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金属水銀塞栓症の症例の解析:直接死因は?

A case review of metallic mercury embolization: toxicity of metallic mercury

石原 信夫 Nobuo Ishihara, M.D., Ph.D.
 (公財)神奈川県予防医学協会 (独法)東北労災病院健康診断センター

Abstract

  A fatal case of metallic mercury embolization was reviewed. The patient was a 1.5-year-old boy. Intravenous introduction of metallic mercury was confirmed, suggesting that this case may have been medically caused. The metallic mercury emboli were distributed in the brain, liver, and kidney, and were accompanied by abscesses. No pathogenic bacteria of any kind were detected in the contents of the brain and liver abscesses. Mercury concentrations in blood and brain (gray matter) were high, but those in cerebrospinal fluid were very low. It was possible that ependymal cells were a barrier to mercury.

Keywords: embolization, toxicity of metallic mercury, cerebrospinal fluid (CSF)

要約

 幼児(1.5歳男児)に発生した、医原性の疑いを必ずしも否定できない金属水銀塞栓症の死亡例である。すなわち、剖検により、① 組織内に残留した金属水銀は必ず膿瘍(無菌性)を伴い、② 直接死因は膿瘍形成(多発性) と診断された。この症例では若年であるため、金属水銀の皮膚や粘膜に対する毒性が高く、壊死作用により膿瘍が形成されたと判断した。成人の金属水銀塞栓症例を見ると、金属水銀の皮膚や粘膜に対する毒性は殆ど無いとされているが、被曝露者の年齢によっては皮膚や粘膜の壊死や膿瘍形成を引き起こす場合がある。

I.趣旨

 1989年5月7日に 1歳5ヶ月で死亡した男児の金属水銀塞栓症の症例である。剖検所見と剖検試料中の水銀濃度の関係、及び症状経過の概要は既に国際学会で報告し [1]、論文としても公表した [2]。しかし、塞栓症に罹患する以前の健康状態、生前の治療内容、入院後の検査結果および症状の経過、剖検所見等に関して、今回、更に検討を加え、金属水銀塞栓症における水銀の毒性について考察した。
 その原因論とそれに対する法的な責任論については、当事者が医原性のものとして認識することが当時できたかどうか等について別途法律等の立場から検討されることに譲って、この論文においては、医学的な立場から検証してその結果をここに供覧する。

II.症状経過の概略

 初診はB町立病院で行われた。金属水銀塞栓症が発生した後、A市民病院に転院している。  

 1.B町立病院における経過

 A市民病院への転院の際の紹介状の内容は以下の通りであった。すなわち、出生時体重 2,460グラム(2週間早産)、ポリオワクチン投与済み、先天的障害なし、癲癇(発症時期不詳・精神運動性発作)でA市民病院にて受診し、B町立病院小児科で Luminal投与(7㎎/Kg・体重)を受け、発作は消失している。1988年12月14日に ① 右眼瞼下垂(原因不詳)、② 気管支炎の診断でB町立病院に入院、12月21日に白血球の著しい増加と血小板減少を伴う高熱があり、敗血症と前 DIC状態の疑いで加療。1989年1月15日頃には解熱した。しかし、この治療中の同年 1月4日の胸部エックス線写真に、突然直径約 1㎜程度の金属性陰影が多数出現、同様の陰影が上行静脈周囲、仙骨から脊柱周囲、右足背静脈周囲にも確認され、右足背静脈から金属性粒子が多数が血液中に入ったと結論された。恐らく、何らかの検査の際に齟齬が生じたと考えられるが、検査の内容だけでなく、検査の計画等一切記載がない。同年 1月11日の胸部 CT検査で、異常陰影の CT値が骨の約 3倍であることが判明した。この異常陰影数や分布の様子には変化がなく、中枢神経症状を呈することなく経過し、2月中旬には退院が計画されていた。しかし、同年 2月13日から 15日にタール便、同 2月23日には下血が発生し、同 2月25日頃には陰嚢腫脹が認められたが、ある泌尿器科の診断では放置可能とされた。B町立病院では粒子状の異常陰影の本体の解明と、より高度の医療対応が不可能と判断され、A市民病院へ転院することになった。その際、C国立大医学部小児科を交えた協議が行われたかもしれないが、確証はない。なお、B町立病院は、2012年には近隣市町村の広域連合が運営する病院に改組され、名称はB病院と変更されている。1988年から 1989年当時のB町立病院の診療録の閲覧はできなかった。

 2.A市民病院へ転院後の経過

 1989年2月25日にB町立病院より転院し、小児科に入院した。胸部エックス線写真で多数の粒状陰影が改めて確認されたが、腹部触診や胸部聴診では異常は認められず、皮膚に発疹はなかった。ただし、頻脈があり、陰嚢の腫脹が認められた。エックス線写真の所見は町立病院で撮影されたエックス線写真と同様であった。したがって、右足背の静脈から金属水銀が血液中に入り、金属水銀塞栓症となったと改めて確認され、原因について検討されたと思われるが、診療録には記載がない。
 1989年3月6日 16:00に突然呼吸困難が発生した。胸部エックス線検査で左側の気胸が確認され、血性胸水 50mlを吸引、ドレナージにより改善した。家人によればB町立病院入院中の 2月に 3回同じ状態になり、同様の処置で改善していたようである。1989年1月11日(肺に多数の異常陰影が出現してから1週間後)に左肺上葉の気胸がエックス線写真で確認されれたが、その際に胸腔穿刺が行われたか否かは不明である。これらの気胸の原因は、肺動脈系血管内に多数存在していた金属水銀粒の影響で肺胞とその周囲の組織や胸膜が損なわれ、気胸状態になり、血液をふくむ胸水が胸腔内に貯留したと考えられる。胸水中の水銀濃度は測定していない。貧血と出血傾向が認められている。3月8日には呼吸困難は消失している。3月13日にも気胸が発生しドレナージで改善しているが、胸腔液に関しては記録されていない。
 ここまでの経過中、胸部エックス線写真で確認されてきた微細な粒状陰影の状態(量と分布)には変化がなかった。この陰影の本体の確認が必要との結論になり、3月17日に ① 血液、② 頭髪(頭皮直上より)、③ 蓄尿した尿等の水銀濃度を測定し、さらに ④ 右足背部の粒状陰影を含む部分の組織を採取し、粒状物質の同定を行うことになった。④ についてはエックス線撮影を行い、足背部の粒状物質は CT値(Houndsfield係数)が胸部粒状陰影と同じであることを確認し、粒状物質の同定を行うことになり、本著者が担当した。頭髪、血液および尿中水銀濃度は還元気化法で測定した。足背部からの組織からは、253.6µmに特異的吸収のみが認められ、金属水銀であると確認された。すなわち、エックス線写真で認められた CT値が骨の約 3倍である物質は、金属水銀と確認された。結果は直ちにA市民病院小児科に伝えられ、病歴によれば 3月18日にペニシラミンと BALの経口投与が開始されている。この時点で体内の金属水銀の完全除去は不可能で、尿や血液を介する水銀の排泄を促進することが唯一の対処方であると改確認されたと思われる。  3月19日に突然発熱と嘔吐三回があり、22日に頭痛を訴えているが、髄膜刺激症状は記録されていない。恐らく大脳に於ける膿瘍形成の前兆の可能性がある。著しい貧血があり、新鮮血輸血(両親から)100mlを行った。
 3月22日に左上下肢の間代発作が発生、脳脊髄液中細胞数は増加していたが、細菌の検出はない。頭部 CTでは左前頭部に低吸収域が認められたが、膿瘍形成とは判断されていない。19日から22日にかけての間代発作は、脳で膿瘍形成が進行していたことの現れと考えている。
 3月26日には間代発作は消失していた。しかし、頭部 CTの左前頭部の膿瘍所見は増強し、脳浮腫が疑われた。3月27日には意識レベルは 200から 30に低下、左上下肢の痛覚は残っていたが、自発的に動かせなかった。
 3月30日に右下肢にも間代発作が現れ、体温低下が明らかになってきた。このころの頭部 CTでは右側に膿瘍形成が鮮明になっている。4月1日には、発熱中程度、右下肢の間代発作は減少している。低蛋白血症が顕著に認められた。右上下肢は時々自発的に動かす(上肢 > 下肢)、左上下肢は痛覚刺激に対してのみ動かす(上肢 > 下肢)のみであった。恐らくこの時点で、水銀の対外排泄を促進する一方で、輸血を行う事で体内に残留している水銀の除去を促進させるという方針が再度確認されたと思われる。上下肢の状態はその後は不変であった。
 4月3日に両親に対して、① 金属水銀が体内に入った経緯は不明、② A市民病院小児科としては、肺などに入ってしまった水銀を直接除くことは不可能で、輸血や排泄促進剤で水銀の排泄を促進することが唯一の対策と判断した等の説明が行われた。この面談で、B町立病院で何が起きたかに関する説明があったか否かの記録はない。なお、家業は農業で、金属水銀を取り扱う機会はなかったことが確認された模様である。
 4月6日に血尿や出血傾向が顕著になり、腹部触診で肝臓の腫脹(肋骨弓下一横指大)が記録されている。この肝臓の腫脹は縮小することなく、死の直前まで増加し続けた。頭部CT検査で左前頭部に認められた膿瘍は更に拡大していた。
 4月7日には肝臓腫脹が進み、肋骨弓下三横指となった。
 4月8日には新鮮血輸血(両親より)1,100mlが行われた。
 肝臓腫大は更に進行し、4月12日には四横指にまでなった。
 4月13日には前記と同規模の新鮮血輸血が行われた。
 4月17日には第三回目の交換輸血 800mlが行われた。
 4月18日には呼吸困難と頻脈が記録されている。意識レベルは 20と記されている。
 4月19日には、以後の治療方針として、① 対症療法、② 水銀の排泄促進のためには交換輸血しかないの二点が再確認されている。ただし、赤血球に対する抗体の問題(洗浄赤血球の供給が時間的に難しいとの血液センターからの回答)があり、交換輸血は中止された。この肝臓の腫大の原因に関する議論の記録はないが、原因として膿瘍形成を考えていたと推定される。
 4月28日には、何故か肝腫大は縮小、二横指となった。
 4月30日には脳脊髄液が採取され、異常所見は認められなかったが、全身状態は悪化した。
 5月4日、頭蓋内圧亢進によると思われる痙攣発作が現れ、チアノーゼ顔貌となった。胸部エックス線検査では右肺門部に無気肺が認めらた。
 5月6日 06:45に徐脈が現れ、血圧低下、蒼白顔貌、黄疸があらわれ、08:58に永眠した。直ちに病理解剖が行われ、その結果は以下の通りであった。

 『病理解剖学的診断 (1989年5月26日報告)』
 1.主診断名:
  全身無機水銀沈着(両肺、腹腔軟部組織、右手・右足背部)
 2.副病変
  ① DIC(出血性素因:腹腔内出血 250ml、心嚢出血 40ml、両側血性胸水、
   肺小動脈多発血栓症 etc.)
  ② 出血性全腸管類繊維素性癒着
  ③ 多発性脳膿瘍
  ④ 多発性肝膿瘍
  ⑤ 肝脾腫
  ⑥ 両側サイトメガロウイルス肺炎
    ⑦ 各臓器に残存する水銀粒周囲の微小膿瘍形成
  3.その他(5月9日付け検査伝票)
  膿汁(大脳) グラム(-)、Serratia liquefaciens(+++)嫌気性培養(-)
  膿汁(肝臓)グラム(-)、 Citrobacter frewdii(+++)嫌気性培養(-)

   すなわち、出血傾向と膿瘍形成が著しく、それが死に繋がったと判断された。患者の意識低下が著しいことと、年齢の問題もあり、神経学的検査は殆ど行われなかった。大脳と肝臓の膿瘍中からは病原性細菌は検出されていない。したがって、各臓器にある水銀粒周囲の膿瘍も同様に無菌性膿瘍であったと推定している。

III.各時点で行われた臨床検査結果及びそれぞれに対する考察

 1.3月17日に採取した組織片、血液、頭髪および尿中の総水銀濃度

(組織片と頭髪は 1998年3月18日に、他は 1989年3月20日に測定)
 頭髪や組織片は所定の方法 [3] で処理し、尿と血液は未処理のまま還元気化法 [4, 5] で総水銀量を測定した。測定結果を表1に示す。

   表1: 3月17日採取検体の測定結果

   検体              総水銀
   赤血球(nmole Hg/ml RBCs)    8.11
   血漿(nmole Hg/ml plasma)    0.966
   頭髪(nmole Hg/mg hair)
   頭皮より2.5㎝           0.057
    残余の2.5㎝           0.115
   組織片(nmole Hg/全組織)    10.04
   (湿重量は概ね 5㎎)

 組織片については全量を分析に供した。分析前に採取した組織片のエックス線撮影を行い、検体中の微細粒子の CT値が胸部エックス線写真と同様であることを確認した後、全量を 50%(W/V)NaOH(塩酸システイン 1% W/V 含有)で 100℃で加熱溶解後、還元気化法で総水銀を定量した。気化時に 253.7nmの特異的吸収のみが認められ、肺エックス線写真で認められた粒状物質は金属水銀であると同定された。赤血球と血漿中の水銀濃度は、何れも金属水銀(アマルガム)を職業的に取り扱っている人達で測定された値と比べ、非常に高い [6]。頭髪を採取した時期は、胸部エックス線上で微細な金属性の多数の陰影を発見してから 28日後である。したがって、先端部分は曝露開始後 14日までの頭髪の状態、頭皮に近い部分はその後の 14日間の頭髪の状態を示している。前半と後半で無機水銀濃度が異なるのは、この 28日間に頭髪の成長につれ水銀の取り込みが進んでいた事を示唆する。無論、頭髪中水銀濃度の評価については、この 28日間の外部からの汚染も考慮する必要は言うまでもない。しかし、その点を考慮しても、金属水銀塞栓から頭髪中に水銀が移行していると考えるのが妥当である。

 2.右足背静脈より静脈内に入った金属水銀量の推定

 1989年2月25日にB市民病院で撮影された胸部エックス線写真で両肺野に出現している粒状陰影数を数え、球形で直径 1㎜の金属水銀と仮定して陰影の総重量を求めたところ、3.5g(= 0.26ml)であった [1]。ただし、肺以外の臓器組織に分布した量や、体外に排泄された量は含まれていない。この時点の患者の体重は 11Kgと記録されているから、金属水銀曝露量は 318㎎Hg/Kg・体重となり、極めて高い濃度の曝露であったといえる [6]。

 3.エックス線写真における粒子状異常陰影

 (1)胸部
 B町立病院入院後、1989年1月4日以前の胸部エックス線写真には、問題の異常陰影は存在していない。1月4日撮影の胸部エックス線写真には、1㎜前後の大きさで CT値が骨の 3倍以上の多数の陰影が確認できる。その陰影は連続した線上に散布された様に分布し、肺動脈系に沿った分布と思われる。1989年5月6日の死に至るまでの多数の胸部エックス線写真を検討したが、この分布の様子に変化は認められていない。
 (2)胸部以外の箇所
 右足背静脈、右足関節周囲軟部組織,上行静脈に沿った腹部組織等には、1月4日以後にも、微細な粒子状陰影は検出されている。したがって、金属水銀は右足背静脈から血液中にはいったと判断される。
 (3)CT検査
 1989年1月11日に行われたと記されている頭部 CT検査の記録(写真)がある。脳実質部分の異常や、脳の萎縮などは認められていない。ただし、この検査がこの時期にB町立病院で行われたか否かについては、転院の際の紹介状では一切触れられていない。1989年2月25日に市民病院に転院後の頭部 CT検査結果が次の表2である。

   表2: CT検査結果

  水銀粒出現後の日数 (暦日)   大脳のCT所見
      80    (3月24日) 左前に吸収の弱い部分
      83    (3月27日) 同上に膿瘍出現
      84    (3月30日) 右前にも膿瘍出現
      93    (4月03日) 左前と後、右前の膿瘍カプセル化
                  左右の境界に沿って膿瘍が拡大

 これらの所見に対応した中枢神経症状については、患者の意識レベルが低いため、殆ど調べられていない。

 4.各組織に分布した粒状の金属水銀の組織に対する影響

 金属水銀(= elemental mercury = Hg0)の蒸気の標的臓器は肺であり、高濃度の金属水銀蒸気の吸入により、糜爛性気管支炎や気管支支炎が発生し、水銀は血液を介して中枢神経に分布し、振顫や被刺激性亢進などの症状が現れるとされている [7]。すなわち、微細な顆粒となって臓器や組織に分布した金属水銀(蒸気)は、肺胞とその周囲の組織を壊死に導くと考えられている。
 今回の場合、金属水銀は右足背から静脈血に入り、先ず肺胞周囲の血管内に塞栓として分布した。肺胞周囲の組織の壊死により、塞栓は肺動脈系に入り、全身に分布し、塞栓から発生したであろう金属水銀蒸気や無機水銀が影響を与えたと考えられる。更に、水銀塞栓の一部が肺動脈系から肺静脈系の間の短絡路 [8] により、全身に分布した可能性を考えねばならない [9]。この短絡路は肺における血管分枝の奇形の一つとして存在する場合と、肺高血圧症の場合に機能すると言われている。この場合、肺動脈系と肺静脈系の間に新たに短絡路が形成されるのか、又は原器に相当する組織がありそれが必要性に応じて(例えば、肺性高血圧になった場合)機能を示す様になるのかは、結論が得られていない。いずれにせよ、肺動脈系に入った金属水銀粒は、酸化されて生じた無機水銀と共に、肺静脈系に入り、全身に分布したと考えている。
 (1)肺の場合
 既に述べた通り、1989年1月15日にB町立病院で CT値が骨の 3倍にあたる多数の金属性粒状陰影が胸部エックス線写真に突然現れ、同様の陰影が右足足背部の静脈部位等に確認されている。市民病院に転院後の 3月6日16時に呼吸困難が現れ、左側の気胸が認められ、左横隔膜の挙上と左胸腔内からドレナージにより血液 50mlが採取された。家人の話では、B町立病院入院中の 2月に 3回同じような呼吸困難の発作があった。1989年1月11日の気胸は確認が取れている。1989年3月17日に右足背部にあった粒子状物質が、分析の結果、金属水銀であることが 1989年3月18日には確認されている。4月1日に BALとペニシラミンの投与が開始されている。1989年3月6日には肺胞およびその周囲に多数存在していた金属水銀粒とそれが酸化された無機水銀(Hg++)により肺組織が損なわれ、胸腔内に出血を伴う気胸となったと判断している。更に、1989年5月6日の剖検所見において肺を含む多数の臓器において、金属水銀粒周囲には必ず微小膿瘍の形成が認められている。すなわち、肺では多数存在していた水銀粒(大部分は金属水銀で無機水銀が僅かに含まれる)により肺組織が損傷を受け、その結果水銀粒周囲に膿瘍が形成されていた。肺動脈系から肺静脈系に金属水銀粒が移行ただけでなく、肺動脈系から肺静脈系への短絡路 [8,9] を介して、金属水銀粒が多くの臓器に分布し、分布先では水銀と膿瘍を取り巻くように結合組織が増殖したと考えている。
 (2)中枢神経(大脳)の場合と臨床経過の概略
 市民病院では 1989年3月6日に初めて気胸(左側)が認められ、町立病院入院中の 2月中に二度同じような状態になったとの家人の証言が記録されている。ただし、日時は不明である。したがって、1989年1月15日に胸部エックス線写真での多数の微小粒子確認後、程なく(恐らく一か月前後)肺胞と周囲の血管組織が破壊され、微小粒子が肺動脈系から肺静脈系に移行し、全身に分布したと考えられる。
 しかし、3月24日には右上下肢に痙攣が起き、脳脊髄液中の細胞数が増加し、髄膜炎が疑われたが、細菌は認められていない。この時の頭部 CT検査の結果、左前頭部に低吸収域が認められている。その後、痙攣は消失したが、同 25日以降左下肢の麻痺が続いた。同 3月27日にはこの左前頭部の低吸収域の箇所に明白な膿瘍形成が認められている。この変化に対し脳実質の浮腫を疑ったようで、マンニトールの投与が行われている。3月25日に採取した脳脊髄液には多数の細胞(182個/µℓ;正常値0~5)が認められ、その大半(92%)は多型細胞(= 異物に対する反応で出現する巨大細胞)であり、リンパ球は 8%であった。さらに、4月7日の脳脊髄液検査では、グラム陰性菌も陽性菌も検出されず、二酸化炭素培養でも菌は検出されていない。すなわち、中枢神経系に起きている変化は、細菌等の感染ではなく、異物(金属水銀と無機水銀)に対する反応と判断できる。さらに、剖検試料の膿汁の細菌検査に於いても病原性細菌は一切検出されず、検出された細菌は脳膿瘍の膿汁からは Serratia liquefaciens、肝膿瘍の膿汁からは Citrobacter freundiiという病原性のない細菌のみが同定されている。したがって、脳や肝臓の膿瘍形成は細菌感染によるのではなく、金属水銀粒により組織が壊死したことが原因と判断される。さらに、剖検報告には、各組織にある微細水銀粒の周辺には膿瘍形成必ず認められたと記されている。すなわち、組織内に入った金属水銀の微細顆粒は、周囲の組織を壊死させ、膿瘍を形成させていたといえる。入院中には咽頭の細菌培養が行なわれていたが、検出された細菌は stapilococcus のみであった。  ところで、金属水銀を経口摂取した場合、消化管内で金属水銀は大部分が微細粒子となって消化管粘膜の襞に入り、そこで硫黄(S)と反応し硫化水銀となるが、この硫化水銀は水に対して殆ど不溶であり、結果として金属水銀は硫化水銀の微細顆粒となって消化管内面の襞に滞留すると考えられている。すなわち、経口摂取した場合、金属水銀が消化管粘膜に対し影響を与えることは殆どないと考えられいる。しかし、脳の硫黄濃度は消化管(空腸、結腸、十二指腸、回腸)の硫黄濃度と略同じであるとされている [10]。それならば何故、脳や肝臓で硫化水銀が形成されなかったのかという問題が残る。その理由としては、① 硫黄の存在様式(化学型の違い)、② 水銀と硫黄の濃度比等が挙げられるが、いずれも今後の課題である。とにかく、大脳では金属水銀は硫黄と反応して水に不溶の硫化水銀とはならなかったから、大脳の組織の壊死を引き起こしたと考えている。
 同 3月29日には、発熱傾向が持続、同 3月30日には、低体温傾向と右下肢の痙攣が認められた。
 同 4月1日には、低体温状態から中等度の発熱状態になり、右下肢の痙攣は低下した。明らかな低蛋白血症が認められた。四肢の動きでは、右側は時々自発的に動かすが、その程度は上肢 > 下肢であった。左側は痛覚だけがあるようで、自発的な動きは見られていない。頭部 CT所見では、左側の膿瘍が著しく拡大し、右側にも膿瘍を思わせる所見が認められている。なお、4月14日には眼科を受診、眼底や水晶体には異常がないと判定されている。
 その後、頭部 CT検査における膿瘍は拡大し、同4月6日には左側に 4箇所のカプセル化された膿瘍が、右側には膿瘍を示唆する陰影が確認されている。同 4月19日には、家族(母親)に対し、① 脳の膿瘍は細菌感染によるのではなく金属水銀の直接作用による、② 今後の治療は水銀の排泄を促進することで、交換輸血、排泄促進剤の使用、③ 貧血の改善等を目的とした治療方針の説明が行なわれた。しかし、CT所見の改善(膿瘍の縮小、減少)はなく、膿瘍は拡大していった。ここまでの間、意識程度は低かったこともあり、中枢神経症状をみる検査は不可能であった。恐らく大脳のかなり広範な範囲に膿瘍が形成されたため、大脳の機能が広い範囲で停止した状態になっていたと推定される。
 (3)肝臓機能に対する影響(肝臓の腫脹と肝機能)
 1989年2月25日にA市民病院に転院したが、その際の腹部触診では右肋骨弓下には、肝臓を触知していない。しかし、表3に示すように、1989年4月2日(曝露開始後88日)には 1~1.5横指の大きさで、右肋骨弓下に肝臓が蝕知されている。

 表3 肝臓触知幅(右肋骨弓下)
    時期 触知幅(単位:横指幅で成人男子は 1.5㎝とする)
  4月02日(第 88日) 1.5~1.0
  4月08日(第 95日)   3
  4月09日(第 96日)   3
  4月15日(第102日)   3
  4月18日(第105日)   4
  4月21日(第108日)   3
  4月22日(第109日)   4
  5月04日(第121日)   2

 患者の年齢(2歳未満)と体格(体重 11K)を考慮すると、この肝臓腫大はかなりの大きさといえる。肝臓腫大の原因は、膿瘍形成と鬱血によるのではないかと考えられていた。この腫大した肝臓の肝機能の変化を表4に示した。

 表4 肝機能の変遷
  月日   GOT   GPT  γGTP  AL-P  LDH  蛋白
  3月25日   58   23   98   557  504  4.9
  3月27日   15   10   62   441  438  5.0
  4月 2日   19    5   71   354  564  4.1
  4月 8日   16    5   39   385  491  3.9
  4月10日   15    5   26   331  503  4.2
  4月15日   19    1   43   335  618  4.4
  4月18日   22   11   161   753  656  5.8
  4月21日   20    5   123   560  602  5.6
  4月22日   19   12   64   283  535  5.4
  5月 2日   14    6   120   410  383  5.2
  5月 5日   36   19       687  2009  5.0

 GOT値と GPT値は肝臓の腫大があっても、殆ど変化していない。死亡前日には LDH値が上昇している。4月2日には肝臓の腫大が明らかになっているが、GOTや GPT値には変化がない。4月8日に肝臓の腫大が最大になった後も、GOTと GPT活性は死亡直前まで変化していない。γGTP値は肝臓腫大にややおくれて上昇している。5月22日頃には恐らく肝膿瘍は最も大きくなっていたと思われるが、GOTと GPT活性は影響を受けていない。つまり、肝臓の機能障害の指標とはなり得ていないといえる。肝臓では金属水銀粒により膿瘍となった部分と、そうでない部分とが明確にわかれていた可能性がある。死亡直前になって LDH活性が急上昇しても、GOTや GPT活性に変動は認められなかった。
 (4)腎臓機能の変動
 頻繁に行われた血清に関する検査結果から、腎機能の指標と思われるものを表5と表6にまとめた。

 表5 腎機能の指標 [1]
   月日        Na    K クレアチニン 総コレステロール
  3月25日(第 82日) 137   4.5   0.3     98
  3月27日(第 85日) 124   4.6   0.3     81
  4月 2日(第 88日) 137   4.0   0.4     73
  4月 8日(第 95日) 138   2.7   0.3     52
  4月10日(第 97日) 137   2.6   0.4     66
  4月15日(第102日) 132   2.2   0.3     60
  4月18日(第105日) 135   2.4   0.5     72
  4月21日(第108日) 133   2.4   0.3     82
  4月22日(第109日) 139   3.4   0.4     98
  5月 2日(第121日) 135   4.0   0.2     113
  4月 5日(第122日) 153   3.5   0.3     119
           135-147 3.6-5.0 2.5-7.0   130-230
            mM    mM   mg/dl    mg/dl

 表6 腎機能の指標 [2]
   月日       尿量  β2ミクログロブリン  尿素窒素   クレアチニン
           ml/日  µg/1000ml ・尿 ㎎/100ml·血清 ㎎/100ml·血清
  3月14日(第 70日) 670             8      0.5
  4月 1日(第 88日)
  4月 8日(第 95日) 740            15      0.3
  4月11日(第 98日)      2529
  4月13日(第100日) 870             8      0.3
  4月14日(第101日) 935    >8000
  4月16日(第103日) 650    >8000
  4月22日(第109日) 950    822       8      0.4
  4月28日(第115日) 700    173
  5月 5日(第122日) 1120            18      0.3

 β2ミリグロブリン値が曝露後 100日前後から上昇し、腎障害が起きていることをうかがわせる。しかし、死亡直前まで尿量は略一定であった。また血清中 Naと Kのつり合いは最後まで保たれていた。恐らく、腎臓に膿瘍が形成されていたが、機能が大幅に損なわれたことを示す結果は得られていない。

 5.剖検所見

 A市民病院に転院後の経過の項で述べた通りである。剖検で得られた組織の総水銀濃度を測定した結果が表7である。

 表7 病理解剖で得られた大脳組織中の総水銀濃度
  部位   総水銀濃度    組織中総水銀濃度/全血中総水銀濃度 **
      µmoles Hg/g tissue
  灰白質    3.20    2.76
  白質     0.74    0.64
  基底核    2.90    2.52
  膿瘍内容物  44.56    38.75
  脳脊髄液 *   0.016    0.019
  * 死亡前日に採取 ** 血液は死亡前の5月5に採取

 ここに検出された水銀は、元素型水銀(Hg0)とそれが酸化されて生じた無機水銀(Hg++)の混合であるが、大半は前者である。最も注目すべき点は、脳脊髄液中水銀濃度が血液中濃度の 2%程度であるという点である。すなわち、血液と脳脊髄液との間には、水銀(大半は金属水銀、無機水銀を少し含む)の移動に関する「関門」が存在すると判断される。したがって、脳内に存在する金属水銀とそれが酸化された無機水銀が脳脊髄液を介して脳から出ることは極めて困難であり、出るには局所に対する腐食作用により脳実質を破壊し、肺静脈系に入るという道筋しかない。つまり、金属水銀や無機水銀の局所に対する腐食作用があって初めて可能になるといえる。
 血液中水銀濃度と比較すると、神経細胞が含まれる部分(灰白質や基底核)の水銀濃度は血液中濃度の略 3倍であるが、神経細胞が少ない部分、つまり白質中水銀濃度は血液中水銀濃度より低くなっている。

IV.総合的考察

 1989年1月4日にエックス線写真上で確認された多数の粒状陰影は、① CT値が骨の約 3倍である、② 右足背静脈周辺から摘出した同様の粒子は金属水銀であると確認された等の理由から、今回の症例は肺動脈系に生じた金属水銀塞栓症と断定できる。胸部エックス線写真では、これれらの陰影が肺動脈系の走行を示すように配列していることからも、肺動脈系に生じた金属水銀塞栓症であることは明らかである。

 1.金属水銀塞栓症の成因

 最大の疑問点は、金属水銀塞栓症がなぜ起きたかである。既に述べた通り、エックス線線写真で、右足背静脈周囲、腹部上行静脈や脊柱に沿った部分に金属水銀による多数の微細粒陰影が認められている。したがって、右足背静脈からカテーテルを挿入し、肺動脈系の血行動態を調べる目的の検査の可能性が考えられる。その際、肺動脈系の圧力測定のために設置されていたマノメーター(恐らく金属水銀が使用されていた)の取扱いに齟齬が生じ、大気圧がマノメーターの金属水銀に直接作用することになり、金属水銀がカテーテルを通して血管内に入り、塞栓症となった可能性が考えられる。しかし、転院の際の紹介状にあるように、症状が落ち着き、当月中には退院を視野に入れていた様な状態で、このような検査をする必要性があったかは疑問が残る。

 2.剖検試料中の水銀濃度

 表6に示すように、脳脊髄液中の水銀濃度は血液中濃度の 2%程度であり、灰白質や白質中の水銀濃度より低い。ところで、脳脊髄液は脳室内やクモ膜下腔を満たしながら循環するだけでなく、中枢神経系の細胞成分を浸している液体と考えられている [11,12]。脳室内やクモ膜下腔を満たしている脳脊髄液は、脳室上皮細胞を通過して脳実質と交流していると理解しなければならない。したがって、脳実質を構成する細胞に蓄積した水銀は、脳脊髄液中にも蓄積することになる。しかし、表6に示す様に、脳実施への水銀の蓄積は脳脊髄液中には反映されていない。すなわち、脳室上皮細胞は、脳実質から水銀(元素型とイオン型)が脳脊髄液への移動において障壁として作用していると考えるのが妥当であろう。血漿と脳脊髄液との間の Ca, K 及び Mgと移動にはそのような障壁が存在することが知られている [13]。

 3.組織中に残留した金属水銀の毒性

 金属水銀(液体、蒸気)は健常な皮膚に接触した場合、毒性は殆どないとされている [7]。しかし、今回の症例は液体の金属水銀による金属水銀塞栓症であり、金属水銀塞栓の肺胞周囲組織や肺静脈系への混入により、各組織中に分布した。つまり、細胞外液や細胞内液中に金属水銀が存在していたことになる。細胞内液や細胞外液は純水とは異なり、多数の無機イオンや多くの両性電解質を含んでいるから、金属水銀の一部も無機イオン(例えば Hg(SH)2や Hg(OH)2等)とならざるを得ない [14]。加えて、組織に存在するカタラーゼによる酸化で金属水銀から無機水銀(Hg++)が生成されている。したがって、金属水銀は組織内に入った時点で、量の多寡は一概には言えないが、Hg++に変化し、組織に対して有害性を示すようになると考えられる。すなわち、金属水銀は組織内に入った場合、無害と言い切ることはできない状態になる [7]。
 皮膚からの吸収についても同様に考える必要がある。皮膚からの金属水銀の吸収を示す症例として、指紋採取に従事する警察関係者に金属水銀による障害が起きたとする報告がある [15,16]。これらの報告に対して、水銀中毒が起きていることは認められるが、指紋検出に用いられる試薬(通称 grey powderと呼ばれ、金属水銀を含む)からの金属水銀蒸気の吸収に関する検討が必要であるとの指摘がある [17]。すなわち、健常な皮膚からは金属水銀は吸収されず、健常な皮膚に対しては金属水銀は毒性を示さないとの考えが主流である [7]。しかし、人間におけるベンゼンのニトロアミノ化合物の経皮吸収が、共存する溶質や溶媒の組成により左右されることが判明している [18]。さらに、皮膚には何らかの病変や傷がある場合はむしろ当たり前であり、皮膚表面には複数のイオンを含んだ水、つまり汗と、油(= 皮脂)が共存しているとみなければならない。したがって、例え僅かであっても金属水銀が溶け込む可能性は否定できない。すなわち、皮膚からの金属水銀の吸収については、考慮しなければならない因子が多く、金属水銀が皮膚から吸収され、有害性を現わす場合もあるとえておくべきである。
 次に組織の粘膜や細胞膜に対する金属水銀影響についても、皮膚からの吸収の場合と同様に考えねばならない [15-17]。金属水銀が損傷や病変のない消化器粘膜から、自由自在という程度ではないが、吸収されることを示す報告がある [19-22]。皮膚表面と同様、消化器粘膜には何らかの病変がある場合は少なくなく、金属水銀の吸収に対する影響の検討が必要である。
 ところで、今回の症例では静脈から入った大循環に入った金属水銀は、肺動脈系に入り肺内で金属水銀塞栓症を引き起こした。すでに述べた通り、金属水銀(= Elemental Mercury 元素型水銀 Hg0)は、組織中に入った場合は毒性が殆ど無いと理解されている [7]。しかし、単純にそのように言い切れない。元素型水銀と接触した組織に壊死が生じ、組織で金属水銀から生成された無機水銀が吸収されたと推定される症例がある [17,19,20]。塞栓症に関する検索において、金属水銀塞栓症であることを明記している症例報告 [9,19-34] を対象にして、組織内に残留した金属水銀の動態について検討することにした。
 先ず、肺動脈を経由して、肺胞周囲の肺動脈分枝内に残留した金属水銀は一部が酸化を受け無機水銀(Hg++)となりながら接触した組織に対する壊死作用を起こす一方で、異物に対する生体側の反応(基質化)により結合組織で包埋された形になり、組織の他の部分とは隔離された形になる。このような状態になると、繰り返し述べるが、金属水銀は毒性は殆ど示さないと考えられている [7]。しかし、壊死作用を受けた範囲によっては組織の破壊の結果、肺動脈系から肺静脈系への短絡路が形成されたり、既存の短絡路 [8,9] により肺静脈系に水銀(金属水銀塞栓とその酸化物)が移行し、全身に分布し、分布先で毒性を現わす場合を考えねばならない。さらに、消化器の憩室や瘻孔内に滞留した金属水銀や消化器や肺の膿瘍内の金属水銀が、組織の壊死により同様の経過で毒性を現わす場合が指摘されている [11]。今回の症例では、肺胞周囲に肺動脈系と肺静脈系の組織の破壊が広範に起きたため、金属水銀が急速に全身に分布することになったと考えられる。胸部エックス線写真で多数の金属水銀陰影が認められ膿瘍形成はないにもかかわらす、頭部 CTで後頭部に水銀影と思われる所見が得られた症例 [25] があるが、この頭部 CT所見は、肺動脈系と肺静脈系の間の短絡路が働いたとすれば、理解できる [8,9]。
 今回の症例では、剖検所見が示すように、中枢神経(大脳、小脳)、肺及び肝臓に大型の膿瘍が形成され、さらに各臓器に分布する多数の水銀粒は各々が膿液と伴って結合織で包埋されていた。動物(イヌ)に金属水銀粒(2ml)を血管内に注入した実験では、肺に多数の金属水銀粒があり、何れも周囲に膿瘍を伴っていた [23]。さらに、金属水銀の静脈内投与に失敗し、肘関節を中心に皮下に金属水銀を 5~7g 注射することになった症例 [24] では、皮下の水銀粒周囲には壊死に陥った組織による膿瘍形成が認められ、局所における金属水銀の腐食作用と理解されている。
 今回の症例では金属水銀が導入された場所は、右足背静脈であるが、殆どの症例では[24-34]、腋窩部分の静脈より導入している。したがって、ほとんどの例で導入部分の血管の走行に沿った水銀粒陰影が認められている。血管外に残留した金属水銀量が多い場合の二例 [28,31] では、残留水銀粒の外科的除去が行われ、何れも水銀粒と同時に黄色の膿液が得られているが、膿液は感染性のもの [28] と無菌性 [31] とに分かれた。いずれも組織の壊死成分が主であった。今回の症例についてみると、剖検で得られた脳と肝臓の膿瘍の内容物には病原性のある細菌は一切検出されず、各組織に検出された水銀粒は、いずれも周囲に膿瘍を伴っていたと記されている。一方、橈骨動脈から動脈血採血を行う際の事故で、固有掌側指動脈に金属水銀塞栓症が生じ、塞栓の位置に一致して膿瘍が繰り返し形成された例が二例ある [35]。ただし、その膿瘍が感染性であったか否かは記されていない。
 すなわち、金属水銀が微細な粒となって組織中に導入されると、接触する周囲の組織に対する水銀の壊死作用により膿瘍が形成され、その程度に応じて種々の障害が起きると考えられる。この周囲に対する壊死作用と膿瘍形成は、金属水銀自体と金属水銀から酸化により生成される無機水銀(Hg++)が原因の無菌性膿瘍だけでなく、金属水銀を静脈や皮下組織に注入する際の不適切な感染防止策による感染性膿瘍もあると考えねばならない。つまり、水銀粒の周囲に形成された膿瘍が非感染性か否かは、金属水銀の取扱いの無菌性の程度によると考える。
 金属水銀塞栓が形成されてから周囲の組織への壊死作用が明らかになるまでの期間であるが、B町立病院からA市民病院への転院時の紹介状によれば、1月4日に胸部エックス線写真で金属水銀粒を発見した一週間後に気胸が発生している。年齢を考慮すると、この気胸の原因は肺内に確認された金属水銀塞栓であると考えられる。すなわち、金属水銀塞栓が出現してから一週間で周囲組織の壊死が起きていた可能性がある。恐らく、この壊死は急速に拡大し、金属水銀塞栓及びそれが酸化されて生じた無機水銀が、急速に肺静脈系に入り、全身に分布していったと考えている。なお、死亡までの全期間を通し、胸部エックス線写真の金属水銀塞栓数には目立った変化はなかった。
 ところで、金属水銀自己注射(3ml:皮下)による金属水銀塞栓症であるが、キレート剤投与(succimer)により肺機能が大幅に改善し、エックス線写真では水銀粒の残留がありながら退院した症例がある [25]。この症例で残留した金属水銀に対してどのような対応を取ったかは述べられていない。残留している金属水銀から生じる水銀化合物(イオン化された水銀、つまりHg++)をキレート剤で体外に導いたので、症状が改善したのであり、組織に残留していた金属水銀自体がキレート剤で排泄されたのではない。さらに肺内の金属水銀塞栓の消長については記されていない。
 金属水銀塞栓症ではないが、5~7gの金属水銀を自殺目的で皮下に注射した症例がある [36]。この例でも、血液や尿中水銀濃度の上昇が認められ、皮下組織中の金属水銀周囲に認められた壊死により水銀が吸収されたと結論づけられている。
 捜索できた金属水銀塞栓症症例 [19-36] の内、注入量が 20ml [26] の場合も 1.5ml [32]の場合も、症状とその後の経過は略同じであった。これに対して、今回の症例では水銀導入量は 0.26ml、尿などにより排泄された量を考えても、1ml未満であると推定されている。にも拘わらす、広範な膿瘍を形成し、死の転機を辿っている。すなわち、金属水銀塞栓症で症状の重症度は血管内に入った金属水銀量により決まるという考え [17] には賛成できない。
 肺胞内に入った金属水銀はその一部が肺静脈系に入り、そのまま各組織に分布したと見なされる症例があるが [30]、残余は肺胞内及びその周辺でカタラーゼ [37,38] により一部が酸化され、金属水銀だけでなく無機水銀も存在しているとみなければならない。したがって、金属水銀と無機水銀が肺胞周囲に影響を与えつつ、各組織に分布したと考えなければならない。金属水銀蒸気の脂溶性は高く、赤血球や他の細胞膜の脂質成分に溶け込んだ形で存在すると考えられている。一方、肺胞内には肺胞の拡張状態の維持のために界面活性物質が分泌されているから、脂溶性の高い物質も肺胞周囲の液体(水)とよく混ざり、肺動脈系により広く分布されやすいと考えられる。したがって、今回の症例では、血液内に導入された金属水銀とその酸化物が速やかに全身に分布したと考えられる。すなわち、金属水銀は無傷の皮膚とは異なり、粘膜、特に肺胞組織で吸収され易いと考えられ、吸収後は細胞の機能構造に影響を与える、つまり、何らかの毒性を示すと考えられる。
 次に、今回の症例で、全身に分布した金属水銀と無機水銀が、各組織に於いて広範な膿瘍形成を引き起こした理由を考えなければならない。足背静脈から肺動脈系に導入された金属水銀量が理由ではない事は既に述べた。今回の症例では、金属水銀が血液内に入り金属水銀塞栓症となったのが生後 1年2ヶ月で、2ヶ月の早産であるが、その後の発育は略順調で、癲癇の発作のため服薬を続けていたと記録されている。B町立病院からA市民病院に転院した際の診察(聴診、胸部エックス線写真)では特段の異常は認められていない。したがって、生後 1年程の時期に金属水銀曝露を受けたことに原因を求めざるを得ない。つまり、今回の症例では、成長初期に曝露を受けたため金属水銀の毒性が強く現れ、金属水銀が存在するあらゆる組織や臓器で膿瘍形成が急速に進み、特に大脳で広範な膿瘍により大脳の機能が損なわれ、死に到ったと考えられる。腎臓や肝臓でも金属水銀があるところでは膿瘍形成があることは剖検報告にも記載されている。しかし、表3と表4から明らかなように、機能検査値から見る限り、さほど影響を受けていない。ただし、出血傾向が顕著であり、腹腔内臓器相互に繊維素源性の癒着が著しかったことは、肝臓の機能が膿瘍形成により障害されていた可能性がある。
 すなわち、今回の症例は金属水銀塞栓症が発生した時期が生後 1年程度であった。そのため、発育途上であり、成人に起きた場合 [10,19-36] とは異なり、金属水銀による局所での膿瘍形成が急速に進んだと考えられる。

 4.治療は適切であったか? キレート剤の選択は?

 今回の症例では、体内に入った金属水銀を完全に除去しない限り、症状の改善は困難である。頭部に明らかな膿瘍の形成が認められた時点で、完治は不可能であると言わねばならなかった。したがって、血液や尿を介して水銀の排泄を促進し、体内に残留する水銀を減らすことが、唯一の治療法であった。
 B町立病院では胸部エックス線写真に水銀粒の多数の陰影が現れた 1989年1月4日以降は、そのまま 1月5日にA市民病院に転院の対応を採っている。なぜ胸部エックス線写真に異常陰影が現れたかの調査は行われたであろうが、その結果は伝えられていない。A市民病院では、異常陰影が水銀であろうと推定し、治療方針としてキレート剤を使用して水銀を体外に排泄させる方法を選択したのは当然といえる。家族間の新鮮血輸血により、水銀の対外排出を促進させることも計画され、数回にわたり交換輸血が行われた。しかし、新鮮血中の赤血球に対する抗体の問題が生じ、数回で中止された。したがって、キレート剤による水銀の除去が唯一の治療法となった。
 キレート剤自身のみならず、排出される金属はイオン化していなければキレート化合物は形成されない [39]。したがって、細胞内や細胞外で金属イオンと結合するのであり、イオン化していない元素状態の金属に対して作用することはない。すなわち、キレート剤により組織内(= 細胞内)に入った金属水銀の排泄を直接促進することはできない。酸化により生じた無機水銀を結合・排泄することで間接的に金属水銀を排泄するしかない。キレート剤にはカドミウム、ヒ素、鉛、鉄、プルトニウム、銅等の金属に広く用いられるものから、特定の金属に特化して用いられるもの等多数があるが、詳細は省略する。
 現在使用されているキレート剤については、Floraと Pachauriによる詳細な総説がある [40]。それによれば, 鉛には CaNa2EDTAと BAL、ヒ素には BALと DMSA(= succimer)、カドミウムには CaNa2EDTAがそれぞれ主に用いられている。キレート剤はこれら有害金属のみを結合させるだけでなく、生体機能維持に必要な必須金属も結合させる。したがって、使用にあたっては必須金属の欠乏に留意しなければならない。
 皮下に金属水銀を注入した例 [36] では DMSA(= succimer)の投与により、症状が大幅に改善したと記されている。しかし、この例は金属水銀の静脈内注射を試みたが失敗して金属水銀の皮下注射となった例であり、金属水銀塞栓症にはなっていない。皮下の金属水銀は外科的処置により略完全に除去されていることは、エックス線写真から明らかである。したがって、皮下で金属水銀の酸化により生じた無機水銀(Hg++)による毒性のみであり、無機水銀が効果的に排泄された結果、症状も改善したのは当然で、succimer 以外のキレート剤でも同様の結果が得られたと推定できる。この総説においても、succimerを卓越したキレート剤としては扱っていない。今回の症例で排泄促進薬剤としては、BALやペニシラミン、EDTAが用いられ、succimerは使用されていない。この選択は上述の総説 [40] と照合すると、適切な対応であったと判断できる。
 すなわち、今回の症例でキレート剤投与にもかかわらず、症状の改善がなく、膿瘍形成が拡大していったことと、succimer を投与しなかったこととは関係はなく、今回の症例でのキレート剤の選択は適切であったといえる。

V.結論

 今回の症例の液体状の金属水銀の曝露量推定値は最低限度 0.26ml、体外に排泄された水銀量を考慮しても、0.5mlは超えていないと考えられる。この金属水銀導入量は、これまでに検索出来た金属水銀塞栓症の成人例に比べると少ない。しかし、今回の症例が発育途上の曝露であったため、金属水銀塞栓により局所(肺胞及びその周囲)の組織が壊死が起こり、肺胞周囲の組織が破壊され肺動脈系から肺静脈系に金属水銀とその酸化物がはいり各組織に分布し、金属水銀自体の作用と随伴した無機水銀の影響で、金属水銀粒周囲には膿瘍が形成され、広範な膿瘍形成に至ったと考えられる。入院経過中に度々発熱を繰り返し、咽頭の細菌検査で葡萄球菌が検出されているが、剖検で膿瘍内容からは病原性のある細菌は検出されていない。従って、広範な膿瘍形成は金属水銀とその酸化物(Hg++)により惹き起こされたと判断できる。すなわち、金属水銀塞栓症が肺動脈系に起きると、肺胞及び周囲組織の壊死が起こり、塞栓が肺静脈系に入り、全身に分布する場合があり得ると言える。すなわち、金属水銀曝露では、対象者の年齢により有害性が変動する可能性を考慮しなければならない。今回の症例において、金属水銀塞栓症が発生した経緯については解明できなかったのは、痛恨の極みである。

附記

 本稿は文献 1、2の内容に、治療経過の詳細や金属水銀の影響等を加筆したものであり、著者(石原信夫)はこの内容に全責任を負う。

研究費の供与
 この研究にあたっては、研究費の供与は一切受けていない。
利益相反
 申告すべき利益相反は一切ない。


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