したラット 4匹に対する沃化メチル水銀蒸気の吸入実験である。曝露時間は 1日8時間、積算曝露時間は平均 156時間であった。曝露開始後、最初に現れた症状は、後脚の不器用な動き(clumsiness)や失調(ataxia)で、移動の際は後脚を引きずるようになり、数日後には全例に重度の失調が認められ,曝露終了時には全例死亡若しくは死亡直前の状態であった。すなわち、後脚の動きの障害が先ず現れていた。ただし、曝露濃度の測定は行われていない。
 実験 3: 実験 1及び 2と同じ条件での曝露であった。ラットにおけるメチル水銀中毒の初発症状に相当する後脚の異常(clumsy in the hind legs)が曝露開始後 14日(積算曝露時間は 64時間)で最初に認められ、16日後(積算曝露時間は 71時間)には、同様の症状が全てのラットに認められた。
 実験 4: アカゲザル(雌)に対する曝露実験
 ラットの場合と同じ方法で沃化メチル水銀の蒸気の曝露を行った。曝露開始後 25日目に食べ物を取り落としたり(恐らく、指先の感覚障害か失調による)、毛繕いを止めたりし、26日目には失調状態になり、引き続き体の動きが乏しくなり、うづくまった状態になった。餌を与えても食べようとしなかったので、クロロフォルムで処理した。ラットでみられた「後肢の異常」にあたる脚の動きの異常症状は記されていない。
 実験 1~4 により、メチル水銀取扱者に認められた失調等の症状が動物実験でも認められている。さらに、現在、メチル水銀によるラットの中毒症状の典型として知られている、尾を持って吊り下げた時の「後肢の交差現象」(hind limbs made abnormal flailing movements usually clasped one another;clumsy in the hind legs)に繋がると思われる後肢の異常が、実験 1~3 の全てのラットで認めている。このラットの後肢の異常に相当する症状はアカゲザルでは認められていないが、種による違いではないかと述べている。この後脚の運動障害や形態の異常が、現在ラットのメチル水銀中毒に特徴的である「後脚の交叉現象」に繋がるとの記述はない。しかし、1971年に Cavanagh等は、この「後肢の異常」を「後肢の協調運動障害のため体の釣り合いが保てず、尾の動きが円滑でない」(loss of precise control of the hind limbs while doing simple tasks such as maintaining balance on the slanting wire cable, and the slight rigidity of the tail)、「尾で吊したときの後肢の筋肉の協調運動の障害」(hind limbs showed incoordination when held by the tail)や「後肢の交叉」(hind limbs made abnormal flailing movements and usually clasped one another)という表現で述べ、さらに、これら後脚の異常(後脚の交叉現象)とメチル水銀曝露量との間には量反応関係があるとも述べた上、Hunter等の報告は完全に再現できたと述べている [14]。つまり、Cavanagh等の報告は、これらの後肢の交叉等の後肢の異常がラットにおけるメチル水銀中毒の早期の症状の一つとして明確に指摘した最初の報告であると思われる。しかし、ラットにおけるメチル水銀中毒では、後肢の形態や動きに異常が現れる事を最初に明示したのは Hunter等の報告 [1] と考えたい。ただし、Hunter等の報告 [1] を精査しても、Hunter等はこの後肢の異常に特に関心を持っていなかったようである。ところで、大井等 [13] は、ラットにおけるメチル水銀中毒の初発症状として、後脚の失調と交差(crossing and ataxia in hind legs)と共に、尾の回転運動(tail rotation)をあげている。ただし、Hunter等の報告 [1] や Cavanagh等の報告 [14] には「尾の回転運動」にあたる記述はない。なお、マウスの場合には、メチル水銀投与により「尾で吊り下げたとき頭を水平に維持できなくなる」(inability of head maintenace)、「後脚の麻痺」(hind leg paralysis)[15] や「後脚の力の低下」(weakness in the hind legs) [16] 等の姿勢や後脚の変化がメチル水銀中毒の初発症状であることはよく知られている。つまり、ラットもマウスもメチル水銀中毒症の初発症状は同じといえる。

5. 剖検結果の検討
 ( i ) ハンター等の報告
 文献 [1] に記述されている、ラットで認められた病理組織検査の結果を要約すると、(1)脊髄後根枝の変性、(2)後根神経節の変性(グリア細胞の増殖を伴う)、(3)小脳顆粒層の神経細胞の変性等である。ただし、作業者の死亡例の剖検では、後根神経節の変性は認められていない [9] 。アカゲザルでは、ラットの場合と同様の脊髄後根(神経節の変性)や小脳皮質の変化だけでなく、大脳皮質の神経細胞の核の細分化(多核化)と小神経膠細胞(ミクログリア)の増殖等が認められている。一部のアカゲザルの実験では、体重あたりのメチル水銀投与量がラットより低いにもかかわらず、病理組織検査でラットと同じ所見があり、ラットにくらべると霊長類(アカゲザル)はメチル水銀に対する感受性が高いと判断している。
 後に、Hunter等のこれらの動物実験結果は、Cavanagh等 [14] を初めとする多くの報告により、完全に再現されている。
 ( ii ) 四名の対象者中の死亡例について
 1940年の報告 [1] で述べられた四名の対象者の内、第 4症例とされた作業者が症状が改善しないまま、15年後に肺炎で死亡し、剖検が行われた [9]。その結果、小脳皮質の萎縮(特に neocerebellum と呼ばれる部分の顆粒層の神経細胞の変性 = 小脳性失調の原因)、大脳皮質の萎縮(一次視覚野、area striata:視野障害の原因)が認められた。これらの変化が遺伝性疾患、例えば若年性家族性痴呆(juvenile familiar idiocy)による可能性は否定され、外来の毒物、つまりメチル水銀による変化と判断された。

IV.考察

 Hunter等が報告した動物実験の結果は、Cavanagh等 [14] により完全に再現されただけでなく、他の報告によっても再現されている [15] 。ラットのメチル水銀中毒における初発症状として後に「後肢の交差現象」と呼ばれる様になった後肢の異常の一端が、ラットに対するメチル水銀投与で認められることを最初に示したのは Hunter等の報告 [1] であると考えられる。なお、1978年にラットにおけるメチル水銀中毒の特異的症状として、後肢の交叉現象の他に、躯幹を持ち上げたときの尾の回転運動(tail rotation)が報告されている [12] 。但し、Hunter等の報告 [1] や Cavanagh等の報告 [14] にはそれに該当する症状は記載されていない。
 すなわち、Hunter等の報告 [1] は、単なる症例報告ではなく、何故症状がおきるのかという点にまで踏み込んだ論文といえる。命名こそしていないが、メチル水銀中毒の初発症状である後肢の異常を最初に記述した論文は、この Hunter等の報告 [1] であるともいえる。
 現在でも Hunter等の報告 [1] は、ともすると「メチル水銀による中毒の症例報告」とのみ捉えられる傾向が少なくないが、これは正当な評価ではない。さらに、有機水銀中毒について論ずる場合、先ずこの Hunter等の報告 [1] が最初の症例として参照されてきた傾向があるが、これも正当な取扱とはいえない。すなわち、この Hunter等の報告以前にジメチル水銀の合成におけるメチル水銀中毒の報告が1865年(2)と1866年(3)に、更に1930年にはアルキル水銀(恐らくメチル水銀かエチル水銀と推定)による中毒の症例報告が、それぞれ出されている [17] 。しかも、1865年の症例の詳細は、1887年の Heppの報告 [4] や1940年の Hunter等の報告 [1] の冒頭に詳細に引用されている。特に Heppの引用は逐語訳に近い極めて詳細なものである。しかし、何れも今日迄無視され続けている [4, 6] 。特に、Hunter等の報告 [1] は水俣病の病因解明における有機水銀原因説の根拠の一つとなっている。その際、冒頭に記されていた Edwardsの報告 [2, 3] が無視されたことは理解しがたい。参照すべき文献の検討が余りにも杜撰であったことも明らかであるが、(国や原因企業等に対する)何らかの忖度があった可能性も否定しきれない。
 Hepp [4] がジメチル水銀に着目した理由は、ジメチル水銀の皮下注射を梅毒の治療へ利用できないかを検討することであった。しかし、同時に行った動物実験で、ジメチル水銀の神経系に対する余りにも強い毒性が認められたため、梅毒治療への使用を断念している。Heppは、その際の動物実験で認められた中毒症状は失調を伴う脚の麻痺、嗅覚の低下、振顫等であり、無機水銀による中毒とは明らかに異なると指摘している。有機水銀(メチル水銀)の毒性が無機水銀とは異なるという事実は、後に Zanggerが有機水銀(アルキル水銀)による中毒例の解析に於いて、病因物質をメチル水銀かエチル水銀ではないかと推定する際の論拠の一つになっている [18]。
 水俣病の病因解明の過程で、参照しなければならない論文 [1 - 4, 18] の無視や、重要な論文 [1, 8] に対する間違った解釈の放置や黙殺等の異常事態は速やかに改めるべきである [19] 。これらの点を指摘した学会機関誌への投稿は、学会によっては編集委員会から「今更改める必要はない」あるいは「Pentschewの定義は過去の物。拘泥する必要はない」と判断して、受理しない学会があるようである。(真実が学会の「利益」を脅かしている可能性がある。)学会機関誌の読者や公共の多くの読者、研究者は、(過去にそのような科学史上・医学史上の間違いや黙殺が行われたことについて)現在もなお真実を知る機会が奪われていると言わざるを得ない。
 有機水銀(メチル水銀)が化学実験の試薬として一般的に用いられたのは 1863年の原子価の決定の目的で使用されたことが最初であった可能性が高く [20] 、当時は毒性についての情報はなかったと考えられている [21] 。したがって、Edwardsの症例以前に有機水銀中毒が発生していたとしても有機水銀中毒として記録されることはなかったと考えてよい。したがって、Edwardsの報告 [2, 3] が、最初の有機水銀(メチル水銀)中毒の報告と考えて支障はない。

V.まとめ

 ラットにおけるメチル水銀中毒の初発症状が「後肢の交差現象」で代表される後肢や尾の異常であることは現在では広く知られている。この現象がラットのメチル水銀中毒の初発症状の一つであることを最初に指摘したのは Hunter等の報告 [1] であり、Cavanagh [14] により確認されたといえる。Hunter等の報告 [1] は単なる症例報告ではなく、メチル水銀の毒性解明において重要な論文である。すなわち、Hunter等が行ったラットによる動物実験 [1] は、メチル水銀の毒性に関する動物実験の嚆矢とも言うべき存在であり、正当に評価されなければならない。

研究費の供与
 この研究にあたっては、研究費の供与は一切受けていない。
利益相反
 申告すべき利益相反は一切ない。
謝辞
 文献の収集にあたっては、佐藤郁郎博士(宮城県がんセンター病理部、病理診断部長)のご協力が欠かせなかった。改めて深謝する。


参照文献

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