北原白秋(1885-1942)       柳河風俗詩        抒情小曲集『思ひ出』より


田中知啓 (Chihiro Tanaka)               入口紀男 (Norio Iriguchi)  



柳河

もうし、もうし、柳河(やながは)じや、
柳河じや。
銅(かね)の鳥居を見やしやんせ。
欄干橋(らんかんばし)をみやしやんせ。
(馭者は喇叭の音(ね)をやめて、
赤い夕日に手をかざす。)

gazou


  

 

薊の生えた
その家は、…………
その家は、
舊(ふる)いむかしの遊女屋(ノスカイヤ)。
人も住はぬ遊女屋(ノスカイヤ)。

裏のBANKOにゐる人は、…………
あれは隣の繼娘(ままむすめ)。
繼娘(ままむすめ)。

水に映(うつ)つたそのかげは、…………
そのかげは
母の形見(かたみ)の小手鞠(こてまり)を、
小手鞠を、
赤い毛糸でくくるのじや、
涙片手にくくるのじや。

もうし、もうし、旅のひと、
旅のひと。
あれ、あの三味をきかしやんせ。
鳰(にほ)の浮くのを見やしやんせ。
(馭者は喇叭の音をたてて、
赤い夕日の街(まち)に入る。)

gazou


  


夕燒(ゆふやけ)、小燒(こやけ)、
明日(あした)天氣になあれ。

(注)BANKOは縁台。スペイン語 Banco(大槻文彦『大言海』)

櫨の實

冬の日が灰いろの市街を染めた、――
めづらしい黄(きい)ろさで、あかるく。
濁川に、向ふ河岸(かし)の櫨(はじ)の實に、
そのかげの朱印を押した材木の置場に。

枯れ枯れになつた葦(あし)の葉のささやき、…………
潮の引く方へおとなしく家鴨(あひる)がすべり、
鰻を生けた魚籠(うけ)のにほひも澱(とろ)む。

古風な中二階の危ふさ、
欄干(てすり)のそばに赤い果(み)の萬年靑(おもと)を置いて、
柳河のしをらしい縫針(ぬひはり)の娘が
物指(ものさし)を頬にあてて考へてる。
何處(どこ)かで三味線の懶(ものう)い調子、――

gazou


  

 

疲れてゆく靜かな思ひ出の街(まち)、
その裏(うら)の寂しい生活(くらし)をさしのぞくやうに
「出(いで)の橋」の朽ちかかつた橋桁(はしげた)のうへから
YURANBANSHOの花嫁が耻かしさうに眺めてゆく。

久し振りに雪のふりさうな空合(そらあひ)から
氣まぐれな夕日がまたあかるくてりかへし、
櫨(はじ)の實の卵いろに光る梢、
をりをり黒い鴉が留まつては消えてゆく。

(注)YURANBANSHOは、嫁入りのあくる日、盛裝した花嫁が綿帽をかぶって先に立ち、渋い紋服の姑が付き添って、町内や近親の家庭を披露して歩く慣わし。華やかで雅やか。

立秋

柳河のたつたひとつの公園に
秋が來た。
古い懷月樓(くわいげつろう)の三階へ
きりきりと繰(く)り上ぐる氷水の硝子杯(コツプ)、
薄茶(うすちや)に、雪に、しらたま、
紅(あか)い雪洞(ぼんぼり)も消えさうに。

gazou


銅(かね)の鳥居 (三柱神社)

 

柳河のたつたひとつの遊女屋(いうぢよや)に
薊(あざみ)が生え、
住む人もないがらんどうの三階から
きりきりと繰り下ぐる氷水の硝子杯(コツプ)、
お代りに、ラムネに、サイホン、
こほろぎも欄干(らんかん)に。

柳河のたつたひとりのNOSKAIは
しよんぼりと、
月の出の橋の擬寶珠(ぎぼしゆ)に手を凭(もた)せ、
きりきりと音(おと)のかなしい薄あかり、
けふもなほ水のながれに身を映(うつ)す。

「氷、氷、氷、氷…………」

(注)NOSKAIは遊女。

水路

ほうつほうつと螢が飛ぶ…………
しとやかな柳河の水路(すゐろ)を、
定紋(じやうもん)つけた古い提灯が、ぼんやりと、
その舟の芝居もどりの家族(かぞく)を眠らす。

gazou


欄干橋から見た松月文人館 (旧ノスカイヤ「懐月楼」跡)

 

ほうつほうつと螢が飛ぶ…………
あるかない月の夜に鳴く蟲のこゑ、
向ひあつた白壁の薄あかりに、
何かしら燐のやうなおそれがむせぶ。

ほうつほうつと螢が飛ぶ…………
草のにほひする低い土橋(どばし)を、
いくつか棹をかがめて通りすぎ、
ひそひそと話してる町の方へ。

ほうつほうつと螢が飛ぶ…………
とある家のひたひたと光る汲水場(クミツ)に
ほんのり立つた女の素肌
何を見てゐるのか、ふけた夜のこころに。

酒の黴

酒屋男は罰被(か)ぶらんが不思議、ヨイヨイ、足で米といで
手で流す、ホンニサイバ手で流す。ヨイヨオイ。

  1

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松月文人館 三階北の部屋

 

金(きん)の酒をつくるは
かなしき父のおもひで、
するどき歌をつくるは
その兒の赤き哀歡(あいくわん)。

金(きん)の酒つくるも、
するどき歌をつくるも、
よしや、また、わかき娘の
父(てて)知らぬ子供生むとも…………

  2

からしの花の實になる
春のすゑのさみしや。
酒をしぼる男の
肌さへもひとしほ。

  3

酒袋(さかぶくろ)を干すとて
ぺんぺん草をちらした。
散らしてもよかろ、
その實(み)となるもせんなし。

  4

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酛(もと)すり唄のこころは
わかき男の手にあり。
櫂(かい)をそろへてやんさの
そなた戀しと鳴らせる。

  5

麥の穗づらにさす日か、
酒屋男(さかやをとこ)にさす日か、
輕ろく投げやるこころの
けふをかぎりのあひびき。

  6

人の生るるもとすら
知らぬ女子(をなご)のこころに、
誰(た)が馴れ初めし、酒屋の
にほひか、麥のむせびか。

  7

からしの花も實となり、
麥もそろそろ刈らるる。
かくしてはやも五月は
酒量(はか)る手にあふるる。

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柳川まり 柳川市観光協会 http://www.yanagawa-net.com/)

 

  8

櫨(はじ)の實採(みと)りの來る日に
百舌(もず)啼き、人もなげきぬ、
酒をつくるは朝あけ、
君へかよふは日のくれ。

  9

ところも日をも知らねど、
ゆるししひとのいとしさ、
その名もかほも知らねど、
ただ知る酒のうつり香。

  10

足をそろへて磨(と)ぐ米、
水にそろへて流す手、
わかいさびしいこころの
歌をそろゆる朝あけ。

  11

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ひねりもちのにほひは
わが知る人も知らじな。
頑(かた)くなのひとゆゑに
何時(いつ)までひねるこころぞ。

  12

微(ほの)かに消えゆくゆめあり、
酒のにほひか、わが日か、
倉の二階にのぼりて
暮春をひとりかなしむ。

  13

さかづきあまたならべて
いづれをそれと嘆かむ、
唎酒(ききざけ)するこころの、
せんなやわれも醉ひぬる。

  14

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柳河まりのさげもん(北原白秋記念館)

 

その酒の、その色のにほひの
口あたりのつよさよ。
おのがつくるかなしみに
囚(と)られて泣くや、わかうど。

  15

酒を釀(かも)すはわかうど、
心亂すもわかうど、
誰とも知れぬ、女の
その兒の父もわかうど。

  16

ほのかに忘れがたきは
酒つくる日のをりふし、
ほのかに鳴いて消えさる
靑い小鳥のこころね。

  17

酒屋の倉のひさしに
薊のくさの生ひたり、
その花さけば雨ふり、
その花ちれば日のてる。   18

計量機(カンカン)に身を載せて
量(はか)るは夏のうれひか、
薊の花を手にもつ
裸男の酒の香。

gazou


  

 

  19

かなしきものは刺あり、
傷(きず)つき易きこころの
しづかに泣けばよしなや、
酒にも黴(かび)のにほひぬ。

  20

目さまし時計の鳴る夜に
かなしくひとり起きつつ
倉を巡囘(まは)れば、つめたし、
月の光にさく花。

  21

わが眠(ぬ)る倉のほとりに
靑き光(ひ)放つものあり、
螢か、酒か、いの寢ぬ、
合歡木(カウカノキ)のうれひか。

  22

倉の隅にさす日は
微(ほの)かに光り消えゆく、
古りにし酒の香にすら、
人にはそれと知られず。

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沖端水天宮大祭 (http://sagemon.net/suitengu/)


  

 

  23

靑葱とりてゆく子を
薄日の畑にながめて
しくしく痛(いた)むこころに
酒をしぼればふる雪。

  24

銀の釜に酒を湧かし、
金の釜に酒を冷やす
わかき日なれや、ほのかに
雪ふる、それも歎かじ。   25

夜ふけてかへるふしどに
かをるは酒か、もやしか、
酒屋男のこころに
そそぐは雪か、みぞれか。

酒の精

『酒倉に入るなかれ、奧ふかく入るなかれ、弟よ、
そこには怖ろしき酒の精のひそめば。』
『兄上よ、そは小さき魔物(まもの)ならめ、かの赤き三角帽の
西洋のお伽譚(とぎばなし)によく聞ける、おもしろき…………。』

『そは知らじ、然れどもかのわかき下婢(アイヤン)にすら
母上は妄(みだ)りにゆくを許したまはず。』
『そは訝(いぶ)かしきかな、兄上、倉の内には
力強き男らのあまたゐれば恐ろしき筈なし。』
『げにさなり、然れども弟よ、母上は
かのわかき下婢(アイヤン)にすらされどなほゆるしたまはず。
酒倉に入るなかれ、奧ふかく入るなかれ、弟よ。』

紺屋のおろく

にくいあん畜生は紺屋(かうや)のおろく、
猫を擁(かか)えて夕日の濱を
知らぬ顏して、しやなしやなと。

にくいあん畜生は筑前しぼり、
華奢(きやしや)な指さき濃靑(こあを)に染(そ)めて、
金(きん)の指輪もちらちらと。

にくいあん畜生が薄情(はくじやう)な眼つき、
黒の前掛(まえかけ)、毛繻子か、セルか、
博多帶しめ、からころと。

にくいあん畜生と、擁(かか)えた猫と、
赤い入日にふとつまされて
瀉(がた)に陷(はま)つて死ねばよい。ホンニ、ホンニ、…………

沈丁花

からりはたはた織る機(はた)は
佛蘭西機(ふらんすばた)か、高機(たかはた)か、
ふつととだえたその窓に
守宮(やもり)吸ひつき、日は赤し、
明(あか)り障子の沈丁花。

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柳川市 (http://www.city.yanagawa.fukuoka.jp/)

 

NOSKAI

堀のBANKOをかたよせて
なにをおもふぞ。花あやめ
かをるゆふべに、しんなりと
ひとり出て見る、花あやめ。

かきつばた

柳河の
古きながれのかきつばた、
晝はONGOの手にかをり、
夜は萎(しを)れて
三味線の
細い吐息(といき)に泣きあかす。
(鳰(ケエツグリ)のあたまに火が點(つ)いた、
潜(す)んだと思ふたらちいと消えた。)

(注)ONGOは良家の娘。

AIYANの歌

いぢらしや、
ちゆうまえんだのゆふぐれに
蜘蛛(コブ)が疲(つか)れて身をかくす、
ほんに薊の紫に

刺(とげ)が光るぢやないかいな。
ANTEREGANの畜生はふたごころ、
わしやひとすぢに。)

(注) AIYANは下婢、兒守女。

曼珠沙華

GONSHAN.GONSHAN.何處(どこ)へゆく、
赤い、御墓(おはか)の曼珠沙華(ひがんばな)、
曼珠沙華(ひがんばな)、
けふも手折りに來たわいな。
GONSHAN.GONSHAN.何本(なんぼん)か、
地には七本、血のやうに、
血のやうに、
ちやうど、あの兒の年の數(かず)。
GONSHAN.GONSHAN.氣をつけな、
ひとつ摘(つ)んでも、日は眞晝、
日は眞晝、
ひとつあとからまたひらく。
GONSHAN.GONSHAN.何故(なし)泣くろ、
何時(いつ)まで取つても曼珠沙華(ひがんばな)、
曼珠沙華、
恐(こは)や、赤しや、まだ七つ。

牡丹

gazou


柳川市 (http://www.city.yanagawa.fukuoka.jp/)

 

ほんにの、薄情(はくじやう)な牡丹がちりかかる。
風もない日に、のう、
紅(あか)い牡丹が、のうもし、ちりかかる。
ひらきつくした二人(ふたり)がなかか、
雨もふらいで、のうもし、ちりかかる。

氣まぐれ 逢ひに來たちの
日の照り雨のふるなかを、
Odan mo iya,Tinco Sa!

しやりむり別れたそのあとで、
未練(みれん)な牡丹がまたひらく。
Odan mo iya,Tinco Sa!

(注)「ちの」は雅言の「とや」。来たの、来たんですって。
(注)Odanはわたし。Tinco Saは感嘆詞。全体の意味はあらいやだよ、まあ。

道ゆき

鰡(ぼら)と黒鯛(ちんのいを)と、
黒鯛(ちんのいを)と、
鰡と、のうえ
肥前山をば、やんさのほい、けさ越えた、ばいとこずいずい。

後家(ごけ)と、按摩(あんま)さんと、
按摩さんと、
後家と、のうえ、
蜜柑畑から、やんさのほい、昨夜(よべ)逃げた、ばいとこずいずい。

目くばせ

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白秋生家

 

門づけのみふし語(がた)りがいうことに
高麗烏(かうげがらす)のあのこゑわいな。
晝の日なかに生れた赤子
埋(う)めた和尚が一人(ひとり)あるぞえ。

古寺の高麗烏(かうげがらす)のいふことに、
みふし語(がた)りのあの絃(いと)わいな。
今日(けふ)も今日とて、かんしやくもちの
振(ふ)られ男がそこいらに。

(注)「みふし」とは、ひなびた粗末なある種の琵琶を抱いて、卑近な物語を歌いながら行く盲目の門づけの歌いもの。

あひびき

きつねのてうちん見つけた、
蘇鐵のかげの黒土(くろつち)に、
黄いろなてうちん見つけた、
晝も晝なかおどおどと、
男かへしたそのあとで、
お池のふちの黒土に、
きつねのてうちん見つけた。

(注)きつねのちょうちんは毒キノコの一種。赤い黄色。

水門の水は

水門(すゐもん)の水は
兒をとろとろと渦をまく。
酒屋男は
半切(はんぎり)鳴らそと櫂を取る。
さても、けふ日のわがこころ
りんきせうとてひとり寢る。

六騎

御正忌(しやうき)參詣(めえ)らんかん、
情人(ヤネ)が髪結ふて待(ま)つとるばん。

御正忌參詣(めえ)らんかん、
寺の夜(よ)あけの細道(ほそみち)に。

鐘が鳴る、鐘が鳴る。
逢うて泣けとの鐘が鳴る。

(注)親鸞上人の御命日。


梅雨の晴れ間

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白秋生家 (柳川市観光協会 http://www.yanagawa-net.com/)

 

廻(まは)せ、廻(まは)せ、水ぐるま、
けふの午(ひる)から忠信(ただのぶ)が隈(くま)どり紅(あか)いしやつ面(つら)に
足どりかろく、手もかろく
狐六法(きつねろつぽふ)踏みゆかむ花道の下、水ぐるま…………

廻(まは)せ、廻せ、水ぐるま、
雨に濡れたる古むしろ、圓天井のその屋根に、
靑い空透き、日の光、
七寶(しつぽう)のごときらきらと、化粧部屋(けしやうべや)にも笑ふなり。

廻(まは)せ、廻せ、水ぐるま、
梅雨(つゆ)の晴れ間(ま)の一日(いちにち)を、せめて樂しく浮かれよと
廻り舞臺も滑(すべ)るなり、
水を汲み出せ、そのしたの葱の畑(はたけ)のたまり水。

廻(まは)せ、廻せ、水ぐるま、
だんだら幕の黒と赤、すこしかかげてなつかしく
旅の女形(おやま)もさし覗く、
水を汲み出せ、平土間(ひらどま)の、田舎芝居の韮畑(にらばたけ)。

画像

北原 白秋 (1885-1942)

廻(まは)せ、廻せ、水ぐるま、
はやも午(ひる)から忠信(ただのぶ)が紅隈(べにくま)とつたしやつ面(つら)に
足どりかろく、手もかろく、
狐六法(きつねろつぽふ)踏みゆかむ花道の下、水ぐるま…………

韮の葉

芝居小屋の土間のむしろに、
いらいら沁みるものあり。
畑(はたけ)の土のにほひか、
昨日(きのふ)の雨のしめりか。
あかあかと阿波の鳴門の巡禮が
泣けば…………ころべば…………韮(にら)の葉が…………

芝居小屋の土間のむしろに、
ちんちろりんと鳴いづる。
廉(やす)おしろひのにほひか、
けふの入り日の顫へか、
あかあかと、母のお弓がチヨボにのり
泣けば…………なげけば…………蟲の音が…………

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北原白秋 『思ひ出』 (北原白秋記念館)

 

芝居小屋の土間のむしろに
何時しか沁みて芽に出(づ)る
まだありなしの韮の葉。

旅役者

けふがわかれか、のうえ、
春もをはりか、のうえ、
旅の、さいさい、窓から
芝居小屋を見れば、

よその畑(はたけ)に、のうえ、
麥の畑(はたけ)に、のうえ、
ひとり、さいさい、からしの
花がちる、しよんがいな。

ふるさと

人もいや、親もいや、
小(ちい)さな街(まち)が憎うて、
夜(よ)ふけに家を出たけれど、
せんすべなしや、霧ふり、
月さし、壁のしろさに
こほろぎがすだくよ、
堀(ほり)の水がなげくよ、
爪(つま)さき薄く、さみしく、
ほのかに、みちをいそげば、
いまだ寢(ね)ぬ戸の隙(ひま)より
灯(ひ)もさし、菱(ひし)の芽生(めばえ)に、
なつかし、沁みて消え入る
油搾木(あぶらしめぎ)のしめり香(が)。


 このページは、北原白秋の抒情小曲集『思ひ出』筑後柳河版 昭和42年6月1日発行(原版明治44年6月5日発行)を原典としています。ウェブ用に横書きとし、原典のふりがな(ルビ)を括弧書きとしてあります。また、原典で傍点付きの箇所は太文字にしてあります。


写真撮影日 平成25年4月13日 平成25年5月5日





    木製の人魚            月光とピエロ